ADHD関連

中心志向と攻撃性

ジャイアンの攻撃性について考え続ける作業を続けている。

 結局「見下す」「かわいそう」と表面的な装いをいくら変えてみても、「自分が上に立ちたい」というジャイアンの中心志向と自己中心性は「蔑む」ニュアンスとしていずれ相手に伝わるわけで、「攻撃性」と何も変わらないように思えてきた。

 違うのは、反撃されたときに「そんなつもりは無かった」と逃げたり、逆に「恩知らず」と逆切れしやすい点だけだろう。

 だから根本的に、「見えなければ、伝わらなければ良い」ということではなくて、中心志向が存在すること自体を問題にするしかなくなると私は思う。

 「相手は相手、自分は自分」という合理的なADHDには当たり前の認識がジャイアンにはできない。「褒められるのは相手でなく自分で無いといけない」「相手のほうが上だと許せない」という非常に醜い僻み、妬みの認識があること自体が攻撃性の根本的な根拠であり、これを私は中心志向と呼んでいる。

 以前「砂漠の岩山の孤独」などの考察では、私は中心志向からくる自己突っ込みで説明を試みた。「自分が下」と考えた途端に、奈落の底に真っ逆さまに墜落して、自分は生きている価値すらないというところまで落ちていく不安があり、中心志向はその不安から逃れようとする働きであると考えた。

 であれば、「自分は最悪で、これ以上落ちない」と考えたほうが良いという方法はあるかもしれない。実際問題これほど醜い脳を持ち、他人が褒められると激しい妬みや僻みが生じ、自分の非を認めきれず逆切れして相手をつぶしにいく攻撃性があるというのは「どうしようもない」のは「事実」なのだから。


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コメント

    • むーん
    • 2008年 8月 03日

    それは、どうかと思いますYANBARU先生・・・
    私は、20代の時一時仕事を持って自立していました・・・が、ジャイアン祖母の世話&半同居をAS父に命令されたとたん、彼女の「突き落とし攻撃」で、頭がおかしくなってきた。おまけに、同時期悪いことにかなり手痛い失恋をして、
    実家に戻ったら、そこにはAS父に依存するジャイアン母と可愛いAS弟とのパラダイスが出来ていて、「なんでお前が帰って来た」と言わんばかり。
    で、睡眠薬を飲もうとすると母に「あら、そんなもので今どき死ねないのよ」と嘲られるし、父には「看護婦見習いでもしろ」と命令されて、8ヶ月で発病したら、父と母は、知り合いの家に私を預けて逃げ出してしまいました。
    運よく(?)、そこの家のお嫁さんが精神科医だったので、僻地の病院を紹介されましたが、そこは重度の知的障害者ばかりの施設で、文字通り地獄を見ました。
    そこを退院してから20年間近く、「自分は最悪で、これ以上落ちない」と考え、家で暮らしてそれなりに確かに安定していましたが、いい事は何もなかったです・・・
    私が立ち直ったのは、よくも悪くもAS彼と恋愛したからです。私にAC理論を説く彼は、ヘレン・ケラーに対するアニー・サリバン先生のようにさながら思えました。
    中心志向は、時として悪いことばかりではないと思う・・・こればかりも無くしてしまったら、ジャイアンは誇りを失くしたライオン=廃人になってしまいます。
    と、感じるのですがどうでしょうか。

    • エイト
    • 2008年 8月 03日

    今回の先生のテーマは最初難しくてすぐには理解できませんでした。
    でも私と主人と子どもの関係にあてはめるとよくわかります。
    主人は確固たる自我がある人です。でも仕事と趣味以外に動くのは嫌い。
    そのうえいちいち私を批判します。
    こうしろああしろと言われても、当然のごとく私は中心志向を効率よく働かせて主人に反論、反撃し続け、我を通していました。
    自分の考えよりも主人の考えを尊重するというのができない、許せない。
    責任をとりたくないし丸投げしたいくらいなのに”主人のやり方で私が実行する”なんて言語道断。
    どうせ自分がやるしかないなら、自分のやり方でやりたい。
    そうやって突っ走っていました。
    ところが、自業自得の法則には私でも勝てません。
    長男に対する私の強迫と甘やかしetc、自分の我を通した結果、自分には解決できない問題の海で溺れそうになっているのはほかでもない自分自身でした。
    長男をACにしてしまったという罪。
    そのときに自分のくだらない中心志向など何の役にもたたない、何の価値もない、自分は最低の人間だと心底思いました。
    「自分は無能だ」と自覚してはじめて素直になれる。
    このまま溺れて死にたくないと本気で思いました。
    私の中心志向はこのとき確かにゼロになりました。
    その時から少しずつ海面に浮いてきて、呼吸ができるようになりました。
    でも呼吸ができたとたんに今度は別の場面で中心志向が顔を出す。
    私を海中に引きずり込むのは私のくだらない中心志向だとわかっていても、呼吸ができたとたんに「私が溺れないのは私の泳ぎが素晴らしいからよ」と自惚れるのです。
    この浅はかでみっともない思考回路、どうにかならないのでしょうか。
    砂漠に海はないはずなのに・・
    ライオンはほんとうに泳げるのでしょうか・・

