これまでジャイアン特有の「丸投げ」や「依存型ジャイアン」について考えてきた。 実際にこれらの概念を生きたケースに適応してみると、考えてみれば当たり前だが、 依存型ジャイアン的な部分を併せ持つ強迫的なジャイアンが多いことに気付いた。
理解するための単純化したモデルとしては分かりやすいが、実際のケースはほとんど (女性に多い。KYで無いタイプ)合理的な面と依存的な面を両方とも持っていると考えるのが妥当だろう。
さて今一度この「依存性」について考えてみる。 実は内容的には異質のものを「依存性」の一言で括っているので分かりにくいところがある。
代表的な内容は、①非言語的なフォローへの依存症(addiction)的な執着、②現実に自分が責任を負わないための丸投げ、③「状況」の一部として(依存相手に)場当たり的に合わせることで自分が表面的な現実の中で窮地に立たないようにするための利用、等が挙げられる。
④口だけ偉そうな「だめんず」を擁護・飼育しようとする共依存的な「面倒を見たい」衝動は①②③の全部の側面を持って(しかもこれらの側面をいずれも巧妙に覆い隠して)いるように思う。
「依存」という言葉が当たるかどうかは難しいところだ。①はまあ非言語的情緒的な内容を伴うので「依存」らしいとして、②は実際は露骨な「利用」だ。結果として家事をしないなどの場合、現実生活の意味での「依存」とは言えるだろう。③は非言語的な手段は使われるものの、内実はもっとも露骨な「利用」に他ならない。「自分の考えや判断、思考自体全体を丸投げしている」という言い方もできるだろう。④は共依存の典型例だ。
①②③④いずれも本人は自覚していないところは「依存」らしいとも言える。
私はこれらの「機能」として、「自己突っ込みから逃れられる」ということがあることが重要であると考えている。
自分にも人にも厳しい自己突っ込みは「問答無用」で非常に辛いのだが、これから逃れようとする試みは全て「自分の目をくらまして見えなくする」という意味になってしまう。
自己突っ込みから逃れる道はどこにも無い。不安で居ても立っても居られない場所にとどまり続けるしかジャイアンの生きる道はないと私は考える。
私も理想は「丸投げ」です。
でも幸いというべきか周囲のジャイアンが私以上に強烈なので、気がつくとなぜか私に丸投げされています。
AC出身のせいか、トランプで言えばババ抜きのババのゆくえが妙に気になったりもするのも事実なので、最近は納得して行動しているのかと自分に尋ねながら進むようにしています。
>不安で居ても立っても居られない場所にとどまり続けるしかジャイアンの生きる道はない
この感覚、とてもよくわかります。表面上平穏無事なときでも、底知れない不安感がいつもまとわりついています。
なぜいつもこんなに不安なのだろう?この不安はどこから来るのだろう?と度々思いました。
要約すると、
①~④はだめ。
自己突込みをすればよい。
ということでしょうか。
う~ん。「今、①の状態になってるよ!!」って自己突込みするんでしょうか。冷静に自分が①~④の状態になってるか振り返られるんでしょうかそもそも。。
ジャイアンのことだからほんとのことを言ってくれる人も周囲になかなかいなさそうだし>自分。
共依存相手のASに言われたら、「お前に言われる筋合いねーよ」、と逆切れする可能性100%と思われる。
そもそも冷静に自分を認識できないからジャイアンなんだという気もする。
日記とか書いて、たまに読み返すとかがいいんですかね。
病院に行くとしたって、YANBARU先生は沖縄にいらっしゃるわけで、そこらへんの病院に行く意味があるかどうかは微妙に思えます。自分自身は困ってないし。。(周囲が困ってる(らしい)だけで。。)
冷静に判断するのが難しいとう例を具体的にあげると、どこまでがだめんずでどこからはOKの線引きはあるのか。定職についてたらいいのか?会社員はいいけどフリーはだめ?転職回数は何回まで?年収はいくら以上?自分を大事にしてくれる人ならいいのか?その根拠は?とか考えると、正直よく分かりません。
このあいだ、衝動制御障害の本を読んだのですが
男性に比べて女性のほうが精神科医にかかろうとする率が高いみたいな記述がありました。
男の人は、恥の意識が強いのでしょうかね?
精神科ですが、もう10年以上前に、ACが辛くて、行ったことがあります。
そこで、いろいろな心理テストを受け、「脳の機能の問題だから、治療出来ない」と断られたのですが、あきらめきれず、次に個人で開業している心理療法室を訪ね、同じように心理テストを受けて、「自我が脆弱だから、治療は出来ない」と言われました。
そのときカウンセラーに「あなたはここの玄関をいつもすごく勢いよく開けてることに、気づいてる?」って言われて、「いいえ、全然」って言った覚えがあります。
あれは多分自分のことが全然見えてないよ、っておっしゃりたかったのだと思います。でも、脳がおかしいとか、自我が脆弱とか、本とか読んでみたけど意味が分からなくて、もう少し説明してもらえたら、よかったなと思っています。
私の治療を求める気持ちは、インターネットに移り、メールカウンセリングというのを受けました。貯金から20万円ぐらい振り込んで、「治るには、まだまだ当分かかる」と言われた時点でやめました。
そういう体験を経て、人を頼って何かを直そうとしたこと自体、間違っていたんだ、と思うようになりました。
YANBARU先生みたいに、きちんと何が問題なのか合理的に説明し直面化してくださるような先生と出会っていたら、よかっただろうなと思います。
でも結果的には、誰からも相手にされなかったことで、手探りで自分の道を歩んでこれて、それはそれで、よかったと思っています。
今日、「育てにくい子にはわけがある」という本を読みました。
感覚防御反応によって、いろんな機能が育ちそこねると発達障害の症状が重篤になるそうですが、平衡感覚(ブランコ遊びとかがいいらしい)と固有覚(トランポリン運動とかがいいらしい)と感覚(触覚だの聴覚だの)防衛反応を整える(ゆっくりした中圧マッサージがいいらしい)ことが需要なんだなと教わりました。
そういえば、ADHD見本帳みたいな私のダンナさんが、私と暮らすようになってからキレなくなったと言います。
そんな私はちょろっとマッサージとかを勉強してるので、よくやっています。(ダンナさんは、足や手指のマッサージとかで普通の人より反応いいです)
自分自身を含め、周りのジャイアンたちの事を考えていると、「依存状態にあるジャイアン」と、「依存型ジャイアン」の違いが こんがらがって頭の中が収集つかない状態になっている。
数日前に、依存型ジャイアンと思われる相手と電話で話す機会が有り、私の考える相手の「非」を確認していく中で、最初は一つ一つの問い掛けに対して言い訳(と言う言葉が適当か?)していたが、私の発したある言葉をきっかけに、今度は「非」を他者のせいにした。
そして私が声を荒げて問い質す状態になったら、何と!それまで言い訳したり他者のせいにしていたにもかかわらず、「私は知りません、聞いていませんッ!」と言い切った。
まるでガラガラガッチャンッ!と勢いよくシャッターを下ろして鍵を掛けたかのように。
その言葉を聞いた私は怒りモードが絶頂に達し、更に一撃喰らわす形になったのだが…
今考えてみると、「あ然」とさせられる会話だった。
昨日、一昨日の話では無く、現在進行形での会話で、言い訳や他者のせいにした数秒後に出て来る言葉か?
私にはとてもじゃないが、そんな芸当できないし、経験した事も無い。
依存型ジャイアンにも いろんなタイプが有るのだろうか?それとも依存型ジャイアンとは異なるタイプなのだろうか?
私は その相手と更に会話する必要が有る為、戦略を練っている。
真面目なジャイアン母、口が達者な二女は、お互いを強くは責められない状態です。お互い依存が見え隠れしている状態で、お互い必要は必要で・・・・母には良いところと悪いところを区別して対応するように…妹には家事をしないと説得力無いけれど・・な?・・と助言をしているのですが、母が昔の妹に対する申し訳ないという部分をここで帳消しにしてもらえるという気持ちで割り切れば・・うまくいくのだろうと今のところは考えています。