ADHD関連

バランスと制御

 ADHDの過集中状態について、私は「リミッターを振り切った状態」という風なイメージで考えている。

 脳の働きも他の身体の働きと同じく、フル稼働を続ければ神経伝達物質などが枯渇するといった機能に必要な条件があり、その範囲内以上に働かないようにリミッターがかかっていると想像する。

 そのリミッターの働きは、同時に脳全体の統合的な働きとも同期して、各部分のリミッターは調整されているのに違いない。

 その結果、おそらく多数派の場合、脳全体の働きから見てこれ以上働いても効率は上がらない(あるいは脳全体が危険な状態になる)というある水準で「疲れ」や「意欲の低下」を感じ、それ以上脳を酷使出来ないように脳は統御される。

 ADHDはこの全体の統御の機能が落ちていて、各部分が暴走するような脳の働きかたをしていると私は想像している。

 例えば、言語的・物的な情報処理を行う頭頂葉の働きと情緒や快不快に関与する大脳辺縁系とがバラバラに働くことで、「超合理的」になることはある程度説明可能だろう。

 多数派の世界の「中庸」や「バランス」とは、自分の脳内の情緒的な部分と情報処理、行動などの統合がまずあり、さらにその個人内の調整水準を他者との対人的な非言語的なやり取りの中でお互いに調整するところまで自動的に「直観的」に行われ、その結果が「安心」や「不安」、「空気を読む」という現象となっているのだろう。

 対してADHDは自分の中の統合がまずうまく行かず、その結果脳の各部分がバラバラに活動し、当然他者との関係の調整は困難であり、他者との関係の中での「安心」に代わるものとして過集中の一種の「充実感」を追い求める。

 リミッターが機能しないので、「火事場の***」のように各部分の働きは一時的に甚だしく働くことがあり、「ただ記憶する」とか、「ただ**する」というシングルタスクの場合は多数派よりも集中できることがある。

 逆に脳の各部分をバランスよく使い、また他者とのチームプレイが必要な場合では当然非協調的で、自分の中では「無駄なエネルギーの消費が多い」という結果になるだろう。

 少なくとも自分の中での「統合」は意識的なトレーニングである程度カバーできないか、少しずつ考えている。

 


関連記事

  1. AS-ADHDカップルの成立条件
  2. 意志と選択
  3. 「依存」と「丸投げ」
  4. 自己正当化型ADHDのケース③
  5. 電動アシスト自転車
  6. コンサータの成人への処方②
  7. あるコメント
  8. ジャイアンの「面倒を見たい」衝動

コメント

    • ひまわり
    • 2009年 3月 17日

    本当に、よく頑張る次女が、こんなADHD脳を持っているように感じます。
    最近も、その事で、次女を叱り倒してしまいました。
    なにせ、自分も同じような脳を持っているものですから、
    お互い、怒りには怒りを持って反応してしまい、
    親とは思えない罵声を浴びせてしまう。。。(反省)
    先生がおっしゃる通り、娘も
    >「ただ記憶する」とか、「ただ**する」というシングルタスクの場合は・・・
    本当に素晴らしい力を発揮し、200%の頑張りとそれに見合った結果を出します。
    しかし、
    >脳の各部分をバランスよく使い、また他者とのチームプレイが必要な場合では当然非協調的で、自分の中では「無駄なエネルギーの消費が多い」という結果になるだろう。
    確かに・・・そういう結果になってしまいます。
    以前、娘に「ADHDらしき特徴があるから、気を付けよう。」みたいな、助言をしましたが、
    不信感を持たれただけで、終ってしまいました。
    結局、22歳になった今も、同じ事で叱られているんです。
    一つの事しか頑張れず、周りは全く見えていない為の、周りを巻き込んだ失敗などが起きる・・・ということ。
    幼児~学生の間は、ずっと先生に言われたことが、「忘れ物」でした。
    懇談のたびに同じことを言われ、呆れ返りました。
    今でも、『○○し忘れ』は日常茶飯事で、本人は(私から見ると)コレくらいの事…と思い、『シマッター』と感じているようには全く思えません。
    その上、普段過集中で頑張ったり成果を上げたりしているものだから、日常的に『○○し忘れ』てしまう自分を棚にあげ、逆切れしてきます。。。
    > 少なくとも自分の中での「統合」は意識的なトレーニングである程度カバーできないか、少しずつ考えている。
    私も、娘が『そういった脳だから…』と理解できれば、『色々な面に意識が向けられていない自分』に気付くことが出きるのではないかと思い、なんとか娘に伝えたいのですが・・・

    • kcotan
    • 2009年 3月 21日

    なんかこれを読ませていただいて思い出したのですが、
    私が学校の授業で聞いて「真理」のほかに気に入ったのが「中庸」って言葉でした。
    いまも常に、一方向からの見方に偏ってないか、自己チェックを欠かしません。
    なんというか、より真実に近づきたいと思うと、やっぱり「中庸」なのだと強く思います。
    ちなみに、主婦が見るようなドラマとか見ていると必ず出てくる、偏った興奮のしかたをするキャラクターとかが、かなり反面教師になっています。
    安易な嘘とか誤魔化しとかがヤバいと思ったのも、土曜ワイド劇場とかの影響でした(自分がついた嘘を通すために、どんどん人を殺して行くみたいな不毛な展開の話が多かったので)。
    思えば妄想激しい子供でした。

    • ぴよよ
    • 2009年 4月 05日

    一昔前はうつ病やアルツハイマーが人に避けられる病気で、その前は障害者全般が人に避けられて・・・。今は許されない症状も昔はノイローゼで許されて・・・。
    一つのハンディの偏見が無くなっていったらまた次のハンディが偏見の対象になっていき、時代はそれを繰り返し、今は発達障害がその対象に・・・。
    暗黙の空気で不運や摩擦、非効率の元凶にされて、身近な人と対等に接する権利を失い、サラリーを貰う代わりに罪悪を背負った自覚を持たされ、自力ではそれを追い払えず、家族と当事者集団と医師とインターネットを、それぞれやんわり断られ避けられ続けながらくるくる回され、弾かれ続け、障害を罪悪と捉えさせられることも罪悪感を持たされ、罪悪感を持たない自分も職場で距離を感じ、距離を縮めるために笑顔で演じ、家では目眩を感じても頭痛を感じてもなお、自意識の居場所が定まらず。
    犬でいいんです。
    リタリンを飲まない私は、白黒で言う白にはこの先ずっとなれないことは分かりました。
    右脳は犬、左脳はフリーズするパソコンでいいんです。
    ただ、時々でいいから散歩をさせて貰いたいのです。
    ASもファンタジーには陥りやすいです。
    私も例外ではありません。これだけ文章量を書くということは、そういうことだろうと思っています。
    ただし、ファンタジーにバランスを崩すほど浸されて、予想外事態や転勤に対応できずに過去に醜態をさらしました。
    記憶は残ります。
    善後策を立てることしかこの悔しさを整理する方法はありません。
    他人は言います。勝手に思っています。「休みがあるでしょう。」しかしサラリーも休日もあってもどうにもならないこともあったのです。
    私の脳に合わせて、私の機嫌をリセットする犬のお散歩をして貰いたいのです。
    癇癪に繋がらなくなってきただけで、機嫌を立て直すことはひどく消耗することは変わらないし、希望がないまま放置され続けるのは年々先が見えなくなっていく気がしています。
    ごめんなさい。愚痴しか書かさらなくて、ごめんなさい。

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2009年 4月 06日

    ぴよよさん。
    >愚痴しか書かさらなくて
    愚痴がこぼせるようになって、良かったですね。
    私は未だに善後策での過集中で乗り切るしか術を知りません。時々現れてくる「泣きじゃくる男の子」を、意識化、言語化できていません。
    医師からは、居直りが上手いといわれてますが、「泣きじゃくる男の子」を押し隠しての居直りですから、バランスに欠いています。私の課題の一つは、愚痴をこぼせるようになること。

    • ぴよよ
    • 2009年 4月 07日

    ヒゲ達磨さん、こんな愚痴に返してくださって、すみません。
    私は・・・欠点なのですが、むしろ愚痴を言いすぎる特徴があると思っています。
    インターネットの書き込み量を減らそうと思ってから今の量まで抑えるために、5~6年かかりました。
    すごく書いた時期は、読むだけでも一時間半かかる文章を書きました。書かないと不安定になり、書くと生活が乱れました。
    自己分析には役立ちましたし、こんな自分にも、諦めていた不足したコミュニケーションを取り戻す方法があるんだと夢を見れた一時期もありました。
    コミュニケーションを取り戻して精神安定し、なおかつリタリンと医療支援と親密な人の正確な理解などを受けられれば、仕事や私生活をこなしていくことに行き詰まることなく、破綻無く生きていける見通しが持てるかもしれないと、大それた夢ではなく、平凡になる夢を見たつもりでした。
    詳しい経緯はヤンバル先生にだけ知らせたことがありますが、それらを諦めながら減らす、葛藤の毎日でした。
    書くことを制限することは、自分の尊厳を、心身に影響する自尊心を、自分で引き裂く思いでもありましたから。
    もしかすると「泣きじゃくる男の子」をどうにかしたいという思いと、根本では共通項は多いのかもしれませんね。

    • bardie
    • 2009年 4月 08日

    娘はまだ診断されていません。でも親はADDではないかと思います。(5月に病院の予約をいれてあります。)
    まだ5歳なので他人にはわかりにくいのですが・・・。
    リミッターの内容を読んでいて納得するものがありました。
    娘をADDなのかそうでないのか判断しかねていたところはそこなのです。
    元気なときは空気もよめる非常に協調性を持ってお友達と接しているように見受けられるのに疲れた溜まってくるとふいをつかれたようにKYになります。
    そして疲れの溜まり方も蓄積型なので寝たら治るのではありません。
    一週間元気でしっかりしていた娘が二週目ぐらいから様子がおかしくなっていくら休養させても栄養のバランスをとっても疲れがとれないまま一週間を過ごしてしまう。
    しかも体の疲れというより脳の疲れのように感じます。
    これからもこちらを参考にして娘にとって何がいいのかを考えていけたらと思っております。
    宜しくお願いいたします。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP