AC、人格障害関連

HPの更新(2010.7.19)

 随分長く放置していた管理人のHP「自分を変えたい人のためのページ」を久しぶりに更新した。

 主な内容は「自己愛性人格障害」を削ってここに記した「ジャイアンの本質」に置き換えたこと、また図もやっと完成したので、下記に載せた。
 http://www.geocities.jp/yanbaru5555/jaianprosess.mht

 以前に載せていた「自己愛性人格障害」は、実はジャイアンと愛着の対象に依存したときの受動型ASについて書いていた。診断基準上は当てはまりはするが、今は私はジャイアンならジャイアン、受動型ASなら受動型ASときちんと発達障害として診断するのがベストだと考えている。

 他は本の紹介を少し追加した。一つは以前に勤務していた東京新聞から出た共著の子供の本を紹介する本で、私の他は有名人ばかりだ。

 もう一つはテンプル グランディン氏の「自閉症感覚」で、発達障害の当事者に「厳しくするべきところもある」ということをはっきり言った意味で他の著作に無い重要な意味がある。

 私自身もそうだが、障害者に厳しくするという立論は当事者にしか出来ない面がある。

 私自身もジャイアンの一当事者として、「ジャイアンには自己責任の厳しい対応しかない」ということを主張していくことを肝に銘じよう。
 


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コメント

    • あまがえる
    • 2010年 7月 19日

    > 障害者に厳しくするという立論は当事者にしか出来ない面がある。
    自己責任をしっかり追求して真正面から向き合うことは大切だと思います。ジャイアンでなくてもそうすることで、自分自身を良い方向へ向ける事ができるようになってきたと経験上思います。

    • のりまき
    • 2010年 7月 23日

    (締め切りなどが近くなり)自分にすごく厳しくなるときがたまに、それ以外は際限なく自分に甘いです。最近は、ほんの少しの厳しさを常に課すようにしていますが、それがもっとも難しいです。他の人ならば簡単なことなのですが。。。
    部屋をきれいに保つことが、目下のところのトレーニングです。部屋が汚いと、際限なく自分に甘くなりますからね。。。服をたたむ、しまう、シーツをこまめに変える、どれもこの年になって自分に厳しくならないとできないことだなんて、人に言えません。。。でも、本当は持続的なストレスです。
    しかし、発達障害者の中には、とんでもなくきちんとした人もいますね。ちょっと異常なくらいに。

    • どらねこ
    • 2010年 7月 26日

    こんにちは。
    ホームページを拝見させて頂きました。
    はじめてコメントを投稿させて頂いています。
    よろしくお願いいたします。
     
    私はジャイアンのACです。
    ACを取り ただのジャイアンになる事がとても怖いです。
    ただのジャイアンになって それから先はどうしたらいいのでしょうか。
    人から好かれるようになる事を諦めなければならないのでしょうか。
    子供を育てるにはそれが一番だというのならば諦めることもできるかも知れませんが。。
    どうかよろしくお願いいたします。

    • うにゃ
    • 2010年 8月 02日

    こんにちは。
    はじめて投稿させていただきます。投稿に慣れてないので、読みにくかったらゴメンナサイ。
    1年前に抑うつ状態になって休職して、それと同時にこのHPを読み始めました。
    休職することになったきっかけは上司のパワハラだったのですが、メンタルクリニックに通ううちに、自分がACだと気づかされました。しかも、怒りを無意識のうちに抑制していたために、怒りをまったく表していなかったことにも気づきました。
    このことに気づくまでの過程で苦しんだとき、こちらのHPが大変参考になり助かりました。本当に有り難うございます。
    私がACとなった背景は・・・
    母親はボーダー(ジャイアンではなさそう)。
    母親にとっては初婚だが、父親は先妻を亡くして二人の子供を抱えて再婚。
    その両親の元に私は生まれた。(つまり、三人兄弟の末っ子だが、上の二人とは母親が違う)
    母親は自身の問題(夫や義理の子供との確執、先妻への嫉妬)への直面化から逃げて、自分の不幸を全部私のせいにした。
    その問題の解決(離婚、自活)も、私に背負わせた。
    母親は他罰性が強く、不満を爆発させては私に「死ね」などの激しい暴言と暴行を繰り返した。
    また、私に対して見捨てられ不安を感じ、不安を打ち消すために私に依存し、激しく振り回したり束縛したがり、それに対する全面的な服従を求めた。
    父親や兄姉は私をがばわなかった。幼い私にとって安息の場はなかった。
    自分が親になる前に気づけたことは、幸いです。
    でも、いま子供時代を振り返るとき、まるで底の見えない穴を覗いたように恐ろしくなます。
    それが自分の一部であることに開き直れる日もありますが、どうしようもないほど悲しく逃げ出したい日もあります。
    私が結婚すると同時に両親は離婚し、母親は嫁ぎ先について来ました。
    こうして投稿している今も、母親は同じ屋根の下にいますが、「おかあさん」と呼べず、「あなた」と呼んでいます。
    与えてもらえなかった「子供時代」を自分で補うには、どれくらいの時間が必要でしょうか。
    散らかった文章お許しください。読んでくださって、有り難うございました。

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