ADHD関連

高速エンジン

 (これまでに記載したかも知れないが、分かりやすい発達障害の例えの説明がある。どこかの資料からの借用で、私のオリジナルではない)。

 「時速300キロ出るF1のエンジンを積んだ普通の車」というのがそのたとえだ。

 F1のエンジンは時速300キロまで出せるので、アクセルを踏むと急にスピードが出て、普通の道では非常に危険だ。日本の曲がりくねった道や信号の多い道では必ずと言って良いほどトラブルを起こす。

 逆に、ドイツのAutobahnの一部のように速度無制限のとにかくまっすぐな道に行けばこっちのものだ。高速エンジンの強みを発揮できる。

  発達障害の「過集中」は、単独行動かつ短時間限定であるが、多数派のバランスの取れた集中力をはるかに上回るパフォーマンスを発揮できる。ある意味では「リミッターが機能しない脳」という考え方も出来る。これがF1のエンジンだ。

 発達障害の不適応は、このエンジンの微妙なコントロールが困難なところで説明できる。ハンドルが追いつかないので事故になる。普通の車では、車自体が壊れてしまうこともある。

 重要なことは、「非常に高度な運転技術を要する」ということだ。運転の仕方に発明工夫を凝らす必要があり、また繰り返しの練習も必要だ。

 私の場合は、ホームセンターや百円ショップを歩き回って新しいモノを発見するとテンションが上がる。また入浴するとテンションが上がる。緑茶のカフェインは効き過ぎて夜飲むと不眠になる。白衣を着ることである程度テンションは上がる。

 こういう自分の脳をコントロールするための自分なりの工夫を積み重ねて行くことが高度な運転技術を身につけることだ。

 外の環境に一旦働きかけて、その環境からの逆作用を利用して自分の脳を間接的にコントロールする。発達障害にはこういう苦労があるのだ。

 

  

 


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コメント

    • ぴよよ
    • 2009年 11月 18日

    >外の環境に一旦働きかけて、その環境からの逆作用を利用して自分の脳を間接的にコントロールする。
    これをするためには他人の客観視も、自分の客観視も既に出来ていなくてはならなくて、コントロールの計画も始めに立っていなくてはならないことが大変ですね。
    その辺りの多数派よりも急いで精神的成熟をしなければならなそうで、生き急がなければならずそこも大変そうですね。
    これを回していく生活に耐えられなくなると、山のようなスケジュールを背負ったまま、実行機能障害、ノルマとノルマの狭間で恐怖の意識真っ白が起こるのでしょうね。
    あの恐怖は今でも思い出すと手が止まります。
    何をしていても、例えそれこそ運転中でも。
    “真っ白”を何より防止できていたリタリンが無くなった時、その恐怖から立ち直るのに、いや、立ち直るよりも避けて考えないようにするために、どれだけのエネルギーと時間を使ったか!
    F1の例えは面白いですね。
    ちなみにそのエンジンはヒートし過ぎた時に、何十時間も寝たり起きたりしないと正気に回復しないことも似ているのでしょうか?
    だとしたら親近感が・・・いえやはり沸きません・・・。

    • エイト
    • 2009年 11月 19日

    昨日から、あることについて役所の対応に不満爆発です。
    他のことが疎かになるので考えるスピードを緩めたいのに!私のエンジンも取り扱いが難しいです。
    でも最近、ある攻撃的なジャイアンを目の当たりにして、本人の言っていることが正しくても反応が激し過ぎては受け入れられにくい、理解されにくい、敵も増えると実感しました。
    普段は買わないスイーツなど好きなものを食べて一瞬落ち着いたとのですけど、やっぱりエンジンの燃料になってしまいました。

