ADHD関連

ASと想像力⑨ ADHDははっきり言おう

 実は私も「ASと想像力⑦」を書いたときは正直どんなコメントがつくかハラハラしていた。実際ASの人の悲鳴のようなコメントもあり、少し動揺したが、きちんと説明するために自分で注釈のコメントをつけた。

 そして一日いろいろ考えた挙句、「ASと創造力⑧」を書いた。次の日はパソコンを見られず、夜遅く帰ってそのコメントを見て、私自身驚いた。 このブログを継続して見てこられた方は同じように感じられた方も多いと思う。

 「ASの人に率直な言葉が通じた」「これで通じるのか」という率直な驚きだった。

 もともと昨年末の「事実と意志」を書いたときから、これまでやったことの無かった「ASの人にそのままはっきり言ってみる」ということを思い切って試みていた。その一番極端な形が「ASと想像力⑦」だった。個々のコメントでは「通じることもある」ことは何となく分かったが、それでも半信半疑だった。

 ASと接するADHDは、少し話した印象や言外の態度から、「ASの人にはっきり言ってはいけない」と感じ、本当に言いたいことは言えないことが多い。その結果がAS被影響症候群だが、「盲点」とも言えるほどに、「ADHDからはっきり言えなくなる」のだ。

 だから私の「ASと想像力⑦、⑧」と、そのコメントを読んだADHDの人は、おそらく私と同じく「こんなにはっきり言っても通じることがあるんだ」と意外な印象を持ったことだろう。

 ASの人にはADHDに最初に「はっきり言えない」印象を与えていることを理解してほしい。

 ADHDの人には、ASにもはっきり言って良い」「どんどんはっきり言おうと伝えたい。それが「ASと想像力」を書いてきた最後の、皆さんの協力のおかげでここで確認できた結論だ。 


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コメント

    • まーちん
    • 2007年 1月 14日

    私(ASです)は、はっきり言ってもらうのが好きです。
    例え自分が傷つくようなことであっても、
    社交辞令的なウソは好きません。
    この前実家で、ADHDの弟(私の支配下にある)から、
    <生まれて初めて彼の意見>がでた時に嬉しく思ったのは、
    そういうコトなのかも知れません。

    • mario
    • 2007年 1月 14日

    私の妻(多分ADHDと思われる)も私の支配下に入ってしまって、何も言えなくなってたんだろうなぁ。言ってくれれば何だって出来るし考えるのに。
    いや、言えなくしてしまう自分を先に変えなくては。でも未だ方法が良く分かりません。
    ⑦と⑧のコメント、何度も読み返していますが、先生がどこで「ASに通じた」と思われたのか分かりませんでした。何だかASの方々の中で、私だけAS的感覚にしがみついて、どんどん取り残されていっている気がします。
    頭で分かった気がしても感覚に落ちてこないのです。いや、感覚に落ちる事自体が無理なのかな?頭で分かって、頭で対処するしかないのかな?

    • yurin
    • 2007年 1月 14日

    『ASと想像力』一連の記事を、正直少しハラハラしつつ、大変興味深く読ませていただきました。
    そうですね。『はっきり言って』、ASの人は言葉表現が『本心以上に大袈裟』なだけかも知れませんが、それが相手(特にADHD)にとって一種『脅威的』なのかもしれません。(状況や本心が直感的に読めないから特に)
    また追いかけるのが好きなASの人もいますが、それも一歩間違うと『ストーカー』になるので気をつけた方がいいと思います。
    しかしなによりここ数日でASへの理解が深まったことは、私の収穫でした。

    • HIKARI
    • 2007年 1月 14日

    〉ASと接するADHDは、少し話した印象や言外の態度から~
    『普通』の対応や『社交辞令なやりとり』がAS的には気味が悪いのです。『普通』を装った結果、勘違いされて行き詰まることが多々あります。最初から『普通でない』ことを雰囲気から読みとって
    もらった方がASは気楽です。その態度が多分「ASの人にはっきり言ってはいけない」と思わせていたのかもしれません。
    一方、ASははっきり言ってもらわないと理解できない部分があります。『文字通りに解釈する』ので。文字が少ないと、或いは説明不足だと誤解が生じる場合もあるでしょう。だから「はっきり言おう」には但し書きが必要です。「ADHDはASにはっきり言ってよい、但し、わかるように」
    このところADHD側から見たASがテーマで、新たな発見もありました。ヤンバル先生、でもASから見ればADHDの場当たり的な行動に困っている事実もあることも心にとめておいてください。私はACもあるのか、ADHDの尻拭いをさせられる恐怖もあるのです。自由を与えた末の尻拭い。努力はするが、『最低原則』の実践はASのACにとってはADHDの被害を被ることは当たり前と言われているような気がしてしまったのは正直な気持ちです。

    • serohan
    • 2007年 1月 14日

    (しばらく仕事で忙しく、こちらのブログの本文とコメント欄を纏めて読ませていただき、それに関しての感想なのですが)
    ASの人は本音と建前を使い分けるのが苦手なので、はきりものを言ってもらわねば寧ろ辛い状態になると思います。
    ASが他者を「支配」しようとする、この点を理解出来ずにいたのですが、< 相手を理解し思うところを知りそれに合わせよう>その行動が相手からは支配と映るのかもしれません。
    ADHAの方達にも言いたいのですが
    あまりにも無計画で、思いつきで人を振り回すのは止めて欲しいのです。
    ADHAの方たちが相手を楽しませようと計画を練るとき、ほとんどは自己満足のためのもので
    こちらの思惑や事情を理解しようとはせず、ほとんどが場当たり的に思えるのです。
    また、思いつきで物を言うので、ASの人間にとっては「言葉に責任を持たない」人と理解をしてしまいます。
    夫そして上司にADHA(の傾向がある)と思われる人をサポートする立場になり、支配されるのではなく支配される状態になって思うことは
    ASは相手が何を考えているのか、次にどのような行動をとろうとするのか、考えながら人と付き合って行きますが
    ADHAの方たちは、自分の思うとおりやりたい通りで、あまりにも自己中心的で、『こちらを人間と思っていない』そう感じることが多いのです。
    勉強を教えていても、ADHDの子供たちは「出来ないのは」先生のせい・親のせい・塾講師のせい….で、自己責任をとらないように思います。
    そんな状況を見、接していて、「ADHAの人っていいよね」とは思います。それは羨望とは種類が違いますが。
    仕事が一息つき、疲れ気味のところに気が緩み、感情的になっているかもしれません。
    先生がASの人と付き合いAS被影響症候群となっているように、ASの人間もADHAの方の「いわゆる思いやり」に疲れています。

    • m,y
    • 2007年 1月 14日

    最初の頃は言っている意味が全く解りませんでした。私は遠まわしに言われても、その人が何を言いたいのか、どうしたいのか?どうして欲しいのか?解りません。
    ストレートに言われても腹も立ちませんが、遠まわしに言われると余計に腹立たしくなります。
    主人に対して私がはっきり言えない状況を作っている事は解りました。自分が思った事、感じた事を、そのまま言って良いのか。考えてしまうのと同時に、自分の本音はこれから先、言えないのかなとも考えてしまいました。

    • ALIVE
    • 2007年 1月 14日

    こんにちは。
    >実際ASの人の悲鳴のようなコメントもあり、少し動揺したが、きちんと説明するために
    >自分で注釈のコメントをつけた。
    悲鳴のコメントを書いた当事者ですが、私個人の感想としては、悲鳴あげる人、少なかったな
    という印象です。
    (YANBARU先生が適切なタイミングでコメントを書き込んだからだと思いますが)
    >「ASの人に率直な言葉が通じた」「これで通じるのか」という率直な驚きだった。
    YANBARU先生は、どの部分をさして、「ASの人に率直な言葉が通じた」と感じられたの
    でしょうか。
    >ASの人にはADHDに最初に「はっきり言えない」印象を与えていることを理解してほしい。
    これはよく理解できました。行為、言葉、雰囲気で相手を「断定」「支配」しないように
    肝に命じます。いい学びになりました。
    >ADHDの人には、「ASにもはっきり言って良い」「どんどんはっきり言おう」と伝えたい。
    この点は、「全てのADHDの人」ではなく「YANBARU先生」に限ってではないでしょうか。
    なぜならこの答えを発見したのはYANBARU先生自身ですし、あらゆるADHDの人が
    同じように探求したわけでもありません。ですから「ASを理解しようとしているADHDの人」
    が正確な表現ではないでしょうか。
    >「どんどんはっきり言おう」
    AS当事者として、この点は無条件に受け入れることはできません。但し書きが必要です。
    ただし、思い付きではなく、相互理解のために、具体的に、はっきり言おう。
    そしてAS者は説明不足だと混乱するので、しっかりと具体的に説明しよう。
    異文化であることを前提に、相手をお互いに尊重して、話をしよう。
    どちらにしろ異文化理解はお互いに思いやりを持って接していかない限り不可能であろう事は
    十分に頭で理解しました。
    >それが「ASと想像力」を書いてきた最後の、皆さんの協力のおかげでここで確認できた結論だ。
    全てのAS当事者がここにコメントをしているわけではないはずですので
    このぐらいのサンプル数で結論を出すのは、正直に言って性急かなとも思います。