    • むーん
    • 2008年 8月 03日

    多数派のヘルパーさんと半月暮らして分かった事ですが・・・
    多数派やASにも「中心志向」はあるんですよイヤというほど。だけど、それを上手く隠せるし、ジャイアンほど全てにおいて表面的にしつこくないんです。
    (あくまで「表面的に」です。むしろ、根はジャイアンよりがっついてる人もいる。)
    でも、多数派は基本的にあきらめが早くてあっさりしてるんです。ここがASやジャイアンとの違い。
    だから、恋愛のサイクルも速いし、人生計画もいくらでも(?)立て直せる。その代わり、「物事をとことんまで熟考する」ことがないんです・・・(あくまで、私見ですが。)
    多数派のヘルパーさんと一緒に料理をすると疲れるのは、この辺です。「これは上手く作ろう」とか、「今度何を作業しよう」とかいう「気負い」がないから、どんどんパッパッと料理が出来るんですよ・・・
    (私は、「なにからやろう」からして身構えてしまうから、複数の作業を同時にこなしたり、目分量がなかなか出来ない。結果的に下手な訳じゃないんですが。)
    その辺なんじゃないかな問題は。(ある点において)「自分は神様」って思ってる人ってジャイアンに限りませんよ。

    • むーん
    • 2008年 8月 03日

    (勢いで続投します)
    確かに、ジャイアンには「どらえもん」のジャイアンのごとく陣地取りして「一番だ、わーい」と騒ぐ傾向はおおありです・・・(AS元彼にも、この傾向あった、だからあいまいポジションの人かなと疑ったんですが。)
    しかし、多数派がそれを「自分をわきまえて」従っていると思ったら大間違いです。それこそ「おどけて」我慢をしてるか、遠まわしに「ばっかじゃなぁい」と思って、いじめているのに、気がつかないでボス気取りしてるのがジャイアンの浅はかさとゆうものです・・・。
    で、多数派にいざ”中心”を取られると、逆切れしてわめく。(これは本当。)しかし、(何度も言いますが)多数派はジャイアンのそういうところも含めて「子供だな」と逆に実に冷ややかに見下してます。
    早い話、家の多数派ヘルパーさんは(給料払ってますが)「掃除」なるものをしない。(替わりにTV見てます。)AS&ジャイアンやっかい家族に居つく奇特なヘルパーさんがいないから足元見られてるんです。しかし、何も反撃できないのがこっち側というのが現実です・・・
    以上。多数派が「見下し」や「中心志向」をしない訳じゃないです・・・。隠れてやってるだけです。(断言)

    • エイト
    • 2008年 8月 03日

    中心志向と思い込みが私を自己突っ込みの底なし沼に落とすとよくわかっているものの、砂漠を放浪してると本能のごとく中心志向が働きます。
    低い自己評価を言い聞かせてもどうしても反応してしまう。
    修行が足りない・・かな。自分は中心志向が少ないと言う方がいたら是非コツを教えてください。

    • むーん
    • 2008年 8月 03日

    エイトさん
    私も、中心志向が激しく強い方ですが、AS彼と出会って、一つ得たものがあります・・・それは「努力」です。
    「修行」というのは、やればやるほど偉くなったような気がする落とし穴があるけど、自分の「中心志向」に自ら近づくべき(目標実現と言うか)「努力」をしようとすると、
    (私は怠け者なので、)「あー実際には中心にはまるで遠い、こんなに実現は大変なのか・・・非力だ」ということが骨を折るたび(あんま折ってないけど)に非常に勉強になって、かなり自己評価が下がりました・・・。
    PS;家の、ASサバイバー祖母は、今思えば今回のスレッドに全く即した人でした。最期の最期は、皆に嫌われて悲惨だったけど。思えば、今病院にいる母もそうです・・・私もよくよく肝に銘じないと。(ぞぞぞー。)

