17日に記したように、発達障害に求められる診断は「脳の働きのスタイルの診断」であり、医学診断の域を超えてしまう面があるが、本人の生き方を決める上では重要である。
上記の「どの民族に属するか」という意味の診断において、ADHDとASを分けるポイントについて考え続けてきたが、私なりの結論は「人への愛着の有無」だ。
例えば緊張感が乏しくて場当たり的な感じは受動型アスペルガー症候群にも見られ、例えば「ADD」と呼ばれるものとどう違うのかが難しい。
このような場合、私は「お母さんの前と他で態度が違うことがあるか」を私は聞いてみる。「どんなに激しい強迫症状やこだわりがあっても、愛着の対象である特定の人だけは完全に例外となり、その人の前では行動が全く違う」というのが、積極奇異であっても孤立型であっても、特に受動型には典型的に、ASの根本的な特徴だ。群れで行動するオオカミのイメージで私は考えることにしている。
反面、よほどひどいACになっていない限り、ADHDは「誰にでも平等」だ。状況が分からないために人によって違う態度を示すことが出来ない。(その意味で最近私はADHDの方が障害が重いのではないかと考えている)
ADHDは根本的に人に執着することが無い。群れをつくらないネコ科の動物のイメージだ。
(下記に3typeを分けたASspiritの最新版を掲載しました)
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/as.htm
先生すごいです!!納得です。
実は最近ASとADHDがどう違うのかわからなくなってしまって、今朝先生のHPからASの3分類を拝見させていただいていたところでした。
ASの診断を受けている8才の娘は、生活上困るようなこだわりはなく、時間にルーズで、片付けはできないし(まだ小さいから?)授業中もぼんやりしていたり次の行動が遅いと先生から指摘されています。状況が読めないわけではなく、どう行動したら良いのかわからない感じです。ADD?
また、今度結婚する予定のADD診断を受けた彼は、時間にはきっちりしていて、生活上のこだわり、ルールが非常に細かく決まっている。婚約者の私に対しても麻雀仲間の友人に対しても全く平等な態度だし、相手の気持ちに気付かないわけではなく、やはり自分なりの勝手な思いがあるようです。あたかもASのような!?
でも、「特定な愛着ある人への執着」と言う点では娘は明らかなASです。私に対してだけ恐ろしく様々なことを求め、八つ当たりし、支配的、時に暴力もです。それがひどく、受診のきっかけになったのでした。
一方、彼はADDと診断されるまでは、人、もちろん私にも執着はなく(今は相当がんばって修正してますが・・・(^^ゞ)、常に自分中心のネコ型人間で、やはりADDと言えるのかしら???
う~ん、すっきりした気がしますが、お互いが混在しているようで、うちの場合あまり区切って考えない方が良いのかも。こんな家族で先々心配です。きっと誰にもわかってもらえないんだろうな・・・。
これからも先生のブログで勉強を続けます。
ありがとうございました。