    • まこりん
    • 2009年 11月 19日

    F1例えとってもわかりやすいです。
    私も最近、自分の操縦の仕方をすこし掴み始めてたとこだったのですごく共感できました。
    私の場合は前向きなストレスを自分に与えることで安定します。朝起きてすぐジョギングしたりストレッチしたり、寒くて絶対に布団から出たくないんだけどこれをやらないと一日不安感がいっぱいで他人の些細な言動ににも過敏に反応します。布団の中にずっといようものなら自殺願望が常に沸いてきます。
    一日のうちに夕方や体が疲れてきたときに精神的に不安定になりやすかったり約束ごとを忘れたりするのであまり重要な用事は夕方に入れないようにしたりもします。
    車の運転も集中力が続くのはよく睡眠がとれた午前中だけなのでそれ以上は運転しないようにします。
    過集中時は他のことはお留守になるので手帳をまめにちぇっくしたり人に聞くようにしたり、後、言動もきつくなったり極論になったりするので意識して柔らかい口調になるように努力します。
    それでもそのときの状態によっておもしろキャラだったりおとなしいキャラだったり、クールだったりしていつも自分が安定しないので回りの人は掴みどころなくて理解しにくいだろうなあと思います。
    でも自分でもどうにもならない部分もあるんですよね

    • エイト
    • 2009年 11月 19日

    今役所に行って私の意見と要望を伝えました。
    あることについて今までの役所のやり方のほうに問題があるということをきちんと認め、改善のために会議も開くと約束しました。
    このことについて回転していたエンジンはやっと止まったみたいです。
    こちらの話を公平に丁寧に聞き取る姿勢のある職員が最初に対応してくれたのも幸いでした。
    なるべく感情的にならないことは物事を合理的に進めるためにはとっても大切なのだと思いました。
    昨日あんなふうに腹が立った理由は対応した職員の腹が読めてしまうから。苦情は聞きたくない、責任は持ちたくない、行政がやるべき情報収集も個人で勝手にやれとのこと。。
    役所のやることはいつでも正しくて公平で問題がないことだとつい思いがちですけど、これからも自分で冷静に考えたり法律などを調べることを習慣にしたいと思います。
    いったい次は何に向かってエンジンが回転するのでしょう。。
    楽しいことなら大歓迎なのですけど。。
    最近は「(冷静に合理的に考えるための)情報収集」に熱中することが多いです。

    • エイト
    • 2009年 11月 19日

    たった2日間のことなのに、今、胃が痛いです。
    今年に入ってから別の楽しくないことに過集中していたら夏に胃潰瘍と診断されました。
    先生のおかげで感情的でなくて合理的に考える訓練をして、少しは進歩したとひとり喜んでいたのに。私の場合は運転のテクニック同様、車のボディーも高速エンジンに追いつかないです。

    • くらら
    • 2009年 11月 23日

    F1ねぇ
    私はF1大好きです
    F1見ているだけでテンションあがります(笑)
    トヨタ撤退等来年からつまらなくなりそうで
    どうモチベーションをあげたもんだか考えてしまいます。
    昔叔母に言われました
    「あなたは起きている間全力投球だね」
    そうだと思います
    なんにしても頑張りすぎてしまう。
    しかも頑張っているけど普通の人とは何かがづれている・・。
    怒った時は半日はイライラです
    表に出さないように
    どうしょーもない時は話を聞いてくれる人に愚痴をいう
    相手には一呼吸おいてから怒る
    セリフも考える
    感情のまま爆発したら大変なことになります。
    こういう時忘れ物とか発生しやすいです・・・。
    他にもやりたくなったら見境なく発進してしまう傾向があり
    とにかく自分にブレーキかけることの方が多い気がします。
    睡眠不足にてきめんに弱いのはADHDの特徴でしょうか?
    車の運転もそうですがピアノも睡眠不足では
    良い演奏ができません・・・。
    普段無駄に馬力あるエンジンつんでるから休む時間も
    長く必要なんでしょうか?
    そんな私のガソリンはコーヒー
    オイルはお酒
    本番前のメークもテンションあがります。

    • YK
    • 2009年 11月 24日

    私の燃料は濃い紅茶にミルクいっぱい。
    それにトースト。
    これで絶好調です。
    懸案だったスクールの問題は、やはり自分は素の発達障害でいるしかないと結論が付きました。
    行け行けドンドンです。
    感情が高ぶったりエネルギーが過激に動くと、「私は自由だ!生きてるぞ~!」と実感します。快感です。
    そうすると脳は活性化され、身体は自由に動き出します。
    鬱なんて「さようなら~」です。
    誰にも迷惑をかける環境にないので、これでよかったんだとわかりました。
    毎日ミサに行き続けています。
    感動することも多く刺激的です。
    どうもポディティブな感情だけでなく、ネガティブな感情でも、大きく激しく動くと快感のようです。

