AC、人格障害関連

のび太とジャイアン2

 のび太とジャイアンの関係を図示することをずっと考えてきたが、やっと図が完成した。

https://docs.google.com/open?  
 id=0ByyeK0qS9vvSekFqWndqSUpnMkU

https://docs.google.com/open?
 id=0ByyeK0qS9vvSaHJNN3dYc2dlU3M

 (上記の改行をくっつけて閲覧してください。同じものです)

 
 さて図の意味は、以下の通り。

1.ADHDは能力の特徴でのび太とジャイアン予備軍に分かれる。その違いは状況察知能力である。いわゆる空気が読めないADHDがのび太で、自分の有利不利だけは察知できるのが「ジャイアン予備軍」だ。

2.のび太は理解の乏しい環境で二次障害が重症である場合は「のび太AC」となり、逆に理解された寛容な環境では「合理的ADHD」に成長する。

3.ジャイアン予備軍の中で、「合理的な説明があり例外を許さない冷徹な合理的環境」で生育した群を、以前私は「合理的強迫的ジャイアン」と呼んでいた。それを変更して「ジャイアン」を取り、先ののび太の一群と合流させて「合理的なADHD」とした。
 
4.ジャイアン予備軍の残りは、HPのジャイアンの経過図と同じ。いろいろな環境で衝動統制の「適応型」を身に着け、その適応型が再度不適応を起こす経過をたどる。


 ポイントは、上記のように「合理的強迫的」な一群をジャイアンから外したことである。
 この一群は「合理的なADHD」と呼ばれ、大きな特徴は「他者は他者」と合理的に割り切れるところである。

 その結果、のび太の一群と合流させることが出来、また残ったジャイアンは対人関係の依存や妬みなどの「対人関係でぐちゃぐちゃした感情を持つ群」となった。
 
 この含意は何だろうか?
 
 「ジャイアンは二次障害である」ということを意味する。

 この図に記した「ジャイアン」は全て能力と環境の相互作用で出来た二次的な適応型であり、環境と適応型のスタイルをリセットすれば、合理的なADHDに回帰することが出来る。

 まとめておこう。

 A.のび太は状況察知能力の不得手なADHDである。

 B.ジャイアンは二次障害の適応型であり、環境と適応型をリセットすれば全て「合理的なADHD」に合流可能である。


関連記事

  1. 自己正当化型ADHDのACのケア
  2. ファンタジーへの行動化
  3. ウラ一刀流
  4. ジャイアンは感謝を要求する
  5. ジャイアンの躁うつ病
  6. 骨肉の争い
  7. コーチング②ASの感覚過敏等
  8. ADHDケアの第一原則

コメント

    • 2012年 5月 28日

    ありがとうございます。
    この図を眺めながら、うん、うん、とうなずいていました。
    ただ…
    これはメッセージであろう、もしかしたらご自身のなかにも見ているかもしれない、そう思いました。
    自分を肯定し、他者も肯定したい。それが合理的なADHDから柔軟性のある(可塑性)ADHDへと変化させる、そう思っています。そう思ってやまないのです。

    • トモス
    • 2012年 5月 28日

    こんばんは、ヤンバル先生。
    これからののび太への考察、愉しみにしています。
    ぼくは両親が他界しているため、どのような養育環境であったか現段階での聞き取りは出来ません。ただ、母はヒステリックかつ衝動的でした。母の言葉が今でもぼくにのしかかっていますがそれは「あんたには無理!」という非合理的な説明不足の決めつけです。父は忙しい人でぼくは父の顔を小学生高学年になるまで覚えられませんでした。さらに、自己愛的で自己中心的な叔母がいて「私も親」とぼくの人生の中に土足で踏み込んできました。他にも親族にまつわる秘密がぼくの頭の上でささやかれており、薄氷の上で生活をしていたようなモノでした。だから、ぼくは人の顔を伺う性格になってしまい、KYではないはずなのに「のび太」とも言われ、そこらへんの整合性を求めています。

    • あひる
    • 2012年 5月 28日

    びっくりして思わず書き込みです。
    図をみると私はごちゃごちゃに混ざっています。
    実家にいる頃の私。
    結婚してからの私。
    結婚後何かおかしいと思ってからの私。
    私の中にもいろいろな私がいるからでしょうか?
    最近知り合いに
    「あなたは嫌な人に向かって近づくなオーラを出している」と言われ非言語的に周りを威圧しているのかしらと思っています(そうかもしれない...)
    損をしそうだと思うと関わりたくない(状況察知)
    ムカつくと相手と戦おうとする(攻撃性)
    というのが背中合わせで存在しています。
    「ジャイアンは二次障害の適応型」
    ということは私は依存が強すぎて環境が変わるたびに適合していって複雑になってしまったということなのかと考えています。
    >「合理的なADHD」に合流可能である。
    合流したいです。

    • 2012年 5月 28日

     私はもしかしたら、多くの人よりも人の死について恐怖しているかもしれない。それにもかかわらず、多くの人よりも人の死にかかわってきたかもしれない。それは、先生の言う離人症的な状況察知ができなくなった状態なのかもしれない。こう書いていて幼少期を思い出した。
     ADHDの幼少期、何よりも幽霊を怖がる。暗闇さえ怖がる。小学生の頃、私は夜のサスペンスや怖い映画のテレビ放送(今でも印象に残っているのが「ジョーズ」)を見た後にトイレに行こうと起きると、階段や廊下の暗さが怖くてトイレの扉を開けていた(と記憶している!)。今は笑い話であるが、当時は本当に怖かった。。。大人になった今でも、旅行などでホテルに宿泊するときには真っ暗にできない。幽霊のような目に見えない存在が怖いのだ。いつも理屈をこねている私であるが、幽霊などいないと客観的に理解しているが、自宅ではない夜はいつも小心者の私がいる。孤独が怖いのではない。これは不思議でならない。実はこのような話は私の知人のADHDさんからも聞いた。ADHDはなぜ幽霊や暗闇を怖がるのだろう。先生の言う通り、自己の消滅に対する恐怖なのだろうか。即物的な思考故の見えない存在に対する恐怖であろうか。
     スピリチュアルペイン、そして、そこでかかわりを持たせていただいた方々、今は、人がそれほど強くはないことに気づかされる機会だったと思える。人は、過酷な状況下では正常な精神状態を保てなくなるのだという事実に向き合わせてもらった。今はもういい。高校生でエンゼルケアをされている父の背中を気丈にも見ていた自分にお疲れ様を言おう。人はそれほど強くはないのだ。

    • 2012年 5月 31日

     実はあの時、主治医であった方が卵だった私に良かれと思って提案した事だった。誰よりも遺族の今後を考えていたに違いない。蘇生術を考える以前に、その疾患の予後と家族背景を理解し、しっかりと説明し同意を得ていた。あの時の父に対する主治医の診療方針等は、本人および家族に寄り添ったものだった。今でこそ終末期医療を再考し、様々な取組みがなされているが、当時は憚られる事だっただろう。ただ、多感な高校生という時期をもう少し深く考えていただきたかったのが本音だ。
    私が医療現場に就職して2日目、アンビューバッグを押すことになった。私は感情を凍結したままその日を終えた。確かに学生の頃、『死ぬ瞬間』等を読み、死に対して理解をしていたはずなのだ。だが、言われるままに行動をしたとして、感情およびその他が切り離されていた。その事がスピリチュアルペインという言葉を知るまで引きずっていた。
     私があの時卵でなければ、主治医はそのような提案をしなかったであろう。勿論、その提案を冷徹にも自分の学びとして肯定し、自らが飛び込む事はなかったであろう。
     ものごとは相互の関係なくしては成立しないものである。そして、その個人の選択はその個人の選択を越えた何かに左右されている事がある。むしろその方が多いといってよいだろう。
     人間は人間により生成される。生まれ育つ家庭を自己責任において選択することはできない。また、長子であるかないかについても自己責任において選択できない。また、何らかの障害があるように願ってこの世に誕生したのではない。ただ、その選択が自己責任においてできない事を、かつそれによって影響があった事を、どう自分の中に解釈していくかである。巷の「スピリチュアル」は、そのような事でさえも「自己責任」として個人に負わす。現実を生きていくために必要な考え方だと正当化する。
     私は、現実を湾曲した形で理解することで切り抜けられる事柄の範囲があるのではないかと思う。また、一時現実を離れようとそれを克服していける精神があるのではないかと思う。
     私がいいたいことは、おそらく「その解決に必要であるならば、それを使っても良い自由が与えられている」事と、その反面「それを使ったことによる負の財産をも獲得している」事を己の中で整理することだと思う。行き過ぎは毒である。

    • 2012年 6月 03日

    少々過覚醒が続いていた。
     さて、「受動型ASの真実」のコメントに一般的な人間対人間といったあり方でコメントをしたことから始まり、これまでの間、最初こそ冷静であったが徐々に過覚醒の状態になり、最終的には自らの過去の問題(本当は以前に内的に和解していたことだが言語化したことはなかった)にまで及んだ。このような内容はカウンセラーに話せばよいと思うのであるが、私自身がカウンセリングに望むのは理解であるから、状況理解を共有できない心理屋さんにはラポールを築けない。
     伝統的なカウンセリングは、その人の話す状況理解をし得なくても「わかります」「悲しかったのですね」などと受容し、感情の繰返しや要約をするもの、自己理解を深め自己実現へと向かえるようにするものである。たしかに伝統的なカウンセリングで快方に向かう人もいるが、私は「何がわかります、だ? 状況を理解(つまり、貴方はその場にいなかったでしょうということ)していないでしょう」と、その状況の場を共有していないことに対する違和感があり、また八方美人的な消極的口説き文句に感じられ(これ自体治療的な意味があることを理解しているが)、気持ち悪さを感じた。さらに、知的理解として質問したことが質問の意図を考え言葉を濁すものだから、率直に話しているこちらを信用していないように感じ、カウンセリングなど受けないほうが良い、自ら調べればよいことだと思ってしまったのだ。認定心理士の認定を受けるまでの間にカウンセリングに懐疑的になってしまった。それだけADHDの特性に合わせたカウンセリングが必要なのだろう。
     その意味で、先生の繰り出すブログの言葉は、私には自己理解を深めていけるツールとなり、自己理解を深めるなかで未解決な領域に焦点が当たったり、発達障害ゆえの課題に取組むことになったりするのだと思う。とくに離人症様、さらに人格障害にまで二次障害が至っていた場合には、先生ご自身が経験を語り、理解してきた過程で生み出されたブログの言葉は、治療としての意味を持つのだろう。発達障害という特性に出会い、受容の過程を踏みながら過去の物語を書き換え、アイデンティティを再構築し、そしてまた歩き出す、この一連の過程を支えてくれるのがこのブログとコメントの存在なのではないかと思える。
    さて、覚醒レベルを落として現実に戻ろう。

    • アメジスト
    • 2012年 6月 04日

    のび太とジャイアンの図、見応えがありました。これからもちょくちょく眺めて勉強したいと思います。

    • hide
    • 2012年 6月 06日

    ヤンバル先生のサイトを読ませていただいているADHDの本人です、のび太とジャイアンの関係図を拝見したいのですが、上手く閲覧できません改行をどの様に貼り付ければ閲覧できるのか教えて下さい。
    お手数でしょうがどなたか宜しくお願いいたします。
                             hide

    • アメジスト
    • 2012年 6月 07日

    hideさん、私もなかなか閲覧出来なくて、家族にやってもらったら、しばらくいじっているうちにたまたま図が出て来ましたが、家族にやり方を聞いたらネットでは伝えにくいと言われてしまいました。お役に立てず、すみません。

    • みかん
    • 2012年 6月 08日

    先生の考えに当て嵌めて考えると、私はジャイアンACでした。
    確かに自覚が無いときは「普通だから我慢する」に固執していました。
    周囲、特に夫に対しては普通ではないと自分が感じた事は許しませんでした。
    今思えば、その普通だという自分なりの解釈も歪んでいたのですが。
    「攻撃性は抑圧され」これもその通りで、このことから自分をのび太だと考えていました。
    母は依存型ジャイアンです。
    母の養育環境に関して思うこと。
    祖母に私は会ったことが数回しかないので
    想像を超えないのですが、確かに非言語的に否定されている環境ではあっただろうと想像しています。時代もあるでしょうけれど、言葉よりも先に手が出たのだろうと思います。
    そして、本人の理解力(知能)の問題が非言語の否定環境を更に悪循環にしたのではないかとも思います。それが叔母と母の違いになったのではないかと。ちなみに叔母は完全な「中心志向型ジャイアン」です。
    のび太ですが「状況察知能力の違い」の解釈にとても頷きました。
    友人は私がいくらこっちのほうが有利だからと説明しても感覚的に不利なほうを好みます。私には何故か全く理解できない部分でもあり、他ジャイアン達と違う部分でもあります。
    残る疑問なのですが、のび太は「合理的ADHDとのび太AC」の2括りでしょうか。
    私は攻撃性を軸に考えるのかと思っていましたが、状況察知能力を軸に考えるのですね。
    とすると、のび太も養育過程でジャイアンのように分かれるような気がしますが、それは察知能力が機能しないので、結果この2括りになるということでしょうか。

    • ななつの
    • 2012年 6月 08日

    hideさん
    私もやっと閲覧できました。
    ウィンドウの上のほうにある、このブログのアドレスが書いてあるアドレスバーというんでしたっけ?に書いてあるものを消して、貼り付けます。
    open?と、id=の間に、1、2文字分スペースが空いているので、それを消して間を詰め、キーボードのEnterキーを押す。
    私の場合は、ひとつめのアドレスではできませんでしたが、ふたつめのアドレスで閲覧できました。
    おじゃましました。

    • hide
    • 2012年 6月 09日

    ななつのさんへ
    回答ありがとうございました。
    おかげさまで閲覧できました。
    助かりました、感謝いたします。

    • 2012年 6月 24日

     ここにきて、ADHDの自己突込みと正義感の関係、自殺との関係が理解できる。
     おそらく定型者が見ることの少ない自身の愚かさや醜さを、ADHDは直視せざるを得ない。どれだけ失敗を繰り返し、他者からの負の反応をもらったか、それが自己突込みの深さにつながる。自己突込みと自己肯定感の程度、社会適応状態および特性の受容がからまり、自殺を選択することもある。文豪の死。ADHDは他者のなかに自分を見ることができる。
     ASの真空、理屈、愛着や執着、私には理解できなかった。そもそも、他者のなかに自分を見ることのない世界では、環境に受動的になるか、積極的に環境に働きかけるか、自分のなかに入り込むか、生きていく術はないのだろう。ASの自殺は、ADHDと全く異なるだろう。
     ここしばらくは、のびたジャイアンの表から影響を受けてのこともあり、このようなことに思いを巡らせていた。若者の就職難と自殺、早期離職、新型うつ病、宗教との関連を、発達障害の視点からとらえることで新たな認識を形成することになった。

    • 2012年 6月 30日

    少々、思い出したことがある。
    私の初めて自分の小遣いで買ったCDは、なんと「愛しき日々」堀内孝雄、だった。年末時代劇スペシャルの『白虎隊』を見、涙した。
    12~13歳当時、不器用にしか生きられない自分を、この歌に見ていたのだろう。そして、生真面目すぎる程に逃れられない現実を白虎隊と重ねたのであろう。
    16~17歳の少年たちが、城が燃えたと思い自害した。現代では「馬鹿じゃない」と鼻で笑われるだろう。
    間引きが実際にあったこの国で、生き残るには生真面目すぎる程に不器用に生きるしかない、そう思った思春期であった。戦後とはいえ、深く刻まれた歴史の痕跡である。

    • 2012年 7月 01日

    間引き(この場合の意味は、生後間もない子どもが奇形や障害があったりした場合に殺すこと)
     江戸時代にはこの間引きが行われていた。18世紀にヨーロッパとアメリカに広がった「優生学」を取り入れ、障害者の断種を目的として1940年に「国民優性法」が制定された。終戦後に人口増加を抑えるために「優生保護法」となった。その後、中絶の正当化に対して反発が広がり、1996年に「母体保護法」となった。
     親から間引きの話を聞かされ、私の誕生および生に対してどのように思っていたかを理解した。つまり、生かしてやっているという脅しだ。それに対して生真面目に生きるしかなかった。カウンセラーに「わかります」と言われたくないのは、「わかるはずがなかろう」ということだ。
     よく言われたのは「橋の下から拾ってきた」、「頭空っぽ」だ。私が学び続けるのは「頭空っぽ」の汚名を返上するためだろう。
     現在では、間引きと言えば多くの人は「間引き運転」を思い出すだろうね。

    • 2012年 7月 01日

    私は若者に言いたい。
     私は誕生を喜ばれなかった人間だ。嫉妬されていたのだ。胎児の時に間接的に暴力を受けた。おそらく遺伝と環境の多重な因子により、私は発達障害として誕生したのだろう。
     それでも生きてゆく。一時は落ちても、生きてゆくのは可能だ。
     電車に飛び込む前に、それでも生きている者がいることを知ってほしい。私のような体験をした人も少なからずいるだろう。それでも生きてゆく人がいる。
     おそらく、このようなことを書くのは初めで最後。さて、先に進もう。

    • 2012年 7月 02日

    おっと!!
     ここで終わってはいかん。「半生のまとめ」、ここで思いっきりやらせていただいた。
     沈黙しながらコメントを読み掲載を続けたやんばる先生、ありがとうございます。成り行きをそっと見守ってくれていたのだろうと思います。そして、見守っていたのは先生だけではないこと、今の私にはわかります。感謝です。
     生きていれば、必ず愛してくれる者がいる。たとえ今が真っ暗でも、必ず光は指すのです。
     そう言い残し、私はすべての山を登りましょう。そして、すべての小道を辿りましょう。虹に出会えるまで。

    • ryu
    • 2012年 7月 09日

    初めて書き込みさせて頂きます。
    以前から拝見させて頂いており参考にさせて貰ってます。
    この度公開された「のび太とジャイアンの関係図」ですが
    以前の作成途中に見られた「やっつけ型」と言うのは何処に吸収された形になるのでしょうか・・・
    各所で様々なタイプ分け等を見てきましたが、あれ程自分に当てはまったと感じられた事は無かったので気になっております・・・。
    御時間がある時に新規エントリで解説を頂ければ幸いです。

    • ぷくやん
    • 2013年 7月 20日

    「自分にとっての有利」とは、自分は何が楽しいか、が分かることだと思います。私は何が楽しいか、何故楽しいか、言語的に理解しなければ分からないです。これは他閉症というかなんというか。だからジャイアン能力に憧れます。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP