ADHD関連

理解不可能なことの理解

 最近ADHDとASの相互理解の本質的な問題が議論されていると思うので、ここは突っ込んでおこう。

 ADHDは空気が読めない(状況理解が出来ない)が、「自分が空気が読めない」ことは理解しており、その結果「多数派には分かっているのに自分だけは分からない非常に重要なことが相当多くある」ことを感じながら成長する。

 その結果、多数派と違うことがあると、当然その(空気が読めないという)自分の欠点が原因でその食い違いが生じると考える。こうして自己評価が下がる。

 「ADHDの自己突っ込み」はそういう認識から生じており、「自分には分からないけれど多数派から突っ込まれるのではないか」とありとあらゆる突っ込み、批判の可能性を想像しまくって「この点が自分の欠陥であるのではないか」と自分自身の問題点を考える。

 本当の意味では多数派の「空気は読めていない」のだが、「多数派と同じ意味で空気を読まなければならないと必死で努力を続け、見当はずれでも近付こうと努力を続ける」というのがADHDのACの姿だ。

 そういう意味では、ASの人は(あくまで表面的な行動から推定するだけであるが)「そもそも自分に理解できない、想像も出来ないことが存在すること自体を感じていない」という風に見える。

 自分に見えること、自分の意味づけだけで世界は完結しており、その意味では自分に理解できないことは存在しない。

 しかしその態度の直接の帰結は、「価値観や世界の受け止め方が根本的に違う相手を想像してみよう、歩み寄ってみよう」という努力をしない。出来ないということになる。

 ADHDは「自分が理解できることは少ない」ことが分かっているので、そういう独善的な立場に居ることを感じるとカチンと来る。「あなたも同じように空気が読めないはずなのになぜ自分に問題があると考えることが無いの?」という根本的な疑問が、ADHDからASを見るときには24時間すべての瞬間に生じるていると私は思う。

 もっとも逆にジャイアンの依存対象として、「そのASの確信に私もぶら下がりたい」というパターンもあるのだが。

 私は「対話」は、「自分のもともとの考え方を一部壊して変化させる」、「相手を理解しようと努力することで自分の理解の範囲を広げる」ことだと考える。自分の考え方が変わらないということは、自分は不安にはならないだろうが、相手には一歩も近付いていないことを意味する。その不安を覚悟するかどうかの問題だろう。


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コメント

    • mario (AS)
    • 2008年 2月 04日

    今回の内容、全て「はい、その通りです」とお答えする事になってしまいました。
    もちろん機械や石では無いので、自分の考えを変えることは出来ますが、ADHDには想像も出来ない位の努力や外力を要します。それだけの変化をASに与えるのはADHDには難しいのでは無いかと想像します。一方、AS同士だと、合意に至るまでとことんやってしまうので、お互いに非常に辛いことになったりします。
    「なぜ自分に問題があると考えることが無いの?」
    実は以前、元妻にも同じ事を言われました…

    • エイト
    • 2008年 2月 04日

    marioさんへ
    ADHD から見たAS のところで私へのお返事ありがとうございました。
    marioさんの 「こうあるべき」は当然のように自分だけじゃなく周囲にも適用されます はなんとなくADHDが良かれと思って意見する感覚に似ていて分かりやすかったです。
    marioさんの ちゃんと分かり合って相手と同一の認識を持ちたい 気持ちもすごくよく分かります。ADHDより深く考えているのですね。
    今までいろいろmarioさんが奥様への気持ちを書いたものを読んだのですが今回初めて私の中ですんなりと理解できました。私は昔から相手に詳しく説明してもらっているのに自分から質問してその答えから自分のものとして理解する、 みたいなおかしなところがあるのです。こういうところは多数派からみたら「こんなに説明してもらっているのになぜ分からないの?そんなこと聞いたら失礼でしょ。」みたいに突っ込まれそうだと思うしそれが正に今回YANBARU先生が指摘していることです。でもmarioさんに思い切って質問して良かったです。
    そしてmarioさんも奥様を通してADHDを理解しようと努力していると感じました。
    ちなみに主人に「私はいつも自分を反省しているようにみ見える?」と聞いたら 「全然見えない」と即答されました。

    • munie
    • 2008年 2月 04日

    YANBARU先生
    ご説明をありがとうございます。
    やわらかい表現でありながら、とても分かりやすかったです。
    >自分に見えること、自分の意味づけだけで世界は完結しており、その意味では自分に理解できないことは存在しない。
    「完結」と「存在しない」・・・それは自己完結であり、他者の意見は存在しない場合もあると想像します。参考になりました。
    marioさんからのご意見を受けまして、個人的にそれを言われてしまうとそれ以上は何も言えないのかなと感じると同時に、ふと「0か100か」を思い出しました。
    ありがとうございました。

    • 匿名
    • 2008年 2月 04日

    はじめまして。
    人のふり見てなんとやらですが、
    どうも家族がASだったのですが、
    なんか嫌われました。
    自分もそうなんだろうか?という不安は
    幼少のころよりで高校をあがった時点では、
    ある友の存在でさらに自分を嫌悪しました。
    同人種はあるときにはたと気づくものでして・・・。
    「いいところ、一つもないね」とか
    「おごってくれるときだけ、いい人に思う」だとか
    もう、逆らえませんでした。これを自分だと思えと
    頑張ってノイローゼにもなったけど、
    自分のことだとは、本人知らないみたい。
    ひしひしと感じておりますが、自分でどうにもならない
    こともございまして・・・

    • Whisky
    • 2008年 2月 05日

    こんばんは。
    さあ、積極奇異型代表としては、その、理解できない事は存在しないと考えているという事を表明しないといけないようです。
     ASにとっての考えはそれでの人生で知りえた知識を縦横に組み合わせて構成されています。例えると、無数の縦糸と横糸で布ができあがっているようなものです。だから、考えを変えるということは、それをもう一度はずして織りなおすようなもので、非常に大変だし、時間がかかります。
     ASどうしで話をして考え方を変える場合でも、下手をすると体力がついていかないぐらい話し合いをしないといけないぐらいです。
     ADHDの方相手ではまず、時間的について来れないと思います。ADHDサイドから見るとそれは拒絶しているように見えるでしょうね。それと、ADHDの方が意見を言うときは、エイトさんが言っていましたが、良かれと思って言っているわけで、相手に飲み込んでももらうことが良いと思っているようですから、すぐに飲み込まない態度は拒絶しているように見えるでしょうね。
     そもそもASにとっての考えというものはどちらかが折れて受け入れるものではありません。客観的に見て正しいかどうかです。だから、意見をやり取りして論破されれれば、その考えを受け入れます。正しいと認めれば受け入れるし、正しいと認めなければ受け入れる必要のないものです。
     それが自分に都合が良い考えだとか、受け入れた方が都合が良いなどとは露ほども思いません。
     それに、そういう態度を取ることは、相手に失礼だと考えます。相手が真剣に自分の考えを伝えようとしているのに、その考えが正しいかどうかも咀嚼もせずに飲み込むのは、結局、何も、相手の事を知らないのと同じです。
     それと、多数派、多数派ってなんで、そんなに多数派を意識するのか、そのことが純粋なAS的にはわかりません。多数派を意識するのがACの様な気がするんですが。
     別に多数派に同調しなくても、そこそこ、生きていけるんです。
     はあ、これで、ASが考えていることが伝わればいいんですけど。

    • まぁ
    • 2008年 2月 05日

    相手に寄り添えるほど上手に生きれる脳ならば、そうありたいがASはこだわり、自分の世界観、安心できる環境あってのこと。わがままと言われ様が、どうしようもない。
    ADHDは割りとずる賢く、他人を利用することも出来る人が多い、ドライで利己主義にも見える。
    ASは、どちらかというと騙すことに興味はなく、情に重視を置く。愛着とか。
    他人ありきの世界でもまず自分ありき、そして自分の安心安全、愛着ありきの中(土壌)でさてどうするの世界。
    こちらが変わる努力などしても今まで何のこっちゃいいことがない、他人が変わるか自分が離れるかしかない。

    • Whisky
    • 2008年 2月 05日

    信じ難いことが起きていますね。
    このサイトでも自作自演っぽいことが起こるとは。
    まぁさんがAS?
    有り得ないと自分は思います。
    お気持ちはわかりますが。
    はあ、あるていど行くと裸の王様になるのは、まぁさんのような方が現れるからですか。
    純粋なASなら自分の保身など全く考えないんですよ。そこはADHDサイドのACにはわかり得ないところだと自分は思いますが。

    • mario (AS)
    • 2008年 2月 05日

    ふと引っかかった事がとても重要な気がするのでお尋ねします。
    >「対話」は、「自分のもともとの考え方を一部壊して変化させる」、「相手を理解しようと努力することで自分の理解の範囲を広げる」ことだと考える。
    私には、元妻(ジャイアン疑い)のやってた対話とは、(1)自分の意見を押し通す。(2)私の意見に(表面的に)従う の2種類で本人の理解の範囲が広がったようには思えません。単に私の言い分を受け入れていただけ。前に出ていたゼロか100の話にもつながりますが、これはジャイアンだからでしょうか?
    AS的には対話のやり取りを続けることで、お互いの納得する80と、それぞれ我慢する20を作りたいと思っています。自分と相手が違う20の部分は、とことん話し合うことでしか見つけることが出来ませんから。その意味では、自分と違う相手という存在も理解できます。
    世界観が違うことは理解しました。ADHDとは、内容にもよりますが80点の合意も難しい事も理解する事にします。では、相手は自分とは違うからと単に我慢するのでしょうか?
    理解不可能な事を理解した上で何が出来ますか?表面的に上手くやること以外に、方法が見つかりません。そして、今は表面的に上手くやるように努力をしていますが、相手とのコミュニケーションを諦めた結果であって、実はそれは求めるものではありません。
    ADHDの考える対話とは何ですか?

    • ういすき
    • 2008年 2月 05日

    何度も投稿してもなぜか反映されないので少し変えて投稿してみます。
    世の中のすべての人と理解しあえるわけではないと自分は思います。

    • ういすき
    • 2008年 2月 05日

    再度、なぜか、全く投稿できません。なぜ?

    • Whisky
    • 2008年 2月 05日

    何度も投稿するのですが、全く、反映されません。なぜなんでしょう?
    自分は世の中の全ての人と理解し合えるとは思っていません。

    • Whisky
    • 2008年 2月 05日

    何度も投稿するのですが、全く、反映されません。なぜなんでしょう?
    自分は世の中の全ての人と理解し合えるとは思っていません。

    • けろけろ
    • 2008年 2月 05日

    私ADHD、旦那受動型ASの組み合わせです。
    以前、旦那親族の問題で話し合った時、相互理解にえらく骨を折った事があります。
    問題解決の為、自己突っ込み(私の解釈は間違ってないか?自分が偉そうに言えた事か?等)を入れながらなんとか理解しようと悶え苦しむ私と、
    愛着の対象の私が苦しむから状況を解決しようと考える旦那。
    私はこの状況を解決したい。それが出来なければ理解して納得したかった。その為に旦那の考えを知りたかった。しかし、愛着の母親と、愛着の妻の二者の間では、客観的判断が出来ず、どちらを取るかという問題になってしまって(結局は私を優先する事に。)、私の求める相互理解の為の話し合いになりませんでした。
    私は彼の考えを聞いて自分の考えを修正できる所は修正しようと、もし考え方に納得できなくてお互い違う方に向かっても仕方が無い。と思っていました。しかし彼は愛着ありきなんですね。その世界が壊される事を何より怖がっている。
    この出来事で旦那がASであることが判ったので、
    ここでいろいろ考えさせてもらってます。

    • 之改め貴水(takami)
    • 2008年 2月 05日

    こんにちわ。
    先日こちらのブログでお世話になりました之こと貴水です。
    一部の方に言われて気付きましたが、読み方が分かり難い不親切とも言えるハンネを変えました。
    私自身は余り自分の事は気にかけないでいますが、まぁさんの仰る「ずる賢く人を利用する事も出来る」様に感じる方々は私の周囲にも時々おられます。
    そうした方々から利用されるかの様に依存され、結果として親しくしている人と争い合い傷付け合う位なら、自分が相手から離れた方が相手を傷付ける事も少なく、自分も傷付けられて疲れ果て具合を悪くする事も少なく済みますね。
    私はそうした失敗を数知れず繰り返しました。
    そうした方々は目の前の相手に対して、相手がありのままに在る事が赦せず、相手が自分の都合の良い様に望む様に変わってくれる事を望み、相手が変化する事を手を変え品を変えして際限無く要求出来る強欲な部分も持っておられる方も、結果として人に対して攻撃的になる方もおられますし。
    人を利用する事を止める気が無く、人を利用している自覚も無い方なら尚更、自分が離れる事が相手の為にも自分の為にもなるかと思いますし、誰かを攻撃し続ける位なら趣味に打ち込む方が害が少ないと思います。
    「お互い様」の無い関係なら、辛いだけになりがちですね。

    • パパイヤ
    • 2008年 2月 05日

    marioさんの書いてる
    >理解不可能な事を理解した上で何が出来ますか?
    という問いへの答えはYANBARU先生にしか分からないかも知れませんが(少なくとも私には分かりません)
    >元妻(ジャイアン疑い)のやってた対話とは~これはジャイアンだからでしょうか?
    は、「相手がASだから」と個人的には思えます。
    marioさんが奥様に対して感じている感情は、私(自称ジャイアン)が元夫(多分AS)に対して感じていたものと同じに思えます。(0か100かという部分)多分、むこうも私にそう思ってたと思います。
    うちはお互いに、「相手が絶対に折れないので話し合いが成立しない」と思ってた感じです。

    • 匿名
    • 2008年 2月 06日

    理解不可能なことを理解して出来ることは、「ADHDと同じ出発点に立てる」ということです。
    不可能なことを承知の上で「努力」することが出来ます。
    その努力は結果の保証を求めませんので、「要求」とはなりません。
    ASの人は結局結果の保証を求めると思いますが、先立って結果の保障を求めるのでは表面上は対話といっても「要求」以外の何ものでもありません。
    「結果はどうなるか分からないけれど、ベストを尽くし、相手を理解するために努力する。その結果少しでも理解し合えることがあればそれは喜ぶべき」というのがADHDの想定する「対話」です。
    「相手がASの理解可能なものであらなければならない」という強制を断念して下さい。そこまで行かないと対話の出発点にも立てないことになります。
    最近あまりにも独断的で理解への努力が決定的に不足している(ここでの約束の他のレスへのレスをつけまくるのも迷惑ですが)と考えた人のコメントを掲載しないことにしました。
    あなたは説明して理解し合える相手であると私は考えています。今後ともお互い努力を続けましょう。

    • エイト
    • 2008年 2月 06日

    無理をして、あてはめるつもりはないのですが次男がどのタイプなのかわかりません。発達障害専門の医師にはADDと診断され、教育カウンセラーの先生にはASではないか、と言われます。専門家によっても食い違うのですから、典型的なタイプ以外は分類は難しいのですね。
    私はジャイアンの見分け方で9割あてはまり、ジャイアン記事についてほぼ理解、共感できます。自己突っ込みよりも「低い自己評価を目標にする」ことでかなり調子がよいのでやはりジャイアン(ACを含む)であり、このブログにとても助けられています。これからも家族のことも含めてゆっくり勉強していこうと思います。 
    先日、法事があったのですがその朝次男に「お寺に行くから学校が終わったら飛んで帰って来て!」と言ったら 次男が真顔で「僕、飛べない、どうやって飛ぶの?・・」と言いました。次男が3,4才のころ法事で(お経を読む住職さんの後姿を見て)「(住職さんの)耳が大きい!」と叫んでしまい、怒った親族もいましたが笑いをこらえるのに必死な親族もいました。周囲の人には理解不能、意味不明なやつですがかわいいです。

    • エム
    • 2008年 2月 06日

    夫の事はもう諦めていますが、息子〈共に受動型AS)の事は将来も含めて心配でたまりません。
    今、中学生で、受動型ASの特徴にしっかり当てはまっていますが、大人しいので学校生活には適応しています。家庭では今のところ息子の愛着は私のようなので、衝突しつつもなんとかやっていますが、とにかく全て受身なので、親の姿勢〈対応)の重要性(責任)をひしひしと感じます。
    それなのに、私はADHDのADなので、自己評価が低くあらゆる事に自信がないため何か指示するたびに苦しく、先生の記事で私が息子を振り回している事もわかりました。だからと言って放っておけるものでもありません。生きた見本の夫(受動型AS)が側にいますが、社会適応できていても自分を語れないし、なんの策も練らない人なので頼りになりません。
    受動型ASの子供はどうなるのでしょう?私もいろいろ勉強させていただきますので、これからも宜しくお願いします。

    • mario (AS)
    • 2008年 2月 07日

    パパイヤさん
    >「相手がASだから」と個人的には思えます。
    ありがとうございます。そうでしたね、ADHDはASの支配下に入るとそうなりそうです。
    ところで(主に興味で)お聞きしますが、多数派とは上手く対話できますか?パートナー以外のASとはどうですか?
    私はパートナー以外となら(深いところに突っ込まない為に)上手く対話できてそうです。仕事上のパートナーであるADHD系と思しき上司とも、意見が合わない時の対話が難しいかったです。今では気を付けてますが…

    • mario (AS)
    • 2008年 2月 07日

    YANBARU先生
    詳細なコメント、ありがとうございました。
    正直な話「要求」の意味が判りきれていません。過去ログを読み返して、再度色々と考えているところです。
    ただ『「相手がASの理解可能なものであらなければならない」という強制を断念して下さい。』と言うくだりは受け取りました。
    ASは世界の全てを理解したいのですね。言い方を替えると自分に取り込んで安心したい。多数派には裏を(得体の知れないものを)感じるので安心できない。ADHDには裏が無いので安心する。でもそれは、ADHD自身にも見えている表層意識だけであって、深層意識はやっぱり見えない。なのに対話では意見や感情が深層意識からも出てくる。その根拠の説明をASから求められても答えられないので、ADHDは苦しい思いをする。本人にも分からないんですから。
    私は(ASは)自分自身を自分自身で説明できる状態に置いています。ただ深層意識から来るものは、自分で納得できる形に(無理に)説明付けしているだけであって、それが真実とは限らないかも知れません。感情も、表層意識で説明できなければ、押し殺します(上手く押さえ込めない場合には転嫁したりしてしまいそう)。元妻は、私が深層意識に押し殺そうとしているものを、捕まえて攻撃する事があって、それは非常に辛い思いをしました。「俺のイドを勝手に取り出すな!」と言っていました。ADHDに根拠の説明を求めることは、これに近いのかも知れませんね。

    • ゆうちゃん
    • 2008年 2月 07日

    根本的なことを確認したいのですが、「空気を読む」についてデータ収集して統計から分析したという裏付けがあるのでしょうか。
    どうも私には理論で「決め付け」をしていると思えてしまう。
    持論を提示するとしても根拠が非常に乏しい。
    どこか相手に暈して相手に当てはめさせるスピリチュアルに似ている。
    これでは説得力に欠ける。学会で発表してもデータが無いなら誰も納得しない。

    • エイト
    • 2008年 2月 07日

    ジャイアンの私だから割り切って考えられるのだと思いますが、息子たちの将来を心配しないといえば嘘になりますが、今も大人になっても それぞれが自分に納得して生きられればそれでよし と思います。(暴力、犯罪行為を除いて)
    何の保障もない根拠ですが、私もかなり変わった子供でしたが私でさえ今まがりなりにも社会に適応できているので、息子たちもどうにか必死でもがきながらも社会の一員になれるだろうと思います。
    適当に世渡り上手で出世しても贈収賄やセクハラで人生を棒にふる腐った人も大勢いるわけですから。物心ついたときから自分の欠点に気付き悩み苦しんで、醜態さらけ出して生きてる人のほうがずっと偉いと思います。
    私は、根拠のはっきりした私の役に立たない論文 より
     実体験から生まれた私が実践して効果のある言葉 のほうが遥かにありがたいと考えます。

    • エイト
    • 2008年 2月 07日

    続きです。
    次男の問題行動について発達障害専門の医師は「親御さんが望めばリタリンを処方します」と言い
    教育カウンセラーの先生は「学校がもう少し理解してくれれば・・子供の良いところを伸ばしましょう」と言い
    校長は気分でころころ担任を替えるだけ、担任は五分五分の確率でハズレです。
    誰も頼らせてくれませんから。自分で自分を信じて試行錯誤するだけです。最も私はジャイアンですから、これが最善の方法です!!とバイブルをもらっても自分が納得しないということ聞きませんが。

    • あひる
    • 2008年 2月 07日

    自分が空気が読めないことに気が付いていて
    ASのことも理解出来ないってわかっています。
    (本当に謎だらけ...)
    先生のエントリーもそうですがASの方々のコメントに一々驚いています。
    私は
    どんなに頑丈に作っても崩れない足場はないと思います。
    完全なつもりでもそれは「つもり」であって絶対ではないですよね。
    (そういうところがADHD的なのか?)
    魅力的な足場があればピョン飛び移る時もあるけど
    いきなり崩れると怖いので石橋を叩いて渡るようなこともあって(怖いの大キライ)
    必ずしも自由気ままにってワケでもありません。
    損得でいうと人の作った頑丈な足場に乗せてもらう事もあります。
    (たとえばASがいうところの頑丈な足場 に依存)
    でもその足場が絶対崩れないとはやはり思えないのです。
    (これはACのせいだろうか?)
    ASの完璧さに憧れますがいろんなコトへのこだわり、括りを窮屈に感じるとダメですね。
    また自分が不器用で何も出来ないことがわかっている分
    ASが「自分が絶対、自分が正しい」と言う風に押さえつけてくると
    元気で好奇心旺盛な自分自身が死んでしまいそうになります。
    ADHDの自己突っ込みって
    例えばAS流の
    「自分はキチンしている、ちゃんと生きているつもり」の
    「つもり」の部分を何回も連呼してみる
    「つもり」はつもりであって完璧ではないって自分に強く植えつけてみる...
    う~ん
    大きな紙に「自分はキチンとしている」を小さく書いて
    「つもりなだけである」を大きく赤い字で書いて
    貼り付けてその前に何日も座ってみるとか。
    こういう風にすると1ミリくらいは体現できるかも...
    違うかな~
    私は突拍子もないことを考えないナシに言ってしまうので変な人扱いされるから自信ない...

    • たかこ
    • 2008年 2月 07日

     夫婦やそのほかのどんな人間関係でも、何年経っても何考えてるか分からないとか、なんでだかわかんないけどこういう人なのよね、とか、関係を続けていく上では断念というか、たくさんの妥協をしていかなければならなくて、いわゆるわからないけど、わかる、という程度の理解で(習得するのと理解するのは違う)よしとしていかなければならないことが一杯あると思います。
     脳のタイプがちがう家族やパートナーと人生を共にすることになった人は、その違いが大きいほど、両方からの努力がよりいっそう必要になると思います。
     ただ、耳や目が不自由な人、聞こえにくい人、見えにくい人、色の違いが分かりにくい人、の見え方聞こえ方というのは、比喩や表現である程度は感じ取れますが、本当にその世界を経験する事はできないように、(またその逆で、多数の方の世界は感じられない)多数派とは絶対に共有できないものがあることを前提にそうえでの努力になると思っています。
     うまく表現できませんが、普段は生活していく事にせいいいっぱいなので、いってしまえば、いちいちマニュアルで変換してまで思いやる余裕のなく感情的になる事もたくさんあるので、衝突や失敗は日々たくさんあります。そういう中で接触をさけたり、衝突や攻撃を避けたり適当にやり過ごしたり、お互いに立ち会い方も覚えてくように思います。
     そのなかでも意味不明の部分が多数は同士などにくらべるとものすごく多いのでしょうから、勉強していく事も必要だし、意味不明な部分の自分なりの消化の仕方についても習熟していく必要があるように思います。つきつめて考えずに「そういうものなんだ」として過ごせる能力を持つ事は、あらゆる面で人間として成長するということでもあると思います。

    • たかこ
    • 2008年 2月 07日

     表情が読めないというのはASの方の基本だと思いますし、読めても特定の人の前では読むことをしないなというの経験から何となく分かるような気がします。言語以外からの情報の意味に対しての受け取り方の問題があって、それは多数派の脳と違う脳の経路で情報を処理しているということなのでしょうか、多数派からすれば絶対に経験を共有できない部分だと思います。その部分がどこなのかを知る努力を続けるということが信頼関係の大元ではないかと思います。だからどうしていくかは自分で考えてやっていくことで、まずは違いの部分を知ろうとすることが大事なのではないでしょうか。
     科学的にその脳の経路などについても少しでも説明いただければ、実際にASやADHDの人々と接していてわかる経験的なもの、こちらのブログの情報、と合わさってもっと理解が深まるように思います。
     ASの方は自己評価が下がって自己愛的になるのではなく、もともと自己愛的な脳の作りだというのは、驚いたし、今までの自分の言動に関して安心感を持つ事ができました。
     自己愛的になる脳の仕組みについても、自我の発達などの面から説明いただけると非常に助かります。 
     自分のこども(定型)が3、4才の自我が確立するかしないかの時期に、なにかあると私のせいにしたり(本人は混乱してなんのせいかわからなくて間違ってお母さんのせいにしたといっていました)、質問に自分の思うように答えないとかんしゃくを起こす時期が少しありましたが、ASの主人の状態とよく似ていると感じた事があります。が。わたしの勝手な妄想でしょうか。 
     またたぶんとんちんかんなこともたくさん書いたと思いますが、一般市民の多数派の理解や知識はこの程度のものと思っていただければ結構だと思います。
     

    • エイト
    • 2008年 2月 07日

    あひるさんのコメントは楽しいです。
    「スネオ」のところ、法事の席で思い出してクスクス笑ってしまいました。
    表現が天性のもの、素晴しいものがありますね。
    私はとても明るい気持ちになれます。

    • 匿名
    • 2008年 2月 07日

    私、このところずっと考えてるんですけど、
    相手の声を抑揚無しのただの五十音の音の羅列に変換する
    機械ってないのでしょうか?その機械を通した形で
    いつも通り、お茶でも飲みながら一、二時間普通に
    会話してみる。
    そんなものがあればある程度体感できるのかな?なんて
    考えたんですけれど。
    アスペって結局は外部要因だと思うから、
    内部ではまともですし、ちゃんとしてるんです。
    もしかしたらこの機械は、すでに何処かの研究室にでも
    置いてあるのかもしれないですけど。

    • Whisky
    • 2008年 2月 07日

    ふう、つまらないな。
    こんなに楽しそうに話してるのに。
    交われないのは。

    • あひる
    • 2008年 2月 07日

    エイトさん、はじめまして
    そんな褒めないでください。木に登って降りて来れなくなります。
    といいつつ
    自分の投稿した文章がヘン(誤字もよくする)で軽く落ち込んでいたのでうれしかったです。
    スネオの話は以前にも書き込みました。
    「ノビタとジャイアン」のことで頭が一杯になった時に久しぶりにみたドラえもん。
    ジャイアンは思ったほどイヤなヤツじゃなくて、最悪なのはスネオでした。
    スネオはイカン...ダメです。

    • あひる
    • 2008年 2月 07日

    匿名さん、はじめまして
    >アスペって結局は外部要因だと思うから~
    違いますよ。
    ASもADHDも発達障害で生まれつきの脳の機能障害です。
    その中でもASの人はADHDとは違う自閉圏の人です。
    うちは息子が重度の自閉症なのでそういう考え方はすごく困ります。
    親の育て方で自閉症になるという偏見がまだまだありますからね。
    あなたが外部要因のせいでそうなら、ASっぽいというだけでASではないのでは?
    先生
    他のレスへレス付けまくるのはルール違反なのはわかりますが(ちょっとはいいですか?)
    「ASが外部要因のせい」というのは確実に間違っているので訂正させてください。
    お願いします。
    >手の声を抑揚無しのただの五十音の音の羅列に変換する
    機械ってないのでしょうか?その機械を通した形で
    いつも通り、お茶でも飲みながら一、二時間普通に
    会話してみる。
    というのはすごく興味深くておもしろいなと思いました。
    ADHDもASもこんなだったら体感できるかも...
    っていうのがあればもっと聞いてみたい。
    抑揚無しの機械はトーキングエイドなんかどうでしょう?
    うちの息子は個別訓練に使っていました。

    • 匿名
    • 2008年 2月 08日

    あひるさんすみません。
    表現が間違っていました。
    私はアスペルガーは普通の人と思ってます。
    その反応も不思議なものでもなんでもないと思っています。
    中身はいたって定型の人と同じというか、
    定型者がそのような環境下(肉体という名の心ではないものに
    入り込んでしまった場合)にも
    同じ反応になるのではないかと。
    独特の解釈についても、普通の中身の人間が
    その環境(肉体)に置かれたなら同じ事ではなかったのかと
    思うんです。
    こんなことはもっと偉い学者さんたちの間でもっと確かな答えが
    すでにあるのかもしれませんが、
    外因というのは、ちょっと間違っていました
    そういうことがいいたかったのです。
    ですから、抑揚無しの機械(電話機みたいなもので、
    それを通して話すと家族の言葉も誰の言葉も抑揚無しに
    聞こえてくるような)を通して
    定型者の方々が会話してみるとどうなるのか?どう感じるのか?と考えたんです。
    私の求める確実性みたいなものは、「見たこともない景色」を他の要素から想像する、または知るためにその情報をくれということです。
    知らない場所の暗闇の中では、手探りで壁を探しますよね。いきなり中央を歩いてすたすたと行かないと思います。
    安全を確かめてそろそろと歩き出すと思います。
    暗闇でも見える特殊眼鏡を装着している人から見たら、
    変な動きに見えるんじゃないでしょうか?
    それと私はASの診断が、二度ほどついているのです。
    以上、私が一人で勝手に考えたことですが、投稿してみました。
    表現の間違いなどちょっと自信ないです。すみません。

    • すばる
    • 2008年 2月 08日

    先生の過去の記事を再度読み直していました。読んでいるうちに”あの時、私がうまく話合いができなかった”のはこういう認識の違いからだったのかと、気が付いたのと同時に今回の記事の「あなたも同じように空気が読めないはずなのになぜ自分に問題があると考えることが無いの?」と同じ思いを自分も今まで思った経験があったのを思い出しました。
    また私が自己正当化ADHDと思っていた方はASでした。愛着の相手によって態度が激変で納得しました。
    AS傾向の方に、こちらがある事に対し理解して貰いたい事を伝えた時に、
    そのASの方の感覚や考え方が中心とした内容で無いと受け付けてくれないところがあり、話合うことが成立しにくくなったことがありました。
    どうしても再度説明する事になり、何度も話しているうちに「なんでそんな事を言うのだ」と今度はこちらが叱られてしまうような強い印象もあり、こちらが伝えたい内容では無い解釈で決め付けられた感じで「ああではない、こうではない」と言われてたかなぁ・・と。
    また、「許す・許さない」「受け入れる・受け入れない」など確かに「○か×」「0か100」に近くところを感じました。

    • すばる
    • 2008年 2月 08日

    続きです
    (私の表現の仕方が悪くASのことだけ悪く言ってると取られたらすみません)
    ADHDの場当たり的な行動で、自分も振り回された時があります。AS、ADHDどちらも負の要素はそれぞれ持ってると思っています
    私は話し合いがうまく行かない時に「折り合いをつけよう」と言うことがあります。この「折り合い」をお互いに何とかつけれた時に一応話合いが出来ています。自分の感覚や考えだけで言われ続けてしまうと、お互いに話し合うではなく、
    「個人の感覚や考えだけを話す人」「その話を聞き従う人」、つまり「話す側の人」「聞く側の人」だけの役割がそれぞれに付きそれで終わってしまいます。
    先生の過去の記事を再度読み直した中で、たかこさんのコメントを読むと安心してほっとします。>もともと自己愛的な脳の作りだ・・というコメント読んで、再度納得。もう一度先生の記事、色々と読み直さないと
    私の場合、親がADHD傾向だったので、気持ちをわかってもらえず、振り回される事が多く、私自身ACの部分も持ち合わせており、高校時代は不登校児、親が親でしたので、波乱万丈な不安定な家庭で育ちました。ASの人を悪く言うつもりはありません。私自身は親のADHDの負の部分で辛い思いや寂しい思いもしてきましたから。
    どの人もプラスの要素・マイナスの要素があると思っています

    • パパイヤ
    • 2008年 2月 09日

    marioさん
    多数派やASの人とお互い20譲歩して80と80の線で妥協できるか?ということでしょうか??
    多数派の人とはあまり困ったことにはならないです。むこうが気を使ってくれてるんでしょうけど。ちょっと説得したら20くらいは譲歩してくれるし、こちらもしてると思ってますが。。多分。。
    深読みはあえてしないことにしてるので、相手の好意的な態度はそのまま受け取って、こちらも好意的に接することにしてます。もし陰口を言われてる事実が判明したらその時点でなんとかすればいいや、そのときは受けて立つぜって思ってますが、そういうことには結局ならないですねー。
    AS的な人とは、ご近所付き合い的な当たり障りのない関係の人しかいないので、100対100で、お互いの利益が合致する部分でしか付き合ってない気がします。
    AS的な人は理路整然として公正で博愛的なので元々あんまり無茶なことや立ち入ったことは言ってこないのでガチンコ勝負的にはならないというのもあります。
    ただ、頑固で人の話を聞き入れないなーとは思いますが、損するのは向こうであってこっちじゃないので放っておこうと思って放置してます。(→これは、多数派やASの人から自分もそう思われてる気がします。)
    ジャイアンとは必ずけんかになります。このサイトで学んだので、今は極力関わらないようにして、困ったことにはなってません。物理的に関わっても、少なくとも感情的には関わらないことにしてスルーすることにしてます。
    そもそもお互い80に妥協しないといけない関係にはならずに0対0の関係でしょうか・・。
    ACや共依存的な人には、巻き込まれてめんどくさいことになるし、最近は、よく考えるとこの人たちのこと好きじゃないやって気付いたので極力関わらないようにしてます。これも0対0です。

    • パパイヤ
    • 2008年 2月 09日

    補足ですが、もちろん、
    多数派の人と話をして、
    数秒後、数時間後、数日後とかに
    「相手の質問の真意は実はこうだったんじゃないか」
    「相手の求めてた対応はこうじゃなくてこうだったんじゃないか」
    と、ふと気付いて、
    はあー、また見当はずれな対応をしちゃったなー、
    と思うことはしょっちゅうあります。
    次は、相手の真意をくみとって回答しよーっと。と思うんですが、
    その場になると、そんな余裕なくて、同じことの繰り返しになります。
    まあ、でも、以前はそんなことすら気付かなかったんだから
    進歩してるしいいんじゃない?と思うことにしてます。

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