AC、人格障害関連

ジャイアンは回復するとのび太になる

 「のび太とジャイアン」の新しい図は、理解ある環境で育ったのび太と、厳しい合理的な環境で育てられたジャイアン予備軍のADHDは同じ「合理的ADHD」になるという考えを表している。

 これは、とりもなおさず、「ジャイアンはジャイアン的な対人関係のグチャグチャした関係を切り離せば、みんなのび太に限りなく近いスタイルに移行する」ということを意味する。

 厳密に言えば、最初からのび太のケースとは、「強迫的傾向」で少し違う可能性はある。ジャイアン予備軍で厳しい合理的な環境で育った群はこだわりが多く強迫的になることが多いだろう。他方「最初からのび太」はむしろ、こだわりは少なく、「好きなことだけする」という風で、一見違いがあるように見えるかもしれない。

 最も重要なポイントは「他人は他人」と切り捨てられる点にある。ADHDの本質である、「他者を必要としない」という特徴に立ち返る場面で、ジャイアンはのび太に移行するのだ。

 逆に言えば、ジャイアンの病理は、全てこの「他者を必要としない」というADHDの原点を見失って丸投げ依存に走ったり、評価を気にしたりすることから来ると言ってよい。

 だから全てのジャイアンの問題の解決は自業自得の「自立」と「尊厳」であり、依存が少しでも残っているうちはジャイアンの真の回復は無いのだ。


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コメント

    • Q
    • 2012年 8月 18日

    本当に先生の仰ることが当てはまるなあと感じます。
    自分は他人の浅い同意によって救われることなどないと知りつつ、何故か共感してもらいたがる→それを求めたこと自体に自己嫌悪
    このサイクルを断ち切らねばと思いつつ、何処か諦めがつかない?というか、つい楽をしようとしてしまうところに、自分の問題があると思います。
    でも、そう言いつつどこかしら楽観的である自分もまた居ます。
    いつもハッとさせられます。
    本当にありがとうございます。

    • 八朔
    • 2012年 8月 19日

    オリンピックを見ていて「こんな風に仲間が欲しい、分かち合いたい、さみしい」という思いが久しぶりに湧き上がり、大泣きしてしまいました。勝利の喜びに共感できず、自分の願望が沸くあたりが、空気を読めないって事になるのでしょうか。
    トラブルを避けようと、他人を避け続ける生活に疲れてきたのかも知れません。

    • F
    • 2012年 8月 19日

    ああ・・・
    (オリンピックを始め)スポーツ選手を応援したり、愛国心に溢れている人を見るとついていけないと思ってたのですが、ADHD傾向の人はみんなそうなのでしょうか?
    駅伝が好きだという同僚は「この晴れの舞台に来るまでの選手の苦しい練習や、生活の特集を見るとたまらない、頑張れって思う」と言っていました。
    私にも自分にできないことをやってのける人への尊敬の気持ちはもちろんあるのですが、共感はできません。
    (赤の他人が共感するなんて、軽々しいと思ってしまう)
    妙に冷めていて共感できない自分がさびしく、盛り上がっている人たちが少し羨ましくもありました。
    逆に、選手をなじっている人(エラーをした選手に向かって「へたくそが」「何やってるんだ」等)もまた、許せません。その選手ほどスポーツできない人間に、なじる資格はないと思うからです。

    • アメジスト
    • 2012年 8月 19日

    10年位前に、子供と一緒に田舎に泊まり掛けで「自然と親しむ会」に参加したことがあります。
    夜に宿舎の庭に面した縁側に1人で座って、庭の木々のざわざわした音を聞いていたら、何とも言えない心地良さがあり、うっとりしていたら、お世話係の女性が私のそばに寄って来て、「お母さん、大丈夫ですか?」と聞いてきたので、びっくりしてしまいました。
    お世話係の女性は私が他の人とコミュニケーションが取れずに寂しい思いをしているのではないかとほおっておけなくなり、声をかけてくれたようなのですが、私はその時、1人でいることがとても楽しかったのです。
    1人で生まれて、死ぬ時も1人、何かを決断する時も基本的には1人、気がついてないけれど、人間は結構、大事な場面では1人でいろいろ実行しているような気がします。
    人間同士の共感というのは、あって悪いものではないけれど、あくまでも「おまけ」的なものではないかなと思ったりしています。
    私は変わっているかもしれませんね。

    • アメジスト
    • 2012年 8月 19日

    さっきコメントを投稿しましたが、ADHDに関する話題だったのに、ASの私がお邪魔してしまい、場違いだったかもしれません。すみませんでした。

    • 2012年 8月 20日

     しばらくこのやんばる先生の記事を読み、コメントをし、他者のコメントを読み、思い至ったのは、「同志」が全国各地に居るのだな、ということでした。
     それぞれに日常があり、そこに人間関係があり、つまずいたり悩んだりすることは人それぞれだけれども、何らかがあり、ここに辿り着き、ここでコメントする。そのコメントに共感することもあれば、違った意見を持つこともあり、ときには衝突することもあるけれど、それぞれが自己の発達障害という特性に気づき、何かを解決したいと思っているからここで接触しているのでしょう。
     私はそれだけで充分だと思います。余計なお節介をすると、へそを曲げたり自己嫌悪する人間ばかりの集まりですから、身近にいるよりは遠い方がよい。そして、先生がヒントを必ず提示しています。それを手がかりにしていけばよいのです。これが、ここの活用術です。
     精神科医である先生は、ある程度において自由にさせてくれています。それは尊重されていることを意味します。しかし、精神科医として制止することもあります。ACおよび人格障害への治療的な意味があります。
     さて、私は再び「よく読め!」といいます。今回の先生の「最も重要なポイントは・・・ジャイアンはのび太に移行するのだ」です。これは、その前にある「ジャイアンはジャイアン的な対人関係のグチャグチャした関係を切り離せば・・・」ということです。そして、しまいには、ジャイアンの問題解決には自業自得の「自立」と「尊厳」であり云々と言っています。
     要は、ジャイアン的な対人関係のグチャグチャした関係を切り離せば、「自立」と「尊厳」が獲得でき真に回復できる、ということです。つまり、ジャイアンが、へそを曲げたり自己嫌悪するような状況から脱して生きるには、ジャイアン的な対人関係のグチャグチャした関係を切り話して考えることだ、ということです。(しつこい!)
     だから、オリンピックも何も、関係がない。貴方が何をするか、何を尊厳とするか、なのだと思います。そこに立ち返れば、ADHDは何かをするでしょう。それを求めざるを得ない人たちですから。ノウハウは後からついてくる!そういう人たちです。

