AC、人格障害関連

ADHDの二次障害

 ADHDはもともと、認知全体が「これはこれ」、時間認識が「今しかない」、対人関係が「基本的に一人」という世界に生きている。

 当然であるが、これでは現実生活上不都合が多く、学校生活や職業にスムーズに適応できるわけが無い。親からも言われた通り出来なくて叱られ、学校生活でも忘れ物などで同級生と同じように出来ないことを思い知らされ、状況は分からなくても、言語的にはっきり否定されることが続き、ADHDは自己評価が極端に下がる。

 注意欠陥や多動傾向がある場合には、これらの問題行動でも自己評価が下がる。

 学童期を終えて思春期に入るころには、「周囲の人はお互いに言葉で説明しなくても全部分かり合っていて、自分だけが何もわからない状態でいる」と思い込むことが多い。私は内緒話でいじめられた記憶がある。

 思春期を迎えて初めて自分自身を自覚する時のADHDはこんな状況だ。ここがADHDの出発点で、ここからそれぞれ個別の経過をたどることになる。

 「自分は何も分からないぜんぜん駄目な人間だからとにかく周囲に合わせるしかない」と思い込むのが「ADHDのAC」で、ひたすら周囲の人から評価される、嫌われないことだけを目標に生きることになる。

 自己主張などは後回しにして、とにかく周囲の人の行動を観察し、表面だけでも周囲の真似をして、個人差はあるが「普通」に近い生き方を目指す。しかし多くは見当はずれな状況理解のために、評価に過剰反応をしたり、気を使っているつもりの割には場に合わない行動をしてからかわれたり、ますます自己評価を下げる経過になることが多い。

 ここまでが「何の対策も取らないでいるADHDの自然な経過」のイメージだ。

 私はパートナーや家族としてADHDに関わるASの方に理解してもらうことをひとつの目的に書いているので、出来れば「ASから見てどう見えるか」のコメントもお願いします。


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コメント

    • yurin
    • 2007年 1月 21日

    >出来れば「ASから見てどう見えるか」のコメントもお願いします。
    どちらかというと『ADHDでない人から見てどう見えるか』のコメント、と注釈したいです。あと、誹謗中傷に近いコメントも、出来るだけ避けていただきたい、とお願いしたいです。
    というのは、たぶんADHDであるだろう私の娘(中1)が今不登校になっていて、その原因が『グループを作りなさい、となったときに、どのグループへ入っていいかわからない、入っても嫌な顔をされる』。だから、『グループになって相談しましょう』、というスタイルの授業は出たくない、ということのようです。
    娘からすると、『みんなどんどんグループを作って私だけ置き去りにされている』ように見えるそうです。本来なら先生と連携をとって、クラスの友達に話を聞きたいところではありますが、現実はなかなか難しいです。『置き去りにされる』というのは『おやな顔をされる』というのも、『娘からみた感想』なので、『本当のところ』はわかりません。
    だから知りたいです、そういう娘がクラスメイトから見て『どう見える』のか。そうでないと娘は『仲間はずれにされた、私が悪い』と思いこんで、これからも生きることになってしまうでしょう。
    娘はしばらく、保健室という場所に落ち着いて、出られる授業だけ教室で受ける、というスタイルで学校に行く方針です。また今後、スクールカウンセラーとの面談も予定しています。

    • 匿名
    • 2007年 1月 21日

    はじめまして、
    はじめて参加させていただきます、daisyと申します。
    27歳ADHD当事者です。
    >『グループを作りなさい、となったときに、どのグループへ入っていいかわからない、入っても嫌な顔をされる』
    まったく同じ経験があります。小学生のころです。
    「自由にグループを作ってください」ということが恐怖でたまりませんでした。
    一人だけあぶれたら『はずかしい』と思っており、かといって、自分からグループを組んだり、入っていったりということがとても苦痛で、できませんでした。
    そのために、「どうにか仲良しを作らねばならない」と強迫的になっていたと思います。
    努力の甲斐もむなしく、すぐ仲間はずれになり、また新しい“(グループを組んでくれる)友達”を探していました。
    しかし、中学1年の終わりの合宿のとき、私が寝たふりをしているその部屋で、同じ部屋の子達に「daisyの嫌いなところ」と悪口大会を始められたことで、(ものすごい傷ついたのですが、)ある意味吹っ切れて「一人でいいや」と思うようにすることにしました。
    休み時間は一人で「指輪物語」(ロードオブザリングですね)を読破することに費やし、あえて、こちらからは誰にもアプローチしないようにしたんです。
    そうしたところ、自然に声をかけてくれる子ができ、一緒にご飯を食べたりして、付かず離れずの薄っぺらいですが、私にとっては楽な人間関係が出来ました。
    このとき私の辛い「いじめられ人生」が終わりました。
    その後もずっとそんな感じなので、付かず離れず、その場限りの人間関係ばかりで、現在まで続くような親友はいないのが少し寂しいですが、「死にたい」とまで辛く思ったいじめから開放されたのは大きかったと思います。
    私にとって「一人で良いや」と思えたとき、初めて人生が開けたんです。私はこれをポジティブな「諦め」と考えています。
    まとまりのない文章ですみません< (_ _)>
    これからもよろしくお願いします。

    • yurin
    • 2007年 1月 21日

    『一人でいいや』と開き直ることができるとある意味強くなれますね。私も今でこそそう思えますが、そう思えるようになるには随分時間がかかりました。
    娘は『グループになろうと頑張る』ことはしていないようです。周囲に合わせようとはあまりしないで、仲間を作りなさい、と説得する先生に対し反感を持ってる様子も見られます。あからさまに反抗はしてませんが、『あからさまに嫌な表情』はしている様子です(^_^;)
    クラスでは他にも『保健室組』あと一人います。その子の机が席替えのとき、いつも同じ場所にあることを娘は気にしているようです。そういうことをする先生はおかしいと思う、とも言っています。

    • wish
    • 2007年 1月 22日

    以前にもコメントさせていただいた事がありますが今回からニックネームを改めました。
    私はADHD以外の方からのコメントが例え誹謗・中傷に感じられたとしても、書き込みなさった方が嘘偽りなく感じた意見である以上、受け止めたいと思います。
    もちろん、人に対する配慮や思いやりは必要だと思いますが、相互理解を目的とした意見であるのなら誹謗・中傷と感じられたとしても私は敢えてストレートな意見を望みます。
    学校や担任の対応・指導に不満や疑問を感じた時には、具体的に『私(子供)はこう思っている』『こういう対応をして欲しい』と直接話し合いをする事が解決への近道だと思い、子供が中学校の頃は担任や担当の先生方と何度も話し合った経験があります。子供が小学生の頃は(約10年前)加配の先生が付かず、退職して1年間毎日のように授業参観をし、先生方と意見交換をしました。
    現在小学生の息子の件でも、やはり直接担任と話し合う様にしています。
    年々、発達障害児に対する理解や配慮が高まり、今年4月からは発達障害担当の先生も各学校に配属されると聞いています。
    しかし「専門知識の無い先生や担当の先生に、より良い対応をしてもらう為には父兄の知識や意見も取り入れ参考にしたい」と、息子が通っている小学校の校長先生は熱く語っていました。
    他者に対する不適切な書き込みと感じられましたら削除願います。

    • yurin
    • 2007年 1月 22日

    私が『誹謗中傷に近いコメントは出来るだけ避けて』と書いたのは、『相手に対する最低限の配慮をした上で』というニュアンスで書きました。また私は『自分が辛いのを耐え忍んで、どんな意見でも受け入れる』ことは、受け入れる『器』は人それぞれだと思うので無理のない範囲で、他者のコメントを受け入れ、自分なりの工夫をして、一歩一歩精進していくことが大事と考えています。決して自分を責めず、また甘くなりすぎずに。
    ただ、抱えている問題もそれぞれなので、時に辛辣なコメントもあったほうがいいのかな、とは思います。しかし私は自分の『器』にはあまり自信がないので、迷いましたがあえて、お断りを入れた次第です。
    学校や担任に対する不満は、いまのところ私はありません。というか、娘はやっと私に学校のことなどを話してくれるようになったところなので、まだよく実情が見えてこないのが実感です。今はただ、今まで聞くことができなかった娘の話を、きちんと聞いてあげたいと考えています。
    今日は、息子の主治医と話してきました。そのとき、娘の不登校のことも簡単に話してきました。不登校に至った経緯や現在の様子、忘れ物や無くしものが多いこと、片付けができないことなどを説明すると、主治医いわく『良くあるパターンですね』と。
    娘の問題は全てにおいて、これからだと思っています。

    • yurin
    • 2007年 1月 22日

    『娘の問題はこれから』・・・今日、担任の先生と話してきました。
    担任によると、先生や他の生徒からみた娘の印象は
    ・一対一なら話をするが、集団の中に自分から入ろうとしないで、むしろ遠くから見ているようである→(基本的にひとり』という認識?
    ・クラスメイトが気にかけて話しかけても反応が鈍い、また部活動の仲間外れに関しては、状況に応じた行動ができないことを注意していたのが、次第にエスカレートした可能性はある。
    (他の生徒にしてみたら悪意はないが、本人から見ると仲間外れなどと感じた可能性)→状況が読めない、言葉でそうと説明されないからわからず誤解した?
    なんとなく、娘の問題の一部が見えてきました。『ADHDかも?』という私の予測はそれほど外れてはいないようですが、学校ができることは限られているという現実と、どう向き合っていくかが課題だと思いました。また娘の二次障害も心配ではあります。

    • まーちん
    • 2007年 1月 22日

    ASからの意見?です。
    思えば子供の頃からずっと仲良くなれるのは
    ADHDの人ばかりだったと思います(恋愛も同じく)。
    ADHDの友達は、ちょっと偏屈だったりするけど
    とにかく、気持ちがまっすぐで気持ちがいい、
    信頼できる友達に思います。
    変なお世辞を言うことがないのが、私には嬉しい。
    社交辞令的発言がない、お世辞も言わないから
    客観的に自分を見ることができる
    ある種のバロメーターの役割にもなってくれている気がします。
    たまに見られる妙な行動も、話を良く聞けば
    妙な理屈であっても、筋は通っているので
    私としては、非道徳的なこと以外は、個性として
    受け入れてるように思います。
    (私は同じ行動を取りたいと思わないけれども)

    • Lis
    • 2007年 1月 23日

    先生の分析を読んでいて、子供の頃のネガティブな記憶を、そうだったのか...と思い出します.
    学童期、学業は優秀でボーッともしていなかったのに「周りに取り残される状況」が時々ありました.また「周りに合わせようとした」経験もありました.ただ、私の中でそれは、「母親の支配から逃れる反抗的な努力」だったという認識でしたが.
    中学生になってからはジェンダーの問題に強くひっかかったせいか、「私はなにも分からない」というより、「なぜこの重大な問題を考えようとしないんだ」という風に周りを見るようになりました.この頃から、周りに迎合しない「超然」路線になっていった気がします.
    成人した頃から「私にはない能力」の存在や、自分に「非常に欠落した能力がある」ことに気付き、「天然系」に落ち着いていきました.天然&超然路線は、周りもつきあいやすいみたいです.
    ADHDという概念を知って、欠落への不安がかなり軽減されてます.あきらめですかね.仕方ないと思うし、実害を防ぐための方策を立てる方がいいと思って行動するようにしています.
    子供の頃から、ピンチを切り抜けることと、繰り返しを回避する学習能力はあって、決定的に辛い場面はありませんでしたが、余計な緊張を強いられていた気はします.多くの人が普通にたどり着ける道がなぜか私には見えないので、独自のバイパスを創る能力に長けざるを得なかったというか.使えない動作を代償して目的を遂げる、トリックモーションという概念があるのですが、そんな感じです.
    ASから見たらどう見えるのか? を考えると、非常に落ち込んでしまいます.ASと思われる人を非常に大事に思い、理解して欲しいと願っていますから.
    場当たりで無責任で、判断力がない
    ああはなりたくない人物像であり、0か100か方式では絶対ダメ 
    そうなりますよね...

    • 匿名
    • 2007年 1月 29日

    コメントありがとうございました。
    yurin様
     娘さんご自身に、先生を通してでも、他のみんなの思いを実際に聞いてみる機会を作ってあげるのがベストだと思います。
     また思春期に入って自己評価が下がる状況では、診断をして告知することが必要かもしれませんので、考えてあげてください。
    daisy様
     ADHDは基本的に「一人でいい」というのが出発点だと思います。私は「とにかく周囲にあわせるしかない」と思いこんでいる状態を「ADHDのAC」と呼んでいますが、あなたは中学の段階で厳しい状況の中で、この「AC(アダルトチルドレン)」を乗り切ったとも考えられます。
     これからきっとあなたを理解する親友は出来ます。好きなことを見つけて積極的に生きてみましょう。
    wish様
     ADHDは正面から「分からなければ聞いてみる」という方法が分かりやすくて良いですね。私も同感です。
    まーちん様
     ASとADHDはいろいろな意味でかかわりが深いですね。
    Lis様
     ADHDの「状況認知が出来ない」部分は、「情緒的に振り回されない客観性、公平性」として医療や福祉の分野ではプラスに使えます。
     「ASから見たら」という発想自体がAC的ですね。
    ASの人の中も自分に無い相手の良さを理解できる人も居ます。また感情的に反応しにくいので実際「ADHDしか付き合えない」ということも多いです。
    ADHDのままで、堂々と理解してもらえば良いと思います。ASにもASの優れた点があるように、ADHDの良さもあるわけですから。
    コメントありがとうございました。

    • mario
    • 2007年 1月 29日

    Lisさん
    私の妻も多分ADHDですし、これまで強烈に好きになった相手もADHDだと思います。まーちんさんと同じように、真っ直ぐで信頼できると感じますし、自分の持たない人間性や公平性を感じます。いつも、とても魅力的に感じます。
    > ああはなりたくない人物像であり
    ここは誤解があります。似たような表現をしましたが「私がそうなりたい訳ではない」が正確です。強烈に憧れる反面、私には私の生き方があります。
    > 場当たりで無責任で、判断力がない
    だから手助けしたいと感じる部分があるように思います。これも人間関係の大きな動機になります。助けたいと思う結果、AS的に相手を縛ってしまうようでもありますが…

    • yurin
    • 2007年 1月 29日

    YANBARU先生
    >思春期に入って自己評価が下がる状況では、診断をして告知することが必要かもしれませんので、考えてあげてください
    先週スクールカウンセラーと私との面談で、診断に向けて話をすすめてもらえるようお願いしてきました。娘の場合、学習面に影響が出ているので、カウンセラーさんの話では、診断を受けて、同時に心理テストを受けたほうがいいだろう、という話でした。
    娘の自己評価についてはいまのところ微妙です。ただ私がかつてしたように『とにかく周囲に合わせる』というのではなく『保健室登校という形でとにかく現状を逃れる』という方向に出ているのでこれも、このまま保健室登校でなく、心理テストの結果次第では特別支援教育の枠で本人にあった形態での学習をすすめたほうがいいだろう、というアドバイスも受けてきました。
    その話のなかで診断については、受けられる方向でカウンセラーさんにお願いしてきました。今、診断のための詳しい回答の連絡待ちの状態です。
    診断で本人が救われる部分は大きいと私も思います。原因がわかっただけで『自分が悪いだけでなかった』と思えました。ただ私の場合、それでも『本当はまだ努力が足りないだけではないか』という形での否認や、『普通に対する執着』を取り払う必要がありました。
    『思春期以降は本人が納得することが大事』と私も考えるので、どうやって告知から納得に繋げるのが自然な方法なのかを考えています。

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