ADHD関連

目的と意義

 私は昔英語の授業について「何でアメリカ人の習慣を勉強する必要があるか?」という根本的な疑問を持って英語の勉強をするのに気が進まなかった記憶がある。

 発達障害は自分が納得するようにしか生きられない。だから、(言語的に明確に説明された)「意義」や「目的」が必要だ。英語は何のために勉強するか?、そもそも学校がある意味があるのか?、自分がこの世の中にいる意味は? など、多数派の人には思いもよらないことで当たり前に悩む。

 運動会は何のためにあるか?、リレーにはどんな意義があるか?、一番になることにどんな意味があるか? 私はぜんぜん意味が分からないままただ言われるままに参加してきたが、もしも事前に私が納得できる意味を説明してくれたら(自分が納得することの重要性にもっと早くに気づき自分で調べるなどしていたら)参加の仕方が全く違ったに違いないと思う。

 どうしても勉強に身が入らないときは、何とかして自分自身の興味のあるものと勉強することを無理矢理にでも「イメージ的に結びつける」。

 例えば私の場合は「シェークスピアやバーナードショーなどの作品を原語で読める」という風に無理矢理考えて英語の勉強をしていた。

 だから発達障害の学童で宿題をしないという場合には、「宿題と言うものが何であるか?」という説明からするべきであると私は思う。逆に考えて、意義も説明されないままに無批判に従える多数派のほうが不思議な気がするとも思えるのだが。    


関連記事

  1. うつと身体症状と自己突っ込み
  2. カネと感情問題の混同
  3. ASの「躊躇」
  4. 「普通の範囲内」
  5. ジャイアンの本質(中間総括)その3
  6. ACの双方向性
  7. 受動型ASの理解
  8. 精神疾患に見える発達障害シリーズ⑧

コメント

    • むーん
    • 2008年 9月 28日

    私の場合・・・
    小4の時から大手進学塾に入れられて、「お前はT大に入れ!」とゆう親の(半分嫌味)命令をそのままKYに真に受けて、「勉強はこれすべてT大に入るため」という単純至極な「目的と意義」でがり勉してました・・・(阿呆か!)
    問題は、T大にすべって美大に入り直した時です。美大としては2番手で、実技のいらないデザイン科とは言え、当時新進の教授がそろった面白い授業ばかりだったので、
    「古い映画の知識が欲しい」という理由で映像概論を取り、「レタリングが上手くなりたい」という理由でレタリングを取り、「広告のからくりが知りたい」という理由で広告論を取り・・・
    しかし、私は知らなかった。美大とはあくまで一種の専門学校。なりたい職業のイメージがこれっぽっちもないのに、ランダムにただやりたい授業を取ってしまい、自分のキャパシティーを越えるのはもちろんのこと、3年になって専門科に進む時に失敗して、見事に中退しました・・・(白痴か!)
    PS;ま、後になって掲示板でいい加減な漫画評論を書きまくる教養の素にはなりましたが。それが結局、無意識の「目的」だったのかなぁ。

    • くらら
    • 2008年 9月 28日

    私には世の多数派が様々な決まりを従順に「決まりだから」と守れることが不思議でならない
    私の場合はその決まりがある「理由」や「目的」を説明してもらい納得しないと本当は守りたくない
    ピアノですら
    「本番」があるから練習するのであり
    「本番」がなかったら練習しない

    • ネコ
    • 2008年 9月 28日

     確かに、「目的」「理由」は 他者からみてたとえ屁理屈であっても 必要と感じます。逆に、自らのはっきりした「目的」があると、過集中も手伝ってか 積極的に邁進する気がします。

    • mikan
    • 2008年 9月 28日

    はじめて参加させて頂きます。ADHDの当事者です。
     私の中学校の朝礼の後では決まって走らされました。なぜか足がクラス全員ピッタリと揃う(右、左、右・・と)まで、走らせ続けさせられました。制服のまま・・連帯責任ということで、合うまで走らされ続けます。右左が逆の私は合わせるのが苦手です。私一人が合わず、皆が走らされ続けるので当然クラス中から私は非難の的でした。
    私はずっと、多数派の人が『本当は意味が無いと知っているのに』周りに合わせているだけなのかと思っていました。それでもピントが合わず(行動と理屈が合わなくて)『自分で考えない人達』なのではないかと捉えていきました。
    多数派は理由を必要としていないのでしょうか。
    それとも、本当は全てを理解した上で合わせる方を優先しているのでしょうか。
    理由も無く受け入れられることのほうが私には怖いです。

    • ウェンディ
    • 2008年 9月 28日

    私は中学頃から数学が苦手でした。苦手なだけではなく、なぜ数学を勉強するのか分かりませんでしたから、分かりたいとも思いませんでした。
    中学二年の頃、方程式やルートを使った計算が、生活のどこに必要なのか、先生に訪ねたことがあります。答えは「受験に出るから」「いい高校、いい大学に入るため」です。
    私は将来は演劇をやりたい、俳優になりたい、いい大学は目指していない、と更に聞くと、さすがに先生も困っていました。
    多数派の人たちは、「受験に出るから」と言う説明が自然に受け入れられるのでしょう。
    今でも日々、好きなことだけに熱中しています。
    それで幸せです。
    この年齢(来年還暦)までくると、それを押し通してきたことを誇りに思います。
    多数派の人生より面白い!

    • むーん
    • 2008年 9月 28日

    >多数派は理由を必要としていないのでしょうか。
    それとも、本当は全てを理解した上で合わせる方を優先しているのでしょうか。
    今日、自立支援法が改悪(あえて改悪と書きます)されるという悪夢のような情報を聞いて・・・
    政府は、精神病院の中を視察したことがないとしか思えない!
    はっきり書きますけど、皆が皆、立ち直れる病気ではないんですよ。(「回復」と言う言葉が合言葉のようになっている現在でも。)
    ・・・1000歩譲って、皆が「回復」出来ると言うならば、それだけの医師と薬と施設を完備して欲しい。今の現状は酷過ぎです。
    皆が皆、理由なく(理由があっても)合わせられる社会ではもう現在ないんです。いや、いつの時代だってそうだと思うけど、特に今の日本は厳しいです。
    方針が厳しすぎて、(完璧主義過ぎて)首になったAS元彼ですら「まずい」と言っていた現行法が更に3割負担とは!麻生太郎、下々をバカにすんじゃねぇ。

    • mario (AS)
    • 2008年 9月 28日

    おぉ数学!
    私は数学が大得意で、方程式なども応用を含めて良く理解していました。
    ところが三角関数でつまづきまして…応用が出てこないので全然意味が分からない。本当に苦しみました。が、電気工学の分野で応用的に使うようになった途端、一気に理解が進み、自由に使いこなせるようになりました!
    英語はごく最近、必要に駆られて勉強し始めました。必要なんで(使うんで)段々と面白くなって来たのですが…いかんせん、始めるのが遅すぎました(^^;
    世の中の決まりについてですが…
    多数派は群れる性質から自然に決まりを守るのではないかと。群れるのに特に理由を必要としないように思います。
    私は(ASは?)自分のこだわりにぶつからなければ、決まりを守った方が上手く世渡りできるので「決まりを守っておく」「決まりを守ってやる」って感じではなかったかと。中学校の校則なんかも「馬鹿げた決まりだなぁ」と思いつつ、特にそれから逸脱しませんでしたから。

    • you
    • 2008年 9月 29日

    運動会・・・魔の運動会の季節!
    今年年中の息子は果たして参加できるのか(いやきっとやらないから期待しない、昨年はずっと逃げ回って泣いてたし)、とテンション低く観に行きました。
    「暑いから(練習は)やらない」「日陰で見てるんだよ僕は」、と一度も隊列練習には参加しなかったらしく。
    しかし、本番当日、待ち時間はフラフラとあっちこっち行ってしまうので補助の先生に拘束されっぱなしだったものの、出番となると、いきなり並んで何事もなかったかのようにグランドに出て行き普通に踊ったり走ったり。担任の先生は「やってくれました!感動しました~!」と半泣き・・・。
    要するに、「出番だけちゃんとやりゃいいんだろ」という姿勢が見え見え・・・練習はアホらしくてやらない、という性格なのか・・・。確かに炎天下でトロトロとやるもどかしい練習時間は大人でも多数派でも苦痛。意味がわかんないんでしょうね、何度も何度もやらされることの。
    あれほど普段待てない性格なのに、鉄道模型展などのシミュレーター体験「50分待ち」とか、こちらは辟易するのですが、ひたすらずっと列に入って待てる、この差は何なんだ!好きなこと・やりたいことなら、とことん忍耐もきくのだな・・・。このデコボコというかムラが、やはり多数派のお子さんと違うところなんでしょうね。
    そういえば3歳の頃から、「どうして?どうして?」とどうでもいいと(私は)思うことにも、しつこく理由や目的を聞く子です。納得できる理由なら、やるんだということには気付いていました。
    やはり、好きなこと・集中できること・目的がはっきりしていることを見つけるのを手伝い、「その道で生きていく」人生を構築させてあげるのがベストなんでしょうね。

    • kei_
    • 2008年 9月 29日

    >もしも事前に私が納得できる意味を説明してくれたら
    >(自分が納得することの重要性にもっと早くに気づき自分で調べるなどしていたら)
    納得・・・がキーワードな気がします。
    目的や意義を説明or持てても、それに納得できていないと
    どうも「納得できない!!」(笑)
    妙に不安定な居心地の悪さが付き纏う感じ・・・。
    無理矢理「納得」の出来そうな目的や意義を見つけ出す(調べているかも?)

    • くらら
    • 2008年 9月 29日

    なるほどASはとりあえず自分の為に決まりを守っておく
    なのね
    父には散々
    お前にはモラルがない
    と言われたけど
    その父が家庭内暴力ふるった時には
    何いってんだか
    と思った
    自分が暴力ふるいたくなったらモラルも何もなくなってしまうのね
    三角関数はなんとなくわかっていたつもりだったのでそのうちボロが出てわからなくなった
    しかし大学入ってから理系の友人に理屈を教えてもらいとてもよくわかった(遅い!!)
    わけわからないけどとりあえず公式暗記、という技がないため数学物理は大変でした
    ウェンディさんが書いているようなことは私も感じていました
    先生に聞くことまではしなかったけど
    早いうちからコース分けした学校制度はできないのか?と考えていた
    私にとって高校とは音大受験資格をGETする為に行くところだったので。
    しかもピアノの練習時間確保の為に近くに通いたい、と思ったらそこは県内指折りの進学校で。
    音大に行きたいのに凄い苦労しました。

    • まり
    • 2008年 9月 29日

    >意義も説明されないままに無批判に従える多数派のほうが不思議な気がするとも思えるのだが。   
    多数派も、意味や説明が必要ではあります。様々な事について『なんで?』という疑問も持ちます。ただそれに対して明確な回答が得られない場合でも『まあ、そういうこともあるよな』とか『こういう理由で自分はやればいいや』という風に納得してます。明確な納得で無くてもさほど苦痛ではないですね。そういった内側での納得のプロセスを表に出す事もないので『無批判に従える』ように見えるのだと思います。
    体調やら気分やらその他の理由で群の課題をこなす事にめっぽう気が乗らないときは、群から離れて一人勝手な行動をして調節してるように思います。

    • you
    • 2008年 9月 29日

    軽度ジャイアンらしき息子の、運動会。
    なぜ、去年は全くダメだったのに、今年は本番のみ完璧
    だったのか・・・
    運動会の数週間前に、「今年はビデオカメラで撮るよ!」
    と、家族へ家電店へビデオカメラを買いに行ったのでした。
    本人もあれこれ触りまくって、これがいい!と機種選定に参加。
    「かっこよく踊ってねー、走ってねー。後でおうちのテレビ
    で一緒に見るからね!」と何回か言い含めて・・・
    やはり「注目されるの大好きジャイアン」なのか、自己顕示欲
    を刺激されたのか、映されるのならばやろう、という目的ができて、
    本番のみ、やったのかも。
    パパもママもいない、撮影されない練習では全然やらずに。
    何のためにやるのか、「目的と意義」、キーワードですね本当に。納得です。

    • あおがえる
    • 2008年 9月 30日

    子供を納得させることがこれまた難しいのかもしれません。
    僕自身も意義を見出す=やる気を出すまでとても苦労しました。
    しかし、結局のところ無理矢理やっていたというレベルにしかたっしていなかったように思います。クラブ活動にしても。
    将来の職業を見据えて、その職業にどんな能力が必要かと考えるようになってようやく学校時代の勉強の大切さに気づいたのでした。
    大人だったら簡単に説明出来そうなものですが、子供の納得を引き出すのは難しいのかもしれません。
    特にこだわりが強い場合は。

    • あひる
    • 2008年 9月 30日

    私も何故英語を勉強するのかわからなかったです
    (他の科目もですが...)
    別に外国に行く予定もないし。
    それでもデヴィッド・ボウイなどUKの歌が好きだったので勉強はしました。
    でも英語は...う~ん、この辺のアメリカ人に片言で通じるとわかるとあまり意味がなくなりました。
    一度、授業で質問をバラバラに答えてしまったことがあります。
    あっと思ってちゃんとした文章で言い直したのですが
    心の中で「それでもちゃんと伝わるんだよなぁ~、大事なのは度胸と発音じゃないのか?」と思っていました。
    (発音は悪いのですが...)
    宿題の意味
    未だに私もわかりません。
    娘にどういう風に説明していいか...
    「何で宿題ってあると思う?」と一緒に考えてみようかなと思います。

    • むーん
    • 2008年 9月 30日

    >やはり、好きなこと・集中できること・目的がはっきりしていることを見つけるのを手伝い、「その道で生きていく」人生を構築させてあげるのがベストなんでしょうね。
    おっしゃる通りで・・・
    私などは、この年になっていまだに「結婚・仕事」の意義がよく分かりません・・・(今思うと、官僚にならなくてよかった。)
    回復の12ステップに「芸術」の文字がない、と言ったら怒られたけど、怒るべき問題なんだろうか。今は、どっちみち頭が散漫でそれどころではないんですが・・・
    やはり何でもプロにならないと真の回復とは言えないのでしょうか。なんてごちゃごちゃ言ってる間にすることあるような気も確かにするけど。

    • ネコ
    • 2008年 9月 30日

    昔、友人宅に居候させて頂いた事がありまして、そこの子が 今思えばジャイアンぽい…。宿題を何故やるか?は、よく聞かれました。「今日習った事をしっかり脳みそに染み込ませる為」と答えてました。渋々、納得というか 逃げらんないと観念してたみたい。漢字書き取りが難関でした。毎日、横に張り付いて、正解なら「ピンポーン!」とか、間違えたら「オシイ」「ブッブー」とか、一文字毎ゲーム感覚で合いの手入れてました。居候の暇人だからできた事。プリント一枚が永遠に続く道の様に思えました。

    • rid
    • 2008年 10月 01日

    >数学
    marioさんと同じです。
    私は微積でも躓いて、電気工学の為に覚え直しました。
    数列や確率は身近だから好きだったけど。
    昔から何でも習得したい気持ちが強かったので
     英語を話せないよりは、話せた方がいい
     通知表の点が悪いよりは、良い方がいい
     他人と合わせるスキルが無いよりは、有った方がいい
    という感じで興味自体は無いことに対しても、割と張り切っていました。
    (時間も体力も有限、ということに気付いたのは大人になってからでした。)
    英会話を習得すれば、世界の大部分の国で通用するだろうと思い、
    憲法を暗記すれば、日本の仕組みを掌握した気分になり、
    「仕切りたい」気持ちは満たされたのですが、、
    『そういえば何のために頑張ったんだっけ』って感じです。
    生涯を捧げられそうな仕事も、心底愛せる趣味も、見失ってしまいました。。

    • ぐり
    • 2008年 10月 01日

    私はもう30過ぎの年齢になると言うのに、世の中のあらゆることが納得できないことだらけという有様です。
    他人を信用できないからでしょうか・・・
    人と力を合わせて
    人と協力して
    なんてとても出来ません。あげくに引きこもってしまいました。
    高校の球技大会、クラスメイトに「この試合勝ったら決勝だね!絶対勝とうね」と言われたとき一応「そうだね、優勝したいね」なんて合わせてたけど内心は「すぐに負けたらその分試合数が減ってこんな緊張することはないのに」と運動オンチの私は思っていたなあ。
    獣医になりたかったのに成績が足りなくて農学部の別の学科に進学したときも、農場実習のことを「なんでこんなことみんな嬉々としやってんの?無意味じゃん」などと思っていたなあ。
    最近ある人に「あんたは人をなめてるんだよ」と言われました。
    私は他人が怖い、とずっと思っていたのですが、なんとなく「他人が怖いから信用しない」のと「他人をなめているから信用しない」のは一緒かなあ、と感じました。
    ですが、その物事を納得できないからしないのか、単にあまのじゃくで人と関わりたくないからしないのか、良くわかりません。

    • むーん
    • 2008年 10月 01日

    思えば・・・
    家の場合、AS父が引きこもりの私に「森茉莉みたいになればよい」とよく言っていて・・・
    両親が揃って、引きこもりの目的と意義を歓迎していたような感じだったんですよね。
    当事者の私一人が、(今思えば)家族の中で一番「普通になりたい、普通の主婦やOLでありたい」と焦っていたような気もします。(普通の目的と意義もよくわからないまま。)
    作業所に通うようになって、普通の人から見れば遊びの範疇に入ることでも、ようやく「稼ぐ」という事を20年ぶりに始めて、「やっぱり引きこもっているのはよくないよ」と思うようになった。(と、言って、自分に本当に普通に生きる才能があるのかどうかまだよく分からないんですが。)
    ちょっと主旨から外れますが、とにかくあまのじゃくなまでに”普通”に憧れていたんだなぁとつくづく思います。

    • むーん
    • 2008年 10月 01日

    学校の勉強ですが。
    私の場合、ジャイアンAC丸出しと言うか、「これが出来れば岩山の頂上にいられるし、多数派にいじめられなくて済む」という明快な理由で一心にこなしていたように思います。
    高校に入って、サインコサインを初めとして何もかも分からなくなり。(超のつく受験校だったので、当然回りは皆分かっていた)ロック評論に逃げましたが、これまた「自分より出来る」奴がいることが分かって逃げた・・・
    掲示板で漫画アニメTV評論を書きまくっていた当時は、過食に悩まされて一人吐いていた。
    やっぱり、無理に無理を押して、奇麗なアパートでマーチャンダイジングの仕事をしていた20代前半が、今思っても蛍光灯で照らされたように明るい思い出だったなぁ。案外「目的と意義」が世間の単純なレベルでしか分からない、子供っぽい頭脳構造だったのかも知れないです。

    • kei_
    • 2008年 10月 02日

    >体調やら気分やらその他の理由で群の課題をこなす事にめっぽう気が乗らないときは、群から離れて一人勝手な行動をして調節してるように思います。
    ・・・・この手の行為に関して、罪悪感、とまではいかなくても、なにかしら後ろめたさを感じていました。
    わがまま、自分勝手、協調性に欠ける、変わり者(笑)。
    時と場所、状況にもよりますが、多数派さんに比べて、体調や気分の変動も大きくて、「調節」や「調整」が長時間あるいは、頻繁に必要だとすると、どうしても他者からはそう見えてしまうでしょうし・・。
    自律神経のバランスからしても、群の課題をこなすために緊張していれば当然、交感神経優位になり過ぎて身体(脳)はリラックス=副交感神経優位にもっていこうとするだろうし・・・・。
    わがままでも、自分勝手でもどう思われてもいいや・・と開き直るのも手ですが、この「調節」「調整」という考え方も使えそうですね。
    認知の修正・・・・?!(笑)
    もちろん、時と場所をわきまえて、ですけど、、、
    たぶん、ほって置くとどんどんリラックス方面に偏ると思う・・・。(汗)

    • 匿名
    • 2008年 10月 03日

    久しぶりにコメントします。
    受験勉強の目的は「経済的自立」でした。
    親の支配から逃れたい一心でもありました。経済的に自立しない限り私はこの親に支配され続ける、と確信したのが14歳のとき。親元を合理的に離れることを考え始めました。結婚するまで親に支配され、結婚したら夫に支配され、年老いたら子供に支配される、という人生もまっぴらごめんだったので、支配されないためには経済的に自立するしかない、そのためには親にも文句がつけられないような職業に直結した進学を、という風に考えました。
    ある科目が嫌いになると勉強できなくなるのは自分でもわかっていたので「どんなに成績が悪くても、その科目を私が好きかどうかというのは別の問題、私はどんな科目も嫌いじゃない、浅く広い興味の持ち主」と自己暗示をかけるかのように意識していたのも記憶しています。
    難しい問題を解くのは疲れるし、やる気が失せるので、自分の水準よりも低いと思われる基本的な問題集を選びそれを完璧に回答できるようにして、達成感を自分で演出したりもしました。
    自宅から遠くの大学を志望して「この大学にしか自分は行きたくない」と親を説得し「合理的に」自宅脱出を実現した、と自分では思っています。
    経済的に自立でき、職業を通して社会に参加できたおかげで「こんな私でも生きていていいんだ」と思えるようになりました。

    • mario (AS)
    • 2008年 10月 03日

    進路・進学に関しての実例
    私(積極奇異型AS)の場合
    最初から自分のやりたい事だけをやってました。小中学校でも自分が知りたいから、解りたいから勉強するって感じ。理数系は強いが、社会科はサッパリ。高校進学時、合格していた進学校を蹴って工業高専に進学すると言った時には先生に呼び出されて反対(説得)されましたが、両親は有り難い事に「好きなようにやれ」と。高専はヤンキーだらけで人間関係に死ぬほど苦労しましたが(ま、AS的には経験としてプラスだったかと)、高専から大学に進学し、研究職に就けました。振り返ると進路的にはベストでした。なんせ好きな勉強だけしかせずに済んだのですから。
    元妻(ADHD、多分ジャイアン)の場合
    小中高とトップクラスの成績を誇る(本人談)も大学進学時に父(多分AS)から進路を反対されて受験(国立大)に失敗。有名私立に進学するも一切勉強せず。就職にも失敗。父の仕事の手伝い(事務)、親の紹介での秘書などをしてました。私との結婚で寿退職、同時に本人の希望で専門学校へ行き、資格を取って就職。その後離婚となりましたが、本人は子育てからも解放されて、生き生きと仕事しています。彼女の人生の軌道修正は成功したように見えます。(私は子供を抱えて大変ですけどね^^;)
    と言うわけで、ADHDもASも自分の納得するように生きるのが良さそうだと言う実例でした~

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP