ADHD関連

ダメんずジャイアン

 しばしば見られる現象として、非常にやり手の女性ジャイアンが、「遊び人」「道楽者」の一般的には社会的に評価されにくい男性に変に執着することがある。
 女性ジャイアンはしっかり者で、時に「長」のつく社会的な地位があったりするが、ダメ男性は表面上だけ偉そうにしていて、実際はほとんど経済力も賢さも見られないケースが多く、冷静な第三者からは、「どうしてこの女性がこの男性を?」と不思議がられる。
 時には仕事の関係者の「ダメ」幹部などのこともあり、例えばNPOを公私混同、私物化している道楽者の「理事長」を「育てると思って」とかばったりもする。
 道楽者の男性は甘やかされた依存型ジャイアンのことが多いと思われるが、「厳しく出来ない」ところが非常に不思議だ。
 例えば「おだてられていい気になっている」というジャイアンっぽい心理も想定できるが、どちらかと言うと、「守ってあげる」「面倒を見てあげる」という共依存風の心理に近いのかと想像する。
 全く別に、根拠も無くこのジャイアン男性は偉そうにその場だけの主張を断定的に言い続ける。「相手が偉そうに言っているとつい信じてしまう」というジャイアンの別の面も関係はしているだろう。
 相手が受動型ASの場合は、「非言語的なマタタビに引っかかった」ということが多いと思われるが、大体そういうケースは「保護者」のつもりで居ても受動型ASのほうが高圧的になるので破綻する経過になる。
 相手が甘やかされたジャイアンの場合は、「自分がサポートしてやらないと」という「仕切れる」優位の立場には立てるが、問題は「それで何になるのか?」ということだ。
 合理的に考えれば、依存型ジャイアンには一切の尻拭いを辞めて、厳しい現実を突きつけて本人の自覚を待つしかない。ある意味で「それが一番本人のため」だ。
 そのためには「まずその相手との関係を叩き切る」という風にするしかないことは実際には少なくないのではないか?


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  6. 人格障害と呼ぶ前に⑤
  7. 最悪の相性
  8. 合理的な思考②

コメント

    • こもり
    • 2009年 4月 15日

    私の母と父の関係がまさにこれだと思われますが
    (やり手の女とヒモのような男)
    母が父に惹かれた理由はずばり、見た目の男らしいカッコよさ(肩とお尻が好きだとよく言ってます。他人から素敵な旦那さんと言われるのが何よりも嬉しいらしい)、
    父は母の経済力のようです。
    父は戦中生まれなのに
    「経済力のあるほうが養うのは当たり前だ」と偉そうにしていますし、
    母は父のスタイルが少しでも崩れると
    「お腹の出たあなたなんかに存在の意味はない」と露骨にいいます(するとすぐにダイエットする父が母によるとかわいいらしい。でも父の努力はそれだけです。元々お洒落な人なので母のためというわけでもない)。
    ある意味率直で仲の良い夫婦です。

    • ぴよよ
    • 2009年 4月 15日

    視界の狭いASで恐縮ですが・・・理解の範疇外です。
    ただ、時々職場の子の恋愛模様で理解不能なケースに出くわすことがあるので、『恋愛って何だろう?』という疑問のアンテナは立てています。視界から閉め出すことはしないように気を付けているので、こういう記事のコメントは読みたいですね。
    特に恋愛最中に居る人のコメント・・・。
    常々子ども達に対して思っていることですが、どうせ人生に恋愛を取り入れたいならお金や道具を介しない恋愛経験を一度はして欲しいと願っています。
    それが無惨に失敗経験に終わってもいいと思います。
    コミュニケーション能力だけの勝負をして限界を知って欲しいです。
    それから、大人になってさてどうするか、自己決定してゆけばいいと思います。
    コミュニケーション能力の失敗と物理的な要素の失敗は分けて考えて欲しいことも、口で言って通じないと思います。
    特にだめんずなら大人にも通じないでしょう。
    私の助言(極力しませんが。)にも力は無いと思っています。
    恋愛はエゴが試される場だと思います。例えば
    “要するに寂しがりやなんだ。”
    “自分はついついお金を出したがってしまうんだ。”
    “携帯メールで会話したがっている人間なんだ。”
    等、自身を主語にして自分のしたがっていることを自覚しないと、例えば携帯にメールを送ってくれる異性というだけで言うなりになる危険があります。相手のせいに出来ます。そういう無自覚な例を見ていると、苛立ちます。
    自覚してリスクを分かって、相手をよく視て、なおかつ自己決定して欲しいのです。
    でも私自身が年相応に恋愛を解っていません。
    だからそう育てられない自分が、いつも少し悔しいです。
    教育者のASを見かける・・・と記事に書いていただいたことがありますが、この記事のジャイアン女性も、育てる気分を味わいたい欲求があるのでしょうか?
    でしたら、相手に言わないまでも“ペットを育てたがっている。”と自覚してらっしゃるといいのですけどね。
    ならばある意味堂々と欲望を叶えて、かっこいいと思えます。
    私にとっては育て作業は仕事であり、たまにインターネットでコミュニケーションのおまけで出す価値しかないものです。
    仕事を離れれば育てられたいほうなので、羨ましくはありませんね。

    • サエコ改めフラジール
    • 2009年 4月 16日

    私は本来、ジャイアン型なのだなと自覚しました。
    かつては仕事をバリバリやる事が望みで、やっぱりダメ男と言われるタイプが好みでした。
    しかし、Asパートナーの両親、私の親が共に理不尽に無責任だった事で、育てられていない人をパートナーにする「育てられていない子」の大変さと、それこそこちらの思う形ではない依存をする子供を三人育てる事で、「もー限界」と思っても切る事が出来ない関係を続けて行かなければならない事で、本来は共依存関係を居心地が良いとする嗜好は変わったように思います。
    広汎性発達障害で引きこもりになってる息子がいますが、それこそ考えようによると、どちらかが死ぬまで濃密な共依存関係を持つ事も可能になりました。
    ただ、私は今、これまでの病的な関係ばかり作り、あえて混乱を作る自分に疲れ、無責任な関係が何も生み出さない事に、うんざりしています。
    自分の視野が歪んでいる事を知り、どうやって矯正していったらとも考えます。
    自分が発達障害である事で無意識にでも感じる不全感というか、欠けのようなものを、人で埋めて補おうとするところも、共依存に陥りやすい動機かも知れません。
    若いうちに診断を受け、状況に応じた教育を受ける事で改善が可能なのだとしたら、早期発見の意義はあると思います。
    ただ、本質的なものであるなら、どちらにしろ、人間関係で嫌というほど挫折して辿り着くという結論になるだろうと思います。

    • mican
    • 2009年 4月 18日

    昔、、姉のパワーを落とした感じの、ジャイアンの基本形のような友人がいました。
    自分がACであることさえ気がつかない頃でしたので、
    擬似家族として、私が依存してしまったのだと今になって思います。
    友人は今回のテーマに出てきたような、
    (母親に一度も叱られたことが無いと言ってましたので)
    「甘やかされたジャイアン」だったのだと思います。
    その友人はお金も無いし、借金はするし、働かないようなダメ男ばかり相手にして、いつも困ってました。
    私は年下からも面倒を見られてしまうような、自己主張の出来ない人間で、やっぱり「のび太」
    それまで、その友人からも仕切られている一方だったので
    ある事を切欠に立場が逆転する出来事があり、俄然張り切ってしまったのだと思います。
    当時私は「私が助けてあげなければ」と一人躍起になってました。
    先生の言っている「守ってあげる」気分だったと思います。
    ここぞとばかり、私が優位に立ちたいところもあったかもしれません。
     ところが、相手はジャイアンなので、私のほうが完全に振り回され
    それまで以上につけ込まれ、好き勝手に私の守備範囲を滅茶苦茶に壊されてしまいました。
    友人は「家族みたいなもんだもんね」が口癖でした。
    会わないと決めるまでは色々と試しました
    始めは私が嫌だと言えない人間なので、
    私が嫌がっていることに気がつかないのだろうと思い。
    ストレスの限界を超えて本音で話しました。
    ところが、私が嫌だと伝えても「私はOOだよ」と言われてしまい、却下されます。
    私の気持ちは全く「理解出来ない」ようでした。
    うちの合鍵まで欲しがったので、
    とうとう、友人の身勝手な言い分に私が耐え切れずに、二度と会わないと決意しました。
    友人は正にダメんずジャイアンであり、
    さらにその友人を守ろうと私が依存して、そこに友人が依存して・・という状態だったと思います。
    当時、ACの私にとって身を斬るほどの決意でした。
    後悔はありませんが、私が元々依存なんかしなければ
    このような最悪な状態と結果も無かっただろうに・・と、二度と繰り返すまいと決意を新たにします。
    叩き切って確かに前に進めましたが、やはり傷は未だに残ってます
    今でも 「依存」と「利用」と「必要」の境目(分類)がイマイチ整理できません。

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