漫画、テレビドラマともに非常に面白かった「のだめカンタービレ」はAS-ADHDカップルの典型例だと思う。このカップルはうまく行きそうであると私は思う。その一つの理由が「ブランドイメージ」である。
ジャイアンは中心志向があるので、表面的な権威やブランドが好きだ。「世界的な才能豊かな若手指揮者」というのはブランドとしては最高で、これだけでも「他の事は許せてしまう」ということに成りうる。
これと同様に、(世間的に)「本当に偉大」な地位、ステータスがあれば、ASがかなり「オレ流」でも、ジャイアン側からの「尊敬」のようなもので関係は安定しうる。
「のだめ」も才能豊かなピアニストなので、お互いに世界的な演奏活動が忙しく、年を取るまで「時々会う」様なカップルのあり方で、お金は十分にあってジャイアンは贅沢が出来るし、あまり一緒に居ないので「オレ流」の拘束も実質的なマイナスにはならない。
出来れば子供も持たないか、あるいは産んでも家政婦が養育する形になり、ジャイアンは家事や子育てもしなくて良い。ただ華やかなアーチストの人生を送る。
積極奇異型AS-ジャイアン型ADHDカップルのうまく行く一つのシミュレーションである。
ASは世界的な名声を保ち続ける必要がある。落ちぶれてずっと同居する状況になったとすれば、私はその後には悲観的だ。
(自分で書いていて、やはり「利用」に近くなってしまうのは何故だろうとつくづく思う)。
愛着にべったりのASはそれで満足でしょうか?
千秋は小さい頃父が帰ってこない
とさみしがり
たまにのだめがいないと
「待つのは嫌だ」
となったり。
普段は千秋だって忙しい癖に、自分が暇なときにのだめが相手しないとむくれちゃう点は心配。
ジャイアンには極めて良好な関係です
>自分で書いていて、やはり「利用」に近くなってしまうのは何故だろうとつくづく思う
私はこの部分でクスッと笑ってしまいました。ジャイアン夫のことで傷つき悩んで来ましたが、『やはり「利用」になるのは何故?』とグルグル悩んで自己つっこみしているジャイアンの姿はほほえましくさえ思えてきたのです。(先生、失礼に思われたらすみません、そんな意図ではなく率直な感想なのです)
ふと、以前、私は夫のことを周囲の人に「自分が愛を受けることだけに関心がある人なの。自分が他の人に愛を与えることはできない人なのよ」「きっと生育環境の中で、満足できる愛を与えてもらえなかったのかも」と言っていたことを思い出しました。
ギブ・アンド・テイクの、テイクのみ、という印象ということです。それは確かに「他人を利用している」ということと近いかもしれませんね。
最近コメント等を読んでいて思ったのは、ジャイアンの親というのはASだったりジャイアンだったり、ということが多いようですよね。夫の親もそうです。
もちろん遺伝もあるのでしょうが、遺伝だけではなく、もしかしたら愛情表現下手な親だったり、あるいは世間一般で言う、子への普通の愛が根本的に無い状態の家庭環境で育つことによって、連鎖的後天的に引き起こされる部分もあるのかな、と思いました。これは、キツイ現実でもあるわけですが。
「のだめ」が親になったら、やはりその子どもはキツイと思います。良いとか悪いとかではなく。
ジャイアンは巣作りには向かないんですよね。
多数派は農耕民族のDNAで、ADHDは狩猟民族の名残だと、どこかの本に書いてありましたが、全くズバリですよね。すばやく動く能力・動体視力・注意転動性・同じ場所に留まっていたら飢え死にしてしまう・人に愛着を持って留まっていたら狩に出ていけない・単独でも生きられる・他人より早く仕留めて勝たねばならない・移動しなければ成り立たない生活、等々、考えれば考えるほど、農耕民族&定住型の日本人とは違う性質です。農耕生活では、定住して、集団で役割分担してうまく円滑にやらないと飢え死にするわけですから。
なんだかとりとめもないですが・・・。
もちろん遺伝もあると思いますがそのように親から愛されないことで一層次の世代にその影響がでるような気はします。私の祖父(自閉が疑われる?千秋のように生活がきちんとしていないと気が済まず分単位での日常生活をしていた)は自分の母親から全く育てられず・愛されずでした。子育ては養育係にまかせきりで・・千秋・のだめに将来子供が生まれた時にとる最良のパターンではあるはずですが・・、その子供である母は父親自体が家族の愛を知らないため子供にどう接したらいいのかわからず会話がなかったと言っていましたし、祖母も戦後すぐで家族や困っている人が多く慈善活動に忙しく、愛情はあってもやはり子供の世話は養育係にまかせきりだったそうで。母は4才になるまで歩けなかったのですが4才で!やっと母親からきずいてもらえたそうです。母はその後本当に変人に育ってしまったのですが・・なんだかのだめと千秋に子供が生まれたらどうなるのかを見ているようで・・これは遺伝と環境どちらも切ってもきれない関係ですよね。
ちなみにトム・ハートマンの本にでてくるハンター遺伝子
私も読みましたよ!ADHDの砂糖依存についてや、パニック併発の治りにくさなどいろいろ参考になりました。日本人のように何世代も同じ土地に暮らしてきた農耕民族の輪のなかでこのADHDの性質は波乱を引き起こしますが、本の中にも会社を興すには良い特性だと書かれてましたね(その後の経営を任せる多数派のパートナーがあっての事ですが)。
・・・確かに、千秋様ほどにお金があればどうかとも思いましたが・・・ううう~ん。
家は、AS父が日本的には成功した方の企業家で、母は典型的なジャイアン。もちろん家事も、私がかなり大きくなってからはヘルパーさん任せで、しかも段々と父が母に対して弱くなり(「オレ様」の部分が少なくなり)ジャイアン母にとっては極楽状態だったと思います・・・
しかし、私はいつまでたっても家事手伝い状態で、何故なら一つにはジャイアン母との癒着がいけなかったんですが、もうひとつには、ジャイアン母が、私の才能つか女性としての成功をものすごく嫉んで邪魔するんですね。
「のだめ」には、そこまでの底意地の悪さはなさそうですが、「子供」と言う点を考えると、(最初から作らないのならまだともかく)ジャイアンの「利用」「コントロール」という弱点はマイナスに働くとしか思えない・・・どうでしょう。
「千秋&のだめ」は、結婚はやはりしないで欲しいナァ。永遠のカップルでいた方が幸せなんじゃないかと思います。
PS;そういえば、家の母もかなり恵まれた歴史家としての才能があって華やかにやってたけど、部屋はごちゃまらでしたね~~。娘としては不愉快でした。「千秋&のだめ」カップルほどの偉大さがなかったせいかも知れないけど・・・
はじめてコメントします。
芸術系ADHDで三児の母・クリスチーネと申します。
youさんの仰るとおり、ADHDもASも遺伝の影響が強いのは確か(私の実家も夫の実家も定型の方が少数派)です。生まれた子供も三人のうち二人がADHDやASで定型は一人だけでした。
私自身、確かに親の愛情が希薄過ぎて色々苦労はありましたが、「なってしまうものは仕方がない」と思っています。私の場合、たとえ親に愛情を過不足なく注がれていたとしても、別の何かに興味や不満を持ち壁にぶち当たり続けていそうです。そういう脳なんです。
正直いってAC自体はものを作る上では邪魔になりません。幼少時の飢餓感のようなものが創作の源になることも多いです。
のだめが親になっても問題ないと思います。
子育ては佐賀の実家を「利用」すればいいだけですから。
あの一家なら「のだめでも子が持てた」と大喜びで育ててくれると思うのはジャイアン的過ぎるでしょうか?
読者として見ていると、千秋ものだめの世話を焼くことで喜びを得ているので、お互い様になっているように思えるんですけどね。ただ、それだけでは相手への興味がなくなったり、自己評価が低くなったりするんで、ちゃんと自分の音楽の鍛錬もしていく。理想的ですね。
周囲に同じようなケースの人が多いからこそ、都度適切な助言が得られているとも言える気が。
ADHDだからこそ情緒的な「愛」を散文的な「利用」としか捉えられないんじゃないかと。傍から見たら立派な「愛」なのに、どこかでもっと崇高なものを求めてしまう。意外とロマンチストなのかもしれません(笑)。
個人的に今はお互いに「好きなだけ利用しあえる」関係にあこがれています。
くららです
うちは母方の祖母が本来継げるはずの店を継げずにお見合いで追い出され(頭下げられないから客商売には向かないって理由。もしやAS!?)当然そのうっぷんが子ども=母へ。
片や父方の祖父は毎晩部下と飲んで歩きほとんど家に帰らず父(AS)は父というものをしらずに育ったようです
母の愛をしらない母と父の愛をしらない父をもった私は家系のふきだまり、という感じ
どーしよーもありません。
さて多数派のVIPではだめなの?というお話ですが、私はアスペルガーの鋭い頭が好きです
多数派からは変にみえる行動も好き。
たぶん今までつきあった方はほぼ皆アスペ。
ただし父を見てると父親にするのには向かない気がします。
頭いいくせに自分がいったことを忘れる、無責任。
やっぱり保父さんが必要かなぁ?
度々すいません
ADHD=狩猟民族説には非常に納得です
お客さまGETには非常に燃えるが維持する力は弱い。
こつこつ頑張れない
のだめちゃんは「急上昇志向」と千秋に言われましたが、私も昔から一夜漬け、今や朝漬けタイプ。
英語は嫌いだった癖に妙に海外に憧れるのは農耕民族の日本に合わないと内心思っている現れ?
そういえばみなさん書いてらっしゃる様に多数派がADHDを好きになる率は低いでしょうね。今ごろ気付いた私は自己評価が高すぎ(i_i)\(^_^)
忘れ物多い、お片づけできない
ふつー基本とされることはできない
こんなあぶなっかしいADHDを「おれ様が面倒みてやろう」と思うのはAS位なんでしょうね。
私もいつでもどこでも良くも悪くも目立つASが気になるし、突っ込みが鋭いからASが好き。
私は最初はいつもASを尊敬しますが、こと自分の専門分野に口出ししてくると嫌がるし、場合によっては「私より下じゃん」となるし。なーんだ
となってさようなら
ASはなんでもかんでも「おれが上」と思ったらアウトです
神じゃないのでそんなことはありえない。期待もしてない
だからお願いだから私の分野には口挾間ないでほしいなぁ。
くらら
あははは!くららさん、私も自己評価身の程知らずに高いですよ。(この辺りが、ジャイアンACと一般ACの差かも・・・一般ACって自己評価低いよね)
ASはふつージャイアンを最初「生意気~」と取るみたいですね。一般人があえてスルーしているところを突っ込む、苦手分野を容赦しない。でもあぶなっかしいから、口挟んでやろうかな・・・が段々エスカレートして「神様」に・・・
(最初から「神様」のつもりなのかも知れないAS,例え世間的立場が低くても。)
でも、私は喧嘩は楽しかったっすね。いらいらはしたけど楽しかった。最後はやっぱりさよならだったけど。
最近思うのですが、利用していることを自覚自己突っ込みできるというのは本当は大変貴重なことではないでしょうか?利用しないですめば一番いいのかもしれませんが。実は認識してないだけで、多くの愛情友情も突き詰めれば利用のひとつの形態あらわれに過ぎないのではないかと。やっぱり突っ込みすぎでしょうか。
Paul Carpenterさんのコメントからの連想。
「利用」と漠然と言うと,どこかしら「搾取」や「収奪」というような,一方的に利益をかすめ取る(奪い取る)感じがします。
一方で,お店とかで「ご利用,ありがとうございました」と言われるときは,相応の対価を払っていると思えば,別にネガティブな意味づけは起きないですね。
“利用したいだけ,いくらでも利用しなさい。私はあなたに利用されて,減ることも,傷つくこともない。代償を求めず,喜んで利用されましょう。”というのが,世間に流布されている「愛情」のイメージでしょうか。
相手にそういう「愛情」があることを想定して,好きなだけ利用する,というのも「愛情」ということばに含むとすれば,確かに利用には違いないですが,それは「甘え」とか「依存」に当たるような気がします。
「友情」になると,お互いを利用し合うことへの同意(だから対等)と,利用にも限度があるということを含む一定の配慮・敬意が,もう少し意識されているような感じがします。
あんまり整理になりませんでした・・・。
のだめであればきっと良いお母さんになると思います。私も限りなくのだめ(だらしなくはないですが)ですが、千秋タイプと結婚したら、依存ではなく(例え自己満足のための利用であっても)一生ラブラブなんじゃないかと思いますし、相手に輝きがなくなっても大丈夫だと思います。多分輝いていたころの千秋を思って生きていけるんじゃないかと思います。ADHD女性は思い込みが激しく、案外依存の相手には長期にわたって尽くすと思います。また依存の相手が千秋ほどの人であれば自分も依存でぐったり来ることもなく、(付き合っている)という事だけで満足するし(それだけで充足できる=利用価値がある)利用したからには責任を持って輝きがなくなった後も面倒を見ると思います。
自分の家系にはとんでもないADHD女が多いですが夫はAS的である事が多く、なおかつよく面倒を見ています。子供にとってはADHD親もAS親も限りなく迷惑ですが本人達は長年にわたって(お互いしか相手出来ないだろうな)と思うほどある種親密でその関係が長期間にわたっています。
普通と思われるカップルが倦怠期を迎えてもなぜか倦怠期が来ません。私自身、普通の人である夫について不満はありますが元々あまり依存していないこともあるためか、倦怠期の意味が解りません。(笑)
あ、でもそれは夫が健常者だから?もし熱狂的にASを好きになって結婚して相手に輝きがなくなったら冷めてしまうのかな?いや、そんなことはないと思いますが。
依存、利用、愛情・・・難しいですね。
自信はクリスチャンですが、確かに愛を説かれるとしんどいことがあります。宗教を信じているというより利用していると感じることもあります。
利用=聞こえが悪いですが、ある種責任を全うすれば愛情より深く、結果として人を不幸にしないものだと思います。愛情と言うものは不確かで傲慢だと思います。
マザーテレサの言う愛はADHDの利用に近いと思います。
初めまして。
身近にジャイアンとオレ様ASがおり、理解のためにいくつか本を読んでます。
皆様の意見を、もし良かった聞かせてください。
Yanbaru先生のBlogもずっと読んでいるのですが、
『そんな事、多数派だって感じることあるよ?』
と感じるコメントも多く、
ここで『私はAS又はADHD』と仰っている方の中には、
実は多数派の人がいるんじゃないのかって思えることがあります。
『ジャイアン的発言』や『オレ様の原則で世界を語りたい』というのは、
脳の機能障害の結果として出ているのでしょうか?
障害とは別に、個々の性格の違いであるという事はないのでしょうか?
発達障害を抱える方と接するときに、
障害の部分なのか、性格の部分なのか、
分からなくてどう対応すべきか悩む事があります。
良かったら皆さんの考えを教えてください。
千秋&のだめが上手く行くのは、千秋がのだめの世話をよく焼いてるのと、のだめが「オレ様」によく仕えてる、とゆうか従いつつ才能を主張してるせいもあるでしょうね・・・それは、AS&ジャイアンカップルの、(障害の部分なのか性格の部分なのか、よく分からないけど)いいところだと思う・・・。
世界で少数派であるという事が、脳の機能(からの問題)だけじゃなくて、性格のあちこちに滲み出てくるという事は、ありそうに思うのですが、皆さんどうでしょう。
あと、ASとかジャイアンの「世間知らずで頭でっかち」的な部分も、その行動様式に、影響しているようには思います。
発達障害の部分なのか、個人の性格による部分なのか…
身近な人とコミュニケーションを取る場合には、余り重要じゃない気がします。発達障害であれ個人の性格であれ、その人はその人であって、どちらであっても変わらないだろうから。
自分には分からない考え方や物の見方を知れば、あるいは理解できないことを知れば、その相手に、その人とのトラブルに対峙したときに慌てなくて済む。それだけだと思うようになりました。
もちろん本人にとっては、自分の障害なり性格と世の中の折り合いをどうつけるかって視点はあり得るけど。周りがとやかく言う事じゃない(と思った方が良さそうです)。
『オレ様の原理で世の中を語りたい』って言うのは、私自身を良く説明している気がしました。世の中の原理を知り尽くしたい、そしてそれを人に教えたい!ここでは、その傾向がトラブルを起こしがちですけど、まぁ、それが普通であるような仕事に就けてて本当に良かったと今更ながら思ったりします。さ、仕事しよ~!
p.s. のだめはジャイアンなんですか?ADHDだとは思うんですが?(誰とはなく…)
まりさんが、書かれていた事、私も常に考えながら記事を読んだり、コメントを書いたりしていました。
そういう意味では、やんばる先生の解釈は、とても間口が広いものになっていると思います。
はじめは「自覚」のある、なし かと思っていました。
luneさんの前記事のコメントと、また被ってますよね。(ごめんなさい)
でも、ここを読んでいると、皆さん、自分のことを詳細に分析されているし、自覚もあって、むしろ多数派と呼ばれている人達のほうが、自覚ゼロの方々が大勢、いるらしい。
となると・・・??
次に思ったのは、認知行動療法のようなことをして、本人がラクになるか、ならないのか・・
(まだ、認知行動療法について、詳しくはないのですが。)
で、最近思ってきたことは、思考面だけではなくて、行動面も一緒に見ていくと、ひょっとして、解かりやすいのかも・・と。
前にどこかで、ASの方が自身の行動パターンを書かれていたのですが、夜中に寝付けなくて、起きてお風呂そうじ、トイレ、台所、クローゼット整理etcをしていた・・・というのを読んで、まぁ、多数派でも、そういうことはあるだろうに・・・と思いはしましたが、
その経緯が、全然、違うんですね。
とにかく、目に入ったもの、こと、を、次から次へと、ほんとに手当たり次第、片っ端から手を付けていく感じが、いわゆる多数派とは、あきらかに違っていました。
同時に並行処理ができない・・・と。
思考面だけ見ても、たぶん、性格的なものか、障害なのかは、判別は難しいんじゃないでしょうか。
見る人が診ればわかるのかもしれませんが・・・。
ここにこられている方々は、もっと、幅広く、いろいろな意味でバリエーション豊かなんじゃないかと、私は感じているのですが・・。
>『オレ様の原理で世の中を語りたい』って言うのは、私自身を良く説明している気がしました。世の中の原理を知り尽くしたい、そしてそれを人に教えたい!
そそそそうなんですか?marioさん。芸術家タイプのジャイアンである私が、AS彼に「君とはコミュニケーションが取れない」と、まで、はっきり言われた理由が、何となく納得です。
>p.s. のだめはジャイアンなんですか?ADHDだとは思うんですが?(誰とはなく…)
あーそれはそうかも。注意力散漫だけど、特に千秋様にむかついて切れてはいませんよね。(佐々木夫妻の場合は、あきらかに律子さん切れてますが・・・)
PS;世の中って原理って”ない”と思うんですよ・・・時代によって移り変わるパターンみたいなものはあっても。でも、これはASとジャイアンの差と言うより、理系と文系の差みたいなものもあるんでしょうね。
Marioさま
私の専門分野は音楽です
世の原理を知り尽したい、そしてそれについて人に教えたいというMarioさまに質問です
ある有名な指揮者が言った言葉です
音楽とは「始まりのなかに終わりがある」という原理に形を与えたものに過ぎない
もう一つ。音楽は音楽として存在しているものではなく、音楽へと「生成」しなくてはならないこと、音楽は人間の中で生成するものであること。
これらの言葉の意味を教えてください。
この言葉を教えてくれた方も指揮者ですが物事簡単にわかったと言ってはいけないよ
と言われました
その通りだと思います
音楽が専攻でも音楽をわかったとは言えない。
なぜなら私が理解しているのは西洋音楽の1850年以降のものだけ。雅楽とかガムランとかわかっているわけではない。だから音楽の本質だってわからない。自分の専攻分野ですらそうなのに果たして世の中の原理を知り尽すのは可能か疑問です。まして教えるとなればよりきちんとしらねばならない。
私は知り尽そうではなく
「経験し尽そう」とは思いますけどね
くらら
くららさん
私は音楽家ではありません。趣味としてロックもクラシックもやってますが、それらの言葉の意味は知りません。興味もありません。原理ですらないと感じます。
世の中の原理を知り尽くすのは不可能です。当然知ってます。それでもなお、その高みに目標を据えたい。単なる希望と言うか、生き方の問題です。
私も勢いで連投します
人間「したい」と「する」、「できる」は別物なのでMarioさんが
しりつくして教えたい
と思っても実際教えるのか教えられるのかは別かもしれない
けれどしりつくすだけならまだしも「教えたい」
とくると全部完璧に知り尽すことが可能だと思っているように聞こえます。
私は幼稚園がカトリックで真面目に信じていました。ところが父(=AS)がキリストが起こした奇跡について水上歩行から復活まで科学的に説明したことがありまして、、、。幼いながらに「なんて不信心な人だろう」と思いました
そんなことを教える父とMarioさんとやはり傾向は似ている気がしますのでASの性格というのはあるのだと思います
ただASはスペクトラムなので程度は人によって違うでしょう
ADHDも人によって違うでしょう
まさか私がのび太やジャイアンと一緒とは思えませんでしたもん
どこまでが性格でどこまでが障害だか、はわかりません
しかしたまーに多数派の常識と違うことをしてるらしく、指摘を受け、もの凄くショックを受けると共にしばらく理解できず悩みます。
こういうことがあると、私はやはりADHDという障害なのだな、と感じます。
Marioさん
世の中の原理を知り尽したい
とおっしゃったわりにはもう考えるのやめるのですか?それで高い目標?
しかも「始まりのなかに終りがある」という原理は音楽ではなく禅の原理だそうです。ということは音楽だけの原理ではなくそれこそ世の中の原理です
この指揮者は西洋人ですが禅をしっている方なのです
西洋音楽の原理=音楽だけの原理
と思いこまない方がいいですよ。ま、私はわざと言わなかったんですが。
私は今は仏教を信じていますが、そうすると「始まりのなかに終りがある」「音楽を生成する」の意味がなんとなくわかります
だいたい1年くらい悩んだかな?
ASに限らずこれらの意味もわからず、音楽の本質もわからず、ただおたまじゃくしを正確に追えるだけで威張る音楽家を私は軽蔑してます。
というとMarioさんはアマチュアなので、とおっしゃるかもしれませんが、アマもプロも音楽やる以上は一緒。私は差別して考えないのでアンサンブルやりたいと言われれば誰でもOKです
頑張って原理を考えてください
世の中に騒音をまきちらさないように、ね。
くらら
marioさんが想う世の中の原理とは何ですか?
全部は無理でしょうがその原理の大きな柱?中核みたいな思想って何ですか?素朴な疑問です。
私は原理なんて知っていてもお腹はいっぱいにならないし、困った時にも役にたちそうにない。強いて言えば人に迷惑かけないで生きること、ジャイアン的生き方を極めたいことが目標かな~。
こんな人に原理を説いてmarioさんには何がプラスになるのかも知りたい。
先に書いたコメントが反映されません。
送信失敗したかもしれませんので再投します。
keiさん、ありがとうございます。
ちょっと分かったような、、、
でも難しいですね。
障害ゆえに『○○だから××してほしい』と言われれば協力しますが、
『考えの押し付け』『協調性の無さ』は障害だろうが性格だろうが困ります。
>身近な人とコミュニケーションを取る場合には、余り重要じゃない気がします。発達障害であれ個人の性格であれ、その人はその人であって、どちらであっても変わらないだろうから。
私は逆に、身近な人とコミュニケーションを取る場合ほど重要だと思います。
性格であれば矯正できる可能性は大きいですが、
『障害』ならそれ自体は矯正できず、別の物で補うしかありません。
互いにメリットのある付き合い方にするためには、
『矯正』か『補充』を知る事は有益だと思います。
『コミュニケーションの障害』なのか『性格』なのか、
Keiさんの仰るとおり行動が同じ様でも原因が違えば意味も全然違ってきます。
『その性格どうにかならないの?』と言って通じる場合と通じない場合とではそのコミュニケーションから受けるストレスの度合いが全然違うと思います。
くららさん
私は科学者ですので、宗教は完全否定です。ただ(聞かれなければ)宗教者にそれをわざわざ言うことはしません。禅でも、仏教でも、音楽理論でも、それが自分たちの役に立つという点で原理や理論らしきものを構築します。その世界にいる人は、それを楽しめば良いと思います。ただ、それらは私の追及したい物事の本質ではありません。
音楽に関して私は、理論も本質も二の次で、友とセッションすることを楽しむ単なるアマチュアです。
p.s. YANBARU先生、サイトの方針に反して私信的になってしまい申し訳ありません。名指しで問いかけられるとスルーするのも難しいのです。
千秋&のだめカップルが上手く行ってるのは、千秋様のAS的(?科学的?)演奏法に対して、のだめが全くのオリジナリティを持った才能があって、オレ様千秋と言えども、それを認めざるを得ない(つまりASの側からも、ジャイアンに対する尊敬が成立してる)からのような気が致します・・・
これが、のだめが紋切り型の才能の持ち主だったら、即座に「オレ様」に否定されてぺしゃんこ、かなり悲惨な運命を辿っていたと思う。
PS;marioさん、全くの私信ですが、かの湯川秀樹氏が、結局原子だか分子だか(ちゃんと覚えてなくてすいまっせん~)って、すごく規則的なものかと思っていたら、結局それ自体がまたXとYとか、XとYYに不規則に分れてしまうことが判明して、困り果てていたら、中国系の科学者が「偶奇性の否定」とか何とか言う論文を書いたという話を、20年も前に読みました・・・。そうゆう型破りな科学者を、今度のパートナーにしたらどうでしょうか。(^^♪
まりさん
>私は逆に、身近な人とコミュニケーションを取る場合ほど重要だと思います。
私も、そう思います。
相手を変える、変えようとする、というのは、相手が多数派であろうとなかろうと、できることではないですし、することでもないです。
なので、どう付き合っていけばいいのか?・・の指針が欲しくなるんですよね。
それこそ、身近でない相手なら、多数派の対人スキルとして、スルーも有りなんでしょうけれど・・。
「性格」となると、なにかしら変容の余地がある(自分も含めて)・・と思いたい気持ち(期待??)が、あるのかなぁ・・と書きながら感じていました。
認知の変化によって、変わりうる可能性に期待したい気持ちとか。
>『障害』ならそれ自体は矯正できず、別の物で補うしかありません。
そこで、何をどうするか・・・ですよね。
その辺がわかると、
>そのコミュニケーションから受けるストレスの度合いが全然違うと思います。
なんだと、私も思います。
難しいです(笑)。
自分のことも、よくわからないのでなおさら・・。
くららです
私信になる前に
のだめはジャイアンか?
に答えます
のだめはRUIに嫉妬して練習したり真似したりしています
あれは普通のADHDならしないと思う。
切れたらジャイアンなのか?
私は滅多に切れませんが?
さてMarioさん
科学者なら
YAHOOの知恵袋にアインシュタインやホーキングなど優秀な科学者は神を信じる人が多いと思いますがどうなんでしょう
という質問がたっているのでそちらを参考してみてください。
ちなみに音楽家や宗教家は自分たちの役に立ち楽しみで原理を構築しているわけではありません
あなたはアマチュアで音楽は「楽しみ」であっても音楽家や宗教家にとっては「仕事」なわけで。
あーこういえばわかります?
あなたが毎日追求している科学の原理はあなた達だけに役に立ちあなたが楽しいから原理を構築しているんですか?
まさかこのプログもやんばる先生が自分の役に立ち自分の楽しみでやっているとは思っていないでしょうね?
お友達とセッションするならききます
なぜ言葉で一々うちあわせしなくてもあわせられるんですか?
友達だからあうんの呼吸で?
とっても非科学的です
でもそれこそ音楽は人間に内在し、生成するものであることの現れだと思います
世の中を知り尽して教えたい
という割には
実質科学の世界を知り尽して教えたいだけですよね?
宗教や音楽なども世の中にはありますが、それはしらなくていいんですね?
科学で世の中知り尽せると思っているのかもしれませんが、それならなぜ音楽のセッションが成り立ち楽しいのか科学で説明できるはずですよね?
Marioさんがセッションする時だけでなく、携帯着メロ、TVのCM音楽、結婚式の音楽、ドラマ映画音楽等意識しない間に音楽は原理や理論にのっとった上でみんなの役に立っています
決してその世界にいる人達だけのものや楽しみではありません
音楽に関わる以上私の苦手な物理の原理にのっかっているのとたぶん立場や気分的には同じです
>ASは世界的な名声を保ち続ける必要がある。落ちぶれてずっと同居する状況になったとすれば、私はその後には悲観的だ。
これ、すごーく空しいですけど、「そんなもんかも」って思いました・・・
落ちぶれてなおかつ「オレ様」の原理を語り続ける千秋に、のだめがついていけるかどうか分かんないし、仮についていけたとしても、そこに「そこそこ」の幸せがあるかどうか分かんないですね・・・
ASには辛い(だろうと思う)結論ですけど・・・あるいは、ジャイアンが自分の中心志向をあっさり捨てられたらいいのかな。どうも簡単なことではなさそうです。
AS彼と別れて、今、個人的にはすごくさみしいですけど、彼が一番光り輝いている時に恋愛できてよかったのかも。普通の夫婦になって、「病める時も健やかなる時も」・・・と考えると。
自分のジャイアン性をまず合理的ADHDに整理整頓しないとね。ふぅ。全てはそれからみたいです。彼は、出世するタイプだと勝手に信じてアタックしてましたけど。。。案外一生上司と喧嘩して窓際だったかも知れない。「依存」は自分に返ってきますね。