AC、人格障害関連

ジャイアンの学習障害

 IQを測ると60以下だったりして、診断上は「知的障害」と呼ぶしかないのだが、普通の知的障害とはぜんぜん違い、「相手を見て有利不利を察知して行動を変えたり」出来るようなケースがある。

 ADHDは知的障害を除外した後につけられる診断であるので、定義上は「注意欠陥と多動傾向のある知的障害」と診断せざるを得ないが、実際は「学習障害重症のADHD」とみることも出来る。

 一般的な知的障害との違いは、「IQの下位分類やテストごとのバラつきが非常に大きい」、「コーズ立体など、言語的な説明をあまり介しない検査でIQが高く出る」などである。臨床所見では携帯電話の操作が巧みに出来たり、調理などが上手に出来たりする場合は、就労支援においても一般的な知的障害とは区別したいところもある。

 専門家向けには、IQが比較的高いケースでは「理解」と「配列」だけが突出して高く、他が非常に低いという形が典型的である。「自分に有利になる状況理解だけは目ざとく出来る」というスタイルだ。

 ただこのタイプは、養育環境にもよるが、「ボーダー」的になっていることも多く、対人関係でトラブルになることが多い。
 非言語的な過剰反応で自傷他害など手段を選ばず、福祉施設や医療機関でトラブルメーカーになっている「ボーダーライン知能」と呼ばれるケースはおそらくジャイアンだろう。

 私はこういうケースを今入院で治療しているが、本人から申し出て「交換日記」をしてみて、表面上の印象よりも対人関係の理解や表現能力が高いことに驚いた。
 
 重症な「聞く話すの学習障害」に加えて、養育環境との関連で情緒障害的な「本当のことを言ったら見捨てられる」というパターンが加わると、「ほとんど気持ちは口に出さないで行動化ばかりする」という表面上の結果となり、不適応は激しい。

 とはいえ、手紙のやり取りを通じた言語化のトレーニングは意外に効果があり、表面上は「劇的な成長が見られる」という形になっている。

 何でも言うとおりにする素直な「普通の知的障害」と比べて、福祉職員には抵抗があるようであるが、「本人を納得させる必要がある」ということさえ丁寧にすれば、ケアは可能だ。


関連記事

  1. ジャイアンの依存性
  2. コーチング②ADHDは刺激を求める
  3. ADHDのAC
  4. 2006回顧
  5. 発達障害と性同一性障害
  6. ASサポートの基本方針
  7. ジャイアンの空想
  8. 妄想の意味

コメント

    • あまがえる
    • 2010年 11月 01日

    ”本人を納得させる”と言うところがポイントのようですね。
    これは知的に問題のない人にも言えると思います。
    相手が納得するまで説明すれば、よい協力者にまでなってくれるということは経験してます。

    • エイト
    • 2010年 11月 01日

    先生 今回の記事をありがとうございます。
    「学習障害重症のADHD」これが息子のタイプだと思います。
    息子は特に文字を書くことのLDが顕著です。
    でも真剣に書いたときの文章の能力は以外と高くて知的障害はないと感じます。
    受け入れてくれる人や友達との対人関係は普通に良好に保ち、携帯やゲームや仲間と一緒になっての年頃の遊びなど不器用ながら普通にできるのですが、学校での不適応がひどいです。
    高圧的態度で横暴、体型までドラえもんのジャイアンそのものです。
    そしてなんといっても「納得」しなければ動かないです。
    逆に「納得」すれば難なくできるという具合です。
    メールで相談させてください。
    そして私か息子どちらかが「限界」になってしまったら沖縄に行きます。

