ADHD関連

ジャイアンの教員

 学校の先生になるには民間企業に比べれば実は社会性は比較的問われない。医師と同じく教育学部の入試と教員採用試験に受かればなれる。仕事についても相手は世代の違う子供であり、極端に言えば強引にでも「仕切れる」立場に居る。

 もっとも同僚や上司との付き合いではこの同じ意味において(おそらく同じ発達障害仲間が多くいるので)一般社会よりも苦労するところがありはする。私は心療内科の臨床の場で休職中の教師もいくつかのケースの話を聞いてきた。

 さてジャイアンの立場からすると、結果的には教師は適職の一つではある。権力により優位に立ち「仕切れる」立場が初めからあり、ADHDの合理的で公平な部分と、子供たちのために一生懸命になる特性をプラスに生かせば、ADHDであることを強みにすることまで可能である。

 「一人の先生が超人的な取り組みで学校を変えた」というような話はおそらくジャイアンの先生が強迫的な行動力の末に引き起こしたのだろうと私は想像する。

 ただし、明らかなことだがジャイアンは思い込みが激しく、しかも「表面的」なものの見方をしたり、ジーキルとハイドの相矛盾することを平気で言ったりする脳の働きの厳然とした傾向があり、エゴを振り回した場合に弱い子供を引きずりまわす可能性が常にある。

 受動型ASはぶら下がるのでかえって安定するだろう(翌年不登校になる)が、積極奇異型ASの児童生徒がジャイアン教師と合わないで不登校になることが多いようだ。

 学校にASの説明に出向いて「無理に登校を強制すると病気になる」ことを3時間も説明したのに、校長から「いかにもジャイアン」という感じの「はじめに登校ありき」という表面的な発想を繰り返されて絶望的な気持ちになったことがある。

 だから、教師が適職となるには、ジャイアンは徹底した合理的な親の元で苦労して二次障害となり、一時病的になり、ACを自覚して低い自己評価の中で自分に常にブレーキをかける思考を身につけた場合のみということになる。

 理想を言えばジャイアン型ADHDであることまで診断がつき、自分の発達障害を理解してマイノリティーの自覚をするまで行き、教師自身が通院して定期的なコーチングを受ける体制が確保されれば、ほぼ確実に「使える」教師になる。


関連記事

  1. 思い込み型ADHD
  2. 「理解」の意味
  3. 発達障害と人格障害6.演技性人格障害
  4. 合理的な思考②
  5. のび太とジャイアン2
  6. 他者のイメージへの説明①時間的継続性
  7. 発達障害と解離性障害
  8. 外来予約について

コメント

    • あひる
    • 2008年 5月 06日

    >~自分の発達障害を理解してマイノリティーの自覚をするまで行き~
    依存もひっくるめて進んだり戻ったりです。
    カッとした時は相手だけではなく自分のことも「こう思っているから腹が立つ」と分析しています。
    自分はこういう人間だと理解して了解しつつもコントロールは難しいですね。
    (コントロールは私にはまだ先のことなのか...)
    今は自分にも周りにも厳しい状態続いています。

    • yohko
    • 2008年 5月 06日

     アルコール依存症で、ADHDです。なおかつ、中学校の養護教諭です。
     yanbaru先生の力量をもってしても ジャイアン教員の理解は得られなかったのですね!
     
     この25年間、私が恐怖したのは、生徒の暴力でも保健室にベッタリ張り付く生徒でも、モンスターの保護者でもありません。この手の教員です。保健室がかかわる生徒を、「甘え・甘やかし」というスタンツを何十年もかえない。問題が起こっているベースを考えようとはしない。驚くべきことです。
     けれど、ジャイアンで学校が回っているのも事実です。
     
     
     

    • こぱんだ
    • 2008年 5月 06日

    よくぞ書いて下さいました。
    まさに、不登校になった我が子のクラスの担任の有様です。
    なんだか、してやったりな感じで、小心者の親はにやけてしまいました。
    我が子はたぶんジャイアンですが、ものの見事にジキルハイド攻撃と、
    表面的なことしかわかってくれない厳しい指導で、沈没しました。
    そして合理的ADHD傾向の母(私)からも、とことんは守ってもらえず、
    こんこんと常識などを説かれ、二次障害バリバリになってしまいました。
    対応に関しても、私や他の先生方の話は右から左でしたが、その道の偉い方
    (たぶん、ジャイアン)に話をしていただいたら、インスト〜ル終了。
    翌日から激変でした。納得されたら、あとは早いし、行動力抜群!
    直球な対応ではありますが、頼りにはなりました。
    担任をはずれた今では、責任もないので、ジャイアン同士、ノリは似ているのか?可愛がっていただいてるようです。
    子供にとってはつらいことでしたが、思い返せば自身を省みる、よい機会にはなったようで、今でも天狗にはなりきらなくなりました。
    それにしても管理者がそうだと、下の先生方と保護者は本当に大変ですね。
    やんばる先生、ご苦労様です。

    • さーこ
    • 2008年 5月 06日

    今回は主観で書いてみるので、これを読んだ人で不愉快な気持ちになってしまったらすみません…。
    私が高校生だった時に、教員になりたての若い女先生にあたった事があります。
    その女先生はクラスの副担任というポジションでしたが、なぜか私に目をつけ、「さーこさんは私と似ているから」という理由で目をかけられるようになりました。(私からすれば、その女先生と私とでは、全然似ていなかったのですが…。)
    私はハッキリいっていつも困惑しており、その女先生からかけられる言葉と気持ちがいつも苦痛でした。(ありがた迷惑とも言う)
    私は、小学の終わり頃まで関東地方で育ち、中学にあがる前に九州の今住んでいる場所に引っ越して来たのですが、小さな時から積極奇異型ASの特徴を持っていて関東地方ではうまくいっていたものの、九州に来てからうまくいかない中学時代をすごしたので、
    高校に入学してからある程度時間が経ったある時、私が中学時代のクラスメイトと上手くいかなかった苦痛を抱えながらその女先生に自分の気持ちを吐露したところ、
    「それは、さーこさんが当時のクラスメイトに対して東京の自慢話をしたからじゃない?(感情的なものを考慮しない合理的な結論)」と言われ、
    当時積極奇異型ASの特徴を持っていた私は、その言葉を「疑問系の会話に見せかけた断定話」と受け取ってしまい、絶望しました。
    しかも、高校卒業までの3年間、ずっと先生も環境(クラスメイトの顔ぶれ)も変わらなかったため、本当にどうする事もできず、どうしようもなかったので、その事件があった後の辺りから自分で自分を追い詰めるしかなくなり、徐々に受動型ASに移行していった記憶があります。
    その事件の後ぐらいから、私はその女先生(たぶん地元(九州)以外を知らない、土地から出た事のない女先生)をほとんど信用しなくなりました。

    • ぴよよ
    • 2008年 5月 06日

    おお、職業名を名指しで直球ですね!
    これができるところがブログのいいところですね。
    考えてみれば、全国の発達障害児が全員通ってくる道が、教員と親との関わりですね。その次ぎにチャンスに恵まれれば医師、その次ぎに理解者や自己理解のチャンスにめぐまれれば仕事、その次ぎにもっと運が向けば恋愛のチャンスがめぐってくる・・・ようなものでしょうか。
    人は誰でも赤ちゃんで生まれてきてから大人になるのですし、大人になる前にはどうしても親とは別に、子どもの心を分かっていて、子どもが嫌いではない人に、育ててもらうプロセスが必要ですからね。
    子どもと波長を合わせられる人、子どもを引きつけられる人を探すとどうしても、そこに発達障害傾向のスペクトラムを持つ人も入ってきてしまうでしょうね。
    そして、少しでもスペクトラムが傾いた人がいないと、個性の強い子も居場所を感じられなくて寂しくなると思います。
    だから、私個人の意見としても、居て欲しいです。
    一定の適応力と協調性を身につけたうえでAS、ADHD、できるだけいろんなタイプの先生に学校に居てもらったほうが、子どもの立場ではそこから選べるチャンスがあると思います。
    個人的な意見ですが、悪影響さえなければ、担任、担任以外関係なく、子どもにとってはただの癒しになる存在の先生が居てもいいです。決して甘えや無意味ではないと思います。
    無理してカーテンなどで仕切った場所を作らなくても、人と関わるだけで癒されたら、それは幸せなことでないかと思います。
    >受動型ASはぶら下がるのでかえって安定するだろう(翌年不登校になる)
    これは切ない例です。無理な過剰適応から解放された後、次ぎに受け持つ人間が泣きを見て、ひどいと孤立します。くい止められるべきです。
    しかし、狭い職員室の中で、誰か一人が自己嫌悪に常時苛まれていたら、周りにも影響を及ぼす例があります。
    必要な人は、心ゆくまで支援を受けられる未来は、いつ実現するのでしょう・・・。

    • エイト
    • 2008年 5月 07日

    私の経験と観察では、いかにもジャイアンふう、ASふう教員は、私(ジャイアンなのが致命傷なのか)から何を言われようが自分の指導方針を絶対変えません。校長ともなると「学校という隔離された世界(治外法権)の主」みたいに思っていてかなり手ごわいです。
    だからまともに話し合いなんてしてもこちらが腹が立つだけだと学習しました。教員、校長という人種は世間一般では尊敬されていても、私の尊敬に値しない人物なら対等またはそれ以下に思っています。
    専科教員から次男への体罰を、ジャイアン校長のものすごい発想力と編集力と演技力でもみ消されたときなど、朝から校長室で大喧嘩したこともあります。そのときは即、地元の警察に相談し、刑事さんが学校に注意してくれました。
    次男は嫌いな先生には生意気でいうことをきかないタイプなので体罰を受けやすく、その一件から学校でなにかあったら担任、校長ではなくまず警察に通報しなさいと教えてくれたのは教育カウンセラー(学校のではない)の先生です。警察が傷をみれば傷害事件!?かどうか鑑別できるそうです。
    理想的な指導など期待しないけれど、被害だけはあたえないでほしい、切に思います。
    次男と相性がいい担任はお2人とも合理的ADHDふうです。この先生達は児童や校長がどんなだろうと左右されず、自分のやるべきことをしっかりやって、親や校長に文句など言わせない自信をもっています。
    おそらく多数派のお子さんは、環境にあまり影響されず学校という社会できちんと過ごせると思います。その意味するところはジャイアン教員のエゴを発揮できる、児童を管理しやすい。
    発達傷害のこどもたちに視点をおいて指導する。その意味するところはジャイアン教員の優位を抑えなければ成り立たない。
    やっぱり期待なんてするのはやめよう。

    • やや
    • 2008年 5月 07日

    日本の教師は大変ですね。
    勉強だけでなく、道徳も心理的ケアもスポーツも生活指導も、最近では医療的ケアまで全て背負わされて、その上「善意」で働くことを求められているので、本当に不憫に思います。
    本来、教師も人間なので、良い教師悪い教師は必ずいるはずなんですけどね。
    モンスターペアレンツの出現など、ダメ教師を許さないという最近の世の中の風潮は、不器用にしか生きられない発達障害者がますます疎外されていることと繋がっているような気がします。
    藪医者とか反面教師とか、そういう人間味のある言葉は今後使われなくなっていくのでしょうか。
    子どもと完璧に関われる素晴らしい人間だけが、教師になることを許される世の中になっていくのでしょうか。
    もしそうだとしたら、もともと不器用な発達障害者は、ますます生きにくい世の中になっていくような気がします。
    みんな不完全な人間なんだから、それを認める社会になってほしいです。
    そうでないと、人間らしい生き方はできないです。
    記事とは違う内容になってしまいました。
    すみません。

    • あおがえる
    • 2008年 5月 07日

    発達障害が仕事に活きるとは素晴らしい!
    コーチングの専門職があっても良さそうですね。

    • ぐり
    • 2008年 5月 07日

    私の息子は知的障害ありの自閉症で、小学校の情緒障害学級に在籍していました。
    担任がおそらく何らかの発達障害を持っていて、定型である私とコミュニケーションが取れず、大変な苦労をしました。
    息子が知的に低いこともあって、息子は担任を負担に思うことはなかったようです。
    ただ、それ以前に担任していた普通学級ではニコニコ微笑みながら悪気なく言ってはいけないことを言い、子供の心を傷つける、ということを繰り返してきたようです。
    父兄が抗議に行くのですが、会話にならないので解決するわけがありません。普通学級から追い出されて来た、というのが実情でしょう。
    息子の担任時もありえない問題を起こして、学校の管理職は平謝りしてました。
    ただ、「自分は教師として真面目な気持ちでやった」を繰り返すのみですが、それが教師として非常識な行為だと分からないのです。状況を理解することができないのですね。
    「相手の気持ちが分からない、どういう人かも分からない」そうで、よく小学校教師が務まったな、と思います。
    私もこのサイト等を参考にして「コーチング」に近いことをずいぶんしました。そのおかげで素人ですが、ずいぶん発達障害に詳しくなりました。
    息子の担当医、以前の私の担当医、養護学校の教育相談などにもアドバイスを頂きました。
    しかし、話の意図が伝わらず、本人が理解したかは分かりません。
    あまり話が通じなくて「自分のほうがおかしいのではないか」と思ったこともありました。
    しかし、今この担任から離れ、子供たちの担任と普通に話すと教師というものは知性もあるし察しもよく、話が通じないということなどないのだ、と今は思います。
    発達障害らしい教師は多いのだ、と教育委員会でも言われました。
    活躍もするけれど、持て余してもいる、存在だそうです。

    • エイト
    • 2008年 5月 07日

    去年の次男の担任はおそらく多数派だと思いますが、最後の成績表のコメント欄には「自分で環境を整えて、授業を受けやすくする工夫をしましょう」みたいなことが書かれていて唖然としました。
    特別支援というのは、その子にふさわしい環境を学校側が配慮して整えその子に必要な指導をする、ということだと私は思っていました。
    次男の特別支援が「絵に書いた餅」状態で全く機能していなかったことについて、学校を責めたことなど一度もないのに。この担任のコメントで、日本の学校教育のお粗末さを思い知りました。

    • ぐり
    • 2008年 5月 07日

    私の息子も特別支援教育を受けています。
    エイトさんの学校とのトラブルは壮絶ですが、この担任の書いた言葉自体は問題ないと思います。
    この言葉もある一面から見れば正しいからです。
    特別支援教育はまだ過渡期だし、現場の教師もしっかり理解していない場合が多いです。
    場合によっては父兄が教師を指導していかなくてはいけません(素直に聞いてくれるかは分かりませんよ)教師は公務員なので自分の落ち度を認めないものです。
    学校で「できること」「できないこと」を見極め、顔色を伺いつつ、自分の子供に適した環境を作るために、細かく要望を出していく技術が必要です。
    発達障害で手の掛かる子供を持つ場合、学校とのトラブルが起こりやすく父兄が細心の注意を払う必要があります。
    学校や教師に明らかに過失がある場合でも、学校と「どちらが加害者、被害者」という関係になるのは極力避けるようにしなくてはいけません。
    とにかく、どんなに腹が立っても学校で声を荒げないこと。校長室で喧嘩しないこと。他の教員も見ているからです。
    「あんな親だから子供も・・・」みたいに思われたら子供が不利です。
    体罰は静かにこっそり証拠を集めること。警察に訴えるのは最後の切り札です。「こんな学校辞めてやる!」という時まで取っておきましょう。
    体罰は私の子供にもあったのですが、証拠を固めて管理職に「冷静に」突きつけ、自分に有利な状況に持っていけましたね。私は定型ですので、駆け引き大好きです(^^)

    • エイト
    • 2008年 5月 08日

    ぐりさんは凄く冷静なのですね。ジャイアンに足りないのは冷静沈着さだと思います。私はいつも問題発覚→即行動のワンパターンです。
    体罰の件で私のやり方は世間一般に好ましくなくても結果として、次男への体罰がなくなったのでそれでよしとするしかありません。
    学校側の謝罪が私の目的ではないのに、ジャイアン校長は自分の立場を守るために、それこそ表面上体罰そのものをなかったことにしようとしたので、こどもを置き去りにしたジャイアンのエゴバトルに発展してしまいました。校長、専科教員、次男、私、全員がジャイアンというのも問題を大きくした原因だと思います。
    でもこのジャイアン校長は有難いことに教育者としての合理的部分も次男に発揮してくれて、丁寧に次男の学習面、行動面をみてくれました。(私としてはジャイアンの矛盾の典型的例のように思えて、複雑な気持ちになりますが)
    私は体罰に関してまた発生するようなら警察に相談します。何故なら、ぐりさんの仰る「冷静な証拠固め」の中身が想像できません。よろしければ指南してください。

    • エイト
    • 2008年 5月 08日

    私の個人的な感想では、発達障害のこどもの指導に最適な教員は、YANBARU先生の仰るように、ジャイアンでかつACであり、自信の発達障害を自覚しコーチングを受けている人だと思います。貴重な存在です。
    その次には、児童がどうであれ左右されずに自分の姿勢を崩さないで指導する合理的ADHDの人。
    多数派の教員は、どうやっても発達障害というものを理解できないので放任になり、結果的にこどもはみんなとの違いをつきつけられる(自分が思うだけでなく担任からも烙印を押される)だけのように思います。
    自覚なしジャイアン教員は「全てが自分のさじ加減のような勘違い」、ジャイアンの優位、エゴを発揮するのではっきり言って迷惑です。
    ASふうの教員(たった一人でしたが)は、守ってもらえるジャイアン校長と組んで強気な態度だったのに、問題が教育委員会に伝わったとたんに低姿勢に変身し、今でも私は理解不能です。

    • ぐり
    • 2008年 5月 09日

    冷静、と言われると心外ですね(笑)子供の立場を悪くすることなく学校から最大の支援を得られるように、親として考えて振舞っているだけです。
    「臨機応変」がジャイアンに難しいことは分かってはいるのですが、学校で無駄に騒ぎを起こすと、その時は収まったように見えても、この先いろいろな形で悪影響が起こる可能性があるのです。
    それで大きなお世話と思いつつ、言ってみただけです。発達障害者は先の見通しを持ちにくいと聞いています。
    教師を「ジャイアン」「合理的ADHD」「AS」と区分するのは勝手ですが、大半の教師は多数派だと思います。
    私にも発達障害状の性質はいくらかあります。全体で考えると「定型」だろう、という程度です。
    現在は新採用の教師には一年間(多分)の試用期間が設けられています。正式に採用してしまうと公務員なので解雇できないので、その前に様子を見て不適格教師を排除するためです。
    だから、実際は発達障害の教師は減っていくのではないかなぁ、と思います。というより、発達障害の教師を秘密裏に排除するために作った制度かもしれませんよね。

    • あひる
    • 2008年 5月 09日

    横レスです。
    ぐりさん...はじめましてで失礼します。
    >冷静、と言われると心外ですね
    ...どうしてですか?
    最初に
    >証拠を固めて管理職に「冷静に」突きつけ、自分に有利な状況に持っていけましたね。
    と言う具合に書いてあるのはあなたではないですか?
    エイトさんとのやり取りを見ておかしいと思いました。
    前のコメントがエイトさんあてなら
    もう学校での騒ぎは起きてしまったので起きないようしましょうという話は遅いような気がします。
    トラブった後「私はこうしました」なら参考になると思いますが。
    私も息子が小学部の頃、担任ともめたことがありました。
    今は高等部ですが「母親問題あり」で引継ぎされていると思いますよ。
    おかしなことはしていないので別にかまいません。
    ただ養護学校といえども専門の先生はいないので仕方がないという現実にぶち当たりました。
    現在の担任がトラブルの理由を訊くのであれば話すつもりです。
    触るつもりないみたいですが。

    • ぐり
    • 2008年 5月 09日

    それと、私的な話ですが、私の母親は絵に描いたようなジャイアンです。このサイト見て本当に納得しました。否定する条件が全くないくらい完璧なジャイアンです。
    そして、母は私の反面教師でもあります。
    「冷静な証拠固め」と言っても、その事件によって状況が違うので私の子供の事件の説明が役に立つとは思えません。
    私は確かに冷静なほうかもしれません。理路整然と話すほうだし、感情的にはなりません。
    他の父兄からの評価は「何でもよく考えて話す人、迂闊なことは言わない人」だそうなので、エイトさんとは違うタイプなのでしょう。というか、やはりジャイアンということでエイトさんは私の母と似ているように思います。
    だから、私はエイトさんの様には考えないけど、エイトさんの気持ちは分かります。
    実は、体罰の証拠もあったのですが、学校や父兄が私の言うことを頭から信じてくれたのが一番大きかったです。
    学校や他の父兄が担任の味方になったら孤立するかも・・・と不安でしたし、その他担任が起こした問題は奇想天外、荒唐無稽なものが多く、話しても信じてもらえないかも、という心配もありました。
    みなあっさり信じてくれたので、私のほうが拍子抜けしたくらいです。話したこともないPTA会長からも電話があり「私にできることがあれば力になります」と言われました。
    学校とも喧嘩したのではなく、私が状況を説明して謝罪をもらった、という感じです。
    授業改善のために、他の先生(指導主事まで)も介入、指導して下さいましたね。

    • ぴよよ
    • 2008年 5月 09日

    >ジャイアンでかつACであり、自信の発達障害を自覚しコーチングを受けている人だと思います。貴重な存在です。
    その次には、児童がどうであれ左右されずに自分の姿勢を崩さないで指導する合理的ADHDの人。
    そうですね。前提としてジャイアンが先生をやるとしたら、職務能力を付ける理想の道は、記事に書いてあるとおりですね。
    なおかつ、子どもジャイアンと十分ラポートを取れる力は、元ジャイアンの先生にかなうものは無いと、私も思います。
    ただ、このまま学校という場所が、不適格職員をどうにもできなくなると、ぐりさんの情報のようにゆくゆくは切り捨てられていくだけになるのかなとも思いました。
    性格の病気なら切り捨てやむ無しですが、発達障害が起因する鬱などの二次疾患や先天性の鬱なら、本来なら回復させ、持ち直させる手だてを取るのが望ましいのではと思います。公務員を羨ましいと思う考え方の人なら、切り捨てには賛成かもしれませんが、一度そういう形で国民が政策を認めると、次々と国から弱みに付け込まれるのではと個人的に危なさを感じます。
    発達障害、疾患持ちを切り捨てた後は、産休、病気休暇、味方がいなさそうな立場の人に次々に規制を広げ、折角進んできた労働者の権利を後退させ、民間にも無言の抑圧をかける気がします。
    医療制度やリタリンの理不尽さを目の当たりにし、これからは誰が付け込まれるか分からない世の中になっていくような怖さを感じました。
    話を戻して、なるべく多くの発達障害の子どもに「診断済み」「二次障害治療済み」の先生があてがわれるシステムをどう作ったらよいものか、考えていました。
    あてがえばいいというものではないのですが、大人になればそういう理想的な話し相手が必ず見つかるとも限りません。私のように幻のような友達像を頭に描いて大きくなって、抑鬱っぽくなるよりは、子どもの内に多くの教員の中から見つかることは幸せであろうと思います。
    続きます。

    • ぴよよ
    • 2008年 5月 09日

    続けます。
    しかし残念ながら、親子の立場で探すのは、かなり難しいと思います。
    今の学校のシステムや実態では、まず発達障害持ちの人間はカミングアウトをとてもしづらいです。その上配慮を受けるには、まともな管理職に恵まれなければなりません。保護者にまでなんてもってのほか!でしょう。
    無理ないですが、仮にカミングアウトなり情報を手に入れた保護者がいたら、保護者の立場では、我が子が普通じゃない先生に受け持たれて何か不利益を受けたらどうしよう、と心配するのは当然だろうと思います。
    仮に管理職が先生からカミングアウトを受けたとしても、保護者の余分な不安、不要なトラブルを予防するためには、今のところは十人中十人の管理職は個人情報として隠すと思います。
    ではどこから調達するか。(調達でもしないと、全然見つからないものです)
    とりあえず網を張れる場所としては、学校、そして病院ではないでしょうか。
    学校の先生方に、にこやかに話しかけて(母はこれが上手でした。何故できるのか今でも謎です。)“匂い”をかぎ分けて仲良くなり、これはと思ったら管理職に「来年はあの先生を」と根回しをする・・・。(母はしませんでしたが。)
    理解のある管理職になら、「担任とは別に子どもの話し相手を捜したい。発達障害児の独特な話の相手の経験がある先生がどこかにいないか」とはっきり伝えて、管理職からコーディネーターの先生を通して、養護学校や教育大に探りを入れてもらう方法もあると思います。探っても、必ず見つかるとは限りませんが。
    あと精神科医師なら「発達障害」とストレートに注文して探せるでしょう。これといって緊急の治療疾患が無くても、段階を踏まずズバリ「学校に心を開ける相手がいないので、話し相手代わりに通っていいでしょうか」と言えば、引き受けてもらえると思います。
    あと思いつく場所は、診断と治療済みで教養があって子ども好きの発達障害の成人が働きやすい所、児童館とか塾・・・教育大が敷居が高かったら小さな短大や保育士養成の専門学校になら、家庭教師などのアルバイト募集の申し込みが出来るところもあるので「発達障害の子とお話ししてもらえませんか」と募集をかけるというのはいかがでしょう。
    難点は経費がかかり、学生だと未成熟な人に当たる可能性もあるのですが・・・。

    • エイト
    • 2008年 5月 10日

    「学校との付き合い方」については私はもう方針を決めています。「相手に何も期待しない」「被害を被ったときには抗議する」「(ひどい)体罰を受けたら警察へ行く」この3点だけです。それ以外は時間の無駄です。
    なので、もっと良いやり方がある、あるいはそんなやり方ではこどものためにならない、と思う方が当然いるでしょうが、前にもコメントしたように私は自分の尊敬する人、好きな人以外の人からどんなアドバイスをいただいても「私の人生なんだからあなたには関係ない」と思うだけなのです(孤独なのです)。アドバイスをしてくれた人には申し訳ないのですが、本当に余計なお世話なので、その人にとっても意味がないし時間の無駄だと思います。ご自身の個人的経験や意見をコメントしたいなら他の人のコメントには絡まない、触れないでコメントをするべきだと思います。
    あと私にとって「心外」という言葉はきついです。「冷静と言われると心外です」と言うなら、こちらは「私のやり方を批評されるのは心外です」と返すほかありません。私としてはあひるさんと同じく文章から感じたことを(極力不快感を与えないよう配慮して)書いたつもりなので、「心外」と言われると、もう生産的会話をする気分になれません。

    • ぐり
    • 2008年 5月 10日

    あひるさん
    「冷静でありたい」というのは私の努力目標です。
    ジャイアン母に振り回されないように子供の頃から心掛けてきました。自衛手段のひとつなのです。
    母の話をすれば、ここでは書ききれるものではありません。
    この件では冷静にできたのですが、時には感情的になることもあります。(冷静なほう、ではあります)
    当然ですが子供が「学校」に在籍している限り、また問題が起こりうる可能性はありますよね?
    誰の問題も個々の事情があるので一般論では話せないのですが、「これから」を考えて意見したつもりです。
    私の意見は、ありきたりの、ごく平凡な意見です。
    ぴよよさん
    教育委員会で話したとき、「発達障害の教師を学校内でフォローはできないのか?」と聞きました。
    たくさんいるし、トラブルも教育委員会にたくさん上がってきている、でも、他の教師にその余裕がない、当然予算もない、との返事でした。
    以前に比べて教師個々の仕事量が激増しているのは報道もされているしご存知だと思います。だから仕方ないのかな、と。
    個性の範囲内で収まれば、別にどんな先生がいたってかまわないと思うのですが、実際に問題を起こせば・・・ウチの担任みたいにですが・・・収集がつきませんよね。
    発達障害があったほうがよい場合がある、というのは発達障害の子供を抱えているので分かります。
    では、定型の教師ではダメなのですか?私の学校でずば抜けて優秀な教師が特学にいます。特学だけでなく、普通学級の発達障害児も扱っています。
    彼女は誰がどう見ても定型です。しかし、状況判断力に優れ、頭がよく、いつも勉強を欠かしません。客観的な判断力があり、問題児もモンスターペアレンツも上手に扱います。
    「ジャイアンじゃなきゃ」って言うのも逆差別みたいな気がしています。

    • エイト
    • 2008年 5月 10日

    それから、「~するのは勝手ですが」という表現をされるのも私にはそれこそ「心外」です。ご自身の母上がジャイアンであるという理由でYANBARU先生のブログに参加するのは自由ですが、ここはジャイアンが世間一般、多数派の常識からかけ離れた考えでも、「勝手」に「自由」に表現することが許される場です。(個人攻撃を除く)
    不快に感じる教育関係者、保護者は先生のブログを訪れるべきではありません。
    これらをご承知の上で「~は勝手」と表現されると、私としては、日頃の私の単純、野生の本能丸出しのコメントを不快に思い否定したい気持ちが非常に強い人の感情表現としか受け取れません。
    本心がどうであれ、もう私は会話を続けるつもりはありません。

    • ひまわり
    • 2008年 5月 10日

    私は、障害者(児)通所施設で働いています(私は児童デイサービス)。
    ここは、子育てのため職を離れ、旦那と離れた後に働き出した場所なので、4年目ではありますが、発達障害の勉強をし出し、旦那や娘の謎が解けた上、20年も何も知らずに(旦那と)関わってきて、かなりの理解と対応方法を身に付けてきたので、楽な気持ちで働けています。
    職員同士・職員と保護者…大切なことは、定型発達であろうが発達に偏りがあろうが、理解しあうことです。
    共感することは無理ですが、理解しようという『意識』が持てるかどうかが大きな鍵だと思います。
    職場には、診断はされていなくとも、ASやジャイアンはいると思われます。
    発達障害を持っている(だろう)職員の、発達障害児に対する分析は素晴らしいものがあり、通じるものがあるからか見抜く力は神業的です(←これが、重要です)。
    しかし、指導となると、通常発達の感情やら学習の仕方が分からないためか、本に書いてある通りだったり、誰にでもいつでも同じであったりします。思い込みも激しく、周りの忠告やら提案を聞き入れはしません。
    そのお粗末な指導を裏で上手く支えていくのは、定型発達の職員です。
    そして、職場内の人間関係も、定型発達の人(福祉関係で理解があるため)の寛大な心で保たれていきます。
    私も、親としては腹立たしく思った学校の先生がいたことで、悔しい思いをしてきました。
    駄目な先生(人)を排除しようと考えてしまうと、自分の娘は『駄目』の部類に入る可能性も無きにしもあらずなので、足らないところは補いつつ、『使える』教師になってもらいたいと願っています。

    • あひる
    • 2008年 5月 10日

    論点がかなりずれています...
    私が訊ねたのは
    何故自分から「冷静」と言い出したのに人に言われると心外となるのか?
    それに私はエイトさんあてのレスだとしたらあれはどうだろう?的なことを書いてあると思います
    もう警察沙汰になっているケースに警察を使うのは最後の手段ですとアドバイスしても遅いのです。
    個人に向けてではなく
    まだトラブってないジャイアン親の為にいってあげているのだというのなら別になにもいいません。
    (聞くのも流すのも読んだ人の自由だと思うので。でもいってあげるているという態度は反感を買い易いでしょう)
    学校に在籍している間のトラブル回避としての例をあげてディスカッションも悪くはないと思います。
    (別にそういうことを反対しているわけではないので)
    >その事件によって状況が違うので私の子供の事件の説明が役に立つとは思えません。
    私もそう思います。
    >~「これから」を考えて意見したつもりです。
    意見をしてあげているのに素直に聞かないから腹が立ちますか?
    私は私に突きつけた話ではないので別になんともないのですが
    (おかしいところの指摘と疑問に思ったところを訊ねただけ)
    意見した~というような言い方や態度は...。
    ジャイアンに詳しいならそういうことされるのがイヤだということは知っていると思います。

    • エイト
    • 2008年 5月 10日

    (こんな経験をしたという体験談と感じたことを書きます)
    私が遭遇したジャイアン校長について思うのは、こちらは体罰についての謝罪や責任までを求めているわけではないのです。
    本来なら民間であれば(ビジネスライクに考えれば)当然発生する謝罪や責任も「治外法権の世界」なので、長い学校との付き合いの過程でそこまで要求しても無理だと、そういう観念は通用しない世界だと、諦めているのです。
    でも体罰という事実があったのだから「その事実については潔く認めて、二度と起こらないようにきちんと教員を指導していく」という校長のあたりまえの姿勢、誠意の言葉がほしかったのです。その言葉だけを校長の口から聞きたかった、それだけです。
    でもジャイアン校長は事実自体を認めないし、もし認めたとしても部下である(体罰をした)ジャイアン教員を正しく再教育できないであろうことは容易に想像できます。
    自分たちこそ暴力を抑えられないのに、児童生徒には「暴力はいけません」と説教することの矛盾。体罰を繰り返してこどもが良い方向に変わるならば、それも違法ではあるが効果があったと認めるけれど、全く逆効果であることに気が付かないことの愚かさ。彼らは教員を「仕事」として自ら選択しているのです。しかもこどもや親は教員を選ぶこともできません。
    もしきちんと自己突っ込みできる人間であれば(発達障害であろうが多数派であろうが)「教員は自分には不向き」と認めて辞めるか、「使える教員になる」と決心して真剣に取り組むかそのどちらかに決めるはず。どちらも選択しないのは迷惑きわまりないです。公共社会の不利益だと思います。

    • ぴよよ
    • 2008年 5月 10日

    インターネットという場所である以上、私の肩書きを濁して申し訳ないです。普通学校から少しだけ離れた場所から教育を見ている者として、今回のテーマは切実と言うか、ひしひしと切ないですね。
    >「その事実については潔く認めて、二度と起こらないようにきちんと教員を指導していく」
    最終目標がこの言葉であることは、筋が通っているし、良識のある要望としてその通りだと思います。
    私の若い頃、ADHDの言葉を私も誰も知らなかった頃(そろそろこの仕事を任せても自分で対処できるだろう)と、とあるクレーム対応を任されました。当然結果は撃沈でした。
    それからも、発達障害持ちのかた達大半が職場で味わってきたような罪悪感と針のむしろを感じ、自分に出来る仕事を小さくなってこなしながら、他の人がクレーム対応をする様子をずっと手本として見聞きしてきました。
    残念ながら、エイトさん達とは違って、言動が一致しない、組織相手の話し合いや交渉ということのやり方が分からないクライアントは年々増えてきています。
    モンスターとは別に、どこかが病んでいるようです。
    だから、対応者が完璧主義であればあるほど、これからも守りは強く細かくなるでしょう。そしてこれがこなせる人間は、裏を探らず人の話を聞ける素直な心や、繊細な感受性を持っていては勤まらなくなるでしょう。
    では困った子ども達が置いてきぼりをされないためにどう変わっていったら良いかというと、対応者はクライアント一人一人個人を見極める目を持つ、これしかないような気がします。「この人はこういう気持ちでこの言葉を言っている」と見抜く。難しいですけどね。
    対応者の個性とか、独特なセールスポイント(例えば地域アピールにダンスチームを作るのが好きとか)で、全体が変わっていったり、許される時代ではなくなっていき、多くの変わったクライアントが個別対応や、協調性のないVIPのような待遇を求めていくようになっていくのではと思います。
    私のようなのろまの受動タイプは、変わろうとしてもしても、いつまでも周りの仕事に追いつけません。

    • エイト
    • 2008年 5月 11日

    私がジャイアン校長と接触して感じたことがもうひとつあります。
    ジャイアン母である私がジャイアン次男を正しく教育できないのと同様、ジャイアン校長はジャイアン教員を正しく教育できませんでした(体罰の被害は何回も訴えていて校長自身も認めていたのに、最後にアザができるほどのことをされたときにはもみ消すという経緯でした)。
    紛れもない、問題を抱えた二組のジャイアン達がそこにいました。校長は次男の特別支援などに関わらなくていいから凶暴なジャイアン教員をどうにかしてくれ、というのが私の本心でした。誰かに助けてほしい、この現状を受け止めてほしい。でも頼るところはありませんでした。この現実があったから、私は「学校には何も期待しない」という結論、「ひどい体罰は警察へ行く」という結論に達したのです。
    発達障害のこどもの教育に携わる教員は、まず自身の発達障害に気付き、自覚と理解をするのが親である私からみた最低条件です。自覚もせずに、「こどもを理解しよう」というスローガンは建て前で、実際には自分のやり方を一方的に押し付ける、自分の思い込みで突っ走る教員が多いように思います。
    しかし自分はこんなに偉そうなことを言えるような人間ではないことはわかっています。
    (みなさんのコメントを読んで)ご自分と向き合っておられる教育関係者の方は十分に私の尊敬に値しますし、先生のブログの場を共有できることは私にとって貴重であり尊いことです。

    • エイト
    • 2008年 5月 11日

    度々すみません。
    今回の先生のテーマをいろいろと考えてみると、私のような人間が(自分のこどもでも)きちんと教育しようと思うこと自体、思い上がりの甚だしいことなのかもしれないという気がします。
    だいたい自分で自分をうまくコントロールできないのに、こどもにどうこう言える立場でありません。
    私はせめてひとりの人間として、誰からも突っ込まれないような正しい生活を維持することだけを目標に生きるべきなのかと思います。
    ジャイアンを育てるにはモデルとなる環境が大切というYANBARU先生の言葉が身にしみます。
    こども自身は、義務教育という大人社会が作ったルールや、教室という空虚な檻や、融通性と理解のない教員や、煩わしく絡まってくる友達という名の迷惑から、本人が望むならば(ひとりの個人として尊重して)きれいさっぱり解放してあげる。なぜ人とは感じ方が違うのか、本人の「脳の機能の問題」を十分に説明してあげて、あとはとことん自分と向き合ってもらう。「自分が納得して行動した結果」どうなったのか、身をもって知ることがこどもの本当の勉強なのかもしれない。自己責任の訓練をどんどんしてもらう。これは先生の「わがままと理解」のテーマに素直につながります。
    私のなかで「欠けたジグソーパズルが埋め込まれて完成していく」ようです。実際に行動できるかどうか自信はありませんが、イメージができただけでも100歩前進です。
    仕上がらないパズルを強引に完成させようと苦しんでいた頃は、パズルのピースが足りないことにも気が付きませんでした。

    • ぐり
    • 2008年 5月 12日

    否定するとか悪意があるとかそういうことではありません。
    このブログは当事者同士の貴重な交流の場であり、それは大切なことです。
    しかし、インターネット上で誰にでも公開されている、専門医のブログでもあります。(私見と書いてあるので、その辺は了承して読んでいます)
    パスワード認証があって、読める人が限られるブログであるなら(例えば当事者以外はコメント不可、など)私の意見は無礼です。
    「ジャイアン」という言葉で検索すれば、本屋以外はほとんどこの「意味不明な人々」というブログの記事です。「AS」でも多数ヒットします。
    発達障害を少しでも知りたいと思ってネットに繋げば、このブログを避けることは逆に困難です。
    (私は母がジャイアンですが、私自身は専門家ではなく、日々勉強中です)
    アクセス数はかなり多いし、多数派の人もかなり多く訪れていると推測できます。特に当事者の家族など、その大多数は冷やかしではなくて理解、支援の必要があってここを訪れているのだと思います。
    コメント欄には常連さんが多くて、ここが大切な和みの場所だというは読んでて分かります。
    内輪話のつもりでも、信じられないほど多数の人が目を通している。それがネットの良さであり、怖さでもあるのだと思います。
    私も今回初コメントでしたが(発達障害の教師と苦闘したので、つい)ずいぶん長いことこちらを覗いてはいるのですよ。

    • ぐり
    • 2008年 5月 12日

    エイトさんの11日18:45のコメントが自己突っ込み、というものなのですよね?
    私の母はジャイアンだと言いましたが、私は母はジャイアンのままでいいと思っているのです。
    もう、高齢で家にいることが増えて、家族が母を理解して好きなようにさせてあげられたら、それでいいかなって。
    >「これから」を考えて意見したつもりです。
    私はずっと母にこうして意見してきました。そのたび罵倒されます。穏やかに話しても怒られます。
    家の中では何をやっても何を言ってもかまいません。母と話していて「お前は神か!」と思うときもありますが、山の神っていう言葉もありますよね(苦笑)
    家の外で母はトラブルを起こすことがあります。相手は友達、親戚、隣近所などです。
    母は猪突猛進で、何かをしたり言ったりする前に「考える」ということがありません。
    それでも、トラブルが大きくなったりすると落ち込みます。「自己突っ込み」という言葉を聞いて少し納得できました。
    多数派から見れば、もう少し考えて行動すれば?ってことですよね。でも、それが母には難しい。
    「こういう場合はこうしちゃいけない」と「事前に」母に説教することがあります。もちろん我が家の外のことです。
    外でトラブルを起こすと母はひどく落ち込むし暴れるので、防げるものなら防ぎたいのです。
    「意味不明」な母ですが、大事な母です。守らないと。
    母は私を「口うるさい、お前は何様なの!」と叱るのですが、トラブルを避けることで母が気落ちせずに済むなら、私が悪者でもいい。
    母の転びそうな石を事前に見つけて片付ける、とかそんな感じです。しかも母に蹴飛ばされながら(涙)きっと、もっと効果的な方法があるのでしょうね・・・
    相手を否定するのではなくて、相手を心配して意見する。
    ジャイアン否定とか考えたこともなかったです。

    • mmm
    • 2008年 5月 12日

    わたしの母もジャイアンでわたしはジャイアンACだと思ってここを拝見していますが、ぐりさんの母親とのやりとり、わたしの場合とよく似ています。
    わたしの母親も冷静さに欠けるところがあり、周りの人とよくトラブルを起こします。そんな母親を見て育ったせいか、感情的に声を荒げたり怒鳴ったりするのを「醜い」と思っているのでわたしはどちらかといえば冷静なタイプです。
    >母の転びそうな石を事前に見つけて片付ける、とかそんな感じです。しかも母に蹴飛ばされながら(涙)
    と書かれていますが、わたしもジャイアンACでなく自分を定型だと思えていれば、母がジャイアンだからおかしのだ定型の自分が優しくしてあげよう、とぐりさんのようにできたような気がします。
    凄まじいパワーを持つジャイアン母と対等の立場になれるのはジャイアン娘だったりする気がします。
    ジャイアン娘のわたしは母に依存できていたときは、母をコントロールすることができました。(母の言動や行動を理解して母の思う通りの娘でいると一目置かれ頼りにされる、という感じです)
    妹はほぼ定型に近い合理的なADHDですが、母に反論しても言いくるめられてしまいます。
    ぐりさんはご自分で「発達障害状の性質はいくらかあります」
    と書かれているので、「定型」の意見だと断言してコメントされているところにわたしは少し引っかかりました。
    いくつかのコメントの文面から、う~ん、わたしと似ているな~と思うところがあったので(^^
    否定ではなく心配して意見しました。(おせっかいだとは思いますが)

    • やや
    • 2008年 5月 13日

    >ぐりさんはご自分で「発達障害状の性質はいくらかあります」と書かれているので、「定型」の意見だと断言してコメントされているところにわたしは少し引っかかりました。
    発達障害の性質は、多かれ少なかれ誰でも持っていると思います。
    それに、ここで「ASです」「ADHDです」とコメントされている方たちの中にも、実際に診断を受けたわけではない方が多くいらっしゃると思います。
    mmmさんも診断を受けに行ってみたら、定型の範囲と言われるかもしれませんよ。
    その方が定型か発達かということは、ネット上の文面を見るだけではわからないものです。

    • mmm
    • 2008年 5月 13日

    わたしだったら「発達障害状の性質はいくらかあります」と書くくらい自覚しているところがあるのなら「定型の意見」と断言しません。
    理由はここを読む方にとって紛らわしいだろうと思うからです。
    あまりにも激しいジャイアン母や、まわりの発達障害の方々と比べれば、わたしは定型に近いほうではないかな、と思います。ACなのでそう見えるということもあります。
    でもわたしににとっては「定型」か「発達障害」かということが重要なのではなく、言動だったり行動だったりで世の中とうまく折り合いがつけられないことが出てくるようになったので、それを辿っていくと「ジャイアンAC」というところにカテゴライズされた、というだけのことです。
    問題を解決しやすくすることが重要であって、そのためのカテゴライズ、ということです。
    ぐりさんは発達障害のお子様をお持ちで、お母様はジャイアンだと仰っていますが、ぐりさんが定型であればご家族とのコミュニケーションに悩み疲れてヘロヘロに弱ってしまっていたり、ここにコメントをするにしてもご家族の悩み相談のようになるのではないかと思います。
    しかし、ぐりさんのこれまで文面からはものすごーーく前向きで力強く野生的なパワーを感じます。わたしもそうですが、ジャイアンの持っている強さのように感じました。
    文面から全てがわかるとは思いませんが、わかることだってあると思います。
    ここではYANBARU先生のエントリーを読んで、自分を知りたい、家族を知りたいと思う方々が意見を交換し合ったり、ロムだけでも勉強していたり、きっとぐりさんもそうだったのだと思います。
    そのためには、自分を思慮深く見つめて、慎重に言葉を選ぶ必要があると思います。
    ただでさえ、余計なことを言いがちだったり、言葉を真に受けやすい人たちが多く集まるところですから。
    そういった場所での、内省と思慮深さとデリカシーに欠けたようなこれまでのぐりさんのコメントは、「ジャイアン」なのに「定型」だと思って疑わないわたしの母親にそっくりだと思いました。
    わたしは普通。まわりがおかしい。
    それを信じて疑わなければ内省をする必要なんてないですものね。
    でも、どこへ行っても自分のまわりで波風が立ってしまうのはなぜか。わたしの母はようやく最近そんなことに気づいてきたようです。

    • やや
    • 2008年 5月 14日

    mmmさん
    >内省と思慮深さとデリカシーに欠けたようなこれまでのぐりさんのコメント
    mmmさんが言いたかったのは、このことですよね。
    最初のコメントは嫌味だと思ったので、あえてコメントをさせていただきました。
    ぐりさんの言葉は確かにエイトさんには厳しいだろうと感じ
    ました。
    しかしぐりさんがエイトさんの今後を考えて言いたくなる気持ちも、よく理解できました。
    あと、エイトさんあひるさん、ぐりさんが「心外」と言ったことについてですが、あれはぐりさんが言葉の使い方を間違っただけだと思いますよ。
    ぐりさんは、「冷静といわれると、そんなこともないのですよ」と謙虚な気持ちを表したかったのだろうと思います。

    • mmm
    • 2008年 5月 14日

    >mmmさんが言いたかったのは、このことですよね。最初のコメントは嫌味だと思ったので、あえてコメントをさせていただきました。
    ぐりさんのコメントが内省やデリカシーがなくて嫌だ、ということが言いたいことの全てではありません。
    定型と断って発言していることが、定型の方の発言とは思えなかったので、ぐりさんのコメント中に出てくる「定型の教師」が発達障害だったりまたその逆なんかもありそうで、読む側には紛らわしいと思ったため、断言するのはどうかという気持ちで書いてきたところが大きいです。
    ここではソフトな言い方を嫌味ととらえられる方がいるのも理解できるのでそう思われてもしょうがないと思います。
    オブラートに包まずに言っていいことか、という懸念があったので、配慮の気持ちからでした。でも二つ目のコメントはその姿勢を貫き通していないので中途半端になってしまいました。(^^;
    ぐりさんは「心外」の使い方を間違えたのではなく、「冷静な対応ができて羨ましい」ということを伝えたかったエイトさんの発言を、「子どもが体罰を与えられても冷静」というように受け取ったのではないかと思いました。
    ぐりさんの気持ちを推測していてもしょうがないので(笑)、そろそろ終わりにしますね。
    わたしも若干ヒートアップしすぎてしまい、すいませんでした。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP