B「本来の受動型ASDの行動パターンと違う異質な発想で動いている」状況では、受動型ASDの人は外モードがうまく働かず、難治性のうつ状態や身体症状に悩まされる。
多いパターンは、積極奇異型ASDの親の影響で「自分で努力して計画通りに成功を収めないといけない」と思い込んでいるケースと、ジャイアン型ADHDの親の影響で「人より上」にならないといけないと思い込んでいるケースだ。
受動型ASDの人の最大の強みは、(このブログの参加者のコメントが参考になるが)「平気で下に行ける」ところにあり、本来計画的でも無く努力して道を切り開くスタイルでもない。まったく逆と言っても良い。
もっと言えば、計画的でない、自分で動かない結果として「受動的に巡ってきたチャンスを最大限に生かせる」という別の強みを自ら消してしまう結果になる。
世間体大事のジャイアンや強迫的に努力し自分に厳しい積極奇異型ASDが取り仕切る環境で生育すると、その生育環境ではこれらの強迫的なスタイルが「普通」なので、価値観の一部として取り込んでしまうということになるのだろう。
だから受動型ASDのカウンセリングでは、「本来のあなたの受動型的なスタイルとは異質な発想」と指摘して、「あなたはもっと現金で結果重視の人のはず」と受動型ASDらしい生き方に差し戻すような助言をすることになる。
実際強迫的な部分をうまく「抜く」ことに成功すると、「びっくりするほどラッキー」な受動型ASD特有の現実のプロセスが起動してあっという間に社会適応していくから不思議だ。
特にこの場合は本来の脳の働きを自覚するという意味で受動型ASDの診断が決定的に重要になる。
受動型ASとしては、積極奇異型ASに意見を押し付けられるのが一番しんどいことだと思うので、悩んでいる時にそういう助言をもらえるのは助かると思います。
ここで受動型AS同士が話しをしている中から臨床成功例が出てきたことには本当に喜ばしく思います。
書いてある通り、受動型ASが医者に行く場合は、受動型ASらしさが欠けた状態になっているはずなので、いくら臨床例を集めても受動型ASの治療法は見つからないと思います。
社会適応できている受動型ASが自分自身を語ることが、他の型の人が受動型ASを理解するには必要ということでしょう。
もちろん、先生のところでの成功例を増やすことは重要ではありますが、最終的にはもっと受動型ASへの理解を増やしてもっと多くの成功例が必要だと思います。
発達障害はいろいろ取り上げれられてはいますが、まだまだ「AS」「ADHD」のみです。
まだまだ努力が必要です。
「本来の自分とは異質の発想を一部している状況」というのは、現実的に言えば、(発達障害のどのタイプでも)非常にありえそうな展開(経過)だと思います。この辺りはお医者さましかできない事だろうと個人的に考えています。
私が学生だった時から長いお付き合いをしていた人は、
「お金に困っている」
という電波を出していたのですが、
いざ、私がその人のためにお金を出してあげようとすると、
「お前からそんなことをしてもらう必要はない!!」
ということを言って突っぱねてしまうんですよね。
本当に意味不明です。
その人には良いところもあって、人に「感謝」の気持ちがあれば、
その人は人の力を借りて、
道を切り開くことができたのでは…と思ったのですが、
まさにそれが、
「人よりも上」
という気持ちが強すぎて上手く生かせない
という感じでした。
私はその人のことを、その時はヒドく腹立たしく思っていたのですが、
「ああ、そういうことだったんだ」
と思いました。
そういう人が劇的に変わるのを見るというのは、
奇跡的というか、感動的なことだろうな
と思いました。
言うまでもない事だけど、受動型ASDらしい生き方に差し戻した事で、社会適応する事は出来ても、家族との暮らしには苦労するだろう。(受動型ASD本人以外の家族が苦労するケースが多そうではありますが…例外もありそう)
『「社会適応」と「家族生活」の「両立」は成り立つのか?』というのが治療に際しての1つのテーマだと、個人的かつ勝手に思っています。(偉そうに言ってしまった。。後藤先生、すみません…)