    • ちひろ
    • 2010年 11月 02日

    集団行動とは教師の言うことを聞くことと考え、
    勉強は教科書を読むだけで理解できる。
    「聞く話すの学習障害」があっても、軽度であり、知能が高く大人しい性格であれば、学校には適応できます。
    それが子供のころの私です。
    親しい人と話すときはそれほどでもないのですが、
    不安が強くなると、言葉を知らない外国語か単なる雑音に聞こえます。音はわかるのに意味が出てこない。
    聞く準備をしっかりしていなけれは音声はスルーです。
    話す時も、緊張した瞬間、文がバラバラに壊れていき、その状況にさらにあせってどうにもならなくなったりします。
    わかる単語、言える単語をつなげつなげ会話している状態なんていつものことです。
    主婦の機関銃トークなんて意味不明、罵声も私の心にたどり着く前に毒抜きされてます。彼女たちのいらだちもわかります。
    漢字は大の苦手、計算も苦手、しゃべるの苦手、遠足では一人で弁当を食べても、偏差値は60前後でした。
    実力より上の進学校に合格し、勉強についていけなくなって落ちこぼれた私は、結局、専門学校に進学しました。
    それでも故郷ではこの出身高校が私を守っていた。今となっては本当にそう思うのです。
    人の知能は学歴と会話で判断されます。
    1000キロ離れた今住んでいるまちでは、井戸端会議で私はただの馬鹿になる(あげく、みため貧乏、され妻)
    ある朝、目が覚めたら虫になった「変身」のグレーゴル・ザムザのように、心がある人間なんだと、家族の前にノソノソ出て行った結果、リンゴぶつけられて死亡・・・。
    最後、家族は大喜びのハッピーエンド。
    私はそんな彼のようです。
    と、ここまでは・・いいとして・・
    私は・・・
    ボコボコにされた主婦サークルとともに、
    ほぼ男性がメインのミックスでの練習を掛け持ちしていました。こっちでいじめられることは決してなかった・・。
    >非言語的な過剰反応で自傷他害・・
    ・・?
    私、ボコボコにされるために、主婦サークルにわざわざ行っていたのでしょうか?
    依存者である夫に裏切られた私の心は極度に不安定になり、
    他人を加害者にしたてあげ、自己の社会的人格の殺人行為を自らやっていたのでしょうか。
    ・・・・
    ・・・・
    甚だしく迷惑な奴だ・・・・。

    • ちひろ
    • 2010年 11月 03日

    (すみません。つづきです。)
    ちがう。それだけじゃありません。
    小学校のころ、無意識で言語障害を隠そうとしたのだとおもいます。「大人しい優等生の女の子」インストールをしたのです。
    無修正のまま30年近く稼働したこの人格プログラムは、いつしか「自己のイメージ」と「他者のイメージ」とのギャップを生み、さらに依存者の裏切りというかたちで破綻しました。
    「いい子」でいる必要がない、ある意味自由なあの場所で、壊れてバラバラになった人格を拾い集めようとしていた気がします。
    ・・・つまり・・・(書きながら思いつく)
    ようやく思春期だった・・・ってやつですかっ!!!!
    かなしす・・・。

    • エイト
    • 2010年 11月 03日

    勉強・・
    私の価値を証明してくれるものってそれしかなかったからな。。
    だから”勉強することが目的”で”勉強を自分の将来に生かす”ってことに興味がなかった。
    いや、気付かなかった。
    なんという表面的で単純な認知。。
    息子がLDとわかったその時はショックだったけど文章は普通だから問題ないと心のどこかでナメていた。
    なんという状況理解の不足。。
    これくらいはできるだろう・自分で考えろ・世間は甘くないと突き放した私の期待は、実はいつも息子の限界を超えていて、不適応やLDが明らかになるたびにすごく不安になりました。
    なんという認識の甘さ。。
    >「本人を納得させる必要がある」ということさえ丁寧にすれば、ケアは可能だ
    目配り、気配りしながら怒らずに根気よく言語的に説明していくことが大事なのですね。
    苦手な分野ではあるけど追い詰められた今となってはとてもよく理解できる。。
    ”最悪の状況を想像”して、”最悪の状態を覚悟”して・・「ほんとうに最悪」にならないように。。
    交換日記、中学の時に友達としていました。
    その頃が懐かしいです。

    • K
    • 2010年 11月 04日

    IQの枠には収まりきらない不思議。
    人って面白いですね。
    うちのジャイアン息子は最近難しくなってきた授業に嫌気がさし、学習をする気持ちが減退しているようで、、、。
    視力が普通程度にあるのに毎度視力検査にひっかかり、耳も開閉自由なので聞きたくない事は聞かない、、、という風になってきています。個性が際立ってきた、というか。
    そろそろ学習障害ってのがはっきりしてきて、診断に+されるのではないかな?そして遅れが目立つと知的にも問題あり、となるのかな?5年生なんですけどね、、、。
    今一番気になるのが身だしなみです。発達の病院で出会うADHDがからんでいる思春期の子って、みんな臭うんです。
    うちの息子もね、、、。みんな同じ臭い。
    多分髪も身体も親にうるさく言われるので「いちおうやる」だけでキチンと洗えていないのではないかと思います。これをなんとかしたいんですよね、、、。汗 
    最後に、ちひろさん、ママサークルで大変な思いをされたのですね。お疲れ様です。
    変な人がたくさんいて、苦労している人がたくさんいますよね。人格障害的な人にも結構な頻度で出会うし。むしろ
    会社生活の人間関係よりも厳しかったです。出産、育児って
    あまりにも負担が多いし、努力が認められないし、肉体精神とも辛いし、ホルモン変わるし、、、で、みんなちょっと狂っちゃうのかもしれない。何かあるとすぐ母親のせいにされるしね。

