AS(アスペルガー)関連

受動型ASDのカウンセリング

 受動型ASDの人は通常は非常に社会適応能力が高く、また「普通」であることが大事なので、心療内科などを受診することは本来少ないと思われる。

 ただA「内モードで衝動統制が出来ないこと」と、 B「親のジャイアン型ADHDや積極奇異型ASDの影響で本来の自分とは異質の発想を一部している状況」ではカウンセリングが有効である。

 A「内モードで衝動統制が出来ないこと」は、表面上は「どんな薬も効かないうつ状態や不穏状態」という形で来院する。最初は私も気付かなかったが、家に引きこもって親に依存しているようなケースでは「受動型ASDの内モード」の可能性を考える必要がある。

 当たり前のことだが、内モードで「自分は一切の嫌なこと、不快なことは我慢しなくて良い」「愛着の対象たる親が全部解決する」という前提でいる限り、家の環境は耐え難いものになるのは当然の帰結で、どんなに薬剤調整しても解決は不可能である。

 しかし表面上は結果としては実際に苦しがり、実際に大事なものも壊してしまうなどの不穏状態となり、特に依存相手の(多くは積極奇異型ASDの)親を振り回すような「操作的」な行動もとるので、ある種の「人格障害」の診断をつけられたり、時には「統合失調症」の診断になったりもするだろう。

 実際私の外来にもこのケースは見られるが、きちんとASDの診断をつけて本人も外モードと内モードの特徴をきちんと自覚できると、「不穏になったら外に出る」という一見意外な解決方法が見えてくる。

 実際私のケアしているケースでは、支援センターなどの「外」に短時間の居場所を準備し、外で過ごす時間を徐々に増やしつつ、「外モードの建て直し」がある程度目処が立てば、最終的にはグループホームに自立することで、家での不穏を解決するプランを実行中である。抗精神病薬は外モードが機能すればほとんど不要となると私は考えている。

 だから統合失調症と誤診して大量の抗精神病薬で鎮静するのは明らかに間違ったケアである点が一番重要であると私は考える。

 外モードを見失ってしまった受動型ASDのケースが一番治療に難渋する精神科患者になる。考えてみれば当たり前であるが。


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コメント

    • 未来
    • 2014年 9月 25日

    こんばんは、検索してたどり着きました。
    私のような場合、心療内科と精神科どちらにいけばいいでしょうか。
    私の中では自然なことですが、一般的に変といわれる行動をとってしまいます。
    他人事のようにしか、大変だったときの事を言えないです。しかもわりと、悩んでることを笑顔で言えたりします。
    あと、やってはいけない場面で、表情や声のトーンを、気を付けないと
    失礼なことをしてしまいます。
    楽しくなっちゃうと、自分で自分を止めるのがむずかしいです。
    謝る場面で真剣さが足りないといわれます。
    結婚するときに親の意見に、納得がいかず、そのまま、親と縁がきれました。でも、よくないと思うので、一年に一回はハガキをだします。
    あと、FBIとかのドラマをみると、自分は殺人犯になったら無情にそういうことしちゃうのかなと考えちゃいます。
    実際は、ずっとキレたことはないし、動物も好きだし、人を殺めたいと思ったことはないです。
    正義感は、強いです。でも、ドライなので、優しい言葉はかけられるけど、依存してくるような人はたまに、突き放してしまいます。
    言葉で誰かに話すと、また真剣さが伝わらないけど、悩んでます。
    これは、普通ですか?行くとしたらどこですか?

    • 聡子
    • 2014年 9月 25日

    「外モードを見失ってしまった受動型ASDのケース」と、「アスペルガーの家族の影響下で育った依存的なのび太」って、一部、似ているかもしれないと思っているところです。
    現在の私の妹は、「人からの要請」から、「現実状況だけを見る」というところに変わりつつあるところで、そこには私の、経済的、精神的自立が関わってくるのですが、
    (私の自立の段階に合わせて、本人が「放置される」という事で、そうなると本人が「現実的必要で行動する」「誰にも何も言われない自己責任の環境」の中にいることになる、という事になるからなのですが)、
    「外モードを見失ってしまった受動型ASDのケース」は、私が自立をしても変わらず「不穏状態」であり、
    「(これで、)自分は一切の嫌なこと、不快なことは我慢しなくて良い」という、他者から見ると強固な思い込みのような理屈が先行しており、
    現実には、「自分の望み通りに他者が変わらない(自分の嫌なこと、不快なことを、他者が受け入れない、受け取らない)事を不条理に思う」という思考回路を作りあげるようで、
    表面的に見て明らかな、「(他者が存在することによる)苦しがる訴え」がとてもひどくなっていくような感じです。
    (私が自立した後の、のび太の「じゃ、これは任せた!」というのは、気軽で明るく未来に希望がもてる感じで、私自身の自己責任にも関わってくるので前向きな気持ちになりやすいのですが…。)
    (私が自立した後の、(外モードを見失った)受動型の「じゃ、これは任せた!」というのは、気重で暗く、未来に絶望を感じやすく、後ろ向きな気持ちになりがちです。)
    診断の領域については、医師に尽力をお願いするとして、、、
    最初は私も気がつきませんでしたが、「自分の立て直し」というのは、こればかりは「ご本人の課題」なのだと思っています。