私の兄は、弱って、初めて他者(多数派の嫁)に支えられ、人生で初めて「悩んでいる」状態になり、「他者から助言をもらって助かる事による有難みを、人生のなかで初めて感じる」という状態に、一時の間、なりました。その意味とは、まぎれもなく、他者との家族生活における共存の可能性をほのかに感じる一場面でありましたね。
兄本人の本来のスタイルが「俺様」であり、「借りを作りたくない」というスタンスである以上、私との相性は悪いというのは、私の側からは特に、目に見えて、よく分かります。
勝手に近よってきておいて、私の「苦痛である」という真正面からの訴えについては、「意見を押し付けられる」と思っているし、「俺が悪いのかよ」とそのように訴えてくるので、
実家から離れた今となっては、初めて本人の「二面性」が見え、しかもその二面性が「本人の中では通常」であり、本人の中では「矛盾しない」ため、「私の方に近寄って来る人に対して、「生身の私の気持ちの理解」という、私の切実な気持ちから来る言葉を言っても、生涯理解されない事への諦めを、こちら側だけが常に一方的にしないといけない事について」の正体が見え、小さな頃から騙されていたような気分になり、とても腹立たしかった事をよく覚えています。
兄本人は、私がこう思っている事を本当の意味で知る事は無いでしょう。
私の切実な言葉は、すべて「俺は悪くない」(という言葉で、実は、お前の方が悪い、と言いたいの?)という感じで返されるので、いつも付き合いには苦慮しております。
(投稿時にエラー表示になったので、再投稿です)
私の兄は、弱って、初めて他者(多数派の嫁)に支えられ、人生で初めて「悩んでいる」状態になり、「他者から助言をもらって助かる事による有難みを、人生のなかで初めて感じる」という状態に、一時の間、なりました。その意味とは、まぎれもなく、他者との家族生活における共存の可能性をほのかに感じる一場面でありましたね。
兄本人の本来のスタイルが「俺様」であり、「借りを作りたくない」というスタンスである以上、私との相性は悪いというのは、私の側からは特に、目に見えて、よく分かります。
勝手に近よってきておいて、私の「苦痛である」という真正面からの訴えについては、「意見を押し付けられる」と思っているし、「俺が悪いのかよ」とそのように訴えてくるので、
実家から離れた今となっては、初めて本人の「二面性」が見え、しかもその二面性が「本人の中では通常」であり、本人の中では「矛盾しない」ため、「私の方に近寄って来る人に対して、「生身の私の気持ちの理解」という、私の切実な気持ちから来る言葉を言っても、生涯理解されない事への諦めを、こちら側だけが常に一方的にしないといけない事について」の正体が見え、小さな頃から騙されていたような気分になり、とても腹立たしかった事をよく覚えています。
兄本人は、私がこう思っている事を本当の意味で知る事は無いでしょう。
私の切実な言葉は、すべて「俺は悪くない」(という言葉で、実は、お前の方が悪い、と言いたいの?)という感じで返されるので、いつも付き合いには苦慮しております。
公共バスの中で○ェ○の強制から始まって、中絶、浮気、レス後のパイプカットで終わった夫のさまざまな性的DVを考えると、夫のなかに暴力の自覚がないことに気づく。
それとはレベルが違うのだけれど、わたしの姑の行動にもプレゼント攻撃というパターンがある。
「義母から妊娠中、つわりと下の子の世話の中、合計、さんま60尾ほど、切れてないそのまんまの新巻鮭2尾送られてサバク羽目になってど、なんの嫌がらせよとおもったよ」と話したら
「それは絶対嫌がらせだっ!!」と全員一致で騒がれて、
その時やっと今まで何度も感じた違和感が本物だったと気づいた。やっとあれは悪意だったのかと自覚できたことがあった。
愛の外装をした暴力、プレゼントの外装をした強制労働「「トロイの木馬」のように人は人を攻撃する。
そしてそれは、自己の良心の検閲さえも通りぬけるんだと思っていた。
・・・で・・・
今、もうひとつ共通点があることに・・気づきましたっ!
攻撃に気づいたら・・攻撃が止んでる(@_@;)!!!
