ADHD関連

うつと身体症状と自己突っ込み

 ADHDの「うつ」と身体症状、自己突っ込みの関係を最近考えている。コメントの中に、「低い自己評価を目指してかえって調子がいい」という証言を頂き、私自身も同感なので、もしかすると「自己突っ込みをごまかそうとすると身体症状が出てくるのか?」と思いついた。

 他人の前でお得意の自己正当化をしても、ジャイアンは少なくとも直後には自己突っ込みで自分を責めることになる。

 人に当り散らすだけでなく、自分が有利になるファンタジーにふけったり、アルコールなどに逃げても、繰り返し失敗したことは蘇って、フラッシュバックのようになる。

 失敗したことを忘れていい気分になっていても、突然嫌な思い出はふっと出てきて、ああやっぱり自分はどうしようもない奴だと自己突っ込みが飛び出してくる。

 「低い自己評価を目指す」ということは、「自己突っ込みの必要性が少なくなり、不意打ちで突き落とされるような自己突っ込みの余地が減る」ことを意味するのだろう。

 逆に考えれば、自己突っ込みをごまかそうとすると、余計に不安が強くなり、結果として落ち込むという仮設が考えられる。

 特に頭痛や吐き気、動悸やふらつきなどの身体症状は、意識化されない葛藤を背景に生じると考えると、自己突っ込みをごまかそうとすると身体症状が出て来るという図式の説明が出来るように思う。

 私はADHDの「うつ」の全体が、自己突っ込みから来ているように思う。先延ばししている自分自身に納得が行かないことがうつの直接の原因であると考える。   

 


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コメント

    • にゃおん
    • 2008年 2月 14日

    >他人の前でお得意の自己正当化をしても、ジャイアンは少なくとも直後には自己突っ込みで自分を責めることになる。
    >人に当り散らすだけでなく、自分が有利になるファンタジーにふけったり、アルコールなどに逃げても、繰り返し失敗したことは蘇って、フラッシュバックのようになる。
    >失敗したことを忘れていい気分になっていても、突然嫌な思い出はふっと出てきて、ああやっぱり自分はどうしようもない奴だと自己突っ込みが飛び出してくる。
    まさに私はこの状態です。特に一番最後のフラッシュバックは毎日のようにあります。
    動悸と頭痛も当てはまります。
    欝で掛かっている主治医は、
    「欝の人は、記憶に関わる海馬が働きすぎる(?)という説もある。嫌な記憶が何回も蘇り、抜け出せない傾向がある」というようなことを言っていました。
    ADHDの欝の人はこの傾向が顕著なのでしょうか。
    それから「低い自己評価」の意味がいまひとつピンと来なかったのですが、
    「低めな程度に自己を評価肯定する」という意味で宜しいのでしょうか。

    • m2
    • 2008年 2月 14日

    私が客観的に見る限り、ジャイアンの方の調子がいいのは、「自己評価が低い時」と「忙しすぎて時間のない時」の2つと考えています。
    ジャイアンは余裕があって考え始めると、思考がとんでもない方向に走ってしまうという障害と考えています。
    ジャイアンは基本的に完璧主義なところがあり、「自己評価が低い時」はひたすら努力を続けるため、考える余裕が無く、「忙しすぎる時」は文字通り考える暇が無い、ということではないかと思ってます。
    「自己突っ込み」も完璧主義の一環で、余裕があると「もっと完璧になれる!」ってことで入りやすくなるのではないでしょうか。
    一方、鬱や身体症状は、頭で考えることが苦手なため、「考える」ことへの拒絶反応なのではないでしょうか?
    見ている限り、ジャイアンの方は考え始めるとまず失敗します。その代わり、考えないで自分の思うとおりに動いているとスーパー(ウー)マン的な大成功を収めます。
    受動型ASも鬱や身体症状は出やすいですが、他人(通常は積極奇異型AS)に行動を強制された時に出ます。
    相対的に自分の苦手なことをやろうとした時にブレーキがかかる、それが鬱・身体症状の意味なのでしょう。
    得意なことも苦手なことも無いのが多数派ですから、多数派はあまりそういう事態にならないだけ。単純にそう考えられると思います。

