ジャイアン型ADHDとASの違いのひとつに、ほめられたときの反応がある。
ASの人は不思議にほめられることを歓迎しない。これが何故であるかは今いろいろな人に聞いたりして考えているテーマだ。
対してジャイアンはほめられると現金に調子に乗るという非常に分かりやすい特徴がある。「おだてりゃ簡単に木に登る」といった感じだ。
ジャイアンの場合には、自分だけがほめられたいので、たとえば兄弟などがほめられることにも非常に極端に反応する。自分を差し置いて別の人がほめられることが我慢できないという感じだ。
合理的なADHDの場合には人がほめられても「良かったね」という反応のことが多いので、このあたりは対照的ともいえる。
そういうわけでジャイアンをコントロールするにはほめることが有効だ。表面的なお世辞や「おだてられている」ことでさえ見抜けないところがADHDの悲しいところでもあり、別の見方をすれば都合のいいところでもある。
単純な行動療法的なアプローチで、約束が守れるとシールがもらえるようなシステムは有効だが、それは「ほめられる状況を作る」ということの効果である。
褒められるほどに嬉しくてやる気も出ます。
他人が褒められるとすごく嫉妬する気持ちが出てきて
最初はそれが嫌でした。
いまでは無の境地みたいに、無反応に徹する事にしています。
(ほんとは嫉妬してるんだけど、きっと)
いつもちやほやされたいし褒められたい願望を持っています。
ジャイアンでACだから余計なのかなぁ。
確かに褒められることを歓迎しません。いや、嬉しいんですよ。でも「コレぐらいは他の人でも出来るから」って思うんです。ちょっと恥ずかしいんです。完ぺき主義もあります(未だ完璧じゃない)。背後には多分、自分に対する絶対的な自信もあります。自分に対する報酬は自分で与えられるので他からの報酬を必要としない感覚があります。まぁ私の場合でAS一般がそうかどうか分かりませんが。
ところで、ジャイアンを褒めてコントロールしても良いもんですか?表面的に褒める事による弊害はありませんか?(まぁ努力しても表面的に褒めること自体が難しいんですが…)
確かにそうです。>ASはほめられるのが嫌いでジャイアンは好き。おだてられてるんだろうなーというのが分かってても、やっぱりほめられると嬉しいんです。おだてようとしてくれる気持ちが嬉しいのかな。実家の親やAS夫は一度もほめてくれないどころか、毎日けなし続けるのでほんと嫌でしたね~。そんな人たちとは一瞬でも一緒にいたくないです。一緒にいなくていい今はほんと幸せです。
褒めるの難しいですね...
しばしば、褒める基準をけなされます
周りが酷すぎとか、他を知らないとか、甘いとか...(-_-)
以前は結構喜んでたみたいだったのに
あれは、他人・お客様モードゆえだったのか...orz
それとも...こちらへの評価が下がって...!?
その代わり(?)一緒に酷すぎる周り批判すると雄弁(^^;)
それがほとんど唯一の共感の時間...
>自分に対する報酬は自分で与えられるので
それ、そうなんだろうなぁ~って感じます
崇拝する人物からのお褒めの言葉は最高の報酬みたい
だけどそれ以上に、
的を得た批判と叱咤激励を美味しいと思うみたい
(ASは)確かに褒めるのもヘタですね。あと、定常的世界観を持っているので、「新たに褒める→その前が褒められる状態ではなかった」と言う変な間違った認知も持ってたりします。その為に、褒め言葉や愛や感謝を表現し続ける事が難しい…
でも、そっかぁ、おだてて良いのかぁ…
パートナーに対しては微塵も嘘を付いてはいけない=おだててもいけないって何処かで感じてるんですよね。例え心のそこで絶大な評価をしていても(私の場合、実際に評価してましたし)。これはとても残念な事で、残念な結果も招きますが。
>的を得た批判と叱咤激励を美味しいと思うみたい
はい。おだてられても何も得るものがありませんから。ちゃんとした評価は嬉しいけど、おだてられると逆に冷めます。(なので営業トークが大嫌い。)的を得た批判や叱咤はとてもありがたいです。
ASですが褒められるの大好きですよ^^
私は多数派、ただの凡人皮膚科医です。知人に発達障害が居ますが、ASかADHDか解りません。合併はありうるのでしょうか?御意見お願いします。
後輩に発達障害を勉強してる精神科医が居て、知人から来たメールを読んで診断してもらいました。アスペルガーと。
問題①知人から突然濡れ衣を着せられ、私を非難する激しく人を傷付ける内容のメールが来て、その2日後コロッっと勘違いだと詫びるでもないメール。ASに特徴的だということでした。
やんばる先生のブログに記載されるASの特徴と知人の特徴は実に合致します。狼に似た集団意識。偶然という事が認識しにくい。手順にこだわる。私からの連絡がこれらのこだわりからはずれてると認識した知人が、勘違いしパニックになったのでしょう。
また後輩が読み取った特徴として、「自己愛がきつい」「被害者意識が強い」=許容範囲が狭いから?性格異常?「初めから自分を最高峰に位置づけしてる」でした。
知人は幼少時IQが150以上ありました。
問題②ところが知人は今でも日頃から「相手の気持ちが解らない」と言っており、また褒められると完全に木に登ります。
幼少時、いつも友達にプロレス技をかけていじめており、手加減がないので何人もが脳震盪を起こしました。また建築途中の工事現場を見つけると、最上階まで登ってました。
現在でも二人で物事の準備を進めていても、数日前の事を覚えてなくて、言えば思い出しますが、どうやら見えてる世界がやんばる式で言う”スライドの一こま”でしかないようです。
先読みなどは全く出来ないので手助けのつもりで助言するうちに逆恨みされました。またさんざん手助けしてる私に向かって常に無礼、無神経な言葉を吐き倒します。「ありがとう」「ごめんない」と言ったことがありません。
如何でしょうか?
褒められてうれしがっていますが、態度に表さない様にしています。喜ぶと何かを頼まれやすいので避けています。
他人が褒められると、表面では”良かったね^^”と言いますが、内心穏やかではありません。
両方とも冷静ではありません。
冷静な心を維持するために”褒められる”環境を避けています。また褒められて喜ぶ態度を軽蔑する態度を表して、他人が褒められた時僕の前で喜ぶ態度を表しにくいように策していました。
兄弟間で成績において褒められる基準が異なり、報酬(プレゼント等)も異なるととても怒りが湧いてきました。
そんな状態では日々の勉強もできないので、親からの報酬は一切受け付けない様にしました。
>小鹿さん
はじめまして元腎臓内科医師で現在何故だか癌研究をしているものです。
問題①②いずれも当てはまってしまって、もしかして私のことかと思ってしまうくらいです。
反省しております。
今日は、オーベンと中ベンに「ありがとう」mailしようと思いました。
わたしは今でもnormalだと自分自身のことを信じているのですが、こうもなってくると認めざるをえないのかも、と思ったりもするのですが、ま、認めませんが。
自分が満足しない段階で他人に褒められると
<私の能力をこのぐらいで評価するなんて、
見くびられているのだろうか?>ぐらいに
思ってました。今でも多少ありますが。
結局、私にとって
自分を褒めるのは自分しかないってことなんですね笑
自分が満足できた時に自分を褒める。
つまりは、コレに関しても
他人を必要としてないってことですかね、
自分の評価と他人からの評価は別。
他人に褒められた時に、もっと嬉しく思えたら
人生がはるかに楽しく幸せに感じられるんだろうなと
いつも肝に銘じて、できるだけ
素直に喜ぶように心がけています。
