ADHD関連

AS-ADHDカップル④

AS-ADHDカップル④ --- 受動型ASの場合

 受動型ASは「相手中心」でありながら、自分のこだわりは主張するので、結局「自分のこだわりを尊重してもらえる限りにおいて受動的に愛着する」という関係となり、相手側から見るとはなはだ自己中心的に映る結果になる。

 愛着も「受動的」なので、積極奇異型ASのように「言動で責任を取らない」という見掛けとなる。具体的には「相手がこうだから」と言い続けると言うことになり、「あなた自身の気持ちはどうなの?」と突っ込まれても意味が分からない。

 合理的ADHDは「責任」を重視するので、よほどACでもない限りこの問題に苦しむことになる。他方自己正当化型ADHDは自分が「仕切れる」ので、受動型ASがおとなしく服従していればある種利害が一致する。

 実際の経過を見ると、思い込み型ADHDが持ち前の無私の奉仕でずっと世話を続けるか、合理的ADHDでも「給料を持ってきてくれれば」と割り切るかして共存を可能としている。

 私は「受動型AS」の理解が(難しいのだが)出来れば、「自分が環境として動き、現実的な結果が安定していてくれれば(どのようにしてそこにたどり着いたかはともかく)OK」とADHD的に何でもありの楽観的な受け止め方は可能であると思う。こちらが偏屈であるしかないのと同じように、相手は自分がないのであるから。


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コメント

    • yurin
    • 2006年 12月 11日

    こんにちは。
    受動型AS-ADHDカップル当事者として、
    ADHD側から見た受動型ASへの『正直な印象』としては以下の通り。
    1、どんなときも『相手が悪い』という理論を崩さない。
    2、『こだわりの強さ』
    ・こだわりグッズ(うちの場合は車とバイク)の前には崩壊する金銭感覚。親としての自覚すら崩壊するようにも見える。
    ・こだわりでない(愛着でない)モノ、人、場所、団体・・・等などは激しく攻撃。我が家には『買ってはいけないモノ』『絶対行けない場所(たとえ子どもが行きたいと言っても)』『間違っても契約できない新聞』・・・などがある。
    3、自己認識
    ・かなり周囲に不便を強いておきながら、全くその自覚はない。
    ・自己認識は全くといっていいくらいできない反面、他者を強く批判したりもする。(自分のことは棚に上げてる、という印象)
    4、ちょっと『信じられないような』金銭感覚
    ・最近はバイクが買いたくてか、たまに節約と言ってはコンセントをマメに抜けとか、風呂は続けて入れとか指示する。
    (無駄ではないが、それで新車のバイク一台買えるまでどれくらいかかるのだろうと思うと真面目にやる気にはなれない)
    ・小遣いの使い道にも『こだわり(ルール)』がある。
    これらも考えようによっては、ユニークな個性と思えば思えなくはない。ただ現実的にはそれも状況によりけり。
    結論を言えば、受動型ASの理解は私にとって『非常に難しい』ということになる。
    『超多動な脳』で考えれば、共存できる方法はいくつか思いつくが、私達の場合どれも『時間の問題』という気がしなくもない。
    『夫婦ならお互いの人格を尊重して支え合う』ことを重視しなければ、恐らく私はADHD的に『何でもアリ』と割りきれるとは思うけれど。

    • m・y
    • 2006年 12月 11日

    >自分がない・・・・・
    どうやって自分をつくって良いのか?どうすればつくれるのか?それが分らないから相手に任せるしかないのです。
    その相手が居なくなったら、同じように消える以外には方法はありません。

    • yurin
    • 2006年 12月 12日

    自分とは?ちょっと考えてたことを書きます。
    私にとって自分は『自分』でしかありません。
    そこに確かに存在している生命の一つであり、
    さまざまな感情を持ち、大切にしているものや人を持ち
    そして考え方を持つ人間という生き物です。
    私には名前があります。それはそういうものを持った『私という命の名前』であり、その他大勢のなかの『私』を明確に認識するものです。私は私であり、他の誰とひとつとして同じものではありません。
    つまり『私』という人間は世界にたった一人だけです。
    それは、私もあなたも同じです。
    もしも自分がわからなければ、あなたの好きな言葉を一つノートか紙に書いてみてください。好きでなくても、思いつく言葉をひとつだけ書いてみてください。
    それが、あなたという人間を示す一つのシンボルです。
    あなたが今ここで生きて、何かを考えているという証です。
    そしてそれは、あなたの近くの誰かが消えたとしても
    あなたが生きて存在するかぎり、決して消えません。

