ジャイアンの回復には自分の脳の自己中心的な特徴についての冷静な理解が必要であり、その直面化はそのままでは自己評価の低下につながる可能性がある。
確かに徒に自分を責めても利益が少なく、ましてやジャイアンの場合には、自分を低く評価されることへの過剰反応の中で病的になることも多い。その典型的な一つの形が「ジャイアンのAC」という状態だ。
しかしジャイアンの脳の特徴の一つに、「表面上の問題が消失すれば問題自体を忘れてしまう」ということもあるので、ジャイアンは困る状況が無くなれば継続して問題について考え続けることさえ(たまたま環境の中でそうすることを鍛錬した場合を除き)困難となる。
回復へのプロセスが継続することさえ、「困る状況として自覚させられることが途切れずに継続している」必要がある。
これと対極にあるのが、「甘やかされて尻拭いをしてもらい続ける」状況だろう。
ジャイアンのACの治療の過程で、多くの場合親のジャイアンから押しつぶされて形成された異常に低い自己評価を治療するため、「あなたが悪かったのではない」という認知の修正をすることになるが、その結果はACがとれたもともとのジャイアンが姿を現すことに他ならない。
普通のADHDはそれで治療終結(コーチングを除き)となるが、ジャイアンの場合にはその後かえって現実的な不適応が悪化したりして、治療が長引く。
私はジャイアンの回復は一度はACになるくらいの自己評価の低下を経ないと困難であるように感じている。甘やかされて自分で考えて解決することをほとんどして来なかったジャイアンを治療に導入することは非常に困難であり、逆に困らなくなればジャイアンは考えることを停止することが多いからだ。
というわけで、ジャイアンの回復の少ない可能性の道は、「病気になる寸前すれすれの低い自己評価の中で直面化の手を休めないで自分の醜さを見つめ続ける」というようなイメージになる。
これは辛いが、これしかない。なぜならこれ以外の自分が辛くない道は、自分は困らなくても、気付いていなくても、周囲の誰かを困らせ続けているに違いないからだ。
まあ現実の中で努力して例えば仕事や勉強、資格取得などの表面的な評価で保てるものはあることは支えになりはするが、本人がそれを逃げ場に使えば現実否認のアディクションになる可能性もある。自己評価を上げる状況はジャイアンのとってはことほど左様に両刃の刃なのだ。
「甘やかされて尻拭いをしてもらい続けている」状況を助ける事をしないという態度で、この何年も耐えてきました。
反省を促した訳ではなく、いわゆる、アディクションのイネイブラー的な行動にならないようにずっと努力してきました。そして、底尽きという状況が自然と生まれました。
今ジャイアンは困った状況にあり、私の態度としては、「しかと」を続けています。直面し続けてもらうため、必要だからそうしているというのが建て前ですが、ジャイアンはそういうつもりでないとはわかっていても、やっぱり、会えばごきげんとりや、もみ消しと感じられる接し方をされるのはわかっているので、私自身がそれがいやで、会いたくないというのが本音です。
あとは知らないよ。尻拭いしてくれる人がいればしてもらえばいいし、わたしはもう関わりたくないです。
ジャイアンという言葉を知るまでは、「人のせいにする病気」だと思っていました。私はこの人たちより弱い立場にあって、この人たちと関わりを持っただけなのに、何年もわたしのせい、にされ、耐えてきました。
自分の名誉を守るために、仕返しのためにやったことも沢山あると思います。鬼と思われてもいいです。もうぬれぎぬは自分ではらしたので、あとはしらないからね。
こういう態度が、ジャイアンの回復つながっててくれればいいなあと思いますが、それより自分の事を考えて生きていきたいと思います。
はじめまして。
ジャイアンと思われる母への対応に苦慮する家族です。
母には借金問題があり、父に内緒で債務整理などを進めてきたのですが(娘の私が手助けしました)、やはり家計管理がうまく行かず、父を含めた話し合いの末、私が家計を預かることになりました。
これまで、父に話すよう説得しても、「実家に戻るしかない」「お母さんには生命保険しかないから死ぬしかない」といい続け、私や弟を困らせてきました。
話し合いの場においてもなお自分を正当化し、なかなか現実を受け入れることができませんでした。
家族が訴えを繰り返し、現実を受け止めたかのように思えたのですが、自省と正当化の間で気持ちが揺れているように見えてなりません。(家計を戻してほしい、でないければ家事をしないと言い出しています…)
お金の絡む事柄であり、お膳立てせざるを得なかったのですが、母が自分の気持ちに向き合う手助けの方法はないのでしょうか。
このままだと、家族の心が折れてしまいそうです。
ジャイアンの周りの人・・・相当苦しい思いをさせられていることと思います。私自身がジャイアンですが、それでもジャイアン上司にあたった時などは、完全に向こうのジャイアンペースになるわけですから・・・。
先生の言う「病気になるすれすれの低い自己評価の中で、直面化の手を休めない」を今実行しています。難しい仕事に就いて、自分との戦いを毎日しています。
いつかこの日々に光が射すことを信じています。
小学生のとき引っ越して方言をからかわれいじめられ自殺を考えた時。経済的な理由で高級住宅街の1戸建てから古い小さなマンションに引っ越した時。受験勉強をはじめるのが早すぎ、息切れしてトップからどんどん成績が低下した時。一番好きだった人と(自分のせいで)結婚できなかった時。まだまだいろいろありますがその都度相当落ち込みその後なんとかして這い上がり、多少は自分を向上させる原動力になったような気はしますが、それはジャイアンとしてパワーアップしただけで、結局周囲の人にはかえって迷惑なことになってしまったのではないか、とも思います。だれも正確に指摘することはできないでしょうから、やはりそういう状況、可能性を踏まえて1人で沈思黙考するしかないのでしょう。
ジャイアンが治ったら、ジャイアン自身や周囲から見てどんな感じになるのか知りたいです。ジャイアンは自分は困ってなくても周りは困ってるということですが、実際のジャイアンは好き放題やりつつもいつも何かにプンプン怒っていたりトラブルに巻き込まれたりして幸せそうには見えないです。周りから見て苦笑せざるを得ない感じで。(自分もそう思われてるんでしょう。)
ジャイアンが治ると穏やかに毎日を過ごせるようになるんでしょうか。
先生のブログはいつも読ませて頂いていました。
私自身、発達障害の親の会にいて色んな方々を見てきました。親御さん達の中にも当然特性を持った方がおり、また私が感じてきた多くのことを先生が上手に感情を整理し、言葉で表現されていて、いつも読むたびになるほど・・そう考えるとわかりやすい・・ということが多かったです。
>「甘やかされて尻拭いをしてもらい続けている」
>甘やかされて自分で考えて解決することをほとんどして来なかったジャイアンを治療に導入することは非常に困難であり、逆に困らなくなればジャイアンは考えることを停止することが多いからだ。
全くもって同感です。
>というわけで、ジャイアンの回復の少ない可能性の道は、「病気になる寸前すれすれの低い自己評価の中で直面化の手を休めないで自分の醜さを見つめ続ける」というようなイメージになる。
これは辛いですが、現在これに近い状態に追い詰められつつあります・・・
「自分は醜い」とは思いたくないけど、誰かにいつも迷惑をかけていることは確か。ジャイアン母を見て、それが当たり前の女性の姿かと勘違いしていましたが、X1で自立しているヘルパーさんを目の当たりにしたら、とんでもない間違いでした・・・
AS彼が、無理やりにもACに気づかせたのは(えらいトラウマになっているけれど)あるいはよかったのかも・・・しかし、持って生まれた脳の構造は変えられないせいなのか(言い訳?本音と建前の使い分けが出来ない・・・)ミーティングからも現在追放状態に近くなり、大変困っています。
この困った状態を一生続けて行く事が「回復」なんでしょうか?どひゃー。大変だ。