    • 匿名
    • 2012年 8月 20日

    >全てのジャイアンの問題の解決は自業自得の「自立」と「尊厳」であり<
     これは基本的には自己、自分自身に向けての表現だと思いますが。
     他者へも関係すると思います。
     最近「愛は理解できない」が「尊厳、尊敬は理解できる」ということをあらためて認識しました。
     愛欲、性愛は理解できる。肉体、感覚が絡むから。
     でも「愛」は理解できない。
     こどもやペットを可愛がることはできる。
     でも「愛」ってなんだろう。
     今まで多くの人間と親密になり、別れてきました。
     親密になったきっかけ、別れた理由。
     そこには「尊敬」がありました。
     友人でも家族でも、恋人でも同僚でも他人でも、「尊敬」できる部分が少しでもあればやっていける。たとえ毎日喧嘩して憎んでも最後は仲良くできる。
     でも尊敬できなくなったら。もう続かない。
     小生から去った人たちの中にも、愛ではなくて尊敬の念が感じられなくなったから離れていった人もたくさんいるはず。
     家族との関係も数少ない友人知人との関係も、すべて尊敬できるところが少しでもあるかどうか、そこにかかっているような気がします。
     愛は理解できなくても、尊敬(と軽蔑)は理解できるように思います。
     多数派がたいしたことないと思ってふつうに嘘をついても、こちらは我慢できない。それはそんな相手を尊敬できないから。そんなふうにも思えます。
     自分のことは棚に上げて…..

    • 八朔
    • 2012年 8月 20日

    共感もそうですが、団体スポーツの独特の連帯感は全く理解できません。
    特にバレーやバスケなど、空気を読むスポーツは全くダメでした。今日はじめて会った相手に、むき出しの敵対心を持ち、負かすことに意義が全く感じられず、申し訳なく思ってしまうのです。
    そんなに勝ちたければどうぞ、という気持ちにもなりました。
    この、敵対するはずの立場の人や遠い人間に対する妙に寛容な気持ちが、親しくない人からはそこそこいい人に見られてしまう原因でしょうかね。付き合いが深くなれば迷惑をかけ、絶望させてしまうのが解っているので、付き合いから逃げるしかありません。
    仲間は持てなくても、何故かファンが居たりしませんでしたか?皆さん。

    • 2012年 8月 20日

    八朔さんへ
     率直に話させてくださいね。これでは大泣きするわなっと思ってしまいました。頑張りすぎて限界がきてしまった感じ?!
     とりあえず「管理人のHP」をクリックして、読んでみましょうよ。きっと「これ私かも」と当てはまるものがあるのではないかと思いますよ。
    >仲間は持てなくても、何故かファンが居たりしませんでしたか?
     意味がわからないです! というか、通常ならばファンが居て幸せじゃん!と言われかねない状況なのに、八朔さんはとても困っていらっしゃいますよね。だからこそ、やんばる先生のHPを読むべきです!

    • 2012年 8月 20日

    2年ほど前、限界だと思い、カウンセリングを受けようと出かけて行った事がありました。初めてお会いした人の前でいい歳をして泣いてしまい、そんな私にカウンセラーさんは共感を示してくださいました。心底ありがたいと思ったのですが、その一方で気持ちがすーっと醒めていくのがわかりました。そして、その方の言葉に形だけ頷いて従順なふりをしながら関心を引こう、欲しい言葉を言って貰おうと必死になって、適当なことをべらべらしゃべっているこの先の自分の姿が頭の中に浮かんできました。
    私が求めているのは共感してくれる人ではなくて、未だに共依存させてくれる相手なんだと気づいたら目の前が真っ暗になりました。結局その後はカウンセリングに行けませんでした。
    共感して欲しいとは思っていないし、私もまた人に共感を持てません。これが他者を必要としない、ということなんでしょうか。
    共感をもてないことに対して後ろめたさや寂しさ、怖さがあるのです。なので、共感しているフリ(わかったフリ、好きなフリ、夢中なフリ等)をしてきました。無自覚でずっと嘘をついていたんです。自分ではうまく演じているつもりでも、心の中では醒めていましたし、中途半端で珍妙な振舞いになっていましたから、周りには無礼で卑怯な人間ということがバレバレです。
    この後ろめたさ、私の場合は依存からきているのだろうと思います。あと、共感できない自分を受け入れる覚悟がないのだなとも思います。普通へのこだわりというのも関係しているかもしれません。
    自分がASなのかジャイアンなのか未だによくわからないのですが、どちらであるにせよ、自分の一番の問題は依存心だということだけはハッキリしています。自業自得を意識して小さいことからでも自分で決めること。本当にいい歳をしてなにをやっているのかと情けなくもなりますが、少しずつ少しずつと自分に言い聞かせながら生活しています。自分で崩してしまいたくなる衝動に駆られる時もあるのですが…。

    • ちひろ
    • 2012年 8月 20日

    私は逆にスポーツ中なら、連帯感の喜びを感じることができます。
    だからあえて言いたい・・・
    読んでいるのは空間とリズムであって、決して「空気」ではないとっ!!!
    例えば・・・。
    15度の角度、速度10、3/4のリズムで動いているものにたいして
    45度の角度、速度8、2/3のリズムで動けば
    (4 5 7 3)← 四次元・・   
    地点においてボール奪取が可能であると一瞬で予想し、動きはじめることができる。こんな感じでしょうか。
    ピアノでいうなら、右手と左手の速度、リズムがちがっても、5秒後には音が重なることが予想できる。
    ・・・と、こんなことを考えていると気づきました。
    人間関係の「空気」の空間とリズムにあたるものってなんなんでしょう・・・?

    • 2012年 8月 21日

    あはは。
    私には、15度の角度? 速度10? 3/4のリズム???
    (4 5 7 3)?????
    なんだよなぁ。
    ちひろさんワールドは未知の世界だ!

    • 道産娘
    • 2012年 8月 21日

    私も敵対心や勝ち負けには固執せず、これまでの努力や頑張りの成果を存分に発揮し、自分の実力を試すために利用させて貰う!という気持ちで試合に挑んでました。
    オリンピックの選手に対しても、きっとそうだろうと思いながら応援してました。
    他のチームメイトは「○○ちゃんには負けたくない!」と、同じチームメイトをライバル視する事でモチベーションを上げてましたが、私はあくまで自分の定めた目標に向かって頑張ってました。
    やはり他者を感じないからなんでしょうね。
    いつもライバルは自分だと言い聞かせながら、モチベーションを上げてました。
    今思えば、空気を全く無視してた気がします。
    ちなみに、one for all all for oneの精神はプレッシャーがかかり過ぎて逃げ出したくなるので、理解できません…
    記事に関係無いコメント、失礼致しました。

    • 八朔
    • 2012年 8月 21日

    み様
    他人とうまくやろうとする事を諦め、一人でいることを頑張っていたのですが、頑張るときめた途端、強制の魔法がかかってしまったように、辛くなってしまいます。
    現在、少し前の自分のようなジャイアンが身近にいるので、録画でも見ているかのように、自分の過去の失敗や状態、周りの被害を見ているので、二度と戻りたくない!という気持ちで張り詰めているのです。
    若い頃の話で、ファンというのは少し言い過ぎだったかも知れません。
    他人とつるまず、なんでも一人で実行・挑戦する姿は、若い人にはなかなか魅力的に映るようで、思春期は下級生や後輩からは支持率高かったです。実際のところ、突っ込んだ付き合いをしてドロドロを繰り返し、もうひとりでいい!とブチキレて孤立してただけなんですが。中学も、高校も、大学も、同窓会には呼ばれません。一度、高校の同窓会に行きましたが、二次会から出る、と伝えたら二次会は幹事3人しか居ませんでした。私が「今から行く」と電話した途端、数十人が一斉に帰る姿が、幹事が撮影してたビデオに収められていました。そのビデオも、無理矢理見せてもらったのに、幹事の嫌がらせだと思い込み・・・いつもどおりの展開です。
    話がそれてしまいました。
    回復とはほど遠いのかもしれないけれど、身近にジャイアンが居ると反面教師になるため、暴走せずに済んでるのかもしれません。

    • ちひろ
    • 2012年 8月 21日

    こんばんは。
    そんなに意味不明ですか?
    自分の経験と練習に基づく「カン」を表現すると・・・あんなかんじになったんですけど(T T)
    バスケみたいなボールゲームは空間+時間の四次元の座標があって呼吸ひとつステップひとつ計算されているようなきがします。
    実力を上げれば上げるほど反比例するよに、自由はなくなり、自分が無くなっていく。
    大勢の自分とは比べ物のならない実力を持っている大勢の人たちが積み重ね作り上げた型に自分を近づけていくだけになります。
    「基礎」というのは長い間叩かれた磨きあげられた鋼のように美しいで

    • ちひろ
    • 2012年 8月 21日

    すみません。キータッチミスで文の途中で送信してしまいました。
    ギリギリセーフかなと・・放置も考えたのですが、
    推敲もなく、かなり誇大妄想な文だったので恥ずかしいのでまたきました。すみません・・_(_^_;)_イイワケ・イイワケ
    (いや、最初の方がもっと変だろ~っつってつっこまれそうですが・・)

    • 2012年 8月 22日

    八朔さん。こんにちは。
    「二度と戻りたくない!という気持ちで張り詰めている」姿、私には解ります。 う~ん。しかし、「おぉ、ジャイアンよ、ここにも居たか」 と思ったり、「しかしまぁ、グチャグチャしていること」と思ったり。
    さて、頑張る方向が違うよ。私もそうだったけど、闇雲にあがいている状況。ジャイアンは本当に自分で何とかしたい人たちなんだよね。他人からこうしたほうが良いといわれても、絶対従わない。困った人たちなんだよね。ところで、「管理者のHP」読みましたか? そこに解決の糸口が書いてあるから、ここに辿り着いたんだったら観念しましょ!っと思って言ったのに。まあ、こういう人たちの集まりなんだから仕方ないか。
    >実際のところ、突っ込んだ付き合いをしてドロドロを繰り返し、もうひとりでいい!とブチキレて孤立してただけなんですが。
    だからなんで突っ込むの? 本当にジャイアンは自分から突っ込んどいて、散々引っ掻き回して、あげくのはてに自己正当化するんだよね。私もやったけど。それでやんばる先生から書き込み禁止を食らったんだったよね。本当、困ったチャンだったよね。突っ込みたがるのは依存じゃん。自業自得。正当化不要。このころの私はジャイアンACだったんだよね。AC抜いたら良くなった。だから、先生の記事を読めって言ったじゃん!
    わかったかしら? 私は何にもできんよ。まずはやんばる先生を慕うことだね!

    • 2012年 8月 22日

    ちひろさんへ。
    いやぁ、数字の感覚が私にはまったくわからないのよ。
    数字で表わせられるセンス、これは独特。良い意味でね。
    またまた、「自分が無くなっていく」?となってしまうのです。
    私には、ゴルフで型が決まっているのはそう思うことがあっても、バスケは感じられないのよね。。。
    そして、美的センスがないのか、私には俊敏性や 防御などどうしても闘いにしか見えない。私が美しいと表現するなら、「汗」と「汗くささ」か?!
    面白いよなぁ。この違いが! 
    そして、この面白さを感じるところさえも、また違うのだよね!

    • 2012年 8月 22日

    間違った。
    このころの私はジャイアンACだったんだよね→依存型ジャイアンだ。

    • F
    • 2012年 8月 23日

    八朔さんへ
    ファンと言うのかはわからないですが、ちょっと変わった人に懐かれることがあります。クラスメートだと、クラスで浮いてる子だったり、敵対心をむき出しにしていたのにこちらに友人が多いとすり寄って来たりする、付き合いにくいタイプの人です。
    後輩から相談事の手紙をもらったりもしました。
    市役所窓口時代は、家族も友人もいない一人暮らしの方にロックオンされ、半年間毎日5時間ぶっ通しで話を聞き続けるはめになり、疲れ果てました。(日中まったく仕事ができず、残業続きです)
    自分では特別仲良くしたいと思っているわけではないのですが(むしろ面倒なので距離を取りたいと思っている)、どうも癖のある人に好かれるようです。そして周りからも「○○さんの相手はあなたじゃないと」と押し付けられるはめになります。
    スポーツと空気ですが・・・。
    スポーツは非常に苦手です(5段階評価で2か3しかとったことがない)。
    (ちひろさんが少し書いてますけど、)例えばバスケなら、どこに移動すればチームメイトがパスを回しやすいかはわかるので、そこへもらいにいくことはできます。
    ただ、動体視力に難がありすぎるので、パスが来てもまったく受け止められません。
    これを連帯感というのかはわかりませんが、相手チームをゲーム以外の分野で敵視する感覚がわかりません。
    「これはこれ、それはそれ」だと考えるからだと思っています。
    同じ理由で「心が美しくなければ、美しい音楽を奏でることはできない」と言った精神論もまったく信じていません。才能と技術と経験があれば(性格に難があっても)相応のレベルまで行けると思っています。

    • 2012年 8月 24日

    さてさて、八朔さんは私(ジャイアン)のコメントを読み、「あーー知らない知らない!私には解らない!」としたかな?それとも、ショックを受けズタズタになっているのかな?  それとも、「うるさいよ、わかっているから言わないで」と、読み始めたかな?
    いずれにせよ、ダメージを食らったことには違いない。本当のことだと認めたらACの回復は早い。
     ジャイアンの「自立」と「尊厳」とは、依存しない、依存させないことであり、それをするにはACの部分を治してまずジャイアンに戻ること。カウンセリングを受けるなどして認知のゆがみを修整する。ジャイアンに戻ったらADHDの本質である「他者を必要としない」という特徴に立ち返り、自業自得の「自立」と「尊厳」の中で生きる。これがジャイアンの回復。
     「私は何にもできんよ」といったのは、私はカウンセラーではないから。貴方の辛さはよくわかる。私も通った道だから。「同志」であることには違いない。私もまた依存しない、依存させない生き方を目指しているジャイアンだ。

    • 八朔
    • 2012年 8月 24日

    F様、そうです、そんな感じです。癖のある人の扱いがうまいようで、仕事(営業)でも面倒な顧客の担当にされることもしばしば・・・それに疲れながらも「他人にできない事を私はできるのだ」と喜んでる自分も居ます。お世話行動なのかも知れません。
    み様
    ご心配お掛けします。
    大きなショックを受けたなどはありませんので大丈夫です。

    • F
    • 2012年 8月 24日

    八朔さんへ
    >それに疲れながらも「他人にできない事を私はできるのだ」と喜んでる自分も居ます。お世話行動なのかも知れません。
    はい、覚えがあります。
    「自分にしかできないのなら頑張ろう」「自分に本当に能力があるのなら、人よりもできて当然だ」と考え、頭痛薬や胃薬で無理矢理身体症状を抑えながら、ギリギリまで頑張ります。
    で、頑張りすぎて無理が出て倒れる(もしくは逃げ出す)か、爆発する(「こんなに頑張ってるのに、みんな手を抜いている!」とキレる)パターンです。
    最初から乗せられなければ済む話(君子危うきに近寄らず)なのに、何回もやってしまいますね。
    「これも仕事のうち」と思うと、最初から逃げるのは不誠実に思えるし・・・。
    ジャイアン的に単純なのか、損得勘定ができないせいなのか、依存的な家族の世話をしすぎて「お世話」が癖になっているのか、自分でもわかりません。

    • 2012年 8月 24日

    八朔さんへ
    あら、そうですか。
     私が意味不明に思うのは、「疲れながらも」 「他人にできない事を私はできるのだ」と喜んでる、と言っていること。好きでやっているのだから、疲れるなどとどうして言うのだろう。
     私なら疲れることなどしたくないですね。自分の好きなことをしたい。相手を依存させたくない。相手にケアすることで自分を依存させているのはもうこりごり。グチャグチャになるから。
     相手を依存させておいて、自分のやるべき仕事ができない状況を作り出しているのは、自業自得でしょう。ましてや自閉傾向のある人にそれをやったらまずい。合理的な考えのもとに対応しないと依存させてしまう。そして、ジャイアンの「自立」と「尊厳」はどこへやら・・・回復の見込みなし?!

    • 八朔
    • 2012年 8月 25日

    F様
    「自分は特別なんだ」と思いたい気持ちを満たしてくれるような感じです。それに加え、周囲に対する恩着せがましさもあったと思います。そして感謝を要求、私が居てよかったでしょ?しかし受け入れられずにキレる・・・何度もこのパターンを経験しました。
    面倒な案件を引き受ける時、「やりたくない→でも仕事だからやらないと卑怯→他の人は無理って言ってる→っていうか私じゃないと無理なんだ→みんな私に期待してるし→やります」なんていう理由の多層構造だったのですが、今は行動の理由を一層にして「やりたいから」それ以上は考えないルールにしています。
    しかし時々襲ってくるさみしさ、リプレイされる過去の栄光(褒められた、感謝された、人が出来なかったことをやり通した、偏屈な顧客に認められたなどなど)はまだ残っています。
    それを主食にすることはやめたけれど、好物には変わりない・・・そんな感じでしょうか。
    「他の人」これを意識するとグダグダになっていく自分です。

    • 2012年 8月 25日

    思えば遠くにきたもんだ。
     依存型暴君型ジャイアン父とのび太AC母のアルコール依存症家庭で育った私は、幼少期には暴君と思い込みお世話行動のなかで「依存」を形成した。思春期には母の父へのお世話行動が限界となり、私がその役を担い「お世話行動」を形成した。はじめのうちは当然としていたのだが、しばらくして「なぜこのようなことを私がしなければならないのか?」と思い始め、母に別居、離婚を促した。母は父の死後「やり終えた感」に浸り、感情鈍麻、そして子どもたちにその後の依存先を求めた。私にはそれが重くて重くて、自ら進学とともに実家を飛び出した。
     私には母の「やり終えた感」に浸っている姿は「異常」に映った。そして、あなたが誰にも頼らず一人で頑張ろうとしたせいで我々子どもたちにどれだけ叱咤したり、迷惑をかけてきたか、大事な子ども時代に酔っ払いの相手をさせられたこちらの身になって考えてよ、よく「あなたのために」と言っていたけれど、それってあなたの自己満足でしょ、あなたが暴君の父を手なずけたくて一生懸命だっただけでしょ、と思った。そう、私は愛されてはいなかった。
     それからだ。もともと暴君と思い込みお世話行動の応酬の中で情緒の発達が正常に遂げられなかった私は、ボーダーに似た行動に出た。子ども時代に培ってしまった「お世話行動」を職業にした。いや、それしか知らなかったし、それしかできなかったし、そうすることと思い込んでいた。無知と思い込み。
     その「お世話行動」が、環境によってどうにもならない状況に立たされて燃え尽きてしまった。そこで見えてきたのは、「なぜこのようなことを私がしなければならないのか?」だ。散々要求する患者さんたちに、なぜ甲斐甲斐しくケアしなければならんのだ? 死に逝く人々を目の前に、生きてきた延長の最期にそれぞれの生き様が現れることを目に前にして、私はなぜ私を生きていないのだろう、と思った。また、私は「お世話行動」を死ぬまでしているのか? どれだけ情けない人生なんだろうと思った。これがAC脱出の起爆剤となった。窮地は人を変えることができる。しかし、それをつかまなければ変わることはできない。
     私はそこで出会ったN氏に感謝している。人のよい賢くて受け身のN氏がご自身の最期をご自宅に選んだ、その勇気に私は支えられている。

    • 2012年 8月 25日

    思えば遠くにきたもんだ。
     私がここに初めて書き込んだのは2年弱前。何が「依存」で何が「やりたいこと」なのかわからなかった。そして、ジャイアンがどういうもので、何がまずいのか、どうすればいいのか、さっぱりわからんちんだった。ただ闇雲にもがいていた。
     点と点が線につながる。その理解が認知を修正していく。ADHDは理解する機能が障害されているわけではない。点と点のつながりが見えないために、点は点としてその情報を個別に記憶している。ある程度使う記憶情報に関しては、点と点をつなぎ合わせることができる。つまり、必要な情報と常に接することで点と点を線にすることができる。だからこそ、私は自己理解のために先生の書かれた文章を読み、参考書を読み、当事者と関わる。他でもない自分が自分を生きるために。ジャイアンとして「自立」と「尊厳」をもって生きるために。

    • mm
    • 2012年 8月 26日

    ADHD同士の相性ってどうなんでしょうか
    小説や漫画でADHDっぽいキャラクターがでてくると嬉しくなるので身近にいたらいいのにって思います

    • アメジスト
    • 2012年 8月 26日

    ADHD、AS、多数派に関係なく重要なテーマがここにはあるので、又お邪魔しました。
    先生の記事にある「最も重要なポイントは他人は他人と切り捨てられる点にある・ADHDの本質である、他者を必要としないという特徴に立ち返る場面で、ジャイアンはのび太に移行する」という記述、
    み さんのコメントにある「窮地は人を変えることができる。しかし、それをつかまなければ変わることはできない・必要な情報と常に接することで点と点を線にすることができる。だからこそ、私は自己理解のために先生の書かれた文章を読み、参考書を読み、当事者と関わる」という記述などは心に響きます。
    「グチャグチャ」から「サバサバ」への
    ダイナミックな移行ですね。

    • JET
    • 2012年 8月 26日

    先生こんにちは
    私は全然生身の他者を必要としてません
    ずっとそうですね
    ボギー(カサブランカ参照)とか寅さんとか言われてたこともありましたな
    オリンピックは見てません
    見てないと言うと定型と思われる人々は喜んで説明してくれます
    私には親切で優しい人たちとしか思えない私なんぞに比べれば・・
    好きなことしかしてないから周囲に多大な心配をかけます
    一番心配するのは赤の他人様たちです
    なんでか不思議でしたが私を知らないから心配するんですね
    申し訳ないことです・・・口だけ謝る
    どのように嘘つきで悪党であったとしても私のような冷たさはありません
    しかし私にも帰属意識というのがあります
    人の姿が消えて久しい遺構や遺跡、廃線跡など古いもの
    人っ子一人いない自然の中に出かけて癒されます
    かつてあった人の営みを感じて帰ってきます
    上司ADHDは生身の他者と同空間に存在しないかのごとくに感じるそうです
    私は鈍感なのでそういうのはよくわかりませんが
    私の場合他者を必要としないと同時に自身をも必要としなくなるということがおきます
    これは今思えばとても危険なことだった
    防止するために有効なのは死者を愛するということです
    ま遠くにいれば生きていてもいいかもしれません
    必要としても居ないので思う存分必要とすることが出来ます
    それ故愛することが出来ます
    元々愛とは感情なので自分が生きていればずっとあります
    尊敬とは愛から派生した感情ですから根っこに愛があります
    感情の教科書に書いてあります
    脳科学の本にも
    愛は言葉を知る前の感情ですので言葉とは馴染みませんが
    ほんとは音のほうがいいんですが
    理解するために言葉で命名する
    そうしないと思考というのは出来ないらしいです
    自分の経験からだけの暗号をそれと見切る
    ヘレンケラーさんみたいにです

    • 2012年 8月 26日

    アメジストさん
    ありがとうございます。私は現在、ジャイアンの「依存」がどれだけ罪深いものであるかを理解しています。もう戻りたくない、罪を重ねたくない、これだけです。
    mmさん
    ADHD同士、リアルではボスとぶら下がり、依存と共依存でしょうか。小説や漫画とリアルな世界は違うでしょうね。

    • F
    • 2012年 8月 27日

    mmさんへ
    タイプによるんじゃないでしょうか。
    今職場の同僚にのび太っぽい人がいますが、楽です。
    お互いの抜けている部分をお互いに指摘し合う感じです。これが多数派だと「何してるのよ」的な攻撃が裏にあるんでしょうが、そういう裏(言外)のやり取りがないので。
    相手の仕事の手抜かりを見つけても、「悪意なくボケてるんだな(サボってるんじゃなく気付いてないんだな)」と解釈してます。
    お互い「(自分が)抜けてる人間だ」という自覚があるというのも大きいです。
    うちは夫も合理的ADHDだと思ってますが、仲はいいと思います。
    恋愛の機微みたいなのがさっぱりありませんが・・・どう見ても兄と妹みたいです。
    そして立場は完全に対等です。
    (私だけが仕事に行ってる日は、夫が家事をしてくれたりします。収入は二人とも全額徴収、そこからおこづかいが出ます)
    やはり場合によってボケとツッコミが逆転します。
    ただ、ADHD同士でも、ジャイアンとのび太の組み合わせだときついと思います。(のび太のほうが)
    ジャイアンとジャイアンの組み合わせだと、利害が一致している間は共闘、もしくは休戦じゃないかと。

    • 匿名
    • 2012年 8月 27日

    「愛」について。
     多数派が何気なく使うとき、ジャイアンの小生は常に「自分に都合のいい洗脳用語だ」と思うことにしています。
     宗教が多用するのはその典型だと。
     今までにこれですっきりと解決した事例がいくつもありますので。

    • はすのはな
    • 2012年 8月 27日

    夫が亡くなる直前に私に告げた言葉が「愛している」でした。たったその一言で私は今まで生きて来れたような気がします。
    何年か経って、私はその言葉を初めて他者に向けました。彼は私のもとから去りましたが、私は今でも彼そのものの存在に感謝しています。
    やんばる先生のおっしゃる“自業自得の「自立」と「尊厳」”は、とことん自分の内面と向き合うものだと私自身は受け止めています。相手と向き合うときも自分と向き合うときも、それこそボロボロになって自分が無くなってしまうような状態になるまで、それこそ自己犠牲を払ってでも。
    この二年間、ブログや皆さんのコメントを拝見して考え続けていました。当事者の方々が多数派との違いを吟味し、自分自身をみつめ、この社会でよりよく生きていくための指針とするならばそれも意味があることだろうと。そして私自身もその事に深く感化され、時には適切なアドバイスを頂きながら日々を過ごしてきました。
    苦しみ抜いた先には、きっと涼やかな風が吹いているのだと思います。私はこれからも私の山を登り続けようと感じています。ありがとうございました。

    • JET
    • 2012年 8月 27日

    お早うございます
    承前ですが
    私は宗教知りません
    事実の積み重ねの話です
    それを脳科学や言語学や心理学や精神医学や
    精神科やらで裏をとったということでございます
    どこで何を見切っても自由
    憲法で内面の自由は認められてる
    誰にも罪は問われないしあるとすれば自分に対してだけのことで
    自立と尊厳があればなんということはありません
    他者を必要としないし自立と尊厳があるということは
    ADHDはそのまま生きれば愛している状態であると私は思いますけども
    PDD-NOSは自我が脆弱といわれるのは
    他者も自己も必要とできないからではないかと自分を見てて思います
    私は自分を怒らせてくれる人を必要とする
    自分の帰属意識に頼る
    自閉というのは自らに対して自らが閉ざされている結果他者に対しても閉ざされている状態かと思ってましたがどうなんでしょうか
    しかしほんとはこういうことはあまり言いたくない
    言語化の過程についてちょっと言いたかった
    まあ自己とか自分とか自らとかの言葉の定義が人によって様々ですから
    私は伝えることは出来ないだろうなと
    このこねこさんの言ってたバラバラの認識のままの相互理解は
    いつもどこでもやっているのだろうとは思う
    当たり前という思考停止はちょっと憎む
    マグロのように思考は泳がしておきたい
    では変なこと言い出してきたからこの話は終わりにします

    • F
    • 2012年 8月 27日

    愛についての話になってますが、私はPaul Carpenterさんの意見にかなり近いです。
    私は「依存」と「愛」の区別がつきません。
    親が依存的(条件付きの愛ばかり)だったため愛というものがよくわからない(学習できなかった)のかもしれないし、愛をもらっていても私に受容体がない(理解できない)のかもしれないし、自分の中に愛がないのかもしれません。
    幸いなことに、「愛している」と言われたことはありますが、そのとき感じたのは「居心地の悪さ」でした。
    人の話を聞いたり、本や映画やお芝居からすると、愛とか恋とか言うものは、やたら熱くて狂おしいもの(制御不能なもの)のようで・・・。
    私は自分の中にどんなときもひどく冷静で合理的な部分があるのを知っていて、同じもの(愛)を返せないという「いたたまれなさ」を感じているのだと思います。
    だから「愛している」とか「好きだ」と言われても、私は同じ言葉を返せません。嘘つきになりたくありません。
    愛しているならこういう態度を示すべきだ、というのはわかりますし意志の力で実行できますが、本当に愛しているからそういう態度を取っているのかと言われると疑問です。
    どんな人に対しても、「ギブアンドテイク」の規律が自分の中にあります。
    ただ、自分がギブしたものの相手に喜んでもらえなかったとして、「それはそれでしょうがないか」「自分がやりたくてやったことだし、喜んでもらえるという目論見が外れただけだ」という割り切りの気持ちもあります。
    これを無償の愛と呼んでいいのかも、よくわかりません。
    ふっと過ぎる、寄る辺のなさがしんどいと思います。
    人格障害で言うなら、ちょっとスキゾイドっぽいのかな。

    • 2012年 8月 27日

    あはは。何だか私が「愛」や「死」について言葉にしたからか・・・
     私が愛されていなかったと表現したのは「愛着」のことで、未だに実家に寄りつこうとしない実態から愛着障害があるだろうということ。「愛」という言葉の概念を考えながら使用したのではなかった。
     私には「愛」という言葉の概念についてはよくわからない。しかし、接していて何となく温かいものを感じるものが「人間愛」なのかもしれないと思う。何かがあるから、何かをしたから、何かをされたから、といったことではなく、そこにいて(あるいは思い出して)温かく感じるものが「人間愛」であると、私は私において定義する。(他の人は他の人で定義するものがあろう。)
     私が看護師であったとき、最期の数日前、腹水で苦痛があり就寝前にマッサージを依頼されたA氏に、ただ「楽になってお休みください」とそれだけを頭にマッサージをしていた。技術などなく業務のことも考えずに。穏やかな顔で眠りについたようだった。ただ、その患者さんの睡魔と平和な状態、手のぬくもりとリズム、そしてほとんど何も考えていない平和な私の状態があっただけ。私には真実はわからない。
     私が無謀時代を過ごして今も尚つながっているのは、無謀であることを承知でその先の姿を信頼していてくれた人たちだ。彼らは自分の専門分野でできる範囲のことをしてくれた。してくれたばかりで何も返せることがないが、まぁ客として何らか貢献していることはあるだろう。商売は「物」を売る以前に「人間」相手であることを知っている人たちだ。「物」を仲立ちにした関係もまた、温かさを感じられることがある。そもそも我々が現在使用している「物」というものは、人の手を介して「物」として成り立っている。
     さて、死者と現存在について、私は「支え」と言った。「愛」とは違う「支え」について、私なりの意見を述べよう。私の言う「支え」とは、「人」という字の右側。カタカナの「ノ」はそれだけで成立するけれど、「人」という字はカタカナの「ノ」では成立しない。そのこと。「愛」とは違う。「人」と「愛」の漢字が違うのと同様のことだ。