    • JET
    • 2013年 3月 02日

    同居ジャイアンはひらがなが苦手。他の字も得意ではないです。自筆で書かなければいけない書類などは私が見本を書いて、それを写すか問題無ければ私が代筆します。この人はアイヌの模様が好きで、あの模様の空気なら分かるという。
    狩りをする時、楽しい時、大事な時(?)など・・
    アイヌの人は文字を持たない、何故かな。暗号にしたのか、残さないためか、聞いて憶えるためか、LDなのかetc
    私はあの模様の空気は分からない。不思議です。

    • tukatantikatan
    • 2015年 3月 23日

    パートナーは数字があるからいけない、と言う。数えないで並べればいいじゃんと。並べたものを見ればいい、とこれは超同時処理をしてることを表わしていると私は思うんです。同時処理系は、視界に入る範囲が大事。視界からそれたものはいなくなってしまいます。(会社のトイレの個室で独りで問題が起きている人が、今三人いるが、同時処理に偏って高じた、または外モードのたがが外れた状態ではないかと私は思っています)

    耳から入る音は継次処理をしていて、声も音も順番に並んでしまうようなかんじです。その音が今の話と全く関係が無いとわかっていても並んで続いてしまうので、聴覚過敏のような状態になる。自分が意図しない音は非常に嫌がる。(受動型的な人は声でなく音で自己主張するとパートナーは思っている。それで対立することがある)何か思い出すときは最初から。でも自分が意図した音は、どれでも聞ける。ネットのラジオを三局同時にかけて、どれも聴いていてコラボもしている。(この時は受動型的な人と話が合ったりする)
    そしてジャイアン的な責任の観念があり。
    自分に耐えられない、わからなくなってしまいたいとごくたまに言う。自分の特性とジャイアン的な責任の遂行との兼ね合いが大変なのではないか、と私は思う。
    非言語的なフォローが、わからなくする助けになるのではないかと思うことはある。パートナーは受動型的な人に対してはブーブー言うが、そのわりになーんか好きみたいだから。好きみたいだけどなんでかと聞くけど、わからないらしい。
    友人は、喋らないから静かで良いんだけど、喋ると、時代がそうだからとか言ってあいまいにしちゃうんだよとは言っていた。友人はKYなのかなと思う。?
    責任の観念に関してパートナーが一番求めているものは廃線跡のようです。(廃線鉄・廃鉄なのです)役目を終えて赤錆の浮いた線路が、自然に埋もれ還っていく様が良いのだそうです。ゼロ概念?やっぱ自然とのバランスが大切なんだ・・・

      • tukatantikatan
      • 2015年 3月 23日

      水は低いほうへ流れる、というのは自然だ・・・

        • tukatantikatan
        • 2015年 3月 23日

        あ、耳からも同時処理してるんだけど、でも人の話を理解しようとすると、継次処理を頑張らないといけないんで、大変なんで、自分にとって不必要な音に切れたりするんだ。うーん

    • tukatantikatan
    • 2015年 6月 05日

    私は今学習障害のサブタイプとして自分とパートナーの違いについて考えています。逆な部分としては、パートナーは多動のディスレクシアのジャイアンで大きくして理解する、大きいと理解が早い。対象が小さいと、自分をもっと小さくして対象に入っていって結果的に対象を大きくして理解するような感覚もあり。一部から全体を理解できる。対象が建造物とか大きければそのままで実物と自分のイメージが合うので、良いようだ。この感覚の結果?TBMやシールドマシンが大好きである。こういうことは、大げさだというジャイアンのルーツのように思う。私はNLD寄りで大きいと見えない。小さくして理解する。小さいとまだ理解が早い。対象を小さくするために自分が遠ざかって結果的に対象を小さくして理解する感覚もあり。これは実際には距離が遠いと理解できるというような。手のりサイズぐらいに見える距離だと輪郭で、あー会社の人だ、ってわかったりすんです。輪郭が見えない大きいものはだめなんだ。理解は輪郭から細部へ。それが全体志向のルーツのように思う。
    同じような部分としては、パートナーは動くものしか見えない。対象が動かなければ自分が動いて見ようとする。松果体がきょろきょろしてるような。デイビスさんの方法は松果体の訓練なのかなーと思うんですがどうなんだろうか。。相手が自分で動ける場合は動かそうと働きかける。すなわちブーブー言う。動き映像の記憶がある。
    私は視覚記憶弱いんですけど、で探し物が苦手だったんです。しかし最近買ってきたものを探していてですね。あっと思い出せたんです。それはその品物を買ってきて、置いた時に、不安定だったので、品物がカサッと、ずれ落ちたのです。それをそのままにした。その動きを思い出したのです。落ちる動きは、覚えているようだ。だから・・モノを置く時は不安定に置けばいいんではないか・・でも実際に不安定に置けるものは限られてますね・・

    • tukatantikatan
    • 2015年 6月 26日

    時を経て続きます。思い出せたのはですね。たんに、落ちるかな、と注意したからかもですね。

    LDとか有利不利について考えてますけど、生来わかる有利不利とは、考えなくてもわかること。私は結局生きてれば有利(まだ間に合う)としか思えない。
    自分が考えなくてもわかることはなんだろうと。
    以前はわからないながらも、後頭部や背中に説明を書いた紙が貼ってあるような感覚があった。
    つまり後ろに感覚が集中しているような感が先にあった。(現実に沿った無意味系の、背景・奥行き情報を重視しているということ)(現実に沿った有意味系の背景・奥行き情報を重視できるとジャイアンふうになれる?)(創造系の背景・奥行き情報を重視できると受動型の人ふうになれる??)
    私が一番わかるのは文字だから、感覚がある後ろに文字を探したんだろうと思うんですけど。
    私はなんだか自画像を描くと後姿になる。他のLDの人の自画像を見てて、後姿だったりして、これも視点が自分の後ろにあるのかもなーと思いました。
    で、今、注意を向けることが以前より出来、感覚入力を、以前よりも感じられるようになっている。
    そうしたらですね、なーんか怖くてやーな感じがして、ちらっと見えたりして、これはまずいと。笑えない。人々の普通の空気感覚は依然として入力しないんですが。
    パートナーは以前から「俺の後ろに立つな」て言うんです。以前はゴルゴ13みたいと笑っていましたが、視点が後ろにあるってことなんだなと、気づきました。
    そこでデイビス法を思い出し、視点を所定の位置にもってくる試みをしてみるとゾッと感が消えました。知ってて、良かったな。デイビスさん偉いありがとう。
    ゾッと感が消えると知るとパートナーはやる気方面に心が動いたようである。
    そして私は初めて、「見る」ことの必要性を感じたのであります!!

    • tukatantikatan
    • 2015年 6月 26日

    yanbaru先生も偉い、ありがとう。ございます。

    • tukatantikatan
    • 2015年 8月 18日

    新事実が発覚するたびに報告したくなるんですが、まとまってからにしようとは思っております。パートナーが、自分のつかまり立ちの頃のことを話してくれました。自分がまだうまく歩けないことにものすごくイラッイラしていたそうです。かわいい、また可笑しくて仕方ないです。私は全く思い出せないですが・・・こういう自分の行動の記憶が鮮明ですごいなあと思うんです。自分ができないことへの苛立ちがすごいです。だけど、身体的にどこまでも力が入ってしまうそうです。自分で自分の手を折れてしまうのでうかつに力が入れられないと言う。(このことは私も別の部分でわかる気がする。あの恐ろしい自己突っ込みと同じような。)それが仕事中に出るジストニアにつながるのかなと思う。短期的にはものすごく忘れっぽいのですが、それは意味が出現していない場合みたいです。毎日、一日の終わりに、その日あったことを一から思い出して記憶に定着していく。それをずっとやっていて、つかまり立ちの記憶につながっている。外部に文字で残さないで、自分の記憶に残していく方法は、残さない、残せない人の持っている優れた方法で、そして語りが全て。(全てっていうかそれ以外はライブなので別のものなので含まない)でも、私は意味であっても、文字で残さなければ、ぜーんぜん残りましぇん!でまた、忘れない方法は、そのことだけを考え続ける、というのは私もありますけど・・・。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP