「ADHDの先延ばし」については、これまで何度か書いてきたが、「いわゆるADHDらしさがなくなる状態」として、自己診断をつける際にも考えておかなければならない除外すべき状況だ。
どんなに明るくて天真爛漫でのびのびとしていたADHDも、ひとたび先延ばしの状態になると、とたんに「冴えない」状況に陥る。
非常に重要で当たり前の「なすべきこと」に、「脳がそちらを向かないために」どうしても手をつけられず、「こんなことが何で出来ないのだろう」と自分自分に納得がいかなくなり、非常にADHDらしくない自己嫌悪や、気分の不安定、イライラ、抑うつなどを感じるようになる。
その結果、典型的な現象は、「居留守」である。文字通りの寝たふりをして起きない居留守もあれば、電話を取らないとか、とにかく「知らん振り」「見ざる聞かざる」という形で露骨に逃げを打つ。
いったん逃げたことで自分自身が許せず、その後は「嘘の上塗り状態」となり、「あのことを指摘されたら困る」という形でどんどん先延ばしする行動が膨れ上がっていく。
極端な例は、社会に自立すること全体を先延ばしにする「引きこもり」になるケースと、「考えたくない」ために薬物やアルコール依存、時には食べ吐きやボーダー的な恋愛依存になることもある。
ADHDにとって最大の問題は、「先延ばし状況では本来楽しめるはずの好きなことに集中できなくなる」ということだ。
かくしてADHDは先延ばしの中ではおおよそ本来のADHDらしくないみっともない姿になる。正々堂々とするのの反対、正直率直の反対、終始現実的で前向きの反対等等。
自分の借金の返済計画を先延ばししたり、近い家族の借金をはっきりさせることを先延ばししたり、大きな片付け自体を先延ばししたり、時には論文を先延ばししたり、そういう時期にADHDらしくない行動を自覚したら、先延ばしを疑おう。
よく心療内科に「難治性のうつ状態」として受診するが、実は先延ばしさえ解決すれば、びっくりするほど簡単に回復する。
な、、なんでバレたんだろう……..
私が冴えない、、なんて、、それはとても受け入れられない(さすが先生、ツボを突きますね……….関心してる場合じゃないけど、、)
今日からしっかりします。ありがとうございました。
# 昔、大好きな分析医の先生には「暗いはずの状況なのに、なんでそう明るいんだ」と、いぶかしがられたことを思い出します。享楽的・楽観主義……..夫と一緒になってからは、しばしば困難をブラックジョークで笑い飛ばすみたいな勢いを失って、出口が見えなくなってしまう感じでした。
自分でも不思議なのは先延ばしの対象に対しては、ASの方の「ロックオン」「デジタル認知」「関連付け」に表面上似た反応になることです。
普段は注意が逸れたことは忘れてしまい、トリガーがないと思い出さない(思い出せない)のに、先延ばしの対象に限っては忘れたいと逃避しても勝手に思考に上がってくる。
また、「大体できればいいじゃん何も無いよりまし」「必要なら後から完成度を上げればいいじゃん」がいつもの基準なのに、そこだけ「0%か100%か」「完全にやり遂げなければ意味が無い」の基準になる。
そして、「それはそれ、これはこれ」と考えて(関連がある事すら)わけてしまう思考パターンなのに、先延ばしの対象について考えるといろんな事や結果要素を緊密に結びつけてしまい、思考の自由度を自分で制限してしまう。
しかも、ASの方のように緊密で詳細な状況認識をして厳格なルール適用で判断する能力がある訳ではないので、どうにも出来なくなってしまいます。
私の先延ばしのパターンは、非常に些細で『なんでこんな程度で?』というのが多いです。
たとえば書類。
『なんでこんな簡単なさっさと書類書いておかなかったんだろう』というような簡単な書類。しかしその『簡単な書類1枚書くための手順』を考えるとつい先延ばしになってしまう。
まず書類を書くにはボールペンが必要・・・あたりを見渡してもボールペンがない・・・探さなきゃ。でもどこにしまったんだろう?
ふっと書類を見ると、印鑑も押さなきゃだ。印鑑も探さなきゃ。はて、それはどこへしまったんだろう?
がさごそと印鑑とボールペンを探していると、目的物を探す前に、提出期限切れたアンケートなどいろいろなものを発見したりする。ここで『ああ、また出すの忘れてたな~』とか『あ、授業参観のプリント、こんなとこにあったんだ』などと考える。このあたりで、実はボールペンと印鑑を探している最中であることを忘れてしまう。忘れてしまうから、まったく別のことをはじめたりする。
ADHDが、簡単な書類でも書くのを『先延ばし』するのは、『書くための手間』を、考えてしまうから。1、ボールペンと印鑑を用意する 2、書類を書く、という簡単な手順なのだけど『1、の段階ですでに躓いてしまう』ということを考えてしまうからだと私は思っている。つまりこういうときは何故かAS的に『先の見とおしをつけてしまい』、気が重たくなってしまうのでしょう。
『居留守』『寝た振り』『電話に出ない』は精神科に通院するようになってから、するようになってます。私としては、それまでが真面目過ぎて「こうあるべき」と、自分に鞭打って誠心誠意対応しようとしていたので疲れました。だからちょっとさぼっても良いかなと思ってやってました。『先延ばし』にもいろいろあるようですが、子供の頃は毎日が『先延ばし』で、だらしのない子供でした。先生に嫌われるのも無理なかったです。
結婚してからは他の主婦と足並みを揃えたくて『先延ばし』はしなくなりました。でも今、変ですが自分の生活では『先延ばし』を取り戻しています。
ACを調べて、私を雁字搦めにしていた原因が分かり、まるで錆びた鎖が少しずつポロポロと落ちて気持ちが以前よりも軽くなったのを実感しています。これまでの『生きにくさ』はACを知ることでかなり相殺できたのも確かです。
もう少しだけ怠けて「気力」が湧いて来たら『先延ばし』をやめようと思います。
ありがとうございました。
はじめて投稿します。
最近また思春期ADHDの娘の問題に直面しこちらのサイトへ辿り着き、本当に目から鱗で救われました!
お忙しいながら、毎回このブログを書かれている、やんばる先生に心から感謝します。
先生には改めてメールを送らせて頂こうかと思っていますが、とりあえず今回のテーマにコメントさせて頂きます。
千葉県にありました国府台国立精神保健研究所で小学校五年生の時ADDと診断されました現在二十歳の長女を育てながら感じたことです。
私自身は典型的な正統派ADHDの母に育てられた紛れも無いACです。
長女を育てながら、何回も疲れ果て絶望的になった事もあります。その中自分なりに発見したことで少し気持ちが楽になりました。それは娘が高校生の時、南米パラグアイへ一年間交換留学へやってからです。
帰国直後の娘は、きらきら輝いて自信に満ち溢れしばらくは、今までと違って生活の中でADHD特有の問題点が薄れたようにも感じました。
多分自信がついたと言う事かもしれません。
そして娘が言った事が「もしも私がADHDならパラグアイの国全体がADHDだよ」でした。
その一言から中南米国々の風土、文化、国民性等調べてゆくうち、もしかするとADHDの特性はこれから・また・必要とされるべき人類ではないのかと考えさせられました。
ところで先延ばしに関して、中南米では「アスタマニャーナ」明日できることは今日やらない精神が主流です。
また待ち合わせ時間も南米タイムで1時間以上遅れるのは当たり前。
ADHDの母、娘の先延ばす様子はその国々の人達の「アスタマニャーナ」な感覚に似ているようにもみえます。
考えたい事から先に、やりたい事からやる、気が向かない事を考えないでいて、気が付いた時にはそれが遅れてしまっているというような感じです。
この社会で変ったイメージで浮き彫りにされるADHDの人たちも南米諸国ではあまり浮き彫りにはならないかも知れないと思いました。
と言いながら、このサイトを最近読ませて頂いて、自分の中でもしかするとACの下に大きなADHDが眠っているのではと感じます。
これを書いていて、益々そのように感じてきました。
コメントなのに長々と書いてしまってすみません。
小さな嘘から、塗りに塗り重なって
解決するには本来なら行動するべきはずなのに…何故か先延ばしへ
自分の謎が一つ理解できました
兄の先延ばしの謎も納得です。
>>先延ばしの対象について考えるといろんな事や結果要素を緊密に結びつけてしまい、思考の自由度を自分で制限してしまう。
思考がネガティブだと、悪い結果や要素を雁字搦めに結びつけてしまい、やろうと思っていた事もやっぱり駄目だと思ってしまったり…
僕の重度の先延ばしの要因は
[脳が向かない] + [思い込みからの不安]から向こうとしない かもしれませんね
>また待ち合わせ時間も南米タイムで1時間以上遅れるのは当たり前。
私は昔、初デートで1時間弱遅刻して、それきり誘われなくなってしまった経験があります。遅れた以外は、自分的には楽しく会話も弾んでいたと思うので、遅刻がイメージダウンして愛想をつかされたんだと思っています(^_^;)
今は、遅れても10分以内を心掛けていますが、先日も役員の集まりに5分遅れ、着いたらすでにみんな集まっていて、会議が始まってました。私が『7時からですよね?』と聞いたら『あ、時計が少し進んでいるようで』とかわされ、苦笑いしてしまいました。
時間の感覚差は地域差もあるようです。慌しい都会に近いほど時間にはシビアなのでしょう。
それにしても1時間遅れても苦情が来ないなんて。ADHDにとってはパラダイスのようで憧れます。なんせほんとに、ギリギリまで動けないので時間に間に合わせるのはひと苦労なんです。
私もそういうところに住みたいです~。ああでも日本じゃ、どこも無理だろうな。お国柄的にシビアだから。
でもMimiさんのコメントに、なんだか心が和みました。ありがとうございました(^^)
はじめまして。
数日前に初めて先生のサイトを訪問し、41年間の生き難さのナゾが解けるような予感がいたしました。
自分はACと10年前にわかった後も腑に落ちず。ADHDがバリバリ存在したことを恥ずかしくも、このたび知りました。夫婦とも医師です。主人は私顔負けのADHDでした。
私、二人の子育て(10歳と7歳)に苦慮してまして。子供らに対しADHDやASを疑いながらも、怖くて知りたくなかったと言うのが事実です。
ASに似たADHD。被ASにAC、過集中や先延ばし(論文も…)の記事には、あまりに自分そのものの事が書いてあり、開いた口がふさがりません。
納得です。非常に嬉しかったです。
母親に異常執着するAS疑い濃厚の子らを、詳細に観察してみたいと思います。
内科・心療内科をしておりますので、公私共にパ~ッと目の前が開けた感じです。
YANBARU先生のサイトに出会えたこと、心から感謝しております。時々訪問させてください。
先延ばし癖は本当にやっかいですね。
ちょっとの先延ばしがつもりつもってえらい事になる…。
わかっているのにそれができない。
困るのは「先延ばし」って気づいた後もなかなか取り掛かれないこと。そのもの自体が自分にとってあまり楽しいものでない場合、「これやらなきゃなー先延ばしてるなー」って思いながらも出来ないんです。
こういう場合はどうすればいいでしょう。
今はどうしても今日やらなければまずいものは
手に赤ペンで書いてます(笑)
ていうか、ほぼ毎日書いてます(^。^;)
>Mimiさん
初めまして。
Mimiさんのコメントを読んでいたら私も思い出しました。
高校の時にオーストラリアに1ヶ月滞在していたのですが、
オーストラリアものんびりな国でした。
ホストファミリーのお父さんに「語学学校へのちょうどいい時間の電車がないね。この電車だと始業5分遅れで着くからちょうどいいんじゃないか。」と言われてとてもびっくりしました。
電車も時間通りに来ないし、全てがアバウトな感じで、国によって随分違うんだなぁと、当時思っていました。
なんだか懐かしくなってコメントしました。
時間にまにあわせられないのも、結局、ちょっとしたことを先送りして、直前にやってるっていうこともあるのかなあ、と思いました。
私の苦手は書類。簡単な書類でも、まず相当集中しないと書けないです。それ以前の問題として、ボールペンとか印鑑とか、書くために必要なモノがすぐ手元にないと、探す手間を考えて『まあ、これはボールペンを買ってきてから書くとして・・・』と先送りしたまま、結局忘れる。
ADHD攻略本じゃないですけど、『生活テクニック』に関する本も読みました。が、本のテクニックですら(ADHD向けなのに~(;_;))なぜだかハードルが高いんです。たとえば『書類は1箇所にまとめて、必要なものも揃えておく』とあったので、子ども関係の書類を決まった引き出しにしまうようにしたり、ファイルに綴じるとかいろいろやってみたんですが、決まった場所にすぐしまう、という習慣がなかなか身につかないんです。それにボールペンなどの小物はすぐなくすし(;_;)探してもボールペンが無くて、鉛筆書きで出した書類もじつは、ある・・・・。
先送りも、結局『片付ける』ということができないからということが原因になっているような気がします(私の場合)。いつでもすぐとりかかれるような状況さえあれば、先送りにはならないのかも。・・・ああまさに『片付けられない女』なのね、私って(^_^;)
大きな問題が進展しない時も冴えない状態になりますね。
身の回りの細々したことも手付かず...
問題を先送りにしているわけではないと思うけど
正面から向き合っても明日も明後日も今日と同じ(昨日も一昨日も)
いつまで続くのかわからないから疲れますね。
やる気はどこからもやってこないし
好きなことにも長いこと集中できないでいます。
今は忙しく外出も多いのでなんだか心身共にぐったり。
ダンナが片付けなくても怒らない人なのでちょぴり感謝です。
問題が解決したら先延ばしが解決したのと同じで
一気に回復しそうですけどね
Mimiさんへ
思春期のADHDのお嬢様のことでお悩みで、しかも紛れも無いACと自覚されているあたり、凄く私と状況が似ているようですね。
でも、小学5年生で「早期診断」をされているようでその「差」はあると思います。(Mimiさん偉い!)
我が子も小学校5年生あたりは、さかり「保健室登校」をしていたので、ちゃんとサインを出していたのですが、「発達障害」を知らない私は「仮病」だと思っていました。
あの頃、もっと「心のSOS」にしっかり気がついて、専門の医療機関に行っていたら・・と悔やんでいます。
最近やっと「発達障害」ということがクローズアップされるようになって、周りに理解も大分進むのではないかと思います。
私は今日も娘のことで考え込んでしまいました。
どう接していいのか、判らなくなってしまいます。
でも、私はよく言われます。「きっと、良い大人になるよ」って。私も、そう思います。いろいろな経験をして、人の痛みも分かり、きっと良い大人になると思っています。
「南米パラグアイ」行ってみたいです!
はじめまして!重度自閉症児の母親で(うちの息子は今小4ですよ~。実は長いこと不登校を本人が自己選択してます。1歳年下かな>Mimiさん^^)なんちゃって(自称)ASのACです。みなさまどうぞよろしゅうに。
むむむ・・・。「先延ばし」・・・。私にもあるねんけど。
自営なもんで、年調とか確定申告。あと毎月の伝票整理ですか。お客さんへの返答・変更の電話とかもかな。ちゃっちゃとやったらスッキリするやん、って分かってるけど、イライラ・イライラしながらも拒否ってますね。身体が・・・。大体旦那に当たる原因はこれですよ。「先送り」状態の時にバンバン当たってる。これってADHDの方の「先延ばし」と似てるのか?似てないのか?ちょっと分かりませんが。(指摘して頂ければ嬉しいです。)やってる時のしんどさとかを想像すると身がすくむって感じ?後、税務関係の書類とかお客さん相手とかやと、とにかく「失敗したらあかん」っていうプレッシャーが、もともとの完全主義に輪かけてのしかかってくし、だからエンジンかける時の労力が人の倍要るのかな・・・?机をきれいにして紅茶入れてラジオをセットして、無茶無茶モチベーション高い状態に環境を整えないとやる気が起こらないです。今年もぎりぎりやろな。困ったもんだ。他にASの方で「先延ばし」ないですかね?又教えて下さい。(それとも私はADHDか?)
