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積極奇異型ASDの上司の問題

 積極奇異型ASDの人は責任感が強く、本人も懸命に努力して、弱いものに親切であり、管理能力も高いことが多いので、結果として上司や管理者になることも多いだろう。  しかし、これまでも述べてきたように、積極奇異型ASD独特ともいえる弱点、「愛着」の問題は組織の中での行動でも生じることがあり、その場合は「部下が仕事に対してやる気をなくす」という結果を招くことが多い。  それはなぜか? 当たり前といえば当たり前であるが、「積極奇異型ASDの上司、管理者は自分の愛着の部下を甘やかし、その部下に対し過保護となり、自分の愛着でない職員にはアンフェアに手厳しく当たる」ということが起こるからである。  これまで説明してきたように、積極奇異型ASDの上司、管理者は「自分が差別、不公平をしている」という自覚がない。しかし第三者的に客観的に見れば、明らかな見え見えの贔屓であり、そういう態度が二度三度見られた後は、多数派の部下はこの上司には本音で意志を使えることはしなくなる。「この上司はこういう人だからしょうがない」というわけである。  だから、そういう組織で、重要な役割、責任を担う役割の担当者が短期間で退職することを繰り返す場合には、「上司、管理者のこの差別待遇に耐え切れなくなった」ということが起こっている可能性が高いと考えるべきである。  組織全体にとってのプラスマイナスを考えても、「意欲ある人材から去って行く」結果、構成員は積極奇異型ASDの上司、管理者の愛着の「おともだち」で徐々に置き換えられていく経過となり、厳しさに欠ける組織は生産性がダウンし、同業他社との競争でも遅れをとり、顧客からも見放される結果になるだけだろう。  私もそうであるがADHDは不合理と不条理を嫌うので、ADHDの当事者には「言葉で言えるだけは言っておこう」と私は助言することにしている。  しかしことは発達障害の問題、脳の問題なので、「積極奇異型ASD自身が変われない」ことも実は私は重々承知している。  だからある程度ベストを尽くしても駄目なら、「ADHDとしてはここまで不条理があると無理なので、残念だけれど別の環境を探そう」ということになる。  積極奇異型ASDも社会的な逆境の中で苦労して訓練すれば合理的な判断もある程度身につけられる。積極奇異型ASDの上司が合理的な上申を理解して、合理的に愛着をコントロールする努力をどこまでするかという問題だろう。 

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コメント

    • m2
    • 2014年 12月 16日

    この話題だと、ジャイアンと受動型ASの利害は一致しますね。
    ここには積極奇異型ASの男性はいないだろうから、いいたい放題ですけど。

    積極奇異型ASの男性が組織の上に行くと、ほぼ必ず腐敗しますね。
    まさに書いてある通りだと思います。

    と、いうことは、日本が腐敗していくということなのでしょうね。

    • amethyst
    • 2014年 12月 17日

    この記事のテーマにそっくり当てはまるケースではありませんが、実例を一つ書きます。

    私の主人の会社は技術系の会社です。団塊の世代(今の65才以上)の人たちがいた時は
    皆、やる気まんまんで、口うるさく、負けず嫌いの職人気質が集まっていて、会社は活気に
    満ちていたそうです。口うるさくて、我が強い人が多いけれど、何か問題が起きると全員が
    集結して、ああだ、こうだと相談して、必死に問題解決をしていたとのこと。

    その団塊の世代の人たちがどんどん退職してから、会社の中核にいるのは「倒産した大手の
    企業から集団的に中途採用した人たち」のグループなのだそうです。その人たちはお友達グループで
    イエスマンで固まっているようで、会議が大好きでしょっちゅう延々と会議をしているけれど、何も
    決まらないんだそうです。そして何か問題が起きると、皆がパーッと逃げてしまうとのこと。

    以前の会社と現在の会社のギャップがひどくて、主人は将来を心配しています。(主人もほぼ団塊の
    世代で、既に会社は退職して、特別勤務員という契約で働いていますが、来年にはそれも退職になり
    ます)

    企業で働く人々のモチペーションを高く保つことはなかなか難しいことですね。

    • amethyst
    • 2014年 12月 18日

    前記のコメントは多数派に関する話題かもしれませんね。主要テーマとずれてしまってすみませんでした。

    • ichinko
    • 2014年 12月 20日

    会社勤めしている者です。

    税理や法務系に最適化して能力の高い管理者の場合
    評価する際に、
    「言語や数字、さらに整理や体系化した提案」
    を強く理解しているように察します。

    例えば、
    何かのプロジェクトを達成したり、給与算定のための
    自己評価を提出させる際に、
    きれいな字で、整えて、詳細まで細かくキッチリレポートを書くと好評価。

