合理的なADHDが実にさっぱりと「人にこだわらない」(例えば嫉妬心が無い等)のに対し、ジャイアンは特にASの人に対して「放って置けない」「離れられない」「引き寄せられる」感情が確かにある。
私はジャイアンとASの違いについて診断分類を突き詰めて考える作業の中で、この感情(衝動)について考えてきた。
現段階の結論は、これは「面倒を見たい衝動」とでも呼びうるような衝動である。いくつかの複雑な感情が入り混じって、渾然一体となったような非常に複雑な感情だ。
この衝動には、①好奇心、②仕切りたい(コントロールしたい)③守ってあげたい、④依存したい、の各側面があり、なおかつ「このうちのどれか」だろうと特定しにくい特徴がある。
例えばASとい存在は不思議極まりなく、特に頭の非常にいい高機能のASの人は孤高・優秀でしかも謎めいて鋭い思考力などを持っており、ジャイアンはこういう人に「目が無い」。非常に好奇心を持つ。
またジャイアンは「仕切る」ことが好きで、簡単に「行動が読めない」相手を見るとコントロールしたくなる。
ASの人はジャイアンから見ても、人生に不器用で頑なで一途で純粋で、世間の薄汚れた悪巧みから「守ってあげなければ」という衝動を起こさせる。
上記の3つと方向性は一見異なるが、実は並存して混じり合っていることが多い「依存」感情がある。これはジャイアンの不可解な行動を理解するのに非常に重要な要素だ。
ジャイアンは「答えを出してくれる」ものや人に依存する。ASは明確な自分なりの答えを持っていて、その答えを持っているところにジャイアンがひきつけられる。
ASに依存することは、「自分で責任を負う」大きな不安から逃れることを可能にする。うまく行かないことがあっても、「自分の責任」として自分を責めなくて良い。
ジャイアンに内在する強烈な自分自身への「自己突っ込み」をかわすためにASへの依存が有効なのだ。
本質は「依存」でありながら、相手の世間的な不器用さをサポートする名目であったり、一見ACとも見まごうような「おせっかい」であったり、好奇心で弄くり回したり、ジャイアンのこの衝動は非常に強く、複雑で「ぐちゃぐちゃした」ジャイアン独特の行動様式を形作る重要な要素となっている。
実はASにも非常によく似た「ちょっと駄目なADHDを放っておけない」衝動があるのだが、その違いはまた別のところで述べよう。
いつも読ませていただいてます。
私はもう離婚してしまいましたので、いまさらADHDを理解しようとしてもムダといえばそうなのですが、こちらの記事を読んで、過去の意味不明な数々の出来事の原因がこういうことだったんだと解ることで、積もり積もった理不尽な出来事に対する納得できないモヤモヤした気持ちなどの老廃物を除去していっているようです。
脳の構造の違いで分かり合うことができなかったんだと、もっと早く知っていれば訳のわからない苦しみから開放されて、今も夫婦だったのかなと思います。そして今そういった人の行動に困っている人にこちらのブログを知ってほしいです
私は夫のADHD的な部分に惹かれて一緒にいたのだと思います。それなのに経済的なこと、いつまでも安定しない生活にあせり、多数派のあり方を押し付けてしまいました。
今も夫は、程よいステイタスがあるけれど先の保障のない仕事に就き、転居を繰り返しています。はたからみると大変そうにしか見えないし、将来どうするんだろうと危惧してしまう生き方ですが、そういう刺激的な生活にこそ彼の幸せがあるのだろう事が今はわかります。多分、一生自分の真実に直面化することは無いと思いますが(助けてしまう人がいます)、迷惑がかかる人がいなければそれで良いのだと思います。
子供には申し訳なかったですが、振り回され続けた日々を、まああれはあれで面白かったと思えるようになれればいいなと思っています。
面倒をみたい、構いたいと思って親しくなればなるほど、本当の自分と相手の姿がみえたときにはお互い大変なことになるという体験は小生も数多くあります。言い方をかえれば身のほど知らず、ということでしょうか。
私と元夫の事を言ってるようです。
昔、なぜ夫のことをこんなに惹かれるんだろうと考えたのですが「刺激をくれる」「答えを出してくれる」からでした。
あとは夫の精神面が安定していて私を好きでいてくれる時の心地よさ、ですかね。
長くは続かないのですが。
私のことを好きじゃなくなった瞬間恐ろしい人になるので、そのギャップがとても怖かったです。
だからいつかは豹変するかもと思うと、一緒にはいられないなと思います。
やんばる先生へ
先ほどのコメントは昨日のコメントが登録されてなくてあれっと思ってもう一度書いたものです。
昨日のコメントがUPできるようでしたら、先ほどのコメントは削除してくださいますよう、お願いいたします。
お手数をおかけします。
まさに私の周りの人間関係を表現しているようで思わず吹き出してしまいました。まるで小説の世界のようです。
破天荒なAS息子の面倒をみたい母ジャイアンとこの母を助け続ける共依存のACの娘、ちょっとだめなADHD元妻をほっとけないそのASとの間で混乱している多数派ということのようです。
ジャイアンは好奇心が強く、お祭りや、自分が主人公になるものごとが大好きです。世話好きで、面倒見もいいですが、他人様のお見合いの話にまで口や手を出してしまい、結果として破談になったこともあります。そういった話には目がなく「今世紀最大の喜ばしき事」などといってひとごとなのにうきうきしています。ただ、自分自身や家族の事になると、事情がかなり違ってきて、まず自分の利害が中心で、そのあとは家系の利害が中心となるようで、自分が安全であればあとは関係ないように見えます。
わたしもASのわかりにくさのようなものに、魅力も感じているのかもしれません。ジャイアンは手強いですが、わかりやすく、どうしても憎みきれない人間くささを感じますが、ASはもっと知能犯的なところが、悪い意味で使われるとたちうちできません。1くくりで捉えるべき事を個別に捉えている思考には、なんとなくわかるのですが、逆にまさかと思うような事を、本来は別々に捉えるべきところを、おおなたをふるうように、ひとふりで押し進めようとするところがありますが、私はそちらの部分の理解の方が苦手です。が、それが彼のまれに見る才能なのだと思っています。
ジャイアンは自分の利益不利益に敏感で、ASは自分のつじつまの合わない事に敏感なような気がします。
ASの夫も、強力に家族に擁護されつつ、こだわりや愛着やなんでも思いどおりにできていた元妻と生活から、わたしのような人間と進もうとしたのには、ただわたしがこだわりにマッチしただけでなく、彼独特のおおなたふるいというか、なにか別の事もひっくるめて自分を変えていこうとする行動の1部ではないかと思えたりもします。
>ASの人はジャイアンから見ても、人生に不器用で頑なで一途で純粋で、世間の薄汚れた悪巧みから「守ってあげなければ」という衝動を起こさせる。
うーん。いつも読んでますがその通り。昔そう思ってたのを思い出しました。今は全く思ってませんが。でも本人は私を小バカにしていて、私と一緒にいると俺様はすごいと思えるみたいなので、まさか自分がそんなふうに思われてるとは思ってないでしょうね。
>「ちょっと駄目なADHDを放っておけない」
これも当たってます。自分が最初からそう思われてたと知ってたら、結婚しなかったです。結婚してから知ってがっくりしました。尊敬されてると思ってたのに馬鹿にされてたのかと。
今回の記事、何だかとても良く分かりました。自分の中でも何となく見え始めていたことが、言葉になってふっと落ち着いた感じです。
ASの『「ちょっと駄目なADHDを放っておけない」衝動』も自分の事として凄く良く分かります。今なお、放っておく努力を必要としてますし。
たかこさん
「ASは自分のつじつまの合わない事に敏感なような気がします。」これも凄く納得します。実はちょっと前から、自分自身で気が付いてて、「つじつま合わせをしない」努力をしているところでした。
つじつまが合っていない状態を放置するのは、すべき努力を放棄しているような罪悪感があるんです。その罪悪感を放置するのにも努力が必要。努力することしかできない自分に、はっきり言って呆れてます(^^;
> 尊敬されてると思ってたのに馬鹿にされてたのかと。
パパイヤさん、そんなに簡単ではありませんよ。単純に馬鹿にしている訳じゃないと思います。
自分の話しかできませんが、私は元妻を自分の持たない能力を持った凄い存在だと今でも尊敬していますよ。その能力がとっりらかって発揮される感じがするので(それがちょっとダメって事の意味)、それを上手く使えるように導かなければって思っちゃうのですが(結果として支配気味)、ADHDからすると余計なお世話になっちゃうってのは今は分かります。
そこが上手く合うと、エンジンのADHDにハンドルのASで上手く前に進む気がしてるんですがね。ADHDだけだと事故を起こしながらなので中々前に進めない。かと言ってハンドルがうるさ過ぎると「前に進めないじゃん」とエンジンが切れる感じ。
上手く息の合ったADHD-ASコンビが、政治家にも漫才師にも会社経営者にも、もちろん夫婦にも、沢山居そうです。
確かに、私も家族に依存して生きてきたように思います。その家族がASなのかよく分かりませんが私が依存した人達は「強い心と考え」を持っています。私がその人の生き方・考え方に共感、納得した時点でサポートする立場をとることが自分の生き方の基本的スタンスです。
なぜそうなのか考えると、無償の愛や家族愛というよりもやはり先生が仰るように「自分で責任を負いたくない」というのが的を得ています。
わがままで自己中で責任回避なんてほんとうに能天気な人種です。
marioさん
ありがとうございます。涙が出そうになりました。
ADHDとAS、お互い扱いが難しいエンジンを積んだ外車同士?お互いが丁度いいように調整するのは至難の業だったということなのかなと自分の身を振り返って思いました。どっちが悪いとかそういうことじゃないんでしょうね。
自己愛がまず大事な人にとっては、自分の行動・言動の責任を取るなんてもってのほか。自己愛人格障害にそっくりなジャイアンにとって、自分の非は認めたくないもの。自分の中に認めたく無いものは、全て他に押し付けておくのが一番。
その為にも、自分の責任の肩代わりをしてくれる人がいつも側にいてくれないと。
思ったのが依存というより利用に近い気もする。利用という感覚はASなのかな・・?と思うときがある。
自己愛人格障害に似てるのは、ジャイアンADHDタイプだけでなく、受動型ASもそうだということですが、受動型ASというのが自分にはまだよくわからないのです。
私の知ってる自己愛型ジャイアンはASの要素たっぷりです。
自閉症の幼児期のクレーン現象を彷彿させるような・・・、人をコントロールし、操り、支配するのが大好きに見えます。
先生のブログとHPに、自分のASの特徴と母のADHD傾向が非常に当てはまり、それ以来参考にさせて頂いています。
自分は受動型らしく、母の餌食となっていたのですが、(人はすべて変わる必要もありませんし不可能ですが、)対処を選ぶことで、良好な関係を築けました。必要なのは、自信と、互いの思考様式の理解と、愛ですね。
先生の捉えられる特長は、非常に的確だと思います。
ありがとうございました。
母は、依存しているのも感じますが、とても世話焼きであり、(特に言い逃れ時において)威圧的・暴力的であり、一方意見を非常に欲しがるので、忙しい人だと思っていたのですが、今回の記事でまたひとつ納得しました。
はじめまして。
兄のことで悩んでいてこちらにたどり着きました。
兄はこれまで数百万円の借金を作っては母に肩代わりさせ・・・というのを平気で繰り返してきました。
母がお金の無心を断ったり、兄を諭すようなことを言うと、
大声で叫んだり、
「じゃあ死ぬからいいよ」
「オレなんか生まなければよかったのに」
などと言って母を脅したり責めたりします。
そういう兄にも結婚歴があり、子供がいます。しかしその子供は元奥さんが引き取っており、養育費はほとんど払っていないようです。
養育費どころか、今まで作ってきた借金の返済や税金、生活費、すべての出費を母に背負わせているような状況です。
兄は昨年から失業しており、現在は母と同居しています。
母は本当に参っており、このままだと一生食い物にされ、自分の老後の生活もままならないと感じているようです。さらに、いつか殺されるかもしれないという思いも抱いているようです。
私は遠方に嫁いでしまったもので、ヤキモキしながら二人の生活を見守るしかありません。
もしかしたら兄には何らかの疾患があるのではないか、そうだとしたらなにか治療法があるのではないか、と思い、インターネットで調べているうちにこちらのブログにたどり着いた・・・というわけです。
兄がジャイアンにかなり当てはまるので驚きました。もし彼が病気だとしても絶対に認めなさそうですが、今後適切なお医者さんの指導の下、なんとか母に迷惑をかけなく済むようになってくれればと切に思いました。
鼠さんへ。
ここでこんな事書いていいのかわかりませんが、そこまでお兄さんの面倒を見れるというのはある意味すごいお母さんですね。
僕が思うに立ち位置が逆転しているのが問題だと思うんですけど。
精神的にはお母さんが、経済的、生活的にはお兄さんがお互いをケアした方がいいという気がします。変な話ですが、お母さんは一度倒れた方がいいんじゃないでしょうか?そのあたりは、方便的にでも。そうしたら変わらないかなぁ?面倒を見るのが本来的に好きなはずなんだけど、もし、お兄さんがジャイアンならですよ。
多少の経済的ゆとりがあるのなら、一度軽く寝込んでみたらどうでしょうね?ある意味お兄さんが母親をどう考えているか試すというか。
どうなるか、考えられるパターンは二つかな?
A:お兄さんが母親への愛に目覚めて面倒を見る。この場合お母さんはその時に喜んですぐに起きだしたりしない方がいいと思いますよ。
B:お兄さんは変わらずに、お母さんががどうにもならない息子であるお兄さんの姿を目の当たりにして愛層を尽かす。
僕が一番いいと思うのは、状況から察するにお父さんはいらっしゃらないんでしょうね。お母さんが誰かと結婚するとか、いい人がいるとかそれで、生活するとかあれば、お兄さん出て行くんじゃないかと思うんですけどね。
逆説的ですけどお兄さんがお母さんの面倒をみているんだと思います。
それに相手は変わらないんだから、絶対に。こっちが変わるしかないですよね。
上のコメントにも関係しますが、ジャイアンと受動ASは強すぎる自己愛(自己保存)のため、どうしても身内(AC的な人?)に犠牲を強いてしまうような気がします。
その自己愛は、離婚や絶縁や相手の死・・などより勝りませんか?
このような人に、こちらの誠意(味方意識)を伝えかつ人格を尊重してもらうには、どのように接するのが有効ですか?
エムさんの 自己愛は離婚や絶縁や相手の死より勝る の表現が鋭いと思いました。
私を上回るパワーのジャイアンでかつ自分をわきまえていない肉親に対して私から絶縁しています。
どうして、そこまで自分中心にしか考えられないのか?不可思議としか言いようのないその思考回路が脳の問題だとこのブログでよくわかりましたが、彼らと関係修復などとても考えたくありません。
自分も相手もジャインの場合、それぞれが自分の持つ恐ろしい部分に気付き反省していく以外ないのかな、と今は思っています。
ブログの中でよくいろいろな方がジャイアンとうまくつきあうにはどうしたら良いか?と悩んでいるようですが、あくまでも私個人(ジャイアン当事者)の意見として受け取ってほしい内容です。参考になればと思いますが気分を害したらごめんなさい。
ジャイアンの人間関係は好きな人・嫌いな人・その他大勢の人の3種類しか存在しません。好きな人は気の合う人、引き付けられるような魅力のある人、尊敬できる人などですが相手もこちらに対して好意的であることが条件です。嫌いな人は説明しなくてもみなさんと同じです。その他大勢の人とは好きでも嫌いでもない、なにも意識しなくても良い無害な人です。
ジャイアンとうまくつきあいたいと本気で考えるならまず自分の私利私欲はゼロにしてジャイアン同様正直で裏表のないがないことが第一条件ではないでしょうか。そしてもしそのジャイアン本人のことを愛おしい存在だと本心(ここが大切)で思うならジャイアンから嫌われたりしません。
ジャイアンに好かれる人の範囲に入るのは容易なことではないです。被ジャイアンの方が良好な関係ではないと感じた時点でジャイアンも敏感に感じ取りすでに嫌いな人のグループに入っていたりします。
うまくつきあいたいという発想そのものにたいして、被ジャイアンの方にとっての利害が優先のような不誠実な雰囲気を感じてしまうのは私だけかもしれませんが。
> ジャイアンの人間関係は好きな人・嫌いな人・その他大勢の人の3種類しか存在しません。
そうですか?
私は一体何だろう?
離婚した今でも元妻から時々、仕事の相談や買い物の相談を受けます(その相手をしている私も私ですが)。先日は、パソコンの設定を教わりに、自分が飛び出した我が家へやって来ました。んで、私の作った夕飯を食べて行きました。
一方で、子供の事などで思うようにならないと、物凄い攻撃を未だに受けます。それは私のせいじゃないだろーって思うのですが、もうすっかりと慣れたので適当に受け流してます。
日替わりで、味方だったり敵だったり。この忙しさ、一貫性の無さもジャイアン的だとは思いますけどね。上手く付き合う事もあきらめ気味です。何も求めなければ、余り被害がない。
でもAS的には、この諦めるそのこと自体が、相手に対して不誠実でとても嫌なものです。この人はこう言う人で変われないからと思う事自体が、相手を貶めて見ている気持ちになります。
まぁ、相手を現状のまま、ありのままに受け入れればそれで良いんですけどね。
そもそも「うまくつきあう」の中身ってどんなものでしょうか?ジャイアンとつきあう過程で被ジャイアンの人が傷付くことなく、事なかれ主義で表面上穏やかに波風たてずに過ごすことでしょうか?
うまくつきあうとは精神的、時間的ロスが少ないことなのでしょうか?
ジャイアンは多数派の人がする、仕事や家庭や趣味の集まりなどそのシーン別に上手く適応していくつかの目的を果たすという器用なことができまん。うまくつきあう土俵が違うのです。
常にジャイアンにとって一番大切なのは自分の気持ちが充実しているか、納得できるかですから、人間関係で重要であることは2つだけです。理想的なパターンは年齢や性別や立場や家族という枠にとらわれない関係でありながら、お互いに心底わかりあえて尊重、信頼できる関係。もうひとつは最低なパターンである徹底的にジャイアンに尽くして甘やかして身代わりに責任をとってくれる優しい悪魔とお互いに依存しあう関係。
このどちらかであればジャイアンにとってうまくつきあっていけることは間違いないと思います。
はじめまして。初めてこちらへ発言しますメカゴジラ(自己診断ジャイアンAC)です。
>鼠 さんの、2008.01.29 07:19コメントへ
このブログの『親の責任②』のコメント部分
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20071022/1#comments
の、特にアールグレイさんの発言を、一度読んでみてはどうでしょう。少なくとも私には、自己コントロールの一助になりました。
ただし冷酷に響きますが、鼠さんが真摯に大変な努力を払われたとしても、お兄さんが改善するかは保障できないと思います。
YANBARU先生の本拠ホームページ
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
のタイトルは、『自分を変えたい人 自分で治したい人のためのページ』です。
(特にADHDは)本人が己の姿に気付き、「変えたい」と痛感しないことには、本質的な改善は難しいと思うのです。
>お読みかどうか分かりませんが、アールグレイさんへ
事後承諾になりますが、お名前出しましたが構わないでしょうか? ご気分害しましたら、申し訳ありませんでした。
エイトさんへ
突然ですが、こんにちは。とても興味深くて、ジャイアンの心理を知る上で役に立ち、付き合っていく上で有用なコメントだと思いました。
自分ではなかなかジャイアンの事は推し量ることが難しく感じています。それで、さらに教えていただきたいのですが、
>お互いに心底わかりあえて尊重、信頼できる関係。
というのは、ジャイアンにとってはどういう人になるんでしょうか?
自分はASですが、AS同士だと相性が合えばそういう関係が築けるように最近思うのですが、これはやはり群れたがるところもあるかと思うんのですが、ジャイアンだと、やはり、独立心が強いというか、独立独歩という印象があるので、どういう相手だとそうなれるのでしょうか?
最近、ジャイアンと思われる方と付き合っているのですが、なかなか理解することができずに困っています、教えていただければありがたいです。
ジャイアンと上手く付き合う… ずっと考えてきたので、ちょっと書いてみますので、良かったらコメントを下さい。
実践できるかは別問題だし、私は既に実践できる状況にないですが。それと、失礼に当たる部分があったらごめんなさい>ジャイアンを自認されている方
1) 同じ方向(前)を向いて歩くこと。AS的には見つめあったり手を繋いだりしたいところ(比喩的な意味ですよ)ですが、ジャイアン(ADHD系)には距離が近すぎるかも知れません。ちょっとアッサリだなぁ、物足りないなぁって程度が適度な距離です。ASの考える「尊重、信頼できる関係」とADHDのそれは違うもんだと思います。
2) 決して進む方向を提案(指示)しないこと。ASがその信念を持ってこうした方が良いと提案した瞬間に、ADHD系の方は自由を奪われたと感じます。相談なら良いですが、ASは信念が強いので何でも断定気味です。んーっと、ジャイアンの提案を一旦受け入れて(できれば激しく持ち上げて)、その後でこう言う案もあるんだけどどう?って提案するのが良いかな?(いわゆる営業のイエスバット法とかイエスアンド法と同じか)
別の視点をもうひとつ、これは鼠さんの参考になるかも知れません。ジャイアンを自認されている方には更に失礼になるかも知れませんが。でも、ジャイアンに限らず対人関係の王道かも知れません。
相手の気持ちを否定せずに全面的に受け入れる。ただ、その指示、要求には一切応じない。
これは育児書「ダダこね育ちのすすめ」を読んでいて思った事です。子供の場合は、いくら泣こうがダメなものはダメ。でも気持ちは受け入れて(落ち着いてからでも)抱きしめてやる。
大人の場合は、脅されても要求を飲まない。でも見捨てないって事になるんですが、それまでに作って来てしまった関係を変えるのは、大変かも知れません。
Whiskyさんへ 自分本位の発想しかできないので、私の意見の中にWhiskyさんの答えが見つかるのかわかりませんがもし参考になればと思います。本音だけ書きます.
YANBARU先生が発達障害の理解のために人生をかけて尽力しているように、私が家族をサポートすると決めた人生を納得して生きているように、ジャイアンはそれぞれ自分の生きるテーマを決めていると思います。自分らしさを最大限発揮できる舞台でしか生きられないのです。ですからWhiskyさんの周囲のジャイアンが家族であろうと恋人、友人であろうとその生きるテーマが、世間一般(ここが大切、Whiskyさんのではない)の道徳、倫理に違反しないならば、相手のテーマを否定や反対しないでください。ジャイアンが聞く耳をもつのは自分と自分が認めた尊敬できる人だけです。それ以外の人が意見すると関係が悪くなります。どうしてもそのテーマに賛成できない場合、あくまでもジャイアンの利益を基本に考えた上での、提案程度がいいと思います。そして間違っても気に入られようと優しい悪魔にだけはならないでください。結果は共倒れです。相手が邪悪タイプのジャイアンでも、本気で相手のことを思うなら徹底的に突き放してください。嫌われたらそれまでの関係だったと諦めるこことがWhiskyさんの利益です。ジャイアンの理想は立場や上下関係を超えた本物の人間愛だと邪悪タイプのジャイアンでさえ理解していると思いたいです。
私が異性に対して思うことは、ジャイアンの自己愛を捨ててしまってもその人のことを愛したいと思わない限り、なんとなく好きとか興味があるレベルで恋愛がスタートした場合、相手が自分のことを好きでいてくれるとわかっていても「それがどうしたの?大事なのはあなたの気持ちじゃなくて私の気持ち」と考えます。自分の侵されたくない領域に勝手に入り込んできたあげく非を認めなければかなりの確率で嫌いになります。そんなところが普通?の女性に比べたら怒るポイントが違うというか、気難しくて理解困難で相手を困らせる性格なのは承知しています。
そのジャイアンの方のテーマがWhiskyさん自信に関係することならうまくいくと思います。
でもかなり極端な意見だと自分でも思うので、ジャイアンの取り扱いに困っているという意見に対し他のみなさんはどう思うのか聞いてみたいです。
「ジャイアンとうまくつきあいたい」
困ってるんですかー。まあ困るでしょうねえ。
ただ「ジャイアンとうまく付き合いたい」という表現自体傲慢というか「自分は正常、悪くない。悪いのはジャイアン。」とジャイアンの私には聞こえてしまいます。嫌なら放っておけばいいんじゃないですか。たとえ家族といっても、家族全体の幸せより一人一人の幸せを守る方が大事と思います。(自分と子供なら子供の方が大事だが。)上司なら、、しょうがないので異動願いを出すとか。
それは置いておいて、好き、嫌い、それ以外という分け方もありますが、利用できる人、自分よりも偉い人、自分より偉くなくて利用できない人というのもあると思います。
利用できる人はて何でも言うことを聞いてくれる人で、常に自分の意見を押し付けるがたまには可愛がる。
自分よりも偉い人には、逆らえないので仕方なく言うことを聞く。
自分よりも偉くなくて利用できない人には、徹底的に攻撃する。
その他大勢は、上の3つが場合によって入れ替わる。
家族に対しても、上の3つがそのときによって変わって行っているようです。
これは自分以外のジャイアンを観察した結果ですが、自分にも当てはまってます。
エイトさんへ
質問に親切に答えていただいてありがとうございます。
なるほど、自分にとっては非常に役にたつと感じました。
>ジャイアンの理想は立場や上下関係を超えた本物の人間愛
の部分はAS的にも共感できるものを感じます。
>生きるテーマ
なるほど、相手の生きるテーマを尊重するということですね。世間一般の道徳、倫理に反しない限り。
>本気で相手のことを思うなら徹底的に突き放してください。
このあたりが、AS的には難しく感じます、本気で相手の事を想うなら徹底的に付きまとうですからねー。AS的には。多分。このあたりがうまくいかないと感じるところかもしれません。
>「それがどうしたの?大事なのはあなたの気持ちじゃなくて私の気持ち」と考えます。自分の侵されたくない領域に勝手に入り込んできたあげく非を認めなければかなりの確率で嫌いになります。
このあたりはAS的にも納得できるものがありますが、ASからすると、いつの間にか相手の領域に誘導されてきた感じがするときがあるのですが、このあたりが大きな勘違いなんでしょうね。
>ジャイアンの自己愛を捨ててしまってもその人のことを愛したいと
この辺りがジャイアンの方がそういうふうになるときがあるのか、実例を見たり、聞いたりした事がないので、ぜひ伺いたいと思うところでした。独立心が強いと思われるので、独立心を捨ててまでと聞こえるのですがそうなんでしょうか?
テーマに関してなんですが、ジャイアンの方は身内を大事にする優しさがあるとYANBARU先生のところに書いて有りましたが、例えばその身内に虐待されても身内のために生きているような人が居た場合は、やはり、何とかしたほうがいいでしょうか?世間一般にはそれは明らかに変だからということで働きかければいいんでしょうか?
