AS(アスペルガー)関連

ASの受動性

 ASの人はこだわりにしても、首尾一貫した価値観にしても、強い自分なりのスタイルと主張を持っており、一見したところ「受身」というイメージは持ちにくい。しかし実はASの人は「受動型」の他、「積極奇異型」の人でさえ「相手があってから」という受動性を持っている。

 もともとASの人は「人との関係が絶えず意識されて」生きている。「相手がなくて自分だけで」ということはありえない。その場に何名かの人がいれば、「自動的に」その人たちの反応を見ることに集中し、自己主張などは最初からはとてもできない。

 自己主張も結局は誰かからの働きかけに「応じる」形でなされることが多く、形は「受動的」ということになる。

 考えてみれば「愛着」も本人が自ら選べるわけではないのである意味「受動的」だ。選択の余地なく、愛着の対象となった相手には支配や服従という結果になる。

 受動型の人でなくても、言葉での表現自体が「お母さんがこう言ったから」といった受動的な表現となることも多い。これは良く分からない多数派から見ると、「責任転嫁」という風に見えてしまうのだが、実は「相手との関係性の中での存在」「相手の出方を見てからの受動性」というポイントを考えれば、ASの人から見てそういう表現となることは想像することは可能だ。

 「本質的な独自性、こだわり」と、「その場その場での徹底した受動性」 の両方が同居するというのがASの人の立ち位置であり、傍からの理解を困難にしているポイントの一つだろう。


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コメント

    • あやまま
    • 2007年 7月 29日

    こないだまで付き合いのあった人に、わたしも良く「どうしたらいいんですか?言ってください」と言われました。「じゃあわたしが~してって言ったらそのとうりにするの?」と聞きましたら、「出来ることならします。出来ないなら、出来ないといいます」と言われました。これが受動性といういうことなのかな、とふにおちました。残念ながら、私はもうついていけなくなったので、そのように伝えましたが、彼は特に残念がってもいないようで、そのままつながりは絶たれました。きっとこのような形で付き合いが終わったことも、彼の中では彼なりのストーリーが形成され、「変わった人やったなぁ」「ひどい目にあった」ということに消化されているのでしょう。もう全く連絡もなくなりました。私は彼がASであっても大好きだったのですが、やっぱり付き合い続けることは「不可能」になりました。彼と付き合いが始まったきっかけは彼が失恋して落ち込んでいたこと。いろいろ相談にのり、彼の憔悴ぶりを近くで見ました。でも彼女を失ったときみたいには私のことは思わないだろうなと思います。これが愛着の対象であるか、ないかの違いなのでしょうね。少しさみしいけど、この2年間かれに対してしてきたことはすべてブラックホールに吸い込まれたようで、なにも返ってきませんでした。このできごとは私に何を教訓として残したのか?もうちょっと考えてみます。

    • 蒼井 かえる
    • 2007年 7月 30日

    人前では常に人を意識して観察しています。
    それに合わせるように行動しようとCPUは最高にまわっている状態です。
    相手があるととても疲れるのでそういう環境をなるべく避けています。
    社会復帰出来なさそうと思いながら。

    • まぁ
    • 2007年 7月 31日

    わかる!ってか自分のまんまです。
    この上手な説明を周りに教えたいほどです。
    (自分はこうなんだよって。まぁ、見せませんが・・、見せてもわかってくれないだろうし。。)
    私は恩着せがましいとも言われますが、その責任転換じゃないと一緒です。
    マイペースなんですけど、「常に集団に合わせつつマイペースと維持できる。」んです。っていうか、まるで一定の距離を保ちながらも知らない人であってもみんな繋がってるように思ってて、周りに臨機応変に対処しつつ自分でその中を泳ぐって感じ。
    みんな自分と他をわけてるけど、私は周りが海で自分は魚。常にその海の中に身をおいていかに上手に泳ぐか。暮らすか。だから、海の外で別々にって個々の感覚とは普通の人とまったく違います。水がないと生きられないので・・・かといって他の人から見たらワガママ・協調性に欠けるなどといわれてしまいますが、相手や周りの動向の中で最大限両方の都合のいいのを選択してるだけなんですけどw
    だから、自分は積極奇異型なんで、長く友達してる子は受動型です。私が何でも仕切ります。いちいち一から全部指示するくらいに。他の人なら逆に嫌なのに、その子はそうやって押し付けられるくらいのほうが心地良いし、私もその子が欲しとしてることを判断して、(つまり受動型が上手に積極奇異型を操作している)やってます。なので、常にお互いがワガママを通していて、なんとも言えない普通の人にとってはわからないような意思疎通です。

    • yukizo
    • 2007年 8月 04日

    先生はよく観察されていると、いつもながら驚かされます。
    愛着・執着の対象は人とは限らず、組織であったり言葉である場合もあり、相対させることで自分の存在を意識しているのだと思います。
    私がおもうに、AHDHの方はまず自分が存在することが絶対の事実だと意識しているような気がします。
    ASはというと、まずなんだかの『ルール』がありそれをまもることで存在することがききる(存在が認められる)と考えているのだと思います。
    だから、上司から言われた『アドバイス』は無視したり(アドバイスは命令ではない)、初期のころに決まったがすでに風化した『方針』をを護り続けたりする。(方針変更の決定はまだないから)
    それが周りから見ると、上司の言うことを聞かない、自分が態度を変えないのを他のことの責任にしている態度に見えるのだと思う。
    基本的にはASは自身の存在を非常に希薄に考えているのだと思う。
    自分の存在が許されるのは、すでに『存在』している強い何かにかや、弱い何かと相対化させる必要がある。
    それが受動的な行動になり、更には対象である人や物や組織、発言やルールに執着することにつながるのではないかと考えています。

    • hikari
    • 2007年 8月 08日

    何度読んでも、当たっています。
    自分の立ち位置を言語化していただき、ありがとうございます、って言うか、裸にされたみたい・・。(これ読んで、固まってました)
    しかし、客観的に見ると、「こんな無責任で信用できない人は友達にしたくない!」と、思うので、凄く複雑です。
    でも、本人は必死なんです・・。
    「これを言ったら自分がどう思われるか?」とか、「誤解されたくない」とか。
    それがかえって、理解を困難にしている?
    ガックリ・・!

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