ADHD関連

ADHDに「感謝」があるか?

 前回のスレに面白いコメントをいただいたので、考えてみた。

 結論から言えば、「ADHDには多数派と同じ意味での感謝はない」。

 これは我々ADHDが逆に「感謝」を求めないことからも分かる。ADHDはだれかに何か役に立つことをするとき、「感謝」を想定することは(少なくとも私は)ない。役に立てば役に立ったことに意味があるのであって、誰がしたかの問題ではない。

 逆に役に立たなかったのならば「迷惑だった」と言って貰うことを望む。迷惑だったと思いながら、表面上「感謝」することはADHDにとっては著しい不誠実であり、「相手をだます欺瞞」、「自分が上に立って相手を馬鹿にする侮辱」という意味に近い。

 これは「文化の違い」と考えるべきであると私は思う。多数派の世界の「感謝」はあくまでも多数派の同じ文化の範囲内だけで成り立つ一種の約束事であって、多数だからといって人類普遍の原則と言って全ての少数派に押し付けて良い訳ではない。

 「ありがたければ、してもらってうれしければ素直に喜ぶ」。それ以上に何かが必要だろうか?

 ありがたさも感じず、うれしくもない場合に「礼儀だから」と表面上「感謝」することが必要だろうか? 

 相手が本当に役に立ったことを感じているのかどうかにお構いなく、自分が何かをしてやったからといって「感謝」を要求することは当たり前だろうか?

 この答えは文化によって異なる。どの文化が正しいのでもない。大事なことは違う文化を尊重し理解しようとする姿勢であると私は思う。

 私はADHDとして、多数派の文化を理解する努力をしてきた。多数派の文化の中では「感謝」が特殊な重要な働きをしていることは理解している。

 しかしADHDの仲間には感謝について「理解」は薦めるが実践は勧めない。なぜならばADHDはそういう行動をすると自分自身を「不誠実」として責めなければならない結果になるからだ。

 多数派の皆さんには、発達障害にとっての上記のような意味をよく理解して頂きたい。多数派の皆さん自身、上記の表面的な「感謝」はしない反面、徹底的に素直な発達障害の態度に情緒的に救われる思いをすることもあるはずだ。これは発達障害の良いところでもあることについて理解をお願いしたい。


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コメント

    • oda
    • 2007年 8月 19日

    正直な感想を言うと、
    前回いきなり問題を投下した方が多数派であるとは思えません。
    まず、スレッドの内容との内容の関連性を考えず、いきなり具体的な自分の怒りを一般論に置き換え、怒りでないふりをしてヒステリックにぶちまけた様子、
    それに、以前にも投稿しておられるのに、このブログの過去ログやHPをあまり精読しておられない様子、
    質問にたいしてすぐ答えを要求する様子、
    ドクターブログのマークがついている割に、全く幼稚園の子供が親や先生の元に走ってきて一方的に質問するのと同レベルだと思いました(まあとてもお忙しい上にとても切羽つまってらしたのでしょう)。
    最初からこういうことに困っていると具体例をあげて相談する形をとられなかったことが大変不思議です。また、直接相手に文句を言い続けていないのに、メールを勝手に後輩に見せて相談していることも不思議です。
    経験からして、この方が幼馴染である相手に拘泥している様子は、何らかの非定型の要因が御自身にあるのだろうと思います。
    自分は、多数派とは、家族でもないいらつく相手は、もっと柔軟にスルーして次第に距離をおいてかかわらないか、そういう人間だとあきらめて受け入れ、自分が壊れない程度におおらかに付き合うか、どちらかができる人のことをさすんだろうと思っています。
    自分はたぶんADHDです。こういうわかりにくい怒りの質問の仕方を自分にしてくる人を、「胸に手をあてて考えてみろ式」と勝手に分類しています。こういう人が一般論を振りかざす怒りかたをした場合、謝ってもありがとうといってももう手遅れです。言われたから謝るのか、とか心がこもってない、とかさらに怒り続けるだけです。

    • 匿名
    • 2007年 8月 20日

    はじめまして。
    私の夫(たぶんADHDジャイアン)は、私に感謝の念を自分に対して表すように強く要求します。
    ふだんの生活の中で夫婦であれば、わざわざ言わなくてもいいでしょうという場面にまで、はっきりと感謝の言葉をかけられたり、感謝の印として物をもらうことを要求します。
    たとえば、
    「俺は、お前が仕事に出かけるときに、うちにいれば、必ずいってらっしゃいと見送るようにしている。感謝しろ」
    「隣のおじさんに、こないだ愛想、言っといたから、近所づきあいがうまくいくんだ感謝しろ」という感じです。
    私はといえば、見送りたくなければ、見送らなくてもいいし、見送ってもらえば、嬉しいけれど、じゃ、行ってくるね。という感じ。
    近所のおじさんに、会えば挨拶するのは、ごく自然にすることでわざわざ取り立てて言う話でもなし と思います。
    そして、1ヶ月に1回くらい1週間くらいにわたって発作といいますか、「俺に対して感謝の念がたりない!」
    といって切れます。私や他の家族をあしざまにののしって、お前たちが、俺を尊重しないから、俺は苦労している。
    仕事に、やる気が出ないのも、お前らの態度のせいだ。ということになります。
    夫は、うちではソファに横になったまま、自分の好きなことしかしない。いわゆる亭主関白。家族にいい意味でおそれられ、十分に尊重されていると思うのですが。
    ADHDの夫は、感謝の態度というのが読み取れないから、言葉やものを要求するのかなとも思います。
    逆に、夫が私に感謝している言うときは、歯の浮くような言葉であったり、高価なもの(必ずしも私がほしものではい)だったりします。
    ADHDの感謝というのは、こういうときにはこういうふうに感謝しなければいけない。という マニュアル上のものであって、自然に湧き出るものではないんでしょうか。

    • マダコ
    • 2007年 8月 20日

    なるほど。そういうことでしたか……。多数派との温度差みたいなものがあるのですね。
    ADHDとか多数派とかにかかわらず、やはり何事も「いかに自分でいられるか」ということのような気がします。「自分でいること」を否定されたためにいろいろなコトが起こっているし、自分も苦しんできたのですから……。
    YANBARU先生のコメント「表面的な『感謝』はしない反面、徹底的に素直な発達障害の態度に情緒的に救われる思いをすることもあるはずだ」は、うれしい言葉です。とっても意味のある言葉です。私も救われる気がします。
    「自分」でいることは、まだまだ弱い私には難しい。でも、強くならなければと思います。

    • いずみん
    • 2007年 8月 20日

    こんにちは。
    昨日は主に小鹿さんへのコメントでしたので、今回は自分の体験、思うところについて記します。
    「何に対して」感謝の念を持つべきか、という点について、多数派の人々と自分は異なっているように思います。
    「行動」に対して感謝の念を抱き、さらに相手にわかるように表すのは苦手です。とくに「してくれた」その行動が別に嬉しくもないことだったりしたら。
    しかし、「存在」に対しては感謝の念を常に抱いています。家族や重要な友人など、自分にとって欠くべからざる人々については、その人が何かしてくれたから、でなく、わたしを理解し尊重してくれるその人の「存在」に感謝しているのです。
    したがって、そのような相手には、相手の行動に関係なく、思い立ったときに感謝の念を表します(たとえば、街中で弟に似合う服を見かけたら誕生日なんかじゃなくても買って送ったりとか)。
    なお、自分は誰かに感謝してもらいたいと思ったことはありません。評価されたいとはよく思いますが。
    現在育休中なので日中家で育児と家事を行いますが、多くのお母さんが言う「夫からねぎらいの言葉が欲しい」とは思いません。ねぎらわなくていいから、空いている時間でわたしのサポートをしてくれればそれでいいです。夫(AS傾向あり?)も、「ねぎらいの言葉」などをひねりだすより具体的にやってほしいことを指示されるほうがラクなようなので、我が家はうまく行っています。

    • あおがえる
    • 2007年 8月 20日

    僕も感謝を感じ無い方です。
    人に対しても求めません。
    思い立った時に感謝の気持ちを表現します。
    多数派の方々には理解されにくいですね。
    ”きれい過ぎて自分が醜く見える”と言われる事があります。
    ”生活感無いね”とも。
    友達として欲しい存在ではないようです。

    • naffy
    • 2007年 8月 20日

    多数派って、器用に「格付け」しながら人付き合いしているように思えてなりません。
    気が合う・合わないという基準の他にも、自分と比べて裕福度・学歴職歴・人間的魅力などの
    優劣の度合いを見て判断し、相手に一目置いたり、逆に侮ったり。
    付き合ってメリットのある人物とそうでない人物とで付き合い方を変えることを、多数派は当たり前にやってますよね。
    幼いうちから、人間関係をよく観察して、仲間内での自分の立ち位置(A子には負けてるけどB子よりは上、みたいな)
    を把握して行動できたのが多数派なんでしょうね。
    ADHDの中にもそういうスキルがある人もいるのかもしれないけれど、私の子供時代を振り返ると、
    もし自分に「格付け」発想があったら、友達はいるのにグループ決めで毎回あぶれるってことはなかったかもなー…
    多数派から格付けされている場合、格付けの基準にADHDが不得手な対人スキル・時間感覚・物忘れその他云々も
    含まれるでしょうから、ADHDの人は、ただADHDであるというだけで、最初から低く格付けされる要因を持っているんです。

    • naffy
    • 2007年 8月 20日

    続きです。
    前置きが長くなりました。ここから「感謝」に関連したレスになりますが、
    私が思うに、多数派は、自分が下に格付けした相手が自分と対等に振舞うのが不愉快なんでしょう。
    対等な気持ちで接しているだけで「傲慢、態度でかい、見下している」と反応してくるように思います。
    いわゆる「○び太のくせに」ってやつです。
    感謝されないことで憤慨する、というのも多分、相手を格下に見ているからこその感情でしょう。
    私に感謝という概念があるか…?
    今の自分にはあると思いますし、多数派がどういう時に感謝するかも大体わかります。
    正直うれしくない親切にも「(自分のために動いてくれた気持ちが)有難い」と心から思います。
    ただ子供時代はどうだったか考えてみると、あったかどうか自信がありません。
    特に父親が横暴で「ありがとう」を言わないことが許される環境ではなかったので、
    言っていたとは思うんですが、手放しで感謝できた経験を思い出せません。
    欲しい物と、実際に与えられた物は、ほとんど毎回微妙~結構ずれたものばかりで、
    よく条件を付けては取り上げられたりしたような。私の場合生育環境にも問題ありでしょうね。
    面と向かっては言えず、内心ケチをつけていたことは覚えています。

    • red sappire
    • 2007年 8月 21日

    『感謝』というのは、「『ありがとう』と言葉で言う」ことだけではないと思います。
    「嬉しい気持ちになる」「温かい気持ちになる」「自分もそんなことを他人にしてあげたいと思う」こんな心を持つことだと思うのです。
    そして、「ありがとう」と言葉で意思表示をした場合、言われた相手は悪い気はしません。自分は役に立ったのだと嬉しく思い、また何かしてあげたいと思う。そのやりとりが、人間関係をスムーズにするのではないかと思います。
    多数派の私は、ADHDの息子の味方です。
    世の中の無理解な人とぶつかった時、「文化の違いと思ってほしい」と何度かお話したことがあります。
    日本人のように愛想笑いができない、まわりくどい言い回しができない、お世辞を言えない。
    じゃあ外国で暮らせばOKなのかというと、そうは思えません。
    だって、外国のADHDの方も同じようにコミュニケーションで悩んでいるのですから。
    「徹底的に素直な発達障害の態度に情緒的に救われる思いをすることもあるはず」とのことですが、私はまだそのような経験がないので、将来息子に親孝行してもらえる日を楽しみに待ちたいと思います。

    • hikari
    • 2007年 8月 21日

    redsappire様
    単純にお聞きしたいのですが、将来、『親孝行』をしてもらいたいとのことですが、どんなことが、多数派の親御さんにとっての『親孝行』なのでしょうか?

    • red sappire
    • 2007年 8月 21日

    hikari様
    将来親孝行をしてもらいたいとは言っていませんし、具体的に何かをしてもらおうなんて期待したことはありません。
    やんばる先生が、救われる思いをするとおっしゃったので、どんなふうに息子に感謝する日がやってくるのか楽しみだと思った限りです。
    『親孝行』の意味でしたら、辞書に書いてある通りだと思います。

    • hikari
    • 2007年 8月 21日

    red sappire様
    回答ありがとうぎざいました。
    この解説が無いと、親孝行を期待しているように読めてしまいました。

    • Coo
    • 2007年 8月 21日

    はじめまして!私はAdhdのAc、たぶん弟は軽い学習障害があり、母も私を診察した医師から発達障害を持っていたのではと指摘された家庭内環境で育ちました。弟はいま30を過ぎましたが自分を守るためか一度も!謝ることも感謝の言葉も家族に言ったことがありません。それを強要すると暴れます(小さな頃からです)私はというと、家族外では使いますが家族の中では心で思っていてもやはり言えません。
    あるとき母に私がスカーフをあげたとき、母は子供が自分への感謝の気持ちを現してくれたと私のいない所で喜んでいたようですが、私はただ母に似合うと思い買っただけで母の思う意図とはずれていたようです(もちろん母を好きでしたが)
    というわけでこのような家族みんなが発達障害の家庭では親孝行は心のなかでだけ!母の思い込みで母自身はそうされたと喜ぶという世にも不思議な出来事がおこります。
    もう母は亡くなりましたが多数派の人だったらきっとお母さんの喜ぶことを沢山言ったりプレゼントして喜ばせることも上手なのかな・・と。子供がAdhdだとあまり親孝行は期待できないかもしれませんね(多数派のお母さんすみません)

    • あひる
    • 2007年 8月 21日

    横レスです。
    >将来息子に親孝行してもらえる日を楽しみに待ちたいと思います。
    「してもらえる日」と書いてあるので誤解をされても仕方がないと思いますよ。
    私も「?」と思いました。
    書いてあるままにしか読めないです。
    >具体的に何かをしてもらおうなんて期待したことはありません。
    そうですね
    一緒に生活していて息子さんのほうがどうのこうのするというのではなく
    あなた自身が気づくということなのだと思います。
    (偉そうに...と言われそうですが)
    私も娘もジャイアンなので
    私はジャイアンの親の立場もなんとなく分かります。
    同じ失敗を繰り返す娘のことも痛いほど分かります。
    それでも辛いときに娘の天真爛漫さに救われたりします。
    「親孝行」とは思わなかったけど多数派の言うところの「親孝行」なのかなぁ...考えてみます。

    • red sappire
    • 2007年 8月 22日

    1年ちょっと、ここでやんばる先生のお話やいろいろな意見をくまなく拝見し、また私も少し意見をさせていただきましたが、正直なところ「多数派を攻撃する場所」という気がしてなりません。
    もちろんやんばる先生のおっしゃることはとても参考にさせていただいております。
    コメントを見る限りでは、多数派と上手くやっていこうというより、多数派が合わせてくれないからいけないという意見の方が多いように思います。
    少しでも発達障害のことを理解しようと日々努力している身としては、悲しくなります。
    多少柔軟性がないことは理解していますが、ここで意見を述べると、揚げ足をとられてしまうのは必至という感じで、非常に参加しづらい状況です。
    マイナスに捉えず、私たち多数派の意見を上から目線ではないと信じてください。
    少数派の方々同士で、多数派のことを想像で話を繰り広げるより、直接意見を聞いたほうが早いと思いませんか?
    そんな単純な気持ちでお話に加わっているだけです。
    その上で、私もここで少数派の方々の貴重な意見をいただいています。
    『親孝行』の件も、ちょっとしたユーモアです。
    俗に、「親孝行は3歳までに終わっている」と言います。
    かわいい盛りは3歳までで、それまでに親は子どもに幸せにをもらった、という意味です。
    具体的に子どもに家を建ててもらおう、子どもに何をしてもらおうなんて考える人は、現実には皆無だと思います。
    自分が親孝行したいなら、それは個人で考えることであって、十人十色、他人にコレをやるべきだなんて言う物ではないのです。
    「多数派はこんなことやあんなことを考えていて、めんどくさいなぁ」と否定的に思っていては、共存できないと思います。
    その代わり、私たち多数派も、できることはやるべきであって、そのために努力している人がいることを心の隅においておいて下さい。
    (念のため書きますが、感謝して欲しいという意味ではありません)
    <管理人注記>
    このコメントは本来削除するべきですが、「発達障害への無理解の態度」としてあえて残します。説明は下記のコメントと別スレッドを見てください。

    • oda
    • 2007年 8月 22日

    red sappire様
    やんばる先生のHPをもう一度ご確認いただけませんでしょうか。
    ADHDは 「文字通りに」しか文章理解ができないでいるのです。
        「ちょっとしたユーモア」が理解できないでいるのです。
    結果「揚げ足取りをする」と取られ続け混乱しているのです。
    よき理解者たらんとする方々が、理解する<べき>というしばりに潰されないよう願います。

    • naffy
    • 2007年 8月 22日

    前のレスで書き忘れました。
    2人の子供のうち一人(小3)も自己診断のADHDですが、親切や物をもらったことに対して「ありがとう」は言えますが、注意されたり、他者に迷惑をかけて謝るべき場面で言葉が出てきません。
    「こういう時なんて言うの?」と促しても要領を得ないような困った顔で、
    放っておくと10分でも20分でも黙ったまま、たまりかねて
    「何でごめんなさいも言えないの?!」と怒ると、はっとしたように謝ります。
    謝りたくない、と意地を張っている風でもなく、本当になんと言えばいいのかわからないで困っているうちに、意識がどこかへ飛んで現実逃避しているような感じです。
    しまった!予想外の事態に頭が真っ白→「どうしよう?」の文字が脳内でループ
    →周りの状況が見えない(視界に入っても脳内で情報が処理されない)
    という状態か、あるいは必死で責任転換の方法を考えているのかもしれません。
    些細な失敗(軽く人とぶつかった程度)だと「あ、ごめんなさい」と言えるんですが。
    ADHDはただでさえ物忘れやうっかりミスが多く、謝る機会が多いのにこれではまずいので
    「悪気がなくても失敗しちゃったり、しまった、と思ったらすぐ謝るんだよ」
    と何十回も繰り返し教えているのに、全く身につかないので困ります。

    • naffy
    • 2007年 8月 22日

    red sappireさん、初めまして。自己診断ADHDのnaffyといいます。
    多数派さんに、建前ではなく本音を聞かせていただけたら嬉しいです。
    私が20日にレスした「多数派は人付き合いにおいて格付けしているんではないか?」
    これは当たっているでしょうか?仮に格付けしているとして、多数派の人は息をするように自然に無意識にやっていると思います。だって意識してやっていたら、私なら「なんていやらしい」と自己嫌悪に陥るだろうから。
    「格付け」という言葉は語弊があるかもしれませんが、自分にとっての相手の重要度を瞬間的に見極めて動く、的な意味です。
    比較的最近思いついたんですが、人間関係=目に見えない格付けによる上下関係、と考えるといろんな事象が腑に落ちるんですよ。嫉妬から平気で他人を陥れるための嘘をつく人達、3人グループは大抵平等に仲良くできずに2:1に分かれてしまう、状況が変わると昨日まで仲良くしていた相手と口も利かない、ボスママが仕切る公園ママ集団の存在、空気が読めない人は敬遠され、根回し、長いものに巻かれろが主流の世の中、など。

    • red sappire
    • 2007年 8月 22日

    naffy様
    初めまして。
    なるべくここでは本音をかみ砕いて書くように努めていますが、それでもわかりにくかったらすみません。
    『格付け』の件ですが、多少意味合いは違うかもしれませんが、それに似たことは自然にやっていると思います。
    「他人の格付け」というより、「自分のポジションを知る」と言ったほうが正しいかもしれません。
    それは、動物の本能のようなもので、あの人がボスでいればこの集団はまとまる。この人が雑用をしてくれるからみんなが助かる、といった感じです。
    時にはそれは残酷なまでの上下関係を産むかもしれません。
    そして、それを人付き合いに応用する際に、個人の人間性が表れると思います。
    楽をして上手く立ち回ろうと思えば、おべっかを使って強い人にくっつくだろうし、陰で支えてくれる信頼できる友を得る人もいます。
    もちろん多数派の中にも、一匹狼として生きていく人がいます。
    多数派の中にも世渡りが上手くない人がいますが、それで困ったことがなければ何も問題ないのです。
    多数派にしろ少数派にしろ、コミュニケーションで行き詰まったと自覚した時点で、できる範囲で自分を変える努力をすべきだと考えます。
    信頼できる多数派の友がいれば、いろいろな場面で簡単に答を得ることができることも多いと思います。
    どうか難しく考えずに、疑問に思ったら質問してみて下さい。

    • 33000
    • 2007年 8月 23日

    「ADHDに感謝の気持ちはあるか」という点に戻ってコメントいたします。
    私もADHD(自己診断;10代の頃はジャイアン→その後合理的なADHDになったと思います)ですが、基本的に常に何に対しても感謝の気持ちは持っています。
    お礼として形で表すことも日常的に行います。多数派社会のルールと捉えているので、「青信号になったら進む、赤で止まる」と同じレベルで、ものをもらったり色んな形でお世話になった方には自動的にお礼を送ったり感謝の意を伝えたりします。
    ただ、基本的に、情緒ではなく理にかなっているか、が基準となっていますので、過剰な反応はしない、というだけです。
    労力はかかったけど成果を生まない、という状況では、努力は認めますが「要領悪いなぁ」とか「成果が期待できなければするだけ無駄」とか思います。
    自分が誰かを助けたり、自分から何かを人にあげるときも同じです。
    何らかの“問題”を解決するための“合理的”な方法を自分が提供できるのであれば、助力を惜しみません。だからと言って見返りを求めもしません。なぜなら、自分の中ではものごとが“合理的”に終了しているからです。
    これは、ものごとを連続して捉えることをしないということにも関係していると思います。
    「困った→助けてもらった(助けた)→感謝する→お礼する」の一連の流れが終わればハイ、オシマイ、という感じで忘れてしまいます。
    言葉に関しては、odaさんの仰る通り、ADHDは言葉を“文字通り”にしか捉えられないため、私もよく揚げ足取りと言われました。

    • 匿名
    • 2007年 8月 23日

    oda様
     御指摘の件は正に説明不足で申し訳ありません。また前回の書き込みも覚えて頂いてて恐縮です。あまり詳細を説明すると共通の知人がこのブログを見た時、だれの事を書いてるのか分かってしまい、書き方を迷ってます。
    少しだけ書いてみます。友達から依頼されて手伝い始めた同窓会ですが、友達自身は細かい気配りや新たな企画を考え出したり、自分で決断出来ず先読みも出来ないため、ほとんどの段取りを私が手配しました。他の幹事が喜んでくれてるのに比し、友達の反応は薄かった印象です。
    そして会直前に突然誤解され、私を非難、罵倒し猛攻撃で人を傷付けるには十分過ぎるひどい文面のメールが届きました。しかしその2日後ケロッと「全て勘違いでした」とのメール。こちらは「はい、そうですか。」と流せない。
    それまでの経緯も考えて、感謝してくれてるならこんな誤解するはずがない、と思うのに何故?あるいは信頼してくれてたなら「まさかそんなはずはない。何か理由があるはず。」と何故思ってくれないのか?
    全ての私の努力を裏切られた気分で大変なショックで、精神的に参ってしまい、後輩の精神科医に私自身がカウンセリング受けながら詳細を相談しました。その折にあのブログを読んで、自分がADHDであれば聞き流せるのだろうか?と羨ましく感じ、唐突な書き込みをしてしまいました。会は欠席しました。
     良い事を教えてもらいました。支援センターの方からは、絶対に見放さないよう言われましたが、これからは「柔軟にスルーしてもう関わらない」ことにします。

    • 匿名
    • 2007年 8月 23日

    続きです。
    いずみん様
     御丁寧な解説ありがとうございました。他の方々のコメントも読み合わせて、”社交辞令”をしないのであれば私の友達はメールに「思いがけず、嬉しかった」と書いてきてたので、私の押し付けではなく、間違いなく喜んでくれてたと思います。
    お礼を言って欲しいのではありませんが、「お礼を言うことが大事な習慣であることを知らない」が一番近い気がします。さらなる疑問は嬉しいならなぜいちいち悪態つくのか?
    またあるがさんの旦那様と同じで、人には礼、侘びをものすごく要求するんです。
    「衝動性」のためかもしれません。たぶん自分でその悪態を口に出すことをコントロールできない。社会に出て、これでずいぶん損して苦労してるようです。
    「文字通りにしか捉えられない」で、何故友達があの様なとんでもない誤解をしたのか解ってきました。本当に文字しか見てなかったのでしょう。準備期間の経過は大変長く、その前後の時間的流れや、事由の空間的流れ全てを包括して判断出来ない。あんなに頭の良い優秀な人なのに。
    このブログ上での書き込みは直接会話を交わすことがなくニュアンスが伝わりにくいため、友達と私の様にとんでもない誤解を生じる危険性があり、とても怖い、と思いました。

    • oda
    • 2007年 8月 23日

    red sappire様
    >信頼できる多数派の友がいれば、いろいろな場面で簡単に
    >答を得ることができることも多いと思います。
    >どうか難しく考えずに、疑問に思ったら質問してみて下さい。
    これは、red sappireさんの前のコメントと矛盾していると思います。
    このブログにおいてさえ、
    理解者を標榜するred sappireさんにおいてさえ、
    意図をよく確認しようとする質問を、
    多数派を「攻撃する」と受け取り、
    全て「否定的に思われ」ると受け取り、
    「揚げ足をとられること必至」と受け取っていたわけです。
    多数派への質問はますます難しくなりました。
    こういう矛盾が平気なのが多数派ということは日々身にしみて分かっています。また、これがまた揚げ足取りといわれ、強弁といわれるだろうことも分かっています。

    • naffy
    • 2007年 8月 23日

    red sappire さん、お返事ありがとうございます。
    >「他人の格付け」というより、「自分のポジションを知る」と言ったほうが正しいかもしれません。
    なるほど、そう言い替えたほうが違和感ないかもしれません。
    でも格付け→能動的、ポジションを知る→受動的な捉え方というだけで、
    やはり周囲の人々を(言い方は悪いけど)品定めしていることには違いないですよね。
    > それは、動物の本能のようなもので、あの人がボスでいればこの集団はまとまる。この人が雑用をしてくれるからみんなが助かる、といった感じです。
    > 時にはそれは残酷なまでの上下関係を産むかもしれません。
    ポジションを理解していたら、人付き合いは今よりずっと楽だったろうと思います。
    私は過去、集団の中にいる時、自分のポジションについて全く意識しておらず
    (場のボスが誰かは大体わかる)、漫然と周囲の行動にあわせていくうちに、
    気が付いたら場での位置付けが低くなっているのを肌で感じ、傷つくと同時に
    嫌になって離れてしまうという経験を何度かしました。
    誰も好き好んで最下位のポジションに甘んじたくないでしょうから、行動もシビアになりますよね。

    • naffy
    • 2007年 8月 23日

    続き
    人と関わる際、相手にとって自分がどんな位置づけか(自分にとって相手がどんな位置づけか)
    という意識が私に欠落していたと気付いたので、今後はポジションを知る努力をしたいです。
    意識しないと出来ないところがつらいですね。
    ADHDだから他人に興味がもてないタイプなんだと思っていましたが、突き詰めて考えてると、
    ポジションを見極めるのが億劫で深い付き合いを放棄する羽目になった部分もあるかも。
    相手の劣っている所と優れている所を「これはこれ、それはそれ」で評価するので、
    総括して人ひとりの優劣を付けるまで至らないというか。
    それに、誰かを自分より劣る存在と認識するのは下卑た行為だと思いますし…。
    > そして、それを人付き合いに応用する際に、個人の人間性が表れると思います。
    相手に(この人は侮っても大丈夫)と思わせないよう、自分を磨く努力も必要だと感じました。
    > 多数派にしろ少数派にしろ、コミュニケーションで行き詰まったと自覚した時点で、できる範囲で自分を変える努力をすべきだと考えます。
    私は、自分のADHDゆえの多数派との「ズレ」を、なんとか努力で埋められる所は埋めて
    目立たなくしたいと思っています。
    red sappireさんのレスから気付きが得られてよかったです。
    今後も多数派としての意見を聞かせてください。
    スレ違いの質問にお答えくださり、ありがとうございました。

    • red sappire
    • 2007年 8月 23日

    oda様
    申し訳ありませんが、おっしゃっていることがわからなくなってきました。
    返事のしようがないのと、少なくともoda様に不愉快な思いをさせてしまったようなので、もうコメントはこれで控えさせていただきます。
    naffy様
    いえいえ、こちらこそ私のつたない文章からいろんなことを汲み取っていただき恐縮です。
    ご自身でそこまで気づき、行動してこられるまでには大変な努力が必要だったと思い、頭が下がります。
    必要以上に自分を変える必要はないと思いますが、私たち多数派も、日々社会に揉まれ、時には傷つき、変化しながら生きています。
    自分らしさを失わずに生きていくのは、今の世の中なかなかできることではないと痛感しています。
    身近によいお友達がいてくれて、素直な心を持ってさえいれば、きっといい未来が待っていると信じています。
    お互いがんばりましょう☆

    • 匿名
    • 2007年 8月 24日

    red sappire様
     上記の2007.08.22 00:22のコメントに対しては責任者としてお答えしておく必要があると思いました。
     まず発達障害に携わる専門医として、あなたが「多数派」を名乗ることに大きな疑問を感じます。ここの方々があなたを多数派と見なすことはむしろ誤解となる可能性が高いと考えるので。
     ひとつスレッドを立てましたのでよくお読みになってください。あなたはADHDのご家族ということですが、残念ながら発達障害を理解しようとする態度が不足していると思います。その理由は、もしもそういう姿勢があれば、上記のコメントのいくつかの表現が出来ないはずだからです。
     本来ならば削除するべきですが、あえて「発達障害に対する無理解の態度の見本」としてこのコメントを残し、ここに注釈をつけておこうと思います。
     もしも今後私のブログにコメントされる場合はよく表現に注意されてください。 

    • まーちんAS
    • 2007年 8月 24日

    感謝とはちがうのですが
    naffyさんのコメントを見て思い出しました。
    感謝することのテーマの話と、少し共通点があるかも?と思ったので投稿します。
    私は、謝るのが非常に不得意のようです。
    (きちんと自覚できていません)
    たまに謝罪を要求されたり、相手の逆鱗に触れたりします。
    謝りたい気持ちになった時はきちんと謝ります。
    しかし、”一般的に謝罪が必要な場合”が、わからないことがあるらしい(過去の経験から、そこには気づきました)。
    多分、私の周りの理解ある多数派の方はスルーしてくれてる
    と思うんですが、ADHDかな?と感じられるタイプの人には
    <なぜ謝らないの?謝ってよ!!!>と強要されて
    私は<なぜ謝らなきゃいけないの?>と口走ってしまうので、
    喧嘩になります(“–)
    自分に非が感じられない場合は謝りたくないので、謝りません。
    わたしはおかしいですか?????(ー’`ー;)
    もう一つ。謝罪について変だなと思った経験。
    子供の頃に窓ガラスを割ってしまった時に、
    <<どうして割ったんだ>>と叱られた時に
    <こうこうこういうわけで割りました>と説明したら、
    <<なんで言いワケをする! どうして謝らない!!>>>
    と、こっぴどく叱られました。
    何度かこの経験もあります(TT)
    “どうして?”が、魔のキーワードらしい、と最近気づきましたが。
    私、自分では対人トラブルは少ない気がするのですが、
    謝ることに関してはうまくできない。
    対人関係をうまくやっていきたいけど、
    でも、やっぱり謝りたい時にしか謝りたくないなぁ?とか・・
    軽く悩んでます。

    • oda
    • 2007年 8月 24日

    red sappire様
    やんばる先生のコメントが及び新しいスレッドが表示される前、昨日の8時の時点で、「信頼できる多数派の友」に、このスレと前スレを読んでもらいました。
    相手は、ADHDについてなにも知りません。自分のようになんだかわからないうちに対人的に失敗しやすいタイプとだけ説明しておきました。自分がどのコメントを書いたかも教えていません。
    red sappireさんが息子が感謝しているかどうかと思うことについて
    「子供にそんな共感、心からの感謝があるかどうかなんて普通考えないんじゃない?ムリでしょ。まあ、中にはそういう人もいるんじゃない?普通とは思わないけど」
    「育てにくい子供を育ててくれてありがたいと思えっていう意味じゃないって書いてあるけど、それ以外に受け取りようがない。でも本人は自分の立ち居地を守るためにそうじゃないって言うだろうし、ぜったい認めないだろうね。」
    ADHDのよき理解者として参加していることについて
    相手「自分の意見は絶対的に正しくて、それを教えにきてやってるのに、言うこと聞かないって言ってるだけみたい。上から目線で、半人前に対して教えてやってるんだから、だまって受け入れろっていうことだよね。対等な相手とみなしてないよ。自分にたいする加害者でありかつ否保護が必要な未人間って感じかな。教えるっていうのは上下関係を生むから、対等なら相当気配りが必要なはず」
    「親切からっていうポジションは絶対手放さないだろうね。それは当たり前。そういう立ち居地を守るもんなんだよ」
    「歩み寄りを説いてるけど、この人自身は歩み寄りの余地がなさそうだ。」
    「この流れで『感謝しろって意味ではない』ってわざわざ書くこと自体、この人感謝を要求してると自分は思うよ」
    「なにを言われても絶対理解者であるという立場は崩さないだろうね。」

    • oda
    • 2007年 8月 24日

    続き
    最後に
    相手「なんでここのADHDとかって人達は、こんなにまともに説明を繰り返そうとしているの?」
    自分「だってここお互いにそういうことを言い合う自己啓発の場だし。」
    相手「だって絶対的に正しいって強弁してる人がいる間はそんなのムリでしょ。自分だったらさっさと逃げ出す。」
    自分「だってこの人一年もここで一緒にがんばってきたっていうし、息子さんは仲間だっていうし。」
    相手「あんたが心配することじゃないでしょ。」
    自分「それに実生活で理解者として行動したり発言したりするんだろうし、、周りに影響するだろうし。」
    相手「この人はなに言っても、聞く耳が今はないんだよ。第一しもじもの者とみなしてる相手のいうことなんて」
    自分「こういう人ほど、そのときは聞かなくても、突然『私は自分の努力の結果全く別の結論に達した』っていって、ころっと意見された方向に変わったりするし」
    相手「そうかもしれないしそうでないかもしれないし、とにかくあんたには『直接』関係ない将来の話でしょ。」
    「なんでここの人たちが、こんなに一所懸命係わり合いになるのか全然理解できない。この人がえらそうにする強弁より、そっちの方がすごく不思議。お人よしというかバカ正直というか。」

    • oda
    • 2007年 8月 24日

    HIKARIさんの新規のコメントで、
    音符くらいわかりますよ、という意味がわからなかったのと、 red sappireさんのブログがあるらしいということがわかったので、探してみました。すぐ見つかりました。
    愕然としました。つけられているコメントにもさらに愕然としました。読まなければ良かった。

    • m,y
    • 2007年 8月 24日

    先生には大変お世話になりありがとうございます。
    いつも参考にさせて頂きながら日々の生活を送っています。
    私自身、人との会話で相手の言いたい事を理解出来ません。先生にメールを送らさせて頂いてはじめて気付きました。いくら多数派の人と話しても、相手にも通じないため疎遠されてしまいます。以前に病院に行きましたが、そこでは性格の問題だから来てもどうにも出来ないと言われましたが、その先生は一方的に話され、私は一言も診察の間はなす事が出来ませんでした。
    言語療法では短期記憶障害があり、IQもかなり低かったようです。文字として残っている事に関しては自分なりの解釈ですが、理解するようにしていますが、読み進んでいるうちに頭の中に残っていない事が殆んどです。
    この文章も意味不明になっているのかも知れませんが、現実の生活の中では生活しにくいです。

    • hikari
    • 2007年 8月 24日

    odaさんへ
    昨日は流石に、「なんとかしなくちゃ!」と思って起承転結方式で4つ、投稿しました。
    皆さんにも解ってもらえたかと思いますが、それぞれのスレッドに書く意味があったのです。
    1、ジャイアンの状況理解
    2、ほめられた時の反応
    3、内と外の構造
    4、ジャイアンの教育ママ
    ただ、3に関してはちょっとオマケ付きなんだけどね。
    red sappireさんが私の意図を理解してくれたかは、疑問だけど。
    彼女のブログは、やっぱり読まない方が良い。体調を崩す人もいると思うから。

    • oda
    • 2007年 8月 24日

    red sappireさんのブログをコメントまで全部拝読しました。
    前に
    >「煮詰まっているように見える」「爆発寸前の印象」
    こういう言葉は、たったこれだけのコメントのやりとりから書くべきではないと思いますよ。
    >勝手な推測とおっしゃる通り、申し訳ないですが、状況はハズレです。
    と言われましたが、
    大当たりだったことを確認しました(あくまで自分の受け取りです)。
    >同じADHD被害者に無条件に共感してもらい、自分自身を認めてもらうことではないでしょうか。
    に対しても、そっくりそのままブログで実践されているのが現況ではありませんか。
    何故「人を責める」と受け取られ、嘘をついてまで、否定されなければいけないのか考えました。
    息子さんとADHD全員を同一視した上で、息子さんの代理として怒られたように思いました。
    自分が多数派であると言っていれば受け入れてもらえたのかもしれないと思いました。
    人に迷惑をかけまくり謙虚さは丸きりないはずのADHDが、理路整然と意見を述べたり多数派に意見(ブログでは『論破を試みる』)したりするなど言語道断と感じられるのも良くわかりました。
    ブログから引用します。
    >>必死で戦ってるのに、他人はわかってくれず、張本人は涼しい顔・・・やりきれません。そういったことに耐えられるようになったら、発達障害児の親として100点なんでしょうね(笑)
    >>「自分の子」は一生切れないから、愛情があるからこそ苦しいんですよね・・・
    やはり<べき>に縛られないように願いますとしか言えませんが、やはり今当事者には言われたくないでしょうね。

    • oda
    • 2007年 8月 24日

    red sappire様
    先ほどいっしょに書こうかどうしようか迷いましたが、、
    ブログは個人的な日記ではありますが、読者が多かろうが少なかろうがweb上に公開されているわけですから、子どもと接する仕事をされている社会人として、下記の記述を、だれもが読めるようにしておくのは、どうかと思います。あくまで自分だけの感想です。
    例えば親が虐待して、子供がどうにかなってしまってその被害者のHPなら、親を悪く言う立場になっても仕方ないと思うんですけど、私たちのような、必死でがんばってる親にも矛先が向かうとしたら、そんな悲しいことはないですよね・・・
    変な話、逆に生活保護を受けるほどの家庭なら病院にかかることもなく、ジタバタすることもないのでしょうね。

    • こらしょ
    • 2007年 8月 27日

    red sappire さんのブログに誹謗中傷のコメントをいれていらっしゃるひとがいたら、今すぐやめてくださるようにお願いします。それは無意味だと思います。

    • ppp
    • 2007年 8月 29日

    例のお方は多数派ではないですね。きっと能力が高くて努力の末多数派的に振る舞うことができるようになったので、努力できない人を努力をさぼっている人と捉えて攻撃してしまうんでしょう。本当の多数派はもっと「まとも」な人です(敢えて「」を付けて、まともと断定するニュアンスを消してる意は汲んでください)。自分の子供やここのスレッドに人達にああいうことは言いません。odaさんの分かり易すぎる書き込みが図星だったのか思考停止になってしまったようですし。本当の多数派がここにわざわざ来て書き込みをするとは思えません。誰かが多数派の親友に読ませて、そのコメントを書き写すのがせいぜいだと思います。
    それにしてもあのお方のブログを読むと、発達障害の方は何らかの治療が必要だと言うことはしみじみ感じますね。ついつい自分も多数派だと思いたい欲求が頭をもたげることがありますが、易きに流れず精進していきたいものです。

    • やう。(ADHD風味)
    • 2007年 8月 31日

    多数派も、少数派も、相手を勝手に決め付けても
    何も生まれないと思います。
    (何か生まれると思うなら教えてください)
    ブログをさらして批判しても無意味だと私は思います。
    何のためにしているのですか?

    • hikari
    • 2007年 9月 01日

    やう(ADHD風味)様
    >多数派も、少数派も、相手を勝手に決め付けても何も生まれないとおもいます。
    同感です。
    >ブログをさらして批判しても無意味だと思います。
    何のためにしているのですか?
    彼女は、こちらでは「マイナスに捉えず、私たち多数派の意見を上から目線ではないと信じてください。少数派同士で、多数派のことを想像で話を繰り広げるより、直接意見を聞いたほうが早いと思いませんか?」とコメントしてます。
                  (8.22.00:22より)
    上から目線ではないという信じてください、と書いてる割に彼女のブログでは「音譜の読めない人達が『この曲はなんだろう』『コレだよ』『いや、きっとアレだよ』と議論しているところに、音譜の読める人が、『〇〇ですよ』って口を挟んだような状態なんだけどね~」と記述があり、これを上から目線というのではないか?と思います。
    だから私は「ブログで発達障害をバカにするのをやめてくれませんか」とコメントしました。
    それに、私は直接彼女に意見を聞いたのに、思いも寄らない回答がきて、驚きました。
    しばらく様子を見ていたら、よほど『親孝行』のことが引っ掛かっているのか?親孝行について多くを語っておられました。
    それを読んでも、
    >『親孝行』の件も、ちょっとしたユーモアです。
    俗に、「親孝行は3歳までに終わっている」と言います。
    かわいい盛りは3歳までで、それまでに親は子供に幸せをもらった、という意味です。
    だったら、
    >「徹底的に素直な発達障害の態度に情緒的に救われる思いをすることもあるはず」とのことですが、私はまだそのような経験がないので、将来息子に親孝行してもらえる日を楽しみに待ちたいと思います。
    という発言は、矛盾すると思います。
    前にも言いましたが、彼女のブログは読まないほうが良いと思います。

    • あひる
    • 2007年 9月 01日

    >何も生まれない~
    生むとか生まれないではなくて
    私にとってはいい反面教師になっています。
    「絶対にああいうふうになってはいけない」という見本です。
    誰かが「誹謗中傷」と書いてあったので
    コメントのみ覗きましたが、全然そうではなかった。
    息子さんがあまりにも不憫で書き込まずにはいられなかった感じでした。
    (しかもかなり柔らかく)
    ADHDはお節介やきも多いと思います。
    それにしても
    ここに来ているジャイアン(たち)は上手くコントロールできていると思います。
    私もよくガマンできたと思う。
    一人ずつ会ってハグしたくなります。

    • パパイヤ
    • 2007年 9月 06日

    上に書いてあるブログ、読まない方がいいと書いてあったけど、好奇心が抑えられず、読んじゃったよ。やっぱ、読まなきゃよかった。日頃能天気な私でもさすがに体調、崩すかも。これ読んだ人、ほんとやめといた方がいいよ。
    hikariさんのコメントに救われました!ありがとう!
    そして、oda さん、前から思ってたけど、するどすぎ!すげぇ!

    • hikari
    • 2007年 9月 06日

    パパイヤさんへ
    私のコメントに救われたと言ってくれてホッとしました~。
    一発やらかしたら、みんなシーンみたいな…。
    アレッ?みんな、何処?
    (·ω·;)(;·ω·)
    キョロキョロみたいな。
    せっかく、ASの立ち位置が分かって、ガッテン!ガッテン!したばかりなのに、アレッ?
    私、ジャイアン、ブチカマシタ!?
    σ(^◇^;)。。。
    みたいな…アハハ~!
    でも、私、まだ自分のことASだと思ってるんだけど……。
    一体どっちなんだか、分からなくなってきたのょ。
    でも、ジャイアンの素因は持っているのは自覚があるから……。
    ヤンバル先生~~~!こたえてちょうだい!

    • やう。(ADHD風味)
    • 2007年 9月 12日

    う~ん。ごめんなさい。まだ分かりません。
    矛盾を指摘して、
    次になにがあるのですか?という質問なのです。
    お互いの理解につながるのでしょうか?
    説明しあわないとわからないのではないかと思います。
    「体調崩す」の意味も、
    きっと多数派にはわからないのではないか?と思います。
    多数派向けに説明しないと。
    私が考えたのは
     
    息子さんの状況や状態に感情移入してしまて
    自分(又は過去の自分)に向かって、
    目の前で言われているように
    気持ちが悪くなってしまうこと。
    見てしまった少数派にとって
    多数派が隠れて考えている、黒い感情を
    そのまま直接ぶつけられたようにリアルに感じること。
    でも、親としては本音であり
    (それだからよけいにキツイものがある)
    少数派の意見がこのHPで保護されるように
    親の本音を書き、それが保護される場も
    当然あるのだろうと思うこと。
    自分が思ったことはそういうことです。
    自分がどう感じたかを言葉にしてみました。

    • oda
    • 2007年 9月 12日

    やう。(ADHD風味)様
    コメントの一連の流れを全部お読みになってのコメントだと思いますが、確認させてください。
    「多数派が隠れて考えている黒い感情」との解釈に関して、
    このスレの上記にある、管理人であるやんばる先生のコメントです。
    >まず発達障害に携わる専門医として、あなた(引用注:red sappireさん)が「多数派」を名乗ることに大きな疑問を感じます。ここの方々があなたを多数派と見なすことはむしろ誤解となる可能性が高いと考えるので。
    そして、管理人として「多数派の方々へ」という別スレをわざわざ立てて、『自称』多数派への注意を促しています。
    『自称』多数派は多数派ではないので、多数派、少数派お互いの理解の妨げにしかならないということではないでしょうか。
    したがって、多数派ではなく『自称』多数派の隠れた(隠れてないと思いますが)黒い感情ではないでしょうか。
    自分は、矛盾を指摘して質問することは、お互いの理解につながると考えます。相手が矛盾と考えることを自分がなぜ矛盾と考えていないのかをさらに説明することが可能だからです。単純に意図を確認したいだけの質問にたいして、気分を害したからそういうことをいうのだろうと、一方的に話をそらし、質問に答えず打ち切りにするのは、相互理解をしようとする人であればしないことだと思います。説明できないのであれば、「矛盾といわれるが自分にはなぜ矛盾に感じないのかを説明できない」あるいは「考えがまとまらない」ということを説明することが、次のステップや理解につながるのではないでしょうか。
    やう。(ADHD風味)さんには、質問内容が批判や非難と受け取られたのでしょうか。

    • oda
    • 2007年 9月 12日

    続き
    ブログをさらすということについては、コメントにご自分のブログへのリンクが張ってありましたので、このブログの来訪者にご自分のブログにも来て読んでもらいたいという意思表示だと受け取りました。リンクを張ってあるのですから、ブログがあるということを書いても全く問題ないと思います。内容の引用がさらすということにあたるとお考えかもしれませんが、批判でなく、相互理解のお願いに使いました。
    多数派だろうと自称多数派であろうとブログを開設し本音を書く場を作って当然です。ここのブログでのコメントは、保護されているブログを閉鎖させようとする意図はないと思います。
    しかし、訪問者の多いこのブログへリンクを張った以上、訪問者が、書き手の意図しない受け取り方をし、感想を述べてもそれは仕方がないことだと思います。
    そして、このブログでは、管理人が自称多数派が多数派をなのることについて注意を出したわけですから、それには敬意を払ってしかるべきと思います。

    • oda
    • 2007年 9月 14日

    やう。(ADHD風味)様 続き
    「体調崩す」の意味
    自分は、少数派多数派とも文章を読んで体調をくずすことはあると思います。やう。(ADHD風味)さんが、なぜ「体調崩す」の意味が多数派にはわからない、と思われたのかがわかりませんが、わからないということですので、つけくわえてみます。
    1.やう。(ADHD風味)さんのおっしゃるように、息子さんに感情移入し、自分が怒られているような気になり、気持ちが悪くなったり、実際に体調が悪くなる(食べられなくなる、おなかをこわす、頭痛、吐く、めまい、寝込む、気力がなくなりなにも出来なくなる、パニックを起こして物を壊す、人に八つ当たりをする、自傷行為など)
    2.(同上)あまりにも剥き出しの憎悪感情を読み取り気持ちが悪くなったり、実際に体調が悪くなる(同上)
    3.全く感情移入したつもりもないのに、過去の自分の辛い体験から、体験を思い出さないまま、または思い出して、自動的に体が反応し、気分が悪くなったり、実際に体調が悪くなる(同上)
    3についてはPTSDとかフラッシュバックで検索されると、自分の説明よりずっと良い解説のサイトがあると思います。

    • oda
    • 2007年 9月 14日

    続き
    自分の例で説明します。あまり深刻でない例ですが。
    以前喫茶店に知り合いといたときに、自分の体が勝手に固まり、口がきけなくなっていくのがわかりました。理由はわからなかったのですが、固まっていくのを止められないのはわかりましたので、知り合いに、ちょっと調子がおかしいけど大丈夫だから、となんとか伝え、すっかり固まる前に自分と周りを観察しました。結果、体が勝手に固まり始めた理由は、うしろの席の方の話し方の癖や声のトーンが、10年間権力を振り回し理不尽をし続け付け届けを強要した自分の上司によく似ていたことでした。上司はとっくに退職しており、自分も嫌なことはなるべく忘れたつもりでしたし、実際思い出すこともなくなっていたのですが、耳と体は良く覚えていたようです。幸い、二度と上司には会わないことがわかっていたのと、有る程度自分の中でけりがついていたらしく、喫茶店を飛び出したり、知り合いに迷惑をかけたりせずに済みました。
    自分はこれは少数派だから、多数派だから、という反応ではなく、人として正常な反応だと思っています。自分では「からだの反乱」(予期せず体から頭脳にストップ命令が出るため)という勝手な名前で呼んでいますが、からだから言わせれば、頭のせいで体ごと共倒れにならないよう、それこそ体を張って防御しているんだと述べることでしょう。

    • やう。
    • 2007年 9月 14日

    夜まで書き込みはできそうにありません。
    申し訳ありません。

    • 月の草
    • 2007年 9月 15日

    今更ですが。私は悲鳴のように読めました。だって「わからない」んじゃないんですか?(例えば、の話しですが。場が読めない、想像できない、理解できない→不快感→疲労 などという構図も想像できますし)。
    どんなに大好きな自分の夫や子どもが相手でも、疲労困憊することがあますよね。自分の体調によって、あるいは、相手の言動によって。毎日毎日、自分にはわけのわからない価値観や行動原理を持って、毎日クイズの難問を突きつけられているように感じたら?愛する相手からそれをされると、とても辛い。可愛さ余って……私はそういう感覚を先日まで持っていました。愛憎?
    やられて当たり前だと、感じてしまうこともあるんじゃないですか?私は無いとはいえない。全ての子どもは、保護し、慈しみ、愛さなければならないのですが、母親も生身の人間ですから、そうできない状態にある人を、責められないんじゃないですか?期待するからこそ苛立ち、焦り、混乱することもありそうです。そして、相手を責める(ここの皆さんも、結局は相手への期待が大きいのかなぁ?)
    今は核家族の時代だし、親戚の助けなどはなかなか得られないですよね。昔は、親と子のソリが合わない場合は、親戚に預けるとか(別の養育者を探す)、互いがよりよく生きられる場を作るような習慣もあったと聞きます。今は行政が肩代わりしてくださる場合もあるようですよね。自分の子どもであっても、しんどい時にはどこかに一時預ける、関係改善の為に、一時的に距離を取ることができれば、冷静に現状を客観視できるかもしれないですよね。
    学校へ行くとか、仕事をするとかいう日常を維持しながら、母親にかかる力が分散できるようなシステムが(あるいは社会の習慣として)できたらいいのにな、と思います。
    なんか、ひさしぶりに登場して、いきなり熱弁すみません(笑;
    ちなみに、ADHDに感謝を求める気持ちはあると思います。「ピュアだから感謝など求めないのだ!」というのも「○○だから感謝を要求して当然だ!」というのも、現実に存在してるんじゃないかと、思ってます。

    • oda
    • 2007年 9月 16日

    月の草様
    目的語が無いので推測ですが、月の草さんはredsappireさんが悲鳴をあげているように読めるのですよね。それは自分も同じです。ですから、煮詰まっているという言い方をしましたし、その後で、ブログで仲間と開放されているのも見ました。しかし、それは事実ではないと当人に否定されましたので、(いい母親たる)<べき>(という固定観念)に縛られないように願いますという言い方しかできませんでした。
    育てにくい子どもたち(実際そうなんですが他の言い方があれば良いと思います)に対するうらみを吐き出す家族のブログは、他にも存在しています。
    怨念と自覚しかつ遠慮なく吐きすてる場にしていたり(できれば公開web上でなくノートでやって欲しいですが)、極端に見方が動く葛藤がつづられたブログもあります。
    おそらく唯一本音で息抜きできる場であるだろうそのようなブログを閉鎖してしまえとは思っていませんし、わざわざ攻撃に行くこともありません。
    月の草さんのいうような他のシステムで、息抜きがもし全てできれば、そうしている方たちだと思います。
    そもそも、ここのコメントで「私は攻撃されている」といい、少数派の指導を試みた方に、実際理解できない矛盾点を質問し、理解を試みたところから始まっています。
    少数派が自分でなにか変だと気づいていると同じように、ご自分自身の悲鳴や固いコンプレックスにいつか気づかれることと思います。

    • hikari
    • 2007年 9月 16日

    月の薬さんとodaさんのコメントを読んで、感じたこと。
    私が何故、redsappireさんを非難したか?
    理由はたくさんあるように思います。
    表面的な部分では、『多数派』と言うスタンスで「親孝行なら辞書で調べて下さい」と言われたこと…。
    私は辞書に書いてることを聞いたのではないのになぁと、何処かでこういうことを言われて寂しく思った過去の経験がジワジワと思い出されたのも事実。
    内面的な部分では、「見たくないものを見てしまった」と言う不快感。
    過去に私も「こうあるべき」の『べき』にとても縛られていた自分の醜い姿を見たような気がしました。
    だから、結局は、自分自身の無知で醜い姿を見ているような気分になったのも事実。
    何故、自分だけが上手く子育てができないんだろう…?
    こんなに頑張っているのに、『普通』になれない…。
    子供も。そして、この私も…。
    とても疲れてしまっていた。確かに悲鳴をあげていた。どうしてこうなの?とSOSを出していた。
    そんな過去の自分と重なった部分があるから、嫌らしさも、浅はかさも、『無知』であるが故、間違った子育てをした。
    今さらながら、分かる。
    自分から目を背けたかった。
    自分の限界と戦いながら、もがき苦しんで、途方に暮れていた。
    口で言っても解らないから、手もあげた。
    でも、この子が生きやすくなる為には仕方ない…と、ヒステリックに非難した。言葉の暴力…。
    それらは、何の解決も生み出さなかった。
    むしろ、今、遠回りをしています。
    それはそれは、終わりの見えない旅のごとく、進めども進めども、まるで砂漠の砂に足を取られて、1歩、歩いては2歩後退するような疲労感です。
    だから、黙って見ていられなくなったように思います。
    自分を殴るように…。
    『良い母親』になりたかった。
    でも、その『良い母親』の中身も知らないから、『困った母親』であったのだろうと気がついた。

    • さーこ
    • 2013年 10月 13日

    文通相手と私の事を考えてみました。
    >「ありがたければ、してもらってうれしければ素直に喜ぶ」。
    という関係です。この説明が一番しっくりきます。
    互いに、されて本当に嫌な事はしない。という関係に、いつの間にかなりました。
    照れたり、時には自分から謙虚に反省したりもする、少年少女のような感じにも見えるかもしれません。
    (そういえば、私の「べき」思考、文通相手との間には発動していないなぁ…)
    実際に会った事のない相手なので、実生活上での状態の起伏は、私も相手もあると思うのですが、「気候による体調の変動がある」「お腹をこわす事がある」「ちょっと神経質」と自己紹介してもらっているので、こちらは「そうなんだね。」と言葉通り(それ以上の意味でも以下でもなく)、その時の状態を受け取っています。

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