AC、人格障害関連

ジャイアンの躁うつ病

 ジャイアン型ADHDの「衝動統制の障害」と、躁うつ病の「現実否認」が合体して非常に治りにくい状態になったケースを数例診ている。特徴としては、環境として「積極奇異型ASの親からの溺愛」というケースが見られることだ。
 以下私の考えるこの病気のメカニズムを説明してみたい。

 ジャイアン型ADHDは「衝動的」なところが特徴である。幼少期から我慢が出来ない。また、のび太と違い、「その相手との関わりが自分に有利になるかどうか」を見抜く非常に鋭い状況察知能力を持っていることが多く、幼少期は非常に賢く見えて、「赤ちゃんのときから周りを見ている」という印象を持たれることが多い。
 小学校くらいになると、「上から目線」が目立って来るのが特徴だ。子供の頃から勉強なども好きで上昇志向を持っている。

 積極奇異型ASは、愛着対象への溺愛が特徴である。「甘やかす」「厳しく出来ない」という態度で、対世間で自分流を貫く部分とは対照的に「絶対服従」に近い態度をとることが多い。

 積極奇異型ASが親としてジャイアンの子供を育てるパターンで、ジャイアンの子供が愛着の対象となった場合には、AS親はジャイアンの子供の要求は断れず、失敗は当たり前に尻拭いする。実際成人後もこのパターンがずっと続いているケースをいくつも見かける。

 ジャイアンの子供は「AS親をコントロールすれば自分は何も嫌な事をしなくて良い」「自分は我慢しなくて良い」というスタイル、「親への丸投げ依存」のスタイルを身に着けるに至るのだ。

 この段階でジャイアンの子供は自分の衝動をコントロールすることが出来ない。私はこの状態を依存型ジャイアン(暴君型)と呼んでいる。
 その場その場で相手を大声や暴力で威圧し、強引に言うことを聞かせる行動を続ける。認知は場当たり的で、毎回その場だけの対応になるので、継続的な「自分の責任」などは認識できない。

 このスタイルは甘やかす親なり祖父母なりが力を持っている限り継続する。ただ現実的には、学校などの社会の中で「自分の衝動をコントロールする」ことを要求される。特に思春期の14歳頃には、自己責任の認識を求められ、自分が継続的に努力することを求められる高校受験で挫折するパターンも多い。

 どんな経過をたどっても、甘やかす依存相手はいずれ居なくなり、尻拭いもされないので、成人期には現実の生活で明らかな不適応が生じる。

 一部はアルコール・薬物依存などに現実逃避し、またAC(アダルトチルドレン)のパートナーに依存して甘やかす親の後継を求めたりする。また「うまく行かないのは見た目のせいだ」という風になると摂食障害に移行するケースもあるだろう。そういう不適応への反応のひとつに躁うつ病が組み込まれることがあるのだ。

 躁うつ病は、「始めに気分ありき」という病気で、躁状態では誇大的になり病的に楽観的になるために暗い現実は見えない。うつ状態では思考制止のために何も考えられない。結局厳しい現実を直視することが必要ない病気であり、実際逆にこの「厳しい現実を直視できない」パーソナリティーの未熟さを背景に躁うつ病になっているように見えるケースは多い。

 訴えの特徴としては、「自分の調子が良い普通の状態は躁状態のときだった」「躁状態のときと比べて今はうまく行かない」「うまく行かないのは病気のうつのせいであり、うつを治せば悩みは全部無くなる」という躁うつ病特有の認知のズレが見られ、周囲から「普通の気分」に見えている状態が本人は「うつ」だと言い張るパターンになる。

 さて甘やかす親が力を失い、不適応が現実化したジャイアンが躁うつ病になると、上記の躁うつ病独特の認知のズレが格好の逃げ場、「現実がうまく行かないことの合理化」として機能する。
 
 苦労すること、苦しい中で努力することが普通の状態であり、地道に努力して状況を改善して行きましょうと勧めても、「そんなこと、努力などをしなくても調子が良いときがあった」という躁状態の記憶は本人に有利なだけになかなか修正が困難で、よくあるパターンとしてはリーマスなどの気分調整薬を勝手に中止してしまう。「リーマスを止めたら調子がよくなりました」というわけだ。

 ジャイアンの躁うつ病の場合、躁状態での病的な集中とADHD的な衝動などしか動く動因が無いために、「地道な努力」に移行することが非常に困難で、多くの場合は「治しきれない医師が悪い」ということにまでなる。

 私は治療者として上記のメカニズムや躁うつ病の認知のズレについて説明する努力はするが、本人が「躁状態に戻してくれ」という要求しかしない場合はどうにも治しようがない状況になる。

 「本人が治ろうとしない」という非常に難しい病態だ。


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コメント

    • KEI
    • 2013年 5月 19日

    厳しい現実を認めない、って躁鬱病の症状の一つだったんですね、、。昔からの友達に娘の虐待を正当化してやめない人がいます。中学生の娘が親に口答えしたという理由でのしかかって殴ったりしています。見ているのが辛いので「暴力はやめなよ、、、」と二人になった後で言っても「暴力じゃない。みんなやってる」とわけの分からないことをいいます。じゃ、殴るのは何?と思うので話を聞くとそこの子どもの所属のバスケチームでは「馬乗りになって怒る事もまた愛」という話になっているそうです。全員自己正当化していて、おかしいんじゃないか?と思いました。

    • さーこ
    • 2013年 5月 19日

    >積極奇異型ASは、愛着対象への溺愛が特徴である。「甘やかす」「厳しく出来ない」という態度で、対世間で自分流を貫く部分とは対照的に「絶対服従」に近い態度をとることが多い。
    積極奇異型ASの1人として回答します。
    1.対世間で自分流を貫くというこのやり方は自分流にすぎず、他人に「そのまま」適用すると強すぎるストレスで壊れてしまうだろうという事が自分でもよくわかっているため「絶対服従」に近くなるのだろうと思われます。
    2.現在の家族のうち、ほとんどの人間が自分の人生を「上から目線」で私に語るため、「上から目線でのやり方を語るしか方法がないのかと思い込む、強迫的パターン」を構築、そのため「認知のズレ」になり、(自分に子がいると仮定して、子がジャイアンである場合を考えると、)子や自分の状態などにおいて「厳しい現実を直視できない」という事になるだろうと推測されます。
    3.現在の愛着対象の人は、「苦労すること、苦しい中で努力することが普通の状態である地道な努力」を偶然にも得てきている人間であったので、「愛着対象への溺愛」と言われてもそんなによく分かっていなかったのですが、たしかに子となると「溺愛」になってしまうかもしれないという怖さがあります。
    すぐに確実たる結果が出なくても、「苦労すること、苦しい中で努力することが普通の状態であり地道に努力をして行く」という今現在の方向性で私としては良いのだという事を改めて再確認させていただきました。
    ありがとうございました。

    • 道産娘
    • 2013年 5月 19日

    「これだけは絶対に違うっ!」と思いましたが、その中には「認めたくない」というジャイアンのエゴの部分もありそうなので、同タイトルのもう一つの記事も読みながらじっくり考えてみます。
    父は受動型AS、母は依存型ジャイアンで間違いないと思うので、やっぱり違うような…(よく責任の擦り合いの喧嘩してたし)
    ただ、両親が依存的な性格なのに、私だけ合理的な人間に成長するわけないよねぇとは感じていたので、「自分が依存型ジャイアンであること」はすんなり受け入れられます。
    でも…躁鬱??

