AC、人格障害関連

AS親子の「支配」

 ASは非言語的な表現を重視し、以心伝心を好む。

 AS流の独特の深読みをして、言葉ではっきり言うことを嫌う人が多い。

 多数派(ADHDとはもっと)とは言葉の使い方も異なり、多数派のほうから見れば「空気が読めない」となっているにもかかわらず、言葉で伝えようとしないから余計にコミュニケーションはうまく行かなくなる。

 AS本人は多くは自分は空気が読めていると思い込んでおり、「多数派とは根本的に読み方がずれている」ことには気付いていない。

 逆に相手もASであったりすると、本当に何も言わないくても表情や目くばせだけで、あるいは最低限の象徴的な言葉だけボソッと言うだけなのに多くの情報を伝えられたりもする。
 
 このことは、実は思春期の親子関係には深刻な意味を持つ結果になる。
 
 AS親は、顔を合わせるだけでAS子に親自身の価値観を「押し付けている」ことになってしまうのだ。これは上記の「表現方法の特徴」から直結して出てくる結果である。

 AS子のほうから見れば、明らかに理不尽な強制であり、思春期から青年期になれば、やはりAS的に反抗してやり返す経過になることも多いだろう。
 実際に行動で一番AS親の嫌うことをこれでもかとやって見せる等。このあたりの行動はASの場合は「境界性人格障害」という人たちとほとんど区別がつけられないような行動になる。

 この反抗はAS親を激しい不安に陥れる。
 「AS親への意図的な嫌がらせ」なのか? 
 理解できないことへの大きなストレスがかかり、うつ状態となったり身体症状も出てくる。 

 AS子が異性でAS親の愛着の対象であった場合で、AS子に彼女や彼氏が居る場合は、その彼女や彼氏への異常な攻撃になることもちょくちょく見られる。

 愛着の対象のAS子は、AS親から見て「悪者に出来ない」。

 だから妄想的にまでなって「あの人にたぶらかされてこうなった」と思い込む結果になる。

 解決方法は、「実際に同居を解消して自立させる」しかないと私は考える。同じ空間に居る限り、態度や表情を通して、「支配」になってしまうのだ。

 親がジャイアンの場合と子がジャイアンの場合は、少し違う事情でかなり違う経過になるので、別に考察することとする。


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コメント

    • あまがえる
    • 2011年 10月 24日

    うちの親は誰それにたぶらかされていると思うことありましたです。
    市民オーケストラに誘われたのをそうやっていっていました。僕の父親は僕を医者にしたかったそうですが、鳶が鷹を生むのは極めて稀な例であることは考えていませんでした。
    とても迷惑な父親でした。

    • 2011年 10月 25日

    支配は苦しい。支配は魂の殺人。
    リビアの独裁者カダフィ大佐が復讐で殺されたことからも
    どれだけ支配される側の心にダメージを与えるかわかる。

    • まりりん
    • 2011年 10月 28日

    本当にその通りだと思います。
    我夫はジャイアン型ADHDのようですがAS寄りです。
    娘はASだと思われます。
    これがまた両方がアイコンで遣り取りできていたようで…
    娘を早々に独立させてから劇的に変わってきましたし、自分のAS的な部分も素直に認めています。
    息子はADHDだと思われる言動が多く、人の気持ちが理解できる息子にとって父親と愛称が良いとはいえません。
    娘は受動型なので、どちらとも適当に合わせられてる?感じがします。
    機能不全家族とは恐ろしいものです。

    • 道産娘
    • 2012年 8月 26日

    >親がジャイアンの場合と子がジャイアンの場合は、少し違う事情でかなり違う経過になるので、別に考察することとする。
    とても興味深いし、知りたいです!
    私(のび太?)は、受動型AS父とジャイアン母とAS兄弟、また、ASの親戚や知り合いに囲まれながら、非言語的なやり取りの中で生きてきました。
    自分を叱った後、優しく話し掛けてくる父。
    幼い頃、イタズラの尻拭いを私に押しつけた弟。
    中学の時、私が不登校になると、後を追うように不登校になった友達。
    上目遣いで甘えながら謝る友達。
    アメとムチを使い分ける教師(思春期にバトル)…等々、特に受動型ASの人とは縁があるようで、とても印象深かった記憶があります。
    私が不登校になった時、父が私に平手打ちして「出て行け!」と怒鳴ったのに対し、弟が盗難や恐喝で警察の世話になった時は叱りもしませんでした。
    「この人は、元々父親としての役割を果たすつもりなどなく、ただ私を自分の思い通りにしたいだけ。」
    これ以外に、自分を納得させる答えが見つからず、この時から私は父を一切無視することにしました。
    八つ当たりや叱られた時だけ無視しても、その後のフォローを受け入れてしまえば元の木阿弥だと思い、一切口を利きませんでした。
    今では愛着から外れたのか普通に会話もしますが、徹底して無視するのも疲れますね…(汗)
    確かに離れた方が楽です。

    • 道産娘
    • 2012年 8月 27日

    連投失礼します。
    ふと気付きましたが…
    >多数派(ADHDとはもっと)とは言葉の使い方も異なり、多数派のほうから見れば「空気が読めない」となっているにもかかわらず、言葉で伝えようとしないから余計にコミュニケーションはうまく行かなくなる。
    自分は非言語表現を使えないのび太だと思ってましたが…
    「完全無視」という方法は、非言語表現になるのですかね?
    自分は表情や口振り等を器用に使いこなすことができないので、「もう振り回されるのはゴメンだ!」って感じで長期に渡って避け続けてましたし、父をコントロールすると言うよりは「もう何も受け付けない!」と突っぱねてただけのような気がしますが…
    家族や他人のことは(ASかADHDか)判断できても、自分の事となるとやはり難しいですね。

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