    • 道産娘
    • 2013年 10月 01日

    軽い内容です。
    先週SMAPの人主演の手塚治虫のドラマ観て思ったのですが、手塚治虫さんってのび太っぽいですよね。
    ドラマの中で共感できる部分がいくつかあり、ニタニタしながら観ていました。(偉大な漫画家に対し「共感できる」なんて、恐れ多いという気持ちもありますが)
    仕事に取り掛かる直前、彼が食べたいものを仕事仲間に買って来させたり、(何処にいったか分からない)お気に入りの帽子を見つけるまで探させる場面がありましたが、きっと「テンションを上げて仕事に集中させるため」なんだなぁと思いました。
    あと、彼の考えた話を仕事仲間にいくつか見せ「何れが一番面白いですか?」と訊いたとき、その人が、締切間近なので空気を読んで「直ぐに仕上がりそうな話でお願いします」と言うと「真面目に考えて下さい!」と怒鳴る場面…「KYだなぁ(笑)」と。(怒る気持ちがよく分かります♪)
    一見「こだわりが強そうでASっぽい」とも思いましたが、彼は純粋に「好きなことを楽しんでいるだけ」なんですね。
    かなり偏屈な変わり者&大変な人で、周囲を振り回していたので合理主義ではなさそうですが、何だか微笑ましい気持ちで観てしまいました(*´∇`*)

    • m2
    • 2013年 10月 01日

    このたとえは、ジャイアンの彼女を見ていて同じ事を思ったことがあります。
    その時の経験から、このたとえを発達障害全般に適用するのは無理だと思います。
    受動型ASは全く逆で、ほとんど排気量のない、欠陥だらけのポンコツエンジンなんですよ。
    ジャイアンと比較すると、サーキットで走ったらすぐにおいてかれてしまう、その能力に惚れるんです。ほとんど能力が発揮できていなかったにしても、瞬間に垣間見る才能が素晴らしく見えます。
    実際の社会は、道路すら整備されていない街中ですから、F1エンジンよりもポンコツエンジンを巧みに使いまわせる名ドライバーの方がうまく行くことは多いとは思います。
    受動型ASはポンコツなので、ドライバーが工夫してポンコツでも走れるように環境整備の努力をするしかないのです。
    速度が遅いので、コントロールは効きやすいです。
    そして、環境整備の一つとして、他人の力を使う、という能力を身に着けることになります。
    ジャイアンの人から見れば、「依存」と忌み嫌うことかもしれませんが、受動型ASは自分の能力に限界・欠陥があるため、他人を使うしかないのです。
     そして、社会は、一人のF1エンジンを持つジャイアンよりも、コントロール適性に長けた受動型ASをリーダーとした普通の人の集団の方が力を発揮できる、というのも事実です。

    • 道産娘
    • 2013年 10月 02日

    ちなみに私は、過集中?のコントロールは苦手ですね。
    「脳の多動と虚脱状態」の自覚はあるのですが、持て余している感じです。
    事務作業は本当に苦手で、ソワソワ(イライラ)するかボーッとするかのどちらかですね。(落ち着かなくて、休憩時間に掃除始めちゃったりして…)
    100円ショップの部分で思い出したのですが、個人的に「季節のイベント時」にそのグッズが並んでいるのを見るだけでテンションが上がります。
    これからだとハロウィンですね♪
    「今しか楽しめないから」という理由もあると思いますが、装飾品はイベントが終われば使わず溜まる一方なので買わず、菓子類に手を伸ばすことが多いです。(後にカロリー消費を言い訳に多めに動き回ることになるので、結局落ち着かないのは同じなんですが…)

