私は自分のHPの「発達障害の適応の基本方針」に、「学童期は周囲の理解とサポート、思春期以降は告知と本人の理解、自覚と調整」と説明している。
しかし最近ジャイアンのとあるケースで、「学童期のサポートで依存型ジャイアンにしてしまった」と分かって愕然とした。
本人への告知と理解は本人の言語性IQによるが、通常は小学校5年生程度、思春期の始まりあたりを目安にする。
逆に言えばその前は「本人が自分の障害を理解して自分で修正する」ことは要求しない。「周囲が理解して不適応を防止して二次障害を防ぐ」という当たり前のサポートの原則を実行することになる。
特に自己管理能力の低いタイプの場合、周囲はうるさく言って、結局結果のフォローもする羽目になる。この状況はまさに依存型ジャイアンを作り出す非常にまずい環境になるのだ。
現実のケースでは、私がはっとして「5年生だから説明しよう」と思春期のケア方針へと切り替えを慌てて始めたが、本人は都合の悪い話は「分からん」「忘れた」というばかりで、この先のケアの大変さを痛感した。
IQの非常に高いケースはある意味言語的な説明だけで行けるので楽だ。合理的思考についてももともと出来る子も多いからだ。
他方で学習障害合併例や言語性IQの高くないケースでは、合理的思考のトレーニング自体が学童期に必要であると今更ながらに痛感した。
私はこれまで「ジャイアンには現実的な苦労が必要だ」と繰り返し述べてきた。
「現実的な苦労」には自己責任の原則がどうしても必要で、この「現実的な苦労」の状況を、「理解とサポート」のケアとどう組み合わせるか、実際のケアのあり方のデザインとしては非常に難しいことになる。
私のジャイアン末娘は裸足で走り回る野生的な保育園の環境で上級生と混じっている中で鍛えられて、屁理屈も言えるようになっている。竹馬なども泣きながら練習して出来るようになる体験に恵まれた。
管理が優先する学校の環境では衝動性の高いジャイアン児童に「自己責任」の状況を作るのは非常に困難であろうと想像は出来る。このあたりが、学校の先生の「プロ」の領域でもあるのだろう。
これは興味深い記事です。
ジャイアンとは関係ない話ですが、人の他人と自分を比べた上での嫉妬深さや面子を気にする傾向は家庭での躾でこれらからを抑え、子供固有の習達レベルに目を向けるように矯正する必要があるのではと思います。ここはジャイアンと似ているところではと思います。
そうしないと自分よりも優れた功績を上げている人を讃えないばかりか、羨望し、嫉妬し、身近にそんな人がいれば、いちゃもんを付けて自分と同じ低いレベルまで引き落とし、足を引っ張る始末。
僕は彼らの対象としては申し分ないらしく、社会でも学校でも餌食になりました。ですからもう人間は懲り懲りです。
ここ数年、息子に対しこのテーマについて悩み抜いてきました。
叱咤や管理を厳しくすると、身体症状や不安症状などがひどくなり、
「頑張り過ぎだろう」と、管理を緩めると調子に乗り、自分に甘くなる。
私も先生も低学年のうちは、安心して学校にいられるよう支援は必至と
いう気持ちながら、時になめたような態度や、皆とあまりに歩調を合わせない反抗的ともとれる様子に、振り回され、操作されている気がして、あせりました。
マニュアル通りの扱いをする事に不安を感じ、何かと大目にみて褒めちぎったかと思うと、時にこんこんと説教したり、「こんな特別扱いが続くと思うな」など冷たい言葉も投げつけたり…私自身も最悪な親でした。
現在は薬物療法が比較的うまくいき、普通の子以上にできています。
ひずみは強迫症状として出ていますが。
今現在のうちの結論としては、全く心配のない状態になることは望まず、病的になるギリギリの線で、最低限必要な事は普通に努力させて、更に本人のモチベーションが上がるような事を取り入れて行く。そして話はよく聞いてあげて、日に一度は言葉や態度で誉めたり、大事な子供と伝える事が精神的な安定の一部にはなっているという事です。