    • いずみん
    • 2006年 12月 15日

    最近夫がどうも「受動型AS」のような気もしてきたのでこちらにも書き込みます。
    現在のところ、わたしと夫の場合はうまくいっています。
    夫は技術者で、「相手にわかるように話す」ということがまったくできない人ですが、わたしは夫が「実際何を言いたいのか」を探るのが面白く、いろいろ言葉を投げかけて話をします。
    仕事のグチなどをこちらがこぼすと、夫は(本人としては関連した話のつもりで?)自分の周りの話をしはじめます。多数派の方は「夫はわたしの話を聞かない!」と怒るのでしょうが、わたしの場合夫の話に気をとられて、自分が気にかけていたことがリセットされてしまい、結果として「まあいいか」となることが往々にしてあります。
    普段外部の人と接するときには、夫はうまく話せないので無口なことが多く、わたしはいろんな話が出るのが面白いので盛り上げに回るのですが、家庭内では逆に夫が主に話してわたしは聞き手になります。
    諸々の意思決定については、たいていのことはわたしが決定して夫が事後承諾します。ただいくつか彼がこだわるポイントがあるので、そこは彼の意思を尊重します。わたしは自分の考えにあまりこだわりがないので。
    以前のコメントでわたしから見た夫は「自分を最も理解しているという点で重要な人物」であると書きましたが、夫からみたわたしは「面白くて目が離せない存在」だそうです。
    そんな感じです。
    目下心配しているのは、「夫婦の共同事業」であるところの「子育て」を、このようなわたしたちがやり遂げられるかどうか、ということです。子供が多数派であると仮定した場合、どういう役割分担が望ましいでしょうか?

    • 匿名
    • 2007年 1月 02日

    コメントありがとうございます。
    yurin様
     受動型ASは理解が難しいです。こだわりの部分は金銭感覚を含めあきらかにASであるのに、肝心の意志決定が相手中心で、その結果として(自分のこだわりについては主張しておきながら)「相手がこうしたから」という言葉ばかり出てきて、どう見ても無責任な言い逃れをしているようにしか見えないという結果になります。
     ただ理解すれば「言い訳ではない」ということは分かりますが、だからといって責任を自覚した認識の困難さも私には分かります。私は実は受動型ASを自覚した数名の本人から「自分が無い」という相談も聞いており、「本人としてもかなり苦しい」ということは言えるのですが。
    m.y様
     こだわりの部分は確かなあなた自身であると思います。AS的なこだわりの部分を大事にして、それを相手に理解してもらう主要内容とすることで、ある程度の理解は可能となるように私は思います。特に相手が合理的なADHDである場合には。
    再びyurin様
     ADHDにはこういう「自分」は自明に自覚できますが、受動型ASの人には実はあなたの言葉の意味自体が通じない可能性を想像してみましょう。それくらい遠いところに居ます。
    いずみん様
     おそらくあなたが愛着の対象で、あなたが基本的に仕切っていける関係で安定しているのだと思います。あなたがADHDとしてある程度客観的な見方をしていることで可能となっているように思います。ひとつの可能な終着点ですね。
     子供が多数派でも何でも、思春期になったら説明して、客観的に理解させましょう。それが一番手っ取り早い方法です。無理に「共同」にこだわる必要は無いと思います。「いろいろな共同のあり方」というほうが適切かも知れません。
     
    コメントありがとうございました。

    • yurin
    • 2007年 1月 03日

    YANBARU先生
    私のコメントにお返事ありがとうございました。
    受動型ASを理解するのは大変な困難がありそうですね。ただ夫婦としてどうあるかは、人それぞれだと考え『理解』と同時に私達夫婦と家族の在り方を模索していこうと思います。ただ自分の置かれている環境が必ずしも楽観的に考えられる事ばかりでないので、全て一辺に片付けようとすると自分がどうにかなりそうでもありますが。
    こういう環境の中、今はいろんな意味で自分の勉強のためにコメントを書いています。まだまだ専門的な知識は少ないので不適切な表現はその都度指摘して下さい。宜しくお願いします。
    ふと思ったのですが、受動型ASの人が『自分』を認識するのはやはりあまり期待できないのでしょうか?自己の認識無くして、他者をどのように認識するのかとても疑問を持ちます。
    自分がない、という状況を想像すると私はとてつもない不安な感覚を想像しました。そんな世界にいるのならなおさら『そこから連れ出してあげたい』と考えてしまうのですが…。

    • yurin
    • 2007年 1月 03日

    受動型ASの人は『自分がない』から『他者によって自己を認識する』という認知の形態を取る、という事になるのでしょうか?…しばらく考えて一つ結論が見えました。
    でも、その『自己をモニターしてくれる他者』が居なくなるとまた『自分がわからない』になるのですね?
    なんとなく『自分が主導権を持ったほうが事が上手くいくのかも?』という気はしています。ただ常に夫本人の意向を重視する必要はありそうで、子どもがいると難しそうではありますが…。
    私は『難しいほど考える甲斐がある』と考える事もできます。だけど、決して問題を軽く見てはいないつもりです。
    ただ『相手を理解することが何より大事』ということはよく解りました。

    • yurin
    • 2007年 1月 09日

    受動型ASの人の『自分がない』の理由が何となく分かりました。
    単純に『(実は誰でも)自分の姿は見えないから』という、簡単な事でしではないかと思いました。自分から見た時、見えるのは『相手の姿、行動』だけ。恐らく受動型ASの人が認識できるのはこれだけ。人が『本当は自分からは見ることができない自分』を認識できるのは『見えない自分も自分』と認識することが可能だから。今朝息子とのやりとりでひらめいた次第です。
    それを考えると先の自分が書いたコメントは随分勘違いしたものだった事が分かりました。改めてお詫びします。今後コメントには十分気をつけます。申し訳ありませんでした。

    • れい
    • 2014年 7月 04日

    やんばる先生、初めまして。夫の性格に疲れ果て、もしやASではと調べてこちらへ辿り着きました。他のAS的特徴もありそうですが、夫に一番当てはまるのは受動型ASです。
    こだわりを主張する一方で決定権を丸投げし、結果はすべて私のせいにする。予定を口に出さないまま当日(当然ながら)連携できずに計画が頓挫するとやはり私のせいにする。
    そのくせ私の人生計画には何かと口出ししてコントロールしたがり、私が従わなければ「もういい、れいのことは諦めた」と不安感を煽り操ろうとします。
    こうした夫の言動が結婚以来ずっと不愉快で理解不能でしたが、受動型ASの特徴なのだと知って少し楽になりました。夫の性格が苦痛であることに変わりはありませんが、彼なりの理由があるとわかるだけでもホッとするものですね。
    私はグレーゾーンADDと診断済みのACですが、これまでのAC治療経過からADD的な部分も徐々に改善されており、最終的にどの程度ADD的な部分が残るかわかりません。むしろ回復が進むにつれてこうした夫の性格が耐え難くなってきており、ACから回復した時に合理的なADHDになってすっぱり割り切れる気がしません。
    そもそも私のACは夫同様受動型ASだった父による部分も大きく、夫の私のためでない支配を受け入れる事は、ACからの回復を断念する事に通じて強い抵抗を感じるのです。ACを抜きにしても、「もういい~」と他人の不安感を利用して気持ちや行動をコントロールしようとする行いは、AS側にそのつもりがなくともグレーゾーンADD的には苦痛すぎて受け入れられません。
    受動型ASには自己がなく、愛着の対象が支配下を離れると自己が離れるような恐怖があるのかも知れませんが、それはAS自身の問題であり、他人である私にはどうしようもないことです。
    夫や父(受動型AS)の姿を見ていると、私は「100%理解し合えない者同士として助け合っていくのではダメなのだろうか?」と思います。彼らは人間同士の間には存在しない「100%の理解」という幻想を追い続けて生きるしかないのだろうか。人間は理解できるできないに関わらず「助け合える」。それではダメなのだろうかと。
    互いの体調に異変があった時に気付けないリスクはありますが、私が仕切れないようであれば別居婚という形も考えています。

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