AC、人格障害関連

ガス無しライター

 ある発達障害の中学生が学校にライターを持ち込み生徒指導に遭った。彼はライターの外観が気に入っており、ガス無しで所持しており、「ガス無しで火はつけられないからこれを所持していて指導されるのはおかしい」と納得しなかった。

 私は母親から相談を受けたのだが、母親は強く言い聞かせて「謝らせましょうか」とも考えていた。

 この中学生は母親が強く言い聞かせても従わないだろう。また学校側からどんな脅しをかけられても納得しないに違いない。

 学校側からの内申をちらつかせるなどの脅しや強制に仮に屈した場合、彼の二次障害は重篤になると考えるべきで、その後の人生を大きく左右するような記憶となり、極端には難治性のうつ状態や身体症状の原因にもなりうる。

 他方で「ガスが入っていないから注意するのはおかしい」という反論は「屁理屈」と呼ばれ、通常は明らかに教師をさらに怒らせ、社会的には本人の立場をどんどん不利にするだろう。

 彼に何を指導するべきか? 

 幸いにも彼は発達障害の診断が確定しており、また告知もして、常々母親からも発達障害についての話題も出ている家庭環境であった。

 私は「多数派の文化の中ではライターをガス無しで所持することは通常想定されない」と本人に手紙を書いた。ライターの外観をしたものを所持していれば、喫煙を疑われるのは当然であり、少なくとも多数派の文化の中では大多数の生徒がこの表面的な「約束事・常識」を共有して生活している。

 異文化を持つ少数派である発達障害の当事者には明らかに不合理に(偏見とさえ)見える約束事・常識であるが、現実に多数派がこの常識の中で生活していることを少数派としては無視することは出来ない。

 ここまで言語的に説明しないと彼には意味が分からないだろう。
 想像力の不足と言えば想像力の不足であるが、「本質を見定める合理主義」と見ることも出来る。

 坂本竜馬の時代であれば、彼のほうが有能な人になる可能性は大いにあるだろう。


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コメント

    • ヒゲ達磨(AS?)
    • 2010年 10月 11日

    同じようなことをする100%の自信がある、それが悲しい
    中学生の子供がいる年になると、先生のようなアドバイスをしてくれる人が居ないのだよねー。皆、離れていくだけで・・
    苦言に耳を傾ける姿勢を養っておけばよかったのかね?

    • 匿名
    • 2010年 10月 12日

    やんばる先生の手紙には、非常に説得力がありますね。
    私自身、その中学生と同じように考え行動してきました。両親や教師に、いつも“屁理屈ばかり言うな”と言われ、よく叩かれたものです。
    今では自分が発達障害であることは自覚しているので、“自分はこう考えているけど、世間はこういう見方しかしてくれない”と理解できるようになっています。 それにしても、世間の見方(多数派の世界)をおおむね理解できるようになるまで、長い時間がかかりました。やんばる先生のような説明をしてくれる人が近くにいたら、子供時代がどんなに楽だっただろうか、と思います。
    仕事でアルコールや薬物の依存症の方や、いわゆる非行少年少女と話をする機会が多いのですが、今回のやんばる先生のような応対をすると、腑に落ちた表情になる人が多いような気がします。
    もしかすると、2次障害としての少年非行・依存症という考えもあるのかな、と想像しました。

    • YK
    • 2010年 10月 12日

    テストの時、教室外でしてもいいし、仲間と相談してもいい、時間も無制限と言われた。
    それで教室の外で壁に向かい一人でしてたら、先生が心配してやってきた。
    私は「外でしていいって言ったじゃないか。」と理不尽な気がした。
    少しすると友人が来て、「これ写しなさい。」と答えを言ってくれた。
    「時間は無制限だから自分で教科書見てできるに・・・。」と思った。
    でも、それからすぐ、先生は「これから答え合わせします.
    まだできてない人は外に出てしなさい。」と言われた。
    誰もできていない人はいなかった。
    答え合わせは終わり、テストは回収され、終わった。
    開始から2時間後だった。
    友人が答えを見せてくれなかったら、私はたぶん間に合わなかった。
    その時初めて、私は時間無制限は永遠ではないことを知った。
    先生は理不尽なうそつきだと感じた。と同時に、永遠のはずはないなと、自分の非常識さが情けなくなった。

    • mario (AS)
    • 2010年 10月 12日

    現代でも、彼の方が社会的に成功する可能性が充分にあると思う。
    私の仕事(研究者の世界)では他の人が常識と思っている所に理屈のほころびを見出すのが必要だし、きっと起業者などにも必要な力ではないでしょうか?
    「『ガスの入っていないライターは問題ではない』ってのは、君の言う通りだ」と先ずは強く同意してあげたい。その視点・感覚を保ったまま、多数派の理論も身に着けて育って欲しい。
    ここで多数派の理論とADHD者の理論を知って、最近は自分のコミュニケーションスキルが著しく向上して来たなぁと感じています。まぁそれでも、多数派同士のようには上手く出来はしないのですけどね…

    • yohko
    • 2010年 10月 12日

     いかなる「脅しや強制」にも長女は屈しない。4年前、1年半の不登校を切り抜け入学した高校は、手厚い生徒指導で有名でした。その高校で遅刻指導、時間が逆算できない長女はギリギリで飛び込みました。
     彼女の頭の中のリミットは本鈴で、遅刻指導対象が予鈴に間に合わなかった生徒。なんと彼女は、泣く子も黙る生徒指導部長の制止も無視し、教室へ突進。いかなるワルもこんなことは無かったとのことでした。
     大学生になり、わずかに「人と違う」ことの自覚はあるものの「だからこそ」の反発もあります。
     バタードウーマンって、こんな人でもあるのでしょうか?

    • aaa
    • 2010年 10月 12日

    >社会的には本人の立場をどんどん不利にするだろう
    しないと思いますよ。
    危険がなにか分かってるじゃないですか。
    社会に出たら、学校みたいな変な場所ありませんよ。
    学校なんて場所がちょっと特殊です。

    • あまがえる
    • 2010年 10月 13日

    激しく同意。

    • エイト
    • 2010年 10月 13日

    ああ、沖縄がもっと近ければ先生に直接相談できるのに。
    うちの子も同じようなことがあったばかりです。
    学校から私への説明1時間、子供への説得(謝罪することの意味)1時間、相手への謝罪のため1時間、たっぷり3時間費やしました。
    幸いにも学校では子供と相手の子と周りの子それぞれに十分な聞き取りをしてくれて(それこそ警察の調書みたいに)、子供の言い訳に呆れつつも怒らずに説明するという対応をしてくれました。
    その結果とりあえず関係者一同が納得して終わることができましたが、もし子供が頑なに謝罪を拒んでいたら”学校にも周りの子にも受け入れられない異質な子”として本人は強調されるだけです。
    たぶん、次になにかやらかしたら、度重なれば、もう言い分も聞いてもらえないだろうし理解もされない・・と思う。
    やがて「遠ざけておくべき生徒」として扱われるのは目に見えています。
    うんと悪く言えば、ウザくてキモくてアホな子供が妙に明るい厚かましさを武器にして、「学校は家よりも楽しい」という理由だけで張り切って学校に行くのです。
    そういう状態は維持してあげたい(最終的には)本人のために。
    子供はもしかしたら本心は納得していないかもしれません。大人になって初めて、あれは多数派の世界の決着のつけ方だったのかとわかるのかもしれません。
    >異文化を持つ少数派である発達障害の当事者には明らかに不合理に(偏見とさえ)見える約束事・常識であるが
    大人3人にあれこれと説明され、何かいいたいことがあれば聞くからと言われてもじっと下を向いたままの子供の本心はこれですね・・
    >現実に多数派がこの常識の中で生活していることを少数派としては無視することはできない
    >少なくとも多数派の文化の中では大多数の生徒がこの表面的な「約束事・常識」を共有して生活している
    非難でも説得でもない、ここまで細かい説明こそ大事なのですね。
    しかし、ライター、うちの子も愛着?あります。
    大人への憧れの象徴でしょうか・・
    ライターといえばタバコ、花火、火遊びと悪いことばかり連想してしまいますが、確かに「使わなければ」「持っているだけなら」何も問題ないのですが。

    • エイト
    • 2010年 10月 13日

    度々すみません。
    前回同様のことがあった時に担任の先生が対応するのに一番困ったのが「本人が納得しない」ことでした。
    「普通は~である」 とか 「人として~あたりまえ」 と説明しても、 
    普通ってなに? とか (人として)自分はこう思う となって かみあわないのでしょうね。
    やっぱり「文化(常識)の違い」という角度で理解させるのが合理的ですね。 

    • nori
    • 2010年 10月 14日

    ライターという物が物だけに学校側が注意するのも納得できます。
    ただこの少年にかかわらず、少数派の人にとって苦しいの
    は、自分のアイデンティとなりうる物が多数派の人から見た
    ら「変わってる」という理由で潰されることでしょうか。
    相手をありのまま受け入れる、成熟した暖かい多数派の人が周りにいれば、そのアイデンティも潰されずに成長できるけども、この世の中はそういう人ばかりではありません。
    発達障害を持ってる人にとって、どういう環境で成長するか
    それは、アイデンティティという人間にとって根源的なものを左右する大切なファクターだと思いました。

    • help
    • 2010年 10月 14日

    わかりやすい例ですね。
    少数派の理屈は通らない…納得。
    まだ怒ってますかhelpme

    • うにゃ
    • 2010年 10月 15日

    >「多数派の文化の中ではライターをガス無しで所持することは通常想定されない」
    なるほど!
    ガス無しライターを持っていた中学生に、私は共感します。
    だって本当に有害なのは、ガスやタバコですから。
    私は、小学校一年の通信簿に、担任からこう書かれました。
    「何事も遊びながらするので作業が遅い。一見大人しそうだが頑固で強情。」
    私の性格を的確に表現してます。
    言い遅れましたが、私はあるメーカーの研究開発に従事してます。
    会社では、部署は何度か変わりましたが、同じところに1年いれば、合理的な理論武装(屁理屈?)と行動力で、それなりに成果(製品化)は出してきました。
    その過程では、合理性のない慣習、前例主義、年功序列、馴れ合いなどに、一人で立ち向かって、否定したり批判してきました。
    上司が理解ある人の時には最高に仕事がしやすいのですが、そうでないと周囲と対決して孤立してしまってました。
    そんなことを10年間繰り返してました。
    AC的に「結果を出せなければ生きていてはいけない」と必死になって、それを妨げるものを敵視していたんだと思います。
    これは、変えたい。
    私の中の強迫的合理的ジャイアン(かな?)が敵との闘争に拍車をかけてたかもしれません。
    多数派の人たちは、私の妨害をしたかったわけじゃなくて、
    慣習や前例を覆すことを「想定していなかった」んですね・・・。
    まさに目からウロコです。
    でも、非合理で納得できないことは、やりたくない。
    新しい製品を世に出すのは好きだ!楽しい!
    これは絶対譲れない。
    さて、どうしたら両立できるか・・・?

    • helpme
    • 2010年 10月 16日

    うにゃ様 お見事!わかりやすいです。
    >私の中の強迫的合理的ジャイアン(かな?)が敵との闘争に拍車をかけてたかもしれません。
    多数派の人たちは、私の妨害をしたかったわけじゃなくて、
    これを読むとわかるのですが現実となると、どうしても偏屈な物事の捉え方をしてしまいます。
    これが私の課題です。
    ヒントをありがとう。

    • kurilyn
    • 2010年 10月 17日

    持ち込まれたライターがガス無しかどうかをいちいち確認するコストを彼が全て負ってくれるのなら、ガスなしライターを所持することを許可するかなぁ。

    • nut
    • 2010年 10月 17日

    >kurilynさん
    コストもなにも、「ライターを持ってるじゃないか!」と詰問されるとこまでは納得できるんだよなあ。
    「持ってて何が悪いんですか、このライターは火をつける能力がないですよ」で「ああそうか、ならいい」になればベストなだけで。
    まさか彼以外誰もライターを持ち込まない想定で生徒指導してるとは思えないし。

    • mario (AS)
    • 2010年 10月 18日

    > nutさん
    その“ベスト”な対処方法は、多数派世界では残念ながら無理でしょう…
    ガスなしで持ち込んで許可を受けた上で、後でガスを入れてくる者が必ず現れますから!その結果、ライターを見かける度に、ガスの有無をチェックする必要が出てくる…
    そう言う状況(先生の苦労やチェックの限界)まで教えた上で、ガス無しであれライターを学校に持って来ない事を彼に“お願いする”のがベストじゃないかなぁと思ったりしました。

    • うにゃ
    • 2010年 10月 19日

    helpme 様
    私の拙い考察がお役に立ってよかったです。

    • F
    • 2012年 8月 27日

    この中学生の論理はよくわかります。正論です。
    ただし彼の論には穴があるように思います。
    私なら、
    お気に入りのライターが最初からガスなしであったことを証明することはできない
    よって喫煙のためにライターを持っていると疑われる余地がある
    疑われないためには、我慢するしかない
    という説明をすると思います。
    やっぱり「ガスなしライターを持つことは、通常想定されない」ということですね・・・。
    今、職場で新人さんに仕事を教えているのですが、たまに「教えてもらってない」と反論されることがあります。
    本当に教えてないときもあるし、確かに教えたのに彼女が忘れている場合もあります。
    多数派だと「言わなくてもわかるだろ!」という論理なのでしょう(私に仕事を教えてくれた人は、私によく言っていました)。また、先輩であるという立場を利用して、自分の落ち度を認めない態度を取ると思います。
    私は、(私が本当に教えてないのなら)彼女の論は正しいと思います。
    「(言語的に)教えていないというのは教える側の明らかな落ち度であり、怠慢である」「(言語的に)教えていないことまで求めるのは酷である」と自分に言い聞かせ、実務的・具体的に説明する(用事を頼むときは期限まで指定する)ように気を付けています。

    • いさお
    • 2012年 8月 28日

    Fさんの新人さんの気持ち良くもわかりますが、『教えなくてもわかるだろう(想像しなさいよ)』と言われれば確かにそうなのですよね。
    やる気ないわけでないのだけど、、
    きっと自分が教えたり指示したり頼んだりする時はこれこれこうで、ほにゃららときっちり言うと思う。(だから、他人もそうするだろう、べきだろうな)
    きっと人に求め過ぎなのでしょう。
    非常識が常識な人、常識が非常識の人もいる、まずこの前提を頭の隅に起き、自分で何とかする気持ちで何事もすれば良いのでしょう。
    これが中々ムズカシイ。。

    • F
    • 2012年 8月 29日

    自分はADHD傾向が強いからでしょうか、私は「他人には口で言わなきゃ伝わらない」という前提で生きています。
    黙っていて相手に気持ちや考えが通じたことなんて一度もないこともあり、私は相手に理解してほしいことについては、説明する労力を惜しみません。
    「教えてもらってないことをやるのが怖い(間違っていたら大変)」という気持ちももちろんわかるのですが、とりあえずやってみて「これで合ってますか?」と確認すればいい話でもあります。
    あとからフォローできないほど重要なことは怖いから手を出さないとして(これは手を出さないのが正しいと思います)、些末事なら挑戦してみてほしいのですが・・・。
    それができないほど怖い人に見られてるのかなと思うと、結構悲しいです。
    いろんな性格の人がいますから、彼女も今までに手痛い目に合ってきたのかもしれません。

    • 2012年 8月 29日

    何だか過去の私をみているようだ。
     Fさん、このガス無しライターの彼とあなたの新人さんとは全く異なる様相だと思います。ガス無しライターの彼は、ライターの外観が気に入っているということから「こだわり」が強い傾向にあり、だからこそ言語的に丁寧な説明を要するのだということを先生は述べていたのです。そのあとに続く「想像力の不足」とは、自閉症スペクトラムの3つ組の1つです。
     そして、あなたの前提「他人には口で言わなきゃ伝わらない」ということは、あなたの前提でしかありません。たしかにADHD傾向のある人は「他人には口で言わなきゃ伝わらない」と思っていることが多いかもしれません。しかし、相手は誰でもこれまで生きていきたなかで理解している範囲のものがあります。仕事に関しては新人であるために知らない、理解できていないことが多いでしょう。それに加え、生活経験が少なかったり個人的な性格特徴がからまるわけですから、あなたの前提とする見方からでは相手を理解することはできないのです。
     人(職業人)を育てる役割を担うとき、何を前提とするか、それは新人が一人で自信を持って業務を遂行でき、組織の一端を担えること。その組織が新たな力を必要としていて、新たな力を存分に発揮してくれればその組織のプラスになる。そのために、その新人が何を知らないか、何が困っているのか、どうしたら一人でできるようになるか、を考えることです。自己中心的な見方では見えてきません。
     私には、あなたがこれまでに育ってきた「条件付きの愛」の養育環境が、今のあなたを形作っているように見えます。いくつかのコメントに非常に強い姿勢が読み取れます。私の過去の姿と重なります。しかしながら、それでは上手に生きていくことは困難です。

    • F
    • 2012年 8月 30日

    このエントリでは言語的に説明することの重要性を書いているのだと思いました。
    私は、うちの職場の新人さんが発達障害かどうかはわかりません。
    ただ、ガスなしライターの彼もうちの新人さんも、多数派の理論からすれば「屁理屈」と取られかねない発言をしているわけです。
    彼や彼女が「想像力」や「常識」で対応できないなら、こちらが言語的に説明する必要があるという主旨で書きました。
    みさんの言う、自己中心的というのがどういう意味なのかはわかりません。
    誰でも、自分の視点から世界を見るのですし。
    少なくとも私には、自分がされて納得いかなかったことはしたくない、というのは強烈にあります。
    しかし「それが自己中心的なのだ」と言われると、一体どうしていいやらわかりません。

    • 2012年 8月 31日

    Fさん
     先生は、「学校側からの内申をちらつかせるなどの脅しや強制に仮に屈した場合、彼の二次障害は重篤になると考えるべきで、その後の人生を大きく左右するような記憶となり、極端には難治性のうつ状態や身体症状の原因にもなりうる」と言っています。
     それに対してFさんは、「他人には口で言わなきゃ伝わらない」という前提で生きており、「黙っていて相手に気持ちや考えが通じたことなんて一度もないこともあり、私は相手に理解してほしいことについては、説明する労力を惜しみません」と言っています。
     この違い、わかるでしょうか。先生は発達障害の彼に対し、二次障害を起こさず多数派の社会に適応するにはどう話したらよいかを考え、彼が多数派の論理を理解するためには言語的な説明を必要とすると言っています。Fさんは自分が「他人には口で言わなきゃ伝わらない」と思っているから、だから人にそうするのだと言っています。
     そして、「私は、うちの職場の新人さんが発達障害かどうかはわかりません。」と書いています。であるなら、発達障害の彼と同列にして考えることはできません。さらに、「ただ、ガスなしライターの彼もうちの新人さんも、多数派の理論からすれば「屁理屈」と取られかねない発言をしているわけです。」と書かれています。Fさんはご自身をADHDではないかと思っていますよね。であるなら、ADHD(少数派)の疑いのあるFさんが多数派の理論を自分なりに解釈して、新人さんの言動を評価していることになります。私はまず、ADHDと多数派の違いをしっかり理解した上で、多数派の理論からその新人さんの言動を考え、自身のADHDの特性から他者に与える影響を考えつつ関わる、ということが必要ではないかと思います。

    • 2012年 8月 31日

     そして、「少なくとも私には、自分がされて納得いかなかったことはしたくない、というのは強烈にあります」というのは、「言わなくてもわかるだろ!」と上司にそう言われてきたからなのではありませんか。FさんがADHD傾向で空気が読めず、仕事を覚えられずに苦労したのではありませんか。もし、あなたの上司があなたの傾向に気づき、空気が読めていない部分を言語化してくれたら、あなたはもっとスムーズに仕事を覚えられ、もっと早くに組織の一員として活躍することができたのではありませんか。
     それと同じ、新人さんが「教えてもらってないことをやるのが怖い(間違っていたら大変)」という状況ならば、その新人さんは失敗を恐れる傾向にあると考え、失敗してもよい環境を作る。やって見せ、理屈を述べ、やらせてみて失敗をさせる。失敗に対して咎めない、評価をしない、尻ぬぐいをしない。失敗するのが新人の仕事であるとし、あなたは動じない。新人が失敗を回収できない状況なら、組織や相手側に損失を与えるなら、あなたが責任を持って対処する。上司であるあなたが、新人さんの特徴を捉え、スムーズに仕事を覚えられ、もっと早くに組織の一員として活躍することを目標にすれば、あなた自身の業務量が減少します。利益を生み出すことを考えた方がよいです。

    • 2012年 8月 31日

     ついでに、あなたが「条件付きの愛」のなかで生きてきたなら、条件付きでない愛を、「教えてもらってないことをやるのが怖い」と思うかもしれません。あなたが新人さんに
    >「教えてもらってないことをやるのが怖い(間違っていたら大変)」という気持ちももちろんわかるのですが、とりあえずやってみて「これで合ってますか?」と確認すればいい話でもあります。
    というなら、
    >しかし「それが自己中心的なのだ」と言われると、一体どうしていいやらわかりません。
    と言わず、とりあえず自己中心的でないことをやってみることではありませんか?

    • F
    • 2012年 9月 02日

    みさんへ
    だいぶ色眼鏡で見られているようで困惑しています。
    もう一度書きますね。
    >私は、うちの職場の新人さんが発達障害かどうかはわかりません。
    >ただ、ガスなしライターの彼もうちの新人さんも、多数派の理論からすれば「屁理屈」と取られかねない発言をしているわけです。
    >彼や彼女が「想像力」や「常識」で対応できないなら、こちらが言語的に説明する必要があるという主旨で書きました。
    「多数派の理論からすれば「屁理屈」と取られかねない~」、と書いてありますよね。
    ADHD傾向があると自覚のある私は、いったんは多数派の視点から彼女を捉えようと試みているのですが、そう読み取れませんか?
    彼女には、多数派の視点で見れば「屁理屈」と取られかねない(が、少数派の私には一部正論に見える)発言が混じるので、もしかしたら、彼女も「少数派」かもしれないと思っています。
    ですから「彼女が「常識」で対応できないなら~」と続いているのです。
    ただし、しつこいようですが、<彼女が発達障害かどうかは私にはわかりません>。
    (逃げを打っているわけではなく、私は専門家ではないという自戒を込めて、です)
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 02日

    (続き)
    >とりあえず自己中心的でないことをやってみることではありませんか?
    私はADHD傾向があると思っているので、あくまで多数派の視点を<借りる>ことしかできません。
    本来の視点はADHDだと思っています。
    自己中心的と言われても、こればかりはどうしようもありません。
    仮に彼女が多数派だったとして、言語的に説明することの実害について教えていただきたいです。
    新人さんが失敗を恐れるタイプであることは重々承知です。
    既にひと月ほど一緒に仕事をしていますが、ものすごく一生懸命メモを取っていますし、すべての業務をメモを見ながら進めています。
    1つ説明するたびに長時間メモしているので、説明するほうもなかなか大変です。(接客業なのでタイミングもとりづらい)
    彼女が1個1個納得して仕事を進めるのを待ち、合っていれば「だいじょうぶ」と伝えるし、間違っていたら理由とともに説明することを繰り返しています。
    ちなみに新人さんは私より10歳ほど年上で、私のほうが先輩とは言っても、たったの4か月しか違いません。
    4か月前に私がこの仕事を始めたとき、自分が思うほどにできなかったことをよく覚えています。
    失敗したり、自分でやってみないと頭に入らないことも知っていますし、緊張していると記憶力に影響が出ることもわかっています。
    なので、「絶対に外せないポイントさえ押さえておけば少々失敗してもいい、失敗しても大半はあとからフォローできることである」「疑問に思ったら尋ねてほしい」と今日も伝えたところです。

    • 2012年 9月 02日

     私は、Fさんの新人さんが「多数派の理論からすれば「屁理屈」と取られかねない発言をしている」「彼や彼女が「想像力」や「常識」で対応できないなら、こちらが言語的に説明する必要があるという主旨で書きました。」を読み、「そして、「私は、うちの職場の新人さんが発達障害かどうかはわかりません。」と書いています。であるなら、発達障害の彼と同列にして考えることはできません。」と書きました。
     Fさんのコメントからは、その新人さんが「教えてもらってない」と反論されることを「屁理屈」としている、としか読みようがありません。その新人さんの想像力の不足を思わせるエピソードは他にあるのでしょうか。
     ところでFさんは、自閉症スペクトラムの方と接したことがありますか。想像力の不足、こだわりの世界への理解に努めたことがありますか。彼らの世界を理解しないとなぜ言語的に丁寧な説明が必要なのかを導くことができません。「屁理屈」が問題なのではなく、彼らの独特な世界では多数派の社会では適応することが困難であるから、彼らが理解できる形で説明する必要があるのです。それを先生は精神科医の立場から伝えたかったのではないでしょうか。ここにFさんが言語的に説明する必要があるとしていることとの違いがあります。
    >仮に彼女が多数派だったとして、言語的に説明することの実害について教えていただきたいです。
     これは揚げ足取りに受け取れます。私は言語的に説明することに実害があるとは考えてはいません。私が伝えたかったのは、自分の世界から物事を捉えるのではなく、相手側の視点に立って考える必要があるということです。ADHDは「自分が」「自分が」となりやすい。そのことへの自己突っ込みがあれば、「人に言える立場か」となります。ここでコメントされている方の多くはそれを経験していますし、今も自己突っ込みで大変な思いをしている人もいるでしょう。それがADHDの姿なのです。

    • 2012年 9月 02日

    追加で。
    先生は、「想像力の不足と言えば想像力の不足であるが、「本質を見定める合理主義」と見ることも出来る。坂本竜馬の時代であれば、彼のほうが有能な人になる可能性は大いにあるだろう。」と書いています。
    Fさんは、このことにどのような理解をされているのでしょうか。

    • 2012年 9月 02日

    Fさんへ。
    読み返してみておかしいと感じたので、率直に述べます。
     「4か月前に私がこの仕事を始めたとき、」というのは、あなたも「新人」という立場ですから先輩というよりも「同僚」と同じです。そして、「ちなみに新人さんは私より10歳ほど年上」ということですから、自分が年下であることを意識して、4ヶ月間自分が覚えたことを「伝達」するという姿勢が必要です。
     Fさんの最初の文を読み、組織内で指導者の役割を担っていて、新人への指導で困っていると読み取りました。ですが、あなたも新人の立場であることがわかり、しかも「新人さん」と言っている相手は10歳ほど年上であるとわかりました。あなたの4ヶ月後に入ってきた年上の方は、ただあなたの上からの態度に抵抗を示したのかもしれません。その方への仕事の伝達がうまくいかなかったら、上司に相談し対応してもらうなどを考えた方がよいかと思いました。

    • F
    • 2012年 9月 03日

    みさんへ
    >Fさんのコメントからは、その新人さんが「教えてもらってない」と反論されることを「屁理屈」としている、としか読みようがありません。その新人さんの想像力の不足を思わせるエピソードは他にあるのでしょうか。
    もう一度書きます。
    私は「彼女の発言は<多数派の視点からすると>屁理屈としか読み取れない」と書きました。
    ADHD傾向である私本来の視点からは、彼女の発言は<正論>です。
    >私は、(私が本当に教えてないのなら)彼女の論は正しいと思います。
    と2012.08.27 17:33の投稿で書いてあるとおりです。
    想像力の不足もですが、集中しすぎて周りが見えてない(来客に気付いていない)など、いっぱいいっぱいである様子はうかがえます。一生懸命メモを取っていることもあり、いつ新しいことを説明するか、タイミングを図りかねています。
    >ところでFさんは、自閉症スペクトラムの方と接したことがありますか。
    受動型ASと思われる人の愛着対象になり、精神を病みかけました。それがきっかけでこのBlogにたどり着き、もしかしたら自分はADHDかもしれないと思い始めました。
    彼らが私とは対岸の存在であることはわかっています。
    >先生は、「想像力の不足と言えば想像力の不足であるが、「本質を見定める合理主義」と見ることも出来る。坂本竜馬の時代であれば、彼のほうが有能な人になる可能性は大いにあるだろう。」と書いています。
    その通りだと思います。
    今のように閉塞した時代には、ある意味、このような尖った人の力が必要だと思います。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 03日

    (続き)
    >Fさんの最初の文を読み、組織内で指導者の役割を担っていて、新人への指導で困っていると読み取りました。
    そのとおりです。
    私より先にいた先輩は、全員辞めてしまいましたので。
    ちなみに私の後に、二人入って来ています。
    >ですが、あなたも新人の立場であることがわかり、しかも「新人さん」と言っている相手は10歳ほど年上であるとわかりました。あなたの4ヶ月後に入ってきた年上の方は、ただあなたの上からの態度に抵抗を示したのかもしれません。
    確かに私は新しく入ってきた人を「新人さん」と呼びましたが、何か間違っているでしょうか?
    「新人さん」という言い方は、相手を下に見る表現だったのでしょうか?
    また、ここでは確かに新人さんという言葉を使いましたが、10も年上の方に向かって「新人さん」とは言いませんし、当然敬語を使います。(年下にも使いますが)
    私は、4か月前に自分が仕事を始めたときに苦労したことも覚えているので、同じ苦労をしてほしくないという話も書きました。
    しかし、みさんは、私が発した「新人さん」という言葉一つで「Fは上から目線である」と思い込み、「これはADHD特有の自己中心的な考え方である」という結論を得て、ちょうどいい理由を後付けしていると感じています。
    私は「<多数派の視線からすると>屁理屈と見える」としつこく書いているのに、その起点からしてズレているので、どうも話がかみ合いません。

    • F
    • 2012年 9月 03日

    同意の送信をしてしまったのですが、「指導する立場」という表現だと少しきついですね。確かに説明したり教える立場ではあるのですが、実際4か月しかずれていませんし、同僚です。
    >ですが、あなたも新人の立場であることがわかり、しかも「新人さん」と言っている相手は10歳ほど年上であるとわかりました。あなたの4ヶ月後に入ってきた年上の方は、ただあなたの上からの態度に抵抗を示したのかもしれません。
    逆に、(みさんの思うとおり、彼女も私が上から目線だと思っているとして)「10も年下の人間の言うことを聞きたくない」というのは社会人としてどうなのでしょうか?
    仮に彼女が少数派だからといっても、目をつぶってよいものとも思えませんが。
    私に仕事を教えてくださった方の一人は、私の11歳年下でした。
    教えてもらう立場なら、少々ウマが合わなくても適当に受け流すのが利口かと思います。
    自分(新人)が失敗したときには、その人にフォローしてもらうのですし。
    ちなみに、私の目で見る限りは、彼女の<屁理屈>はそういう反抗的な理由ではないと思います。

    • JWT
    • 2012年 9月 03日

    この記事についてですが、
    「学校は勉強するところじゃ。おもちゃを持っていくな!」
    とうちの父なら言うでしょう・・・
    私はそもそもそれがわかっていなかったのだった

    • 2012年 9月 03日

    Fさんへ
    それぞれの質問に答えて頂きありがとうございます。
     さてFさんは、私に「<多数派の視線からすると>屁理屈と見える」ということを起点にしてほしいと願っている。しかしながら私がそれに応えようとしない。それが困惑のもとであり、また、「もう一度書きます」と繰り返すことになっている。きっと、私がFさんに同調して「そうですよね」と返したら、それはそれで収まることと思う。しかし私がそれをしないのは、ここがADHD当事者であり発達障害を対象にして診療している医師のサイトであるからです。当事者のなれ合いの場ではない、ここに辿り着いた人々(私を含めて)の課題があるのではないかと思っています。
     私は正論か否かについて判断する立場にはありません。ただ、社会適応に関してどう考えるかを理解しようとする者です。ですから、Fさんが屁理屈と見えることであっても、その人の特性、特徴から本人の理屈を考え、それが社会適応にどうかを考える、そういう立場に「今」はいます。
     Fさんは、「<多数派の視線からすると>屁理屈と見える」ことを正論だと言ってほしいのですか。私は正論か否かについて判断する立場になく、屁理屈とする根拠もなく、まして発達障害の彼と同列にするのはおかしいと思っている。その人にそれを「起点」にしてほしいとはいったいどういうことか、ということです。
     Fさんは、「受動型ASと思われる人の愛着対象になり、精神を病みかけました。それがきっかけでこのBlogにたどり着き、もしかしたら自分はADHDかもしれないと思い始め」たのですね。Fさんが精神を病みかけたのは、自閉症スペクトラムについて「無知」だったことが原因ではないでしょうか。無知故に自閉症スペクトラムの人に自分が考える多数派の常識を当てはめ、混乱させ、グチャグチャになってしまったのではありませんか。
     無知は無知だったとしてあなたがそれを認め、そこからご自身の特性について理解を深めていく、これが課題への取り組みの手がかりになると思います。だからこそ、私は発達障害と診断されている彼とあなたの新人さんである方を並列に考えるべきではない、としたことが当然ではありませんか。このことに理解を示しますか?
    本日は疲れましたので、これで休みます。また明日お会いしましょう。おやすみなさい。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 04日

    私は専業主婦で、仕事に就いていたのは遥か昔なのですが、
    み さんもFさんも仕事や職場の人との関わりについて真剣に取り組んでいらして素晴らしいですね。
    お二人のやり取りも冷静だし、さすがキャリアウーマン同士だなあと感じています。

    • u
    • 2012年 9月 04日

    ガス無しライター、おもちゃのライター、切れないナイフ
    私も考えさせられます、先生ありがとうございます。

    • 2012年 9月 04日

    アメジストさん、こんばんは。
    おそらくアメジストさんは、アメジストさんなりに空気を読み、コメントされたのだなぁと思いました。やっとここまでわかるようになってきました。ありがとうございます。

    • 2012年 9月 04日

    さて、Fさん、こんばんは。
     私は最初からFさんが当人に向けて「新人さん」と言っているとは思っていませんでしたよ。社会人としては当然のことですから。
     ただ、私はあなたの文章を読み、あなたの立場と態度が相手にとって「上から」と受け取られかねないだろうと思いました。
     Fさんのここでの最初の文章、読む側としてはとても違和感がありました。それは、精神科医で発達障害の診療をされている先生の、発達障害がある彼への指導について書かれたことに対し、Fさんは私ならこう説明すると思う、と書かれていることです。Fさんは精神科医の立場ではないでしょう。立場をわきまえることを考えていない発言だなぁと思いました。よくジャイアンがやりそうなことなのだけれど、ご自身はそれに気がついていない状況なのだろうと思いました。だからこそ、それを現実の場面でも態度としてでているのではないか、と考えました。
    そして、
    >「10も年下の人間の言うことを聞きたくない」というのは社会人としてどうなのでしょうか?
    仮に彼女が少数派だからといっても、目をつぶってよいものとも思えませんが。
     まず、入職したてで教わる人がいなければ仕事ができないものですから、年上だろうが年下であろうが教わろうとします。しかしながら、教わる方が年上の場合、人生は教える側より長く生きています。それが尊重されないと感じるならば、少々抵抗されるのも無理はありません。「聞きたくない」のではなく、尊重してほしい、ということではないでしょうか。
     そして、Fさんの認知の傾向がここに出ています。私は「ただあなたの上からの態度に抵抗を示したのかもしれません。」と書いたのに対し、「10も年下の人間の言うことを聞きたくない」となってしまっている。これだけではありません。Fさんの「みさんは、私が発した「新人さん」という言葉一つで「Fは上から目線である」と思い込み」、これは先に書いたとおり、言葉一つで思い込んでいたわけではありません。Fさんのこの解釈の仕方では、対人関係でトラブルを起こしかねない、そう思います。かつての私がそうでした。認知のゆがみの是正、優先されます。

    • いさお
    • 2012年 9月 05日

    >>「学校は勉強するところじゃ。おもちゃを持っていくな!」
    とうちの父なら言うでしょう・・・
    written by JWT
    / 2012.09.03 17:06

    わお、そんな考え出てこなかった!!
    きっと多くの人はこれが第一に考えるのでしょうか。
    シンプルですね、ありがとうございます。

    • いさお
    • 2012年 9月 05日

    自分は転職して新人だから、星の数より飯の数ってスタンスで歳上歳下関係ないスタンスですやっております
    これってのび太モード?AC的なのでしょうか?多数派なら中途入社だろうがガツガツしてる人は色々上手にやってますよね。
    器用になりたい。

    • F
    • 2012年 9月 05日

    みさんがそう思わないならば、それはみさんにおいては事実なのではないでしょうか?
    > Fさんは、「受動型ASと思われる人の愛着対象になり、精神を病みかけました。それがきっかけでこのBlogにたどり着き、もしかしたら自分はADHDかもしれないと思い始め」たのですね。Fさんが精神を病みかけたのは、自閉症スペクトラムについて「無知」だったことが原因ではないでしょうか。無知故に自閉症スペクトラムの人に自分が考える多数派の常識を当てはめ、混乱させ、グチャグチャになってしまったのではありませんか。
    無知そのものです。お互い様ですが。
    どんな感じの関係だったかは、受動型ASのエントリにいくつかコメントをしたので、見ていただければ何となくわかるかとは思います。
    一方的に心理的距離を詰めて来るので「近い」「早い」「重い」という違和感はありましたが、ずいぶん人当たりのいい人でした。
    そしてその後の豹変ぶりにびっくりしました。かなりの支配体質で、ストーカーっぽかったので。
    あまりの話の通じなさに「これは今まで見た誰とも全然違う」と思い、「時間が欲しい」と頼んだのですが、(私が離れて行こうとしていると思ったのか)その時間すら許してもらえませんでした。
    結局あちらが私を一方的にこき下ろして離れて行ったので、あちらの方が楽だった(傷は小さかった)と思いたいのですが、知る由はありません。
    もし勉強する時間がもらえていたら、相当違う結果になっていたはずです。心理学にまったく興味のなかった私がASという単語にたどり着くまで、1ヶ月かかりませんでした。
    ちなみにこの方との対話は、<ものすごく>「丁寧な説明が必要」でした。
    仮定の話を根拠に、何時間も説教を始めるレベルでしたので。
    私は何故説教されているのか全く理解できませんでした。
    いつも何故怒られてるかわからず、3-4時間経過したところで、恐る恐る「それ、<もしも>の話だよね?」と指摘します。
    すると我に返ったのか、怒りが沈静化していくことが何度もありました。でも決して謝ってはくれませんし、くすぶりながら説教は続くのです。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 05日

    (続き)
    >Fさんは精神科医の立場ではないでしょう。立場をわきまえることを考えていない発言だなぁと思いました。よくジャイアンがやりそうなことなのだけれど、ご自身はそれに気がついていない状況なのだろうと思いました。だからこそ、それを現実の場面でも態度としてでているのではないか、と考えました。
    確かに私は精神科医ではありません。
    ただ、私も同じような場面に遭遇することはあるかもしれないと思いました。
    そのとき自分ならどう説明するだろうか、と思いました。
    その感想を述べることが、他人からは「上から目線」と取られかねないとは思いませんでした。
    自分にはそのつもりがないので、びっくりしました。
    私は自分の考えが正しいかどうかは述べていません。(いませんよね?)
    その後のコメントで「私は専門家ではないという自戒を込めて」と書いているところからも、無自覚であることは伝わると思います。
    自分としては、ジャイアンというより、のび太な気がします(上下関係がわからないから)。社会的感覚がフラットすぎるのかもしれません。
    ちなみに私が「どうもみさんは私のことを「上から目線」と思っているようだ」と思った理由は「新人さん」という単語だけではありません。
    「自己中心的な見方」という言葉もイマイチ意味がつかめませんでした(これは今もつかめません)。
    また、その後のやりとりで、彼女と私に4か月しか差がないことや、それゆえ彼女の緊張感を理解できるという説明をした際も「たった4か月しか違わないのに」と、持論を補強する材料にされてしまったからです。
    ちなみに、私はみさんが苦手です(伝わってそうですが)。
    自分が思う方向に他人を<矯正>しようとする、支配のにおいを感じとってしまうのです。
    支配(言い換えれば、依存)のにおいを嗅ぎ慣れすぎて、過敏になっているのかもしれませんが、みさんにどうやら悪意がないことはわかりました。

    • F
    • 2012年 9月 05日

    しかし、何を持って「上から」と思われているのかがわからない(自覚がない)ので、困りました。
    彼女の<屁理屈>が「自分を尊重してほしい」という<抵抗>なのかどうかは、わかりません。
    みさんの予想は当たってないように思います・・・とても控え目で腰の低い人です。
    失敗したときにも「ああ~・・・またやっちゃった、難しい・・・難しい・・・」と困った顔で独り言をつぶやいているので、かなり自分を責めるタイプに見えます。
    かと思えば、「有給は取れますか?」と尋ねられたり、私は彼女の感覚についていけず、?マークが浮かぶときがあります。
    彼女は慣れていないので、当然失敗もします。指摘はだいたい私のところに来ます。
    私は「自分が彼女に正しく説明できてなかった」「きちんとチェックしきれてなかった」「チームとしても失敗した」と思うので、当然謝ります。
    彼女には「こういう指摘があった、こういう理由でよくなかった、次からはこうすると間違いが起こりにくくなる(間違わないためのチェックポイント)」という話をします。
    外部の方からの指摘の場合、指摘されても彼女が失敗をわからない場合も多いので、私が謝ります。
    私が相手の方へ説明している内容を彼女が聞いてそこで理解して、一緒に謝るという感じです。
    最近、質問が多くなってきたり、言葉遣いがフランクになってきたり、少し笑顔が出てきたりしているので、このまま続けばいいなと思っています。
    あと、スタッフの顔が覚えられないようです。

    • F
    • 2012年 9月 06日

    昨晩コメントは書いたのですが、どこか不適切な表現だったのかもしれません。
    今度は掲載されるでしょうか。
    >それは、精神科医で発達障害の診療をされている先生の、発達障害がある彼への指導について書かれたことに対し、Fさんは私ならこう説明すると思う、と書かれていることです。Fさんは精神科医の立場ではないでしょう。立場をわきまえることを考えていない発言だなぁと思いました。
    これは目から鱗です。
    どうやら自分では意図していない<悪意>を感じ取られてしまうのだ、ということは理解できました。色眼鏡で見られていると思った原因が。
    私は、同じ状況に遭遇したら、自分ならどうするだろうと思いました。
    言葉以上の意味はないのですが、他人からはこんな捉え方をされるのだと思うと、正直なところ、もう貝にでもなるしかない気分です。
    みさんは私をジャイアンだと睨んでいるようですが(自分でもその要素を感じる部分は確かにあります)、上下(力)関係がわかるのがジャイアンではないでしょうか?
    自分では、どちらかというとのび太ではないかと思います。
    以前、のび太な人たちが、依存的な人に好かれやすかったり、後輩にファンができるという話をしていたと思います。
    (「ジャイアンは回復するとのび太になる」のコメント欄で)
    あれはまさにこれかもしれません。
    確かに、私は男性に嫌われることが多く、理解不能な嫌味をよく言われました。
    そういうねちっこい男性は、総じて空気読め的なオーラを発して自分の思い通りにしようとするので、「この人、いい年してルールとマナーの違いもわからないのか(私を格下に見ているのだとしても、強制できる類のことではないのに)」と思っていました。
    彼らは、私のフラットすぎるところを見て、生意気だ(それどころか上に立とうとしていると解釈)と感じていたのかもしれません。
    逆に、社会的に見て自分(のび太)より下になる人(後輩)からは(この人、フラットで近寄りやすい)と思われる、そう考えると腑に落ちます。
    (続き)

    • F
    • 2012年 9月 06日

    (続き)
    さて、自分が思う<理解>と<共感>の話をしてみます。
    受動型ASっぽい人との関係は、ぐちゃぐちゃもいいところでした。(受動型AS関連のエントリに、コメントが残っていると思います)
    最初「Fの話はわかりやすい」と言っていたのですが、2週間も経たないうちに会話がかみ合わなくなりました。
    思わぬところに地雷があるらしく(もしもの話が原因で何時間も説教を始めたり)、さすがの私もどうやら全く理解できないパターンの人だと気づきました。
    お互いのために勉強したほうがいいと思ったのですが、その時間をもらえませんでした。(私の時間の全てを管理しないと気が済まない人でした)
    その人とは本当によく喧嘩をしました。
    たまに私が腹に据えかねて反論すると、「勝ちたいの?!」と言われました。
    何とか私の話を理解してもらえて場が落ち着いたとき、その人は私に向かってぼそっと「スッとした?」と聞きました。
    私は質問の意味がわからず、少し考えてから「スッとじゃない、ほっとした」と答えました。
    その人は「なるほど」とつぶやいて、それから何も言いませんでした。
    みさんは、私の話を意図的に黙殺していたのですね。
    (それが戦術的な理由であったことは、その後の説明で理解できました)
    私は、自分と同じ感想を抱くことを求めているわけではありません。
    主旨を<理解>さえしてもらえれば、無理に<共感>まではいりません。
    今回の場合だと、「あなたは正論と思うのかもしれないが、私は正論とは思わない」ならそれでいいですし、「追求者ではあるが専門家ではないので判断する立場にない」と思うならそれでいいのです)
    私の頭は、どうやら「返事がない=聞いてない(理解してもらえていない)」と解釈するようです。
    「<理解>はしてもらえていたらしい(意図的に黙殺されていただけだった)」とわかるまで、私の思考はその部分でエラーを吐いて止まっていました。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 06日

    (続き)
    >だからこそ、私は発達障害と診断されている彼とあなたの新人さんである方を並列に考えるべきではない、としたことが当然ではありませんか。このことに理解を示しますか?
    そしてエラーが解消されて、ようやくこの後段の部分が理解できました。
    ただ、ガスなしライターの彼はASとは書かれてないようですが・・・。
    (「こだわり」があるからASと解釈されたのでしょうか)
    >少々抵抗されるのも無理はありません。「聞きたくない」のではなく、尊重してほしい、ということではないでしょうか。
    すみませんが、ここをもう少し詳しく説明していただけませんか。
    「自分のことを尊重してほしいから、抵抗の手段として、聞かないという態度を取った」というふうに読み取ったのですが、これが「聞きたくない」とどう違うのかが、私にはわからないのです。
    日常生活において、状況や相手の表情・言葉から、その人が今<何を考えているか>はだいたいわかります。
    が、<何故そう思うのか>という部分はわかりません。
    どうも私には、人間の感情的で本能的な部分(競争心だったり自尊心だったり)が欠落しているような気がします。
    なので、彼女の態度に「尊重してほしい」という理由(彼女の<理屈>)が隠れていたとしても、「聞きたくないんだな」という解釈しかできない。
    私自身が「理解さえしてくれれば共感はいらない」「言動がすべて」という軸を持つために、(他の人にとっては重要である)心情的要素を不要なものとしてスルーしているのかもしれません。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 06日

    (続き)
    そしてつまるところどうすればいいのか、まったくわかりません。
    「彼女が失敗を恐れるタイプなら、失敗しやすい環境を用意する」など提案していただきましたが、既に書いたとおり、どれも実践していると思うのです。
    (みさんからの反応がないので、伝わっているのか、これでは不足なのかわかりませんが)
    ちなみに、彼女の想像力の不足を思わせる行動は結構あります。
    独り言の多さ(独り言なのか話しかけているのかわかりにくい)、質問の内容がわかりにくい(省略が多く話が飛ぶ)、パートなのに「有給はあるのか?」という質問をしてみたり(面接のときに尋ねるべき内容ですし、そうでないならひととおり仕事を覚えてから口にした方がいいような)、パニックになりやすい(自責の念が強いように思います)、からかわれていても全部本気に受け取る、いつもと違うパターンが理解できない(「こういう理由でこのときはこうします」と言語的に説明しても、飲み込むのに時間がかかります)、など。
    「自分がされて嫌だったことは人にしない(人のふり見て~、もしくは、反面教師にする)」は世間一般にはよいことのように思われていますが、私の感覚が世間一般からズレているなら、効果は見込めないのでしょう。
    私が<多数派の理論>を<正しく><理解>するまで、彼女に対して口をつぐむという、ひどく消極的な方法になってしまいそうです。

    • 2012年 9月 06日

    Fさんへ
     ガス無しライターの彼のこだわりについて、私は知的障害のある発達障害の特に自閉症の子たちと関わり、彼らのこだわりの様子を見てきました。その経験から、このガス無しライターの彼のこだわりが発達障害の特性ゆえであることが理解できます。ですから、先生が言われる言語的に丁寧な説明が必要であることを理解しており、ADHDの我流のおせっかいが彼らにパニックに陥らせ、二次障害を引き起こすもととなることも理解しています。それゆえ、Fさんの私はこう説明すると思う、と述べられたことに対し、ちょっと待った!と説明することになりました。それを理解していただけたらそれでよいのです。つまり、ADHDの我流のおせっかいをやめ、適切な理解のもとで関わる、それにはADHD者の自己認識が優先されるという話です。
     ガス無しライターの彼と「彼女」を同列にして話を展開させているため、自閉症スペクトラムの人と接したことがあるかを質問させていただきした。Fさんがどのような理解をされているかを知りたかったからです。そこでFさんがご自身の話をされました。それによって私はADHDの我流のおせっかいが自閉症圏の人に二次障害を引き起こすのだということをよく知っていただきたいためにあのように書きました。特別支援教育に携わった者として、またADHD当事者として、二次障害を引き起こすような関わりを続けてほしくないと思っているからです。
     さて、のび太とジャイアンの違いは「状況察知能力」が低いか高いかです。Fさんが「ジャイアンは回復するとのび太になる」のコメント欄で、結婚したことを「利用」としています。「利用」することができるのはジャイアン、のび太はそもそも「利用」することなど考えないでしょう。「ジャイアンは回復するとのび太になる」のエントリで「他方「最初からのび太」はむしろ、こだわりは少なく、「好きなことだけする」という風で、」と書かれています。Fさんは窓口のお仕事で来客にかなりの時間をとられたと書かれていますが、おそらくのび太は他人にそこまでお付き合いしないのではないでしょうか。

    • 2012年 9月 06日

     そして、新人さんの「教えてもらっていない」の屁理屈について、転職する人が多くなった昨今、自分より年上の人を教えるということも多くなってきました。そこで、自分より年上の人を教える場合において注意することとして、年上であることを尊重する姿勢が必要だと言われています。多分、キャリアカウンセリングや指導者研修等で言われていることではないかと思います。
     あはは。私はあなたに苦手と言われてもそうですか、としか言いようがありません。そういう人もいるでしょう。私はあなたから苦手と思われているとは感じていませんでしたよ。
     ただ私は特別支援教育に携わった者として、またADHD当事者として、二次障害を引き起こすような関わりを続けてほしくないと思っているからコメントしているのです。
     Fさんは私に依存されていると思っているのですね。そうかもしれませんね。依存のないのび太さんは「「好きなことだけする」という風で」あってほしいなと思います。私に言を尽くすようであってはのび太らしくありません。お前がそれを言うか!ですよね。自覚しております。ただ、私はまだ特別支援教育に一部かかわっているものですから。

    • 2012年 9月 06日

    あ、そうだ。
     戦略と言えば、ジャイアンが戦略を考えるとき、非常に冷静になって相手を陥れようとするのだけれど、このときの身体の状態は交感神経優位です。交感神経優位の時は眠くなることはありません。相手にどう言おうか集中して文章を組み立てているとき、つまり過集中の時は交感神経優位です。自分の考えを述べるだけの時は、述べたら満足なので、すぐに副交感神経に切り替わるので眠くなる。人間の生理学的な話でした。

    • turtle
    • 2012年 9月 06日

    この中学生の気持ち、とてもよくわかります。
    今まで、何度このようないざこざがあったことか…
    上に「一見大人しそうだが頑固で強情。」と言われたことがある方がいらっしゃいましたが、全く同じことを私もよく言われていました。
    そして怖がられていました。
    まるで、自分はモンスターや悪魔なんじゃないかと自分の中の暴発の種に怯えながら生きてきました。
    そしていつも自分を責めていました。
    でも、皆さんの書き込みを読んで、全く同じような人がいることが勇気をくれました。
    少数派なだけだったんですね。
    今までずっと、世間に対する言い知れぬ怒りを抱えていて、それが何かわかりませんでした。
    ここを読んで、理解できない大多数の人の暗黙の了解に黙って従うことと、暗黙の了解を理解できない人間を嘲笑する人々に対して腹を立てていたことだと気付くことができました。
    理由がわかったので、これからは、「怒らないジャイアン=合理的ADHD」としてやっていけそうです。
    ヘボい私でもここにいさせてくれてありがとうね、って素直に思えそうです。
    いろいろ不得意なこと多いけど、とりあえずできること一生懸命やろうと思います。
    Fさんへ
    わたし、Fさんの書かれていること、とてもよく理解できますよ。
    こんなに一生懸命、相手の立場を考えながら仕事を教えていらっしゃる方いないと思います。
    新人の方が、一日も早く自信を持って業務をこなせるようになるといいですね。

    • らん
    • 2012年 9月 06日

    > み さん
    父は躁鬱で、母はアル中、み さんは典型的なAC。
    つまり、ここでやっていることは、ACからくる世話焼き変形モードですか?

    • 2012年 9月 06日

    らんさんへ
    私の過去のコメントをお読みください。
    母はアルコール依存症ではありませんよ。私は子ども時代にはACOAでした。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 06日

    み さんやFさんはじめ、ここに集まる方々は本気で自己洞察を深めようとしていらっしゃいます。その中に衝動的な誹謗中傷のコメントが紛れ込むのは大変残念だと思います。

    • 道産娘
    • 2012年 9月 07日

    おーっ!!
    みさんの過集中のお話、ありがたいです。
    ちょうど今、自分の関連付け思考はジャイアンの過集中からくるものか、もしくは受動型ASで常に関連付け思考ができるのか考えていたところなので、とても参考になりました。
    自分は「世間」とか「一般的」といった普通へのこだわり(かな?)がよく理解できないので、多数派の理論というものが存在するということすらわかりませんでした。
    お二人の話し合いに割り込んでしまい、申し訳ありません。
    お邪魔致しましたm(__)m

    • 2012年 9月 07日

    なんだか寝ぼけながら書き込んだので全く答えていなかった。
    らんさん
     父はアルコール依存症の依存型暴君型ジャイアン、母はお世話係ののび太ACだっただろうと思います。そのような養育環境で育った私は依存型ジャイアン(情緒障害型、ボーダー型、AC、それぞれ発達段階各期で変化)となった。
     実際には依存の養育環境下では依存型にどうしてもなってしまう。養育環境は非常に大切です。そういえば、「依存」関係でなりたっている養育環境から二次障害がないのび太が生育する確率はどのくらいあるのでしょうか? 通常、両親と親子の関係がその子どもの人間関係を形成する基礎となりますから、依存の家庭では依存型に自然になってしまうと思うのですが。
    そして、らんさんが言いたい「ACからくる世話焼き変形モード?」は、「依存型ジャイアンの他人へお世話することによる依存」でしょう。共依存と言われる状態です。今回の私は、精神科医の先生と同じような立場で思いを書かれたFさんに違和感(ジャイアンの状況察知能力による)を感じたため、そして、Fさんのこれまでの書き込みで齟齬があることから突っ込みを入れたということだと思います。
    私はのび太への移行を目指していますが、まだまだ道が遠いなと感じます。状況察知能力を低下させることが難しいですね。

    • 2012年 9月 07日

    なんか違うな。
    状況察知能力は低下させることができないから、衝動統制を強化することだった。

    • らん
    • 2012年 9月 07日

    お母さんがアル中なのではなくお父さんが躁鬱&アル中だったんですね・・。すみません。
    でも、みさんがACであることにはかわらない。
    そして、みさんはご自身でACを認めているのに・・・なぜここで、このようなことをくりかえすのですか?
    ACであれば、自分の「脳」が誤った判断をするということですよね。まるで認知障害のように、またあるいは感情障害のように。
    なら、自分が正しいと信じるもの、当然と思うのも、今やっていること、疑っていないもの、楽しいを感じ、苦しい感じ、そんなのもに疑いをもたずして、どうして治療ができるのですか?
    歪んだ脳に「正しい」と映るのは、自分を整えて映し出す歪んだ鏡に映されているからじゃないんですか?

    • らん(その2)
    • 2012年 9月 07日

    ACを治すために自分で自分の「自意識」をいじることは有効なのでしょうか?
    むしろ、その逆なようなきがするのです。
    ココロをいじらない。「自意識」そのものを消す。中をいじるのでなく、外にあるもを「良いモノ」で満たし、心はそのお裾分けをもらう。
    規則だだしい生活、栄養のバランスのとれた美味しい食事、適度な運動、片付いた部屋、美しい音楽、えとせとら。
    そして・・思う。
    自分のまわりを「良いモノ」で満たすことは結構大変だっ!
    (だからさっぱりできてない)
    でも、心は醜いけれど、人は美しいモノを作り出すことができる。それは信じることができる。
    わたしも「美しいモノを作り出す人間」の仲間入りがしたいのです。
    「壊れた心」なんて放っておいて。
    ・・・そのためには、まずは先生にさよならを言わないといけないんですよね・・・・。゚(゚´Д`゚)゚。
    (なにもかも・・できてな~い)

    • 2012年 9月 07日

    もう一つ、書いておきたいことがあります。
     私は社会人になって生きづらさを感じ、アルコール依存症の家庭に育った成人になった人たちの生きづらさについて調べ、自身がACOAであることを知りました。ACOAは、アメリカのM・S・W、社会心理学博士クラウディア・ブラックが、アルコール依存症の家庭に育った成人になった人たちに共通点があることに気づき、Adult Children of Alcoholics(ACOA)と名付けました。その後、アルコール依存家庭だけでなく、機能不全家族に育った人たちにも共通するということで、ACOD(Adult Children of Dysfunctional Family)となり、省略してACとなりました。ACは診断名ではなく、自己認識のための言葉です。
     アルコール依存家庭では、依存者の言動に左右され、困惑したなかで育ちます。困惑していても対応していかなければ生きていかれないので、状況に応じてどうしたら収束するかを考えて対応することになります。依存者の顔色を伺い、状況を察知し、自分が傷つかないように対応するようになります。それでも依存者のその場その場の怒りによって自己肯定感を育めず、情緒障害になることも多く、見捨てられないためにどう行動するかを身に着けてしまいます。理不尽に怒りを被ることも多く、トラウマティックな状況を経験し、複雑性のPTSDになることもあります。依存者の配偶者に共依存があれば、それはまた共依存を学んで依存者に対応することを身に着けてしまいます。
     ACの困難は、社会人となり、養育環境から身に着けていたことが社会的に通用しないことを身に沁みることから始まります。なぜこのような養育環境に生まれついたか、自身の生命の誕生にさえ理不尽さを感じます。好き好んでこのような家庭に生まれたのではない、もっと普通の家庭に育ちたかった、これは正直な気持ちです。当たり前なのです、こういう感情をもつことが。その感情さえも養育環境によってコントロールされて情緒障害になって、当たり前に感じられない状況にある人もいます。

    • 2012年 9月 07日

    続き
     「好き好んでこのような家庭に生まれたのではない」、これは、生得的な障害があってこの世に生を受けた人々にも同様のことです。「好き好んでこのような障害をもって生まれたのではない」、そうでしょう。ADHDであっても自閉症スペクトラム障害であっても、LDでも。
     それでもこの世に誕生したからには「生きていくことをする」のです。「生きていくことをする」には、理不尽な悲しみ、怒りを発散させ、現実の自分に立ち戻り、そこから生きていく指針を見つけるのです。いったん身に着けたものは癖となり当たり前のように行っているのですから、そこから修正していくことが必要になります。
     私はACへの問題解決の取り組み中、ADHDという概念を与えられました。ADHDについて調べるうちにここに辿り着きました。発達障害について全く無知で、自身が認められたいがために横柄なことを言って混乱させ、また怒らせました。今も尚、それを知る方々は私を快く思っていないでしょう。とくに自閉症スペクトラム障害の方々はトラウマティックな体験となっている可能性もあるのだということは承知しています。時々コメントされる人の中にはそういった方も含まれているのだということを理解しています。
     さて、私は高校生で父を失い、学生時代には「死ぬ瞬間」キューブラ・ロスなど死について探求し、そして自己の問題としてAC、ADHDについて探求してきました。その間、医療、教育、心理、福祉についての学びをし、今度は社会貢献のために何ができるかといった発達課題に取り組んでいます。理想と現実のギャップ=苦悩、これをいかにして乗り越えるか、課題だなと思っています。

    • 2012年 9月 07日

    あはは。
    らんさん=ちひろさん、かい? サハラ砂漠だっけか。一粒の砂を見つけてほしいと言ったのは?!
    またまたピコピコハンマーでポコッと?!
    いやいや、よく空気を読んでいるよなーと思うが、ちょっと待っててくれよ、と。よく「言いたい…」と… 誰だっけ?
    先生にさよならはいらないと思うけれどな。実際、ピコピコハンマーでポコッっとやるべき状況を察したのだろう。だから先生もそこら辺りはわかっているだろうよ。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 07日

    私の個人的な印象なのですが・・・
    以前の みさんのことはよく知りませんが、現在の みさんは「人間の依存傾向」に対して鋭い嗅覚をお持ちだと感じています。その基盤があるので、大胆な発言をなさってもピントがずれないのだと思います。

    • F
    • 2012年 9月 08日

    >「ジャイアンは回復するとのび太になる」のエントリで「他方「最初からのび太」はむしろ、こだわりは少なく、「好きなことだけする」という風で、」と書かれています。Fさんは窓口のお仕事で来客にかなりの時間をとられたと書かれていますが、おそらくのび太は他人にそこまでお付き合いしないのではないでしょうか。
    まったく逆の解釈でした。
    どんなに応対しても給料は変わらないのですから(市役所職員です)、適当なところで切り上げるのが賢い(ジャイアン)と思いました。
    頑張った分だけ給料が上がるなら、わかるんですけど。
    そして昨今の公務員叩きもあって、非常に肩身が狭かったです。
    それから・・・これも言いにくいのですが、私は職に対して引け目がありました。
    一応合格通知はもらったのですが、補欠合格という扱いでした。(4月から採用にはなったのですが)
    1年間はお茶くみとコピーだけでした。
    女性の採用は私1人で、同期の男性3人は仕事を任されているのを見て、とても辛かったです。
    母に話しても「お茶くみで給料がもらえるならいいじゃない」としか言われず、この人に相談するのが間違いだったと思い知りました。
    そして2年目に別の部署に配属され、仕事を任されるようになり、仕事が楽しくなった頃のことです。
    母は私に「実は一次試験(記述試験)のあと、首長のところへ菓子折りを持って挨拶に行った」と言ったのです。
    「でもそういうことをされても結果は変わらない」と言われたとも言っていました。
    私はそれが非常にショックでした。
    自分の実力が足りなかったのに、裏口入学のように、おまけで入れてもらったんじゃないかと。
    そんなことをしてもらうくらいなら、試験に落ちたほうがマシでした。
    補欠合格だったことも気になっていましたが、その話を聞くとますます仕事には一切手が引けなく、弱音も吐けなくなりました。
    いくら仕事を頑張っても、まだ足りないんじゃないか、もっと頑張らないといけないんじゃないか、うまく行かないのは自分に実力がないからじゃないかと。
    そういう下敷きがあり、困った人の応対にも手を抜けなかったというわけです。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 08日

    自分でもジャイアンかのび太なのかはわからないのです。
    前のコメントで書いた通り、ジャイアンの気質はあるんじゃないかと思っています。
    15年間の「結婚しない宣言」を翻して、おそるおそる「結婚しようと思う」と母に話したときです。
    母は「そんなろくでもない人・・・母さんがもっといい人見つけてきてあげる(孫の面倒見てあげるから私の介護してよねという無言の圧力)」と言い放ったとき、何かがぷつりと切れました。
    進学も就職も母の言うとおりにしてきた、結婚すら私の意思を認めないと言うのなら、(母がこだわっていた)公務員を辞めると言えば、私の意思が伝わるだろうか。
    チップとしては大きすぎる気もするが、この腐った家から出るに十分な理由にはなるだろうと。
    頭のどこかで「これは彼を<利用>しているんだ」という自覚はありました。
    嫌いな人と結婚するわけはないのですが、ひとかけらの打算もなく100%の愛情だけで結婚したのかと問われれば、答えは明らかにNoなのです。だからこれは利用です。
    >私に言を尽くすようであってはのび太らしくありません。
    そうですか。
    理解さえしてもらえればそれ以上望まないのですが、理解してもらえないのは、本当に苦痛なのです。
    途中で、もうどうでもよくなっちゃうことも多いのですが。
    私も、私のことを苦手に思ったり嫌いに思ったりするのは自由だと思います。
    私には好きなことがないんです。
    大学の専攻は管楽器でした。
    当時の担当教官には「僕の30年以上の教員生活で、あなたが一番熱心に練習する学生です」と評価されていたのですが、今は全然吹こうと思いません。
    毎日何時間も練習してたんですけどね・・・今でも仕事をしているときは何かしらスイッチが入りますが、それ以外に特に趣味もありません。
    ちなみにアルコール依存症の家族の話が出てますが、我が家もそうでした。(父親が暴れるタイプです)
    この歳になって自分がACと名乗れる環境だったことに気付きましたが、「ああ、そうだったの。それで?」で終了しました。
    「自分は被害者だ!」声高に叫んだところで、今さら何の解決にもならないんですから、被害者ぶっても無駄なことです。

    • F
    • 2012年 9月 08日

    年上の人の応対に注意する、とのことですが、本当にどうしていいやらです。
    「来客者の応対を最優先に」なんて接客業では基本中の基本ですし、「わからないことは聞いてくださいね」も言うまでもないです(逆にバカにしてると思われそうです)。
    しかしこれも言葉で言わないと、どうもわかってないようなのです。
    今日もミスがあったので指摘し、フォローの仕方をまだ説明してなかったので私がやろうとしたのですが、「すみません、私がやります」と資料を取られてしまいました。
    が、結局5分経ってもできないので(やり方がわかってないので当然です)、結局私がやりました。
    5分間、無駄にお客様をお待たせすることになってしまいました。
    「自分の失敗は自分でフォローする」という彼女の美学はすばらしいと思いますが、この場合、来客者の都合のほうが優先されると思うのですが・・・。
    「言語的に説明することはADHDの余計なおせっかいであり、自己中心的な行動だから少数派を混乱させる可能性がある」というのは、理念としては正しいのかもしれません。
    が、彼女の場合は、言語的に説明する必要を強く感じます。そうしないと仕事が回りません。
    残るは言い方の問題になるのですが、自分の何が欠けているのかもよくわからないので、多数派と思われる他のスタッフに、私の態度について尋ねてみようと思います。

    • F
    • 2012年 9月 08日

    turtleさんへ
    応援ありがとうございます。
    彼女もちょっと変わってますが、トップ(上司)も相当の変わり者なのです。
    聴覚や嗅覚の過敏もあるようで。
    今日も1時間もお客様をお待たせしたあげく「僕、これから出かけるし、時間ないから帰ってもらって」と言われてしまいました。

    • らん
    • 2012年 9月 08日

    そ。
    わたしはみさんが大好きなのです。
    自分の血と返り血を浴びながらリングに立ってる人だから。
    砂漠の中の砂粒のあなたを探したい。
    「学問」の鎧を剥ぎ取って、深い場所に眠る「あなた」に会いたい。
    最初にピコピコハンマーって書いたのは、
    それが効果がないことは100承知って意味。
    でもこうやって振り回していたらでてくるじゃん。
    「そんなの効果があるかよボケっ!!」って(^O^)

    • 2012年 9月 08日

     依存はもうこりごりです。依存家庭で育ち、「世代間連鎖」をさせないと誓ったのですが、自身に依存体質があることに気づき、心底悔しかったし情けなかったです。認めたくなかった。あの親と自分が同じだなどと思いたくなかった。(先生も母親のジャイアン性をみて自分と同じジャイアンの仲間だと受け入れ難かったのですよね)
     あの当時は「人の役に立っている自分」に自己の存在意義を見出していました。それしか自分を成り立たせるものがなかった。自分がやりたいことも何が好きなのかも、何ができて何ができないかも、ほとんど自己認識できなかったから、とりあえず身に着けていることを職業とし、「人の役に立っている自分」によって生きていることを実感していました。それが共依存の何ものでもなかったのです。自立しているのではなく、「人に援助することで相手の人生に乗っかって生きている」のですから。
     自分が自立するためには相手の自立を信頼しなければならない。それがどれだけ援助の手を必要とする人であっても。だから看護師を辞めました。依存‐共依存関係を続けるということは、養育環境から脱していないということ。自らの人生を自律的に生きていないということ。もういい加減、養育環境の呪縛から自由になりましょう。

    • 2012年 9月 08日

    そうだ。アメジストさんは嗅覚という表現をされたのですが、ASのアメジストさんならではだなぁと思いました。
     ADHDは空気が読めないために表に現れたことから判断するしかなく、注意の転動や衝動性が高いと勝手な思い込みで発言してしまうことがあります。勝手な思い込みでよく失敗してきたために注意深く文章を読むようになりました。しっかり相手の言うことを聞く、読む、そういった訓練で理解力が向上します。
     話が脱線しました。しっかり聞く、読むような癖ができると相手の矛盾に気づくようになります。とくに親の言動に食い違いが多く、ダブルバインドを多く経験していると、その傾向が強く出るのでしょう。ACの問題が解決していない状況では、相手の矛盾を突き陥れようとする。自分が正しいことを証明しようとします。親に自分の発言や行動を正当に評価されなかったことが、親ではない他者との間でそれを反映させてしまいます。悲しい努力です。ODD、CDは自分が悲しい努力を続けていることを見ることができません。
     ACの問題を解決すると、今度は陥れようとしなくなります。自分が正しいことを相手に分かってもらおうとする悲しい努力を必要としなくなるからです。自己肯定感があれば悲しい努力はいりません。
    「依存」との違いについて
     共依存者は険しい道を進んでいこうとする人に、歩きやすいように整備(お世話)しようとします。険しい道を自らの手や足、頭を使っていかに進んでいくか、その学習の機会を剥奪してしまう。しかし依存でない人は、険しい道を進んでいこうとする人に道を整備(お世話)するのでなく、この人の進む道であることを当然としながら、先を歩く者として、またもっと険しい道を歩む者として、険しい道の歩き方を自らの経験とそれに関する知的体系を伝授しようとします。この姿勢がやんばる先生のエントリです。
     文化の伝承には、経験とそれを支える論理体系があります。虐待や依存関係等「世代間連鎖」もまた、文化の伝承と同じ。「世代間連鎖」をさせないために、誤った経験学習と論理体系を刷新していかなければなりません。そのために、やんばる先生のエントリやAC・発達障害に関する書籍などから誤った論理体系を刷新し、現実生活の中で新たな論理体系を基に経験学習をしていくことです。

    • 2012年 9月 08日

    Fさん
    ジャイアンの状況察知能力について先生のエントリ
    ○2009年2月の「ジャイアンの生育①」~
    ○2010年6月の「ジャイアンの本質(中間総括)その1」~
    「周囲の人間が自分に関心を持っているかどうかを見分ける能力」=非言語的状況察知能力
     公務員試験に合格したのであれば「合格」、それ以上でもそれ以下でもない。合格したのであれば公務員として公共の福祉に資するのみです。親が余計なことをした、それだけです。周囲は貴方の親のしたことなど関係なく、また貴方を補欠合格だった人などとは見ていません。貴方を迎え入れ、同じ職場で働くフレッシュさんと見ています。親のことを切り離しましょう。今までの恨みつらみが噴出してきて、仕事中に思い出してしまったり涙が出るようなら、カウンセリングで吐き出しちゃいましょう。カウンセラー(できれば発達障害に理解のある)はそのための専門職ですから、適正利用(お金とられますから)すればよいのです。自分が自分らしく生きるために。
    >嫌いな人と結婚するわけはないのですが、ひとかけらの打算もなく100%の愛情だけで結婚したのかと問われれば、答えは明らかにNoなのです。だからこれは利用です。
     ACはよく0・100思考をします。100%の愛情など存在しません。依存的な親から自ら離れようとした、まずそのことを自分で褒めましょう。

    • 2012年 9月 08日

    >進学も就職も母の言うとおりにしてきた、結婚すら私の意思を認めないと言うのなら、(母がこだわっていた)公務員を辞めると言えば、私の意思が伝わるだろうか。
    親の公務員志向、これは「ジャイアンの本質(中間総括)その2」
    >私には好きなことがないんです。
     そうでしょう。これまで貴方は親のために生き、親が満足することばかり考えてきたのですから。ACを受け入れることは、自分が被害者だということを受け入れることではありません。養育環境から発達において何が得られなかったか、どうして生きづらいかを理解するための言葉の概念です。そのなかで、自分の問題と親の問題を区別する過程でこれは「親の責任」だと認めることになります。親の責任を背負い込んでいた自分の荷を下ろす、それができないと「自分の生に責任を持つ」ことができません。
     貴方が教えている相手について、自分と相手の人間的距離、責任についてごちゃまぜになっているから大変なのです。ACを改善すればシンプルに考えることができます。
    >残るは言い方の問題になるのですが、自分の何が欠けているのかもよくわからないので、多数派と思われる他のスタッフに、私の態度について尋ねてみようと思います。
     うん。そのほうがよいでしょう。他人の責任まで頑張って引き受けることはやめ、他者の力を借りましょう。ACは頑張り屋さんです。ただ、頑張る方向を間違っていて辛くなっている人々です。

    • F
    • 2012年 9月 08日

    みさんは、発達障害の子供たちに関わっていらっしゃるのですね。
    >Fさんが精神を病みかけたのは、自閉症スペクトラムについて「無知」だったことが原因ではないでしょうか。無知故に自閉症スペクトラムの人に自分が考える多数派の常識を当てはめ、混乱させ、グチャグチャになってしまったのではありませんか。
    >それによって私はADHDの我流のおせっかいが自閉症圏の人に二次障害を引き起こすのだということをよく知っていただきたいためにあのように書きました。特別支援教育に携わった者として、またADHD当事者として、二次障害を引き起こすような関わりを続けてほしくないと思っているからです。
    私が疑問に思うのは、発達障害の子どもと大人を、同じ視点(同じ関わり方)で見ることは、果たして正しいのだろうか?ということです。
    20歳を超えたら自分の言動には自分で責任を取るものでしょう。
    発達障害の方が生きていくのに苦難を感じたとしても、誰も代わってあげることはできません。
    自分のやり方で人と関わってうまくいかなかったら、その経験を生かせるかどうかなのではないでしょうか?
    世の中にはASやADHDについて知っている人のほうが少ないと思います。(私もこの歳まで知りませんでした)
    子どもの場合は、大人(子どもからすると逆らい難い)からの圧力を感じやすいでしょうから、より丁寧な対応が求められることは理解できます。
    私は、私が受動型AS(と思われる)人とうまく行かなかったのはお互い様だと思っています。
    彼は一体何なのか、頭の中がどうなっているのか?
    どうやら見たことがないタイプだとは思いましたが、ひどいことを言われても根っからの悪人には思えませんでした。
    本当は優しい人だと思うのだけど、何か皮のようなものをかぶっている気がしました。
    歩み寄りたいと思いました。
    最初に近づいてきたのは彼の方でした。断っても、きつく反撃しても諦めません。
    一晩中考えていたのか、憔悴して反省した様子を見せられると、「私も言い過ぎたかなあ」と気の毒になってしまって、結局ずるずると続いてしまいました。
    (このときは彼の側が「完全服従」だったのでしょう)
    (続き)