>HIKARIさんへ
>私はよく言われます。「きっと、良い大人になるよ」って。私も、そう思います。いろいろな経験をして、人の痛みも分かり、きっと良い大人になると思っています。
娘さんが良い大人になるためには、今、肝心なことから逃げていてはいけないと思います。
私の娘もスクールカウンセラーからADHDではないかといわれていますが、確定診断するのに、予約の電話を先送りしててまだなので、人のことは言えないんですけど(^_^;)
今、しっかり保健室登校の娘ですが、保健室仲間で気の合う友達ができて、放課後2人だけで友達『料理同好会』を結成して、友達の家で『活動』しています。一時は辛かったようですが今はとても楽しそうです。(だから電話を先送りしちゃうんですけど。)勉強は苦手のようなので今は置いておいて、とりあえず好きなことを見つけてくれれば良いかと、まあそのような方針でやっています。
>tohsanさんへ
ASにも先延ばしはあると思います。ただここに書いてくださった文章だけを拝見すれば、同じ先延ばしでも、ADHDの私と少し違う印象を受けます。自身もASであるという自己診断ですので、恐らくAS的(先延ばし)ではないでしょうか?(と、思います)
>yurinさんへ
ご指摘ありがとうございます^^
なるほど。yurinさんの「先送り」の書き込みを良~く読んでみると、私の「先送り」とはかなり違いますね~^^
心理的なモチベーションが要る私と、物理的な構造化が必要なyurinさん。yurinさんの場合、先送りの対象自体を特に拒否しているという訳ではないが(そういうことも場合によっては、あることはあるけど)それよりも、とっかかる為の段取りをするのに困難性がある・・・??これも違ったらコメントお願いします。
はじめまして。最近大人にも ADHD の人がいることを知って、いろいろ調べたら自分もあてはまるかも、と思いました。
部屋は散らかし放題だし、時間は守れないし、年々集中力が持たなくなってきて、いろんなことを先送りしています。
以前はチョコレートを食べてがんばってたんですが、最近はそれも効かなくなってきて。体にも良くないし。どうすればいいのやら。
卒業宣言しながら結局書いててスミマセン・・
こちらのBlogで元夫の悪口(?)を書いてたのをやめてちょっと距離を置こうと思ったのも、「発達障害の問題に過集中」で「本来やるべきことを先延ばし」にしてるんじゃないかなと思ったからです。
過集中自体は環境によっては必ずしも悪いことでもないと思うんですよ。周りに迷惑なだけで。外資系企業の役員の女性などで、発達障害?と思える人をたまに見ますが、まさに「過集中」で出世したんじゃないのかなあ。あと、上司の言うことやスキルアップの本などを「真正直」に受けて忠実に実行するなど。
ただ、「先延ばし」は頂けないですよね。
自分では、「ルールを決める」「大事な仕事は日時と場所を決めて、その中でやってしまう」などを努力してますが、大事なことが2つ、3つ、(仕事と家事と衣替えと~とか)となると結局どれも手を付けられずに関係ないことをしてるということになりがちです。あとどうしても家の中でやらないといけないこと(片付け)はなかなかできません。
3月までに家の中を完璧に片付ける!(ADHD的な完璧=65%の片付度かな?)と12月に(笑)決めましたが、結局お茶を入れて~コンビニ行って~とかしてちっともはかどりません。
何かいい方法があればぜひ教えてください。
tohsan さん
横レス失礼します
ADHDでも心理的なモチベーション要る場合もあると思います。
私は最近受けていた講座の宿題がどうしても出来なくて大変でした。
とにかく家に居ると勉強モードに入りにくいので近くのマックで
やったりしました。
(環境を変える作戦、うるさくても家よりは進みます)
宿題の量が多かったので最後にはやる日を限定して朝までかけてやりました
(2割はマック、8割は家で自分を追い込んで...)
先送りしていることをギリギリになって自分を追い込んでやる人も多いと思いますよ。
あひるさん
レスありがとうございます!
なるほど。
ADHDの人もモチベーション上げる為に、いろいろ工夫してるんやね。ぎりぎりセーフの日時を限定して一気にやるって所、「一緒やなぁ!!」ってうなずいてしまった。
私も毎日ちょこちょこやるって苦痛でしょうがない。
ほんまは、良く見えるところにスケジュールとか貼っといて、時間の管理をしようなんて事もあるんですけど、あかん。三日坊主で・・・。
yurinさんへ
私も優柔不断な面があって、未だASとADHDをフラフラしてます。ACであることは確信できました。
こうやって、yurinさんをはじめ、いろいろな方のコメントを読んでいると少しずつ「考え方の違い」にも気がつきます。また今日のYANBARU先生の「ADHDに似たAS」で「愛着」に戻り・・やっぱりASなのかな~?と、全く無責任な私です。
こういう部分はACから来る現象だと思っています。
こんな私に懲りずに粘り強く向き合ってくださってありがとうございます。
本当に私もyurinさんを疲れさせてる者ではないかと、恐縮です。(^^;)
これからも、宜しく!
HIKARIさんへ
別スレッドでも書きましたが、私、医師でもないし心理士でもないんですよね(^_^;)それなのに生意気に診断についてコメントしたりするので、何気に誤解を受けているようですね。
あくまで、私はYANBARU先生直伝(勝手にこのように書いて済みません)の『愛着』と、自分自身ADHDであることを『基準』に判断しています。もしもご希望とあれば、『あくまで私の印象ということで』という形で意見はできます。
ただ、私が『ズバリ言うわよ』のごとく、指摘してる意見が正しいかどうかは、『こう言われたけれど本当かしら?』『素人の勝手な思いこみで決められたら困るわ』などとと迷われたり、憤慨されるのであれば、直接先生にメール相談という形で確定してもらったほうがいいかと思います。
また最近は『どちらかよくわからない人達』の雑音に困惑もしてます。正体は何気に見当ついていますが・・・今しばらく黙秘します。
yurinさんへ
『ズバリ言うわよ』・・きゃ~怖い~。
でも、yurinさんにズバリ言われて、反発したり納得したり、こうしてコメントしているうちに見えないものも見えてくるので私にとっては有意義なことでしたよ。(^^)
ここに参加していることで、「影響しあう心」が見えてきて、子供にどんな影響を与えたのか?考えるようになりました。私も娘と向き合うと結構ヘトヘトになります。
もしかして親子で「AS被影響症候群?」なんてことも想像したり・・。(こんなことあるのかしら?)
HIKARIさんへ
そうですか?何気に、相手はいい迷惑してるんじゃないかと思いながら、つい言ってしまう衝動を押さえられない・・・まだ未熟者の私です。
AS被影響症候群があるなら、逆にADHDから『場当たり的な行動に振りまわされる』『いつまでも片付けしない』などなどのマイナスエネルギー?を受けて、疲れることもありなんじゃないだろうかと、この頃思っています(^_^;)
yurinさんへ
>『場当たり的な行動に振り回される』『いつまでも片付けしない』などのマイナスエネルギー?を受けて・・。
そう、きっとそれです!
さすがyurinさん、的を得てます。
やはり、この場で吐き出す作業も必要だったし、吐き出した自分が他者からどう見えるのか?耳を傾けることも大切だと私は思います。
これからも時々反発するかもしれません。(宜しくお願いします。反発こそ、発見のきっかけだと思います)
ひねくれ過ぎ?(^^;)
皆さんポジティブなフォロー有難うございます。
>yurinさん
娘いわく、南米で・待ち合わせ30分遅れ・はまだ早い方だそうです。
バス、電車、飛行機のスケジュールでさえ遅れますからね。
不思議です、ここ日本ではADHDと言われる人達が周りに合わせるのにストレスを貯め、一般的な日本人が中南米に行くとラテン気質のルーズさにイライラ胃痛になったり、ストレスが溜まってしまうようです。
どこに基準を置くかで見方が変りますね。
>リカちゃん@離婚カウントダウンさん
オーストラリアは行った事無いのですが、大陸の国の歩幅感覚は小さな日本の国の歩幅感覚とは違ってゆったりとしているのでしょうね。
今日本にはそのゆったりさはかえって必要かも知れませんね。
(またもや1000字以内に引っ掛かりました。
HIKARIさんtohsanさん続きにコメントさせて頂きます)
>HIKARIさん
>でも、小学5年生で「早期診断」をされているようでその「差」はあると思います。
早期診断は娘にとってというより、それ以上に私が救われたかも知れません、相談できる所が見つかったという点で。
当時は確かにADHDの事に関してまだ日本では十分な情報はありませんでしたよね。
小学校の保険の先生に説明しても全く理解してもらえず、
「昔からサザエさんみたいな人はいます、ただ呑気なだけですよ」とまともに受け取って貰えず、それ以後高校時代になるまではあまり公には説明しませんでした。
学校側が「サザエさんのような呑気な性格」を温かく受け入れ、可能性を伸ばしてくれるような体制であればいいですが。
中々難しいけれど、子供にとって一番良いのは信頼する、なのかも知れませんね。
それには、やんばる先生が言ってらっしゃるコーチング的な接し方は大変良いかなと最近思いはじめました。
自分の本来持った可能性を自分で引き出してゆくから。でも実の親となるとこれまた難しいですが・・・。
娘はいまだ「日本は豊かな国だけれど心は貧しくなっている、南米はとても貧しい国だけれど人々の心は温かい」と言っています。沢山のラテン気質の人々の愛情で生長させてもらったようです。
きっとHIKARIさんのお嬢さんの中にも、色々な経験の肥やしで育んできた彼女なりの大きな可能性の芽がありますよ。その芽を開かせる・お水・となるのはHIKARIさんの愛だと思います。
>tohsanさん
>1歳年下かな>Mimiさん
多分・・・、私の娘が現在小五と思われたかも知れませんね。娘は二十歳で小五の時にADDと診断されました。
ADHDの長女にばかり私のエネルギーが向いているうちに、次女がAC気味でやはり登校拒否の時期はありました。しかしその事で色々とまた学ばせてもらいました。
登校拒否をする子の中にはものすごい可能性のエネルギーがある事を。
tohsanさんのお子さんも自閉症児と診断されていても(だからこそ)、彼の中に彼なりのすばらしい才能がきっとありますよ!
先延ばし、常時と言っていいほどしています。
薬とか食べ吐きにはなっていませんが。
自分から買って出て期限のある用事をするのに、締め切りがもうすぐでしなきゃいけないと判っていながら、違う事したり寝ようとしたり、そんな事を続けるとお腹が痛くなってきて、実行してしまえば気にしなくてすむのも自分で判りながら(しかもそっちの方が楽そうなのに)、遅らせてしまう事がありました。
締め切りのはっきりしない用事だと、ここまで体にこないのでずるずるずると無期限延長になりがちです。
具体的に取り掛かると、必要な道具類を探すので時間がかかり、書き損じして時間がかかり、気がちるタイミングが行程が多くなればなるほど増えて、他へとかかって、締め切りがはっきりしないときは手紙を書くと頭の中で決意してから1週間や1月で出すまでやり終えるのが普通だったりします。
>南米タイムの話
噂に聞くところによると、沖縄は宴会など会合は集合時間に来ないのが普通らしいです。
そういう場所に居たら、まだ遅れてるけど余裕と思って、結局、さらに遅れそうになって慌てるのが予想できるのであまり変らない気がします。
Mimiさんへ
コメントありがとうございました。
>「早期診断」で救われたのは、当時はMimiさんのほうだった・・。「相談できる場所がみつかった」から。
そうですね。適切なアドバイスをくれる相談場所にたどり着けただけでもMimiさんは救われたのだと思います。
「信頼」すること・・私も努力中です。
「今度こそは」と思い、「信頼」して対応しているつもりなのですが、表面的な結果は「またか・・。」といった感じです。でも、確実に内面は成長しているのがわかります。
まだまだ変化していくのだろうと思います。
>「大きな可能性の芽がある」
>その芽を開かせるお水となるのは私の「愛」だと思います。
心強いお言葉、ありがとうがざいます。
ドラマのように綺麗にいかない我状況ですが、「愛」と「信頼」を心してまた向き合ってみようと思います。
Mimiさんのお嬢様と同い年です。
小さい頃から一風変わっていました。それが「個性」だと思って可愛かったです。でも、集団生活には馴染めなかったようです。勉強はやればできる子だったので、「障害」の「し」の字も浮かんできませんでした。
今だからこそ娘と関わった学校関係者や習い事の先生等は「あの子、発達障害だったんだな」と分かってもらっているのではないかと想像していますが。
初めて書き込みします。
(このブログの存在は数ヶ月前に知り、過去の記事は一通り目を通しました)
医療機関での診断は受けたことがありませんが、自分では数年前からADHDを疑ってきましたが、このブログのADHDのACに該当すると思います。普通の人として振舞いたいのに、普通の人になりきれない。気の遣い所がずれているんですね。
先延ばし癖は私にもあります。yurinさんが上で書いていた『書くための手間』を考えてしまう、というのはよく分かります。同じパターンで、部屋の掃除ですが、掃除機をかけるためには床に置いた物をどかさなきゃいけない、その中には家族の物があってどこに置こうか迷う、その前に物をしまう場所も散らかっているから先に片付けなくちゃ・・・という具合に考えが発展していき、億劫になっていくんです。
これも先延ばし癖と関連するのかわかりませんが、私の場合、来客のため部屋を片付ける必要に迫られると、なぜかお客に見せない2Fやお風呂、キッチンを綺麗にしたい衝動にかられ、その後洗面所、トイレ、玄関、最後にリビングの順で片付けています。時間がなくてもこうです。料理も、時間がないのに、作業にかかり始めると、調味料の瓶のしみや調理台の隅の汚れに気づいてしまい、先にそこを綺麗にしたくなってしまいます。
Mimiさんへ
登校拒否を息子が選択し、私はその彼の判断を信頼しました。
判定では「重度の知的障害を伴う自閉症児」ですが、それ以来、私は彼を一人の(自閉症を持った)人間としてしか見ません。
よく担任の先生が「お母さん、○○くんに、これこれして良いでしょうか?」と聞いてくるんですが、私は「○○に聞いて下さい。○○に分かる方法で。○○が答えられる方法で聞いて下さい。」と返します。
息子は言葉だけでのコミュニケーションがとれないので、担任の先生は、私が協力的でない、又は意地悪を言ってるように感じるようですが、私は相手が担任の先生であれ他の支援者でれ、これ以外の反応は一切しません。
「そうですね~楽しそうですし、やって見ましょうか?」なんて、以前は彼の代返や通訳をしていた時期がありましたが、登校拒否以来一切止めました。
人間が生きていくうえで一番重要な力は、自分で判断するということだと思います。
その時の彼の判断が間違っていても、それは彼が自分で味わえば良いことだと思います。
又たとえ息子が判断して実行したいと主張することがあっても、出来ないことは出来ないと、こちらも主張します。
もし妥協点があれば妥協点を見つけていきます。
Mimiさんが一番良いのは「信頼」ではないか、コメントされていましたが、同感です。
先延ばし…
この悪癖がわたしの人生を大きく支配しています。
大学を引きこもったのだって、サークルの係の仕事をズルズル引き伸ばして仲間の顰蹙をかったのが発端でしたから。
今は書類を作成するのがとても苦手で困っています。
やらなきゃ、やらなきゃ…と布団を頭からかぶりながら毎晩おびえる始末です。
やり始めたらどうってことないなあ、と毎回思うんですけど…
お客さんに迷惑を多々かけていて、早く転職したほうがいいのでは?といつも自問自答しています。
こんにちは。
いつもこちらのサイトで勉強させて頂いてます。
先生のサイトはとてもシンプルで読みやすく、心の中にストンと入ってくるので心地が良いです。
私は32歳で、3歳の娘をもつシングルマザーです。
物心着いた時から生きづらく、子供を産み、離婚したあたりからやっと自分が発達障害ではないかと思うようになりました。
朝起き上がれない、涙が止まらない、などの体調不良から鬱を疑い、病院に付属していない、心理カウンセリングを受けました。続けるうちに、ADHD傾向があるかもしれないね、と話を頂きました。私自身最初は、何かしらの人格障害で、その為対人関係がうまくいかないのだ、と自分を責め続けていました。発達障害の可能性が分かった時はショックでしたが、やっと本当の自分を知ることができ、産まれて初めて自分が本当は何に困っていて、何を理解して欲しかったのかが分かったように感じました。
ただ、診断を受けるのは、これからの生活上のメリット・デメリットを考え迷っています。
過集中が出やすく、対人関係の困難、物事に対する強いこだわりに縛られる(でも出来ない)、などの症状から、実際にADHDなのか、アスペルガーなのか、わからず悶々としていましたが、この記事でやっぱりADHDなのだろうなと確信が深まっています。おそらくACでもあり、ADHDの可能性がわかり、カウンセラーさんに洗いざらい話を聞いてもらうようになってからは、一気に回復してきていると感じます。生きづらさは中々なくならないし、パニックも起こすし、親と同居の為ACもぶり返すけれど、今はADHDを全面に丸出しをして、自分は自分、他人は他人、生きたいように生きる、怒りたいときは適度に怒る、無理をしない、出来ないことはしない、などなるべく自由に生きれることを意識しています。
人並みの生活を望むと非常に苦しいですが、だいぶ、楽になりました。あとは、このままの自分でそばにいてくれるパートナーがいれば一番なんですけど。
先生のサイトからは発達障害者への優しさや理解が伝わってきます。いつも救われています。
ありがとうございます。