    • 道産娘
    • 2013年 10月 03日

    KYで不器用なのび太型の私は、他人にコントロールされる程「使える人間ではない」ので、(損得利益の読める)ジャイアンさんのように多数派とのスムーズなやり取りはできません。
    受動弟の彼女のジャイアン連れ子と自分を比べてみると、違いがよく分かります。(彼の過集中は分かりやすいです)
    弟も彼女も「多数派に適応させる」つもりで彼を育てるようですが、それはそれで良いのかなと思いました。
    いつかその子がストレスで身体症状が出た時や、不適応を起こして精神を病んだり、「自分の生き方」に納得できなくなった時に、私を頼ってくれるよう、私だけは「合理的なADHD」でいようと思います。
    まぁ、本人達が決めたことなら仕方無いですよね。
    私は介入できませんから。
    今のところ小児科の先生からは「様子を見ましょう(微妙らしい)」と言われているので、もう一度弟達には「多数派に適応させるということは、その分本人が苦しむことになる」と言ってみます。
    先生、その子が成長するまでこのブログを閉鎖しないでくださいね!(人´ω`)

    • さーこ
    • 2013年 10月 03日

    私は昔、激鬱状態で情緒障害のような感じだった時に、小学校時代の幼馴染だった受動型と思われる男性と、成人後に再会した事があるのですが、その人から、「幻滅した」と言われた事があります。(小学校時代の、健康で元気で明るい積極奇異AS全開の私しか知らない男性でした。)
    あれほど胸に突き刺さるような酷い言葉は、経験した事がありませんでしたね。
    「中心志向の過集中」の記事を改めて読んだのですが、今現在の私のメインエンジンはほぼ停止している状態なので、限界を越えてもがんばるしかないという自分の強迫的な思い込みからようやく解放され、私自身の調子が良い時も悪い時も、変動はわりとゆるやかな感じです。
    そして何より、「他人から幻滅されようがない」という事実が私の気持ちを少し軽くしてくれています。

    • 道産娘
    • 2013年 10月 04日

    以下↓「依存」について私自身の感想です。
    個人的に「ADHDに対し依存を正当化する」発言ができるということは、裏を返せば、「自分のコントロール欲求を満たすためなら、ADHDが病気になっても構わない」そうお思いなのかしら?と問いたいです。
    おそらく受動型AS(と依存型ジャイアン)の方々は、何故私がこういう考え方をするのか「意味が分からない」と思いますが…
    「利用」や「助け合い」という考えなら分かりますが、「依存」となると「自分の思い通りに支配・コントロールしたい」という風に捉えているので、それは同じASか依存型ジャイアンの人にやって欲しいですね。
    特にジャイアンに対しては「自己責任を突き付けることが可能」なので、受動型ASと依存状態になり、ストレス症状やヒステリーを起こしても「本人が依存的な生き方を選んだなら、それで良いよね。」と思います。(相手が未成年の子供だとそうはいきませんが)
    ところで先生、「最悪の相性」等の過去記事ですが、まだ先生が(衝動や攻撃性のある)ジャイアンだった頃に書かれたものと思いますが、のび太に近い心境になった今でも、当時と同じ気持ちなのでしょうか?
    ちょっと聞いてみたくなりました♪

    • 道産娘
    • 2013年 10月 05日

    うーん、やっぱり過集中ってピンと来ないですね。
    虚脱状態だけは自覚があるのですが…
    ただ、私が以前ジャイアンだと思い込んでいた時「(ACや依存的な性格が原因で)衝動が出せない」と思っていたのは、実は「過集中できない」ことと勘違いしていたのだろうと、今となっては思います。(虚脱に関しては、先延ばしの鬱とごっちゃになっていたような…)
    よく周囲の人達の行動パターンを、一人になったときに振り返って考えていたのですが、この時に過集中気味になり「視野が狭くなっている」という自覚がありました。
    なのでせっかく考えても的を獲た答えが見付からず(パターン化できず)、結局無駄なことに過集中していたのだと思います。
    「人からの要請」目的で過集中を使っていたということでしょうね。
    大分過集中について分かってきました(^-^)

    • さーこ
    • 2013年 10月 06日

    過集中について。
    私の場合、過集中を創作活動に使うと、自動筆記モードになります。
    自動筆記モード中は、意識がトランス状態になり、何かが私に降りてくるような神がかりの状態になりますが、当然のごとくコントロール不可能なので、昼夜逆転や食べ物を摂らない、過剰睡眠など、生身の生活がめちゃくちゃな事になります。そして、このトランスモードは私の精神をとても消耗するので、私自身の命、寿命も確実に削られている事と思います。
    もしもこれを「才能」と言ったり、「素晴らしく見える」人がいたとしたら、本当の阿呆者だと思いますね。

    • m2
    • 2013年 10月 06日

    >「自分のコントロール欲求を満たすためなら、ADHDが病気になっても構わない」
    これを直接回答しても、理解が難しいと思うので、更に裏返してみます。
     「ジャイアンが自分の中心志向欲求を満たすために、受動型ASをいじめ、自殺やうつに追い込む」
     この方がよくある事例です。
     ただ、F1エンジンを持っているジャイアンがその力を使うことが悪いことでしょうか?
     ジャイアンでいじめをしたことのない人なんていないでしょう。
     本人の自覚があるかどうか? は別ですが。
     「いじめをなくさないといけない」という人はたくさんいますが、私はいじめをなくすことは不可能だと思ってます。
     問題なのはいじめではなく、犯罪(暴力・恐喝)に至ったり、集団から阻害された場合に学校以外の逃げ道が貧弱であることだと思うのです。
     「いじめ」はどこにでもある現象ですが、その結果病気にまでなるかどうかはあくまで個人の資質による問題です。
     同様に、受動型ASによる依存もどこにでもある現象だと思われます。そして、ADHDが病気にまで至るのは一部のケースかと。
     上の発言には、「いじめをなくさないといけない」と同じレベルの違和感を感じます。

    • m2
    • 2013年 10月 06日

    >もしもこれを「才能」と言ったり、「素晴らしく見える」人がいたとしたら、本当の阿呆者だと思いますね。
    才能って、そんなもんだと思うのですけどね。
     全面的に+に出るような才能なんてないと思うのですよ。
     ある方向で+に出るので、才能に見えるけど、そのようなものを持っている人は何らかのー側の反動に苦しんでいる。
     哲学的な話になりますが、人間の才能はみな平等にできているように思えます。
     ただ、振れ幅が違うのだ、と。
     振れ幅が小さければ多数派になりますが、多数派には平凡な日常を平凡に生きる、という才能しかないわけです。
     よって、他の人にはない何か? を求められる現状は、多数派も苦労しているはずです。
     振れ幅が大きい我々は、平凡な日常を過ごすには苦労しますが、多数派にはできない何か? ができるわけです。
     もちろん、私も過集中時は、寿命を削るかのような疲労感は感じますが、これぞ「才能」そのものだと私は思います。
     自分で努力しても変えられるものではないですので、後はどうやってうまくつきあっていくかを考えるべきだと思います。 

    • さーこ
    • 2013年 10月 06日

    私にとっての命題は、才能というよりも、巫女やシャーマンという存在、あるいは自然界に存在する星々、木、草花、そして言葉では言い表せないことに敬意をもち謙虚になれるかどうか、というところなので、「それ」を感じ取れない人には適当に話を合わせて終わらせるのが常です。
    そして、多数派との比較は、私の場合、最初から意識の外です。
    他人の意見は、時々、私のタイミングで参考にするだけですね。

    • 道産娘
    • 2013年 10月 09日

    ちなみに「多数派との比較」は、私も今は意識の外です。
    AC気味だった思春期の頃は適応に強迫的でしたが、今は「(発達障害の特性を踏まえた上で)自分が納得すること」が優先であり、自分自身のために、楽しいことや好きなことを見つけて実行することを目標にしています。(「ADHDは楽をしてはいけない2」の説明で、それがADHDにとって健康的な生き方であることを、先生が身を持って証明して下さったので)
    あと過集中は、「自分のために、自分で納得した」上で使う分には良いかなと思います。
    周囲とのコミュニケーションが取り辛いので、一人で過ごす時に限定されますが…
    「誰かの支配下で使うものでは無い」ということですね。
    そんなことをすれば、視野の狭さに依存のストレスも加わって、周囲に当たり散らす結果になりそうですから。

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