ADHD関連

ジャイアンの回復とは

 私が考えているジャイアンの回復とは、「ジャイアン本人の現在の周囲の環境への表面的な適応」だ。

 具体的には、「著しく周囲の人に迷惑をかけない状態」になればとりあえず回復と考える。

 ジャイアンはADHDの重症型なので、アスペルガー症候群と同じく「治って脳が普通になる」ということは当たり前だが不可能だ。本人自身は完全な回復を体験することはできないと私は思う。だから目標は現実的な適応ということになる。

 だから、当然のことながら、もともと環境に恵まれていれば、ジャイアンとしての治療は必要ないということになる。

 たとえば、単独作業の職人や才能有るアーチスト、宗教の教祖とか社会的なステータスの高い職業など、たまたま才能や能力、養育環境に恵まれているケースなどで表面的に高く評価され続けている状況では、表面上安定していることは可能である。

 (もっとも最近何例かテレビで見かけるが、スポーツの頂点にいてもジャイアン的な弱さを露呈して明らかな自爆的な失敗をすることもあるので、あくまでも「高く評価され続けている限り」の話である。)

 上記のような一握りのたまたま運良く恵まれたケースを除けば、「努力家像のインストール」と「合理的ADHD像のインストール」という回復像が可能だ。

 努力して資格などを取り、地味だが現実的な実績で評価されるというスタイルをインストールするとジャイアンは「努力家」となる。

 また、合理的なADHDに囲まれて育ったケースなどは、合理的で明るく公平で情緒的にドライなADHD(「天然」の線)の行動パターンをインストールして、かつての私のようにジャイアン的な醜さが表面化しないこともある。

 この他に、ちょっと違うパターンだが「依存型ジャイアンがパーフェクトな積極奇異型ASに服従する」という安定した姿も(一時的には)可能ではある。

 ジャイアンの回復はそのジャイアン本人のこれまで生きてきた環境と身に着け(インストールし)てきたスタイル、これから先の人生の中での現実的可能性をにらんでオーダーメイドで環境を調整しながら努力家や合理的ADHDをインストールする成り行きを演出することである程度は可能となる。


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コメント

    • 匿名
    • 2007年 12月 27日

    ジャイアンの回復とは、「ジャイアン本人の現在の周囲の環境への表面的な適応」。よくわかります。でしゃばりたいところをぐっとこらえる、それが周囲の人を幸せにしないまでも少なくとも不幸にはしないのだと自覚認識し、それを自己の喜びとするよう努力する、ということじゃないでしょうか。

    • エイト
    • 2007年 12月 27日

    地道な努力や恵まれた才能で表面的に対外的に適応できているジャイアンは幸せだとは思うのですが
    そういう安定したジャイアンほど弱い立場の人間、親、兄弟、子供、部下などに対して横暴で理不尽な醜い性格を露呈します
    ここが自制できたらどんなに幸せでしょう
    私も自分のそういう部分、大嫌いです
    精神を壊す手前の低い自己評価も長続きしないのでほんとうに懲りていません

    • パパイヤ
    • 2007年 12月 29日

    YANBARU先生ありがとうございます。イメージがつかめました。
    周囲とうまくいっているかどうか知るには、本当のことをはっきり言ってくれる人が周囲にいないといけないですね。(通院やカウンセリングでもいいかもしれませんが。)
    自分ではトラブルなくうまくやってるつもりでも相手はすごく我慢してるかもしれないですし。まあでもすごく我慢するのはACや共依存の人だけかな。多数派でACでない人なら、ジャイアンとは利害が一致する部分だけ付き合って、迷惑はこうむらない付き合い方をする気がする。
    ACや共依存の人とつるまないようにして、それでもなおかつ周囲とうまくやって行けてればいいのかな。

    • 匿名
    • 2007年 12月 30日

    YANBARU先生
     今年はお疲れ様でした。大変私自身の参考になる記事ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。どうか良いお年を。ではまた。

    • むーん
    • 2008年 7月 28日

    >この他に、ちょっと違うパターンだが「依存型ジャイアンがパーフェクトな積極奇異型ASに服従する」という安定した姿も(一時的には)可能ではある。
    これは、まるで私の母の半生をなぞったような姿です・・・(最終的には、父に追い出されてしまいましたが。)
    私も、母と同じ生き方を、AS彼との間で繰り返そうとしましたが、無理だった・・・(「依存」のやり口が下手だったせいもありますが。)
    今、家が高機能しなくなりつつあり、表面的適応が難しくなりつつあります・・・これが、いわゆる「底つき」なるものかなって思うんですが。
    この年になって、AS彼が強制した「努力」が自分にできるのかどうか分からないけど、やるしかない状態です・・・
    いつも厳しいお言葉、YANBARU先生ありがとうございます。

    • 2008年 10月 30日

    ・・・一握りのたまたま運良く恵まれたケースを除けば、「努力家像のインストール」と「合理的ADHD像のインストール」という回復像が可能だ。・・・
    ・・・ジャイアンの回復はそのジャイアン本人のこれまで生きてきた環境と身に着け(インストールし)てきたスタイル、これから先の人生の中での現実的可能性をにらんでオーダーメイドで環境を調整しながら努力家や合理的ADHDをインストールする成り行きを演出することである程度は可能となる。・・・
    この記事でした。
    インストールでした。

    • rinomi
    • 2014年 1月 30日

    最近になって、
    例えば行き詰った時
    同じ意味なんだけど、
    「頑張ったけど、報われない」からもっと頑張ろう、と考えたら、息がつまりそうだけど
    「努力したけど、報われない」からもっと努力しよう、と考えたら、今よりよい自分になる可能性があるような気がして、
    出来ないことが多い私にとって、もっと、可能性があるように考えたら、努力してみようと意識できることがとても多くなっています。
    今までイライラすることがないから、怒ることがなかったのに、
    よくイライラしている自分がいるように感じて何かと、自分自身に変化があるように思うのですが、いまは努力してよくしていきたいと思います。

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