    • ぬまお
    • 2014年 9月 26日

    外モード
    先が想定できない状況では自分から動けず、なるべく行動を制限し、基本的に言いなり。目立たないことが大事で、人から話しかけられなければ、自分からは話さない。どんなに理不尽な暴力、いじめを受けても、ひたすら我慢して、やり過ごす。基本的に反撃はしない。個人的な付き合いでは許容範囲を探るために相手が不快に感じそうだと分かっていても、あえて言うため、相手を怒らせること(試し行動?)もあるが、自分が引いてフォローもするので、あまり問題にはならない。行動の動機や原理、怒りのポイント(許容範囲)が分かった相手に限り、内モードに切り替えて対応する。
    内モード
    個別または小集団に対して適用。ほとんどの場合、内モードで対応している人には自分から近付いて行って声をかける。相手の許容範囲(受動的な自己突っ込みに自動的に組み込まれる)に従って配慮した行動と言語表現になる。外モードで許容範囲を探った後でないと対応不可能。許容範囲ギリギリのグレーゾーンまで言いたいことを言うので、たまに範囲を超えてしまうこともある。学校の教室のように人が多い場所で内モードを使うのは不可能です。クラブ活動など全構成員を把握できる状態で何とか使える感じで、社会に出てからは、ほとんど内モードで生活していると思います。
    この、内モードと外モードは7歳の娘(受動型)にも同じようにあります。学校の様子を聞くと、「毎日いじめられている」「友達がいない」と言います。家では親に言いたい放題の内弁慶です。毎朝、「面倒だから学校へ行きたくない」「おなか痛い」「頭痛い」と言ってごねるので面倒ですが、「いいから行け」と言うと、渋々行くので今のところ皆勤です。自分と同じ型なので、あしらい方が分かるだけに育てるのは非常に楽です。
    内モード=愛着ではないです。愛着と言うのは、もっと厳密なもので、自分の場合で言えば出会ってから愛着になるまで数年かかるので簡単には増やせないです。インターネットでのやり取りしかしていない人に愛着を持つことはありません。子ども時代は、友達=愛着のことだと勘違いしていたため、自分の中で友達と呼べる人が少なく、いつも友達が少ないと感じていました。今でも友達の定義について、どこからが友達と呼べるのか悩みます。妻は、「一度でも話したことのある人は、みんな友達」だそうです。

    • あきら
    • 2014年 9月 27日

    ADHDには「合理的なADHD]というゴールがあるけれど、ASDにはそれが無い…だから、愛着にも外モードで接することが出来るようになれば、受動の問題(強烈な内弁慶)はゴールなのかなとふと思いました。
    出来る気はしないけど、やってみたいなとも思います。

    • 聡子
    • 2014年 9月 28日

    高校の時の彼女は、私に対する「行動の動機や原理、怒りのポイント(許容範囲)」が、「ついには分からなかった」、という事態により、
    「(外モードによる、広範囲サーチのスタイルから、)内モードによる、(個別対応アクションそのものへという、)本人にとってのスムーズな対人対応スタイルへの切り替えができない、という、とんでもない事態により、衝動統制が出来なくなった」のではないか、という仮説を立ててみました。
    受動型さんの「通常」とは、「(先が想定できない状況での)広範囲サーチ(外モード)」と「個別対応アクション(内モード)」の両刀使いであり、本人はその事自体に「矛盾しない」という認識のスタイルなのですが、
    私の場合、物心ついた時から「個別対応アクション(内モード)」しか知りませんし、ありません。
    先が想定できない状況でも、自分で活路を見出すしかないと考えるため、内モードそのものの状態で原動力を振り絞り動くので(この状況を、内モード改、と名付けています)、受動型さんからは「効率が悪い」ように見えるようです。
    私の場合の内モードとは、個別対応アクション(人が近い)という事でもあれば、愛着の事でもあり、言葉に出来ないいろいろなものが融和している感じです。
    私が思う「愛着」とは、「厳密なものではなく」、「増やせるということを指すものでもない」です。インターネットや現実ということに関係なく、知り合ったり出会ってから愛着になるまで一瞬という場合もあれば、時間をかけて愛着になっていく場合もあり、時間をかけて愛着で無くなっていく場合もあれば、愛着で無くなるのが一瞬、という場合もあります。
    『「なんだか目がそらせない」関係(愛着のこと)が、そういえば幾つかあるなあ、不思議だなぁ』みたいな感じです。

    • 聡子
    • 2014年 9月 28日

    私が小学生の時、「(内モードで他者と接しているのが常なので、その感覚の延長線上で、)互いの心が100%通い合わないから自分には友達がいない」と思っていました。
    「クラスメイト」は居たのですが、私の方の転校によって、私の感覚としては、物理的距離が離れ、時間が経ち、違う環境で「精神的、身体的に、成長」している事を知らされると、何を手紙に書けばいいのか、どんな風に関係を持ったり続けたりすればいいのかよくわからなくなって、手紙を書いて連絡を取ること自体を放棄してしまった記憶があります。
    中学の時は、母の質問に対して、「(私が思うに、厳密に言えば、たぶん”いつも”というわけではないんだろうけど、)いじめられている」と親に言ったような記憶があります。
    「学校に行きたくない」「おなかが痛い」「頭痛い」と言った記憶もありますが、保健室登校中に、たぶん養護教諭だと思うのですが、話の意図が合わずにフェードアウト的に行かなくなり、私の側から言えば、親の願いを聞き入れた形になる、(親が勝手に探してきた先の)公民館登校をしたは良いけど、そこでも参加者や職員とのコミュニケーションのズレから苦痛になり、全く行かなくなって完全な不登校になり、最終的には自室に引きこもって生活リズムを崩し、昼夜逆転の日常を送っていた事を思い出します。
    家族ともまともにコミュニケーションを取る事が不可能の環境と状態とになったので、高校受験については自暴自棄の気持ちが強かったです。

    • 聡子
    • 2014年 9月 28日

    ここ重要なポイントなので、書いておこうと思います。
    私の場合、「内モード」で、常日頃から「自分の嫌なこと、不快なことを、我慢しています」。
    ともすれば、「自分の嫌なこと不快な事を、一切合財すべて我慢する、という事になりがちだけど、最近は、苦心しながら自分の現実的環境を合理的に他者へと説明する事によって、私をとりまく環境についてのおおよその把握、および、納得をしていただく事による「おおよその理解」、を取り付ける事に一部成功しました。(ちなみに100%の理解は目指しておりません。ほんの一部でも、私の苦痛を他者が想像し理解していただけるようになったなら充分だと考えるからです。)」
    「愛着の対象たる親は、全ての解決はしきれない」という事については、「内モード改」で捉えながら日々生活しております。家庭内問題は、今ではほぼ起きておりません。

    • 聡子
    • 2014年 9月 28日

    >また「普通」であることが大事なので
    これ、こういう事でしょう。
    「”俺様こそが世界の普通”であることが大事」なので、心療内科などを受診することは本来少ないと思われる。
    なぜ、きちんとASDの診断をつけて本人も外モードと内モードの特徴をきちんと自覚できると、「不穏になったら外に出る」という一見意外な解決方法が見えてくるのか、についてですが、
    「不穏になった時に外に出る事によって外モードになり、その外モードでは、内モードの時の”俺様こそが世界の普通”という感覚を脅かされないから」なんですね。
    受動型ASDさん本人は、本人の中でストレスや矛盾なく生活を維持していく事ができるし、距離の取り方に苦慮する家族の方々の心理的負担もだいぶ減り、本当に助かる事になるので、まさしく「意外な解決方法」と言えると思います。
    『ともすれば、「俺様こそが世界の普通”という感覚を持っているあなたの世界を脅かす私”は存在してはいけない」という事になりがちですけれども、それは無理なことなので、この世で生きる以上は、あなたも自分の世界の中の一部分をあきらめたり、一部分を妥協しながら生きてください、という言葉が(これは、私流の”対等の感覚”から来る言葉なのですが)、「押し付けられてしんどい」、という事になるのでしょうね)』。
    それどころか、逆効果で、苦しがって不穏さをまき散らされるだけで終わります。
    本人はそのようにしか生きられないのでしょうから、「私の本心は、本人の存在に対して、本人に向くようには置かず」に、「本人の言葉に、私自身が影響を受けない程度」になるようにしながらたえず近寄らず、私自身の考え方、私自身の捉え方を、私の中だけで洗い出し、明確にしていきながら、そうして捉えた「私自身の思考自体」に、なんとか前向きな工夫を凝らして生きていくより他なさそうです。

    • 聡子
    • 2014年 9月 28日

    他記事で、私はこうした「私自身の思考自体を捉えるため、自分の中で、自分に関する事を静かに考えていた」のですが、そこに、私のコメントを丸ごと引用しながら「ハッキリ言ってやった」と書いた馬鹿者がいた(しかも、話を先行して”俺様こそが世界の普通”という事に、私の事もしたかった、という事を、本人そのものが自覚していなかった(今もって自覚しているかどうかもあやしいですね))ので、相当に腹立たしく、迷惑な行為だなと思っていました。
    だから、ある種の「人格障害」の診断をつけられたり、時には「統合失調症」の診断にもなったりもするのではないのかと、勝手に個人的な想像をしていたりしています。

    • 182
    • 2014年 9月 29日

    受動型の人は受動型なので「外モードを見失う」タイミングも受動的にやってくる様ですね。
    今朝の夫の頭にくる語録
    「朝から俺を不愉快にさせるな。」
    こんな言葉が出てくるのは、他でもない、最近まで絶好調だった外モードに問題が起きているから。
    ウチの旦那は大学教授ですが、指導するゼミの女学生達が徒党を組んで夫の悪口を言いあい、夫が贔屓していた女学生を集団で徹底的に無視し、虐め始めたのですね~。
    贔屓の女学生(以下「Oちゃん」とします。)との関係だけに熱中している間に、その他大勢の女学生の反感を買っていたワケです。
    バカバカしくて同情する気にもなりませんね。
    Oちゃんがゼミに入ってきた時から「モデル級に美人だ。スタイルが良い。」と教員としては意味不明な絶賛をしていた夫は、それだけでは飽き足らず、上級生の先輩女子に対して「おまえら、もうちょっと努力しろ。」などと言っとったワケですよ・・・。
    あと、性的な発言も多かった様です。
    この様な報告を聞いた私は「そんなこと言ってたらアカハラかセクハラで訴えられるよ」と忠告はしていたんですが、聞く耳無しでしたね。
    「単位を落としても良い」と開き直ってしまえば何だって出来るって事が分かってなかったんだな~。
    再三に渡って、私自身が学生の頃に性的発言の多い教員の授業をボイコットして単位を落とした話もしてたのに。
    夫の頭では「単位を落としても勝つ」という論理は意味不明らしい。
    それでも、思い詰めて顔が浮腫んでる様子を見たら何だか可哀そうで・・・。
    と思って腫れ物に触るように接していたら、上記の発言ですよ。
    こっちのほーが朝から不愉快だっつーの!!!
    とにかく、私の精神の安定のためにも、夫には早急に外モードを立て直してもらわないといけないざます。

    • あきら
    • 2014年 9月 30日

    ぬまおさんのコメントはいちいち全部「そのとおりです!!」と言いたくなるほど丸かぶりです。
    ところで「自分こそが普通」というのはかなり違います…そう見えるのかも知れないのですが。「自分こそは」の時点で中心志向です。
    受動の普通は「皆にもあるんだろうな」(皆にもあることが自分にも起きているのだから自分は普通だ)
    精神科に行かねばならないほどの状態になっても、「このくらいの事は誰にでもあって、みんな悩んで乗り越えてるんだろうな」と思うから行かないのです。
    「自分こそが普通だと思ってるんだろう」と言われると「人から見てそう見えるって事はそうなんだろうか?」そう思います。「うーん、そうかも知れない」なんて答えをしてしまいそうです。(そして別の場面で『そうではない』と主張してしまい、言質を取るタイプの人を怒らせる、と…気をつけます)

    • ぬまお
    • 2014年 10月 01日

    妻(孤立型?)の場合
    外モード
    いつも笑顔で「天然」と、よく言われている。敬語はあまり使わない。高齢者にも年下にも、基本的にため口。何らかの失敗があるたびに会社を辞める、辞めないの大騒ぎになる。本人は完璧主義だと言い、根拠は「当たり前のことを、当たり前にしているだけ」だそうです。行動原理は細かいロジック(自分ルール)の組み合わせなので読み切れません。自分はこれが妻にとっての「普通の基準」で、重要なものではないかと思っています。これがなければ、外モードは成り立たないと思います。
    一つ一つの理屈だけを聞くと合理的で正しいと感じるけれど、全体的な流れを見ると何かが違う。福祉の仕事をしていて、仕事の効率を高める行動を優先しているが、利用者サービスが情緒的な面で不足し、他の人の仕事に介入していることに全く気付いていない。効率を高めるための行動は最もだと思うが、サービスを受ける側、同僚から見た視点が欠落している。まじめで細かいことにもよく気が付くため、職場では信頼されていると、雇用者に聞きました。自分以外の人が完璧にできていないことを、「能力がないと、あきらめている」と言い、基本的に他者を見下している。予定の急な変更も我慢し、職場では従順。
    内モード
    家ではあまり話さず、笑わない。自分に対して見下した姿勢はなく、ほとんど敬語。妻が考える完璧な行動を自分ができないことに怒りだけをぶつけてくるが、何を怒っているのか内容を指摘することはない。子どもに対しても自分に対するのと全く同じ対応で、注意をせずにブチ切れる。「当たり前のことができていないから、わざわざそれを指摘したくない」そうです。「子どものしつけのために、ちゃんと注意したらどうか」と言ったら、「私は手加減ができない。しつけをしようとしたら死ぬまで殴り続けるからできない」と断られました。
    予定の変更には対応できない。怒りを感じると部屋に引きこもり、暴れたり叫び声をあげ、物を壊す。「外に出す」という対応は当初、映画を見に行く、喫茶店に行く、ネット喫茶に行くと3回、試してみたけれど、「家にいた方が落ち着く」と言い、自分が子どもを連れて外に出るか、子どもと二人で先に寝るという対応になりました。
    孤立型は「普通の基準」を手に入れ、遵守することで大仰型に進化するのではないかと、ちょっと思いました。

    • るる
    • 2014年 10月 02日

    ジャイアンに合理的ADHDというゴールがあるとは思えていますが、その過程では相当に苦しい思いも体験しますし、し続けるだろうと思います。
    ゴールに向けて、ゴールを見失わないように、こつこつ歩んでいくというイメージかな。
    ASDさんとは違った意味で、孤独や寂しさを感じる時もあります。
    私が書き込むときは、現実生活で何やら寂しさを感じているときだなぁ・・と思います。(今日も)
    意味不明な人たちというのはASD、ADHDに関わらず、各々が認知に偏りがある上に、他者に対して「このくらいわかってくれて当然」という期待値が高い(あるいは生きているうちに高くなってしまう?)傾向を感じます。
    相手への期待を意識的に削ぎ落としていくことも必要、と思った今朝でした。

    • 聡子
    • 2014年 10月 04日

    >受動の普通は「皆にもあるんだろうな」(皆にもあることが自分にも起きているのだから自分は普通だ)
    というのは参考になりました。少し思い違いをしていたようです。

    • 聡子
    • 2014年 10月 04日

    一瞬、誰かに「このくらいの事は誰にでもある」と言われた事があるのかな?と思ってしまいがちですが、本人が、データと分析などを根拠に自分のことを言っていると仮定すれば、「自分で自分のことをそう思い込んでいるだけじゃん」となり、自分の前提を自分で見抜けないのだから、精神科に行かねばならないほどの状態に自分がなっても、ある意味で自業自得では、と思ってしまいますね。
    自分の前提を自分で見抜けないのは、人には大なり小なりよくあることで、そこに苦労して生きているのが「普通」だと私は個人的に思っていますが、こういう「普通」はどう思うのか、受動さんに一度聞いてみたいですね。

    • 聡子
    • 2014年 10月 04日

    …おっと、しまった。「理解不能になる自由」を忘れるところだった。
    受動さんは、「理解不能の状態が不満である、不安になる、または嫌である」というところかな。
    妹相手には、「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない」と言う時があります。妹は「…まあいいか!」と言って、自分のことは自分で仕舞いました。無理している様子はなさそうです。なんだか清々しくも感じましたね。

    • 聡子
    • 2014年 10月 05日

    私自身の場合。
    内モード改(周りに自分以外の人がいる場合)
     自分の境界を、うっすらぼんやり、ぼかすイメージ。
     内モードでも共通しているが、一度につき1つしか物事が出来ないので、作業しながら会話をしたり、会話のための表情を現したりするのが苦痛。「コミュニケーションそのものにおける我慢」をしているモード。自己主張は滅多にしないか、おそらく「できない」。
     1つの作業や物事に1つずつ集中するしかない為、仕事時は、ため口でコミュニケーションをする為に脳を使う事は、まず無い。教えてもらった時や、物事をやっていただいた時には、「ありがとうございます」「すみませんでした」という感謝と謝罪の言葉と行動に加えて、「どういうやり方にしたら良いでしょうか?」「こういうやり方で良いですか?」という、相談確認を間に入れることにしています。
     笑顔というよりも、他職員が雑談しているのを遠くで断片的に聞いて、たまに、ふっ、と微笑む感じ。(会話自体には直接参加していないため、話を「聞かなかった事」にするのがマナーだと、自分の中では思っていますが…どうなんだろう。人付き合い下手の自覚あり。)
    内モード(周りに人が居ず、自分1人しかいない時)
     非効率な行動で、いちいち鈍い反応(一度につき1つしか物事ができない)。家事の仕方は「わからないなりにやっているけど、とても大変」。ダメ出しのみをされるのが情緒的にとてもつらいので、妹の「こういうやり方があるよ(提案)」、という事でホッとする。やり方のコツがあれば、自分でも聞くなり見るなり真似るなりするという、「自分が困るから」なんとか自分で頑張るスタイル。
     時々「思い立ったが吉日」的に、無鉄砲な行動をするも、大抵は経済面、または環境の無理や、自分の疲れによって続かなくなり、なんだか失敗した気持ちになる。そして気分が落ち込むことに。
     自分の金銭的利益に結びつかないような段階の、曖昧なことが好き。体調次第で嗜好品が変わる。特に内モードでは、自分の聴覚過敏と嗅覚過敏を自分で感じ取りやすい。体調不良時には食べ物があまり食べられなくなり、眠り続ける(睡眠過多)状態になる。

    • 182
    • 2014年 10月 05日

    最近はASDネタが続いているので仕方のないことなのですが、このブログのコメント者の中にジャイアンは私一人なのか?という状況だったので、合理的ADHDというゴールを遠くに見ながらジャイアンでありつづけるしかない場所にいる方のコメントに勇気づけられています。(この記事だけでなく)
    人を認知できないジャイアンにとって孤独は当然の酬いですが、やはり一抹の寂しさはありますね。
    この宇宙にたった一人で生きる意味は?って。
    夫と可愛い子どもが3人もいて「たった一人」だなんて、なんと自己中な!って、多分一部の人々に激しく嫌悪される発想だともわかってます。
    だから、こういう場所で同じ寂しさを生きている人の存在を知ると、ああ、良かった、私一人じゃなかったって安心します。
    だからって連帯したいわけじゃ全然ないんですケドね。(←ココ、念押ししとかないとASDの人に誤解されそうなんで…)

    • tukatantikatan
    • 2014年 12月 08日

    私は治療的なことは終わったので、あとは発達障害者の経過みたいなこと書いて見ます。
    私が受動型ぽいと思ってる元同僚の人、の話を電話で左耳で聞きながら思ったのですが、(この人は、会社では大人しかったのだが、辞めてから、私と他の元同僚二名に対して内モードと呼ばれる状態になったと思う。その状態で会社に来てしまったりしてその時皆は死んだふりをしていたという。)それで本人は「思い出がほしい」と言うが、どういう意味かなと思って、ということは、それが思い出である以上未来は無くて、今までの十何年か同僚として一緒に働いたことは思い出にならないなら過去も無くて、ということは刹那がほしいんだなと思ったのです。しかしそういう関係性がほしいというより、この人にとって関係性とは刹那であるのかなと思ったのです。
    そしたら嫌になりました。(わかったとこだけ部分評価)これは私がそういう関係性は嫌だと思っているということです。まあ私そういう人だったのね。知らなかったわ。よくもそんなことが。
    「刹那」「が欲しい人」はまた我慢はできないとも思った。
    我慢できないから刹那を求めるのとは始まりが逆なように思う。??
    それはASD的な、デジタル認知の結果かな?と思うのですが。
    私が導いた刹那という言葉は私にとってはということなので元同僚はそうは思わないでしょうが。
    もしかして何かを盛ってるだけかもしれませんが。
    人によっては刹那でなく茶々と思うかもしれませぬ・・・。

    それにしても思い出とは、私にとってはわずかなかすかなそんなことあったかも、あったような気がするということを延々と考えるということなので、それでお腹いっぱいになれるので、話はかみあわないのだった・・・。
    なんかうまく書けなかったです・・・

      • tukatantikatan
      • 2014年 12月 08日

      返信って私に返信するとどうなるんですか?

        • tukatantikatan
        • 2014年 12月 08日

        使うとこじゃなかったようですね

          • tukatantikatan
          • 2014年 12月 08日

          あ、違いますね人型マークが小さくなってますね。スレッドになってんですね

            • tukatantikatan
            • 2014年 12月 10日

            で話の続きなんですけど、受動型の人の内モードって、私は一生見ることは無いのかと思っていたんですが、このブログで知識を得たので気づくことができたのだろうと。思います。見ているだけでは、(なんか大変そうだがどうしちゃったんだろう??)と思うだけで。
            さて私と他の元同僚二名、とは本人は退職しているので、本人から見て元としてますが、現職です。同僚としてますが本人から見て上司と部下です。
            経緯は、最初の積極奇異ぽい社長の頃に本人は未経験で入社しましたが、それから経験を積んだ。そして主任になった。次にジャイアンぽい社長になったが、直接の圧力は無かったが同期が居なくなった。年下で自分より有能な新入社員が増え、そのことを気にしていた。私はそれに対して「勉強すりゃいいじゃんわかんなかったらわかるまで考えてればいいじゃん」などと言っていた。本人が仕事の内容についてどんなふうにブラッシュアップしていたかはわからない。
            でも本人の上司には悩んでいるようだと言っといた。(本人は言わなかった)私は平になったほうが楽になるのではないかと思って上司にもそう言ったが、それは実現しなかった。
            私が不思議だったのは、本人は機械の扱いなどで同じことを何度も聞いてくるが、教えても出来るのはその時だけで、しかし私のように忘れてしまっているのではないように思った。出来ることは出来るのである。車にだってバイクにだって乗れるのに。もしかしてなんか甘えにきてたのかなと今は思う。
            私は「こないだやったじゃ~んこうしてああしたじゃん」と言って終わりに出来るが、その私は会社を辞めた。
            本人は上司に対しても機械の扱いなどで同じことを何度も聞いて、そしてやってもらっていたがある時上司は切れてしまった。上司は仕事の割り振りを変えて本人をマネジメントに専念できるようにした。
            すると本人は会社に来なくなってしまった。体の具合が悪くなったという。一ヶ月以上たってから電話一本で辞めてしまった。

    • tukatantikatan
    • 2014年 12月 10日

    おや?返信で続けられないけど続きです。
    私は上司に「マネジメントすること」について本人に、へ、具体的な説明をする旨言ったが、実現はしなかった。
    私は発達障害の知識を得るにつれ、本人はASDであろうと思うようになっていた。ので自分について知るためにも、おそらくこの先何らかの支援をたのむ医療や福祉につなげるためにも、メンタルクリニックの受診を勧めたのである。
    思い出がほしいとかこのゲームがいいとか言ってる場合じゃないんじゃないの?と私は思うが、『新しい場所で知らない人の前でこの状態なら、これでいいわけです』
    本人は同じ会社に長く居すぎたのかもしれないなーと思う。今の勤め先で不穏になった場合は転職するのが良いと。主任から平に戻せと自分で言い出せなくて周囲もそうできなくても転職先で平になればいい。転職活動できるかな?そこは待てばいい。私がやることはもう無いのだしょう。これでよし・・・

    よくないのは、社内で内モードを見るほうである。最近の本人の話でタクシーに乗ってあっちへ行けこっちへ行けと運転手を使いまくってケンカに発展すると言う。金が無いので貸せと言い断ると責める。急にリウマチになったそうで骨をぼきぼき鳴らしながら苦しがって叫んでいる。リウマチってそういうものなのかなあ?社屋の前で立っていて、入れば?と言って入れるとそうなってしまう。入れなければいい、と思うと、どこかへ行った先で本人の在籍当時の会社の名刺をばらまいて会社に電話がかかってくる。もしかして会社に愛着があるのであろうか?じゃなくて愛着対象が会社にいるから?どっちでもいいが、転職先が見つかるまでこの状態が続くのかなあ。

    そのような内モードを目撃して、人により反応が違うのですが、死んだようになってしまうのは私が積極奇異ぽいと思う人々であった。本人は、上司が帰りなさいと言ったら帰ったのだが、「そう言われなければ、ずーっといましたよね・・・」と言うのであった。そうなの?なんで?んーなんかこれやっぱASD同士なのかなって、なんかわかるのかな、と思った。
    私が受動型ぽいと思う人は、上司の話では「いなくなった」という。
    ADHDぽい人々は、なんじゃこりゃあ!という反応が多い。

    私が気になったのは上司。上司はジャイアンを公言している。「あいつはわざとやっている」と言ってげらげら笑いながらも、何かダメージを受けているらしい。上司がだめになってしまうのは自己突っ込みによることが多い。私は、ジャイアン能力というのは、まだ自分が現実にはしていないことであっても、したことと同じように自己突っ込みができると思う。だからダメージを受けるのではないかと思う。もし受動型の人が鏡になれるならば。私はなんかとても恐ろしい気がして、このブログで得た知識で上司にああだこうだと説明するのでありました。。。

      • tukatantikatan
      • 2014年 12月 16日

      返信機能で続きをかけますね。便利。話の因果関係がおかしいようですが、私は社員は辞めたけど外注になったので毎日じゃないけど会社に行くんですよ。それで私愛着というより使われていたのかなあ。いいんですよ直接じゃないけど上司だし使えばいいんだけど、例えば役目として主任が課長に言うことを、平の私に「課長に言っといてください」て言うのは、おかしいです。私もおまえが言えって言うけど、本人からの意思表示が無く、状況も変わらない状態が続くと気持ち悪くなってきて「言っといてください」の部分がふくらんできて言ってしまうんです。いけないですね。これ「言わないでください」だったら、言わないのに。また上司ジャイアンに対しては人づての話など逆効果であることもわかっているんですが。しかし私も遅ればせながら気がついた今、以前とは何か違うことが言えるようになるのではないか。とはいえなんだろうな・・・
      現実に私に何ができるかというと、社員に戻ってジョブコーチになるとかかな・・・
      その後上司は復活しました。顔と顔の距離が10cmくらいの位置で辞めた本人に小銭を貸さなかったことで「ずいぶん冷たい人ですね!!」と言われたそうだが、俺はうれしかったぜ!と言っていた。(万単位の困り感なら貸したそうである)

        • tukatantikatan
        • 2014年 12月 17日

        ああ良かった、叔母さん一家が近くに住んでるということで、世話してるそうです。会社にいますかと電話がかかってきた・・・。私がかかってたクリニックの先生にも相談したけど、まあわかってたけど、他人の出る幕じゃないですからね・・・。叔母さんはお金を貸さないでくれて良かったと。叔母さんは元気そう。本人はほんとうに何もしないのだという。求職者給付や退職金の手続きもしておらず電気や電話など止められていると。遊びに行く以外に出かける時は一緒に行ってと叔母さんのとこに来るそうです。病院も一緒に行くということで、うまくいくことを願っとります。

          • tukatantikatan
          • 2014年 12月 19日

          返信機能で割り込み。他人の出る幕じゃないてのは、責任とかの観点からもそうですけど、親族間の関係性とはそれ以外よりも密なものだと思った、ということです。

            • tukatantikatan
            • 2015年 1月 11日

            上司がわざとでしょとかいうのは、情報受信能力があるからでしょうね・・・。発信していた情報が自分のきらいなことだったからダメになっちゃったんでしょうね・・・。そして情報と「自分」とを結び付けられるからですよね・・・。先生が依存についてわかるのもそれがあるからではないかと。そういう「自分」が起点の・・・受信基地みたいな・・・・・・がある人は・・・精神科医って向いてる職業なのではないかと・・・。先生良かったですねてのもおかしいかもしれませんが・・・

    • tukatantikatan
    • 2014年 12月 12日

    それでもねえ思ったんですけど、何故か愛着を持ってくれたことは、まあいいかと思う。思おう。
    何か本人にとってよいことがあった、ということでそれはよかったねと思う。です。

    • yukiko
    • 2014年 12月 12日

    受動型ASDの子を持つ親です。子は学校ではよくやっているようですが、家に一歩入った途端に暴君と化し、気に入らないとことがあると喚き暴れ、命令し、家族に何度も謝罪させます。わがままでずるく、生活時間のけじめがなく、物の管理ができず、家の手伝いをせず、自分ルールを振りかざしてふんぞり返っています。精神科に相談には行くのですが、どこへ行ってもよい方法を教えてもらえず、勿論入院もさせてもらえず、「もっとひどい家があるのだから」などと言われて相手にしてもらえません。成長すればきっとわかってくれると思っていましたが、家ではどんどん悪くなって相手をするのにも限界を感じています。その上一人暮らしは絶対に嫌だというのです。とても困っています。

    • yukiko
    • 2015年 1月 12日

    大声でわめき、暴力をふるっても、警察が来るとおとなしくなってしまいます。そういう状態では警察は何もできないと言い、保健所も何もできないと言い、病院も何もできないと言い、DVのセンターもASD関連の施設も何もできないと言います。本人も家族も、ずっとこのまま苦しみ続ける以外に道はないのでしょうか。もう疲れました。

    • amethyst
    • 2015年 1月 13日

    コメントに対するコメントは禁止なので、これは独り言ということで。

    家庭内暴力で困っていて、どこの相談機関も相手にしてくれない時は、「家族療法」というキーワード
    で、実践機関を探してみたら、道が開けてくるかもしれません。

    本人が相談場所に行かないで、家族が行って相談できる方法みたいです。
    本人1人を変えようとするのではなく、家族まるごとで変わっていこうとする試みのようです。

    私は素人なので、ネットでちょっと検索してみただけの一つの選択肢でしかありませんが。

    お邪魔しました。

    • tukatantikatan
    • 2015年 3月 31日

    そうだ、義姉、というか兄嫁は、盆暮れ母の日誕生日に一瞬だけ兄実家に来る以外は電話もしない人だったのだが、離婚の危機に際し、兄実家へ一人で母に相談しに出かけたのです。ジャイアン母は、兄嫁が絵を描くことが好きと知っていて、しばらく一人で楽しめることをしてごらんとアドバイスした。これも一見意外な、でも兄嫁がやりやすい、アドバイスだったのかもと思います。兄は、兄嫁は近所づきあいが出来ないと考え、戸建てでなくマンションを買ったり、兄嫁の外モードのスケジュールに合わせた生活をしています。

      • tukatantikatan
      • 2015年 3月 31日

      あっどっちが受動型なのかわからなく・・・

        • tukatantikatan
        • 2015年 4月 03日

        対立する概念を統合する、がいまいちうまくない。再帰。で、兄嫁は、内モードの範囲を一人で楽しめることの中にいったんせばめたというか、そういうふうだったのかなと思います。実際全然わからないですが。あと転職して外の環境も変えました。店長になってから仕事が大変そうだったので、外の安全な環境を求めるという意味でよかったのでは。でも、心療内科で依存性を指摘されたそうだが、解決策を自分で取りにいったのが、それがとてもえらかった。
        あと母の言葉を思い出して思ったが、客のウエメセ発言に耐えられないと言う営業の人に、パートナーも同じことを言っていた。たぶんねー、ジャイアンをやった人じゃないと言えないことなんじゃないかなー、という気がします。

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