    • 匿名
    • 2013年 5月 20日

    >「苦労すること、苦しい中で努力することが普通の状態である地道な努力」
     ジャイアンADHDとしてはよくわかります。
     そこに達するのに何年何十年かかったでしょう。
     ただしその反動もあり。
     
     休日も何か目的がないと落ち着きません。どんなに疲れがたまっていても、ボーっとして休むことができません。自堕落になるのが恐くて。
     やらなくてもいい時にわざわざやり過ぎてかえって疲れて悪循環になる、とよく注意されます。

    • さーこ
    • 2013年 5月 20日

    >そこに達するのに何年何十年かかったでしょう。
    どういう時に力を入れるのか本人なりの配分が出来ているようです。基本的に、早寝早起き、体調用心の人のようですね。たしか以前、自己啓発関係で桜井章一さんという人の本を少し勧められましたが麻雀に興味がないため私は読まなかったです。その代わり、将棋の羽生善治さんと芥川賞の朝吹真理子さんの話で互いに盛り上がり、フランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」の翻訳を手がけた方の話にもなって、大変面白く、また興味深かったですよ。
    本人は、風邪をひいて体がだるくなるのがこわい、というような事を言っていました。本人が調子を崩している時、私は「体が疲れるのはどうしようもない事だから、時には休む事も大事」というような事を言っています。最近は本人の言葉が「なさけない」という言葉になるまでになりました。体が疲れるのはどうしようもない事だから、別に、ぜんぜん、なさけなくなんてないのに、と私は思っています。私が調子を崩しているのが分かった時には、気遣ってくれたり早く休ませてくれようとしたりしますね。本人は「体調が悪いのはしょっちゅう」だそうです。整体やヨガなどにも興味を持っていて、できれば受けてみたいと思っているようですよ。
    本当に時々ですが、若かった頃の話(病院送りになった話とか、お酒の事とか)を、私用にと言葉を選んでマイルドに表現して話してくれたりもします。ここまで生きてくるのは過酷だったろうなと、どうしても私は思ってしまいますね。

    • zzz
    • 2013年 5月 21日

    さーこさん、桜井章一さんの本には、麻雀の話はほとんど出てきませんよ。パラオでイルカと遊んだとか、孫と一緒の時間が一番幸せだとか、人には教えるのでなくヒントをあげたりちょっと背中を押してやるんだとか、そんな話が多く出てます。
    子どもがせがむのに負けてクジラでてこーいと呼んだら本当に現れたとか、はじめて会う仲居さんの出身地やいつ来たかを当ててしまうとか、そんな話も。
    羽生善治さんとの対談、といいますか、羽生さんが桜井さんに様々なことを教わるってかたちの本も出版されています。これは、深い話もあって読み応えがありました。
    俺は対談本が好きでして、桜井さんについては、羽生さんのほか、よしもとばななさんとの対談本や、もしドラの作者の岩崎夏海さんとの対談本を面白がって何度も読み返しています。
    っと、思い切り脱線してごめんなさい。

    • 匿名
    • 2013年 5月 21日

    さーこさん。
    >最近は本人の言葉が「なさけない」という言葉になるまでになりました。
    ジャイアンADHDは全然完璧でないくせに(ASの方は完璧を本当に求めますが)、自分は完璧であらねばならぬ、などと誇大妄想に取り憑かれて実際の自分を顧みて情けなくなることは毎日毎時間のようにあります。
    アメと鞭を使い分ける必要があります。情けないと言って落ち込んでるかと思えば、優しい言葉に反応して即効で勘違いして突っ走ったりしますからね。

    • さーこ
    • 2013年 5月 21日

    >桜井章一さんの本には、麻雀の話はほとんど出てきませんよ。
    あら、そうだったんですねぇ。まぁでも内容についてはさほど不思議な話とは思いませんね。私は体内の気の様子をほんの少しだけ感じ取れたりするし、本人は動物に好かれたり直前の訪問者を当ててしまうような勘の鋭さをもっているようですから。無理強いをするような人ではないし私の回復を喜んでくれるような人なので、いつか読める時に読んでみようかなと思っています。

    • さーこ
    • 2013年 5月 21日

    >情けないと言って落ち込んでるかと思えば、優しい言葉に反応して即効で勘違いして突っ走ったりしますからね。
    時々話してくれる仕事の事に関して言えば、油断しない内観をすでに自分で持っているようなので、鞭的な事を私が言う事はないのですが…まぁ可愛い人ですよ、この単発さと衝動性はやはりワンコ(犬)に見えてしまいますが。

    • JET
    • 2013年 5月 22日

    先生、この記事にあるような人は、記憶力がいいのでは。情緒障害でないのなら、ジャイアンは衝動や有利不利に結びついた記憶にすぐれていると思う。我慢しない暴君型ならさらに良いのでは。

    • 通りがかりや
    • 2013年 5月 22日

    1のケース
    前のデイナイトケアの看護スタッフに会いに行って話ししようとしたらスタッフからきつい事を言われた。
    「かかわりも無い。精神障碍者の出入り禁止と言われた。」
    その看護スタッフは鬱と発達障害の疑いがある。人にボロを吐いたり、きつい事を言って人を紹介する。
    2のケース
    私が中学校時代に同級生もASでジャイアン的な所があります。人をいじめたり、からかったりする。イライラして嫌になると攻撃性と暴力する。
    3のケース
    親にもアスペルガー&ADHDの疑いがあります。真面目すぎる。完璧主義になる。キレ気味です。
    また、友人の父親が戦争で依存症とPTSDがあります。
    最後に、リーマスは強い薬しかないですか?
    SSRIでレクサプロはどうですか?

    • Paul Carpenter
    • 2013年 5月 22日

    〉「厳しい現実を直視できない」パーソナリティーの未熟さを背景に躁うつ病になっているように見える
    携帯からです。
    おっしゃることはよくわかりますが。
    その通りだとわかってはいますが。
    今の、弱い人間が生きるには厳しすぎる現実社会。
    高度経済成長時代、バブル期を少年青年期に生きた者にとって、同じ日本とはとても思えません。
    みさんもよく書かれていたと思いますか、一部の超特権階級が富を独占する格差社会をあらため、一億総中流社会と言われたあの頃の平等社会に戻すことが一番大切なことだと思っています。
    努力すれば報われる社会に。

    • なつもか
    • 2013年 5月 22日

    ジャイアンさんのトピックですが、積極奇異型の親に関連して自分語りをさせてください。
    私の母は積極奇異型ASであり、私(のび太)は愛着の対象であったと思います。
    母の溺愛の方法は言語的フォローなしに全ての尻拭いをすることだったようです。頼んでいないことをし、感謝されないと嘆く母を見て私は苛立っていました。(対外的にはわかりませんが、私自身に向けられる言葉は不満なので、溺愛されている事に全く気がつきませんでした。)
    私はのび太的に「丸投げ依存」していたことになります。
    現在は母なりの理由を推測できますが、とにかく当時食い違っていたことも確かです。
    自立し依存できず不適応が生じてきたころ、私は友人ともう1人と3人で住んでいました。そこで初めて家族というものの目指す姿を知りました。それぞれが意見を持つ者として「相談していい」事を知りました。
    当時私は足りない知識を埋めるために本を読み、他人の行動を観察しました。
    知識は現実との差をある程度埋めてくれましたが、やはり一時期うつ的な側面もあわせ持っていたと思います。
    「やらなくてはいけないこと」「できるべきこと」が一気に増えたためでしょう。「普通は成長の過程で学習する」ことを「私は何も知らなかった」ことに落ち込みました。
    また、他人と暮らすなかで初めて自分の考えを説明し、興味を持って聞いてもらいました。内面を考えるのはとても楽しい作業で、私がADHDである気づきを得ました。
    それまでの私は身の周りに起こる事の理由も原因もわからず、ぼんやりとした世界でひたすら「なんでかなぁ」と感じていました。時期的にはやっと「自分」とは違う「他人」の存在を理解できた後です。内面の整理が進むと急に私の世界は開けました。
    ようやく私は世の中の情報と自分には関係があることを本当の意味で理解し、「それを踏まえてふるまう」脱KYのステージに進むことができました。
    さて、長くなりました。
    私の体験からしても、ADHDが成長する上で必要な「言葉」や「経験」を親との関係性で失ってしまうのは、大きな影響を生むと思います。
    「責任」に関しても成長過程で認識を間違うと、取り戻すのが難しそうです。必要なことを誰かが代わりにやることで機会を喪失するのは、発達障害者にとって最もよくないことなんでしょうね。

    • JET
    • 2013年 5月 23日

    技術職出の前社長は暴君型営業部長に頭が上がらなかったです。前社長の特徴は積極奇異型と思います。小言は言うが陰で尽くすという感じです。それが尻拭いになってしまうことはあった・・。
    今はボーダー型の社長に代わったのですが、暴君型とボーダー型だと、ボーダー型が強いようです。「俺はいらないのか!」という試し行動に弱いようでそういう時に一瞬で問題認識ができるのかもしれません。
    同居ジャイアン課長の営業部長への対処の仕方は、目先の売り上げに目が眩んでいる営業部長を、もっと儲かる方法がある、と気を引きながら(実は地道な長期の利益に結びつく方向へもっていきながら)目先の要求も一部叶えながら、全部はやらない。そこへ客先に営業部長だけが怒られるように罠をしかけるというものです。

    • 匿名
    • 2013年 5月 24日

    JETさん。
    >暴君型営業部長
     同居ジャイアン課長の営業部長への対処の仕方は、目先の売り上げに目が眩んでいる営業部長を、もっと儲かる方法がある、と気を引きながら(実は地道な長期の利益に結びつく方向へもっていきながら)目先の要求も一部叶えながら、全部はやらない。そこへ客先に営業部長だけが怒られるように罠をしかけるというものです。
     なかなかやりまんなあ。同じジャイアンとして笑ってしまいました。

    • アメジスト
    • 2013年 5月 24日

    25才の娘にこの記事を見せてみました。
    読み終わって「はあ~っ大変だねえ・・・やんばる先生、すごい洞察力だねえ」と言っていました。
    娘は現在はASの特徴が目立っていて、私と一緒にひっそりと家の中で静かな日々を過ごしていますが、幼稚園・小学校の頃はジャイアンっぽい特徴がかなりあったので、自分の昔を思い出すと、いろいろと思いあたるようです。

    • JET
    • 2013年 5月 25日

    ぬまおさん出番じゃないのかな

    • アメジスト
    • 2013年 5月 25日

    もう一つの記事の道産娘さんのコメントにもありましたが、両親、祖父母にASもADHDもいた場合、両方の遺伝子をもらいますので、その中でどちらの遺伝子が強く出るかで、その人の特徴が決まってくるのかもしれませんね。
    娘の場合、父方の祖父が純粋なジャイアン、祖母がAS、父はシンプルADHDがかった多数派?、私の家系はほとんどがASなので、ある時期はジャイアンっぽさも出ていましたが、現在はASの特徴が強くなっているように思われます。
    どちらの傾向が強いかで、対応策がガラッと違いますので、なかなか慎重な見極めが必要ですね。

    • あかり
    • 2013年 5月 25日

    ADHD当事者の親が私(AS当事者)に頼んでネットパスワードなどについてやり方を教えてほしい。分からないと言う。
    本当なら当事者に聞くの一番ですが言うと逆切れになるから怖いと言う。ブログとフェイスブックなどを息子名義に使わず親の名義で使っていて困っている。分からない。パソコンに詳しい当事者に聞くのは好きで無い。当事者のネット犯罪などで不安です。
    その親が当事者の集まりを閉鎖なって来なかった事を別の当事者の背にする。中には、行きたくても用事もある。遠くて行けないなどの理由もある。逃げればよいと言う。(責任逃れようとします。)
    親がしっかりしてほしい。