    • yurin
    • 2007年 1月 14日

    『はっきり言う』にもいろんな意味合いがあり、『はっきり言う』場合もその状況や相手の気持ちなどの状況を加味する必要がある、ということを、ADHD当事者の一人として、肝に銘じたいと思います。
    ただ先生が感じられている『はっきり言っても通じる』の感覚は私にはなんとなくわかります。実は私も今日、夫に『はっきり言って』みたところ、意外とわかってもらえたので本当にびっくりしました。ASでも ADHDでも、発達障害の人は基本的に『正直で嘘が嫌い』だから、『遠回しにされるよりは、はっきり言葉で伝えたほうがいいときもある』。
    『はっきり言う』の基本は『意思表明を隠さず、明確に言葉にする』ことではないかと思います。その根底には、相手を常に尊重する姿勢が必要ですね。

    • へんちゃん
    • 2007年 1月 14日

    「はっきり言う」・・・。
    私もはっきりと言われないとわからないことが多いので、逆に有難いです。
    「はっきり言う」というニュアンスよりも、ワタシ的には「具体的に状況や気持ちをAS当事者に客観的に説明する」と言い換えた感じでしょうか。それだと助かりますね。
    それから、もう一点、気になったことは。フラッシュバックの問題です。
    はっきり言われる言葉の中に、過去の傷に触れることがあると、これは大変に危険を感じます。
    日々、付き合っている友達や仲間ではそれは滅多にありませんが、相手が親や旦那だとヤバイですね・・。
    親とは距離を置いているので、もう今は影響はないですが、今の私の地雷は「旦那」です。
    旦那の言葉にフラッシュバックを引き起こす言葉がとても多いんです。ただでさえ彼は無口で私にはわかりにくい人な上に、旦那は、私の親から過去のことを聞いて知っているので、敢えて私のACの傷に触れてくることが結構、あるのです。
    旦那は自分自身が私に受け入れられていないと感じているらしく(淡白と言われて困ります)、そこの問題を話しかけてくる時に、彼はタブーの地雷を投げてくるわけです。
    地雷をばら撒くか、もしくは、あえて何も言ってこないか・・この旦那の対応に私自身、正直、疲れています。
    「君はこんなに近くにいるのに、こんなに遠い」と言われてブルーになります。
    難しい・・。それとも私がわかってないんだろうか・・。
    正直に書いてしまいました(汗)
    すみません。

    • へんちゃん
    • 2007年 1月 14日

    続きです。
    そう、フラッシュバックのことですが、私はとても画像思考なので、過去の記憶が時間を超えてしまうことがよくあるのです。
    私の場合は、それで外向きに表出するような激しいパニックを起こしはしないですが、自分の中で嵐が起こって、しばらく固まってしまいます。
    同じく画像思考の人なら、このしんどさをわかってくれるのかもしれないけれど、旦那には理解不可能な気がします。画像思考の人じゃないので。説明はしますが・・・。
    なので、友達間は全然、大丈夫ですが、夫婦間、親子間では気をつけないといけないかもしれません。
    リアルな傷が双方、多いですからねぇ・・・過去の。
    と、私は読みながら考えました。
    論点がズレてたらすみません(汗)
    天然とよく言われる人なので・・・よくボケちゃうんです(^_^;)

    • ふぇありー
    • 2007年 1月 14日

    長い間、自分が「支配」をしているということが、どうしても解らずにいました。
    serohanさんの
    >ASが他者を「支配」しようとする、この点を理解出来ずにいたのですが、< 相手を理解し思うところを知りそれに合わせよう>その行動が相手からは支配と映るのかもしれません。
    このお言葉が、そうであるのならば、やっと、すっきりした感があります。
    それが、多数派にはともかく、ADHD、ことに私の場合は自己正当化型ADHDには、「全ての自由を奪われ、私の理論の中で生きなければならなった」のだろうと、思いはじめました。
    今回テーマになっている、「ASにもハッキリ言おう」は、HIKARIさんや、ALIVEさんのおっしゃる通り、第一条件に「ASを理解しようとしている」と言うことがあるかと思います。
    ASは、皆さんのおっしゃる通り、社交辞令や遠まわしな表現が全く解りません。よそよそしい態度も非常に不安になります。
    その根底には、AS自身が「嘘がつけない」「言葉の通りに受け取り、本心なのか嘘なのかが読み取れない」結果、だまされる。という特性があるからだと思います。(経験上)
    私は、ASの父とADHDの母に育てられ、その環境はほとんどがASだったと思います。なので、両親には非常に反発も持ちながら、しかし、「ハッキリと言う」ADHDの母にかなり訓練されてきたと思います。
    それが、家庭から一歩出ると、全くわけの解らない世界が広がっており、就学前から「私は小鳥に生まれたかった」と思っていました。きっと、幼児ながらに心の会話を持たねばならない人間社会に既に疲れていたのでしょう。

    • ふぇありー
    • 2007年 1月 14日

    続きです。
    へんちゃん(個人的にお友達なので失礼します)
    の、フラッシュバック現象は、大変よく解ります。これまでも、へんちゃんとお話してきましたが、
    「現在、何を言わんとしているのか」をハッキリ言う事と、口論の中で、「過去や、これだけは言われたくないと言う地雷」をハッキリ言う事は全く違うと思います。
    先生が先日指摘なさった、「私の正当化を黙らせるために、ASが傷つき、もう何も言えない(どうせ、言っても、貴女は正しい、いつも理論ずくめで自分を正当化する)事をつまりへんちゃんの言う地雷をまく」。これが、ASを理解してのハッキリ言うの違いであろうと思います。
    私は、平日を精一杯過ごしているので、週末ダウンする(寝込む)のだと思い込んでいました。
    しかし、今ハッキリと、自覚した事があります。
    週末には自己正当化型ADHDの元夫が子供たちを連れに突然(ほんの5分前に到着の電話)やってくる事。これが、解っているのに、どうしても耐えられないのです。へんちゃんのお話で、気づく事ができました。
    話は、反れましたが、ASを理解しての「ハッキリ言う」事は、大歓迎ですし、むしろ世の中そこまで理解していただけたら、大変生きやすい環境になります。
    なので、私は、新たな人間関係を築く時には、「私はハッキリと言ってもらわないと、解らないから。また、私が変な事を言っている事も解らないので、それも遠慮せずに指摘して下さい」と、はじめにお断りするようになっています。これによって、かなり気の置けない友人が増えたと思っています。

    • へんちゃん
    • 2007年 1月 14日

    ふぇありーさん~~。
    「ASは、皆さんのおっしゃる通り、社交辞令や遠まわしな表現が全く解りません。よそよそしい態度も非常に不安になります。その根底には、AS自身が「嘘がつけない」「言葉の通りに受け取り、本心なのか嘘なのかが読み取れない」結果、だまされる。という特性があるからだと思います。(経験上)」
    ↑そうです、そうです、これ、すっごくわかります。
    なので、「もっと打算的になれ」とか「計算高く動け」とか、過去に言われたこともあったけれど、それがどういうことかさえ、わからなくって。
    そして、相手の態度がどういう気持ちから来ているのかを読むのが難しい。
    「~~だから、私はそう思っているんだよ・・・・」と、その根拠をはっきりと説明してもらえるといいですよね。
    ASを理解する・・・そのためには大事なことなんですねぇ・・・やっぱりきっと「はっきり言う」って。
    勉強になります。
    因みに、へんちゃんは、オセロは滅茶苦茶、苦手です。
    相手の手を読むことができないから、いつもストレート勝負で、負けます(涙)
    一個、最近気付いたこと。
    「人間が景色の一端と化していて、気付かない・・・。
    もしくはマネキンの後姿をずっと人間と勘違いしている・・・・。」
    これって認知能力の問題なのでしょうか~~???

    • へんちゃん
    • 2007年 1月 14日

    ふぇありーさん、コメントを受けていただいてありがとうございました♪
    (ふぇありーさんの「続き」のコメントが反映される前にコメントを入れてしまっているので、私の↑のコメント、ちょっとズレてるかもです・・・汗)

    • yurin
    • 2007年 1月 14日

    なんだかコメントしずらくなっているADHD当事者ではありますが、あえて一言。
    ASの人をこれだけ『体感』したのは初めてです。なんとなくASの人を解ることができた…と思います。あくまでADHD的に、ですが。
    それは『安易な理解』かもしれないけれどADHD的には『おおまかにアバウトに物事全体を捉えて、それから細部を理解する』という形なので、AS的理解ではないと思いますが。
    これまでのやりとりでの一番の収穫は『私はADHDに生まれて良かった』と思えるようになった事です。

    • ふぇありー
    • 2007年 1月 15日

    yurinさん
    <『私はADHDに生まれて良かった』 私もいつの日か、yurinさんのようなお気持ちになれる日が来ることを願っています。 <『はっきり言って』、ASの人は言葉表現が『本心以上に大袈裟』なだけかも知れませんが、それが相手(特にADHD)にとって一種『脅威的』なのかもしれません。(状況や本心が直感的に読めないから特に) ずっと、ひっかかって、何度も読み返していて気付きました。 と、いうよりも、「本心以上に大げさ」??? これって、侮辱???(はっきり言って)と思っていました。 が、ASの私自身が、非常に緻密に説明されないと、理解をする事が出来ないので、ADHDに対しても多数派に対しても、「必要以上に言葉が多かったのか」と、今解りました。 振り返れば、カウンセリングでも、会議でも、単なる相談でも、言葉が非常に多いのです。なので、相手に、回りくどくて一体何を言わんとしているのか解らない、と言われます。 逆に、説明会などでは、全く持って説明不足と感じ、質問攻めにしてしまいます。手紙に関しても同じく、単純明快に書くことが出来ません。 それは、自身がそこまでされないと解らないからと言う理由だけなのですよね。 AS以外の方は、単純明快でおおよそが予測できるし、おおよそで良しと出来るのですね。 私が、何か発言すると、業者など、立場的に下手に出なければならない方々は、私の予想以上に過敏に反応します。これを、私はクレーマー扱いされていると思っていました。「なんで?おかしいから、ただ指摘しただけなのに、家にまで上司を連れてやってくるの?」不思議でなりませんでした。 自身は、これだけ言葉を尽くしてもらわねば解らないが、他の方は、単純で伝わるのだと、もしそれで違って伝わってしまったのならば、訂正すればいいのだと、思いました。 言葉のやり取りの中から、相互理解が生まれるのですよね。私は、始めの一言で、解ってもらおうとしていたような気がしました。 ありがとうございました。

    • へんちゃん
    • 2007年 1月 15日

    ん~、すっごいわかる気が。
    そう、私もその辺の調節がヘタクソ。
    やけに言葉足らずだったり、やけに細かくこだわって説明しすぎたり、多弁過ぎたり。
    言葉足らずの時によくあるのは、頭の中で画像を見ていて、それでもう相手に説明した気になっていることがあるんですよねぇ・・・。自分で勝手に納得しちゃってる状態?
    でもそれってすごく一方的コミュニケーションになっちゃうわけで・・。
    相手からしたら、「あんたは言わないからわからない」状態になっちゃう。
    感情を出せなくて言えないこともあるけど、こういう理由もあるなあと。
    もしくはイメージできない、見えないことに対しては説明のしようがないので、すごく言葉足らずになる。
    しかし、ビジュアライゼーションできることは、細部まで見えてしまうので、こだわって話して多弁になってしまう。
    もしくは、自分をわかって欲しい一心で、多く語りすぎてしまう・・・。
    イマジネーションとビジュアライゼーションの違いも大きいです。
    そこのせいで、多弁な場面、言葉足らずな場面、両方、持っているASな私。
    しかし、行動面ではかなり大雑把で不器用でボケばかり(汗)
    今日の旦那の地雷がきつすぎて、自分のブログのコメントもメールも書けずにいました。
    うちの旦那の地雷は、「私が過去に旦那を傷付けたことに立ち戻って話すこと、親のことを言うこと」・・・かな。
    動かしようのない過去にこだわった地雷を飛ばすから、反論の余地がなく、余計に対処不能になって落ち込みます。
    だから、フラッシュバックするしかなくなるの(涙)
    でも、できるだけ言葉を尽くして話さないと何事も始まらないのがASだと改めて実感。
    ありがとうございます。

    • yurin
    • 2007年 1月 15日

    ふぇありーさんへ
    ADHDはこう見えて実は小心者な部分を持っています。さらに状況が読めない、『言葉の通りの理解しかできない』ために、ASの人の言葉に、多数派以上に脅威を感じて、何もいえなかったりします。
    今回はAS人を批判的に書きましたが、ASの人の良さもわかっているつもりです。
    私の夫がASですが、彼から見ると私も『押しが強い』そうです。多分ASとは別の意味で『押しが強く』なっているのかなと思いました。
    同じ発達障害だから、どこかに『共通点』があるのかもしれませんね。
    それから私はASの人を侮辱してはいません。家族は殆どASなので、普段は少々肩身が狭いですが。
    こちらこそありがとうございました。

    • serohan
    • 2007年 1月 15日

    yurinさん、
    >ADHDはこう見えて実は小心者な部分を持っています。さらに状況が読めない、『言葉の通りの理解しかできない』ために、ASの人の言葉に、多数派以上に脅威を感じて、何もいえなかったりします。
    そうなんですね。
    ADHDの方たちは、いつも自信に満ちて断定的な物言いをすると、羨ましく思っていたのです。
    わが家は、AS的思考が主流です。
    それで夫の考え方が、私達には良くわからないのです。
    長男の「まったく理解できないわけではないが、ついていけない」これが夫に対する最大限の譲歩でしょうか。
    そのような状況なので、夫を家族で追詰めているのかもともyurinさんの書き込みを読み気付きました。
    ASの人間同士があつまると、考えることを楽しむ・・・そんな部分がありますね。
    予測を立てる、それで遊ぶ。AパターンBパターン…….と色々と考えて、遊ぶような。
    それがADHDの夫には、悲観論者に映るのでしょう。
    やっと入口に立てたように思います。

    • yurin
    • 2007年 1月 15日

    >serohan さん
    お返事ありがとうございました。
    >ADHDの方たちは、いつも自信に満ちて断定的な物言いをすると、羨ましく思っていたのです。
    昨日夫と話をしながら、似たようなことを指摘されました。自信は持っていますが、『AS特有の辛辣な言葉表現』には思いのほかダメージを受けているんです。ADHDは自分が言いたいことを言ったらそれっきり、というところがありますが(これがAS的に見ると場当たり的、思いつきで発言する、といわれるのかな?)、ASの批判(のように見える)の言葉は、長引く(ように思える)ので、辛いです(^_^;)でもこの問題は私のほうから『辛いから止めて』とストップをかけることで解決が可能と考えています。
    私自身は自分がこれ以上『耐えられない』もしくは『そろそろあぶない』と感じたあたりで自分の意思を表明しています。もともとADHDは対人関係は不器用だから、『(相手が誰であっても)人いると疲れる』ところがあります。一人になれる時間を作ってリフレッシュするとまた『活き返る』のですが。
    だけど批判はしても、相手の人間性を大事にしています(私はそのつもりです)。恐らく他のADHD(一部は除いて)の人もこれは同じで、この部分でASの人との共存が可能になるのだと思っています。
    私の夫は歴史好きで、映画好きです。予想や予測も好きですね。おっしゃるように、いろんなパターンを想定して話したりもします。また話すと非常に長く詳細で、正直ちょっと疲れるかなと思いますが、まぁいいかと思って聞いています。でも悲観論者には思っていません。『マニアックで個性的でユニーク』という見方です。私の父も恐らくASだったような気がするので、ここらへんはあまり抵抗がないのでしょう。
    思いつくまま書きましたが、参考になる部分はどうぞ参考になさってください。

    • yurin
    • 2007年 1月 16日

    HIKARIさんへ
    >ADHDの尻拭いをさせられる恐怖もあるのです。自由を与えた末の尻拭い。努力はするが、『最低原則』の実践はASのACにとってはADHDの被害を被ることは当たり前と言われているような気がしてしまったのは正直な気持ちです。
    実は私には過去の経験からの『ASへのトラウマ』があります。最近気が付きました。
    だからASの一部の人(積極奇異タイプ)の人の行動は理解に苦しむところが多かったんですが、最近少しわかってきました。まあ『大雑把な略図理解』ですけどね。
    あなたがADHDの被害、と言うように、私もAS被害を蒙りました。だからそこのところは『お互い様』と考えることはできませんか?
    ASは繊細、ADHDは大雑把。どちらも一長一短。自分だけが一方的に被害を蒙ってる、という考え方はそろそろやめにしませんか?

    • HIKARI
    • 2007年 1月 17日

    yurinさんへ
    そうですね。私も振り返ると被害者意識が強かったと反省するきっかけになりました。
    ADHDはADHDの、ASはASの、それぞれの『個性』として尊重しあうことが大切なのですね。
    第三者から率直な意見をもらうことは自分を見直すきっかけになります。過去のトラウマを修正するのにちょっと時間はかかるかもしれませんが、しかし『許す』という意識を持つとこれは簡単に乗り越えられるものだと最近感じました。
    『理解して許す』こと。
    そして過去の自分の間違った観念に対して『許してほしい』。『許しあう』ことが一つのステップですね。
    コメントありがとうございます。

    • yurin
    • 2007年 1月 17日

    HIKARIさんへ
    過去を振り返ると私は、2回ほどASの人の被害を蒙りました。今思い出すと2人とも積極奇異タイプの人だったような印象です。
    今も、あの時の記憶がよみがえってきて、怖くなります。
    トラウマから抜けるのに、私はまだ少し時間がかかりそうです。
    『理解』したからといって、いきなり過去の嫌な記憶は、良い思い出には変わりません。
    お願いですから、私に対してこれ以上コメントはしないでください。
    過去のトラウマと最近の出来事で、精神的にかなり辛くなっていて、『これ以上の刺激は受け付けられない状態』ですので。
    どうか、宜しくお願いします。

    • 匿名
    • 2007年 1月 29日

    コメントありがとうございました。
    まーちん様
     ASの人の態度の中に、「はっきり言ってもどうせ理解しようとしないだろう」と思わせるような部分があることが多いと私ははっきり言います。
    mario様
     感覚を含めた了解は不可能かもしれません。それはADHD側からも同様です。そういう了解が出来なくても、頭で分かっているだけでも現実の歩み寄りの努力は出来ます。思いつくことを出来るだけまず行動してみることです。
    yurin様
     この発言の問題点は、もうあなたは理解していると思いますが、「はっきり言ってない」点です。遠まわしな言い方はもっとも避けるべきですね。
    HIKARI様
     あなたのコメントには、はっきり言えば「驚かされます」。「非常に強硬で一切自分と違う意見には耳を貸さない」という印象を与えるコメントと、「理解しようと努力している」印象を与えるコメントがあり、そのギャップに意外な感じすらあります。感情的な反応をとりあえず書く前に、冷静に自分の書きたい事を頭で考えてください。
    serohan様
     「止めてほしい」と書く前に、「振り回すように私には見えます」と書いてみることを考えてみてください。はたして「振り回す」と表現すること自体が正しいのかどうか、お互いにすり合わせをするのが前向きな相互理解です。
    m.y様
     あなたの本音もそのまま言って良いですが、「言い方を工夫する」努力はしましょう。決め付ける前に、「自分にはこう受け取られるのだが」と相手に返してみる方法があります。

    • 匿名
    • 2007年 1月 29日

    (続き)
    ALIVE様
     ASの態度がADHDに「はっきり言えなくしている」圧力はあなたが想像しているよりも非常に大きいと想像してみてください。「どんどん」くらいに言わないと、理解しようとすればするほど「言っても分からないだろう」とADHDは絶望的に感じています。だからこれくらいに言う必要があります。
     逆に言えば、はっきり言わないと、ADHDは病気になるか、離れるしかないというくらいの問題です。
    へんちゃん様
     「地雷」や「トラウマ」は非常に大事なことで、これは感情的にならない場面で言葉で説明しあって行くしかないですね。あなたが説明する前に相手が言わないことも不可能ですし、説明しても百パーセント直せると考えず、「説明してもらったトラウマについて触れないように努力し続ける」行動があればOKというところが現実的な妥協点だと思います。
    ふぇありー様
     自己正当化型ADHDが相手の場合はまた全く別の話になりますが、ここで詳しく検討しているように、「支配的とはどういうことか」ということについてはっきり言葉にする必要があったということです。
     ASの側からどう言葉を使うかについてはまた別の機会に書いてみます。
    HIKARI様とyurin様
     よくお互いに「はっきり」言えました。これが大事です。感情的には辛くても、言葉で説明し続ける努力は必ず相互理解につながります。
    コメントありがとうございました。
    生産的な対話が実現されています。

    • HIKARI
    • 2007年 1月 29日

    YANBARU先生、コメントありがとうございました。
    私のコメントのギャップに驚かれていたとのこと・・。
    「そうだったのか・・」と改めて自分を振り返ることに繋がりました。
    おそらく、『もがき』がそのような形になってしまったように思います。
    数々のやり取りの中で、感情的になってしまったときもありましたが、私はyurinさんが『私に何を云いたかったのか』が少しわかるようになってきました。
    昨日の時点で、自分がどっちなのか診断されるのが怖かったのは、白黒はっきりされると「得るものと失うもの」が明確になるような気がしたからです。
    つまり、言葉を付け加えると、ASの短所を引き受けて生きていく覚悟ができていなかったということと、ADHDの長所にも未練があるという気持ち。
    どっちに転んでも大差は無いようにもおもえますが、ここがASの拘りなのかな?
    でも、昨日は心の霧が晴れたみたいで、気持ちよく眠れました。yurinさんの粘り強い語りかけは、私を救ってくれたと思っています。
    yurinさん、ありがとうございました。

    • yurin
    • 2007年 1月 29日

    HIKARIさんへ
    こちらこそ、一時はかなり感情的になってしまいました。私のこの部分は二次障害の部分(ACの部分)だろうと思います。多数派を内心否定しながら、それを言葉にできないのも恐らくACの部分がストップをかけていたのです。
    もうADHDとして生きるしかないのが明白と自覚していながら、それでも『普通』を捨てたくない気持ちは、もしかしたらHIKARIさんが、ASの短所を引きうけていくことができないのと同じように、ADHDであるマイナスを自分が支える勇気が持てなかった自分の気持ちに近いものがあると思いました。
    今、大袈裟な表現をすれば『生まれてはじめて有意義なやりとりができた』という気持ちです。
    私のほうこそいろんな面でHIKARIさんに救われました。ありがとうございました。

    • yurin
    • 2007年 1月 29日

    HIKARIさんへ
    いえ、間違えました。大袈裟でなく心から『生まれてはじめて有意義なやりとりができた』と、思いました。
    ・・・やっとADHDとして生きるためのスタートが切れそうです。

    • HIKARI
    • 2007年 1月 29日

    yurinさんへ
    私も同じくやっとASとして生きるスタートラインに立たせていただいたという感動があります。
    すがすがしい気持ちです。
    第三者からみたら、結構凄いバトルに見えたかもしれませんね。でも、得たものは大きいです。
    ありがとうございました。

    • yurin
    • 2007年 1月 29日

    HIKARIさんへ
    思えば私はずっと『自分は分からない事が多いダメな人間だから、人間らしい有意義なやりとりなんか望んでもできないだろう』と思いこんでいたようです。友達をもつことも心のどこかで諦めていました。そんな縛りからもようやく開放されつつあります。生きているということは、本当はこういうことだと、やっと実感が持てたようです。
    私は、全くもって、凄いバトルだとは感じていません。
    そして、このような場を作ってくださったYANBARU先生に感謝しています。・・・ありがとうございました。

    • るる
    • 2013年 8月 08日

    >ASと接するADHDは、少し話した印象や言外の態度から、「ASの人にはっきり言ってはいけない」と感じ、本当に言いたいことは言えないことが多い。その結果がAS被影響症候群だが、「盲点」とも言えるほどに、「ADHDからはっきり言えなくなる」のだ。
    私は子どもの理解しがたい言動を理解しようとして、子どもの型については真剣に考えていました。しかし必要に迫られなければ「他者が何型か」は気にならず、したがってパートナーについても深く考えてはいませんでした。
    たった今、パートナーとの関係で、自分がAS被影響症候群になりかかっていることが理解できました。
    もっとも私の“ジャイアンのごり押し”は強力で、実生活上で我慢を強いられていたわけではありません。ですが、非言語圧力を文字通り重圧と感じ、ほんとうに苦しかった。その苦しさを「怒り」で表現していました。
    そういえば彼は「なぜあなたがそんなことで怒るのか理解に苦しむ」と言うことがあります。
    今後は、これまでの私なりのAS理解を“利用”して、自分に抑圧をかけず、同時にAS(らしい)パートナーの受け入れ可能な表現を探して、アプローチします。

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