AC、人格障害関連

ACとジャイアンと受動型AS③

 ジャイアン(自己正当化型ADHD)と受動型ASはこれもまた表面上非常に似ている。自分の非を認められず人のせいにするような結果的な言い方や、近い相手に対する支配的な態度など、一見「ごり押し」でもよく見ると実は受動的であったりする。

 この両者は第三者から「話だけ聞く」段階では鑑別が難しい。本人と話してみて、表面上は「緻密で隙がない」という印象を与えるのが受動型ASで、ジャイアンのほうは自己中心的な部分がすぐに「ばれる」ところで分かる。

 実際に接してみたとき、ジャイアンは「相手かまわず」自分の主張を展開するのに対し、受動型ASは必ずこちら側の出方を探ろうとするので大体分かる。

 ジャイアンのACの場合には、評価を気にしてこちらの出方を探ることはするが、それも「(相手の出方にかかわらず)自分が主導権を握って」という形になることが多い。

 ケアとしては受動型ASでもジャイアンでも、当初は「環境調整」ということになることが多い。告知も受け入れられないことが多いので、単にAS、ADHDとだけ説明することもある。

 


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コメント

    • たかこ
    • 2007年 10月 15日

     受動型ASの主人と暮らしていると、言語で理解していて述べることと行動とが全く別ものであるように感じます。
      白と黒、善と悪、すべてにその間がないようで、まるで棒磁石の同じ極同士を近づけるとある距離までは均衡を保って動きませんが、ある距離を超えたとたん、くるっと逆側に回転してしまう現象のようです。
     やらなければならないがやりたくない、こだわりの部分で変えることが難しいなどの場合、そのことが悪であるなど理屈を言い続けます。ところがそれができるようになったとたん、180度言動が変わります。
     そこに至るまでには、かなりの時間と段階が必要なようで、ときには強引とも思える手段や、物理的に状況を作ったりします。
     たぶん、ものすごく細かい一つ一つのパーツの積み重ねによってすべてが成り立っているみたいです。ミクロの積み重ねのマクロと言えばいいのでしょうか。 綿密で隙がないという感じもその辺からきているのかなあと思います。返答の早さなど(「えーっと」や「あっ、そうだった」ということは少ない)考える間みたいなものがあまりありません。トランプなどもものすごく早いですし。エコラリアのみの自閉症の方と印象はよく似ています。どこからみても個性的な人としかみえませんが。
     多数は一般に、1つの物事をミクロとマクロの両面から見ているのだと思いますが、ASの方はそうしていないというかうまく表現できませんが。
     以前何かの本で自閉は大雑把がよろしいというのを読んだことがありますが、理解しようとすれば、言葉、行動、体調、その他の手段を使って表現されていることを頭に置きながら、極端との両極をバラエティーにとんだ手段で表現していることも多いので、間を取るとなるほどとなることが多いです。
     何かを頼んだとき、極端な理屈(そんなの馬鹿げてるとか、嫌いだとか)をいうときや、やってはくれても、失敗してしてしまう、というときは、「ああ、やりたくないってことか」とあとでわかります。感情やプライドの部分は多数派と同じように、あるいは多数は以上に繊細に感じているでしょうから、そこで表現されない部分は、そういった、みっともないとか、はずかしいとか、気を使っているとか、言いにくいとかそういう感情の部分ではないかと思うので、そこを言動からそのような隠れた感情を予想するようにしています。
     

    • 空色クレヨン
    • 2007年 10月 16日

    お願いします
    主婦です
    ASの人の生活環境の整え方を、教えて下さい
    家族に2人いるのですが、私自身が病弱で出来ることが限られてるんですが、出来る限りのことをやってあげたいです
    参考になる本など(特に環境)を教えて下されば幸いです
    よろしくお願いします

    • MAT
    • 2007年 10月 16日

    これはコメントではなく管理人さんへの質問なのですが、情報を他の方達と共有したいと思いここに書かせていただきます。
    「ASでも成長に伴って一部の能力は改善することもある」と専門医の方から伺ったことがありますし、実際そのような報告もあるようです(http://news-info.wustl.edu/tips/page/normal/10149.html)。しかし、このような改善は若い時期にしか起きないものでしょうか。それとも成人してからも起きうるものでしょうか。成人のASが家族にいる方達や本人にとっては重要な問題かと思い、質問させていただきました。ご教示いただければ幸いです。

    • たかこ
    • 2007年 10月 16日

     逆も真という以前のブログにあったように、「原因→結果」「結果→原因」と順序はランダムに脳に格納されるようで、多数派では考えもつかない逆もあり得るようです。その格納や取り出しの仕方や順序や分野や時空をこえていると感じます。
     以前の結果からこうすれば相手がどう動くかをデータとしてもっている様に感じます。莫大なデータから私などを動かすのは簡単なことなのでしょう。それを使って、私が動いたところでほらあなたのせいでこうなったということは我が家でもよくあることです。シナリオにそって動かされていると感じることもよくあります捉え方によっては、境界例の対人操作や、DVの挑発にもなってしまいますし、こちらとしてはつらいことです。
    受け取る側が、悪意に取らないようにするにはある程度障害の理解と知識が必要です。人を動かすことをやめてもらうにはそのシナリオの通りに動かないことを辛抱強く繰り返し続けるしかないこともたくさんあります。
     「自分はいらいらしている、だけど、家族にあたっちゃイケナイんだよなあ」という感情があるとすると、「あなたがいらいらしてる」といったり、あるいは私をイライラさせるという行動になる気がします。内でだけそうなるのは、本人にすれば家族だから甘えてる、とか家だからリラックスしてるという程度のことかもしれません。
     環境調整というのは隙を埋めること、あるときは、常識も道徳も捨てて手荒なことが必要となることもありますが、それが本人を救うことがあります。逆も埋めなければならないので、なかなかそうはできないので、せいぜい隙をつくる助けをしないよう、じっと状況がかわるのを待つしかないように思えます。これは依存症の底尽き体験と通じます。 
     本人の行動を抑制するのは、理屈や知識ではないので、言葉での説得は無意味な気がします。社会的に生きていけないという追いつめられた状況によって行動は抑制されるようです。内と外の内を開かれたものにしておくことも隙を埋めるために必要と思います。全部近所中にいいふらしてるぞっていいう状態ですね。
     本来ならよいこと思われている常識や道徳、体裁は逆に隙となり本人を暴君のようにしてしまうことも多いと思います。ジェンダーの問題も絡んでいると思います。
     

    • たかこ
    • 2007年 10月 16日

    私はASのパートナーとして関わっていますが、私と同じような立場の方や、または教育の現場にも経験からASやADHDの理解のコツののようなものをたくさん知っておおられる方がいらっしゃると思います。また、倫理的に公にはできないことをつかんでおられるかたもいらっしゃると思います。医療関係の方の臨床をその経験的なものとあわせて、多くの人にわかりやすく障害を理解してもらえるようにならないかなあと思います。
     社会に出て職をもって自立することももちろん必要ですが、結婚して家族とともに人生を送れることも大事なことといますし、そのための支援もあるべきだと思っています。
     多くの皆さんが意見を述べ合うためのスペースを占領して長いコメントになってしまい申し訳ありません。
     前向きにASのパートナーと生きていこうという見通しがたったのにはこちらのブログのおかげだと思っています。感謝申し上げます。

    • m2
    • 2007年 10月 16日

    MATさんへ
    成人AS(未診断)です。
    自分の経験からすると、ASで欠けた能力は改善しません。
    経験を積み重ねて、行動と結果から、成功するパターンを見つけ出して、そのパターン通り実行することになります。
    言い換えると、自分のできることだけを組み合わせて、うまくいくやり方を作ることになります。
    その結果、ASでは不得意とされてきたことが出来るようにはなりますが、やり方は定型の方のものとは全然違うもので、結果だけうまくいくという形になります。
    パターン認識をする力が子供時代についていると、成人してからでもいくらでも成長し、いろいろなことに対応できるようになります。
    ただ、それが出来ていない場合、成人になってから、その能力を身に着けるのはかなりつらいことになると思われます。
    まず、ASの方ができることを全部洗い出して、その組み合わせで対応可能なものを一緒に見つけていくのが早道なのかと思います。
    後は、失敗を恐れずに、いろいろなことをやってみることです。

    • hoge
    • 2007年 10月 29日

    最初ヤンバル先生のHPをじっくり読みまして、自分はADHDのACだと自己診断しました。でもその後ブログを読んでいるうちにまさか自分はジャイアン?と思い出しまして、でもここ3回のエントリーで少なくともジャイアンではない、その代わり受動的ASではないかと思えるようになりました。人へのこだわりがポイントと書いてありますが、そこが難しいです。人は人という感覚が強いのでADHDかと思っていたのですが、妻や過去つきあっていた人、子供の頃は親にかなりこだわりがあったようにも感じます。と言うとASですよね…ASは医学生の教科書にも載っている、昔から知っていた疾患概念で、多分自分はそうではないという差別的感情が心の奥のどこかにあったんでしょう。なかなか自分がそうだとは認めたくない気持ちがあります。何年か前、大学ってAS多いですよねって企業から出向している人に言われたことがあります。あれはそれとなく教えてくれていたのかな…そのときはいやあADHDが多いと思いますけど、って言っちゃったんですがね。その方ADHDも知っていて、多数派の鏡みたいな人でした。ああなりたいです。近づくことしかできないんでしょうけど。

    • tasukete
    • 2008年 9月 29日

    父はAS、母と弟はジャイアン、私は受動的ASです。
    18位に人間関係を作ることをせず、母に追従して生きてきました。卒業後だんだん仕事恋愛でどうしても自分を変えられず息詰まることが多くなり、父を頼りに医者にかかりましたが、鬱ではないといわれてしまいました。意識を失った時、母に教えられた部分を全部忘れてしまい、元の自分に戻ってしまいました。原因を家族のせい(母)にして騒いでいた結果、家族の境界をめちゃくちゃにし、あんなに明るかった家族が暗くなってしまいました。恋人には昔は嫌いだった人でなおかつ母そっくりな人を選んでしまいました。慣れているのである意味楽ですが、依存したままでいいのかとずっと考え続けて辛いです。周りもわかってしまっていたらどうしようと思うくらい鬱です。どうしたらいいでしょう

    • tasukete
    • 2008年 9月 29日

    ちなみに彼氏は自閉でなく外交的ADHD

    • tasukete
    • 2008年 9月 29日

    です。ジャイアンでもあります。急いで家族全員が自分を頼りにしていて、私がカウンセリングを受けたいといってもかないません。私はこのまま社会との関係性を作れず、ふわふわしたまま家族の中に生き続けるべきでしょうか?
    私が社会で立ち位置をうまく見つけられず、過剰適応を繰り返して生き続けうつになり、家族にも移してしまい、家族を過剰適応させてしまったのです。
    今毎日こんなことばかり考えてノイローゼ気味で(就職活動か生活のことか、だらだらかしかしていない)、いったいこれからどうすればよいのかわからないですが、わからないなりに生きないとなあと思います。結局社会のことが全然勉強できていないし、母に追従して社会で生きてきたときの記憶が解離してしまったので、どう見えるかわかりませんが。
    もっと早く結婚したり、彼を作ったりしておけばこんなに今悩む必要はなかったのにと思います。私はASぽいのか、自分を全然変えられず、どんな人と付き合っても自分を最後まで見せられなかったのです。大学時代はそうでもなかったのですが。社会人になると、それまでの総合的な知識がなければ生きてはいけず、また体に疾患が出てしまい、行き場所がなく考えるうち母のまねをしているからかもしれないと、考えました。母の姉もそうでした。
    母のおかげで世間にせっかく適応できていたのに、振り出しに戻った感じです。これからどう社会勉強をしていったらいいのか、考えています。

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