AC、人格障害関連

中間または合併②二次的な症状

 前回の①への書き込みやメールは大変参考になります。ありがとうございます。今後ともよろしく。

 さて私が「ADHDのAC」という考え方を提案しているのは、実は実際の臨床の中で、片付けなど表面的にはとてもADHDには見えない人のなかに、ADHDと考えると治療やケアの方法が見えてきて、実際うまく行ったケースがたくさんあり、「表面上ADHDには見えない人の場合でも、ADHDを最初に疑ってみる必要があること」を理解してもらうために有効だからだ。

 他にも、「AS被影響症候群」のADHDの人は表面上はよく強迫的になり、逆に受動型ASの人は「どの相手にもきちんと合わせるがゆえに」結果として表面上場当たり的に見えたりする。

 ここで大事なポイントは、「もともとの認知と行動のパターン」と、現実の不適応の中で「二次的に身に着けてきたパターン」とを区別したいということだ。

 ADHDのACの人は、ACとして周囲に合わせる死に物狂いの努力の結果、ある程度はADHDらしい注意欠陥などは表面上目立たないようになっていることも多い。しかしうつ状態になったり強迫症状が出たり、パニック障害や離人症、SAD(社会不安障害)などの別の病気になったりする。

 こういったケースで、表面上に現れた問題を本当に治すために大事なことは、「元々はADHDだった」ことが分かることであり、診断はそういう意味で重要だと私は考える。

 だからそれぞれの当事者の方が自分自身を振り返る時にお願いしたいことは、「それぞれの特徴が元々のパターンであるのか二次的なパターンであるのか」を考えて欲しい。

 母親がASだったり、自己正当化型ADHDの場合のADHDのACの場合は5歳前までさかのぼることもあります。AS被影響症候群の場合はASと同居する前の自分自身はどうだったか? というようなことになります。その眼で自分を見つめた結果を教えてください。よろしくお願いします。


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コメント

    • パパイヤ
    • 2007年 2月 21日

    何から書いていいのか分かりませんが、私が以前「ADHDとASの合併だ」と思いつめていた理由は、ネットにあるAS自己診断で高得点になったからです。
    「一人でやる作業が好き」「パーティーが苦手」「雑談が苦手」とかにチェックを入れました。しかしよくよく考えてみると、(恐らくAS夫との)結婚前は土日や金曜の夜は友人と連れ立って出かけてたし(初対面の人もいた)、一人でやる仕事は「こんな辛気臭いこと私に向いてない」と思ってやめて人と関わる仕事が多かったことを思い出しました。結婚前の自分に戻ってチェックをすると、AS的要素は薄いような気がしてきました。

    • yurin
    • 2007年 2月 22日

    >「それぞれの特徴が元々のパターンであるのか二次的なパターンであるのか」を考えて欲しい。
    これは、自分で判断するのは難しいかもしれませんね。私自身も
    『ADHDの特徴』と思いこんでいたものの中には二次障害の特徴だった、というのもありましたから。私の場合親が『自己正当化型ADHD』なので5才前までさかのぼって・・・ということになると自分の記憶が殆どないので、難しかったです。覚えていたのは『幼稚園の脱走未遂事件』だけでしたから。
    ただ、この事件1つとっても自分の元もとのキャラクターは割り出すことはできました。詳しくは他スレッドやブログに書いたのでここでは省きますが、ADHDなら多動や衝動性や不注意が障害の特徴ですから、それに関連するようなエピソードがあるかどうか。
    ASなら、特に幼児期は『こだわり』が多くの場合に見られるはずですから、こういう記憶が自分にあるかどうか。例えば『夜眠るときに毎日同じぬいぐるみと一緒に寝る』とか、『食器や着るものにこだわることがあったかどうか?』。
    この他にも、『常道行動の有無』(クルクル回ったり、体をゆすったりする、などの行動が、ASの場合にも幼児期に見られることがあります)。また『クレーン現象』といって『おかあさん、とって』などと言葉で言うのではなく、人の手を取ってものを取らせる、『指さしをしない』など幼児期の発達段階において、言語的・非言語的コミュニケーションに問題がある場合もあります。(親に聞いてみるといいかもしれません。もしも覚えていれば診断の重要な手がかりになります)

    • HIKARI
    • 2007年 2月 22日

    >物に対する愛着について
    4~5才位のことだったと思いますが、愛用の枕があり「枕ちゃん」と名前をつけていました。あまりにボロボロになったので、捨てられることになったのですが、確か身を切られるような思いで泣いたし、母も枕の端を三角に切ってマスコットのようにコンパクトにしてもらった記憶があります。色も手触りも覚えています。何でもかんでも自分の物は捨てられないということはなかったですが、お気に入りの物には「命」「心」があるように思っていたように記憶してます。
    今は、買い物には使い捨てになるような素材は極力避けています。キザに聞こえるでしょうけど、「本物志向」で素材重視です。長く使えること、使うことによって「味」が出てくる物が好きです。これが「こだわり」と言われるのでしょうけど。
    私の「こだわり」は元々のパターンだと思います。
    >人格対人格という通常の友情や恋愛形式と異なる人間関係のイメージを持っている。
    この歳になっても嬉しいことに、異性の友達から定期的に飲みのお誘いがあります。相手は男性2人と私だけ女の3人組なのですが、彼らは私のことを女性として認めながらも、堂々と下ネタを連発してきます。その対応が私は一般女性と違うようです。セクハラされたら私は「逆セクハラ発言」で対応するので益々面白がられています。
    そういうところが「他の女と違う」とよく言われます。
    飲み会も2対1ではバランスが悪いから2対2にしてほしいと言っても、「他の女がいると気を遣って面白くない」などとはっきり言われます。この奇妙な3人組の「本音トーク」は実は私も気に入ってます。
    親密な関係にはなれないけど、心が子供同士で「話が合う」と思っています。これも元々のものだと思います。
    鬱になったのはいつからなのかわかりません。
    心が健康的ではないのは自覚できていましたが、単に「自分の性格の悪さ」だと思っていました。特に落ち込んだのは、子育ての時期だったと思います。
    他のお母さんが実に自然な振る舞いで子供と接しているのを見て、「自分に欠けているものがある」と気づいたからです。ちゃんと掃除もしたし、ご飯も作ったし、お風呂も入れた、だけど・・心がこもっていたかどうか・・子供にどう接していいのか分からなかったような気がします。
    これは元々なのか二次的なものなのか自分でもわかりません。

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