    • you
    • 2008年 8月 05日

    むーんさんは、多数派のことがよくよくわかってらっしゃると思います。
    >多数派やASにも「中心志向」はあるんですよイヤというほど。だけど、それを上手く隠せるし、ジャイアンほど全てにおいて表面的にしつこくないんです。
    (あくまで「表面的に」です。むしろ、根はジャイアンよりがっついてる人もいる。)
    でも、多数派は基本的にあきらめが早くてあっさりしてるんです。ここがASやジャイアンとの違い。
    >多数派が「見下し」や「中心志向」をしない訳じゃないです・・・。隠れてやってるだけです。(断言)
    自分がメジャーになりたい、認められたい、場の中心になりたいって、多数派もみな同じだと思います。それを剥き出しにするのは恥ずかしいっていう感覚から、何気ない風を装う術を何故か身につけているのが多数派。多数派も批判されればいい気分じゃないですし反論も主張もするでしょう。
    障害なのかどうかは、スペクトラムがどれくらいキツイのか、隠せるか滲み出るか、の差なんだと思います。
    多数派の「見下し」は、「下す」というよりも、「見ている」だけっていうイメージかもしれません。「ああ、この人はなんだか変わっている人だから、とりあえず当たり障りの無いように距離をとっておこう」とか「なんか言っているけど、そうですねーと相槌しておこう」とか、第三者として観察しているだけのスタンスをとろうとするように思います。そこには見下しているという感情はあまりなく、「そういう人もいるよねー、変わってるなー」くらいで、いつでも逃げられるようにズルく立ち回るのが多数派だと思います。
    また、多数派は、2番手3番手になって悔しくても、まあいっか、私にはこういういい面があるし、等と別の価値観にシフトしやすいように思います。ある意味、ジャイアンの「自分は自分」とは異なる、真の「自分は自分だから」に逃げられるというか。自己の絶対的価値を認めやすいのが多数派、自己を相対的価値に置きがちなのがジャイアンなのかな、なんて今思いました。だから、誰かがジャイアンに対して絶対的価値を肯定してあげると二次障害等から回復しやすいのかな・・・。

    • kei_
    • 2008年 8月 05日

    youさんのコメントを読ませてもらって、「多数派とADHD(ASも)」の比較が、「AC」とすごく被る部分が多いなぁ・・と感じました。
    例えば、後半部分の
    >自己の絶対的価値を認めやすいのが多数派、自己を相対的価値に置きがちなのがジャイアン
    などは、ACとかジャイアンとかではなくて、いわゆるメンタル的に不安定になりやすい人に共通していることのように思います。
    そして、これが身に付いていないなら、この先身に付けていくことで、今抱えていることの一部もしくは、かなりの部分で変化が生じる・・・・
    一生の「財産」とも言えるくらい大切なものかもしれないなぁ・・・と。
    ただ、成人した人間が一から・・・となると、かなり道のりは長いものになりそうな気もします。
    そもそも依存関係にあって、育ってきた場合(自分も含めて)他者との境界が曖昧です。
    ここからして、アウト!!(笑)。
    他のエントリでも書きましたが、自分と違う存在(考え方etc)と出会い、その中で自分に身に付いているものを1つ1つ分析なり理解なりして、以前先生が書いていたような上書きor再インストールしていく・・・
    そうしていく過程で、少しづつ「しつこさ」(思考に対する)も弱くなるかも??(かも、ですが。笑)
    >~前略~ 等と別の価値観にシフトしやすいように思います。ある意味、ジャイアンの「自分は自分」とは異なる、真の「自分は自分だから
    こういうスタンスに向けてのチャレンジのように思います。

    • むーん
    • 2008年 8月 06日

    >また、多数派は、2番手3番手になって悔しくても、まあいっか、私にはこういういい面があるし、等と別の価値観にシフトしやすいように思います。ある意味、ジャイアンの「自分は自分」とは異なる、真の「自分は自分だから」に逃げられるというか。自己の絶対的価値を認めやすいのが多数派、自己を相対的価値に置きがちなのがジャイアンなのかな、なんて今思いました。
    >だから、誰かがジャイアンに対して絶対的価値を肯定してあげると二次障害等から回復しやすいのかな・・・。
    これはそうだと感じます・・・結局ジャイアン(ACもだけど)が求めているのは「お母さん」なんだと思う。(端的ですね。)
    で、実際私の友人(親から肉体的虐待を受けたACですが)
    の中には、「だめんず・うぉ~か~」を繰り返した結果、よい男性に落ち着いて(と、言っても彼女の紐状態なんだけど)それでようやく「彼が、”お母さん”をやってくれるので自分はACから”こども”に戻れた、」とゆう人もいますね・・・
    わたしもよくAS元彼を、一人の時は「ママ」と呼んでいました。(情けないけど。)ただ、問題は”しつっこい”ジャイアンにそこまで誠実に、我慢を重ねて付き合ってくれる人が、なかなかいないと言う点ですね。

    • むーん
    • 2008年 8月 14日

    い・・今、「岩山の天辺」から、見事に「井戸の底の下」に叩きつけられて、自己評価は0に限りなく近く、非常に辛いです・・・
    なんとか、皆さんのお援助から井戸から這い出そうとしているところです。
    やはり、(ここからは言い訳になってしまうのですが)ジャイアンにはどこかで「中心志向」を爆発させる手がないと、窒息してしまうのではないかと感じます・・・
    もちろん、ここはYANBARU先生の道場で、ヘンな無手勝流を身につけている私がいると邪魔かもしれませんが。
    なにか、個人的な希望ですが(すごく大変だと思うけど)「言葉」を使う仕事に就けないものかと最近思っています。

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