ADHD関連

「多数派」の方々へ

 ご存知のとおりここは発達障害の当事者が数多く書き込みする世間では数少ない場です。ここではあなた方多数派は「世間と違い少数派である」という認識を持ってください。

 世間で通用することもここでは当然通用しません。私はブログの責任者として、ここでは発達障害の世界認識を優先として考えます。

 だから「世間と違い自分が少数派となる立場でここでの多数派である発達障害の人々に歩み寄り理解しようとする姿勢」が必要です。

 ここで「怖い」というような表現をすることは、世間の多数派の論理の強制となるだけで、そういう議論はここの中では行わないでください。

 最近上記のような「理解しようとする謙虚さ」に著しく欠ける自称「多数派」の人からの書き込みがいくつかありますが、「悪い見本」として認識していただくためにあえて削除はしていません。

 私はタイトルの文章で説明していますので、上記の理解しようとする姿勢について書き込みをする方は特に注意をお願いいたします。 

 「理解しようとする謙虚さ」を前提としない議論は不毛であることが多いので。


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コメント

    • 匿名
    • 2007年 8月 24日

    先生のおっしゃるとおりです。
    最近このブログをみて自分も「世間の少数派(ここでは多数派??おそらくジャイアン型)」ではないかと思うようになりました。
    逆に世間では少数派の自分が、日常生活の中で多数派といつも喧嘩しているような気がします。
    それも相手を理解しようとする謙虚さが足りないせいではないか、とも思います。

    • 土鍋ご飯
    • 2007年 8月 24日

    初めて投稿します。
    私はかかりつけの心療内科の先生に臨床的にASでしょうといわれいる者です。二人の息子は児童相談所の医師にASと診断されました。夫はADHDでは、と私は感じています。
    「ADHDに『感謝』はあるか?」と「ADHDという解決」レスとコメントを読ませていただきました。
    私自身、診断がつくまでは人間関係がうまくいかないのは何が大きな障りになっているのかさっぱりわからず、息子には暴言、手を上げるの繰り返しでした。きつい母親です。
    診断がついてからは以前のように悲惨な状況に家族を追い込む前に、自分や息子たちの抱えている困難さを確認し、また夫の気持ちを汲む感情も芽生えてきたと思います。気持ちを落ち着ける手立てをやっと手に入れられてホッとしています。母親としてはまだまだですが。
    診断がつく前は自分は多数派だと思っていましたので、自分でもできないような多数派の常識を夫や息子に押し付けていました。本当にいろんなことがありました。情緒的に救われたことは数限りなく。言葉通りに受け止めてしまう、そんな息子や夫にどれだけ助けられたことか!
    人の気持ちがわからないといわれる障害だとしても、信頼関係を築くことはできるはず、生活の中での大きな目標です。
    一歩外に出て人と接する時、気持ちが不安定にならないように心がけているのは、
    私 対 多数派 ではなく、
    私 対 いろんな困難さや事情を抱えている人たち(多数派、少数派どちらも)
    と捉えることにしました。
    とりとめのないコメントで申し訳ありません。
    書きたい!気持ちが自分の背中を押してしまいました。

    • いずみん
    • 2007年 8月 24日

    こんにちは。
    このエントリの趣旨とずれてしまいますが、このエントリを読んで、ふと思いついたことがありました。
    自分をはじめ、多くのADHDの方々は、多数派世界で生きるため、多数派の方々とうまくコミュニケーションをとるための工夫をしておられると思います。
    逆に多数派の方々は、たとえばこのブログのコメント欄を利用して?ADHDと意思疎通できる表現のあり方、とかを考えてみる、というのもありかなあと思いました。
    red sappireさんもおそらく、ADHDの子どもさんとの意思疎通のため、日々心を砕いておられるのでしょう(ブログがあるそうですが、怖いので見ないことにしました)。せっかくですから、お子さん以外のADHDとも意思疎通できるスキルを身に付けられたら、世界が広がるのではないでしょうか?
    ここまで書いてぜんぜん違うことを思いつきました。自分は小説の類が苦手で、科学や歴史の論文、解説本が好きなのですが、それは事実としての興味深さのみを追求して読めるから(字面だけを追いかけていて十分楽しめるから)なのかなあ、と。同様に感じておられるADHDの方はおられるでしょうか。

    • ピタゴラスイッチ
    • 2007年 8月 24日

    こんにちは。最近のエントリーとコメントを読んで、過去の事を思い出して苦しくなりました。このエントリーとは関係ないかもしれませんがお許し下さい。
    私にはASの息子がいますが、私自身は(この場での)多数派なのか少数派なのか分かりません。しかし子供の頃から人間関係はトラブル続きです。空気が読めない、多数派の考えに共感できない事も原因の一部だと思います。
    小学校高学年の時、私はある友人(A)をひどく怒らせ、以来彼女は二度と私に口を聞かず、中学に入ってからも卒業までずっと他の人に私の悪口を言い続けました。
    中学卒業後10年以上経って、同窓会の幹事になったAが案内の電話をかけてきました。
    「Aです。わたしのことおぼえてる?」
    この挨拶に、私は言葉にできない恐怖を感じました。
    ところで…
    1.クラス全員に案内の電話をかけなければならないとはいえ、Aは何も悩むことなく私に電話をかけられたのだろうか?
    2.私は過去の事を謝ることもできず、勿論彼女から受けた仕打ち(Aからすると当然の報い?)について何も言わなかったが、多数派の人は心に嵐を抱えながらも平然と会話ができるのか?それとも心の奥底に封印していられるのか?
    3.傷付けた相手、もしくは傷つけられた相手と次に会う時は何から話せばいいのか?
    が、冷静になった私の疑問です。
    そして、このサイトにいらっしゃる少数派(ADHDなど)の皆さんがAもしくは私の立場になった時はどうお考えになりますか?
    最後に、あるコメントに「謙虚さに欠ける多数派」の「悪い見本」とYANBARU様は記載されておりますが、もしも私のコメントがそのような評価を受け、かつ削除もされず残されたら、私はこの世から消えてしまいたい気分になります。
    学校生活では何度も「これが悪い見本」と私の作品や表現を晒されました。
    今まで生きてきたのは、ただ消えてしまう勇気がなかっただけです。
    そんな人間もいます。何十年前の過去の出来事でも決して忘れられないのです。

    • Coo
    • 2007年 8月 24日

    私も女性のAdhdですが小さな頃から生物や科学の本、歴史の辞典などを好んで読んでいます。同じようなものを読む同性には余り会ったことがありません(笑)しかし小説も好みますよ。耳から入る情報より視覚からの情報の方がよりリアルに楽しめるからかなと自分で感じます。ただ楽しいことをするのは集中しすぎるきらいがあり、特に本を読み始めるととめられなくなり自分の身体がもたなくなるまで読んでしまいますし、そこに入りこむまでが最初何回も読み直して頭をそちらに注意を向ける必要があり、興味もまた長続きしないのでどの知識も極められないのが少し困りますが・・。

    • いずみん
    • 2007年 8月 24日

    >ピタゴラスイッチさん
    はじめまして。わたしはADHD(自己診断)です。
    実はつい最近、ピタゴラスイッチさんと似た経験をしたばかりでしたので、お答えにならないかもしれませんがコメントさせてください。
    わたしは、思春期のころ、自分ではそれほどひどいことを言ったつもりがないまま相手をひどく怒らせて口をきいてもらえなくなったことが何度かありました。
    いちばんひどいときには、それがもとでクラスのほとんどの女子から無視され、悲観して自殺未遂しました。
    ところが先日帰省したところ、自殺未遂する思いをしたきっかけになった同級生が電話をかけてきて、「中学生のころあなたにひどいことをした。ずっと謝りたいと思っていた」と言って家に訪ねてきたのです。
    どう接していいか最初まったくわかりませんでした。しかし世間話をしているうちに、自分が「現在の」彼女に対していかなるマイナスの感情も持っていないことに気がつきました。
    もちろん、かつてのつらい経験とそのときの気持ちははっきりと覚えているのですが、それを目の前にいる相手に対し「恨めしい、憎い」とは思えなかったのです。
    でも、これは「許し」の気持ちとも違うのです。「許す」というのは相手に何か感情を持っていて、それが変化することだと思うのですが、わたしの場合、まるでかつての彼女と目の前にいる彼女が別の人間のようでした。
    ということで、
    >3.傷付けた相手、もしくは傷つけられた相手と次に会う時は何から話せばいいのか?
    もし相手がわたし(ADHDと一般化しないでおきます)だったら、普通に話してOK。かつ、以前のことを自分が忘れたわけでない、とはっきり伝えられたほうが、傷つけたにしろ傷つけられたにしろ心が安定してラクに話せる。
    です。いかがでしょうか。