    こういった管理者の場合、
    実質的な成果よりも、整理されて、理路整然とかける力が重要であり、なんとでも書けるので、要領の良い多数派は、この管理者を見破ると仕事をうまく見せることが出来ます。
    ですので、頑張らない多数派は、楽をして居続けられて組織がゆるく、体裁だけそろえた生産性低い環境になりがちです。

    頑張っている多数派は
    だからこそ、実業務が忙しく、評価されるためのレポートは表現に過ぎないと、軽視して提出しなかったりして、管理者にとって適当だ
    評価されないケースがあり、離脱をして行きます。

    私見ですが、もの凄い求心力があるものだったり、仕事に没頭、熱中するような、ADHD的な人というのは、この書類作成が面倒で、表現や整理が苦手で、直接的な仕事の効率性とは関係ないということもあり、机の上が散乱していたり、遅刻などの生活態度も良くないことがあります。
    この場合、最悪な評価になります。
    ただし、自己の内面にある、目標設定が明確で、能力も他者との比較でなく、絶対的な価値観で頑張っているので、実はもの凄いパフォーマンスや革新的な改革に特異だったりするのですが。

    取り留めもないのですが、思いついたので書いてみました。

    • tukatantikatan
    • 2014年 12月 24日

    変なことばかり思い出すので書けないです。と言いながら書くんですが。なんか、先生の記事のとおりですね。
    会長がジャイアンぽい人で、いやジャイアンで、会長の求める結果に応えられないということで、社長と決裂したんですが、友達だろ、一緒にやるって言ったじゃないか、と社長が言い、友達じゃねえと会長は言ったと、会長が当時言ってました。どうかケンカしないでください。

    • HOT
    • 2014年 12月 26日

    積極奇異型ASD嫁を分析していて、最近面白い(と思える様になった自分を褒めたい 笑)のが、その場の状況(人数?)に合わせて「愛着」の変動が極端に見られる事です。
    現在家族内では子供へ愛着は移っていますが、例えば、『嫁方の法事に家族で行く(昔の愛着?)』や、『知人と家族ぐるみでレジャーをする(突発的な愛着?)』等別の愛着が発生すると、(引き離そうとしない限り)自分の子供は放置状態になりますね。
    むしろこちらには攻撃的な感じさえします。当初、夫に対する不満かな?と考えましたが、「なぜあんな事を言うのか?」「なぜあんな態度をとるのか?」と質問しても本人には全く悪意はないようです。
    逆に質問してしまった事で、「答え(出口)のないお先真っ暗感」を訴えてきて、話にならないですね。

    私の側からみると、状況や立場が変化する度に「信頼関係がリセットされている」様に見えてしまうのが悲しい現実ですが、逆に関係が悪化しているとこちらが感じる場合でも(不適応を除き)すぐリセットされるので、最近は「±ゼロ」で助かる部分もあるな、と(ちょっと強引ですが)合理的に考えてます。

    これは組織の中でも同じ事が起こっている様に思います。積極奇異型ASD本人にも制御不能な「愛着=台風の目」。特に組織活動の中では「愛着の暴風圏内」に入った人々は、(上司という事もあり)ことごとく振り回される結果になるのかな。
    最初は優秀な部下も、「対決を恐れない積極奇異ASD」上司を一時的に信頼し、次々と成果をあげ、二人称の関係の上では愛着が保たれるが、一転して、会議や得意先に出向するような複数人と接触するケースでは、愛着の変動が起こる可能性が高く、「信頼関係がリセットされる」結果、「裏切られた」と部下が感じる事も少なくないと思います。後の経過は記事にあるとおりですね。ただ、不思議な事に受動型ASD部下と一部多数派はこの状況でも衝動統制とれてますね。すごいと思います。

    今回の記事の構図(積極奇異ASD上司 vs 合理的ADHD部下)を考える時、私は歴史上の人物である織田信長と明智光秀の関係を思い浮かべます。
    (両者共、非常に優秀で才能豊かである事は置いて)、光秀の心情のみを考えると、数々の戦功を挙げながら必死に築きあげた(と思っていた)信長との信頼関係を、ことある毎に「リセット」する信長の仕打ちに対し、合理性を重んじる光秀には理解不能となり、やがて自己突っ込みが限界を超え、「本能寺の変」に至ってしまったのではないか・・・?。
    (信長が警戒していなかった事から、光秀にもちゃんと愛着があったのだと思います)
    光秀がAC的感情により「人として許しておけない」と感じたのか、それとも合理的に「理想の天下実現に向けた必要事項」と捉えていたかはわかりませんが。
    「天下をとる」という野心よりも「信長を討つ」事こそが光秀の目的であったのでは、と妙に納得しています。