ながながと書いてしました。読んでいただいてありがとうございます。自分には無い考え方で、かつ、実践的あり、非常に役立つと感じました。また、こういう風にやりとりできて楽しいです。
>パパイヤさんへ
表現のところの指摘ありがとうございます。なるほど、そういう風に受け取られるんですね。興味深いところで、かつ、重要かと思いました。
>「ジャイアンとうまくつきあいたい」「困っている」
だと、嫌だというように受け取るんですね。
AS的にはそれでも何とかして良好な関係を築きたいというところなんですが。そう思わなければうまく付き合いたいと思うことも、困ることもない。という論理で、そういう表現になるんですよね。
基本的には好き嫌いがわからないといわれるASですからね。
責めてるつもりは毛頭ないわけなんです。表現の問題はなかなか、難しいですが、コミュニケーションを図る上ではとてもメリットのある指摘をありがとうございました。
パパイヤさん
> 家族に対しても、上の3つがそのときによって変わって行っているようです。
なるほどー
元妻の実家での言動を見てて(関係が良好な時もあれば、激しく切れたり噛み付いてもする)不思議だなーって思ってたんですが、そう言えば今の私に対して同じ状態です(以前は無かった)。離婚してから家族と同じ扱いになってるのも変なもんですが…
Whiskyさん
> こっちとしては、何か言ってくれれば、意見を交わして、より良い道を探したいというところなんですが。
全く同じ意見なんで、ちょっと笑ってしまいます。でもASって本人は意見を交換するってつもりでも、物凄く頑なですからね。「あなたと話し合いをすると説得されるから」と、元妻からもしばらく話し合いを拒否されていましたし。
まぁこんな風に書くと、AS同士だったら話し合いで上手く物事が運べそうに見えますが、偶然同じ意見の場合以外は話がまとまらない上に、息が詰まって苦しくなるでしょうね。
これまで付き合った相手も含めて、仲良くなる人が皆、ADHD系なのも自分で苦笑します。心が安らぐんだよな~(^^;
Whiskyさんの 本気で相手の事を想うなら徹底的に付きまとう を読んであまりにもジャイアンと違うので思わずおかしくなって大笑いしてしました、ごめんなさい。というか楽しいです。
私の場合、ものすごく相手のことが好きなら嫌われないうちに別れる という選択なので180度違いますね。あっさり諦めてしまうジャイアンに比べASの方は努力を惜しまない向上心があると思います。
ただあまりにも一途だと、逆効果かもしれません。いい意味で独立心をもつジャイアンの甘えを呼び起こし邪悪ジャイアンに変身させてしまうのではと心配です。私がいう邪悪ジャイアンとは本来自分で自分を助けて生きるところを優しい悪魔に精神的、経済的にも頼ってしまう人です。助けるなら精神面だけに留めたほうがよいと思います。
Whiskyさんのジャイアンの方は疑問を感じつつも自分で納得して生きていると思うので提案程度では何も状況は変わらないと予想します。その方に一生付きまとう覚悟があるのならば彼女にふさわしい新しい環境を用意して受け入れてもらう方法でないと彼女は納得しないのではと思います。
パパイヤさんの 利用できる人、自分よりも偉い人、自分より偉くなくて利用できない人 という分けかたも妙に納得します。私の肉親や次男を見ていると確かにそういう分け方をしています。
どうしてそうなるのか?ジャイアンの場合、物心ついた頃から自分の要求が叶うことが目標ですから周囲の人との衝突するのは当然です。まわりの人とうまくつきあえない悩みの歴史はジャイアンでない人がジャイアンに思う悩みよりはるかに長いです。ジャイアンの要求を叶えてくれるのは自分と好きな人と優しい悪魔だけです。趣味やペットは自分がチョイスしているので自分ということになり、好きな人といることは気持ちが充実、納得できるし、幼児と邪悪タイプジャイアンは喜んで優しい悪魔を受け入れますから。自分の要求を叶えるという視点で見ると人を分けてしまったほうが対応がラクなのでしょう。
独立心について。大人になった健全なジャイアン?は自分を貫こうとするほど、周囲との衝突でエネルギーを消耗するぐらいなら人になど一切頼らずに自分で自分を助けて生きることが近道だと悟っています。その様子が独立心旺盛に見えるのだと思いますが意図したわけでなく気が付いたらそうなっていたしそれがラクだという状態だと思います。
ジャイアンが周囲を困らせることについて。ジャイアンの要求が「その場面にいる人とうまくつきあう」であるか、ジャイアンと他の人の利害が完全に一致するか、ジャイアンの目標が病気寸前の低い自己評価、のどれかでない限り、ジャイアンは自分の気持ちを優先した言動に走ってしまうために周囲の人には受け入れられない状況を繰り返すと思います。
Whiskyさん こんにちは。
私もWhiskyさんと気が合いそうです。嬉しいです。
私の書く内容はこのブログで学習して頭に入っていたことと自分の主観が混ざって自然にでてきただけです。私が合理的ADHDというよりブログのおかげで私の思考の調子がよいという程度のことです。たぶん。
私もWhiskyさんに時々意見を求めても良いでしょうか?次男がADDと診断済みですがAS風なところもあるので参考にしたいです。
例えば、私がWhiskyさんに意見した(02.01.14:35)ように、私が肉親ジャイアンに良かれと思って意見すると猛烈に怒って効果ゼロです。ジャインは指摘を嫌うので、YANBARU先生が仰るように「自分で本気で治したい」と思わないとうまくいかないのですが、ASの方は意見されるとどのように受け取るのでしょうか?またどのように言われたら効果がありますか?もし答えにくいなら無理をしないでください。
あと、私も延々とひとつの事を考えたりします。ただ色々なパターンを考え過ぎてひとつにまとまらない状態になります。レストランのメニューに例えたらあれもこれも食べたいみたいな。ASの人なら一番栄養価の高いものは?で考えたりするのかな。