ついでに1人っ子はよろしくない。
9歳で告知しましたが、子供も納得。その後かなりやりやすくなりました。言語性IQは高く理解も早い上に、興味を引く内容らしく、級友の診断まがいの事までする程、知識を深めてしまいました。(汗)
口に出さない様、要指導です。
この育て方で果たしてよいのかは、未知の世界です。
そして薬がなかったらと思うと、恐ろしい。治療できて感謝なのです。
>「現実的な苦労」には自己責任の原則がどうしても必要で、この「現実的な苦労」の状況を、「理解とサポート」のケアとどう組み合わせるか、実際のケアのあり方のデザインとしては非常に難しいことになる。
私もジャイアン・学習障害の次男には苦労しました。
宿題をしない、気に入らなければ暴力、etc・・
怒りからくる教師の暴力は認められないけれど、問題行動に対して(本人も納得できる)負荷・本人が困る事がないと駄目なのじゃないかと思いました。
例えば「給食を抜きにする」のは体罰になるから学校としてはできない(親と子が納得していても無理)。
もっとも子供のための体罰防止ではなくて、学校の責任問題のほうが怖いという姿勢が見え見えでした。
それならば、きちんとできている時に他の子より大げさに褒めてもらえるか?というと、それは特別扱いになるからできない。
とにかく学校側はできないことばかりで「個別指導はできない」というのが口癖でしたが、今思うと「個別指導の方法を知りません」というのが正解だったのだと思います。
>逆に言えばその前は「本人が自分の障害を理解して自分で修正する」ことは要求しない。「周囲が理解して不適応を防止して二次障害を防ぐ」という当たり前のサポートの原則を実行することになる。
>特に自己管理能力の低いタイプの場合、周囲はうるさく言って、結局結果のフォローもする羽目になる。この状況はまさに依存型ジャイアンを作り出す非常にまずい環境になるのだ。
小学1年の長男は、ソーシャルストーリーズでサポート中です。それには、支援する側も自分の定型の説明でなく相手が理解できるように否定しないように書きます。
長男は私がうるさく言っても本人にはわからないので、何故怒られているのか理解できてないです。
私も告知予定ですが、本人がそれにより周囲のサポートが必要という事が理解できたら良いと思います。
支援者の私がすぐに頭を切り替えて自閉脳理解が出来るようになりたいですが、しばらく切り替えが慣れてないので訓練が必要なようです。
どんな特性の子であれ、タイプ別、病気別『基本原則』に当てはまらない特例が発生すると、面倒なことこのうえないですよね。
一日は24時間しかないのに。
思えば私の両親も何度私達きょうだいに振り回されてきたか。
でも子どもの頭というのは、特にASの私のように境界線フリーな場合は、大げさに言うと頭の中で親が一緒にしゃべりながら併走している状態とも言えるでしょうから、子どもは勝手に親の24時間すら独占するとも言える・・・。
私、変な子・・・!
(三十数年前の子育てですが。)
特に障害がある場合、子どもの伸ばすべき所にピンポイントで一致した教育体制を取ることは大人の事情を振り回します。個人が疲弊するだけでなく、何人もセットです。
自身が生きていることすら忘れがちです。
私も疲労が取れない上、ダウンする予備軍が文字通り『軍隊』で何人もいます。
こういう時に、私は率先して肩身を狭く思わなければならない立ち位置なので、そもそもこの勢いにブレーキをかける方法は無いのかと時々考えますが、これこそ私の頭にとって非常に難しいことなので分かりません。
私の生活もASの栄養とも言える“マッチングの成立”が、何も無い状態が何週間も続いています。
結論、白黒、評価が無いまま多くのことを進めざるを得なく、想定、想像、気遣い、先回り、見切り発進、遠慮、仮定、仮説、こんな、濃度が増すと頭にとっておかしくなることばかり。
いつまで持つのか謎です。