    • 志ん輔
    • 2008年 2月 15日

    久しぶりに、自分らしく過ごすことができたので書いてみます。(当方依存型ジャイアン)
    大好きな物だけを丸一日見続けたんです。
    人を好きになるようなスリルこそないけれど、愛しても愛してもそこに大好きな物がある。私の場合はそれが陶器なのですが。
    無形のものに価値を見出し、そこに心酔する。これが私の現時点での自分らしい生き方です。大好きな物にだけは心も開けますし、心の開き方も学べます。
    自己評価を上げも下げもせず、自分としての軸を持ち、好きなものを見る。多分これに必要なのは「最低限の生活ができる資金」「嫌ではない仕事」「干渉のない毎日」なのだと実感しています。

    • どらねこ
    • 2008年 2月 15日

     m2様
    >一方、鬱や身体症状は、頭で考えることが苦手なため、「考える」ことへの拒絶反応なのではないでしょうか?
     自己突っ込み全開で、軽い身体症状は見られる、ジャイアン(?)です。
    あくまで私の場合ですが・・・
     頭で考えることが大好きで物を考えていないと落ち着かないようなところもあります。
     もしかしたらADHDは外から見たら何も考えていないように見えるのかも知れませんね。
     実際は3~4の並列思考していることが多いです。
    (CPUに比べてメモリー足りないですが)
    「考えること」とするよりも、「他者から蔑まれる事」、
    「失敗した自分を客観的に見ること」を考えることが鬱
    症状の原因なのでは無いでしょうか?
     他のジャイアンの方はいかがでしょう。
     確かに、忙しすぎる時にはその場は調子良く活動できる事が多いようにも思いますが、
    自分の好きなことでは無いと何もかも投げ出したくなります。(人にやらせられているときなど)
     
     

    • エイト
    • 2008年 2月 15日

    私の体験と観察から思うことです。
    「うつ」の原因は、他者からの強い圧力あるいは自己からの強い圧力(強すぎる自己否定、自己批判、自己突っ込み)を受けて心がダメージを受けることだと思います。
    それは多数派でもACでも ADHDでも同じです。
    違いはダメージが人間のどの部分に出るか、だと思います。
    ある程度自分を客観視できる状態にある人は、心で受けたダメージを同じく心で受け止めるので心のテンションが下がります。一方で自分を全く客観視できない、自分の絶対的価値観のなかだけで生きているような最強ジャイアンは、心で受けたダメージを心で受け止めることは、完全な自己否定につながりあり得ないことです。心は認めませんから(YANBARU先生の指摘する、ごまかす?)身体が代わりにダメージを受け止め、身体のテンションが下がるのだと思います。
    同じジャイアンでも、少しは客観視できる私が「うつ」になりやすく、極端に狭い自分の価値観で生きているように見える私の父親や長男は身体症状が出やすいことからも説明がつきます。
    彼らにはASの人が考えるような完璧主義はなく、自分が実感できる範囲、彼らの思う狭い価値観のなかでの、最高、1番を目指しているように見えますし(よく言えば向上心がある)、困ったことに合理的ADHDにもっとも移行しにくいタイプのように見えます。

    • エイト
    • 2008年 2月 15日

    「病気になる寸前すれすれの低い自己評価」を目標にしなさい 
    教えてくれたYANBARU先生、感謝します。
    最初はそれこそ崖から突き落とされた気分で、もう這い上がってこれないと思いました。
    でも先生の「発達障害の適応の基本方針」に感銘を受けた者として、とにかくやってみよう!と。
    ADHDの「単純、素直、、馬鹿正直」が幸いしたのか、「病気になる~自己評価」と毎日念仏のように唱えていたらほんとうに「人として最低な自分」の心境に。そうすると不思議なことに自分が「無」になる感覚です。そしてなぜかADHDのマイナス面よりプラス面が前面にでて、良いことが連鎖反応で起こります。仕事も家事も手際よく片付け、あれこれ先延ばしにしていたこともスムーズに処理できます。家族やお客様からも感謝されます。結果的に自己評価が上がります。
    うそだ~!と思う方、ぜひ試してみてください。心地いいですよ~。
    私の難点は欲を出して、息子たちの不適応も解決したい、ジャイアンの心理もわかってほしい、とブログのコメントに精を出すと「人として最低な自分」が薄くなってしまい、ジャイアンに舞い戻ることでしょうか。

    • m2
    • 2008年 2月 16日

    ADHDの方には、抽象的な表現よりも具体例の方がわかりやすいですよね。
    「低い自己評価」は私の元婚約者がいい例でしょう。
    彼女は、子供の頃、チビ・デブ・ブスで成績も悪く、運動面でも特に目立つことはなかったそうです。
    奇行も多く、親・先生に叱られたり、いじめにあったり、仲間はずれになることも日常茶飯事だったそうです。
    こんな状態では、低い自己評価になりますよね。
    実際、彼女はいろいろ病気になったそうですが。
    彼女からこういう話を聞いていたので、ジャイアンにとって、「低い自己評価」がいい状態というYANBARU先生の説は良く理解できます。
    特に、子供時代の低い自己評価(若い頃はACの方が良いとも書かれていますね)がジャイアンにとっては一番いい、というのは、彼女を見ていると本当にそう思います。

    • m2
    • 2008年 2月 16日

    チビは、中学入学時に一番前だったのが、平均以上になりました。大人になっても伸びているようです。(ADHD女性はこういう身長の伸び方をする人が多いように思えますが?)
    それ以外は、社会に出るようになって変わります。
    親元を離れ、自己評価の低い自分が生きていくために、必死に仕事を頑張ります。
    デブだと、誰も相手をしてくれないので、必死に節制して今では抜群のスタイルを誇っています。
    ブスも同様で、自分の中身に自信がありませんから、外見勝負!です。他人の何倍もの努力を重ねて、化粧さえすれば誰にも負けない! と言えるようになりました。
    私が「もうすごい美人じゃん」って言っても否定はしません。
    ただ、ブスになって誰にも相手にされなくなるのが怖い(ブスだと自分に存在価値はない=低い自己評価)から、エステ・美容院・高級化粧品、これは絶対にやめられないそうです。
    成績は悪く、学歴はありません。文章を書く能力も無いので、ここには書けないそうです。
    でも、私が見てすごく頭の切れる人です。
    仕事は転々としています。でも、私と会う前は全部人間関係でやめて、次の仕事は簡単に見つかったそうです。どの仕事でも超人的な成果を残してきたそうです。
    普通は簡単につけないような仕事もいくつかやっていたそうです。
    はっきり、ジャイアンには学校の勉強は向いてないです。仕事で学んだ実学のみがジャイアンを鍛えます。

    • m2
    • 2008年 2月 16日

    体力もとんでもなくあります。
    肉体労働系の仕事もしていたようで、筋力も持久力もあるし、休みなしに仕事をしても肉体的には何も問題が無い(精神的な疲労は出るのですが)状況になります。
    普通はかなり体力の落ち始める20代後半の女性としては、驚異的な体力でしょう。
    みんな、子供時代に植え付けられた、低い自己評価が「努力」しないと生きていけないという方向に向かい、結果的には自分を鍛える方向に向かっています。
    そして、今彼女は、最後の鍛錬である、精神力の強化をしています。居心地の良かった私との生活を敢えて離れて、別の男(彼女とは一番合いそうに無い積極奇異型AS)と付き合っています。
    彼女曰く、つらいことは多いけど、生きている実感がある、そして、「どんな人と対峙しても、ADHDを言い訳にせずに付き合える自分になりたかった」ということです。
    この鍛錬が終われば、彼女はきっと私の理想の女性となることでしょう。
    その時に、私の元に戻ってきてくれるのが、今の私の夢です。
    彼女が言うには、「心が動いた方へ進むだけです」だそうですが、これがまさにジャイアンの悟りの極意だと思うのですが、どうでしょう?

    • エイト
    • 2008年 2月 16日

    先延ばしについてなんとなく思うのですが。
    ADHDは脳の中に「先延ばし専用収納庫」をもっているんじゃないでしょうか。
    ADHDは自分の興味のないことには面倒くさがりで大雑把なところがあるようです。だから何か問題が起こったときに、その問題を解決すると自分が面倒くさいこと、困る状況になると直感で判断したら、大きなものでも小さなものでもとりあえずその「先延ばし専用収納庫」に収納してしまいます。
    面倒でも、暇なときにひとつずつ取り出して課題をクリアしていけば容量に余裕があるので困らないのですが、サボり続けて収納庫が問題で満杯になると脳が警告を出して自分に圧力をかけます。それが「うつ」で、症状が心に出る人と身体に出る人がいることのような気がします。
    私もその収納庫にいろいろ入っています。換気扇の掃除、子供の写真の整理、etc、今1番重たいのは絶縁している肉親ジャイアンでしょうか。

    • Whisky
    • 2008年 2月 16日

     こんばんは。自称積極ASの立場から、自分の考えを書かせていただきたいと思います。
     ADHDのいう「自己突込み」ってなんだろうとずっと考えさせてもらってましたが、ここの書き込みを通じてなるほどとうなずけるものがありました。
     思考法の問題として、ADHDタイプの思考法は類推だと自分は思いました。つまり、いろいろな例をみて、類型化して、それにいろんな事をあてはめる。
     何事か初めてのことに関しては判断できないのではないかと思います。比較対象がないから。それが、つまり、例をためておくために収納庫が要る理由だと思います。
     それと、自己突込みに関しては、これはASとしての自分の考えですが、ADHD的な思考では、世の中「一寸先は闇」かと思われます。未来のことは過去に例がある事は類推することはできるけど、そうでないことはできない。だから、24時間いつでも不安で、過去の事を思い返しつつ、常に周囲を観察して情報を収集し続けないといけない。比較し続けないといけない。
     こう考えると、はあーなるほど、これは大変だなあと思いました。こういう「自己突込み」はないですねASには。24時間ずっと悩まされているとはね。
     その点ASは気楽だと思いました。
    まあ、ASにはASなりの悩みや、自己突込みはあるんですけどね。
     

    • Whisky
    • 2008年 2月 17日

     続いて、自分の考えとしてのASの思考法について考えてみました。
     AS的にな思考法は推論です。ある一つの事柄から論理的に話をつなげて考えていく。先のことがわかるんです。(正確に言うとわかると思っているだけだが)なにか初めて出来事に出くわしても、推論によって先が読める。
     そうなると、24時間悩む必要はないですね。先の事がわかると思ってるんだから、あれこれ悩まずに済む。時々、先のことをあれこれ考えて、大体見当をつけたら、休める。46時中悩まないですよ。
     さて、お気楽なASですけど、AS的にな悩みとしては、実際にはそうなるだろうと予測してるだけなので、実際そうなるのは保障はない。
     それを、強靭な精神力で無理やりでも保障しないといけない。そうしないと、先を予測しているという前提が崩壊するから。つまり、思い込まないといけないわけだ。これがAS的な悩みできついところかな。
     このことに関しては、ASがADHDサイドの「自己突込み」に関しての理解が困難なように、ADHDの方がASに苦悩を理解するのは難しそうだな。
     それで、時々生じるのが、先のことを変な方向に予測して、それを思い込むことからくる、不安かな。未来のことは誰にもわからない、一寸先は闇でも思考法でここまで変わるとはね。
     ADHD的には先のことがまったくわからない不安。
     AS的には将来が悪いものになってしまうのではないかという不安。これはたぶん、ASのACになると顕著だろうなあ。
     自分はACとれましたからね、気楽なもんですよ。どう転んだって命までは取られないだろうと思ってるから。いろんなものをどこに置いたかも前にもまして忘れるようになった。過去は終わったことで、常に先に進まないといけない。これもこれで、きついんだよな。
     ADHDは過去と現在に生きているし、AS未来と現在に生きている。
     どちらも、現在に生きることを志向すれば気楽生きていけるとは思うな。

    • 志ん輔
    • 2008年 2月 17日

    m2さん
    >文章を書く能力も無いので、ここには書けないそうです。
    これはないでしょう。現にこうして書いていますよ。
    名前も何度か変えて書いていますが、見苦しいほどのものは書いていません。
    あなたの望みどおりになるかどうかはわかりませんが、日々、自分で線路を作って、方向性も決めて生きていくのは、気持ちがいいものですよ。

    • m2
    • 2008年 2月 17日

    個人的なコメントを書くのは気が引けますが、ASとADHDの認知や記憶の違いのいい説明になるので、解説させてください。
    >文章を書く能力も無いので、ここには書けないそうです。
    そのままの言葉までは覚えていませんが、彼女はこのような意味の言葉は発しています。まだ、ACがかなり入っていた頃でしょうけど。
    AS的認知では、愛着対象の発言は重要なものであれば、忘れません。
    当時の彼女と今は違うのは承知していますが、最新の発言のみが有効です。今回の発言で、過去の記憶が上書きされます。
    ADHD的認知では、そんな過去の自分の発言は全く覚えていないのでしょう。
    長期記憶が欠けているから、と単純には言えますが、「過去の自分」の発言だから覚えていないと考えることもできます。
    ADHDにとっては、「過去の自分」というのは既に別人格なのかもしれませんね。
    ASにとっては、自分の時系列というのは非常に重要なものなのですが。
    もっとも、私の発言で書くのであれば、彼女は文学少女であったことも知っているので、私よりよっぽど綺麗に書けるだろうとは思ってますよ。

    • にゃおん
    • 2008年 2月 17日

    Whisky さんのADHDの心理分析、まさに私の心理状態です。
    凄いですね。
    自分では何とも表現しきれなかったのですが、 Whisky さんのコメントで整理されました。

    • エイト
    • 2008年 2月 17日

    その1
    m2さんとWhiskyさんのコメントで少し違うかな?と思ったので書きます。ジャイアン全部にあてはめずエイトジャイアンはこうだ、程度に受け取ってくださいね。ブログで学んだとおり、ADHDは「行為」のみとらえているので、個人的にm2さんとWhiskyさんに対する意図は皆無ですし、私のことを分析したりもしないでください。
    ジャイアンの「低い自己評価ゆえの努力」と「自己突っ込み」は、「完璧主義」がそうさせるのではなく、あるとすれば「危機感」です。子供の頃から感じた数限りない劣等感が、このままではいけない、絶対に変わらなければ、これ以上みじめな自分を見たくないと、言わば「お尻に火がついた」状態です。また完璧を求めるから「自己突っ込み」するのではなく、「あ~、また自分は変なことをやらかしてしまった(しまう)のか」という自責の念といえばわかってもらえるでしょうか。
    ADHDは過去と現在に生きている、とご指摘のとおり、ADHDにとって未来や世の中は「一寸先は闇」とは正反対、「当たって砕けろ」とか「なるようになる」とか「行き当たりばったり」がふさわしいです。もちろん未来に希望はあるしそれなりの危機感もありますが、未来や世の中自体に関心、興味が薄いです。
    「自己突っ込み」には類型化や情報収集という単語は似合わないです。ADHDは、言葉や出来事の受け取り方が人とは違うということを、自分でも気付くし他者からも指摘されてよくわかっています。そのうえ自分の感情を最優先するので結果的に「場違い」とか、「かなりまわりから浮く」ということもわかっています。
    でもほんとうは、できれば他者にも自分をわかってほしい気持ちがある(このへんは人により違うかもしれませんが)ので、自分の言動(考え)が正しいのか、他者にも通用するのか、いつも気になるのです。それが「自己突っ込み」です。

    • エイト
    • 2008年 2月 17日

    その2
    m2さんもWhiskyさんも、真剣に「自己突っ込み」や「低い自己評価」を理解しようと努力しているのは感じました。
    ASがADHDを想像するとAS的になり、ADHDがASを想像するとADHD的になるのですね。私が「今度お茶しましょう」のところでASの人を勝手にストーカーにした件と同じですね。
    私がASについて知りたいとき、自分で考えても見当違いになるとよくわかったので、これからは想像しないでASの方に直接意見を聞くのが早いと思いました。
    逆に、私がASについて間違った解釈をしていると感じた方はどんどん指摘していただけるとたいへん有難いです。

    • けろけろ
    • 2008年 2月 18日

    エイトさんの自己突っ込みの説明は
    ADHDの自分にはとてもよくわかります。
    「あ~、また自分は変なことをやらかしてしまった(しまう)のか」この自問はかなり良く出てきます。
    ずれているかもしれない自分の思考を違う方向から検証しようとする作業>自己突っ込み。
    そこには当然正解は無い。結果一抹の不安を抱える事になるんですよね。
    こういう心の中での作業はみんなやってる事だと思っていたので、ASの方の反応に驚きました。

    • シュークリーム
    • 2013年 1月 29日

    ADHD躁鬱の子供と毎日格闘しています。ふとしたことでこちらのサイトに出会い、すーっと目の前の霧が晴れていくような気持ちになりました。今後もときどき訪ねさせていただきます。よろしくお願いいたします。

    • 182
    • 2014年 10月 02日

    > 特に頭痛や吐き気、動悸やふらつきなどの身体症状は、意識化されない葛藤を背景に生じると考えると、自己突っ込みをごまかそうとすると身体症状が出て来るという図式の説明が出来るように思う。
    只今現在↑の状況です。
    それでもやっぱり書きたいと思ったのは
    > 「低い自己評価を目指してかえって調子がいい」
    も「逃げ」ですよね?って事。
    確かに自己評価を低く下げておけば、激しい自己突っ込みに苦しまなくて済むケド、その生き方って本来のジャイアンの脳にまっすぐ向き合っているって言えるんだろうか・・・。
    今の私は確かに激しい自己突っ込みによる身体化症状がツラいけど、「頭痛~い」と床にのた打ち回りながら思ったのは、それでも「中心志向を抜く」生き方はできないって事。
    むしろ「中心志向」からくる激しく斜め上な言動に冷ややかな視線が突き刺さっても、それでもなお、そうするしかない自分を受け入れ、自分を信じるしかないじゃないか、と。
    ってかこんな風に思うから頭痛で目が回るのかな。。。
    それでも、経験上、自己評価をどんなに下げていても、自己突っ込みは決して消えてなくなってはくれないのですよ。
    それって結局「低い自己評価」で自分を誤魔化して「自己突っ込み」から逃げようとしてるだけのサエない自分で、それがまた自己突っ込みってスパイラル構造なんですよね。
    って、、何か変ですかね?
    今はとにかく、自己突っ込みを飼いならしたい、という心境です。
    どんなに後ろ指指されても、前に進むしかない。
    どんなに孤独になっても破壊神になることを恐れない。
    それが私がジャイアンに生まれた唯一の意味に思えるから。
    な~んて、言って。そのうち耐え切れずに多数派に埋没する人生を選ぶのかも知れませんがね。
    (だいたい、この文章自体に自己突っ込みの荒らしが吹き荒れるけど、、、それがどうした文句があるか、なのです。)

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