AC、人格障害関連

年頭所感2010

 年頭に当たり、一番大事なことを確認しておく必要があると考え、記載しておきます。

 私は世間の多数派の人々のように「直感的に場の状況を察知して、その中で安心感を得る」ことが出来ないという障害(ジャイアン型ADHD)を抱えて生きている少数派である。ここが全ての考えの出発点であり、この原点を忘れることが無いようにすることが最も重要なことだ。

 ジャイアン型ADHDには、この根本的な不安定性から、(多数派から見れば)「過度な合理性を自分にも周囲にも要求する」、「普通では不足であり、特に注目や賞賛されるべき特別な立場を自分自身に要求する(中心志向)」、「周囲の全ての人からの注目を要求する」と言った社会的に見ればあまりに自己中心的な認知と行動上の特徴がある。

 ジャイアン型ADHDには「自己突っ込み」という非常に手厳しい自分自身への批判と自責が見られ、中心志向と私が呼ぶ認知からは「特別な地位でないことで自分を責める」、合理的な認知からは「口にする理屈どおりに実際に合理的に生きられていない自責」という二つの強烈な自己突っ込みに24時間さらされて生きている。

 この「一番の地位」や「周囲の全員からの注目」などには、ジャイアン型ADHDの中ではこれらの自己突っ込みへの「反論」または「言い訳」としての意味があり、結果、「回遊魚」のように停止できない前進を死ぬまで続けるしかないことになる。

 当たり前であるが、ジャイアン型ADHDの行動のほとんどは上記の自分の中の勝手な都合によって決定されるため、周囲の人を巻き込んで大いに迷惑をかけることは必定である。

 ジャイアン型ADHDはこの厳然たる事実を常に頭において生きる必要がある。脳が自己中に出来ていて、特有の表面的な認知と強烈な攻撃性を内包する認知と行動のパターンからは逃れられない。

 だから我々ジャイアン型ADHDが合理的に考えるべきことは、「この脳の特徴でいかに周囲に迷惑をかけることを最低限とするか?」、「この脳の特徴でも結果世間に対してプラスになる可能性が少しでも存在しうるのか?」ということだ。

 今年も多くの当事者の問題を解決することをともに考えつつ、私はこの根本的な問題を考え続ける。
 これを続けることで直ちに「この醜く救いがたい自分を抹殺しろ」という自己突っ込みへの言い訳を続け、時間を稼ぐという「潔さ」から程遠い行動を続ける。

 これまでに私がジャイアン特有の怒りで当り散らしたり、自覚しないで失礼な態度を取り傷つけ続けてきた来た全ての人に対し謝罪し、この醜い形のまま存在を続けて結果的に今後とも迷惑をおかけするに違いない多くの人々に対し(おかしな話だが)先に申し訳ありませんと謝っておこう。(私の中の自己突っ込みには何の言い訳にもならないのであるが)。


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コメント

    • ひまわり
    • 2010年 1月 01日

    自身の特徴を挙げながらのYANBARU先生の少数派の特徴の分析に、
    日常生活でいつも苦しんでいる気持ちを軽くしていただいていますこと、感謝しております。
    今年もどうぞよろしくお願いいたします。
    昨年末の同窓会で、
    「特別な地位でないことで自分を責める」、「口にする理屈どおりに実際に合理的に生きられていない自責」
    という強烈な自己突っ込みが入り、落ち込んでいます。
    褒め言葉や優しい言葉を掛けてもらっても、特別なんだと喜ぶことができず、顔で笑って心はムヤモヤ…
    他の女性を囲んでみんなが盛り上がっていると、合理的に人間関係を結べてない自分に凹んでしまう。
    ・・・みたいな、めんどくさい人間です。
    注目されてないと、落ち着かないくせに、
    褒められても素直に楽しめない・・・
    これ、以前先生のジャイアン分析にあったような記憶がありますが、(褒められることを喜べない…ような?)
    違っていたらすみません。
    今日も、合理的な反応を返せない子どもに怒れてしまい、
    元旦から自己中な母で子どもに嫌な思いをさせてしまいました。

    • たろりん
    • 2010年 1月 02日

    先生の分析にいつも感服している者です。
    以前からの疑問なのですが、夏目漱石はジャイアン型ADHDなのではないでしょうか。彼は「偏屈」で「癇癪もち」です。教職に不向きだと悟って「自分の好きな」文筆家に転向します。ところが、責任回避と問題先送りがジャイアンの特徴であるにもかかわらず、生活のために新聞連載(書くことが義務になってしまう)を始めることになり、ストレスから身体症状(=胃潰瘍)を来たすに至ります。
    「行人」における「一郎」は夏目漱石自身と考えられますが、ジャイアンの特徴をよく表していると思います。「一郎」の友人Hの手紙の中でいわゆる「則天去私」への志向が表現されてます。そして、この「則天去私」こそがジャイアンの落ち着く場所に思えてなりません。
    夏目漱石がジャイアンであるという観点から、「則天去私」とは先生がジャイアンに対して仰る「好き
    なことを見つけたら突っ走れ」ということであると理解しています。夏目漱石は「私の個人主義」でも同様のことを説いています。
    こうした理解を先生はどのように思われますか?
    ちなみに志賀直哉もジャイアンのように思われます。自伝的小説の「暗夜行路」「大津順吉」からそう考えます。
    ただ志賀直哉は大金持ちの長男であったために、生活に困ることがなく、「則天去私」を地で行くことが可能でした。自ら納得のいく短編小説のみを書くことができました。(注意欠陥から長編は困難だったと思われます。長編「暗夜行路」は長期間の中断をしています)その結果、夏目漱石のようにストレス性潰瘍に悩むこともなく長生きしたのではないでしょうか。

    • のりまき
    • 2010年 1月 04日

    今年も先生のブログに期待しております。
    先生の年頭所感を読んで改めて気が引き締まりました。ADHDジャイアンとして前向きに生きるということは、自己突っ込みに耐えるということ、すなわち常に恥ずかしさと打ち勝たなくてはいけない。時々つらいです。が、依存することもできない、ひきこもることもできない、死ぬこともできない、前に突き進んでいくしかないのですね。ここにくると同じ思いを抱えている人たちがいて、とても勇気がもらえます。そのような場を与えてくださる先生に感謝しています。
    今年もどうぞよろしくお願いいたします。
    ****
    哲学者にもADHDやアスペルガーの気がある人、結構いるような気がします。ニーチェはADHD的、ベンヤミンはアスペルガー的だと思います。

    • ぴよよ
    • 2010年 1月 10日

    そういえば年始のご挨拶は他記事で済ませてしまいましたが・・・。
    社会に発達障害の周知を広めながら謝る姿勢に、潔さと信念を感じました。
    職業訓練校で対象外にされる程、はじく時ははっきりはじくくせに、マスコミはささやかな受け売りか無関心のみ、お国は当事者関係者の統率を投げ出し、今や、私は一応人間のつもりなのに、誰かと意思疎通が出来る世界に生きている気がしないこともあります。
    ヤンバル先生も、仕事として日々宇宙語を受け止めておられることと思いますが、それでもご自分の姿勢を決め、我が道を進めるのは、真似できる気がしません。
    私のコメントの一部を複数読み返して思うに、言語は通じ合っても伝わらないものは伝わってないもの、受け取ったと思っても真意を分かっていないものは、まだまだあるものだと思わされました。
    言葉とは、つくづく伝わらないものだと思わされますが、伝わらないことも前提の内に入れて書くことが、私はまだ動揺が抑えきれず、難しいです。
    疎通が無くても、分かって貰えなくても誠意で緻密で計画的な作業ができる人、その舞台裏は私には見えません。ヤンバル先生の舞台裏は、先生の根気良い記事掲載のお陰で見えてきていますが。
    私に分からない世界。
    多数派に分からない世界。
    連休に、山のように片付けと生活道具の見直し作業をしながら、このオタク的考え事をしてしまったのですが。
    続けます。