    • ショウコ
    • 2013年 5月 25日

    記述されているパターンに陥っていることに気づきました。
    現在息子は4才半です。
    とりかえしがつくとしたら、今後の育児についてアドバイスをお願いします。

    • 道産娘
    • 2013年 5月 26日

    アメジストさん
    >どちらの傾向が強いかで、対応策がガラッと違いますので、なかなか慎重な見極めが必要ですね。
    ADHDは3歳頃に身に付けた「適応型」を「一つ覚え」に生きていくとありましたが、私の場合「(幼少期は暴君型でも)学童期は情緒障害でのび太の様に大人しかった」ので、この記事の通りにならないのかもしれません。(適応型が3歳頃に決まるというのも、正直驚いてしまって未だに信じられませんが…)
    この記事のように「幼少期に○○型の身内に育てられると、△△型になりやすい」という内容はとても分かりやすくて参考になるなぁと思いました。
    ASとADHDでは(変化を嫌うor求める等)本質が全く異なる部分があり、対応の仕方も変わってくるので、確かに見極めには慎重になりますよね。
    私の身内のASは、のび太っぽかったりジャイアンっぽかったり…と見た目や言動は様々ですが、「急な変化がストレスとなって身体症状が出やすい」部分は皆共通しているので、「本質的にはやっぱりASなんだなぁ」と捉えています。(私の場合は、逆に怠けすぎて身体症状が出てるみたいですが…)

    • アメジスト
    • 2013年 5月 26日

    道産娘さん
    私もASとADHDのわかりやすい区別の目安として「変化を嫌う」か「変化を求める」かは重視していますね。
    私も息子も娘も基本的にはお好みの決まったコースや日課を作ると、できるだけ同じことを繰り返すことを好みます。
    以前、やんばる先生のHPだったかブログだったかで、「ASの人は同じデザインの色違いの洋服を着ることが多い」という記述があって、私がまさにその通りだったので、感心してしまいました。
    デザインの好みはかなりうるさいので(といっても殺風景なくらいベーシックなデザインしか着ませんが)、好きなデザインを見つけたら、他の型は探さず、色違いを何着か買います。
    娘も日課がしっかりと決まっていて、大きな変化があると、精神状態がちょっとゆらぐ感じがあるので、できるだけ、同じような日々が繰り返せるように配慮しています。

    • あかり
    • 2013年 5月 27日

    あるASの当事者が当事者などの集まりに来ないで大学准教授から「当事者・親に向かって孤独じゃないか。」と言われて残念です。彼も当事者の集まり、いろんな事に挑戦しているのに
    准教授から言われてショックを受けた。
    考えて行くのも大事です。

    • あかり
    • 2013年 5月 28日

    私は、ASを抱えています。この間、ある有名な教育評論家から「君がPC・携帯を捨てる。」とメールが来て凄く落ち込んでいます。凄くショックを受けた。この事について後藤健治(YANBARU先生)なりのアドバイスを送ってほしい。
    教育評論家の尾木直樹さんは、凄く評価します。伸ばしていく、特に引きこもりなどの調査を徹底的にやってくれたのは尾木直樹さんです。AS・ADHD教育・福祉・いじめ問題について後藤先生と尾木さんの連携してほしい。

    • まあ
    • 2013年 6月 03日

    自分もASで、6歳娘もASと思うのですが、
    妻が溺愛というか、前向きに生きる力を付けさせるために、寛容に育ててきました。
    現在、娘はこの傾向がでているかのように思います。お稽古ごとで地道な努力を求められることに対して注意したり、教えてもらうことに心理的な反発をして、切れてしまったので、何も言わず、抱っこで抑え付けました。抱っこで押さえつけるのは、その人に何かあったときには、黙ってそばにいたり、優しくすることの延長で、愛情を持って抑えられないかと考えてます。
    このときに娘が「私の言うことを聞け」と心底から言い放っていたので、本稿のような心の歪みの根が感じられた?ような気がします。人が教えようとしているのに、自分の言うことを聞けと思っていると、心で反発して言うこと(教えてくれようとしていること)を聞けない、ということから始まる悪循環なのかと思います。
    「私の言うことを聞け」という観念を本人が持っている限りはいつまでも駄目でしょうから、いかに自分に気づいて自分で変えさせるか、知恵をしぼらないと、いけないようです。
    とりあえず娘には、「自分がそう考えているんだね」と、まずは自分の観念を認識させて、それがおかしいと感じるようにさえようとしてますが、妻の寛容さも娘を助長するところもあり、どう解くか難しいと思ってます。
    本稿は参考にさせていただきました。ありがとうございます。

    • nekotaku
    • 2013年 6月 17日

    まあさん
    深い愛情を持ってお嬢さんに接しようとされている姿勢は素晴らしいと思います。
    私も、「教えてもらうことに心理的な反発をして、切れてしま」うことが、中年と言われる年齢を過ぎてもたまにあります。
    当事者として思ったことを書き込ませていただきます。
    お嬢さんの「私のいうことを聞け」というのは、親が子に言う「言うことを聞きなさい=思い通りになりなさい」ではなく、本当に単純に「自分の言い分を聞いてほしい」という意味ではないでしょうか?
    子供はまだ、表現が稚拙ですが、きちんと自分なりの意見を持っています。
    お嬢さんが何かを表現したとき、きちんと受け止め、聞く耳を持っていますか?
    どんなに愛情を持っても、「何も言わず抱っこ抑えつける」という行為は、彼女を抑圧することに違いありません。
    「〇〇ちゃんは、言うことを聞いてほしいんだね。どういうことを聞いてほしいのかな、パパに話して…」など、何か優しく語りかけながら、暴れることでなく、言葉で自分の要求を人に伝えていけるように導いてあげて下さい。
    余りに無理な要求の場合は、なぜ無理かをきちんと合理的に彼女が理解できるまで説明してあげて下さい。
    ただ、彼女の要求を何でも受け入れることが「愛」ではありません。
    社会に一人で出たときに恥ずかしくない、一般的な善悪を身に着けてあげて下さい。
    それこそが、何よりの愛情だと思います。
    発達が非定型だと、暴れっぷりがすごかったりして周囲を気にしてしまうかもしれませんが、どうか彼女のパワーを恐れずにそのまま受け止めてあげて下さい。
    私たちは誰しも、光り輝くものと、闇を持ち合わせています。
    どちらを伸ばしていくかは、親が子のどちらを信じながら接していくかが大きいと思います。
    親が子供の行為に歪みや悪を感じながら接していけば、将来はそこがクローズアップされた人間に成長していくことでしょう。
    子への恐怖を隠しながら、一見普通に振る舞い教育していく、というのは、子供にとっては迷惑、害悪以外の何物でもありません。
    6歳でしたら、いろいろな可能性があります。
    お嬢さんが、自分は幸せな人間なんだ、と思いながら成長していくことをお祈り申し上げます。

    • 匿名
    • 2013年 6月 18日

    nekotakuさん。
    >私たちは誰しも、光り輝くものと、闇を持ち合わせています。どちらを伸ばしていくかは、親が子のどちらを信じながら接していくかが大きいと思います。
    親が子供の行為に歪みや悪を感じながら接していけば、将来はそこがクローズアップされた人間に成長していくことでしょう。
    子への恐怖を隠しながら、一見普通に振る舞い教育していく、というのは、子供にとっては迷惑、害悪以外の何物でもありません。<
     2段目と3段目は相反しやすいことなので、子育てって本当に難しい、根気の必要な作業だと思います。
     というか子育てって、親が自分自身を見つめなおす最大の機会ではないか、とも思えます。そこで直視できるかどうかが重要なのではないかと。

    • 2013年 9月 16日

    丸投げ依存大好きな依存系のジャイアンには「良いカモ」ということになる。状況をのび太に見せて図々しく放置すれば、必ずのび太が尻拭いする。
    これが親子の場合は、「非常に露骨な現実的な丸投げ依存」という結果になる。
    ************************************
    という一部抜粋の文章が現在の家の状況に該当するので、初コメントしてみました
    ここでの先生のコメントや、いろんな方の相談を見て主人はADHDと確信しました。
    ところが、一件目の病院では、主人は強迫性障害と診断されましたので、驚きました。
    私はいろんな主人の不可解な行動から99%ADHDと確信して受診したのに、主治医が主人への質問の仕方と主人もすぐ暗示にかかり易い性格から、「おれは強迫性障害」と思い込んでいます。
    その先生の診断や設問の方法に偏りを感じたので、別の病院を受診しました。
    そこではきちんとADHDチェックリストが用意されており、
    主人の小学生の通知表を見たりして、私の確信通りADHDと診断されています。
    薬なのですが、現在でストラテラとプロメールを処方されておりますが、半年経った今でもほぼ症状に変化ありません。
    薬もそうなのですが、主人がADHDと診断されたにも関わらず、未だに「強迫性障害」と思い込んでいます。
    何度説明しても、「強迫性障害」と言います。
    (次に続きます)

    • 凹む
    • 2013年 9月 16日

    冒頭の文章のような家庭で主人は育ちました。
    結婚して、私が当初は依存されたままの状況でしたが、一人暮らしとかした事ないから、仕方ないと思っていました。
    子供が出来、生活費が増加してきたので、主人に半分家事を任せて働かざるを得ない経済状況になりました。
    その年から、ADHDの症状がじわじわ沸いて出てきました。
    夫の暴言暴力は自治体の児童相談に行きましたら、子供の問題には入れるが、大人の問題は管轄外と拒否されました。
    私達はもっと重要な被害にあっている子供を優先するので、
    お宅の問題は、緊急ではないという事でした。
    じゃあ、うちの主人を自宅から追い出せばいいのだと思い、主人に実家へ帰るように言っても、帰りません。
    家は経済的にきついが、実家は何でも言うもの殆ど買ってもらって育った家庭なのです。
    だから、主人には実家へ帰って貰いたいのです。
    家は私の家なのです。
    本人が不自由だと思わなければ障害ではない。なんて
    ふざけた診断するこの世の中はどうにかならないものでしょうか?
    子供への暴力、家事をフツーに出来ない。
    父親なのに働こうとしない。
    ほっとくと1日中子供にご飯食べさせないで寝ている。
    夜は夜更かし、ネットやゲームやり放題→朝起きられない→子供にごはんとせかされる→気に入らないからうるさいと怒鳴り暴力。
    それ自体家族へ迷惑かけている事にならないんですかね?
    もう疲れました。離婚していいですよね?
    これから今週主治医に診断書を書いてもらって、親に送ります。
    親はまさか、息子がADHDなんて思ってもいないでしょう。
    以前少し相談したら、私が悪いとかふざけた事平気で言う親ですから。
    私が3年間悩み続け、単語検索をすると、必ず先生のページにヒットしました。
    もっと先生のように、専門的に研究する人が多くなる事を望みます。
    そうすれば、世の中で熱湯かけられたり、虐待されて殺される子供が減ると思います。
    多分殺した親は、発達障害なはずです。
    周囲が気づいて対策を取らなかった為、悲劇が毎日起こるのです。
    うちも、子供が殺されないうちに行動を起こそうと思います。
    こんなコメントでごめんなさい

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