AC、人格障害関連

ジャイアンに救いがあるか?①

 ジャイアン型ADHDには特有の「上から目線」「自分に課す基準が異常に高い」という認知の特徴がある。

 私はこれを「中心志向」と呼んでいるが、当初はこれをジャイアン型ADHDの脳の特徴(一次障害)の一部であると考えていた。その考えから、「ジャイアンには安楽の地はあり得ない」、「回遊魚のように死ぬまで走り続けるしかない」という考えでこのブログも書いてきたし、また相談者にも助言してきた。

 その一方で本当に脳の一次障害であるのか? 中心志向を抜くことは出来ないのか? ということも考え続け、昨年まとめた「ジャイアンの本質」および「ジャイアンの経過図」では、実は「中心志向」は後天的な一つのスタイルとして分類している。
 
 つまり、ジャイアンの中で、2、3歳の衝動統制のシステムが形成される時期に「ほめられ過ぎた」場合に、「ほめられるから我慢する」という衝動統制のスタイルを身に着けたグループの持つ特徴であると考えた。
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/jaianprosess.mht
 
 私自身は家庭では無視され情緒障害となった経過であるが、おそらく学業成績だけが自分を肯定できる表面特徴であったことから、中心志向型とジャイアンACの両方として生育したと思う。

 成人後に幸運に仕事を得て自己評価をある程度回復でき、AC的な認知は徐々に回復してきたが、その後はもともとあったと思われる中心志向が表面化して、ひどい妬みや僻みの感情に悩まされるようになった。(情緒障害の頃は全く感じなかった感情だった)。

 3歳頃に弟や妹が生まれる経過になると、特に高機能(言語性IQが高い)のジャイアンの場合、「勉強してほめられる」パターンで生育することが多い。

 特有の「上から目線」も、実際に努力家となって実力を持っていればある程度は非難を免れうる。
 親の立場からも、「頑張り屋」になることは好まれることが多く、養育上も努力させてほめておけば育てにくさが減少する。親にとっても都合のいいスタイルなのだ。

 他方で「合理的強迫的」な環境は不可欠だと私は繰り返し論じてきた。2、3歳の段階で「力を持った人をコントロールすれば我慢しなくて良い」「考えなくて良い」というパターンを体得してしまうとあと(思春期以降)が大変であり、養育上の合理的説明や是々非々の対応には例外を一切設けない厳しい対応が必要である。

 ただ私自身、子供(ジャイアン)の親でもあるが、特に子育てにおいて、「厳しさ」について、「合理的な厳しさ」と、「中心志向の強迫的な厳しさ」を混同してきたことに最近気付いた。

 私自身には合理的な厳しさと中心志向の強迫的な厳しさの両方があり、両方の意味で自分に厳しい。しかし養育に不可欠なのは合理的な厳しさだけであり、「頑張らなければいけない」という強迫的な厳しさは必ずしも必要ではない。

 これが上記の「中心志向を抜くことが出来るか?」という問いの一つの答えになりうるのだ。(つづく)


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コメント

    • 182
    • 2015年 4月 30日

    私は最近、現在服役中のとある受刑者のブログをフォローしていて、もちろん刑務所からは更新できないので毎日面会に来てくれる支援者が自筆の手紙の写真をアップしているものです。

    ジャイアン的に面白いのは、「自分に厳しい自分が嫌い」ってコメントが結構出てくる事。

    多分、一部の人間には意味不明なのでは?
    「お前、自分に甘いから犯罪者になったんだろう!」って突っ込まれそう。
    であるから、そっち側の人には全く理解されず、むしろ「反省していない」様に見えるらしい。
    本人のコメントでも「反省していないととられて刑が重くなった」と書いてある。

    ジャイアンの根本障害って「衝動抑制できない」ことで、であるから「衝動抑制できない」ことの結果としての「罪」って、その「罪」の自覚がジャイアンには難しいのかも。
    他者(世間)が一体何に怒っているのかサッパリ理解できない。

    だけれども、法廷で裁かれて有罪になった結果は理解でき、であるから自分が犯罪者である事は自覚できる。
    けれども、その結果をもたらした「罪」の「意味」が理解できない。

    当然、自分が他者を理解できない様に、他者も自分を理解できない、という世界がそこに広がっていて、その世界の中にいる自分は、もはや一切の甘えや妥協を自分に許さない、共感や同情を求めない、という意味で「自分に厳しい」という自己認識になるんジャマイカ、とジャイアン的に思うのです。

    なぜ、こんな他者に対する憶測を長々書いたかというと、実は最近私にしろ、夫にしろ、自己認識と他者(世間)からの評価が殆ど真逆じゃないかと思う事が多々あって、そんな時にこの人のブログを読んで、嗚呼、ここにも一人、自己認識と他者(世間)からの評価が乖離している人がいるな、、、と思ったのです。

    ジャイアンにとっては、揺るぎなく許さないでいてくれる人って結構、心地良いのかも。

    だぁぁぁ!そんな事言ってるから、娑婆に出た後に再犯して出戻っちゃうナリよ。いかんいかん。

    それに書いて気づいたけど「揺るぎなく許さないでいてくれる人」の「心地良さ」って思いっきり「ASに対する依存」と同義じゃん!

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