    少し余談ですが、今回の記事の過程の部分で、愛着の「おともだち」が形成されるあたり、私の中では受動型ASD上司のイメージかな?とふと思いました。
    非常に希なケースだと思いますが、私が過去経験した上司の方で「びっくりするほどラッキー」なプロセスを経て管理職となり、「人より上」に立つことで「外モードを見失いそうになりながら」
    頑張っておられた受動型ASDの方のパターンと非常に似ておりますね。一緒に出張した時など、寝てる時、よくうなされてました。先輩に聞いても「よくある事」だと言ってましたが・・・。

      • HOT
      • 2015年 1月 05日

      上記自身のコメントをふり返り、数々の理解と配慮の足りない点、反省致しました。
      年末から年始にかけて皆様に不快な思いをさせたことを深くお詫び致します。

      皆様にとって今年一年、幸多き一年となりますように。

    • tukatantikatan
    • 2015年 1月 08日

    ああ、社長は営業に入れた息子さんとか縁故で入れた不倫相手の女子社員とかへの親バカがすごい、という話を聞いてたんですが、そういう話を私が聞く頃はもう皆とうに知ってる頃で、驚きを共有できないなと思ってました。私がひとつ不思議な感じがしたのは、息子さん(私と同類ぽい)が他の役員の人にブーブー言われている時、社長はすぐそばにいたけど、じっとして下に目線を落としたままなんのアクションも無かったことです。もしかして社長は一緒にたたかれてしまうのだろうか。息子さんが何でしかられていたかはわからないが、何か反論とか、守るということはしないんだと思った。私はパートナーに「わざとがわかっていない」といわれてからわざとについて考えてきたが、もしこの息子さんたたきがわざとだと仮定したら、それから守ることができないとしたら、経営者にとっては愛着はリスクになるということですぬ。

      • tukatantikatan
      • 2015年 1月 08日

      あ、愛着対称が人質になってしまうようなことがおきるのかも、と思ったのです。

        • tukatantikatan
        • 2015年 1月 09日

        私は「わざと」ということで無限リストを扱ってみた、なんて書いてみる。余再帰すればやれるではないか。うむうむ。これは意識的に、過去に遡って、条件を指定して、この場合目的の明確な方向性のある会社組織だからやりやすい、ぃよ~く考えれば、できるのであった。ああ・・・そして要求が無ければしないのだった。
        でも無限リストを扱うほうが、詭弁の研究をするよりずっといい。詭弁の研究は、値が無いまま計算をするようなもので、辛く苦しく結果は悲しく二度とやりたくないものであった。理解がちょっと進んだことは報酬だったけど。

          • tukatantikatan
          • 2015年 1月 09日

          そんで私は言語を入力するといったん「意味」不明ファイルに保存して(捕獲回避)遅延評価しながら出力し続ける性質があります。

    • zzz
    • 2015年 3月 07日

    こちらへのコメント、「平成27年年頭」へのコメントに続けて投稿しかけて、そのときは下書きを終えたところで取り止めました。というのも、最近まで愛着の対象外に置かれ続けていたものですから、身につまされ過ぎて、投稿しようとした内容がグチグチと愚痴っぽくなってしまっていたので。

    そう、「上司、管理者のこの差別待遇に耐え切れなくなった」部類に私も入りました。だからこその最近まで、です。私の前任も、その前任も、そのまた前任も、さらにまた以下同文で、コロコロと人が入れ替わるポジションとして社内で有名になっています。私が歯止めになるだろうかと思いつつ入ったのですが、入った直後から言葉では歓迎されつつお前はいらないを態度や行動で示されて、いやぁまいりました。私の後任は、私のような扱いを受けていなかったのに私よりももっと短期間で辞めるらしく、これもいやはや。

    1点だけ、「厳しさに欠ける組織は生産性がダウンし、同業他社との競争でも遅れをとり、顧客からも見放される結果になるだけだろう。」との先生の推論について、こういう事例もあるというのを紹介させてください。

    愛着に対しても高いノルマを課し、達成できなかったら愛着に対してもボロクソに言う。上役がそういうタイプですと、その上役がいる限り高い生産性や収益性を維持できるようです。ボロクソに言われても愛着が組織に残るのは、地位や金銭面での待遇がもともと高めでありそれが変わらない(か上がる)から。相対的に、愛着の対象外はノルマを達成しても待遇が下がることもあります。ええ、事例といいますか体験談です。

    そういった組織で上役が組織から去ると、残った人たちには組織を維持発展できる能力が不足している場合があり、組織が一気に弱体化することがあるように思います。パワハラ的な話の漏れ聞こえるカリスマ経営者が引退したり死去したりした数年後に会社が危機的状況に陥る、なんて話がその典型例かな、と思っています。

    あるいは、高いノルマを課せられている場合、ノルマ達成のために自分で考えて行動する人が出てきます。そういう人は組織を維持発展できる能力を持っていることも少なくないようです。愛着の中に組織を維持発展できる能力を持つ人がいれば、上役が組織から去ったとたんに組織の風通しが急に良好になるなど組織が一気に変化し、愛着の対象外でたまたま残っていた人が生き生きと仕事をするようになる、なんて話も伝え聞きます。私のいた組織はこちらの道を歩むだろうと思っています。

    うーむ、愚痴っぽくならずに済んだかな。

    • zzz
    • 2015年 3月 07日

    あーでも、ひとつだけ愚痴を書き込みたいなあ。

    定期的に意見を述べることがその組織での私の職務のひとつになっていまして、職務遂行のために意見を述べていたんです。そうしたらあるとき、上役から、お前に意見を言われると腹が立つ、今後は意見を述べるな、と言われまして。

    そのときから意見を述べることができなくなりました。私の職務はルーティンをこなすことだけになりました。いちおうこんな仕事もできますよ、なんて話を持っていったりもしましたが、お前はルーティンをこなせばいい、と言われるばかりでした。その一方で待遇は下がっていく、と。いやあ、弱りました。

    私が去る際に、その上役にもあいさつをしに行きました。社会人としての義理もありますし、意地もあります。そうしたら、その上役から言われましたのが、「お前にはもっと意見を言って欲しかった」。

    どないすればよかったっちゅうねん!

    グチグチと失礼いたしました。

    • 182
    • 2015年 3月 10日

    > 愛着に対しても高いノルマを課し、達成できなかったら愛着に対してもボロクソに言う。上役がそういうタイプですと、その上役がいる限り高い生産性や収益性を維持できるようです。

    私が受動型ASDと思っている夫はこのタイプですね。

    逆に、職場の辣腕女将(積極奇異っぽい)は、もう全然、愛着に対してベタベタに甘い。ビックリする程。
    愛着対象外に対しては遠くから「狐目」で眺めてる風で、愛着に対して至近距離で話すのとは対照的です。
    愛着の失敗に対しては「わての管理不行き届きどす。」って言って全面的に庇うクセに、対象外に対しては最初から「上手くいくはず無い」と突き放し、手助けもヒントも与えません。それどころか必要な情報も隠して協力しなかったりします。
    小さな職場なら、何とか一人で辣腕を振るって切り盛りする事が可能でも、大きな組織であれば破綻は必死と思います。(ってかまぁ、私が破綻させるために上部組織から派遣されたワケだけど。)
    同じ中心志向組として若干気の毒な気もしないでもないですが、まぁ、自業自得と言えば自業自得。
    でも本人自身には全く悪意が無い(当然、自分が正義と思って疑ってないから)事を考えるとやっぱ、ちょっと、気の毒な気が・・・。

    反対に夫のような「変に」適応的なASはそこまで極端な態度に出ず、愛着に対しても厳しくするので、ある意味で「普通」に見えたりしますね。←まったくもっていっつもこのパターン!

    破綻するのはむしろ愛着に対する要求が上がりすぎた時の様な気がします。夫を見る限りは。
    部下全員に高いノルマを課して公平に叱咤激励している様で、よく観察すると愛着有利のノルマ設定なので必然的に愛着は要求に応える事ができ、賞賛される。
    他方、愛着外はホレホレお前らもこいつを見習えと叱咤される。一見、信賞必罰のよくいるタイプの上司に見えて、愛着外は「そもそもノルマ設定が歪んでないか?」と気付いて去っていく(もしくは要求に応える努力を止める)。
    同時に、元々愛着有利のノルマ設定になのに、愛着が応えきれなくなると「おかしい、そんなハズない。」「俺に対する忠誠心(愛)が無くなった」「嫌がらせだ」などと感情的な反応をする。ついでに「可愛さ余って憎さ100倍」などと言い出す始末。(←夫の話です。)
    この段階にくると、夫自身非常に精神的に不安定になり「忠誠心(愛)」を確かめるような「試し行為」を開始したりしてちょっとカオスになります。(アカハラの末の退学強要は「試し行為」の成れの果て・・・。)

    こちらも本人にはコントロールできない愛着の問題なんでしょうね。

    さて、私はどうするか。
    夫に対しては「私はあなたでは無いからあなたの要求全てに100%応えることは不可能である。」と根気強く伝えつつ、私自身が要求に応えられない自分を認める勇気が必要。
    辣腕女将に対しては、気の毒になどという情けは捨てて、ソフトランディング(本人自身がこの団体に見切りをつけて辞職する方向)を目指す。

    最後、自分に対する覚書になっちゃいました。ゴメンナサイ。

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