ADHD関連

多動を伴うAS

 注意欠陥と多動を伴うASの一群がいることは臨床的には明らかで、発達障害を見慣れない医療関係者には表面上の診断に困るケースだろう。

 こういうケースと、自閉的な特徴をたくさん持ったジャイアンをどう分類するかについて私はずっと考え続けてきた。このことはこのブログをお読みの人には良く分かるはずだ。

 さて多動を伴うASには普通のASの人に加えてさらに困難なストレスが加わる。つまり、「自分自身が落ち着きが無いためにこだわりを実現できない」ということだ。

 堅い保守的なASの人は努力の結果も含めかなりの程度、「後悔するなら初めからやるな」という徹底的な時間的継続性、一貫性の世界で生きることが可能だろう。しかし多動を伴うASの人は自らそれを破壊し続けるために、こだわりの部分ではストレスが生じ続けることになる。

 また、感覚過敏の部分でも、ADHD的に情報が無差別に雑多な状態で飛び込んでくるので、耐えられないノイズになることが多くなる結果となる。

 こういうケース(学童か思春期まで)にコンサータを使うと、本質はASであっても非常に有効である。「本来のASとしての一貫性と過敏性に立ち戻れる」という結果になるからだ。

 さて自閉的な特徴を備えたジャイアンとの鑑別であるが、これは私がASの根幹と考える「関連付け志向」とその結果である「全てを説明し尽くしたい認知」、また「人が非常に近く感じられる」特徴の部分ではっきり分けられる。

 ジャイアンは根本的に場当たり的であり、過集中の一時を除き関連付けとは正反対の「これはこれ、あれはあれ」という断片的な思考であり、また「人を必要としない」。

 もう一つ二刀流のASと一刀流のジャイアンという違いも重要だろう。

 少なくとも学童の場合にはADHDと同様にコンサータは有効であるようだ。ASの本体のところには効かないが、ASの本体に反する部分を改善する働きがあるというところが面白い。


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コメント

    • rid
    • 2008年 9月 08日

    私の診断はASで、衝動性の高さが課題だと指摘されています。
    他の先生の診断なので、
    やんばる先生と分類基準が異なるかもしれないことをご了承ください。
    私は昔から書くことにこだわりがあり、レポート等の課題制作に熱心でしたが
    取り掛かりが遅く、休憩による中断も長いため、
    締切日に中途半端な状態で提出するか未提出ということが多く、
    教師には「レポート大嫌いな児童」というレッテルを貼られていました。
    本来とても好きな行為なのに、なんだかなあという気持ちでした。
    こだわっている部分(本来なら最も評価されたい部分)を、
    未完成だからという理由で「できない」と評価されてしまうことは
    能力だけでなく、アイデンティティの否定にも繋がったような気がします。
    要するに悔しかったですw

    • ひまわり
    • 2008年 9月 14日

    よく喋り、一時もジッとしていられず、刺激にいちいち反応し、衝動的で、テンションが上がったら調子に乗りすぎて止められない
    そんな男児が、先日ASの診断を受けてきました。
    これは、今回のテーマにある、多動を伴うASと言うことなんでしょうね。
    私も、あまりの自由奔放さに、友だちや保育所の先生からの評価が下がり過ぎ、誤解を受けることが多いため、薬でなんとかならないものかと、考えていたんですが、
    お医者さんの判断は、学校に入っても、多動や注意欠陥が目立つようであれば、使う必要があるかも・・・でした。
    >少なくとも学童の場合にはADHDと同様にコンサータは有効であるようだ。ASの本体のところには効かないが、ASの本体に反する部分を改善する働きがあるというところが面白い。
    ・・・ということなんですね。
    よく、分かりました。
    >さて多動を伴うASには普通のASの人に加えてさらに困難なストレスが加わる。つまり、「自分自身が落ち着きが無いためにこだわりを実現できない」ということだ。
    彼の、この部分を理解してあげたいと、思います。

    • ぴよよ
    • 2008年 9月 16日

    よく思い出してみたら、頭の中だけ多動だった時期もありました。
    何年も前、ADDを知り始めた頃、舞い上がる時期が終わったらそんな調子になりやすかったです。
    ADD知る前は、ともかく抑うつでした。こだわりながら、抑うつで仕方なく生きていました。
    体は動きませんから頭だけ多動、そういう時期は、注意力は散漫、低覚醒と一緒になっていた気がします。疲れていたのです。考えがガチャガチャ湧きすぎて。
    過去にこだわってしまいますが、行き場が、無かったですね。
    空想ですが、支援センターが“進化”してくれると嬉しいですね・・・。私達はうつの支援方法だけでも、職業訓練などのスキルの支援方法だけでも、足りないですから。発達障害の自覚と自己管理と受容の方法論が詳しく揃ってきたら、プログラムを組んで専門学校のようにして欲しい。
    もちろんクラスはADHD学科とAS学科に。
    一年目は個別支援に徹して、仲間と横で繋がることを禁止して、教科書による自己意識と自己管理の勉強と、薬合わせと半生を振り返るカウンセリングに一対一で取り組む。
    二年目は空気の読み方の勉強で、前期はロールプレイ、後期は二人ひと組で外で実施訓練。他の発達障害種別の理解や自覚のない変わり者への対応、人格障害者の共依存から適切に防衛する方法を身につける。
    三年目からやっと教室で集団で勉強し、横の友達作りが解禁。恋愛だけ卒業まで禁止。あと自由。コーチに頼らず自分で自分の問題に向き合いながら自立の形を作る。三者懇談で家族を説得して、自己責任で一人暮らしをし、就職口を確保、または休職者は復帰訓練を自分で段取りしてする。
    これらをクリアし、単位を取って卒業試験に通ったら、楽しい卒業旅行に連れて行ってもらえる。
    優秀な卒業生は、報酬付きで在学生の相談に乗ってあげることもある。
    いいな・・・。こんな学校入りたかったです。
    インターネット、病院単位の対応、行政支援の足りないところをつなぎ合わせると、こんな空想の“お城”ができました。
    やっぱり私はASですね・・・。笑ってください。

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