前略メールを拝見しています。お返事遅くなりごめんなさい。
まず最初にメールだけで診断や責任ある助言は困難であることをご理解ください。
以下は私のメールだけの少ない情報からの「印象」と「想像」です。
発達障害と躁うつ病は全く違うものですが、合併することもあります。
躁うつ病だけなのか、背景にADHDがあるのかは、かなり情報が無いと判断出来ません。
躁うつ病の一番の治しにくいところは、「躁状態を病的と考えない」ことです。
本人は躁状態に戻してくれと治療を要求し、医師ともうまく行かないことが多いです。
その否認にADHDが「都合の良い口実」になある場合には、仮に合併であっても躁うつ病の否認の状態でADHDの診断はマイナスにしかなりません。
診断は現実逃避の口実にするためにあるのではなく、自分を変える参考とするためにありますので、ADHDの当事者として腹立たしいですね。
診断には、その診断を本人がどう受け止めてどう自分の人生に生かすか?
、医療の側からすると、「診断が本人の回復にプラスになるのか否か」を医師の責任で考える必要があります。
「治療のゴールをどこに選ぶか」の問題にも直結します。
例えば、「家族との関わりも断って山小屋に住み、最低限の年金などで一切社会と関わらないで生きる」という生き方を本人が選ぶとすれば、治療の必要は無いとも考えられます。その場合は、躁うつ病の診断も本人が困らなければ不要でしょう。
逆に、少しでも家族や社会と関わって生きるつもりであれば、周囲に迷惑をかけない最低限のコントロールは必要なので、(このケースでは過去に入院までされたことがあるということなので)躁うつ病として服薬することは必要でしょう。
私が主治医なら本人に上記の現実を突きつけます。
あなたは「服薬の治療を続けない限り今後は家族として関われない」と本人に突きつける準備をされたらよかろうかと思います。離婚していれば、無理やり関わろうとすれば警察対応でストーカーとして処罰してもらう体制を作ります。
関係しうる親族全員で相談されて、合意を作っておきましょう。
治療を拒否すれば、実際に今後一切関わらないことになります。
(断固として突きつける姿勢が必要で、この際一切の温情は逆効果になります)。
その現実を突きつけられて、服薬して家族とともに過ごすのを選ぶか、拒否して社会的に完全に孤立することを選ぶかは本人の選択です。
都会のホームレスなどは、後者の人も多いのではないかと私は想像しています。
「一つの生き方」として無いわけではありません。
とりあえずお返事まで
12月4日 YANBARU
AC、人格障害関連
あるメール相談へのお返事111204
コメント
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>服薬して家族とともに過ごすのを選ぶか、拒否して社会的に完全に孤立することを選ぶかは本人の選択です。
そうですね。最終的には、結局本人の選択しだいですね。
ASの50才からのCD レビューです。どうぞよろしくお願いします。
ホームレスの中に発達障害を持ってる人は多いでしょうね。
この世の中は至極不平等で不条理なものです。
話は変わりますが、ジャイアンはどう生きたらいいのでしょうか。
最近僕は自己完結的に生きるのが一番いいのではないかと気がしてきました。この生き方でいくと、ジャイアン的に意見を押し付けるともなし、他人に干渉することもなし。
猫なら究極の猫で生きようということでしょうか。
発達障害をもっていたら、多数派のように愛という真理の世界では生きれない。自分なりの真理を自己完結的に生きて探す。キルケゴールの「主体的真理」というやつでしょうか。
産業カウンセラーさんの所で個人的にカウンセリングを受けています。夫が依存型ジャイアンで離婚の相談もしているのですが、やはりやんばる先生と同様、冷静に、一切おまけせずに相手がおかしいことを伝え続けるのが大切、と言われています。すぐ怒鳴るのがおかしいのだから、それ自体指摘して、強い態度で対応しないと本人は「自分はまとも」と強く思っているのでずっと幼いままですよ、、、と言われています。意見が合わないとか、何か不満を言うと夫は意味不明に切れるので疲れてしまってあまりクレームをつけないようにしていたのですがそれが間違いなようですね、、、。