    • ぴよよ
    • 2010年 1月 10日

    年初からすみません。
    例えば政治家の小沢さん。私がニュースを認識できる年齢から、世間から一目置かれていた人であった。しかし恥ずかしながら何がすごいのかの観点は、多数派がどなたか砕いてまとめて説明してくれないと、これだけの大物なのに、たぶん私はまだまだ分からない。たぶん発言、行動様式、信条に、分かる人には目の離せない要素があるのであろうことは察しが付いても。
    身の程知らずな例えですみませんが、私の文にも、きっとそういう説明不足があると思ってます。個々のASの内部世界・・・感情と我流認識能力の世界に、届く文が書けているとはまだまだ思えない。過去ぴよよコメントを読み返しましても、痛切に感じます。
    これからもこの国のどこかにどんな正論がそこにあっても・・・例え人類の謎の答えと世界平和のための真実が存在していたとしても、それをAS、ADHD、多数派に理解できるようにお膳立てされていないものは、恥ずかしいけれども理解に入っていかないし、広まってもいかないのかもしれない・・・。
    これからの時代は、主張を持つ人は、この“お膳立て”をする責任も増していくのかもしれません。
    ADHD代表ヤンバル先生は、この“お膳立て”作業を体を張ってやってくださっている。『しにたくなるような自己突っ込み』をしながら、それでも生きる訳を大量の文で説明されている。そして実際に行動もしながらADHD人種達に、本物の市民権を手に入れようとなさっている。
    すみません。続きます。

    • ぴよよ
    • 2010年 1月 10日

    続きます。最後のつもりです。
    ASにこれができるのでしょうか・・・?
    独自の正論を進んで持つよりも、五感から入ってくる情報への過剰反応と自己欲求の過剰な正当化や後処理を任せられる、幻の甚だしい理想の標的を待つAS、“外面”をかぶりながら脇目も振らず、生まれてから何十年も社会通念と規則を守りながら待ち続けられるASに。
    人は基本的に変われないのに、標的と決めた存在には、理想通りに化けてくれることすら望める、仮想空間住まいのASに。
    一度仮想空間に住みつくと、現実空間で人格境界線の立ち入り禁止区域を設けられても負債回収も追放刑も、情報として認識出来ないASに。
    頭と感情に“外面”の反動をたんまり培養させているASに。
    脇目が振れないゆえに、いくら“外面”をかぶっても、多数派が見て欲しいものが見えてないASに。
    脇目が振れないゆえに、放置しておいてもカッコウの雛に高所から落されて、護身できずに救急隊を煩わせ、公共物破損も生む迷惑作りのASに。
    脇目が振れないゆえに、庶民感覚で「迷惑作りを止めて欲しい。」と抽象的に命じられても分からなくて命令に従えないという罪を背負うASに。
    “外面”の反動に耐え切れず、ほんの一部はついにカッコウに負けない危険生物に化ける可能性もあるASに。
    ASも特性を変えられない癖にそれでもあさましく生きる訳を作り、それがAS仲間、ADHD、多数派から見ても正しいことを証明できる日が来るのでしょうかね?
    恐らくAS代表がいないとこの国のASの統率はこれからも取れません。でも現実は、代表の席は空席のまま、まだ存在しないと思っています。
    ASに真に謝る内容を教えられる代表?
    そもそも存在しないのか、まだ居ないのか・・・?

    • JET
    • 2013年 1月 08日

    全く記事と関係無いコメントですみません。
    (掲載して下さらなくて結構でございます。)
    のりまきさんのコメントにニーチェがADHD的であると。
    私はニーチェが大好きで。。
    ツゥラトゥストラとか、そうだそうだと思って読みました。(思い込みでなく)
    あれは人間は誰でも通る道ではないかと思うんですが。
    ASは通らないのかな?蛇を噛み切る時が来るのではないのかな。

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