恋愛について、ジャイアンが相手をすごく好き!も自分の気持ちが優先で、でも自分が傷付きたくないから別れるという単純な自分本位の発想なのでしょう。自分の自己愛に変えても愛してる状態は長く続いたことがありませんので現実にはないと思ってもらえればよいのでしょうか、私の場合ですが。
場がどんどん進んでいるのに今更ですが。
エイトさん
>独立心について。大人になった健全なジャイアン?は自分を貫こうとするほど、周囲との衝突でエネルギーを消耗するぐらいなら人になど一切頼らずに自分で自分を助けて生きることが近道だと悟っています。
あーほんと、その通りです。周囲とあわせると自分にストレスがたまる、自分の好きなようにすると、周囲にストレスがたまる、なら一人でやった方が早いし、できる(と根拠のない自信で頑張るので実際にできるようになる。)
Whyiskyさん
嫌じゃないんですか。私は嫌いな人に対してしか、うまく付き合いたいって思ったことがないんで衝撃です。勉強になりました。やっぱりジャイアンはすぐ感情的に反応しすぎですねー。まだまだ修行が足りないです。
marioさん
うまく付き合う方法、別に失礼じゃないです。
確かにそうだねーと思いました。
ただ、個人的には、あまりにもあっさり、スマートすぎて、カウンセラー?コーチングのコーチ?みたいな。
パートナーならもっと泥臭くてもいいんじゃないかと思いました。それでジャイアンはいいかもしれないけど、ASの魂は救われるのか?とも。ま、あくまで理想なんで実際には泥臭くなると思いますけどね。ははは。
だだこね育ちのすすめは、子育ての参考になりそうなんで、早速アマソンで発注してみました。
Whiskyさんへ
どのように言われたら効果的ですか? とうい表現、送信したあとで反省していたところでした。ジャイアンがそんな書き方されたら「あなたのために最善の事を言ってあげてるんだから素直に聞きなさい」とうい意図があるように感じますから。すみません。
人に意見され賛成できない場合の反応は ジャイアンだと怒る、恨む、キレる、嫌う ASだと自分の意見を納得してもらえるまで議論する なのですね。ジャイアンは原始的でASは理知的だけど人を無視している、そして相手を嫌わないところが凄い そんな感じを受けました。でもどちらの反応も悪意なく意見した人にとってはキツイです。私ならジャイアンとだと大喧嘩になるしASの人だと相手の理論の理解を自分の脳が受け付けなくなります。
子育てについてはかなり難しいです。自分のことでさえ、自分で自分を助けられない課題がたくさんありますから。(だから一人では無理というか人を必要とすることは確かです。寂しいという感覚ももちろんありますよ。気の合う人となら自分一人より二人、大勢といるほうが楽しいことは一般の人と変わらないです。)子供に対しては支配とか押し付けをしないようにすることがとりあえずの目標でYANBARU先生が仰る「努力家のインストール」にはまだまだ至りません。
あと、Whiskyさんのまだ見ぬメール友達も、私的にはかなり好きな人になります。私の好きな人は、私より難しい子育てを頑張っているママ友達・パニック障害でも仕事と子育てを頑張っている友人・的確なアドバイスをくれる教育カウンセラーの先生・知り合いの明るくて太陽のような歯医者さん・自分のプライドをかけて仕事をしている子供の教師・5年ぶりに会っても何でも話せる友人などです。この人たちはお互いに分かり合えて尊重、信頼できている、と感じられる時があるから好きなのですが、もちろんお互いの全てにおいてとか永遠にということではありません。お互いの全てと永遠の両方を満たす人が「心底」になるのかもしれませんがこれまた現実には稀なことでしょう。
長々とすみません。
エイトさんへ
あー、あやまらないでください。別に悪いことした訳じゃないですよね。それに、自分はある程度ADHDに対して理解していると思っているので、どのように言われたら効果的ですか?という表現からは、」意見をして相手の考えを変えるにはどうしたらいいか|とうい意図があると取りました。ははあ、なるほど、ADHD的にはそこまでの意味になるのですか。面白いですね。そうなるとADHDには意見という意味の単語は無いに等しいわけですね。そうか、ADHDの行動は基本的には損得、メリット、デメリットだと理解していましたが、そこまですすむんですね。とにかく、別に変には思いませんでした。そのあと回答したのは純粋に言葉の意味の上での意見というものについて考えて自分の考えを述べました。
なるほど、ADHD的には意見は命令に近い意味になるんですか。興味深いです。
人を無視しているかなぁ?そうではないと思うんですけど。基本的に好き嫌いがあまりないので、自分から好きになって近寄って行くことがないだけです。自分から近寄るのは、偶然に自分の興味とかち合った人だけだと思います。それと、向こうから近寄ってきてくれた人には、自分に興味をもってくれたと思うとくっつきますよ。エイトさんが質問を投げかけてくれたことは嬉しかったです。おそらくADHD的にはみんなに声をかけるべきなのでしょうね。だから、無視してるというふうに取られるんですね。
続きです。
エイトさんはまさに純粋にちかいADHDの方にの様ですね。やり取りをすると、いろいろADHDの方が理解できて楽しいです。
お子さんの事は大変ですね。自分も自分のコントロールが難しいので子供にとっていい父親かどうか悩みます。
>あと、Whiskyさんのまだ見ぬメール友達も、私的にはかなり好きな人になります。
この部分がちょっと気になります。おそらく、エイトさんとしては、自分を好いてくれているので、好きな人が好きな人は、自分も好きになろうとしてくれたと思いますが、それはAS的にはかなり失礼だと思います。(責めているわけではありません。)ASが求めるのは理解です。まだ、誰かはっきりわからない人を好きになるの変に感じます。AS的には「その方はどんな方なんでしょう?」と興味を持っていただいたほうが、嬉しいです。
一応言っておくと、その方は、昔水商売の経験もある女性です。それでも、ADHD的に好きになってくれるとは少し思えません。
いくらか、行き違いもあったようですけど、いろいろやり取りするのは新たな発見があって楽しいです。今後ともよろしくお願いします。
Whiskyさんへ
いくつか誤解があります。もし私がWhiskyさんのことを大嫌いだと思っても、Whiskyさんのような すごく理解してもらえて落ち着く、幸せを感じる メール友達が自分にいたなら自分はその人のことをすごく好きだろうと思ったわけです。
あと私は職業で好き嫌いが決まることはないです。
人を無視のところですが、ジャイアンだったらまず意見の食い違う相手のことを嫌ってしまうので目の前にいる相手に冷静に議論できるところが私には凄いと思う、という程度に思ってください。言葉って難しいですね。
意見についてですがWhiskyさんのコメントで気付きました。ジャイアンは人に意見するときは良かれと親切心から言っていると思うのですが、人に言われたらそれこそ命令されたように思ってしまう のだと思います。
>ASに依存することは、「自分で責任を負う」大きな不安から逃れることを可能にする。うまく行かないことがあっても、「自分の責任」として自分を責めなくて良い。
これ、言えてますね・・・
AS彼と別れて1ヶ月。現在、多数派の代表のようなヘルパーさんに依存(相互依存?)しながらやっていますが、これが辛くてたまらないです・・・
今まで、AS父に無意識に依存していたのが、AS彼との恋愛と同時にすっぱり切れて、今度こそ本当に一人になったのかな~、と思うけど、mario(AS)さんが述べておられる、ASに対する滅茶苦茶やっていい関係、彼が「あぶなっかしいADHD」の私を、赤ん坊をおぶったりあやしたりするように育てていた関係が切れて非常に辛い。
ASの方に、ここで文句つけるのも良し悪しだなと心底思いました。「共依存」なるものは、まさに「フィフティ・フィフティ」(彼もそう言ってました)なんですから。
多数派の方々は、こう言ってはなんですが、やはりどこか別人種に思える。神経の太さとか強さ、そして切り替え方が全然違うような気がします・・・(中には、もちろん少数派に必死で寄り添ってくれようとする人もいますが。)
>実はASにも非常によく似た「ちょっと駄目なADHDを放っておけない」衝動があるのだが、その違いはまた別のところで述べよう。
これってまだですよね?先生。
つい優秀なASがダメADHDを庇護?することに対する心理分析を鋭い基地口でお願いします^^
物心ついた時には積極奇異、成長の過程で重度の二次障害に苦しみ、自我が薄くなった状態が10年ほど続きました。
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「仕切りながら(コントロールしながら)守ってあげて、かつ依存もしたい」…なぜか毎回思われていました。
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「私たちは、今を生きています!!!」「うまくいかないと決めつけないで」…よくわかります、かつて私が思っていた事でしたから。
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しかし、だ。私は自分を取り戻す旅の最中、当時を振り返って思うと、私の自我の薄さと弱さにつけ込んだようにも見えるんです…相手には申し訳ないですがね。
そして相手は、本当に愛を見つけたと思っていたようです…。そういう、幸福そうな表情をしていましたから。
でも長続きはしなかった。私を守りたいと思われた相手の情動
に流されるように駆け落ちもどきの行動をするに至り、知らない土地で短期間生活を送りました。その間、相手及び周囲の関係者と具体的合理的に生活段階を進めていくという援助や、支援の実行、特性に関する理解などが完全に無い状態で、私は自分を痛めつけるだけ痛めつけました。今から考えて、あれはやはり「愛ではなく、依存されただけの構図でした」。最終的に相手からは「(私の方の)能力がなかった」と言われ、地の底に突き落とされ、私はボロボロの状態で実家に帰りました。そこから10年ほどの間、私は自分の行動により、実家の家族および周囲の関係者からの失った信頼と援助を目の当たりにしながら生きるに至ります。子供はできていなかったから、後は自分さえ耐えればいいと思いましたが、やはり辛すぎました。今は、障害確定診断後に長年お世話になっているお医者様がいるので、同じパターンを繰り返さないように、この生まれ持った直感と、苦心しながら獲得してきた合理的思考を駆使しながら、信頼できる医師と専門相談員さんなどとの対話により、出来る限り自分で自分を制御する事にしています。
今はようやく本当の意味で実家から円満に自立していける事ができそうですが、まだまだ自分を取り戻す旅の途中なので、少しずつですね。
「当たり前に自分がある!どうしよう!!」
「選択する自由がある!どうしよう!!」
毎日が新しい発見の連続です(^-^)
のび太も面倒を見たい、これは衝動と言ってもいいのでは?
私は今のんびりと求職中なんですが、なんかダルクみたいなとこで働きたいなーとかつい思っちゃいます。
物作る仕事を辞めた今未練は無いのです。口を糊するためには一番自分には向いてはいるんですが。これは自分にはというだけであって、仕事内容が私を求めるかというと直接には求めないだろうということで。
面倒を見てもいいその衝動があるとすればそれは全世界に向かっているんじゃないか・・
のび太の依存先は全世界、何しろそこに対して無意識であるうちは、ですよ。