(心に残ったあるジャイアン女性のケース)
ジャイアンの回復の途中には、「突如攻撃性が表面化する」というプロセスが必ずある。多くの場合このプロセスは家族にとっては都合が悪い。このことをずっと考え続けているあるケースがある。
ある女性A氏はうつ状態で診療内科通院中だった。家事もほとんど出来ない難治性のうつ状態だった。私の勤務するクリニックに転医してからADHD、ジャイアンの診断と告知、カウンセリングでかなり回復し、さて問題の段階に差し掛かった。具体的には書けないが、「公衆の面前で見知らぬ人の不条理をはっきり注意する」という行動が出てきて、私は「良くなった」と大喜びして、社会参加へ向かって本人の興味のある分野の学校への入校を勧めた。
ところがその後は私の予想外の展開となった。同居のフィアンセが入校に反対してその話は流れ、程なく私の勤務するクリニックから転医となったのだ。
(間接的な情報で、その後はフィアンセと一緒で無いと外出できないようなうつ状態が続いているらしい)
このケースについての真相は話が聞けないので分からない。以下は私の勝手な想像である。
ジャイアンA女性が動けなかったのは、優しいフィアンセへの「丸投げ依存」だったと想像する。病気で居れば優しくしてもらえる。
何でもフィアンセが決めてくれて、自分で責任を負わないから自己突っ込みが生じない。現実社会にも出て行かないから不安も回避できる。
結果として「自分の人生丸ごと丸投げ先延ばし」のような状態であったという想像だ。
おそらくこのジャイアンA女性の依存と、優しいフィアンセの献身的な世話は「共依存」であったのだろう。
私の治療は「自立」を志向する。依存を脱してジャイアンとしての自立と尊厳を取り戻し、その結果として本来のジャイアン的な活力を蘇らせることを目標とする。
その途上には攻撃性がはっきり表面化する時期がある。自己突っ込みが非常に激しくなり、その結果他者への突っ込みも厳しくなる。
自分にも人にも異常に厳しい「超合理的強迫的ジャイアン」への復活だ。
おそらくこの(私から見れば)回復が、家族、優しいフィアンセ氏から見て「都合が悪かった」のだろう。A氏本人の自立は安定した共依存関係を破壊することを意味するからだ。
これはあくまでも私の想像に過ぎないが、「転医」となった経過もこう考えると説明できる。
このケース自体については、実はこの転医先の先生はジャイアン当事者と喧嘩することが多いという前例も分かっているので「主治医と喧嘩して戻って来ました」という風になるのをずっと私は待っている。
戻れば私は大歓迎であるが、ご家族は反対するかもしれない。
私の治療は「自立」を志向する。依存を脱してジャイアンとしての自立と尊厳を取り戻し、その結果として本来のジャイアン的な活力を蘇らせることを目標とする。
その途上には攻撃性がはっきり表面化する時期がある。自己突っ込みが非常に激しくなり、その結果他者への突っ込みも厳しくなる。
自分にも人にも異常に厳しい「超合理的強迫的ジャイアン」への復活だ。
はぁ~、やはりそうですか・・・。
私は20年ちかく鬱状態を繰り返しましたが、仕事をやめてからは軽快しました。
そして一度スクールで先生を罵倒して怒りまくった時、カチッと身体に入ったように感じました。
ところがそれから人の欠点や間違いが許せなくなり、頭の中は批判と怒りでグルグルしています。
でも、「私は生きてる!」「負けるもんかぁ!」と、頭の中が切れそうなほどワクワクすることが多くなりました。
おかげさまで心身ともに絶好調ですが、そんな自分が恐くて人に近寄れません。
人の迷惑顧みず、ワーッとしゃべりまくりそうです。
またそんな自分への批判も激しくなり、まさに「超合理的脅迫的ジャイアン」です。
でもどこかでそんな自分にネガテイブな喜びを感じているのも確かです。
欝は脱しましたが、さてこれからどうなることやら・・・。
たびたびこちらに寄せていただくことにします。
でも元気になってうれしいです!
「これが私だ!」と思います。
はじめまして
千葉県在住の30代の女性です。
今、うつ病として近くの精神科に二年程かかっていますが、症状が軽くなる程に、自分のうつ病は二次的なものであると感じる様になりました。
主治医に聞いてもはっきり教えて貰えません。
先生のブログを拝見して、発達障害もしくは人格障害の要素にとてもよく当てはまります。
①母が妊娠中にアルコール依存症だった
②虐待を受けて育った
③小学校低学年は授業中に歩き回ったり、外へ遊びに行ったりした
④幼稚園から高校までいじめの対象だった
⑤かっとなり、感情を爆発させることがある
⑥仕事が続かない
⑦性的にルーズで中絶を5回もした。
⑧金銭的にもルーズで債務整理を2回もした
⑨被害妄想が激しい
⑩3度めの結婚中
⑪リストカットが酷い
⑫一人息子は中学生になったときアスペルガーと診断された
自分勝手に書き並べましたが、ただ本当の事が知りたいのです。
本当の事を知って、その上で自分自身を理解し認め、受け入れて前向きに生きて行きたいのです。
もうこれ以上、自分で自分を傷つけたくないです。
病院の転院も考えていますが、電話をして(うちではやってません)と断られてばかりです。
どうかアドバイスをいただけませんでしょうか?
よろしくお願い致します。
「突如攻撃性が表面化する」が行き過ぎると
自分諸共、全てを滅ぼしてしまえ!
という思考になってしまいます。
そうならずにジャイアンの良い面のみを
取捨選択する場合はどうしたら宜しいでしょう?
個人主義に答えがあるのかな?と思っていますが。
また、家族が皆ジャイアンタイプの場合は
極力接さずに生きた方が宜しいのでしょうか?
依存をやめて鬱が治れば、攻撃性がでてくる。
すると多数派の人とは一緒に生活できないから、面倒見のいい人と暮らしていくしかない。
すると結局面倒見のいい人に依存・丸投げで暮らし、でも外にいけば鬱になるから、家のなかで子供相手に威張って優位を感じて中心志向を満足させ、結果依存を再生産する・・・
このループを抜け出して、多数派の中で暮らすのに成功しても、つらいわりに得るものは少なく、がんばっても子供にまたおんなじ問題がでたりして、振り出しに戻ってしまう。
そしたら共依存の方がラクだから、それを親戚家族全員に苦労して自立することを勧めても何が得なのかいまひとつ説得力がない。
同類で依存しあって生きて、特殊な能力で多数派をねじふせ人より生活費をたくさん得たいという願望をクリアする、というのがADHDの一番ラクな生き方なのだと思います。
刺激に弱いからお金もたくさん使う場合が多いし。
だから経済的に成功してるジャイアンは、ひとりではなく、優秀な人を傍らにおいて上手な依存に成功している人が結構いるのではないかと思います。
でもそれは実際には一部の人にしか無理なので、凡人だったらひずみが生じるのは避けられない。
だから結局は自立するしかないんだけど・・・という感じで初めに書いたループに戻ってぐるぐるするのだと思います。
だから完全に自立するには、まず家族を捨てる勇気を持たなければならない、大変です。
こんにちは。自助グループの中で、ここの紹介があり拝見させて頂きました。 私は、17歳から周りの反対を無視して精神科に通い初めました。強迫性神経症から、摂食障害、アルコール薬物依存、共依存、境界型人格障害、ADD,LD,ADHD
っと診断が変わっていきました。38歳の今では、LD,ADHDのみです。家族共同体でいるためか、病院を8回変わりました。今の病院に今年からかかったのですが、発達障害の薬を処方して頂けました。すると、OD(飲み忘れがないか気になり過ぎて、まとめのみ)が無くなり、常に頭の中でショックだった出来事がグルグルしていたのが、消えました。
随分楽になりましたが、体調不良は多く辛いです。
しかも、共依存で搾取されていた環境を、子供が生まれてから現在破壊(周りは望んでいなく、私の身勝手とされているので、破壊を使っています)し初めているので、かなり大変です。
ただ、ただ、呼吸をするのが楽な生活を求めて頑張っているのだけれど、いつまでも楽になれません。
このブログを読んだら、私はループにはまっているように思えました。出産した後、姑と主人と両親とかなりもめ、産後の肥立ちも悪く良い方法を捜す余裕もありません。
でも、楽くになりたい。そうすると、家族を捨てたほうが良いのでしょうか?。出来れば、親子3人で暮らしたいのですが・・・妥協案はありませんか?。