ジャイアン型ADHDは衝動統制の障害である。
生まれた遺伝素因のままでは「我慢する」ことが出来ない。
だから「超合理的」とか、「依存相手の顔色を読む」などの 歪んだ衝動統制のスタイルを手近な環境から身に着け、それ で大人になるまで生きて行く。
当然いろいろな不適応が生じる。
では多数派はどうしているのか?
答えはまたもや「空気」である。
多数派は「空気」で自分の衝動も コントロールされているのだ。
実はこの考察から多数派はなぜ「空気が読めない」「空気を読まない」発達障害を攻撃するか? という問いに一つの答えが帰結する。
「多数派は空気で自分の衝動を抑えられていて、その場では当然自分の衝動をコントロールして差し控えるべき場面である」という訳だから、そこであえて自分を主張したり衝動を通したりすることは「掟(おきて)破り」になり、「ルール違反」として攻撃されると私は考える。
いわゆるノビ太型のADHDは見るからにKY(空気が読めない)で、KYであることで日常的に多数派からは一種「見下げられている」ために腹も立たないだろう。
他方でジャイアンの場合は多数派からは「自分にだけ甘い」という風に見えるはずで、直接は反発が怖くて言われないにしても、「本人だけが知らないで周りがみんな軽蔑的な噂をしていた」という結果になるだろう。
チャンピンだったA氏の場合もそういうことだったと私は想像している。
私はノビタ型のADHDさんがうらやましかった。
空気を読めないのに、それほどの実害がないので、
みんなそれなりに放置。
結果的に、自分らしく浮いたまま自然体。
それもあんまり気にならない様子。
(実は悩んでいるのかな???)
私(ジャイアン型)は、子供の頃は喧嘩ばかり、
人の欠点指摘しまくり、
強いのでクラス全員一丸となってのシカト、
その結果神経症様の登校拒否傾向。
大人になってからは、気を使いまくり、
いい人インストールでウツになるほどがんばって、
やっと普通を装う。(けっこう成功していた。)
でも結局疲れ果て、ウツ化して、長年の引きこもり。
「やはり自分でいなければ!」といい人やめたら暴走につぐ暴走、
でも元気。(^_^;)
どっちがいいとは言えませんが、私はノビタ型がうらやましかった・・・。
空気を読んで、一億総玉砕のお国柄ですからね(嘲笑)
多数はのADHD攻撃理論!興味深く拝読しました。
鬱屈しているストレスのはけ口になっているのは経験的に納得を感じます。
先生のおっしゃる「攻撃」というのは、どういうことをさしているのでしょうか?
私(定型)は、発達障害疑いのある部下2人と関わっています(私が疑っているだけで、本人達は発達障害に関する知識は全くなし)
仕事上、ダメなものを許す訳にはいかないので、当然ダメ出しをするわけですが、
同じことを何度も言わされると、こちらとしても注意の仕方がきつくなってきます。
同じことを何度も(しかもきつく)「注意・指導」されることを、当人たちは「攻撃」ととらえているような感じもします
AS疑いの部下は、「攻撃」で返してきます。
ADHD疑いの部下は、「すみません」というけれど、すぐに忘れてしまいます。結果的には彼が思った通りに仕事をすすめてしまいます。
発達障害のことをある程度理解しはじめた今でも、この点に関しては本当に悩んでしまいます。
怒らなくていい状況を作るとするならば、
全てその都度指示を出し、彼らが自分で状況を読まなくてもいい環境を作る、ということになりますが、
それはそれで他の新たな問題が発生する訳で。
そもそも、「そぐわないことをしたら注意を受ける」というのは、定型も発達障害者もおなじ。
それにどう応えるかで、その後の相手の反応もかわってくる。
発達障害者はそれにうまく応える事が難しい。
だから相手は、「無視された」とか「軽んじられた」と思ってしまう。
発達障害者は、無視されたり、軽んじられたりしても、あまり気にしないのかな(うちの部下たちはそういいます。「もし自分がそうされたら嫌でしょう?」と聞くと、「自分はあまり気にならない」と)。
定型は無視されたり、軽んじられたりしたら、かなり不愉快な気持ちになるので、怒ったり、無視し返したりするという事がおこるのだとおもいます
こういった行程で、発達障害者にとっての「攻撃(実際には攻撃ではないかもしれないが)」が始まる事もある、ということを一つ挙げておきたいと思いコメントしました。
こんにちは。
私はジャイアンです。
A氏を見ていて、無自覚な頃の自分と似ている点が多々あり、
自分もこんな風に迷惑をかけていたのかと振り返ると凹みます。
メディアが行ってるような無自覚発達障害叩きは、実は発達障害者か隠れ発達障害、又は多数派と少数派の間に存在する準小数派によってなされてるのではと思います。多くの多数派は「強いのに他の部分が残念だ」ぐらいにしか思っておらず、それほどA氏の奇行にこだわっていないようでしたし、優先順位の低いことにそう一々過剰に反応しないと思うのですが、他人の行動が気に入らないと噛み付くモラハラタイプならワイドショーにかじりついていそうだなと思います。
多数派を見てると、
自称普通の無自覚隠れ発達障害の相手をするめんどくささとか、個性とか言いながら都合悪いときだけ障害者になったりとか、「認めろ」と言いながら自分は他者を認めないくせにとか、そういう自己中と、自分が見えない浅墓さに迷惑こうむってるのに、発達障害本人が気づかないもんだから『いいかげんにしろよな』と感じると、距離を置きます。
所詮多数派の世話にならないと多くのことができないのに、自分をさも特別だと思っていた自分は、叩かれてしかるべきと言うか、叩かれたと文句言うなら迷惑かけずにやってみやがれと、後になってかけた迷惑に気づいてよく凹みました。
自分なら、
自分のこともよく観察できないのに多数派のことなど分析できるのかと、
個性を語りながら安易に他者を「多数派」でくくって、
浅墓な結論に帰結するのはいつものことなのに、
うぬぼれるのにも程があると自分で自分を叩くだろうこと間違いなしです。
先生はそうはならないのですか?
医者だから多数派(含む準少数派)の行動もお見通しなんでしょうか。精神科医が日常で多数派の中の多数派に接する時間は、私などと比較しても少ないのではと思うのですが。
発達障害の方は空気をよめない分、自分に正直なのかもしれませんね。
私は多数派(だと思う)ですが、空気を必要以上によんでしまい、
自分の感情を押し殺すことがありました。そのぶん身近な発達障害
(と思われる)友人を責めてしまった経験があります。
このブログを拝見しながら(ああ、そうだったのか)と反省する事しきりです。
空気が読めない。これはもうしょうがないこと。諦めるしかない。
少数派に空気を読めというのは、足のない人に歩けと言ってるのと同じこと。
でもその「違う」という理由で攻撃されたり馬鹿にされるのなら、僕はやり返します。自分のために。
ただ多数派の人と社会で一緒に生活していくのなら、
障害に甘えず自分の問題点に目をつむらずに直視して、考え理解しつづけること。
これは必要じゃないのかな。
もう少し書かして下さい。
これは少数派の人は知っておくべきことじゃないのかな
と思ったので。
多数派の人の中にも色々いてます。少数派の人のように
心が幼ない人は多分にいてます。
ただ一点多数派の人と少数派の人とが違うのは、相手の心を想像したりして、大人の姿を装うことできるということです。
そして、少数派の人の「違い」を攻撃・馬鹿にしてくる人は総じてこういう幼い多数派の人たちです。ただ親に心を大切にされなかったという心の傷を異質な少数派をいじめることで癒してるだけです。(お前も幼いだろうという自己突っ込みが入ってきます。笑)
本物の多数派の人は、少数派の違いを認め、そのまま受け入れてくれます。そして、その違いを決して批判しません。
これは心理学で勉強しました。
だから「違う」という理由で攻撃馬鹿にしてくる多数派がいたらその問題の本質は、少数派にではなくて、多数派の心の中にあると考えるべきだと思います。
多数派の人への批判はこれぐらいにして、また自分の問題に戻りますね。
多数派の集団いじめは「私刑」・・・なんですね。
自分がいじめられた理由に
やっと納得ができました。
「掟」破りの制裁・・。
火あぶりにしようが、馬で引きずろうが・・・良心の呵責など感じるはずはありません。
・・・罰をあたえているのだから・・。
私がいじめ倒された主婦サークルで、自分なりに「いい子インストール」をしつづけ、最後の最後で、ほとんど声がでなくなりました。リーダーから一方的な人格攻撃のメールをもらったときは、返信しようにも腕が震えて携帯がもてず、そのあとはただの連絡メールでさえ、件名を見ただけで心臓がバクバクしました。
当然、悪意のある侮蔑的な噂話がまわっているのにも、気づいていました。
『「空気」で自分の衝動も コントロール』されている多数派にとって、掟やぶりは、攻撃心を発散させるためのトリガーになるのでしょうか。
「掟」がこれほど恐ろしいものだとは思いませんでした。
あ////
・・・そうか・・・私は・・主婦の掟を破ったのか!!
そうか・・・。
なんで気付かなかったんだろう・・。
ほんとうにひとりぼっちだったんだな。。。私。。
ほんとうに。。。
いま心が何も感じないのは、何故?
強いから?弱いから?
でも扉は開けた。
先生ありがとうございます。
今、大人として働いてる発達障害の人って何のケアもされずに二次障害が重い人たくさんいるんだと思います。自尊心がぼろぼろで、まず基本的な自分を大事な存在だと感じて自分を大切にする、とか、人に恐怖心や敵対心をもたないで接するとか、できなくなってしまった人がたくさんいるんだと思います。私もそうです(T_T)そういうとき、人に何を言われても自分を責めるか相手の人を責めるかしかできなかったです。。私はつい最近まで私は完璧だったのに周りの人が私を歪めたって猛烈な怒りをもってました。それも事実な部分もちょっとあると思うし、自分の認知の歪みからそうなった部分もあると思います。自分の感情を知って受け入れて、相手の人に無意識に感情を投影しないこと。自分の認知の歪みをしること。この2つをやってたら発達障害の人の空気が読めない、とか、対人関係の距離が近いってキラキラ輝く個性にもなると思います!深く悩んだ人ほどバネみたいに高く上にまで飛べるそうです。
だからヤンバル先生のブログをみたり、いろんな人に意見をきいたりできて私はついてるな〜って思います!感謝してます\(^O^)/
先生のHPやブログを拝見して、日々考えさせられる事ばかりです。
4年間付き合ってきた彼が、発達障害(ジャイアン)ではないかと疑ってしまったからです。
私たちが喧嘩してきた言葉が、内容が、そのまま書かれていて…理解してあげられなかった自分がとても悔しくて、どうする事も出来ない事実がとても淋しいです。
きっと私が彼に言ってきた言葉は「攻撃」でしかないのですね。
私が出来るんだから、あなたに出来ないはずがない。
それを当然のように口にしてきました。押し付けてきました。
そして、それが出来ないと諦めて「別の世界の人」と思うようにしてきました。
きっとそれは、彼にとって自分を軽視される行動だったと思います。
私が理解出来うる範囲を超えて、もっととても苦しめてしまったと思います。
実際に社内でも、彼が知らないだけで、彼に悪意のある噂がされている事は多々ありました。
反撃が恐いから、そうなんだと思います。
彼の事を知りたい、理解したいと思う反面で、こうして彼を見ていたかのように書かれている事が、私はとても恐くなってきています。
そして、やっぱりどうしようもないのかと、またぐるぐる悩んでしまいます。
初めましてこんにちは。
いつも読ませていただき、ジャイアン息子の教育の参考にさせていただいています。
A氏は『発達障害の疑い』であるため、
色んな人がいて当然と考える多数派からしてみたら
(発達障害を良く知らない人からしたら尚更)
おそらくただの『意味不明な人』なのだと思います。
これが「私は発達障害です」と公言してる人なら扱いは違ったのではないかと思います。
米国の某お嬢様も、ADHDと公表してることで多くの人にあのぶっ飛びぶりが受け入れられてる節があるのではないでしょうか。
我が子も迷惑をかけっぱなしですが、学校懇談会にて診断名と症状を説明するだけで多くの人が理解を示してくれています。
多数派の中であっても「無自覚な迷惑」は嫌われるのですから、
「診断も自覚も無い意味不明な人の迷惑」が相当に嫌われるのはしょうがないのかもしれないと思います。
その方法は、ルナさんが多数派として安定したポジションを得るのに有効なだけです。
どうして定型は、いつもいつも・・・言ってることと、やってることと、思っていることが違うんですか?
嫌われるのがしょうがない?
ある人に対してはすごくいい顔をするのに、ある人にはなめてかかる。人によって態度をかえる多数派。
計算高くて、ずるくて、不誠実な多数派。
言葉では優しくて、甘い言葉を発するのに、本当は
自分の印象をよくしようとしかしていない多数派。
本当に大嫌いです。
>自分の問題点に目をつむらずに直視して、考え理解しつづけること
noriさんがおっしゃってましたよね。
これは少数派にも多数派にも必要な事だと思われます。
私も責めてしまった友人に「大嫌いです」と言われました。
ショックでしたが、それほど私自身が傲慢にふるまっていた
ので、仕方ないと思いました。
それでも私はその友人を嫌いにはなれませんでした。それからはずっと
どうしたらお互い理解しあえるのか考え続けています。
私はのびた型です
YKさん、私は力(生命力)で押し通す、凄まじいジャイアンが羨ましかったです
先生の仰るとおり、私は人との関係では常に見下げられている感が付きまとって、それが悔しかった。
最後の最後に押し通せない、自分の弱さが大嫌いでした。
でも、一方で身近な人からでさえ見下げられながらも「面倒を見てもらう」心地よさは手放せずにいました。
生き抜く知恵だったのだろうと今になって思いますが・・
自ら下手に出ておいて
つまらないことで、馬鹿にされていると腹が立ち
相手を攻撃してしまう。
ついつい、自分を抑えきれずに無神経に振舞った結果、
「あれ?思っていた人と違うね」と人が離れていく
ジャイアンになりきれない私は再び人の顔色を伺う術に頼る。
そんな悪循環でした。
本当に多数派とは・・
もっと、多数派の行動原理を詳しく知りたいです。
その空気ってのは、どんな感じ?なんでしょう・・
そういえば、先生。
私は依存を断ち切れたのではないかと感じているのですが
以前はあんなにも怖かったホラー映画とか、全く(本当に)怖くなくなってしまいました。
怖かったのではなくて、前は不安だったのでは・・と、自分なりに分析してみたのですが
人格が変わってしまったのではと思うほど、感覚が変わって・・
これって、改善方向に向かっているのでしょうか・・・
あの。再びすみません・・
>言ってることと、やってることと、思っていることが違うんですか?
これなのですが・・
ジャイアン母・姉・叔母も、のびたの私も突き詰めれば多数派と同じように
少数派だって、身を守るために状況次第でコロコロ変えていると思います
これは多数派・少数派関係なく、人間の自己保身ではないでしょうか・・
たしかに結果が決定的に多数派とは違い、少数派はあまりにも不利すぎると思います。
集団に於いては感じられる多数派のほうが圧倒的に有利ですから。
少数派は完全に見誤りますし。
それは機能不全だから、空気が読めないから・・なんですよね??
その上、ADHDは特に自己を優先する度合いが強く、我慢の機能が弱いから・・
『こんなに困っているのに、なぜ「自分」を優先してはいけないのか、自分を抑えるなど何が何でも我慢が出来ない!
相手がどうなろうと知ったこっちゃ無い、私が困っている。』
うちの家族ジャイアン全員のこれが本音です。
全員が一斉に思うのだから、それぞれの立場で全員が傷つきます。
最後はパワーの押し切った者勝ちになって、全員で崩壊します。
多数派とはいったいどんな風に感じているのか
どのように距離を計れるているというのか・・
そこが知りたいです。
将来技術が進んで、何かアトラクションのように体験できればいいのにって思います。
その世界を感じてみたい。
noriさん、
『嫌われるのがしょうがない?』
はい、私はそう思います。「他人に迷惑をかけても無自覚なやつは大嫌いだ!」という人がA氏の行動を嫌うのは理解できます。noriさんが「ある人に対してはすごくいい顔をするのに~本当に大嫌いです。」というのと同じ様に、誰だって嫌いなものは嫌いです。罪を憎んで人を憎まずなんて簡単にはできないのが人間です。
A氏嫌いの人たちは恐らく「無自覚に迷惑で伝統を無視する連中が嫌い」で、特に発達障害に対する攻撃という認識はないんじゃないかと思います。A氏は多数派の一員ということになっていますから。
私はA氏については憎めないと感じる派ですが、「オレ様は特別だ!ひれ伏せ!暴力も辞さない!」という隠れDVジャイアンタイプは嫌いです。K三兄弟の父やお笑いS氏のような。
タイムラグで行き違いコメントになってしまいすみません。
ルナさんは、「発達障害かどうかにかかわらず、人に迷惑をかけても平気な顔をしてるオレ様な人は嫌われても仕方ない」と言っているのですよね?
その解釈で合ってましたね?
それに対してちひろさん、noriさんは、「発達障害者は人に迷惑をかけるので嫌われても仕方がない」と受け取ってしまったのかな、と思いました。
ルナさん補足ありがとうございました
ルナさん
なぜ、発達障害を理解し発達障害の子供がいるあなたが
発達障害の存在自体を否定するようなことを言えるのか
僕には物凄く不思議です。
ここに集ってる人は皆、昔はおそらく無自覚だったでしょう。それゆえに色々傷つけられたことも、傷つけたことも
色々あるでしょう。
それ全てひっくるめての「トラウマ」をなぜエグルのか。
自分たちが、人に迷惑をかける存在、どうしようもない子供のような人ということを理解し、それを解決しようと皆で考えています。
逆に聞きます。多数派のあなたの心はそこまで成長し成熟しているんでしょうか?人に迷惑をかけない、人を傷つけない
それほど成熟しているんでしょうか。
多数派の友人も何人かいますが、その人たちは受け入れてくれます。迷惑かけてると思うけど、そっと見守ってくれます。あなたのように、発達障害者の存在を否定するようなことは言わない。しかも、発達障害の人がたくさん見てる掲示板で。
多数派の人の中にどれだけ、自分の心の嫌な部分を直視し
それを認め、どうするか考えている人がいるんでしょうか。
外野は黙っとけということです。
ぴのさん
僕は昔無自覚でした。迷惑かけてきました。
いじめにもあいました。
死ぬように生きてきた過去を否定された感じがしたんです。
私はジャイアンですが、ルナさんの言ってることがすごく良く分かります。
大学のゼミに無自覚自己中モラハラジャイアンがいます。
本当に嫌な奴で大大大嫌いです。
こんな奴と同じ「少数派」でくくられたくないです。
ジャイアンは浅墓にも偏見で他人を大きくグループ分けしないと情報処理できないところがあるわけですが(自己防衛のためでもある)、相手を良く知る前から「どうせこいつらみな同じ」と決め付け自分たちの世界を狭くしてる少数派も悪いんですよ。多数派の多くはそんな風に簡単に人を判断してません。
>ジャイアンの場合は多数派からは「自分にだけ甘い」という風に見えるはずで
書き忘れましたが、大嫌いなそいつはジャイアンの私から見ても「自分にだけ甘い」という風に見えます。
少し多数派の気持ちが分かった気がしました。
過集中がひき、自分と向き合いました。
結局自分がいいたかったことは、
「お前にいわれたくない」というジャイアン的なものでした。
何故、こんなに自分はかみついたのか。
人に対する、敵意や恐れが心の中にはまだあるんだなと
自覚しました。
本当は別の人に向けたい敵意を、ルナさんの一言で頭にきて
ルナさんに投影してえしまったのかなと。
それと、「外野は黙っとけ」と言ったことに対して
「お前は何様かと。多数派の意見を聞きたい人も
たくさんいるはずで、それをお前の自己中心性と過集中
のせいで、その機会を奪っていいのか?」と自己突っ込み
が入りました。
何よりも、大切にしていた、この「考える場」を自分の
自己中心性と過集中で乱してしまったことが情けなかった。
ここを見てる人の心を乱してしまったことも想像できます。
あやまります。ごめんなさい。
noriさん、
そうなんですね。
過去のことがトラウマになってしまっているのですね。
でもルナさんは、noriさんを責めているわけではないと思いますよ。
発達障害者を責めているわけでもありません。
ルナさんはご自分に対しても、息子さんに対しても、発達障害者に対しても、公平で、愛情をもって、なおかつ厳しい視点で判断されているように感じました。
誰からも嫌われない人はいません。
私も同じです。
精一杯生きていても、嫌われることはしょっちゅうです。
そういうものなんだと思います。
こんなふうに気持ちをぶつけ合ったりすることさえ、私にとっては重要で、とても必要なことだと思えるのです
それをしないでわかりあえるわけないと思うからです
私はつい最近まで、自分でも認めたくない自分の嫌な所を指摘されたときに限ってムカッ!と来ていました。
(そのくせ人の欠点は指摘するという、、、)
自分の欠点を思い起こさせるあらゆる言葉が「否定」に聞こえ、
そこで相手を攻撃すると『自分の不都合な点を見なくて済む』という逃げ道が作れていたわけです。
ただ公道を歩いていただけなのにいきなり茂みから噛み付かれた相手はたまったもんじゃないということはいつも後から気づいてました。。。
誰よりも自分を否定していたのは他でもない自分自身で、
自分が自分を否定する限り、誰を責めても「否定」はつきまとってきます。
多数派が誰かを叩くとき、いちいち多数派か少数派かの区別をつけてるとは思えません。
少数派か多数派かに関わらず嫌なものは嫌と思うのは私も同じです。
でも、多数派が叩かれても平然としてるのに、
たまたま叩かれたのが自分と同じジャイアンのときだけツベコベ言うのは、
それも結局「自分に甘い」ということだと思うのでした。
とうとう息子の担任の態度が、期待~~諦め~~怒り へと確実に変化しています。
4月から約半年間でこうなったこと、ついに来たかと。。
(でもよく半年間ももったな・・)
私自身も何回も経験しています。
周囲の人がこういう風に変化してしまうことを。
原因は正に先生の指摘されている「空気を読んで自分の衝動を抑える、我慢する」、これができないから。
こっちからしてみれば、勝手に期待して受け入れておいて最後は結局怒りで突き放すのか?という気持ちなのだけど。。怒りの原因を説明されれば理由はわかるし、陰で噂されてると気付けば(あの時の自分の行動が~の理由があって批判されてるんだな)と理解はできる。。
でもやっぱり、「空気」よりも自分の要求と衝動のほうが大事なんです。。
その挙句、そんなに目くじら立てて文句言われるようなことか?とか開き直っちゃうから。。
批判ばっかりされるのも面倒くさいから、周囲の人と協調なんかしなくてもいいように選んで生きてきたら今の環境になっちゃいました。。
息子のことに話を戻します。
全体練習の朝錬はとても大事、自分の担当が遅刻したら話にならないと分かっていても、行動が伴わない。
「決して彼に悪意なないんです、ただ衝動が2才児レベルなんです」なんて言って担任に理解を求めたりしたらもっと逆上されるんだろうな。やめておこう。
私から見れば本人はこれでも精一杯学校に適応しようとしていると思うのですけど、それを担任に伝えたりしたら「親子して自分にだけ甘い」って批判されるのがオチですね。。やめておこう。
卒業するまであの先生の教科の内申はたぶん「1」なんだろうな。
批判?攻撃?してきた人との和解とか、(再び)受け入れてもらえたとかの経験が私にはないけど、息子はどういう風に感じて生きていくのかな。。
エイトさん、
子供の人生は親の対応で大きく左右されるのは事実です。外野のせいだけにはできません。
止めておこうと考える人もいれば、理解を得られる説明をしようと考える人もいます。選ぶのは自分で、選んだ結果の責任は自分にあります。説明せずに丸投げして、さらに相手の出方を決め付けて説明責任を避けて、相手の批判だけしたら、自分に甘いと思われるでしょうね。
私は言い訳ばかり並べ立てないできちんと説明をしろと良く叱られます。言い訳しようと思うわけではなくて気がついたら口から出ているんですよね。人の言い訳には腹が立つくせに。やはり甘いですね。
私が「主婦スポーツサークル」でいじめをうけました。
ミスに対しての罵声は基本。
公式戦でが審判をやっているときにタイマーを遅らせるとか、私一人だけ、試合会場に時間どおり来て、残り全員で同じ時間に遅刻してきたり。
チーム戦術を事前に私にだけ伝えず、いきなりはじめて、「なんでちゃんとやれないんだ!」とコーチに怒らるはめにたんたり・・。
まあ、戦術の件は・・公式戦でがっちり仕返ししてやりましたが。
主婦のスポーツサークルは
「主婦」>>>「スポーツ」であって、
「スポーツ」<「主婦」ではないことに最後まで気付きませんでした。
彼女たちの攻撃のメインは決まって、プレイの質でしたから、必死になって、練習をし、上手になればうけいれてもらえると・・どこか思っていまいた。
でも違った。
実力をつければつけるほど、いじめはエスカレートです。
私は空気がまったく読めませんでした。
彼女たちの言葉だけをみた。
本当のヒエラルキーは「主婦」がキーワードだったんです。
貧乏が代名詞、都営住宅に住み、4人目中絶し、夫に浮気され、別居し、言語障害すらみせる私は・・・・主婦としては最下層民。
スポーツを楽しむ権利も、対等の口を利く権利ももってなかったのでしょう。
集団の目的を誤認し、ヒエラルキーに気づかず(無視)、掟に気づかなかった(無視)。だからスケープゴートにされ、制裁された。
それが私が攻撃された理由・・・・かもしれません・・・。
ゴマさん、
私の正味7行程の文章に対して、いちいち意見?みたいなことはやめてください。
担任の「怒り」を感じたのはここ数日のことですが、数年間この場で勉強した結果、教師に対して私の不甲斐なさを棚に上げて「逆切れ」(もっと発達障害を理解しろという意味で)しなくなっただけでも、恥ずかしいけど私的にはかなりの進歩なんですから。
ここで書いたことが決定事項なのかどうか、決め付けられるのも迷惑。
私なりに試行錯誤はしているのですから。
いちいち意見されては安心して書けません。
質問やこういう書き方は止めて欲しいなどのお願いなら受入れますけど。
自分の考えや意見が相手の「考えること」を邪魔することもあると思うと、気安く人のコメントに意見するのは避けるべきと私は思います。
毎回毎回、誤字脱字して・・鬱だ~。
まあいいや。
リアル世間だけじゃなく、この場所でさえ「嫌われて当然」言われる・・・・。
この現実。
・・それでもどこかあきらめないで生きている私はすごいって・・思ってたりする。
いじめの話が出ていて思ったのですが、いじめるのが多数派だけとは限らないし、いじめられるのが少数派だけとは限らくて、、、ちひろさんやnoriさんをいじめた人たちの中には、私のような勘違い発達障害もいたかもしれないと。。。
私は小~中学生時代「ものすごく他人に厳しい」く、傍から見たら「気に入らない奴をいじめるジャイアン」だったと思います。ちょっとひねくれた多数派も、訳の分からないASタイプも、KYなことばかり言うヤツも、ウジウジ泣き虫なデブも、騒がしすぎる多動も、人の迷惑に無頓着な自己中タイプも、チームの足を引っ張る鈍くさいヤツも、貧乏で汚いヤツも、みんな一様に攻撃してきました。。。
自分は追い詰められたときだけ便利に「発達障害だから」と逃げるのに、他人には100%の努力を期待して。一人一人能力の差があるという当たり前なことさえ発達障害だけが言っていい特権みたいに勘違いして。本当に嫌な人間でした。
私自身、発達障害という診断が出ている仲間には理解を示せても、それ以外の人には「発達障害じゃないならちゃんとやれ」みたいな、そういう発想が頭のどこかにあったと思います。
世の中を発達障害と否発達障害に分けてしか見れない浅墓さのせいで失敗を繰り返してきたため、その壁を取っ払うしかありませんでした。「発達障害にしがみつく」のを止めるためには「他人を多数派でまとめる」ことも止めねばならず、
マニュアルがなくなり、逃げ道がなくなり、決め付けもできなくなり、茂みから噛み付くことは減りました。最近になって長らく意味不明と感じていた「○○な人だと思ったけど××だったんだ」と言って仲良くできる多数派の言動が、理解できる気がしています。
自分もジャイアンなので、
多数派が発達障害を攻撃する理由というタイトルが
「多数派が自分を攻撃する理由」
に置き換えられてします。
ジャイアンは自己中心的なので、このタイトルに過剰に自己防衛→自己突込み→また自己防衛します。
普段も別に自分のことを言われたわけではないのに、まるで自分のことを言われたように感じてしまいます。多数派は「別にあんたのことを言っているわけでないし、あなたを責めているわけではない。」と、こころのなかで思っているでしょう。
たとえば「世界の貧困について自分の問題として考えよう。」といわれると、本当に自分のことのように考える。何もしていない自分に激しい自己突込みが入る・・・。多数派的には自分の問題のように考えるという一つの比喩だとわかっているのでしょう・・。
激しい自己突っ込みそのものが、なんでも自己中心に考えるジャイアンの障害なのだと考え
「そもそもこれは私が自分自身に自己突込みすべきことなのか?」と冷静になるように努めています。
私も自分の問題に戻ります。
考えた結果、今は担任に感謝するだけにします。
息子のやったことを思えば担任が怒りオーラを出すに留まってくれてたのは有難いことだと思うから。
もしあの担任じゃなかったら、担任の独断で配置換えをされたり、しつこくダメ出しをされたり、何発かぶん殴られたりしたに違いない・・
そういう対応をされたら不適応に拍車がかかる。
だからあえて何も指導しなかったのかもしれない。
(・・あるいは本当の意味で見捨てられたとか?)
そして息子がいなかったらもっといい成績がとれて担任の評価が上がったかもと思うと、担任に対して素直に「悪かったな」と思う。
発達障害への理解を求めるということは単なる私の勝手な「お願い」であって学校には受け入れられない。
不適応丸出しの息子を「理解して受け入れて欲しい」私と、協調性、自立、努力を何よりも重んじる学校とでは
立場が180度違うから。
「嫌われてもしょうがない」
と、この場でわざわざ強調する”意味”って何かあるのか?
それの逆バージョン。
「受け入れてください」と要求することの図々しさ?
実行に移したとしても、意見がいき違ったらキレる自身はあっても関係修復する自身はないから。
学校の先生、ざっと軽度発達障害を理解するのは必須だと思います、、、。実際、厳密に見れば一クラス2,3人は軽度発達障害的な子がいますものね、、、。
第一、先生のほうこそ「どうなのよ?」という人もいますし。
私は長年のび太だったと思うのですが、最近空気を読む、というのが楽しくてかなり定型に近くなってきているのではないか?と思います。もうかなりの所まで化けられます。
軽度発達障害を抱える人は、障害そのものも大変ながら、二次障害がすごいですよね、、、。私もACだわ、自己愛だわ、軽度発達だわ、欝だわ、、。まるでアレルギーマーチのような中で「なんで?なんで?」と生きてきました。
意味もわからず責められ人生、、、。
これでは脳内ホルモンも「よりいっそう」崩れて当然、、。
親にその傾向があり、「駄目だ駄目だ」と責められ続け、おびえ続け、世間ともうまくいかず常に死にたい感じだったのですが、この数年で軽度発達に関する知識を得、また、交流分析などの「ちゃんとした認知」をインストールし、生まれなおした気分です。
自分の軽度発達障害が分かった原因が、夫のモラハラ、姑の狂いっぷり、息子の激しい多動など、激しいストレスにさらされ続けた結果、調べに調べて、、、。というのだから人生とはふしぎなモノです、、。
I have a tendency of ADHD and am living oversea. 空気を読むという日本語の意味が分からない。。でも、裏を返せば海外の色々な文化をbackgroundにもつ人たちのことを、普通の日本人よりは抵抗なく受け入れられる気がする。。そして、私生活ではしがらみを必要以上に気にしない分好きな分野の勉強に集中出来る。。
欧米の学校は、日本の教育機関よりこういった障害系の理解が深いので
自分の子供は海外の学校に進ませたいと切に思う。。日本の普通の教育関係
者にこういった知識のある人がいるのか謎。。