こんなコトにまで、一生懸命になろうとしてる自分が
なんだか笑えますけど(^_^;
私の書き方だとASは、ほめられても嬉しくないみたいですね。ちゃんとした評価で褒められればとても嬉しいですよ。
子供の育て方に関するサイトだけど、ここでの褒め方がぴったり来ました。この子がASかどうかは分からないけど、ASと暮らしている人は、褒め方の参考になるかも。
http://education.mag2.com/shuchu/bn_kougi20.html
まーちんASさん
私も同じように、人から褒められた時には(色々考えずに)素直に喜ぶように心掛けています。
確かに一生懸命…(^^;
いつも興味深く拝見しています。
私もASですが、確かに「ただ」褒められても嬉しくありません。
(自分にとって)理由が正しい批判や叱咤激励をもらうと喜び、周囲をけなしてる時間のほうが楽しそうに見え、褒められれば一生懸命喜んでるように見えるようがんばる、その通りです。
褒められるのが嫌なのではありません。むしろ、ふつうの人よりも「評価されたい」という願望は強いようです。しかし、自己評価が地を這っているので、単純な言葉で褒められても、信用できないのです。
それ以前の状態が悪すぎたのだ、はい、思います。もしくは、私に関する他のことがあまりにも見られないだけではないのか。(顔はかわいい→性格は悪い)
何か頼む前触れなのではないだろうか。ありますあります。
何か裏にネガティブな意味を潜ませた言葉なのではないだろうか。(頭がいい→堅い話だけでつまらない、おもしろい子→浮いてる)
また、友達に「かざみを褒めると理由を要求されるよね(笑)」と言われます。お世辞や裏の意味を警戒していることもありますが、納得できないことを言われても、わからないことへの不安が大きく、喜べないからです。
上のまぐまぐの記事を読んで身につまされ、かなり笑わせていただきました、割と冒頭でネタの予測がつきまして(笑)
自分自身、人を褒めるときは理屈っぽくなっています。他意がないことを、どう説明したら伝わるのかわからないからです。
褒めても喜ばないASには、褒めたいという気持ち自体が伝わっていないのではないかと思います。
お世辞を嫌悪するのは、本音を歓迎するからですが、理由が(度を超して細かいところまで)理解・把握できないことを言われても、意図がわからないのでとりあえず一時作業メモリに投げてそのまま敢えて忘れる(でないと、延々意図を考えさせられてストレスになる)ということもします。
理屈がわかればいいので、相手に伸びてもらいたい、気持ちよく仕事をして結果を出してもらいたいという意図のおだてなら、私は好きです。
私の場合は、ですが、人のために何かすることが喜びなので、褒めるのではなく、感謝してくれるといいかもしれません。
まぁこっちも、オーバーだったり嫌味で感謝する人はいますが、、、、(^-^;
>「おだてりゃ簡単に木に登る」
そうなんですよねぇ...
そして出来ないことも「まかせとけ」と言ってしまって大変なことになったり...
娘もおだてたら天高く上っていって降りてこないような感じです。
「自分だけが褒められたい」というのは娘にはみられますが
私は???
身近な人が賞を取ったり褒められたりしたら素直にうれしい
「私も褒められたいな」「いいなぁ~」とは思うけどね。
大キライな人がそうなったら知らん振りするかな。
(どうでもいい...)
ダンナはASぽいけどおだてるとかなり高くまで「木に登る」タイプです。
褒めて育てる育児をモットーとしている私にとって、息子はとても育てにくいと感じていました。
褒めても無反応どころか、逆ギレすることもしばしば。
元々褒めるポイントが少ないので、たまに良いことをしたらここぞとばかりに褒めるのですが、必ず「そう言われたらやる気なくした」と機嫌を損ねます。
そのくせ兄弟が褒められると、「どーせ俺は・・・」とひがみます。
何人かの方がおっしゃるように、褒められるのを嫌っているのではなく、何か別の方法で褒めなければ通じないように思います。
自分はASです。
ASの視点から見て、ASの表面的な特徴として「触れられたり、抱きしめられたりすることを嫌がる」
というのがあると思います。
でも、内実は触れられたいし抱きしめられたりすることを求めているのだと思います。
「ほめられるのを嫌がる」というのと、少し近いような気がするのです。
好きなんだけど照れくささのほうが強く出てしまって、つい拒絶するという態度が出てしまう。
また、褒められ慣れていないから、いざ評価されたときに、本当だろうか?と勘ぐって考え込んでしまい、素直に喜ばずしばらく無感情に呆然とした態度をとってしまうということも自分にはあります。
ヤンバル先生~~~!
自分に嘘つきたくないから褒めれません~!
嘘をつくと、身体症状に出ますから~!
(ノ_<。)ビェェン
診断済みASです(女・20代)
褒められるとわたしは、どう反応していいか困ります。
「すごいねー」、とか、「いいねー」という褒め言葉に対して、「でも・・」とまずそうでもないよという欠点を言ってしまいます。
たとえば良くあるのが、
「その服良いね」→「でも○○円だったよ」=(安いよ)
「この作品いいね」→「でもまだまだです。ここは気に入らないし」
とかです。
素直に「ありがとう」と言えば良いところや、照れ笑いなどで済ませれば可愛いものを、何かの基準に照らして完全に褒められたものではないと思ってしまいます。
認めた上での謙遜などでなくです。
ほんとに、褒められると言うのは、心を掻き乱されます。
○○という基準から見ると、あなたの○○はこういうところが、こう言う風に良いから(できれば数値など相手の主観でないこと)、良いと思う、と褒められれば受け入れられるかも?と思います。
今回は結構くだけた話題です。
私の場合はほめられた時にどういう反応をするか。
普通、ほめられた場合は、単純に嬉しいものです。
1.小学5年生頃から周りの友達も含めて、「謙虚さの美徳」を学習するようです。謙虚さは人から好まれます。私も謙虚な人は好きです。そういう学習から、ほめられた時に舞い上がらないようになってきました。これは明らかに多数派的な学習かもしれません。
2.ASらしい反応としては、ほめられることで、やたら喜んでしまうと相手のペースに乗ってしまうという警戒心があります。マイペース命の自分にとって、ペースを乱されないように
やたら喜ばないという場合があります。
3.シンプルに嬉しい時は「ありがとうございます。」と素直に喜ぶ場合ももちろんあります。
後、私は人をほめるのが好きです。私が人をほめる場合はかなり純粋に素直にほめていると思います。心にもないお世辞はいいません。
追記です。
1番の「謙虚さの美徳」を少数派の視点から鋭く見ると、実は中身はそれほど謙虚ではないけれど、表面上謙虚にしておくと
「お得だから謙虚っぽくしておく」という状態もあるのです。
特に私は小学校の中学年まではKYで傲慢なところがあったから、親しくしていた友達2人に「付き合いづらい」と言われて
孤独になりました。
その時にいわゆる「謙虚さの美徳」を学習したわけです。結果的に友達はまた戻ってきました。
大人になる過程で、そういう経験をして、表面上、謙虚になる人は山ほどいると思います。(生活の知恵として)
でも、本当の謙虚さは、腹を据えて、甘えを捨てて、日々現実を直視して、真剣に自分を見つめ続けないと培われないものだと思います。
にせものではない、「本当の謙虚さ」をこれからも目指したいものです。
かなり前の記事ですが、私も便乗させていただきます。
私は、なんらかの発達障害を持っているだろうと思っているのですが、ASかADHDかよくわからなくなってきました。
自分では、ジャイアンのうちのどれかだと思っています。
ほめられた時の反応
子供のころから、ほめることで私を操作しようとする相手の意図を感じてしまい、「その手に乗るものか!馬鹿にするな!」と思って怒っていました。
でも、他の人がほめられて嬉しそうにしているのを見ると、ありえないくらい嫉妬していました(笑)
大人になった今では、合理的に自分に言い聞かせることで嫉妬することは軽くなったように思います。
操作性を感じる人に対する怒りはいまだに湧きますが、言葉だけでも「ほめてくれてる」ということを酌むようにして、あからさまにキレないよう心掛けるようにしています。
しかし、これがけっこう堪えるようで、二次障害が出てきてしまいました。
たぶん、腹が立っているのに笑顔で対処することに、納得がいっていないのだと思います。
定型の世界では、裏を読んでボロボロになるより、KYのほうが楽そうなので、なるべく言葉通りに受け取るようにして、ストレスを減らしていきたいです。