    • いずみん
    • 2007年 8月 25日

    連投してすみません。
    >Cooさん
    おお、同じ趣味の同性の方に会えて嬉しいです。やはり周りにはまったくおりませんので。
    わたしも小説を読まないことはないのですが、行間が読めずに筋だけを追いかけるか、あるいは異常に感情移入して乖離気味になってしまい精神的に負担が大きいので、あまり近づかないことにしています(汗

    • せろはん
    • 2007年 8月 25日

    >ピタゴラスイッチさん
    私も似たような体験が多くあります。
    1.2.3共に不思議であり、私もとても考えました。
    つい最近もそのようなことがあったのですが
    1.に関しては、先方は何のためらいもないようです。「水に流す」という言葉がありますが、こういうことを言うのだろうと、最近やっと実感しました。
    2.私もよくわからないのですが、友人はよく「それはそれ、これはこれ」といいます。
    「もう昔のことなんだから、水に流して」ということなのでしょう。
    彼女たちにとっては、ほとんど記憶にも無い学生時代の一コマでしかないのだろうと思います。
    3.にっこり笑って「こんにちは」ということなのだろうと思います。
    でも、笑えるはず無いのですけれど…。
    口角を上げて話をすると、こちらの感情とは別に笑顔に見えるようです。
    これは昔事務職員をしていた時、電話応対で訓練したので私は何とかこなしました。
    その場にいるときは、口角を上げていると良いみたいです。
    でも、ものすごく疲労するので、会わずに済むのならそれにこしたことはないのか、とも思ったりします。
    私自身も相手のことが理解できないのですが、それなりの対処法を書かせていただきました。
    でも実際、とっても疲れて、2.3日(ひどいときは一週間以上)寝込むこともあります。

    • ppp
    • 2007年 8月 29日

    多数派の人がここに「怖い」といった空気の読めないコメントを残すとは思えないんですよね。もし残しているとしたら自分を多数派と信じて疑わないジャイアンだと思うのですが、いかがでしょうか?

    • まり
    • 2007年 8月 29日

    ピタゴラスイッチさんへ
    私はAS及びADHDと診断された者です。
    (YANBARU先生からはADHDとの診断)
    私も似た経験があります。
    相当熾烈ないじめに遭って学校を卒業しましたが、当時の同級生はみんな平気な顔をしてます。
    彼らと話していて驚くのですが、本当に『頭大丈夫?』と聞きたくなるくらい何も覚えていないのです。
    私のことだけではありません。
    担任の名前や当時のイジメ以外のエピソード(球技大会など)、教室や校舎の配置、学年途中で転校していった生徒の存在、何もかもです。
    小学校と中学校の修学旅行の目的地が偶然、同じ県だったのですが『修学旅行の記憶は小学校と中学校でまぜこぜになってて、よく分からない』と言われた時には愕然としました。
    発達障害には脳の問題が絡みますが、定型発達者と発達障害者では記憶の濃度が違うのかもしれません。
    その違いが、定型から見ると発達障害者はこだわり過ぎ!ということになるのかもしれませんね。
    推測ですが、Aさんは忘れてたか、覚えててもどうでもよくなってたから平気で電話してきたのかもしれませんよ。
    私は小学校の頃の通学路を歩くのさえ嫌です。
    突き落とされた階段、殴られた物陰、カバンを捨てられたドブ、全部覚えていますから。
    こだわってる訳ではなく、道を歩いているだけで記憶のスイッチが入るんです。
    だから通学路は極力歩きません。

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