ASの認知の特徴は、想像力の問題と関係がある。コーチングのより深い考察へ向けて、しばらく想像力の問題に踏み込んでみようと思う。
多数派は現在の状況認知は直感的にできる。場の参加者の口ぶりやしぐさ、表情などの細かい情報を総合してお互いの全体の中の「地位」や「立場」などを察知し、多数派には共通する「状況理解」の答えに達する。
しかしこの直感的な状況認知は、異文化や未知の領域にはほとんど通用しない。つまり多数派の想像力は、「多数派のスタイルが適用される限り有効な応用力」ということになる。従って多数派は異文化や未知の領域に必要以上の不安を抱く(と私は思う)。
ASは多数派と同じような直感的な状況察知は出来るが、意味づけが独特である。特に自分を脅かす可能性のあるものなどへの「関連付け」が強いために、被害妄想的ともなる。
AS-ADHDカップルなどで問題になる想像力は、「異文化や未知のものへの想像力」だ。多数派もこれは不得手であり、ASはもっとも苦手とする。
未知であり、どんな反応が来るか予想できないような状況での「分からないことに耐えられるか?」や「決め付けないでいろいろな可能性に対応できる柔軟性をどこまで持ちうるか?」などが実際上の「想像力」の前提になってくるだろう。
ここで言う『想像力』をASの人が『そこそこ習得する』のは、認知の特性から考えるとかなり努力が必要ではないかと想像します。がしかし、その『事実』はありながら『他者に近付きたい(共存したい)』衝動を持つASの人、というのもまた『事実』でもある。
他者と『共存』するためにはあらゆる『生まれ持った認知の壁』を『完全とはいかないまでもある程度』越えることが必要でもある。それもまた『事実』。
だけどその先には『努力次第では』他者と共存できる可能性があると、そういう『意思の力』を信じていきたいですね。
済みません。雑感の方から持って来ています。
> 何でも既知のものに結び付けてそれで安心というASの発想は、根本的に「創造」の可能性から遠い。
安心のためではなく、既知のものに結び付けて理解する。結び付けられなかったり結び付けが破綻した時には、詳細に検討する。その結果、新しい視点や観点が加わるし、発見もある。そんなイメージです。
私の場合、仕事に付いては、そのイメージで行っていて問題ないのですが、どうやらそれは人間に対しては上手く機能しないって事なのですね。と言うか、理論が破綻してからでは遅すぎる。
私の場合、人と分かり合える、理解し合えるという私の万能感を排除するのが最初なのかも知れませんが、世の中の誰とも分かり合えないのかと、とても寂しい気持ちになっています。(これも100%を求めるASの考え方なのでしょうが)
>ASは多数派と同じような直感的な状況察知はできるが、意味づけが独特である。特に、自分を脅かす可能性のあるものなどへの「関連付け」が強いために、被害妄想的ともなる。
私、これをやってました。
やっと、分かりました。
>未知であり、どんな反応が来るか予想できないような状況での「分からないことに耐えられるか?」や「決め付けないでいろいろな可能性に対応できる柔軟性をどこまで持ちうるか?」等が実際上の「想像力」の前提になってくるだろう。
これが、生きていく上での、私の課題だと思います。