以前先生がどこかで、「攻撃」が自立本能で、「攻撃ストップ」が学習だ、みたいなことを書いていたような気がするけれど・・。そういうことなのかな?←(言葉で説明できないけど・・)
今、なんかひらめいた・・から・・コメント。
あれ・・?
よくよく考えたら、そもそも「トロイの木馬」だと思うところに私の問題があるんじゃあ・・(ーー;)
酔い止めを飲んで車に乗ったのに、姑からビールを勧められたことがある。ひどい嫌がらせのような気がすると思ったけれど・・ビールを飲んだ。
・・よくよく考えたら・・なぜ最初にビールを断らなかったんだろう・・私(@_@;)
最初に断ることを前提にしたコミュニケーションは苦手だ。
混乱した私が判断できなくなる。
渡されたのだから、とりあえずありがたく受け取ってその後なにを渡されたのか判断しようと考える。
だから、ただでさえ車酔いで気分が悪いのに、ビールを無理や
り飲んだ。そして・・やっぱり気分が悪いから電車で帰るず言ったんだ。
すると姑は駅はあっちだと指差した。
「ありがとうございます」と感謝して、その方向に歩くと反対だった。
実は私は駅の場所を知っていた。だから逆だと思うけど・・もしかしたらこっちが正しいのかしらんと信頼してそっちに行ったら逆だった。
ビールを断れば、わたしの勧めた酒を飲めないの?って思うのか?
飲んで電車で帰ればあつかましいやつと思うのか?
車の中で吐けば良かったのかよ?
・・嫌い。
嫌い・・あの人。
・・でも・・思うに・・・
ビールを飲む必要もなければ、逆に歩く必要もなかったんだ。
姑 「近所でもちつきをすることになった。孫たちにあげようとおもって。孫の分も炊いてもらえるよう頼んだからね(*^_^*)」
嫁 「どうもありがとうございます(^_^)」
(以上終了)
残念ながら私の両親は農家ではでなく、当然、私はもちつき文化なんぞ知らない。その電話ではそのうち完成したおもちが郵送されてくるんだろうとしか思っていなかった。
「義実家でもちつき=嫁子、働きに来いっ! 」ていう意味があったことに気づいたのは随分あとになってから。
その結果、姑に恥をかかせ、余計な労働をさせてしまったことがわかったのだけど、申し訳なと思う気持ちよりも、今までの経緯もあるし、木馬の中で自爆しただけ、自業自得だと考え直した。
「おもちをあげる」としか言わなかったんだから。
だけど・・・。
やっぱり私はプライドの高い姑を私の行動でひどく傷つけたんだ。
「息子と孫とおもちつき」という姑のささやかな夢を叶えるのも潰すのも私の判断のなかにあったんだから。私はいつのまに未熟な若い嫁じゃなく、家の女主人だったんだ。
今・・・。
乳飲み子を背負い、右手にひとり、左手に荷物、もう一人はどうすりゃいいねんっ!!!と、人ごみで途方にた日々は昔のできごとになり、私の後ろをしぶしぶついて歩く息子の背は伸びて見上げるほど、、娘の横には彼氏がくっついてきて、私におみやげなんかくれたりする。
老いへの不安と嫁の未熟さに対するいらだちからの攻撃を、若さに対する嫉妬だと読み間違えると、若い姑対策は失敗すると思うよ。若い姑をなめるのもほどがある。そんな姑は「家」の脂の乗ったベテランの女主人なのにさ。
・・・でも、若い嫁は成長し、姑は老いていく・・・
・・さあ、私はこれからどうしたもんだろうって、今、思案中。
あら…。先生、失礼します。
「【重要なお知らせ】2014年12月19日を以ってDoctors Blog βは終了致します。永らくのご愛顧、誠にありがとうございました。」だそうです。
ブログ上部に、表示が出ていますよ。
おお、m3ブログ終了してしまうんですね。先生はどうするのですか?私はとりあえず記事をせっせとエバーノートにクリップしまする・・・
デジタルメモのポメラが欲しい…。インターネット共有ではなくて、オフライン(現実生活)で見る時の記事の保存で何か良い物はないでしょうかね。
自分の事を言われているのかと思いました。
うつ状態、身体状態が出てきてしまったので、仕事を休職することになりました。
早く抜けられるといいなあと思います。