ADHD関連

「石が悪い」という発想

 ジャイアン(自己正当化型ADHD)の不思議な(理解されにくい)発想に、「自分が躓いたのはこんなところに石があるからだ」というものがある。「誰が置いた!」と逆切れするのは珍しくない現象だ。

 私は最初はこれは「人のせいにしている」ということだと理解していた。しかし最近になって、実は「実際にそう見えている」という認知障害と考えるべきであると考えるようになった。

 つまり、「本当に表面的な現象しか見えない」「自分が能動的に歩いていたとか、発見できなかったということは全く思い浮かばない」ということだと今は考えている。

 「石があった」→「躓いた」ということだけが頭にあり、それ以上に想像は全く広がらないから、「石が悪い」ということになるわけだ。

 対人関係の場合には、「ただ相手が怒っている」ということだけが見えて、その原因にまでは全く想像が届かないので、とりあえず機嫌取りで相手をなだめるという発想しか浮かばないということだ。

 そういう意味では「状況理解が出来ない」ADHDの認知障害の最重症型であるという見方でうまく説明できそうだ。表面的な学歴偏重の発想などとも同じ脳の基本特徴で統一的に説明が可能になる。

 だから、周囲の人は、(もちろん本人も)「責任転嫁のためにごまかしている」という風に考えるのは止めよう。「それほど浅薄にしか現象を理解できない脳の障害なのだ」と考えたほうが理解やケアがしやすいと私は思う。

 生育の過程でで理論的に考えるスタイルをインストールできたらある程度トレーニングは可能であるが、トレーニングかそのモデルのインストールをしない限りもともとのジャイアンの脳にはそういう発想は無いと考えたほうが現実的だろう。 

 こう考えると、ADHDのギャンブル依存などのケースで、「今使うお金と月末に払う借金の支払いは別のこと」「月末になれば何とかなる」という究極の場当たり的な発想とも根っこは同じであることが見えてくる。

 ジャイアンの本質は重症の認知障害なのだ。


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コメント

    • ckw
    • 2007年 12月 25日

    何をしていても「石が悪い」の発想はついてきます。
    周囲にそれを言うと、関係がおかしくなるので、実際「石が悪いからこの失敗をした」と思っても「すべて自分が悪いです」と変換して発言します。
    表面上の問題はなし。適応にはいい方法。ただ、これをやるようになってから、裏の顔が強く出るようになってしまった。
    一人で飲食店に入った時などはすごいクレーマー。一定以上親しくなった人にも「それは君が悪い」等思ったことを言ってしまう。おかげで人間関係が1年以上続いた事は無い。
    ある程度人との距離を取り、自分を隠して生きていく。その中で、いつか自分の思い通りにやれる場所をつくることに尽力する(起業する、専門分野を極める等)。
    ジャイアンが幸せになる方法の一つを、いつかここで話せる日が来るようにと願っている。

    • 匿名
    • 2007年 12月 26日

    石が悪い で 思い出したエピソードがあります。
    我が家のジャイアン夫は時々気が向くと料理をします。
    ある日、何か作ろうと、彼が冷蔵庫をのぞくと豆腐が2丁。
    私が前日に買ってきた、木綿豆腐と絹豆腐を重ねて冷蔵庫にいれてあったのですが、ジャイアン夫は、勝手に絹豆腐2丁と思い込み料理をはじめ、豆腐を切るときになって、1個が木綿豆腐であることに気づきぶちきれ。
    なんで、絹と木綿を重ねておいてあるんやぁ
    おれをおとしいれようとしたんかぁ
    お前は、いつも俺を馬鹿にする!!!!!
    と どなり
    豆腐を流しに投げつけぐちゃぐちゃにし、そのあと数日間怒りまくっていた。
    なんで、種類の違う豆腐を重ねておいてあっただけで、そんなにどなられんきゃいかんのか、それも、私は自分で料理に使うつもりやったんに。と、思ったが、そういうことだったんですね。 納得。

    • たかこ
    • 2007年 12月 26日

    発達障害の成人の方で問題になるのは、依存、嗜癖、などがあるとおもいますが、場当たり的なもので衝動的なもの、根本のこだわりにかかわるもの、二次障害によるもの、よければわかりやすく説明していただきたいです。
     子どもがゲームにはまって、やめさせるにはものすごく苦労する、というような現象と、大人のギャンブル依存はどう違うのでしょうか。 
     それと、以前ある心療内科で、自閉圏のひとたちは、「きりかわらないのだ」という言い方をされましたが、それは、そのときすぐには、ということなのか、ずっとなのか、ほんとはわかっているのにそうなってしまうのか、あとできりかわるのか、永久にきりかわらないのか、そのわかってるわかっていないのかが私の頭の中でぐちゃぐちゃでわかりません。
     ごまかしや、責任転嫁、、自己正当化は、その場だけ?本当はわかっている?あとでわかる?
     表面的な認知ということをもう少し私などの理解の鈍い人間にもわかりやすく教えてください。

    • ふみえ
    • 2007年 12月 29日

    ああこれは…。
    私が幼稚園に入る前ぐらいのころだったかと思いますが、よく電柱に正面衝突しては「電信柱が寄ってくる!」と言い張っていたのを思い出しました。
    誰が電柱を置いた!ですらなく。
    電柱に意志があるもんか、責任転嫁しすぎ、と時に呆れ笑われ時に叱られされてましたが、当時本気で電柱が近づいてきているように主観的には感じられていたのを覚えています。
    おそらく、避けているつもりなのに突っ込んでしまうことが納得いかなかったか、避けようもないギリギリまで電柱の存在に気づかなかったかのどちらかで…。

    • ckw
    • 2007年 12月 30日

    この記事を読んで、自分を振り返ってみた。単純に、職場の机のいつもと少しだけずれた場所に、依頼書があっても気づかない時「こんな所に置くのが悪い」と思ったり。(これは視覚の狭さを表していると思う)
    また、アルコール依存になった時は「飲まなきゃやってられない世の中が悪い」と思っていた。摂食障害になった時も「親の育て方が悪い」「飽食の時代の副産物だ」などと責任転嫁していた。(これは根本的な自己中心性を表していると思う)
    肉体的、精神的にジャイアンは「人のせい、物のせい」にすることが多いと思います。またそれを「実は自分も悪いのかも」と考える事は、ジャイアンにとって、ものすごいストレスになることだとも実感しています。
    認知のゆがみというのは、簡単には直らないと思いますが、せめて「人のせい」にすることでのトラブルだけでも避けられれば、少し生きやすくなると思います。
    「すまないが、本当に視野が狭くて気付かない」「すまないが、私は視力が悪い」などと周囲にわかってもらう努力はしていますが、これでもまだストレスはたまります。改善の努力を続けます。

    • tukatantikatan
    • 2015年 2月 20日

    パートナーはこの石悪発想に自覚があり、いつも作り話をしているの、と自分で笑っていますが、私も面白い話芸を聞いているように笑ってきました。ゲラゲラ、わっはっはと。かわいそうと思うことは無かったです。
    しかし。LDについて調べているうちに、先生が書いているように、これもそのひとつの表れなのかと思うようになりました。
    字の形がわかりづらいのと同じで、自分が「したこと」の因果関係がわかりづらいというような。
    それだったら私も同じなのですが??何かが違う、のは非対称の部分の有無なんだろうか。
    私は私を笑うもう一人の自分がいて、その自分に支えられています。私は自己突っ込みは笑いながらが多いです。
    理解は全般遅いのに、笑う時はすごく早いんですよ、なんででしょうか。一瞬のまに笑ってしまいます。支えが欲しいからだろうか。刺激が欲しいから?これはちょっと考えてみたいと思います。脳が報酬に飢えているのだろうか。

    • 182
    • 2015年 2月 22日

    私は夫を受動型ASであろうと思っているのですが、「石が悪い」という発想だけを見ると私よりも重症なジャイアンに見えて不思議に思っていました。
    それがようやく「依存型ジャイアン被影響症候群の受動型AS」と考えれば良いのだと分かってきました。
    ジャイアンの場合「石が悪い」と思っても、同時にそういう自分に自己ツッコミが入るのに対し、受動型ASの「石が悪い」には自己ツッコミが入っている様子が見受けられないのが「重症」と感じる理由です。

    例えば昨日、床に溢れたオレンジジュースを私がベチャッと踏んだ時、私は反射的に「もう!誰よ!」と叫びました。
    と、同時に2歳の次男が飲みかけのオレンジジュースのコップを床に置いたのを見ていて「そんな所に置きっ放しにしたら確実に蹴っ飛ばして溢すだろうな。」と思ったにもかかわらず、それを放置した自分を思い出し、現実に蹴っ飛ばして溢した人を責める資格は無いなとも思うわけです。
    次男が床に置いた時点で「床にコップを置いてはいけない」と躾けなかった私が悪いだろうと。

    まるで作り話の様ですが蹴っ飛ばして溢したのはジャイアン長女でした。
    しかも「蹴っ飛ばしたのは自分だけど置きっ放しにしたのは次男君だ!(自分は悪くない!)」と。(←本当にマジで言ったんですよ。断じて作り話ではありません。)
    するとその様子を見ていた夫が「コラ!次男!ダメでしょ!」と叱るのです。(ちなみに夫はジャイアン長女に愛着を持っています。)
    この時の夫は「本当に床に置きっ放しにした次男だけが悪いのか?」という視点は全く無い様にしか見えないのです。
    弟が叱られる姿を見て、恐らく自己ツッコミが発生したと思われるジャイアン長女の方が「でも、仕方ないよね。次男君はまだ赤ちゃんなんだから。」と仲裁に入りました。
    それで夫が矛を収めるのがまた不思議なのです。
    「状況はどうであれ結果としての失敗の責任は追求しないのか?」と。

    嘘みたいな話ですが、たった今TVを見ながらブートキャンプをしていたジャイアン長女が長男の顔面に蹴りを入れました。
    開口一番「もう!そんな所にいるからよ!」と。。。(つД`)ノ
    ウンザリしながら私は「そこにいたのが悪かったとしても、蹴ったことは『ごめんなさい』でしょ。」と促すと一応渋々ごめんなさいを言うジャイアン長女なのでした。

      • r.
      • 2015年 2月 22日

      >この時の夫は「本当に床に置きっ放しにした次男だけが悪いのか?」という視点は全く無い様にしか見えないのです。
      弟が叱られる姿を見て、恐らく自己ツッコミが発生したと思われるジャイアン長女の方が「でも、仕方ないよね。次男君はまだ赤ちゃんなんだから。」と仲裁に入りました。
      それで夫が矛を収めるのがまた不思議なのです。
      「状況はどうであれ結果としての失敗の責任は追求しないのか?」と。

      具体的状況は違いますが、ASさんとのかかわりの中で同じように思う場面というのが、
      非常に多くあり、昨日も今日も、パートナー・知人等との間で続きました。

      相手はそういう脳のつくりなのだから

      と考える以外に、納得がいきません。

      しかしジャイアンの過剰な自己突込みというのも「不合理」な面を含みます。
      それに気付くには相応の時間が必要ですが、
      翌日でも翌週になってでも ともかく気付けるようになった
      「自身の成長」は認めたいと思います。
      誰も褒めてくれないしね。

      つくづく、忙しい脳だなぁ と思います。

    • 182
    • 2015年 2月 23日

    > ジャイアンの過剰な自己突込みというのも「不合理」な面を含みます。

    確かに。
    > 現実に蹴っ飛ばして溢した人を責める資格は無いなとも思うわけです。次男が床に置いた時点で「床にコップを置いてはいけない」と躾けなかった私が悪い
    からと言って、現実に不注意で溢して、しかもそれを放置した子に対して何も言わないのは親としての責任放棄ですよね。
    たとえ私自身に子供を叱る資格が無かったとしても「溢した事は溢した人の問題であること」「何か失敗をしたらすぐに報告しなければならないこと」は子供に教える必要がありますね。
    「自己ツッコミ」と「親としての責任」を天秤に掛けて自己ツッコミの方が勝ってしまうのは確かに不合理。その通りです。

    きっと外から見たら、「もう!誰よ!」と叫んだ後で言葉を飲み込んでしまう私よりも、「コラ!次男!ダメでしょ!」と叱って謝らせようとする夫の方が「普通」に近いんだろうな、と想像します。
    しかし何と言うか、いっつもそうですが、外から見るとほぼ確実に受動型AS夫のほうが「普通」に近い側にいるってのがね。。。
    数学のマークシート試験でムチャクチャな解法なのに答えだけあってる人みたいで納得がいかない。。。
    そう言えば私は数学の記述式の試験では「解法は美しいけど答えが間違っている」という理由でよく減点されてたなぁ、、、
    あ、そだ、小学生の算数の時からそうだったわ。AS父から「性懲りも無く99点とか98点とか、よくもまぁそんな点数が何度も獲れるもんだ。」と言われたっけ。

    • amethyst
    • 2015年 2月 26日

    「石が悪い」という発想の例として、以前に娘の幼稚園時代のことを書きました。
    自分がころんで膝を擦りむいて、痛くて大泣きした時に、近くにいたやさしい
    男の子の友達が、「〇〇ちゃん、大丈夫?」と心配して寄ってきてくれた時に
    娘はパニック状態で、「お前のせいだ~」と思ってしまい、その男の子を
    押しのけて、「ギャー!」と怒り泣きしたことがありました。
    これは典型的な「石が悪い」発想ですね。完璧に理不尽で、頭が整理
    されていない印象。

    それとは別の話で、例えば我が家で、いつもは開いていない食器戸棚の
    扉が開けっ放しになっていた時に、うっかりそこを通った家族が気づかずに
    頭をぶつけてしまった場合、その家族は「なんで、こんなとこ開けっ放しに
    しているの!」と怒りましたが、その場合は開けっ放しにしてしまった私
    が基本的にはまずかったと思っています。

    人間はいつも生活している習慣で動いていますから、いつもはない所
    に危ないものがあったりするとうっかりぶつかってしまうことがあります。
    それはぶつかった人の不注意というよりも危ないものを置きっぱなしに
    した人の不注意と考えた方が事故が減りやすいですね。

    外で言えば、いつもは閉まっているマンホールの蓋を工事の人が
    開けていた場合、周りを囲って注意するように通行人に表示しないと
    すごく危ないですよね。
    囲っていなかったら、うっかり落ちる人はたくさんいるわけで、
    その場合は落ちた人の不注意ではなく、安全管理を怠った
    工事の人の責任になります。

    だから、我が家の中だけの感覚から言うと、床にジュースが置いて
    あり、誰かが蹴とばした場合は、普通ありえない場所にジュースを
    置いた人の責任と捉えて、蹴とばした人は責任を問われません。

    ま、こういうのはケースバイケースでしょうね。

    • 182
    • 2015年 2月 26日

    おおっ!参考になります!
    > 普通ありえない場所にジュースを置いた人の責任と捉えて、蹴とばした人は責任を問われません。

    私の場合、
    置いた人と蹴飛ばした人の両方に責任がある。
    しかし置いた人は幼児である以上、そこに放置させた私自身に責任がある。
    自分の責任を追及されたくないジャイアンの私は、だから同時に蹴飛ばした人の責任も追及できないと考え「言葉を飲み込む。」
    という実態です。

    > 囲っていなかったら、うっかり落ちる人はたくさんいるわけで、その場合は落ちた人の不注意ではなく、安全管理を怠った工事の人の責任になります。

    いつだったか、どこだったか、海外の観光地で崖から転落して死んだ日本人がいて、「何でそんな落ちる可能性のある崖に柵を立てて立入禁止にしていなかったんだ。」というコメンテータがいました。
    それに対して「海外にくらべて日本は『立入禁止』の看板が多すぎる。過保護だ。危ないかどうかくらい自分で判断すべき。だから海外でこういう事故にあうのだ。」と言う人もいました。

    私にとっては「不注意」や「うっかり」で痛い目にあいまくる人生の中で「不注意=絶対悪」なのです。
    (この考えが正しいと主張しているのではなく、ある種の「適応型」なんだろうと思います。)
    私がマンホールに落ちたら確実に落ちた自分の間抜けさを責めますね。

    最初のジュースの話に戻すと、私が「蹴飛ばした人の責任」を問えないのは「放置した自分の責任」を問われたくないからであり、決して「蹴飛ばした人の責任」が無いからでは無い、となります。

    夫もそうなのですが、ASさんの「(自分もしくは愛着の対象の)不注意には責任が無い」=「うっかりすれば失敗してしまう様な状況にしていた状況(周り)が悪い」という発想が自分に対して向けられた時、まぁ、要するに私が不注意で失敗した時に「それは状況(周り)が悪かったんだよ。」と言われる事が時に「マタタビ」だったりする事はあります。

    ちなみに今回のコメントは私にとって「マタタビ」とはなりませんのでご心配無用です。
    と言うのが「赦された」のは「私ジャイアン」ではなく「娘ジャイアン」の方だからです。

    ん?・・・

    ってことはつまりAS夫のジャイアン娘マタタビ依存症化計画は着々と進行中って事か!

    • amethyst
    • 2015年 2月 26日

    私はASDの代表ではないので、他のASDの方の感覚はよくわかりませんが、日本人は
    ASD気質が強い人が多い気はします。

    ASDは慎重・警戒心が強い・怖がりだから危険に対してはすごく敏感だと思いますね。
    だから危険の起きることの「予測」とか「先回りして予防」とかが好きというか安心する人種
    ですよね。

    ASDの自分とADHDの方の感覚の違いがはっきりとわかって「なるほどねえ、おもしろいなあ」
    と思いました。

    ADHDの方がすごく活躍する場ってありますよね。非常事態で怖い場面なんかにすごく強そう。
    救急救命とか消防活動とかSATとか。

    ASDの人は国民の安全管理とか健康管理など細やかなことに向いていそう。

    適材適所で共存できると理想的ですね。

    • 182
    • 2015年 2月 27日

    確かにおもしろいです。
    感覚の違いという意味で、私には娘さんがコケて怪我したエピソードは「石が悪い」発想に見えないのです。
    それは他者に慰められるなんてプライドが許さない中心志向から出た反応に見えます。
    「お前のせいだ〜」じゃなく「お前ウザいあっち行け。偉そうに慰めてんじゃね〜よ!」の方です。

    本当にしみじみ面白いと思うのは、客観的な出来事はひとつなのに受け取る人間によって評価が完全に真逆にさえなるって事ですね。
    よく言われている事ではありますが、横から見たら三角、上から見たら丸、実態は三角錐でした、みたいな。
    いや、もしかしたら三角錐でさえ無いのかもしれないって。

    ただ、ネットの書き込みでは「おもしろい」ですまされても、実際リアルではそんな呑気なこと言えなかったりしますね。
    家族ほど距離が近いと「違う」事がどうしても許せなかったりする様です。

    • amethyst
    • 2015年 2月 27日

    >ただ、ネットの書き込みでは「おもしろい」ですまされても、実際リアルではそんな呑気なこと言えなかったりしますね。
    家族ほど距離が近いと「違う」事がどうしても許せなかったりする様です。

    なるほどね。それでいろいろと悩みが尽きないってことは多いかもしれませんね。

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