    • 道産娘
    • 2012年 8月 28日

    ADHDの相性についてですが、自分がのび太だと仮定して印象を書きますね。
    のび太同士だと、お互い束縛を嫌う性格のため、普段一緒に行動する事はほとんどありません。
    ただ、共通の趣味や話題で盛り上がると楽しいですね。
    困った時は親身になって話を聞き、客観的に考えた上でアドバイスしてくれる人が多かったです。
    ジャイアンだと、タイプにもよりますが…
    ジャイアン同士は、共依存関係以外は衝突しやすいと思います。
    ジャイアンとのび太(AC除く)は共依存が成り立たないので、べったり長続きはしないでしょうね。
    ちなみに私の場合、一番中の良かったボーダー型ジャイアン友達とは、喧嘩を繰り返してました。
    親しくなると、「かまって欲しい!同情して欲しい!言わなくてもわかってよ!!」という非言語的アピールが続き、(当時は訳がわからなく)疲れ果てて、喧嘩したまま話してません。
    (私から謝るのを催促するかのような、嫌がらせじみたアピールもしばらく続きましたが…)

    • なつもか
    • 2012年 8月 30日

    最近すごく不思議に思うんですが、他者を必要としないのに、結婚されている方は結構いますよね。皆さんその時は他者に必要を感じていたんでしょうか?
    私は既に結婚して子供がいてもおかしくない年齢ですが、やはりどうも他者の必要性を強く感じられないため「なんで関係ない私の結婚について、みんな熱心に心配するのだろうか」と思います。
    実際してもしなくてもどちらでもいいというのが本音で、年齢だけで私を見ずにそう言ったアドバイスなどを受けるのはちょっと気分が悪いです。
    愛についても、自分から与える存在は欲しいなと思いますが、私に何かを与える存在は非常に億劫です。私が欲しいものしかいらないし、不必要なものが増えるくらいなら何もない方がいいので。
    勝手な言い分だとわかっているので人付き合いは適度にとどめておきたいです(こういうところが自己つっこみ的)
    なんにせよとしをとるに連れ社会的な役割を、存在するだけで求められて生きにくく感じます。

    • アメジスト
    • 2012年 8月 30日

    なつもか様
    結婚のテーマはなかなか難しいので、的確な事はわかりません。
    ただ、今言える事は同じ結婚生活を営むにしろ、相手に「どっぷりと精神的に依存している場合」と「精神的に依存しないで有効な協力関係を築いている場合」の違いがあるということくらいです。
    なつもかさんの結婚に対するスタンスは私も賛成です。マイペースでお進みください。

    • F
    • 2012年 8月 31日

    一応結婚してますが、結婚したいと思ったことは一度もないですね・・・。
    親が不仲すぎたため、結婚願望は皆無でした。
    結婚したのはプロポーズされたから。
    彼が父親と180度違う人だから。
    世界中が敵に回っても最後まで味方でいてくれそうだから。
    さらに、
    仕事が行き詰まったから。
    あまりに自分勝手かつ無神経な親に本気で嫌気がさしたから。
    結婚が、実家を出る(親を納得させる)に十分な理由だったから。
    タイミング的に、今家を出ないと一生出られないと思ったから(弟妹が親元から遠いところに就職するとまずい)。
    という計算のもとに結婚することにしました。
    だいぶひどいです。「利用」ですね。
    ただ、夫(も、たぶんADHD)はあまり生きづらくはなさそうなんです。
    AC的にこじらせているかが、だいぶ大きい気がします。
    どこかに恋愛は無理だけど結婚はできる、と先生が書かれてましたが、まさにそういう感じです。
    今の日本には、男性が恋愛をリードし、プロポーズするものという風潮が根強くありますから、男性ADHDでACの場合は少し結婚しづらいかもしれませんね・・・。

    • 匿名
    • 2012年 8月 31日

    >他者を必要としないのに、結婚されている方は結構いますよね。皆さんその時は他者に必要を感じていたんでしょうか?<  ほとんど母子家庭状態であったジャイアン男の小生は母親のことが大きかったと思います。  母親もおおいに変わり者で毎日のように喧嘩していましたが、もう長くないとわかっていたので(結婚してすぐに子どもができて、そのすぐ後に他界しました)、嫁さんと孫の顔を見せたやりたい、なぜかそのときは真剣にそう思いました。偶然のきっかけもあり(運命ということでしょうか)結婚しました。まあ結婚以来喧嘩ばかりしていて先日も小生が家を出る出ないの大騒ぎになりましたが。 >愛についても、自分から与える存在は欲しいなと思いますが、私に何かを与える存在は非常に億劫です。私が欲しいものしかいらないし、不必要なものが増えるくらいなら何もない方がいいので。<
     結婚とは人生の墓場である。
     結婚は人生最大の妥協である。
     これに尽きます。
     でも「墓場を楽園と思い込んで楽しむ」「無理矢理妥協を続けていればいつのまにか無理が自然になる」「たとえ愛はなくても空気のようになり、生きるうえでなんとなく必要なものになる」
     そんなところでしょうか。ちなみに嫁こどもたちと大喧嘩してもワンコが癒してくれる、ということもありますが。
     参考にならなかったらごめんなさい。
     あと、母親にいつも言われた言葉「絶対に一人の人を幸せにしなければいけない。女の人に手を上げてはいけない」は辛うじて守っています。母親はおなかに小生がいるときに父親が他の女性のところへ出て行きましたから。

    • なつもか
    • 2012年 8月 31日

    わりと不躾な疑問に反応を返していただけて嬉しいです。
    ありがとうございます。
    内容についてコメントする立場でもないので、お礼だけ失礼します。
    Fさん
    私の生き辛さは、女性であることに根ざしていることが多いかもしれないです。いわゆる 天然 に見られることが多いのに行動や発言が大胆(ぶっ飛んでいる?)だとか、料理以外の家事はてんでだめなので…。
    他人の子供は可愛いですが、自分で育てるなんてゾッとします。
    仕事の評価はそれなりにいただいてるので、男性だとまた違ったかもね。とは思います。(攻撃的なわがまま勘違いヤローになる可能性も高いですけど!)
    身の上話は熱が入って長くなってしまいますね。
    お邪魔いたしました。

    • 黒たまご
    • 2012年 8月 31日

    ここの読者(AS,AHDH?)の方は、結婚されている方が多いのですね。といっても、2~3人でそんなことを決めてしまってはだめだとわかっているのですが、参考情報を必死で集めている求める立場からは驚いてしまいます。こちらのコメントは、たくさんの発達障害関係のコミュニティの中でもストレートで、葛藤の深いイメージがあったものですから。
    疑問なのですが、定型の人に「私は何もしませんけれど、あなたを”利用”しますよ」と言って、ハイわかりました私は世界を敵に回してもあなたの味方でいますと、言ってもられるものなのでしょうか?それとも、独特の魅力で、そういう人をゲットできるということなのでしょうか。という私も軽度ながら発達障害ですが、たぶんそれほど魅力的ではないから、そして、人を失望されたり傷つけたりすると考えただけで耐えられないから、どうにも結婚ができません。すごいと思います。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 01日

    記事の内容とずれますが、結婚の話題でちょっと失礼します。
    息子は友達の結婚式に呼ばれる年頃になりましたが、本人はいつも自分のことでいっぱいいっぱいの人なので、親の願望としては、一生結婚しないで、マイペースでトラブルの少ない人生を歩んで欲しいと思っています。
    以前は「彼女とかはめんどくさい」と言ってましたが、最近の考えを聞いていないので、将来結婚願望があるのかどうかを近いうちに確認してみようと思います。

    • F
    • 2012年 9月 02日

    なつもかさん
    私も自分の子供は欲しくないです。
    「外で作って連れて帰ってきてくれてもいいくらい」と思います。
    多分そのほうが、きちんと育てられる気がします。
    (自分の子供だと、自分の親と同じことをしそうで怖いです)
    黒たまごさん
    どうでしょうね。
    定型の人は、それくらい誰かを思えるものなのかもしれません。
    「世界を敵に回しても~」というくだりが出ているので念のために書いておきますが、私は結婚した理由(利用であること)を夫に告げたわけじゃありません。
    黙っていれば、永遠にわからない話ですし。
    夫は夫で、何らかの理由があって私を得たいと思ったはずです。
    いっしょにいたい、と考えることだって、見方によっては「利用(自己満足のため)」ではないでしょうか?
    夫婦として共同生活をするにあたって、必要なことはしているつもりです。
    昔は結婚=永久就職なんて言いましたが、私はある意味当たってると思っています。
    これも仕事だと思えば特に感謝されなくても腹も立たないですし、あまりサボるとまずいなとも思います。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 02日

    さっき息子と話し合いました。
    息子の回答は「少なくとも今から10年は現状維持がいい。エネルギーがないから、たぶん一生このままの可能性が高い。でも絶対結婚しないとか決めるのは窮屈だから年を取ってから心境の変化があったら、その時考える。当面は家族と一緒に住めば寂しさも感じない。友達が皆結婚したとしても、焦らないと思う。」との返事でした。
    これで我が家の方針が決まったので、ホッとしました。

    • JET
    • 2012年 9月 07日

    先生、のび太はジャイアンに・・・。
    私と生身の他者の間にあるのは、生還するための利害関係の一致ですな。
    なぜ生還しなきゃならないのか、と問うてほしい。
    (私にじゃありませんよ。)

    • KEI
    • 2012年 9月 08日

    我が家のジャイアン息子、現在落ち着いてきました。
    以前のように優位を求めて強烈にアピール(ときには暴力)という事が減りました。部活動を始めたのですが、それでエネルギーを消耗している、という事。それと同じジャイアン夫が運動する息子を気に入り、ちくちくとディスらなくなったのがよいのかもしれません。病的なジャイアンでもここまで変わるのだ、と驚いています。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 08日

    うちの親戚の男の子もエネルギーが有り余って、高校時代に学校の窓ガラスを割ったらしいのですが、ラグビーかアメフトの部活に入ったら落ち着いたそうです。現在は2児のパパです。

    • JET
    • 2012年 9月 08日

    KEIさんに向かって合掌します。

    • JET
    • 2012年 9月 08日

    いや、先生のび太はジェリーに進化しよう。
    そうしよう!

    • Gretel
    • 2012年 9月 08日

    先生 お久しぶりです。っていうか先日は、夢の中まで出張して頂きありがとうございました。おかげ様で、ニュートラルな状態で試験に臨むことができました。

    • あひる
    • 2012年 9月 09日

    他人の評価を気にしてしまいます。
    周りの目を気にしないことは難しいです。
    最近もダンナに「いいたい人には勝手に言わせておけ」「気にするな」と言われましたが
    「おいおい、その人はあなたの大事な妻(言っていてちょっと笑えました)を傷つけようとしてるんだよ」と言ってしまいました。
    知らんふりしておれない...難しいです。
    依存がなかなか抜けないのは自分の攻撃性の強さも関係しているのかもと考えています。
    ちなみに受動型ASだと思われるダンナは
    「それは許せないな」と答えてました。
    でもこういう話をしたといってダンナの介入はナイと思います。

    • JET
    • 2012年 9月 09日

     みさん
    私は相手からの自分への信頼について自分からは口にしません。
    人という字の意味については二足歩行を表していると思っていました。
    調べたところお辞儀等を表してもいるとか。
    支えってあまりADHDっぽく無い言葉ですね。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 09日

    私はこのブログのタイトル「意味不明な人々」がかなり気に入っています。
    このブログに集まる方々は
    ・どことなくユーモラス
    ・とことん正直
    ・自分を客観的に振り返る習慣がある
    から親近感が持てるのです。

    • 2012年 9月 09日

    JETさん
    JETさんに言われて「人」という漢字の由来を調べました。
    どうやら私は正しい由来ではなく、俗に言われる内容を記憶していたのですね。すみませんでした。
    勉強させていただき、ありがとうございます。

    • ポッポ
    • 2013年 4月 17日

    ジャイアン母は、のび太からジャイアンになったやっかいな娘からの自立しろのメーセージをいくらもらっても、認めていない娘からの上から目線に耐えられないようで・・・ここは認めるけど、ここは無理・・と応戦してはどうかと思うのだが・・・。自業自得という理解にいつになったら至るのだろうか・・そっちのほうが楽かもしれないのに。

    • ひよどり
    • 2013年 4月 17日

    昔在籍していた会社に、根回し根回し??・・・とよく口ずさんでいるジャイアン男性上司がいました。これから面倒みるのび太女子社員2人に対して優位に立つための根回しなのですが・・・根回しするずる賢い自分に酔っていたのか、女子社員に頼られる自分に酔いたいのか・・・どっちにしろしゃべり方・・外見・・・・万人向けじゃない!!

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