AC、人格障害関連

自己正当化型撤退

 ジャイアンACの人の非常に特徴的な認知と行動のパターンのひとつに、「全面撤収」「全面撤退」とも呼べるような極端な譲歩のパターンがよく見られる。
 「自分が悪いから」と自己主張を100パーセント引っ込めてしまう形になることが多い。
 言っている内容自体は一見自己評価が下がっている内容であるのに、何か逆に誇大的な印象を持たれる方も多いだろう。

 自分の主張が否定されたりした場合に、ちょっとでもうまく行かないと、「これ以上痛い目に遭いたくない」「はじめから自己主張なんかするからいけなかった」「もう何にも言わなければ良いんでしょ」というような半分逃げの入っている一方的「全面撤収」で、「もうそのことは考えない」と思考自体を放棄して忘れようとする面がある。

 いかにも反省して方針転換しているように見えながら、本当の意味での反省ではないところがいかにもジャイアン的である。
 譲歩、全面撤退しながら同時に「自分は間違っていなかった」と逃げ道を探しているようなところがあり、「自己正当化型撤退」である。子供が「ごめんなさいと言えばいいんでしょ」と居直って言うのに似ている。

 自己主張したことが間違いではない。その内容に相手に受け入れられなかった何かの問題があり、本当は「何が問題だったのだろう」と話を深めて考えるべきであるが、それを確かめる作業がジャイアンには情緒的に辛すぎるのだ、いつも偉そうに上から目線で他人には厳しく高圧的なくせに自分が言われたときだけは弱っちく逃げを打つのは非常に(自分もそうながら)情けない姿であるが、この打たれ弱い小心者の姿が他ならぬジャイアンの本当の姿である。

 さて表面上は全面撤退したのだが、実は否定された内容自体には納得は全く出来ていないことが重要だ。「口に出したことが悪かった」とか「どうせ理解なんかしてもらえっこ無い」など
と自分に言い聞かせて否定されたこと自体を記憶から追い出そうとしているだけで、「しっかり考えて納得する」こととは程遠い。(私はこのやり方を「狐とブドウ的な否認」と呼ぶ)。 
  
 飛びつけなかった自分の問題であるのを、「どうせあのブドウは酸っぱいはず」と自分に言い聞かせて「自分が悪くない」とみっともない負け惜しみ的な言い訳をするというパターンがジャイアンには非常に多いのだ。

 しかし実は話はこれだけで終わらない。この納得していなかった感情は、「一方的な譲歩感」として残ることが多い。その結果は、次に同じようなことがあった場合に「ほれこの間言っただろう」という激しい復讐的な攻撃性として出てくるか、またはさらに抑圧されて自覚されないところで身体症状(自己免疫疾患の悪化を含む)として出てくることが多いと私は思う。

 このことの根本的な解決は、「納得」の方向にある。最悪カウンセリングの場に持ち込んででも、本人が納得できる結論を出せればOKである。
 
 だからジャイアンの子供を持ったら何とか思春期までに合理的な思考を身につけさせたい。
 合理的、理論的に考える作業によって「相手から言われたことが正しい」「合理的な理由があるから撤退するのだ」と自分自身を納得させられれば、生きていくのはずっと楽であるからだ。


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コメント

    • sakuramutty
    • 2011年 6月 03日

    はじめまして。
    いつも興味深く拝見させていただいております。
    数年前、大人になってからADHDの診断を受けた者です。
    この「自己正当型撤退」が原因で、つい最近彼と別れました。
    失意の中このエントリーを読み、原因がこれであることを知り、とてもショックでした。
    辛いことから逃げるくせに、相手に一方的に譲歩した気持ちが残ることで結局自滅してしまい、相手にはそれが理解できない…という繰り返しでした。
    次のエントリーに、対処法を書いていただき、参考になりました。
    とても辛いことですが、何がいけなかったか、理由を考えた上で合理的に納得する訓練をしていきたいと思います。

    • うにゃ
    • 2011年 6月 07日

    別居した後に母から全く連絡がない訳は、この「自己正当化型撤退」だと思います。
    私(30代・既婚)が友人と遊びに出かけて午後6時までに帰らないとパニック(解離?)に陥っていた母でした。
    修羅場の末に別居したら、ぱったりと音沙汰無しです。
    とても予想外でしたが、この記事を読んで納得です。
    75歳の母は、もうカウンセリングでどうにもならないでしょうけど。
    > しかし実は話はこれだけで終わらない。この納得していなかった感情は、「一方的な譲歩感」として残ることが多い。
    ・・・頭の片隅に入れておきます。
    別居の直接的原因は、母に腕を深く引っ掻かれたことでした。
    皮膚をかなりえぐられて、3ヶ月経っても傷跡がまだ、はっきり残っています。
    傷跡が消える頃には、母と距離を保ちながら付き合う心構えができるでしょうか。

    • milky-fanky
    • 2011年 6月 11日

    このお話、とても納得し、理解の助けになりました。
    夫がジャイアンなのですが、しばしばこういった自己正当型撤退を投げつけます。「どうせ君には言ってもわからないよ」「もう君とはやって行けない」と、自分が引く言葉でありながら、私は一方的に責められている気持ちになります。
    ここからは少々汚い話で、お食事前後の人には申し訳ないのですが、先日夫が夜中にお腹を下し、粗相をしました。翌朝、仕事に行く格好で掛け布団を持ってきて、へらへら笑いながら「洗っといて」と私の足元に投げ出して仕事に行こうとしました。それは掛け布団だったので、私は不思議に思い「大丈夫?シーツは?」とたずねると、「シーツも汚れたけど、ちょっとだからいい」との答え。「いいわけないでしょ」と強く言ってシーツを持って来させましたが、よほどバツが悪かったのか、いきなり「もう君とはやっていけない!離婚だ!」と大声で怒鳴り散らした後、その足で区役所へ行き離婚届をこれ見よがしに書き、引っ越し程の荷物を抱えて実家へ帰ってしまいました。
    驚く事に、その後、昨晩一緒に食事にいった同僚が病院に行き、点滴をした、という話を聞くと、それをなぜか私に逐一報告して、「自分は食中毒だったのに、心配もされずに家を追い出された」という話に作り替え、周囲に語りだしたのです。(続)

    • milky-fanky
    • 2011年 6月 11日

    (続き)
    こういう事は今までも彼の中ではしばしば起こっていて、今回の自己正当型撤退を読んで、「ああ、こういう事だったのか」と納得したのですが、ひとつ質問が。
    自己正当型撤退を行う時、夫の中ではしばしば「ストーリーの脳内変換」が行われます。それはほとんどセットのようになっていて、明らかな事実を無視したり、時には時間さえ入れ替えた話に変わってしまいます。
    病院へ行ったのは同僚で自分ではないのに、いつの間にか自分も食中毒で動けなかったという話になっているし、引っ越しが出来る程には元気だったのに、心配もされなかった、と言い回る。
    不思議なのは、そう話している内に、自分でも本当だと信じてしまう事です。
    そうなると、もう、元々のストーリーは完全に無かった事になってしまう。
    元々、人間には誰にも多少はそういう「マイストーリー」があるものとは思いますが、あまりに整合性にかけるところが心配です。
    この「脳内変換」はいったいどういう訳で起こるのか、本当に不思議ですし、
    こういう時、どう対応すればいいのかも本当に悩みます。
    これはうちの夫だけに起こることなのか、他のジャイアンの人でもある事なのか。教えていただけると、夫を理解する助けになるとおもうのですが。
    よろしくお願いいたします。

    • mario (AS)
    • 2011年 6月 15日

    milky-fankyさん
    ストーリーの脳内変換に関しては、ここを「ジャイアン、ファンタジー」というキーワードで探せば解ってくると思います。どうしたら良いかは良く分かりません…否定されても根気よく事実を突き付けるのが最善策なのかな?あー、その前に「シーツが汚い」って事実を突き付けないってのが良いのかも?
     :
    ここに出てきたのでついでに…
    これまでずっと、最後に一つだけ分かってなかった事、元嫁さん(ジャイアン)が離婚時に子どもを手放した理由も、今回の「自己正当化型撤退」で良く分かりました。「あなたが育てれば良いでしょ!」って言うのは、そう言う事だったんですね…

    • milky-fanky
    • 2011年 6月 15日

    mario (AS)さん
    アドバイスありがとうございます!
    そうですね。ジャイアンのファンタジーという言葉はここで読んで知っていたんですが、それとこれが結びついてはいませんでした。なるほど。そういうことなんですね。
    夫はとても恥ずかしくて、自分でも言い訳が立たなかったのでしょう。
    それがイコールファンタジーの入り口に直結したんだと思い当たりました。
    それにしても。ファンタジーと現実の区別がつかなくなるのは、かなりまずい感じがします。自分の中だけでファンタジーを支えにしてくれているならそれはそれでいいんですけどね。
    それに自分の便がついたシーツに、また夜平気で寝るつもりだったのかと思うと・・・
    この感覚の違いは、一緒に暮らす身にはなかなか折り合いがつけづらいものがあります。

    • mario (AS)
    • 2011年 6月 17日

    milky-fankyさん
    夫さんと上手く続けて行きたいですか?
    責めて関係を切りたいのでなければ、事の良し悪しではなく、その感覚の違いに折り合いを付けるしかないと思いますよ。例えば今回の件でも、汚れているかも知れないって思えば、それを指摘したり責めることをせずに、気が付いたmilky-fankyさんが洗えば良いんだと思います。そうすれば、夫さんはファンタジーに逃げる必要もなく、誰も困らないと思います。
    ファンタジーに逃げているとは夫さんですが、その状況を作り出しているのはmilky-fankyさんじゃないかと僕は思いますよ。(僕自身が過去に元嫁さんにそんな状況を作り出してしまっていたから思うことです。)
    夫さんを変える事を試みるのではなく(人は他人から指摘されても変われません)、それに上手く付き合う方法をここで探してみて下さい。

    • kei
    • 2011年 6月 25日

    自分の下痢は自分で始末してもらいたいですね。会社に行ける程度の病気の大人なんだから。
    我が夫にとても似ているのですが、「風呂場の洗い場で手洗いしてね」と指定しないとすすぎもせずにいきなり洗濯機で洗ったり、みんなが顔を洗う洗面所で豪快に下痢跳ねを飛ばしながら洗いそうで怖いですね。
    ところで、幼い頃よりジャイアンに囲まれて育った私ですが
    ジャイアンの共通点。話が合わなくなり、相手が自分の考えを述べ始めるとそれをぶったぎって「もういい!」と切れてその場を去る事が多い気がします。
    その手をよく使う母は「もういい!って怒れば相手は折れるしかないでしょ?」といいます。
    その思い違いもすごいな、、と。
    幼い頃から母親のジャイアンぶりに慣らされているので、意見が通らないで「もういい!」って切れて逃げる人が出た時は「いいってんだから放っておこうよ。」と淡々と事を進めます。その時、ものすごくすっきりします。

    • ayuayu
    • 2011年 7月 03日

    夫婦と義理の長男と数名のパートさんで、小さな食品工場を営んでいます。夫がジャイアンで、気に入らないと怒鳴り散らし、私には「気に入らないなら(仕事を)やめちまえ!」「さっさと出て行け!」が常套句。先日は、私と長男の解雇通知と廃業届をプリントアウトして、職場放棄。
    私自身も大人のADHDと思いますが、現実に落ち着いて対処できず気が狂いそうになったので、近所の精神科で「更年期障害」として精神安定剤を処方してもらい、なんとかしのいでいます。(ADHDは見事に否定されました)
    義父も義母も長男も(再婚同士なので義理の息子)、おそらく全員ジャイアンです。私も本来はジャイアンでしょうが、あまりに周囲の家族が身勝手なので、ついつい我慢やら後処理やらする立場になってしまい、それがまたどうにも腹立たしいです。
    それでも、自分の本来の姿を知るにはこんな環境も必要だったのかなあ、と思ったりします。

    • うにゃ
    • 2011年 7月 08日

    今回の記事は、ジャイアンACで、かつ依存型の要素も併せ持つタイプを取り上げられているように思います。
    何かやらかした後、「私が悪かったんでしょ」と居直るか、心を入れずに「ごめんなさい」を連発するような人が頭に浮かびます。(兄が、そうです。)
    私(合理的強迫的ジャイアンAC)の場合、自分が「もし、こういう事をしたら最終的にどうなるか」まで予測して、結果危険なら、はじめから全くしません。
    例えば、非行行為には全く手を出さず、浪人も留年もせず希望校に入り、仕事の納期は必ず守り、自分の非を他者から指摘されるような状況を作りませんでした。
    「何かやらかしてしまう」人を、うらやましく感じます。
    やりたい事を自由にできているように映り、妬ましく、憎らしく感じることさえあります。
    AS(?)父のお気に入りではなく、母が依存型ジャイアン(ボーダー型)。そんな私が「何かやらかした」結果を想像するだけでも恐ろしいことです。
    許されることなど、想像できません。
    幼い頃に心的外傷(トラウマ)を負うほどの経験をさせられたからです。
    ACとして、どんな不条理な場面でも非を責められれば「自分が悪い」と思ってしまいます。
    「自分が悪い」イコール、依存型ジャイアン(ボーダー型)の母とAS(?)父によるトラウマがうずき、非常なダメージを受けます。
    ですから私は、「自己正当化型撤退」からはとても遠いと思うのです。
    つまり、責められると非常に弱く、撤退さえできず、自己表出がまったくできないのが、自分だと。
    つづきます。

    • うにゃ
    • 2011年 7月 08日

    (前コメントから)これが、私のこれからの課題です。
    カウンセラーから、「ストレスを避ける生き方を」と言われました。
    でもそれは、私らしい生き方と相反する、と直感的に思いました。
    今までは連戦連勝を自分に課してきました。(連勝はできませんが)
    勝ちに生きがいを感じていました。
    「ストレスを避ける生き方」とは、勝負に乗るかどうかを選び、「避ける」という選択肢を持つということでしょうか。
    そもそも、他者との関係をすぐに勝負と捉えてしまうこと自体が中心志向の悪癖で、「他者との理解」に生きがいを見つけるのがジャイアンの幸せでしょうか。
    その前に、トラウマからの回復が必要だと自分は考えています。
    カウンセラーには、トラウマに積極的には触れない、希望するなら別だが・・・と言われました。

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