    • F
    • 2012年 9月 08日

    (続き)
    手を振り払ったのも彼の方です。
    彼がもし自分をASだと知っていたのなら、私に告知しなかったことは私を信用してなかったことに他なりません。
    彼がもし自分がASだと知らなかったとしても、関係がうまくいかなかったことの原因の半分は、彼にあると考えます。
    こだわりに理解を示すのは優しいことかもしれませんが、相手の人格を尊重しないやり方を私は許せません。
    成人しているならば、私は発達障害を理由に自己正当化することを認められません。
    「バカだ」「クズ」「これだから女は」「女は感情的な生き物で論理的な話ができない」「人の気持ちがわからないやつだ(彼にとって正解ではないからです)」「女はすぐに『でも』とか『だけど』とか言う(私は女なのでこの言葉で一切反論できなくなりました)」
    本当に毎日何時間も好き放題言われました。
    聞いているうちに本当に病んできます。やりたくないことを強要されているうちに、すべてにおいて先回りしなければならないことに疲れ果て、思考自体がコントロールされ始めます。
    別れたいと言えば、今までに撮った私の動画を持って「けじめをつけるためにお前の家族のところへ謝罪に行く」「言うことを聞かないとネットで流す」「友人にばらす」と脅します。
    これらは「自閉症スペクトラム特有のこだわりや過集中なのだ」と言えば許される行為でしょうか?
    そのままでじゅうぶんDVやモラハラに該当すると思います。
    私はASという言葉にたどり着く前は「あの人は自己愛性人格障害だったんじゃないだろうか」と思っていました。
    YANBARU先生は、受動型AS本人を甘やかすことが、最も思春期以降の本人を苦しめると書いていらっしゃいます。
    受動型ASと思われる彼も十分苦しんでいたのだと思います。
    (最初から鬱だとは聞いていたので、一応気を付けてはいましたよ)
    彼はどんなに苦しくても、過去に甘やかされたツケを払って生きるか、人と関わることを諦めるかしかないと思います。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 08日

    (続き)
    >だから先生もそこら辺りはわかっているだろうよ。
    ところで私はこのくだりに違和感(上から目線)を感じたのですが、他の方は何も感じないのでしょうか?
    みさんはYANBARU先生のお考えを最もよく理解していらっしゃる方なのですか?
    私は一番の理解者なのだ、だから自分は正しい、先生も同じ意見に違いないという理論に見えます。
    私には、他の方のBlogで相撲を取っているように見えます。
    >らんさん=ちひろさん、かい?
    というくだりもです。
    自分の見立てが正しい、と思ってらっしゃるのかなと。
    「ジャイアンは回復するとのび太になる」のコメント欄でも、「私(ジャイアン)のコメントを読み、「あーー知らない知らない!私には解らない!」としたかな?それとも、ショックを受けズタズタになっているのかな?  それとも、「うるさいよ、わかっているから言わないで」と、読み始めたかな?いずれにせよ、ダメージを食らったことには違いない」と書かれてましたが、どうも思い込みが激しいように感じられるのです。
    あくまで私の主観です。
    私もみさんも、発達障害のすべてについて理解しているわけではありません。
    知っている部分もあるし、知らない部分もあるでしょう。
    私とみさんは同じADHDのようですが、お互いにぴったり重なるわけでもありません。
    「私はあなたよりわかっているのだから聞きなさいよ(理解を示しますか?)」という展開は、さすがに違和感を感じます。
    >>少々抵抗されるのも無理はありません。「聞きたくない」のではなく、尊重してほしい、ということではないでしょうか。
    >すみませんが、ここをもう少し詳しく説明していただけませんか。
    >「自分のことを尊重してほしいから、抵抗の手段として、聞かないという態度を取った」というふうに読み取ったのですが、これが「聞きたくない」とどう違うのかが、私にはわからないのです。
    ずっと考えていますが、やはりわかりません。
    そして彼女の想像力の欠如を思わせるくだりを書いてみましたが、正直なところよくわかりません。
    私の感じる「意味不明さ」で言えば上司のほうが上ですし、受動型ASの彼のほうがさらにはるか上です。

    • JET
    • 2012年 9月 08日

     Fさん
    Fさんは精神科を受診したことがありますか。

    • 2012年 9月 09日

    Fさん
     私は知的障害のある発達障害の小中高の子どもたちにかかわってきました。今度は成人になる前の知的障害がない人々となります。発達段階に応じてかかわりを変えなくてはなりません。思春期以降は自分で選択させることが重要です。ただ、発達障害の特性があることで不適応となったり、就職できないといった問題がでてきます。現実、採用側はコミュニケーション能力を重要視していますから、コミュニケーション障害がある発達障害者ははじかれることが多いです。発達障害者が生きていくには生きづらい社会です。発達障害者への支援は、発達障害者支援法によって公的にも民間でも取組みが広がりつつありますが、サービスという人間関係を基盤にした職が多く、特性が強いと採用されない状況となっています。そのため発達障害者は社会スキルを身に着けることが必要となっています。
     受動型ASと思われる方とのエピソード、ADHDと同様、養育環境によって依存が形成されます。まだ影響が強く残っているようなのでコメントを差し控えます。ASとADHDの関係について、過去に先生が書かれています。
     らんさん=ちひろさんと私は、らんさんが表現されている通りのことを過去にしました。そこからのお付き合いで、どうもちひろさんにはこんなスタイルでいることがよいのかなと思い、そうしています。ちなみに、ちひろさんはコロコロペンネームを変えるため、ジャイアンの私はわからずにコメントしてしまうのです。けれどもちひろさんは探してほしい、見つけてほしいというのです。遊び心がある方です。今回、らんさん=ちひろさんとわかったのは、文章の書き方、言葉の使い方、決定的だったのは「先生にさよならを…」と書かれたためです。これはちひろさんも自身の特性と向き合っている中で、過去に何回か書かれています。そのことを知っているから、先生にサヨナラしなくても大丈夫、私へのストッパーとして書いたのだよね、先生にサヨナラするのは先生に依存しようとするときだから、今は先生もわかっているだろうなと思ったからです。実際、先生は精神科医としてこれ以上は書き込みを許容すべきではないと判断した場合に禁止をします。

    • 2012年 9月 09日

    続き
     私はこの2年間、ここで非常に勉強させていただいています。ここに辿り着いた時はわけわからんちんの暴走女でした。先生に盾ついたこともあります。そこから現在まで、自分を理解するために一生懸命でした。変わりたい、生きづらさを何とかしたい。2年たった今、ここに辿り着いて本当によかったと思っています。これまで私のコメントに眉をひそめることも多々あったでしょう。しかし、コメントしているうちに治療の一環として見守っていてくれているのだな、気長に回復を待ってくれているのだな、と思えるようになりました。必要な時にエントリでヒントを与えてくれました。私は依存の養育環境だったために、何のお説教もせず、見守っていてくれることを経験してきませんでした。この形が私の回復を促している、それを実感しています。私はそれを伝えたくて、どのように言ったら聞いてくれるか試行錯誤しています。自分がよいと実感した物を売り込むにはどうしたらいいかと考えるのと同じ、自分が追求したい学問の第一人者の先生の考えを吸収し、それを研究し展開していきたい学生と同じなのですが、やはりジャイアン性がでます。
     ここにはジャイアンさんものび太さんもASさんもいます。自己認識と発達障害への理解(診断別、個別性両面)、それぞれの思い、それぞれの悩み、そしてそれぞれどのようなコミュニケーション方法が受け入れられるか、やり取りの中で学ぶことができます。自分のこれまで常識としていたことが、いかに狭い範囲なのか、いかに凝り固まっていたか、気づかされます。とてもよい経験をしますよ。

    • 2012年 9月 09日

    ん?
    なんだか私は勘違いをしているらしい。
    サハラ砂漠かゴビ砂漠かの砂の一粒って?
    私の本性ってことだ。理論武装している私の本当の姿を見たいって?
    わたしゃ、皮をむいてもむいても何にも出てこない気がするよ?
    らんさん、ご期待に添えずごめんなさい m(__)m

    • 道産娘
    • 2012年 9月 09日

    みさんへ
    ACのコメントについて質問があるのですが…
    >好き好んでこのような家庭に生まれたのではない、もっと普通の家庭に育ちたかった、これは正直な気持ちです。当たり前なのです、こういう感情をもつことが。その感情さえも養育環境によってコントロールされて情緒障害になって、当たり前に感じられない状況にある人もいます。
    当たり前に感じられない人達は、何事もなく生きて行けるものなのでしょうか?
    それとも、感じる人達といずれ同じ道を歩むのでしょうか?
    もしくは、他に変わった形で表面化するのでしょうか?
    当たり前に感じられない間は、自分の問題に直面化できませんよね。
    なので、自分がわからないまま、何事もなく生きて行けるものなのかな?等と思ってしまいました。
    無知な質問で申し訳ありません。

    • JET
    • 2012年 9月 09日

     Fさん
    Fさんが強迫的なので気になりました。
    それで精神科で定番の質問があるのですが、それを知っているか否かを聞こうと思いました。
    Fさんは「苦しい」や「助けて」を口に出して言えますか。(これは定番の質問とはちと違います。)

    • 2012年 9月 09日

    道産娘さんへ
     まず、ACについて、先生のHPの「ACの本質と治療」をお読みください。以前に目を通しているかもしれませんが、ここでもう一度読んでおきたいと思います。
    そのなかの「ACはどのようにしてできるか?」に典型例が書かれています。(ちなみに私は典型例1に近い)
    さらに、「ACは母親が作る」で男性のケースが書かれています。見捨てられ不安の原因が、母親の自分の問題から逃げ、責任を果たさなかった結果であることがわかります。
     そして本題。「その感情さえも養育環境によってコントロールされて情緒障害になって、当たり前に感じられない状況にある人もいます。」
     これは、「のび太とジャイアン1」「KYの5類型」に書かれているのですが、先生ご自身を振り返り「これはジャイアンAC、情緒障害の結果として離人症的に状況察知が出来なくなった結果であったと考えている。」という状況のことです。
     離人症は、自分の意識が自分自身を離れ、あたかも傍観者であるかのように感じている状態のことで、一時的に誰でも起こりうるものです。先生の言う「離人症的」というのは、解離性障害の一つである「離人症性障害」のことだと思います。
     解離性障害とは、強い葛藤に直面して圧倒されたり、それを認めることが困難な場合に、その体験に関する意識の統合が失われ、知覚や記憶、自分が誰でありどこにいるのかという認識などが意識から切り離されてしまう障害です。
    ・解離性健忘(外傷的な出来事に関する記憶が想起不能になる)
    ・解離性遁走(突然日常の場を離れ放浪する。本人に記憶なし)
    ・解離性同一性障害(いわゆる多重人格)
    ・離人症性障害(自分の意識が自分自身を離れ、あたかも傍観者であるかのように感じている状態)
     解離は心的外傷(PTSD)後の重度の精神障害に特徴的な症状です。成人でも生じますが、とくに幼児では痛みや悲しみを伴うような耐え難い状況に対する自然な防衛機制であると言われています。

    • 2012年 9月 09日

    続き
     さて、先生のHPの「ACの本質と治療」の事例を読んで、ACは子ども時代に暴力(言語的、非言語的、見せられることも含む)や見捨てられる体験し、強い葛藤を抱え、また心的外傷(PTSD)を負っていることがわかると思います。子どもとしては選択肢がないために、自然な防衛機制である解離をしてその状況を乗り切ろうとします。
     それが、発達していく過程で自我の成長とともにACのスタイルが維持できなくなり破綻し行動化するか、親密な関係のなかで見捨てられ不安が激しくなり行動化する形となる。行動化は自立していこうとする萌芽状態と捉えることができ、非言語的に状況を察知し、非言語的に先取りをして適応してきた行動パターンを、言語化することによってACは回復を辿っていきます。
    >当たり前に感じられない人達は、何事もなく生きて行けるものなのでしょうか?
    それとも、感じる人達といずれ同じ道を歩むのでしょうか?
    もしくは、他に変わった形で表面化するのでしょうか?
     先生の「のび太とジャイアン1」での「これはジャイアンAC、情緒障害の結果として離人症的に状況察知が出来なくなった結果であったと考えている。」の後に続く、「その証拠に精神分析のゼミなどで回復した後はジャイアン的な攻撃性が復活して悩み苦しむ結果になった。」というのを読むと分かるのですが、ACが回復した後にはもともとあったジャイアンが表面化し、攻撃性を自覚、その攻撃性に悩み、自己突っ込みをするようになり、ジャイアンであると認め「偏屈者宣言」。そして、ジャイアンはジャイアンとして現実社会(多数派の社会)に適応していくために合理的に衝動統制をすることを、自らの経験と精神科医療の専門的知見をもって導き出したのです。そして今先生は、ジャイアンは依存を切り離し、自立と尊厳のなかに身を置くことにより、強迫的な傾向は残ってものび太のように好きなことをして生きることができる、と教えてくれています。

    • 2012年 9月 09日

    もう一つ、伝えたいことがあります。
    私は道産娘さんがわかるようにまとめただけなので、これを丸呑みせず、ご自身でキーワードを調べるなどしていただきたいと思います。「学び方」です。
    ADHDは思い込みで失敗することが多いものです。また、突飛なことを言ったりしたりして周囲を困らせます。その失敗を防ぐために、根拠となる知識を得、周囲が納得する形で提示する、このことを身に着けると多少なり聞く耳を持ってくれると思います。

    • 道産娘
    • 2012年 9月 10日

    突飛なこと…ですか。
    深読みのし過ぎで、結局「勘違い」だったことに後々気付いて、後悔することはよくありますね。
    自分は弄られキャラ(ACの道化師タイプによく当てはまる)のようで、場を和ませるつもりでおかしなことを言ってしまうのかもしれません。
    >その失敗を防ぐために、根拠となる知識を得、周囲が納得する形で提示する、このことを身に着けると多少なり聞く耳を持ってくれると思います。
    中には合理的な話がきちんと通じて、聞く耳を持ってくれる人もいます。
    ただ、どうも気迫さが足りないらしく、受け流されたり、良いように丸め込まれたりしやすいので、説得力に欠けるのかなとは思います。
    (特にAS相手には非言語の方が伝わりやすいので、一生懸命説明するのが馬鹿馬鹿しいと思ってしまう…)
    情緒障害と離人症については、以前もネットや先生のブログで調べたのですが、症状が自分と重なるかどうか判断できずに、思い切ってみさんに訊ねてみることにしました。
    私は厳しい環境下で育てられた訳ではないし、自己評価もほとんど下がっていないのでACではないと思っていましたが…
    >この歳になって自分がACと名乗れる環境だったことに気付きましたが、「ああ、そうだったの。それで?」で終了しました。
    「自分は被害者だ!」声高に叫んだところで、今さら何の解決にもならないんですから、被害者ぶっても無駄なことです。
    Fさんのこの台詞が、何故か胸に強く突き刺さりました。
    みさんのおっしゃりたいことはわかります。
    他者に振り回され、他者に意見を求めているようでは、自立と尊厳を重んじるADHDにはまだまだ程遠いですね。
    (実際はASなのかもしれませんが…)
    詳しくご説明していただき、ありがとうございました。

    • 2012年 9月 10日

    道産娘さんへ
    なるほど。自己認識の過程で「AC」という概念について調べていたのですね。
    >私は厳しい環境下で育てられた訳ではないし、自己評価もほとんど下がっていないのでACではないと思っていましたが
     ACでないのだとわかることも大事です。除外していくという作業です。道産娘さんはジャイアンかのび太かASかわからない段階ですから、さまざまな情報から見出していけばよいと思います。
    >「自分は被害者だ!」声高に叫んだところで、今さら何の解決にもならないんですから、被害者ぶっても無駄なことです。
     実際の機能不全家庭では「犯罪」と呼べることが日常に繰り返されています。それを外に漏らしてはならないと厳重にマインドコントロールされています。本物のACは言語的に「自分は被害者だ!」と言いません。言えないかわりに「行動化」します。
     ACの回復過程で自分と親の問題をごちゃまぜにしていたのを整理すると、これは「親の責任」だったと気づくようになります。発達過程で得られなかったものを「喪失」、グリーフワークをし、ACの回復となります。
     本物のACでない人には本物のACの苦しさに思いを及ぼすことが難しいでしょうね。本物のACは理不尽な痛みを経験しています。こんな家庭に生まれたくはなかったと。がんで亡くなる人のなかに、「何で自分ががんになったのだろう」と理不尽な痛みを経験している人がいます。それと同じなのですけれど。その状況下に置かれないとわからないものです。
     

    • 2012年 9月 10日

    ん? またまた私の間違い?
    >みさんのおっしゃりたいことはわかります。
    他者に振り回され、他者に意見を求めているようでは、自立と尊厳を重んじるADHDにはまだまだ程遠いですね。
    (実際はASなのかもしれませんが…)
     私が「丸呑みせず」と書いたのは依存のことではなくて、ご自身がしっかりと調べられることよって自己認識を確かにできる、という趣旨からそう書きました。「学び方」と書いたのはそのためです。
     道産娘さんはまだご自身がADHD(ジャイアン?のび太?)AS(積極奇異?受動型?孤立型?)かわからないのですよね。ジャイアンならば自立と尊厳を目指すことが回復となりますが、ジャイアンでなければ該当しなくなります。ご自身の特性に照らして自己理解されるのがよいかと思います。

    • F
    • 2012年 9月 10日

    みさんが挙げてくださったエントリをもう一回読んできます。
    JETさんの、「精神科に行ったことがありますか?」という質問ですが、精神科には行ったことがありません。
    受動型ASっぽい人と関係が切れたあと、私は本格的におかしくなっていたように思います。うまく言えないのですが、足元に奈落があるような感覚でした。
    覗き込んだら、吸い込まれて楽になれそうなイメージです。
    ひどい短期記憶障害になり、思考は逆に止まらなくなりました。(考え始めると同じことにぐるぐる囚われる感じ)
    体重は2ケタ減りましたが、周囲にはダイエットしたと言ってごまかしました。
    何故精神科に行かなかったか、なのですが、自分でもよくわかりません。
    今思うと、父親が「うつなんて心の弱いやつがなるものだ」と言っていたからじゃないかと思います。
    もう大人なのだし、黙って行けばいいのに、その発想がありませんでした。
    今はそういう時期を過ぎましたが、何のために生きているのかはやっぱりよくわかりません。何もしなくてもそのうち命は尽きるのだから、しばらくはぼんやりと生きていきます。
    弱音は吐けません。「苦しい」とか「助けて」も言えません。愚痴も難しいです。
    うまくいかないのは、自分に実力がないからだと思ってしまいます。実力があるのなら、人の分までできて当然だと思ってしまいます。
    それこそがAC的なのであって、ジャイアンであることの証左なのでしょう。
    今の職場のスタッフはとても優しい人たちで、「しんどかったら、できないって言いなさいよ(全部抱え込んじゃだめよ)」と言われました。
    >Fさんのこの台詞が、何故か胸に強く突き刺さりました。
    親には反抗らしい反抗はしなかったように思います。スポンサーである親が「だめだ」と言えば抵抗しても無駄なので、矛盾を感じても諦めるしかありません。指摘するのも面倒です。結局「両親はパーフェクトではない」と諦めることで、許している「ふり」をしていた、ということなのでしょう。
    両親と穏やかに話をすることはできますが、私に言った台詞を撤回していない以上、信用はできません。もう60歳も過ぎる人に「変わってくれ」と言ったところで無理でしょう。
    今は適当に距離を置いています。

    • 2012年 9月 10日

    Fさんへ
     私はFさんを応援しています。ACの回復、そして自己理解、これは貴方にしかできません。でも、ここでやり取りをした人間として、Fさんがのらりくらり、ときに立ち止まり、たまには暴走して、それでも歩いていく姿を応援したいと思います。うつも当たり前の現象ですから、うつを否認して生きるより認めるほうが楽です。今はたとえ暗いトンネルの中にいても、必ず抜けられます。私はジャイアンらしくこう言います。私と出会って勝負したのだから、絶対トンネルを抜けられる、と。
     私とらんさん=ちひろさんの血みどろの戦い、後で読まれるとよいかと思います。私がどんな暴走をしたか、大笑いしてください。
     そして、私自身もFさんから学ばせていただいていることに気づきます。どうもありがとう。

    • 道産娘
    • 2012年 9月 11日

    Fさん
    以前の性的いたずらのコメントの時からずっと気になって、その後のコメントも全て拝見しておりました。
    自分はカウンセラーや精神科医ではないので、言うべきではないとずっと抑え込んできましたが、もうぶちまけちゃいます!
    (まあ、不適切な内容なら先生も載せないでしょうから。)
    あくまで私の主観ですが、Fさんは受動型ASではないですか?
    私の知ってる受動型ASの知り合いは、あなたのように仕事も真面目で、上司や部下からの信頼が厚く、よく残業を頼まれる人でした。(ちなみに、見た目はADHDっぽいです。)
    ただ、家では(愛着の)父親や次男の言いなりで、金銭感覚もかなりマヒしてて、愛着の身内のためにすぐ使いきってしまいます。
    Fさんの「自分がされて嫌なことは人にもしない。」といった持論は、受動型ASの普通へのこだわりじゃないかと思いました。
    その知り合いも、優柔不断でいい加減そうな見た目とは裏腹に、一途で頑固な「人として当たり前」的なこだわりがありました。
    (Fさんのコメントに「一般的には」とか「世間では」といった単語がよく出てきましたよね。)
    きっと厳しい環境下で、自分で考えて行動するしかなかったために、自然と合理的な考え方が身に付いたのかなと想像しています。
    (ちなみに、知り合いは基本的に合理主義ですが、愛着の話になるとやたら言い訳がましかったですね。)
    これはFさんの文章からの印象なんですが、結婚については、ご主人に対し利用したことに負い目があるように思えました。
    元カレも受動型ASではない気がしますし、他にも…
    (調子に乗りかけたので、この辺で止めておきますね。)
    最初にお伝えした通り全て(素人の)私の主観ですので、Fさんが違うとお思いならそれで構いませんが、もう一度自己診断し直してみるのも良いのではないでしょうか?
    私も、せめてASかADHDかだけでもわからないものかと、焦って結論を出そうとしますが、ASとADHDでは根本的に考え方や対処法が違うので、迷うときは先延ばししながらじっくり考えることにしています。
    自分の打った文章を読み返してみると、ド素人のクセに何を偉そうに!とイタイ突っ込みが入りましたが…
    なんだかFさんを放って置けませんでした。
    今後は控えます。

    • 道産娘
    • 2012年 9月 11日

    みさん
    そうですか…
    まだ自分がADHDかASかはっきりしませんが、ACである可能性も含め、じっくり考察していきたいと思います。

    • F
    • 2012年 9月 11日

    みさんへ
    応援ありがとうございます。
    ジャイアンはきっぱりくっきり回復するものではなく、治ったはずのジャイアン的な部分がまた顔を出したりするのかもしれませんね。
    何かうまく行かないなと思ったときはジャイアンかACか、どちらが悪さをしているのか、考えてみようと思います。
    依存でちょっと思い出した感覚があるんですが、そういえば年上の人に仕事を教えるのは初めてじゃありません。
    以前市役所に勤めていた時も、2-3年上の男性に仕事を教えることがありました。
    その人は歳が近く、自分よりも後から入庁、加えてかなりフランクな人だったので、お互い敬語も使わなかったですが、仕事を任せるのがちょっと怖いと思いました。
    自分の目の届かないところで進むのが怖いというか。
    私は<内>と<外>の感覚が強いらしく、外部の方に迷惑がかかるようなことは、すごく気になります。
    おおごとになる前にフォローしたいと思うのと、その場でないと修正しにくい、その人があとから困るのがわかっていて黙っているのも難しいという理由で、どうしても監視の目で見てしまい、完全に失敗する前にストップをかけてしまいます。
    「でもそれって、この人を信用してないってことだよなあ」と思い、役所同士のやり取りのときは思い切って手を離す(完全にお任せする)ことにしました。
    管理型ってやつですかね。
    今の職場は、2か月経ったら独り立ちする(一人で仕事をする)のが通例なので、今日新人さんに「あと2週間で独り立ちですよ」って言っておきました。
    正直なところ、2か月じゃ無理かもなあと思うのですが、やって見て無理だったら考えればいいことだと思うことにしました。

    • F
    • 2012年 9月 11日

    道産娘さんへ
    件の受動型AS(っぽい)人のことについて調べているとき、もしかして自分もASじゃないのかな?と思ったことがあります。
    従妹が自閉症なので、自分もその傾向があるのかなとは考えていました。
    (ちなみに母は私が子どもを欲しがらないのを不思議がり、「○○ちゃんのことを気にしてるのなら、うちには関係ないからね!」と力説してました・・・)
    >(Fさんのコメントに「一般的には」とか「世間では」といった単語がよく出てきましたよね。)
    自分が<規格外>な自覚があるもので・・・。
    それでも私は「ちょっと変わってるね」と言われる方がうれしいです。(褒め言葉と受け取ります)
    <普通>にこだわるなら、自分が発達障害かもしれないということすら、なかなか受け入れ難いんじゃないでしょうか?
    私には「そうか、私は発達障害(ADHD)だったのか!」という納得がありました。
    自分が思う結果になるなら、途中経過には目を瞑ることができます。(自分が悪く言われることも気になりません)
    こだわりはあまりないような・・・特定の人のためにお金を浪費することもないです。
    きょうだいの中で私だけ大学の学費を出してもらえなくて、自分で育英会に返金したので、親に貢ぐことは考えられません。
    ASの人って華奢なイメージですが、私は食べなくても肥えますし、嗅覚はかなり鈍いです。
    体も丈夫なほうかと・・・アレルギーすらなく、ストレス胃痛持ち程度です。
    予想外や見たことのないものを見るとわくわくします。
    理解した時の「そういうことか!」「なるほど!」という爽快感が好きです。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 11日

    (続き)
    あと、「利用がどうした。お互い様でしょ」なあたりがASではないように思います。
    (でも、そう、負い目がないわけじゃないのです)
    ASの人には「この人じゃないとだめだ」というかけがえのなさがあるらしいですが、よくわかりません。
    ある時、件の彼に「あまりに相手してくれないと女の子の友達に電話するかも」と言われました。
    私は「別にいいよ」と言いました。彼には理解できないようでした。
    「ただ、黙ってそういうことをされるのは嫌だから、正直に言ってほしい」と言いました。
    私にとっては、黙っていること=騙すこと=不誠実なこと、だからです。
    彼はますます理解不能な様子でした。
    その後、私と喧嘩した後に「実は昨日の夜、元彼女に電話した」と打ち明けられました。
    一瞬、何故そんな話をしてきたのだろうと思ったのですが、以前の約束を思い出したので、「そうなんだ。約束覚えててくれたんだね。ありがとう」と言いました。
    別に腹は立たないし、嫉妬もしませんでした。
    ADHDに限らずかもしれませんが、発達障害の人は(社会生活が送れている人でも)1対1の親密な関係になると非常に不器用になる気がします。
    ASの人は自分と相手がぴったり重なるのが当然(黙っててもわかってくれるよね)と考え、ADHDは所詮他人なんだから伝わらなくても当然(しょうがない)、と考えるからでしょうか。

    • 2012年 9月 11日

    Fさん
    どうやらすっきりしたようですね!
    依存がわかると手放すことができる。本当にそうですよね。
    まっ、ぼちぼち取り組んでいきましょ!

    • 道産娘
    • 2012年 9月 12日

    ><普通>にこだわるなら、自分が発達障害かもしれないということすら、なかなか受け入れ難いんじゃないでしょうか?
    私には「そうか、私は発達障害(ADHD)だったのか!」という納得がありました。
    症状が発達障害の診断の定義にきちっと当てはまれば、受動型ASでも認められるのかな?って思ってました。
    私の知る受動型ASの人は、ルールや法律だったり、マナーや常識(ムラがある)だったり、その人によってこだわりは違えど、皆頑なに守ろうとしてたところだけは共通してましたね。
    のび太にもありそうだけど、のび太は「人は人、自分は自分」って割り切れるでしょうね。
    >受動型ASっぽい人と関係が切れたあと、私は本格的におかしくなっていたように思います。
    これを読んだ時「愛着の彼を失った悲しみ」から、ストレス症状が出たのかなと思いました。
    あと、Fさんがご両親に愛着をお持ちで、Fさんが望む形でご両親から愛されなかった悲しみがトラウマとなって表面化したのかなとも思いました。
    私も愛着やかけがえのなさというものがよく理解できませんが、失って初めて気付くものなのかもしれませんね。
    私のお節介なところは、ACからではなく、ASのままでACだからかもしれません。(外面特徴はADHDっぽいけど、性格はASっぽいと周りから言われます。)
    FさんがAS被影響症候群なら、支配的な彼と別れた後はADHDらしく振る舞えるものかと思ったのですが、ACだと場合が違うのかな。
    だとすれば、Fさんの「ゼロか百」思考は、ASではなく、やはりACからくるものなのでしょうね。
    早とちりだったみたいです…(汗)

    • F
    • 2012年 9月 13日

    道産娘さんへ
    (これは誰でもそうかもしれませんが)他人のことはよく見えるけど、自分のことはなかなかわからないので、ご指摘は助かります。ありがとうございます。
    >私の知る受動型ASの人は、ルールや法律だったり、マナーや常識(ムラがある)だったり、その人によってこだわりは違えど、皆頑なに守ろうとしてたところだけは共通してましたね。
    確かに、「悪法も法である」とは思うんですが、どうだろう・・・。
    おかしな法でも、手続きを踏んで法改正しない限りは有効だし従わないといけないとは思います。
    私は子どもが欲しくありませんが、もし「成人女子は一生のうちに2人以上の子どもを産まなければならない」なんて法律ができたら、たぶん従うと思います。
    >あと、Fさんがご両親に愛着をお持ちで、Fさんが望む形でご両親から愛されなかった悲しみがトラウマとなって表面化したのかなとも思いました。
    私がおかしくなったのは、
    1.ついに理解できなかった、理解してもらうこともできなかった(私にとって、理解できないことはかなりのストレスであり、理解してもらえないことは人格否定に近い苦痛です)
    2.自分では一生懸命心配していたつもりだったけど、一方通行だった(双方向でなく対等でもなかった)
    ということに気付いたからです。
    (先方だって私の無自覚かつ無神経な部分に傷ついたことはたくさんあったと思います)
    ASの愛着はかなり激しいもののようなので、この話題がふさわしいかはわかりませんが、愛着つながりで。
    だいぶ前に愛着障害の本を読みました。「子ども時代を引きずる人々」だったか・・・。
    3歳児神話がすべてとは思いませんが(私は思春期に親子関係をこじらせたと思っています)、何も感じなければ親と全く同じ関係を踏襲し、ひどい不適応を感じていれば親とは真逆を狙いに行きがちな気はします。
    また、発達障害なら愛着障害になるのも当然に思えます。
    AC的に表れるのであって、ADHDかASかの判定に使うのは難しい気がしました。(あくまで主観です)

    • 道産娘
    • 2012年 9月 13日

    Fさんへ
    ちょっと訂正しますね。
    >私の知る受動型ASの人は、ルールや法律だったり、マナーや常識(ムラがある)だったり、その人によってこだわりは違えど、皆頑なに守ろうとしてたところだけは共通してましたね。
    あくまで私の前ではこう言ったこだわりを主張してたのですが、他の人の前ではどうだったかわかりません。
    (受動型さんは優柔不断で雰囲気に流されやすいようなので、その時々で周囲に合わせながら行動してるのかもしれません。)
    表面的には気配りができ(これも当たり前!と主張)、人当たりも良さそうなのに、意外と頑固者な印象が強かったです。
    あと、その人の家にお邪魔したとき、家族への態度が外の顔と全く違ったので驚きました。
    喧嘩してるのかと思う程ぶっきらぼうだったり、逆にハイテンションだったり…
    (私の知り合いは内弁慶で説明つきそうだけど、Fさんの元彼はあまりにも凄まじいし、人を人として見てなさそうな感じなので「本当にAS!?」って思ってしまいました。)
    私の知り合いは仕事が理由で仮面鬱を患い、私はその時「頑張り過ぎだから、もう少し手を抜いてやった方がいいよ。」って何度も忠告したのですが、出来ませんでした。
    彼女もFさんのお父さんと似たような考えで、同僚が鬱で仕事を休んだときも「鬱なんて気の持ちようでしょ。こっちは仕事の負担が増えて迷惑だわ。」と陰口を叩き、自分が仮面鬱と診断された時も「何で私が…」と落胆してました。
    このブログにたどり着き、彼女が受動型ASだと知ってからは、愛着の弱みから家族にお金をつぎ込んでいた事や、ゼロ百思考で適当に手を抜く事ができない事がわかったので、今は余計なことは言わずに黙って愚痴を聞くことにしています。
    FさんはADHDのようなので、本来は愚痴る相手を必要とせず、1人でも生きていけるのでしょうね。

    • F
    • 2012年 9月 14日

    道産娘さんへ
    正直、私は人あたりはあんまよくないと思います・・・。
    教室の後ろで取っ組み合いの喧嘩をしている男子に、「先生が来たらやめるような喧嘩、今すぐやめてしまえ!」と怒鳴ったことがありました。
    大学のときは参加費5000円・不参加費4000円という新歓コンパの金額に納得が行かず、「何故こんなに金額の差が小さいのか。不参加者も新入生の参加費を負担するのは理解できるが、上級生の参加者の分まで負担するのは納得がいかない。そもそも不参加は各自の自由である。この金額は罰金的性格が強すぎる」と抗議した覚えがあります。
    (翌年から不参加費がだいぶ安くなりました)
    確か大学のときも男子学生相手に怒鳴りました・・・あとで「あれで冷静になれた、ありがとう」と言われました。
    これが衝動性なのでしょうか・・・
    納得いかないときに喧嘩はよく売りますが、ほとんどの場合相手が引っ込みます。
    社会人になってからは怒鳴ることはさすがにないですが・・・。
    (抗議しに行きたいことは山ほどありますが、イライラと我慢)
    鬱になった(解離性遁走?ふっと行方不明になって、親が見つけたとき「あなたのことを知らない」と言ったとか)同僚がいましたが、(鬱になるくらいなら髪型なんかで上司に反抗しなければいいのに)と思ってました。
    自分がなってみないとわからない(共感力に乏しい)からでしょうか?
    あとは親の刷り込み(教育)もあるのかも・・・。
    確かに、ACかASかは結構見分けつきにくいかもしれないですね。
    <依存>という共通のキーワードがあるので・・・。
    診断を受けに行こうか、悩みます。
    診断がついたところで、何が変わるわけでもないしなあと・・・。

    • 道産娘
    • 2012年 9月 15日

    Fさんへ
    >「先生が来たらやめるような喧嘩、今すぐやめてしまえ!」
    >(鬱になるくらいなら髪型なんかで上司に反抗しなければいいのに)
    これらの発言は衝動性と言うより、「後悔するなら始めからするな」「途中で迷うくらいなら直ちに止めろ」というASの首尾一貫した考え方に当てはまる気がします。
    ただ、受動型ではなく、積極奇異かなって気も…
    >診断を受けに行こうか、悩みます。
    診断がついたところで、何が変わるわけでもないしなあと・・・。
    ご自身の自己評価が下がってなければ、病院で診てもらう必要はないと思いますよ。
    先程は私の早とちりから自己診断し直すよう勧めてしまいましたが、Fさんは元彼への理解を深めるためにこのブログで勉強なさってるようなので、ご自身が必要無いと感じればそれで良いと思います。
    (これも文章からの印象ですが)
    Fさんは、職場では「融通が利かないところはあっても、仕事は真面目で部下の面倒見も良い人。」といった感じで、特に問題なさそうですしね。
    ただ、発達障害としての自分の特性を知り、自己理解を深めることで、それまで漠然と感じていた「生きづらさ」を軽減させることは可能だと思います。
    本当に困ったときに、ヤンバル先生にメールで相談するのも良いでしょう。
    ところで、すでにご存じかもしれませんが、仮面鬱は気分が落ち込んだり、自己評価が下がらない代わりに、ストレスが身体症状(頭痛や微熱等)となって現れる病気です。
    すでに胃痛を感じているようなので、あまり無理をし続けると他の身体症状も出てくるかもしれません。
    お気をつけ下さいませ。
    そうそう、あと…
    >最近、質問が多くなってきたり、言葉遣いがフランクになってきたり、少し笑顔が出てきたりしているので、このまま続けばいいなと思っています。
    この発言はジャイアンと言うよりは、人を近くに感じているASっぽい発言だなぁと思いました♪

    • F
    • 2012年 9月 15日

    とりあえず、実家から母子手帳と通信簿を送ってもらうことにしました。(理由をごまかすのに苦労しました)
    私は今まで<意味不明な人(合理的でない人)=論理的思考ができない人>と、すっぱり切り捨ててきたのですが、もう少し腰を据えて観察してみようと思いました。
    私は相手が「今、何を考えているのか」はわかるのですが、「どうしてそう思うのか」という、動機(感情)の部分がわからないみたいです。
    (注目してほしいから?それとも嫉妬?優位に立ちたいから?と1個1個あてはめていって、ようやく思い当たります)
    心身症は聞いたことありましたが、仮面うつっていうのもあるんですね。
    喜怒哀楽に乏しいので(怒るときも理屈になってしまいます)、確かになりやすいかもしれません。
    道産娘さんにも、いつか答えが見つかりますように。

    • 道産娘
    • 2012年 9月 15日

    Fさん
    >私は相手が「今、何を考えているのか」はわかるのですが、
    多分のび太(強迫的合理的ジャイアンではない)はこれすらわからないでしょうね。
    きっと会話や前後の状況から推察するしかないのだと思います。
    色々とお話を伺ってるうちに、自分のことも少しずつ整理できてわかるようになってきました。
    お互い頑張りましょう!

    • F
    • 2012年 9月 19日

    >>少々抵抗されるのも無理はありません。「聞きたくない」のではなく、尊重してほしい、ということではないでしょうか。
    ずっと考えていますが、やっぱりしっくり来ないです。
    「尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」
    と考えます。
    「親は尊敬しなさい」「先生を敬いなさい」「お年寄りは大事に」
    社会にはいろんな教えがありますが、私にはどれもこれも<楽して自分の価値を高く売りつけたい>ように見えます。
    「本当にすごい」と思った人は心底尊敬できますが、そんな人はほとんどいません。特に自分から「自分はすごいんだぞ」「自分を敬え」と言うタイプは、(30数年の経験から言って)100%の確率で偽物です。
    私には<大した実力もないのに自分に甘い人たち>に見え、「へつらいたくない」。
    だから私はかわいげがなく、尊大に見られるのだと思います。
    逆に自分のことを軽んじられても「わかってもらえないんだからしょうがない」と考えます。
    しかしこちらは理解し合いたいと思っていたのだとしても、人によっては<勝負>になってしまうものなんですね。
    一体どっちが勝ったんでしょうか?
    これも、件の彼と、同じこと言われてるなあ・・・。

    • 2012年 9月 19日

    Fさんへ
    みですが、少々云々言ったのは私ですが。私と勝負を?
    私は全くと言っていいほど、勝負していたとは思っていませんでしたよ。なぜに貴方と勝負せにゃならんのだ? 何を賭けて勝負していたんだ? 
    ついでに、価値がなきゃぁ他人を「尊重」しないんか?
    貴方はいかに価値のある人間なんだ? 何様なんだ?
    ついでに私は「尊敬」ではなく「尊重」と言ったのだが。
    ここぞジャイアンの屁理屈であるが、Fさんの<意味不明な人(合理的でない人)=論理的思考ができない人>と切り捨ててきたという姿勢から、少々突っ込みを入れる。
    論理的思考をするためには相手の言った言葉を勝手にすり替えてはいけない。勝手に言葉をすり替えてしまっては相手の伝えたい真意をつかむことはできない。勝手に言葉をすり替えて論を展開するならば、論点ずらしもいいとこだ。よって、意味不明な人(合理的でない人)=論理的思考ができない人として、今回のFさんのコメントは切り捨てることにする。
    以上

    • F
    • 2012年 9月 20日

    みさんへ
    >私はジャイアンらしくこう言います。私と出会って勝負したのだから、絶対トンネルを抜けられる、と。
    「勝負したのだから」とおっしゃっています。
    これがずっとしっくりこなかったのです。
    みさんにとっては、勝負だったのだろうか、と。
    (対峙、くらいならわかります)
    私は「自分を尊敬してほしいとか、大事にしてほしい(尊重してほしい)と思うのなら、その価値を最初に示す努力をすべきではないか?と考える」という話を書きました。
    あれから尊重や尊敬の意味をずっと考えていて、しっくりこない理由に思い当たったので、私から見た世界の話を書きました。
    そして、多数派を含め、ほとんどの人はここまでガチガチに考えないのであろうことはわかってきました。
    (他の方から「強迫的に見える」とコメントをいただいたので、どうも自分が変わっているらしいということはわかりました)
    >ついでに、価値がなきゃぁ他人を「尊重」しないんか?
    >貴方はいかに価値のある人間なんだ? 何様なんだ?
    すでに書いてある通りです。
    尊重も尊敬もしません。
    (当たり障りない態度を取りますが、心からは無理です)
    逆に価値がない人間だと思われ、軽んじられても、私は気にしません。お互い様ですから。
    せいぜい、もっと自分を高く買ってくれる(高く評価してくれる)人を探すだけです。
    それから、念のため書きますが、この場合の<価値>は<利用価値>ではありません。
    <尊敬(尊重)に足る理由>です。

    • 2012年 9月 20日

    なるほど、すっかり忘れていた。私が勝負と言ったんだった。失礼しました。m(__)m
    私は他人を値踏みするような「価値」という考え自体が嫌いだ。人間には人権がある。そこに立脚すれば、「価値」という「価値」で人を見ることをしないはずだ。人間を「価値」で見るとき、その「価値」の基準は何か、問わざるを得ない。これは貴方の主観で決定されるのではないか。貴方の主観は「普遍的価値」であるのか。貴方が考える「価値」とは「学習」や「発達」により変化しないものか、変化するものか。
    貴方が言う「価値」を示せない人間とは、「努力」が足りない人か。「努力」すれば貴方の眼鏡にかなう、そういう意味か。相手は「努力」など全くしていないのか。貴方の言う「努力」をすれば貴方の眼鏡にかなうのか。
    公共の福祉に資する公務員が「その価値を最初に示す努力をすべき」だという。公共の福祉に資する公務員のFさまのご発言だ。そのFさまは「意味不明な人々は論理的な思考ができない人」と切り捨ててきたという。
    「状況察知能力」と「状況理解能力」の「非対称性」、そのものだと思う。
    「意味不明な人々は論理的な思考ができない人」ではない。そもそも、論理的思考で「尊重」と「尊敬」の違いを論理的に説明できない事態を「屁理屈」で返すことがその証明である。「屁理屈」で返すことこそ「ジャイアン」ではないか。
    貴方はご自身で「のび太だ」と表明する権利は「尊重」されている。ただし他者から見ればジャイアンではないかと意見される。「尊敬」はない。その状況をいかに理解するのか、見ものだ。

    • F
    • 2012年 9月 22日

    やはり勝負だったのですね。
    そしてみさんのその<勝負>はどう決着したのでしょうか?
    >貴方はご自身で「のび太だ」と表明する権利は「尊重」されている。ただし他者から見ればジャイアンではないかと意見される。「尊敬」はない。その状況をいかに理解するのか、見ものだ。
    これについては、
    >何かうまく行かないなと思ったときはジャイアンかACか、どちらが悪さをしているのか、考えてみようと思います。
    >私は他人を値踏みするような「価値」という考え自体が嫌いだ。人間には人権がある。そこに立脚すれば、「価値」という「価値」で人を見ることをしないはずだ。
    これについては、
    >それから、念のため書きますが、この場合の<価値>は<利用価値>ではありません。
    <尊敬(尊重)に足る理由>です。
    みさんには、私のコメントはあまり読んでもらえてないのだなと思います。
    そしてみさんの怒りポイントも、(申し訳ないのですが)さっぱりわかりません。
    急に職業に結び付けるのも残念ですし、「さま」づけになっているのも、子どもっぽいです・・・。
    (ちなみにもう退職しています)
    単語や理念にこだわっておられますが、尊敬にしろ尊重にしろ、同じことです。
    尊敬できるだけの素敵な人は尊敬します。
    尊重できるだけの素敵な人は尊重します。
    そうでない人はそれなりの評価をします。
    (重ねて書きますが、態度として表に出すかどうかはまた別問題です)
    (続き)

    • F
    • 2012年 9月 22日

    (続き)
    どうも私がACになりきれない(「AC?それがどうした」とあっさり終了してしまった)理由もここにあるように思います。
    ACの回復についていろんな本があって、「親を許してあげなさい」とか「いや、許さなくていい」とか、いろいろです。
    結局のところ、相手(親)に評価を依存してしまうのが問題なのではないかと思っています。
    (あれは親の問題であったと、親と自分の区別をつけること。親からの評価と自分の価値を直結させないこと。自分の評価は自分を基軸にすること)
    (これを書くとみさんはまた怒り出しそうですが)「残念な親だな、これがこの人の限界か。しょうがない」と思うと腹が立たないのです。
    この異様なまでの対等さ(一般的には「上から目線」と言うのでしょう。社会的なヒエラルキーや常識を無視していますから)が、私がACになりきれない理由ではないかと思います。
    私は親に限らず、他人にも同じことを適用している気がするのです。
    この考え方があまり世間受けがよろしくないことは、みさんのご指摘を受けるまでもなくわかっていますし、みさんがこの考え方を嫌いと思われるのも、ご自由です。
    私は自分から見た世界の話しかしていません。(「年上だから尊重してほしい」という気持ちがわからない理由として書きました)
    私はこれが<普遍的>だとか<正しい>とは書いていないはずです。
    私はおそらく世間の人々と同じになることはできないと思います。
    私にできるのは、せいぜい真似をする程度です。
    これがFという「人の気持ちがわからない」人間の世界(論理)なのです。

    • 2012年 9月 22日

    Fさん
    ジャイアンである私は、いったん終了したのに何でまたぶり返すのか、Fさんはよほどご自身の論理を押し通したいようだ、と感じました。それだけ我が強いのだと思います。だからこそ、私は勝負を挑まれているのではないか、と思いました。Fさんは勝負を挑んでいるとは思っていない。けれども、受け取る側の私は勝負を挑まれているように感じている。このことがFさんのコミュニケーションの傾向ならば、やはり、元彼が「勝負したいのか」と言ったことは彼の本心だったと思います。自己認識と他者の感じたことの食い違い、非常にありますね。
    今回の返し方を見ると、字義通りに受け取っているようにも感じます。
    「尊敬」とは人格、思想、行為などをすぐれたものとして尊び敬うこと、「尊重」とは価値のあるもの、損なったり反したりしてはならないものとして大切に扱うこと、です。
    年上の人を必ず「尊敬」しなければならないのと違います。年上の相手で貴方が尊び敬いたいとすれば、それは「尊敬」です。年上の相手で人格等尊び敬いたいと思わない、けれどもその人の意見、人生経験等、損なったり反したりすることなく大切にしよう、これが「尊重」です。
    これを踏まえたうえで、
    >少々抵抗されるのも無理はありません。「聞きたくない」のではなく、尊重してほしい、ということではないでしょうか。
    ずっと考えていますが、やっぱりしっくり来ないです。「尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」と考えます。
    しっくりこないのは、「尊敬」と「尊重」をごっちゃにしているからではないでしょうか。だから「尊敬」と「尊重」の違いをまず理解してからでないと話ができない、と私はしたのです。

    • 2012年 9月 22日

    >それから、念のため書きますが、この場合の<価値>は<利用価値>ではありません。<尊敬(尊重)に足る理由>です。
    >単語や理念にこだわっておられますが、尊敬にしろ尊重にしろ、同じことです。尊敬できるだけの素敵な人は尊敬します。尊重できるだけの素敵な人は尊重します。
    「尊敬」と「尊重」の意味の違いを理解していないとこうなってしまいます。この場合の「人」は人格を指すのではないでしょうか。だから、私が言った「尊重」してほしい、ということが理解されないのですよね。だから、しっくりこないのではないでしょうか。私は人格を尊び敬えとは言っていないのですよ。人生経験は年上の人のほうが長く、それは認めましょうよ、人格は別として、ということです。
    ACに関しては、依存したくないために「それがどうした」で終了させている状態ですね。生きづらさを感じていないならそれでよいのではないでしょうか。ACという概念は生きづらさを解決するためにあるので、ご自身が生きづらくなければ必要がないです。ただACという概念を理解してすっきりした、自己理解が深められた人もたくさんいます。一時Fさんとやり取りをした方も、非常に自己理解が進んでいるようですね。私は敬服しますよ。

    • 2012年 9月 22日

    >急に職業に結び付けるのも残念ですし、「さま」づけになっているのも、子どもっぽいです・・・。
    どうもありがとう。そうよ、ジャイアンは子どもっぽいところがいっぱいある人たちですから。これがジャイアンの姿。ここがそういう人の集まりであることはご存知でしょう。おっ、またやってるよ、あいつ、などと思っている人は貴方だけではないと思いますよ。知っていてやっている、確信犯です。私が怒り狂うだろう、とでも思いましたか? 自己理解が進むとあっさりと認められるものです。このほうが楽なのになっ。
    >この異様なまでの対等さ(一般的には「上から目線」と言うのでしょう。社会的なヒエラルキーや常識を無視していますから)が、私がACになりきれない理由ではないかと思います。
    Fさんは「どうしようもなく反抗期」な感じですね。まぁ、いいではありませんか。インテリさんの反抗期は結構厄介でして、周囲もヘトヘトになるんですよ。そのうち親を越えていくから。どこかで私自身が「親を超える」と書いたはず。思う存分反抗期を過ごすといい。そしていつか必ず、ここのコメント者の何人かが言われている通り、あの時は・・・というときがくるでしょう。

    • 2012年 9月 22日

    もう一つ。
    「価値」とは、①その事物がどれくらい役に立つかの度合い、値打ち、②経済学では商品が持つ交換価値の本質とされるもの、③哲学ではあらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質、真・善・美など、です。
    Fさんがいう人の「価値」はこれらのどの意味でしょう。私が言った普遍的価値とは、③のことです。
    >それから、念のため書きますが、この場合の<価値>は<利用価値>ではありません。<尊敬(尊重)に足る理由>です。
    「尊敬」に足る理由と「価値」という言葉の関連が、Fさんのなかでどう結び付けられているのか、確認しないといけませんね。
    私がなぜこのように辞書を引っ張り出して説明しているか、それを説明しましょう。
    私は以前、他者の言わんとすることを自分の勝手な「思い込み」で自分なりの解釈をして、自分の論理を展開していました。思い返すといかに「痛い」ことをしてきたかと思います。「思い込み」が生じるのは認知の歪み、そして誤った解釈のまま自分の論理を展開しようとするのは、子ども時代に正当に受け入れられなかったことを引きずり、受け入れてほしいと「無自覚」に望み、あがいていたのです。自己肯定感の回復とともに、そこまで自分の論理を押し通さなくても他者に自分の存在を受け入れられていると感じられるようになり、自分の考えを出したりひっこめたりしても私が私であること、周囲から存在を認められていることを実感し、やがてはそれが「自然な状態」になりました。そこからです。認知の歪みを修正していく過程で、嫌というほど「思い込み」が激しいことに気づきました。丁寧に認知を修正していくこと、それは「自分のその考えは本当に正しいのだろうか、相手はそういう考えで言ったのではないのではないか」を繰り返していくことです。この認知を修正していく過程の中で、自分が勝手に思い込んで使用していた言葉にまで、「自分が使用している言葉は本当に正しいのだろうか」と思いが及ぶようになりました。案外言葉を理解していないことに気づきました。今でもよく誤用してしまうのだけれど、気づけば修正するようにしています。(ちなみに助詞の使い方が間違っているところも多くあります)「思い込み」でどんなに理屈を言ったところで、その理屈は「屁理屈」になってしまいます。

    • 2012年 9月 22日

    訂正です。あはは。言っているそばから間違っている。m(__)m
    ぶり返す→蒸し返す
    親を越える→超える
    です。
    そういえば、「迷惑をかけても生きる」でもあった。
    非正規雇用者→非正規労働者
    しかしまあ、よく間違える(´д`)ハァ~

    • 黒たまご
    • 2012年 9月 22日

    Fさん
    しばらく前にコメント欄に書き込んで返信をいただいた黒たまごです。
    その後のコメント欄のあまりの勢いに圧倒され、いや確かに発達障害はいろいろだわーと思って、お返事も書けなくなってしまっていました。
    何もかも共感できる、理解できるといえばウソになります。
    でも一連のFさんの書き込みを見て、一見冷たいとも言えなくもない、動かない感情の根っこに、何となく悲しい感じというか、必死な感じがして、こんなこと言っていいかどうかわかりませんけれど、えらいと思います。
    あと私ならすでに打ちのめされて逃亡していると思いますが、逃げないで向き合う姿勢に学びました(学んでも、小さいもめごとにも耐えられず引きこもる私にはやはりできませんが…)。だからこそ、エネルギーを振り絞ってこれを書きました。

    • 2012年 9月 22日

    黒たまごさん
    Fさんは
    >私は今まで<意味不明な人(合理的でない人)=論理的思考ができない人>と、すっぱり切り捨ててきたのですが、もう少し腰を据えて観察してみようと思いました。
    と、ここ『意味不明な人々』のコメント欄で観察者としていらっしゃいます。貴方も観察されています。Fさんはご自身で論理的思考ができると思っていらっしゃるようで、今まで意味不明な人を切り捨ててきたのですよ。私はFさんも同じ「意味不明な人」ではないかと、意味不明な人々の集まる場でそんな失礼なことを言わず、観察者でなく当事者として自身に向き合ってほしいと思っているのですよ。

    • 2012年 9月 23日

    Fさん
    おそらく、年上の人を尊重するということが「非合理」であるから抵抗感があるのでしょう。強迫的に合理的な考えの持ち主は、非合理なことを要求されることは耐えられないことと思います。
    私も以前、職場の上司から、合理的でないことをすることも社会で生きていくためには必要だ、と言われました。私はその当時、意味がわかりませんでした。理屈に合わないことをする必要がどこにあるのだ、という非常に強固な考えを持っていました。7年前のことです。
    しかしながら、その考えを押し通して生きることは、本物のアウトローになるか、常に人と衝突して孤立しながら疎外感を感じながら生きるか、どちらかしかありません。それに気づいたのが6年前。
    強迫的に合理的でありたい、これは社会適応していくために非常に不合理な生き方なのです。それを知ったのはつい最近のことです。合理的とは一体何か。生きていくために合理的であるということはどういうことか。
    強迫的である人は、その強迫性によって成功体験が得られています。ですから、なかなか手放すことができません。その強迫性は自分に向けられると同時に、他者に強迫的であることを要求します。先生が医療スタッフにその強迫性ゆえに厳しい要求をして顰蹙を買ったことを、過去のエントリで書かれています。
    これがFさんの今直面している課題なのだと思います。先生をはじめ、ここのコメント者はそれを乗り越えてきています。頭ごなしに意味不明な人々は論理的思考ができない人と切り捨てず、ご自身の課題に向き合っていただきたいと思います。

    • F
    • 2012年 9月 23日

    みさんへ
    >ジャイアンである私は、いったん終了したのに何でまたぶり返すのか、Fさんはよほどご自身の論理を押し通したいようだ、と感じました。それだけ我が強いのだと思います。だからこそ、私は勝負を挑まれているのではないか、と思いました。
    誰でも自分の視点から世界を見ます。
    喧嘩を売っているつもりはなくても、相手からは「喧嘩を売られている」と思われることはあると思います。
    それは私の場合もそうですし、みさんの場合もそうでしょう。
    今回<勝負>と表現してしまったのは、みさんのほうですよ。
    結局どちらが勝ったのか?という皮肉な質問も、またはぐらかして答えていませんよね。
    私はどちらでもいいのです。
    ただ、みさんは勝負していたことに無自覚だったんじゃないか?と思ったまでです。
    なので、みさんのこの論理は、そのままみさんにお返しします。
    >知っていてやっている、確信犯です。私が怒り狂うだろう、とでも思いましたか? 自己理解が進むとあっさりと認められるものです。このほうが楽なのになっ。
    みさんは結構おちゃめさんなんですね。
    怒り狂うとは思いませんでしたよ。
    ただ、私にはみさんのそれが、冗談なのか本気なのかわからないため、困惑し、本気と受け取り、疲弊します。
    >年上の人を必ず「尊敬」しなければならないのと違います。年上の相手で貴方が尊び敬いたいとすれば、それは「尊敬」です。年上の相手で人格等尊び敬いたいと思わない、けれどもその人の意見、人生経験等、損なったり反したりすることなく大切にしよう、これが「尊重」です。
    私はたとえ年上でも意見がおかしいと思えば反論してしまいます。
    逆に、私は年下の人から反論されても聞きますし、そちらに理があれば自分の意見を曲げます。
    自分がやられても嫌だと思わないので、相手にもしちゃってるのだと思います。
    >「尊敬」に足る理由と「価値」という言葉の関連が、Fさんのなかでどう結び付けられているのか、確認しないといけませんね。
    今回の<価値>は③でした。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 23日

    (続き)
    >この認知を修正していく過程の中で、自分が勝手に思い込んで使用していた言葉にまで、「自分が使用している言葉は本当に正しいのだろうか」と思いが及ぶようになりました。案外言葉を理解していないことに気づきました。
    これは私もこの半年、すごく思うようになりました。
    学生時代はむしろ国語が得意だったので、結構ショックです。
    考えていると曖昧だなと思うことがよくあります。
    私は<理解>と<共感>と<納得>、<気持ち>と<考え>、<許し>と<諦め>あたりがよく混じってしまいます。
    >Fさんはご自身で論理的思考ができると思っていらっしゃるようで、今まで意味不明な人を切り捨ててきたのですよ。私はFさんも同じ「意味不明な人」ではないかと、意味不明な人々の集まる場でそんな失礼なことを言わず、観察者でなく当事者として自身に向き合ってほしいと思っているのですよ。
    「意味不明な人」というこのブログのタイトルと似た言葉を使ってしまったので、誤解を与えてしまったようです。
    「私にとって意味不明な人」が正しいです。
    つまり、「自分に理解できない人」です。
    自分に理解できない人を論理的思考ができない人だとすっぱり切り捨ててきた、ということです。
    自分は感情的な部分が薄い(と自分では思っている)し、自分を尊重してほしいとも思わないため、他人のその希望すらわからないということです。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 23日

    (続き)
    誰しも自分を基準に世界を見るので、自分に理解できない人は「この人意味不明だわ」と思います。
    私はここにたどり着いて、それから件の彼だとか、ここで出会った人たちにいろいろコメントをもらううちに、どうも自分が<標準>からだいぶ外れているらしい(規格外もいいところ)ということがわかりました。
    一番最新のエントリで「他人に優しく、自分に甘く」とコメントしたのはそういう理由です。
    そうそう、私の態度のどの部分がまずいのか、職場の多数派と思われる人に聞いてみようと思ったのですが。
    うちの職場は発達障害の印象を受ける人か、強烈にACこじらせてる感じの人しかいないことに気付きました。
    トップの人がかなりの変わり者なので、多数派の人は耐えられなくて辞めて行ってしまうようです。
    (この1年でも10人近く辞めているらしい)
    ただ、<状況理解能力の非対称性>が問題なら、自分以外なら誰でもいいかなという気もします。

    • F
    • 2012年 9月 23日

    黒たまごさん
    大暴れして、すみません。
    私はだいぶ我が強いですよね。
    私は人と対立することや孤立することが苦にならないようで、反対意見を述べたり聞いたりするのも嫌いではないのです。
    中学時代にいじめられたことと、友人なしで1年間過ごしたことが、変なバネになってるのかもしれません。
    とりあえずはこれでいいのだと感じています。
    自分に変わる気がない以上、人に嫌われようが孤立しようが自業自得です。
    壁にぶち当たって自分が砕けるまで、同じことを続けるのだと思います。
    自分と同じ考え方や、我の強さの人ばかりではないことだけは、肝に銘じます。

    • 2012年 9月 24日

    あはは。そうきたか。
    まぁ、その調子なら、突っ走るしかないでしょう。ジャイアンのことだ。自分でぶつかって粉々になって、自分で立ち上がる。そうでないと生きてはいけない人たちだから。
    それだったら、ここで新人さん云々言うな、と言いたいが。新人さんのことで悩むのも自業自得だ。自分で解決せい。
    では、また。

    • F
    • 2012年 9月 26日

    中学1年のときに、部活で軽いいじめにあいました。
    私はしばらく無視されていることに気付きませんでした。
    (のび太なんだろうか?と思った理由のひとつは、この点です)
    無視されているような気がするけど、気のせいだろうか?
    私は何か悪いことをしたのだろうか?
    一生懸命考えてみたけど、自分が彼女たちにどんな悪いことをしたのかわかりませんでした。
    無視されているのかどうか確信が持てず(グレーゾーンだと動けない病なので)、自分に何か悪いことがあるのなら問い詰めることもできず、八方ふさがりでした。
    その二人とは別にもう一人、二人とは少し距離を保っている子がいました。
    彼女は私に「私はあなたのことシカトしないよ」とこっそり約束してくれて、すごく嬉しかったです。
    ひとりでも自分を見てくれる人がいれば、頑張れそうな気がしました。
    ところが、その日の午後、彼女に話しかけたのですが、目を伏せて口をきいてもらえませんでした。
    そのとき、少し離れたところに例の二人がいて、こっちを見ているのに気が付きました。
    目を伏せて返事をしない彼女を見て、私は「かわいそうに」と思いました。
    「彼女は自分で思っているほど強くなかったのだ」と。
    それから、「もう誰も信じられない」と思いました。
    その後また彼女がやってきて「さっきはごめん、もうシカトしない」と言ってくれたので、私は少し笑って「ありがとう」と言いました。
    私は期待しなければ、腹を立てることも、それ以上嫌いになることもないということに気付いてしまいました。
    多分そこから私の中で「諦める」ことと「許す」ことが混じってしまったように思います。
    いじめについては、顧問は何の役にも立ちませんでしたが、部長が注意してくれたらしく、その二人は謝りに来ました。
    それから一番仲良くなりました。
    後から考えてみると、初めてのテストでの学年順位を聞かれて答えた直後からだったので、それが引き金だったのだと思います。
    自分が悪意を持っていなくても、悪意を向けられるのだなあということをひしひしと思い知りました。
    言わなきゃ、ずっとやられっぱなしなのだということもわかりました。
    (続く)

    • F
    • 2012年 9月 26日

    念のため書きますが、私は誰かと関係するとき、最初から相手を尊重しないわけではありません。
    私は何事も自分の目で見て確認しないと信じない、強情な人間です。
    「あの人は深く関わらないほうがいいよ」という周りの忠告も、「先入観はよくないし、自分で見てから決めたい」と思ってしまいます。
    そうして自分の目で確認した結果、残念ながら尊重する(尊敬も同じ)理由がないと思えば、相応に処理するということです。
    この原則を曲げると、たいていひどい目に合うことを学習しました。
    世の中には、相手に底なしの要求をする人もいるのです。
    引きずられて振り回されるくらいなら、嫌われるほうがずっとマシです。(相手からも距離を取ってもらうのが合理的)
    >強迫的である人は、その強迫性によって成功体験が得られています。ですから、なかなか手放すことができません。その強迫性は自分に向けられると同時に、他者に強迫的であることを要求します。先生が医療スタッフにその強迫性ゆえに厳しい要求をして顰蹙を買ったことを、過去のエントリで書かれています。
    ほとんどの部分を読んだので、このエントリも読んだと思います。
    また、「ジャイアンは回復するとのび太になる」のエントリにおいて、八朔さんとのやり取りで少し触れています。
    >これがFさんの今直面している課題なのだと思います。先生をはじめ、ここのコメント者はそれを乗り越えてきています。頭ごなしに意味不明な人々は論理的思考ができない人と切り捨てず、ご自身の課題に向き合っていただきたいと思います。
    「私は意味不明ではない」と思っている(観察者である)なら、このブログに長々と居座ったりしないでしょう。
    それに、続けて「(すっぱり切り捨ててきたのですが、)もう少し腰を据えて観察してみようと思いました」、その後も「規格外もいいところ」と書いてあります。
    きちんと主旨を読んでほしかったです。
    そして私を諭す反面、ご自身は<勝負>と認識していたことを認めないのですね。
    長時間お付き合いくださり、ありがとうございました。

    • 2012年 9月 27日

    Fさん
    お返事、どうもありがとうございます。
    中学生の時のいじめの件、
     空気が読めていないことで正直に発言したことが、いじめのきっかけだったのですね。私も中学1年でいじめにあいました。た。Fさんと同じく部活動でかつ同級生からです。
     今になって理解できるのですが、中学生の同級生たちは仲間づくりのノウハウ(社会性)を身に着けてきており、他者とうまく関係を築くには同調するために事実を濁して答えたり、謙遜したりすることができるようになってきています。そうしたなかで、正直に成績順位を言った相手に対し、嫉妬や妬み(良い成績の場合)、あるいは馬鹿にする(悪い成績の場合)といったことが起こってしまいます。仲間づくりをしようとする人たちの視点は、いかに正直であるかでなく、いかに同調できるか、ですから、相手より成績が良い場合には「そんなことないよ~」、成績が悪い場合は「~が苦手なのよね~」などと答えて優位に立たず、劣位にも立たないようにすることが求められるのです。
     そして、中学生はまだ多様性を認めるといった発達段階(日本において特に)になく、手加減ができないという発達段階にありますから、いじめをし易いのです。いじめが犯罪行為にエスカレートすることもあります。
     そして、私は「悪意」という言葉について、安易に使うべきではないと考えています。「悪意」という言葉が他人を憎み、害を与えようとすること、です。中学時代の仲間づくりの正常な発達段階において、同級生に対し憎しみを抱くのはまれです。金を奪い取られた、葬式ごっこをされた、親を殺された等、過酷な状況において抱く憎しみと同等に考えることは、私にはできません。ただ、いじめが軽度であろうと、その痛みは私にはわかります。
     さて、Fさんがのび太ではないかと思ったことに関し、やんばる先生の「のび太とジャイアン1」と「KYの5類型」をお読みいただきたいと思います。情緒障害による認知機能の低下によるKYなのか、もともとその時点でのび太だったのか、ご自身で検討されるのがよろしいかと思います。

    • 2012年 9月 27日

    次に、
    >私は何事も自分の目で見て確認しないと信じない、強情な人間です。「あの人は深く関わらないほうがいいよ」という周りの忠告も、「先入観はよくないし、自分で見てから決めたい」と思ってしまいます。
    その通りでしょう。私も同じです。だからこそ、「その調子なら、突っ走るしかないでしょう。ジャイアンのことだ。自分でぶつかって粉々になって、自分で立ち上がる。そうでないと生きてはいけない人たちだから。」と言ったのですよ。
    ついでに、「ここで新人さん云々言うな、と言いたいが。」と言いました。人に相談して、相談したことで自己嫌悪するジャイアンのことです。私も何度やったことか。
    >引きずられて振り回されるくらいなら、嫌われるほうがずっとマシです。(相手からも距離を取ってもらうのが合理的)
    であるなら、「尊厳」と「自立」を自分にも、他者にも「課す」のです。私は今、「尊厳」という言葉と「自立」という言葉を、先生の逆に用いています。通常、左側に書いていることが優先されます。なぜか。あなたが「尊厳」を優先させている以上、それを他者にも優先させること、と言いたいからです。お世話係だった人に相手側にとって優先させるべきものを考えていただくためです。
     私は以上をもって、自分の言いたいことを終了させます。読んでいないのではない、このことが、あなた自身の姿であるのです。相手は鏡、そのようですよ。
     種明かしをしましょう。私はFさんがここに書き込む動機になったこと、それはASと疑われる元彼とのエピソードがあってのこと。密接な関係を築くとき、自己を見つめることになる。それによりあなたは自分を探していて、ここに辿り着いた。それでいいのです。
     ここに居座った。あなたにとって意味があるから居座り、私と対峙していた。そこから見える風景は、まさしく自分が求めていたもの、立ち去り難いものがある。自分の意見を述べ、その意見に臆することなく返ってくる。たしかに言葉は荒いし、人の意見を聞いていないように思えるが、それでも正面切って相対していることがわかるでしょう。
     それでいいのだよ。ここという場所が、ピア関係で成り立っているからできることです。
    最後に、お互い様だよ(^O^)
    (以前は顔文字など…と思っていたものだ。誰かさんの影響で使うようになった。)

    • 黒たまご
    • 2012年 10月 26日

    お返事が遅れましたが、その間、次々と書き込まれるコメントを見ていましたし、考え続けてもおりました。
    なぜ、「観察者」ではいけないのでしょうか?
    まず、「意味不明と切り捨てたのが問題」ということですが、このブログのタイトルそのものが「意味不明な人たち」です。ここで、「誰かについて”意味不明”であると述べること」は、「その人を軽蔑・否定すること」とは、違うのではないかと思います。
    特に、Fさんの文脈では、”自分には理解できないとあきらめていたが、あきらめを脱したいと思えた”という、肯定的な意味で使われていると思います。そこに誤解が生じているのではないでしょうか。
    次に、「観察者ではなく当事者としてあれ」ということですが、私はやんばる先生に診断を受けた当事者です。発達障害者の事情や特性も本来、千人千様です。私には観察をする必要、時間をかけて考える必要があります。それで人に迷惑をかけているのでしたら修正しなければならないと思いますが、観察をすることそれ自体は、人の特性であり、また、みさんご自身も(ある程度は)なさることのはずです。私はみさんに対して、「失礼な」言葉を書くなとか、もっと「自身と向き合え」とか、言っていません。言わないからえらいということではもちろんありませんが、観察するのは悪で、自分の感情を爆発させることが良心的であるかのように言われるのは納得ができません。
    全体として、みさんのコメントには激しい波が感じられます。冷静に友好的に話されていることもあれば、言葉が攻撃的で、また論理的飛躍があるように感じられる部分もあります。そういう文章を読むのは、実は私にとっては大きなストレスです。それでも私は読みました。その激しさの中にも、共感でき理解できるところがあり、その奥にあるものを知りたかったからです。
    みさんが、ご自分の苦痛や正義の基準に敏感でいらっしゃるように、他者にもそれぞれの苦しみと価値観があるということをご理解くだされば幸いです。
    私は長い時間考えてからでないと書けませんので、コメントをくださっても、長いこと無言になってしまうと思います。予めお詫びします。ただ必ず私は読んでいますし、何が書かれていても、その中から、不十分ではあっても、可能な限り理解していこうとする気持ちでいることだけは、最後にお伝えいたします。

    • 2012年 10月 26日

    黒たまごさん
    >なぜ、「観察者」ではいけないのでしょうか?
    おそらく、状況察知能力の違いによって受け取り方が違ったのでしょう。私の意見はこうです。人間関係の中で率直に「貴方を観察します」というでしょうか、ということです。通常、相手の言葉やしぐさを聞いたり見たり感じたりしながら対応しますが、あえて口に出して観察しますよ、と言うものでしょうか。あえて口に出すということは、自分が「観察者」であり、相手は「被観察者」だと宣告するもの、当事者意識を欠いていると思いました。私はそこに上下関係が発生することを意識しました。私はジャイアンですが、多くのコメントのなかで「学ぶ」と書いています。当事者として、特性および性格特徴の違う方々とのやり取りを通じて学ばせていただいている、そう思っているのです。
    そして
    >”自分には理解できないとあきらめていたが、あきらめを脱したいと思えた”という、肯定的な意味で使われていると思います。
    私には「あきらめ」とは受け取れませんでした。「切り捨ててきた」という言葉が「あきらめ」とはどうしても受け取れません。切り取ってその部分を捨てることが断念することと同義ではないからです。
    Fさんは、切り捨ててきたけれどもじっくり観察してみようという気になったのであり、まだまだお高くとまっていることがうかがえました。それでもご自身に向き合おうとしている言葉が見られていました。私はそれを知りつつも反応しませんでした。なぜか。お高くとまっていては裸の王様と同じですから、それを繰り返していてよいのかと自身に問うて欲しかったからです。ですから、甘い言葉を投げることはしてほしくはありませんでした。

    • 2012年 10月 26日

    >そういう文章を読むのは、実は私にとっては大きなストレスです。
    あなたがストレスを感じていることはわかりました。「迷惑をかけても生きる」のコメント欄でこうも書かれていますね。
    >でも、このメッセージをあまりにも都合よく解釈して、極端にずうずうしく、「迷惑をかけるぞ、なんか文句あるかあ」みたいになってしまうと、身近なウツ気味の人にとってはやはり生存権を犯されている気がするほどつらいです(私は人の不機嫌オーラ、独断、激しい口調や文章、それに触れるだけで蚊取線香の煙にあたった蚊のように死にます)。そしてこちらがつらがっていることが、先方にも伝わってしまって、先方がジャイアンだったりすると、その人もまた傷ついて余計暴れるという悪循環に入りますので、やっぱりほどほどがいいですよね。
    貴方は私に対し、ずうずうしく「迷惑をかけるぞ、なんか文句あるかあ」と思いましたか。タイミングがタイミングでしたので、これは私に向けられたものと思いました。蚊に例えてか弱い自分をアピールするわりに言うこと言ってるじゃないか、と思いました。
    貴方が言う通り、私には感情の起伏があります。以前先生にも書かれましたが双極性障害でしょう。なので、貴方がうつ状態だという状態も、私は現在進行中の症状です。しかし、私はその症状を隠れ蓑にはしたくありません。服薬していません。うつ状態にあって先延ばしの症状が強くなっていても、楽をしようとは考えていません。それが当然の症状であると考え、それを引き受けます。論理的飛躍があるのも認めます。もし今後、貴方が私の文章に対し論理的飛躍があると思われましたら、それを忌憚なく指摘していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

    • 2012年 10月 26日

    意味が通らないので訂正します。
    貴方は私に対し、ずうずうしく「迷惑をかけるぞ、なんか文句あるかあ」と思いましたか。→貴方は私の発言に、ずうずうしく「迷惑をかけるぞ、なんか文句あるかあ」というような態度であると思いましたか。

    • 2012年 10月 28日

    黒たまごさん
    追加です。
    「迷惑をかけても生きる」のコメント欄で書かれたこと、もし私に対して言いたかったことなら、
    >先方がジャイアンだったりすると、その人もまた傷ついて余計暴れるという悪循環に入りますので、やっぱりほどほどがいいですよね。
    と、こう書かれたら、傷つくのでなく、直接個人に発言しないのか、と不快感が生じます。
    >観察するのは悪で
    これはFさんのときと同様で、観察すること自体が「悪」とは一切発言していず、どうしてそう簡単に決めつけるのだろうと思いました。(Fさんでは「抵抗を示したのではないか」が「聞きたくない」に変化してしまった)
    皆さんよく「悪意」など「悪」と表現されますが、これも0-100思考なのでしょうか。「善」、「悪」や「敵」、「味方」といった極端な受け取り方をされますね。
    >私はみさんに対して、「失礼な」言葉を書くなとか、もっと「自身と向き合え」とか、言っていません。
    これは「敵」、「味方」といった見方によるものでしょうか。私は突然に何を言い出すのだろうと思いました。私としてはFさんはFさんであり、黒たまごさんは黒たまごさんであり、一緒くたに捉えることはしません。
    これまでを振り返ると、途中で敵認定して単発で攻撃してくる方がいましたが、このように先取りしてしまう方もいらっしゃるのですね。
    ところで、黒たまごさんのコメントを機に読み返してみましたが、Fさんは自閉症圏の方なのかもしれませんね。ご自身でのび太とおっしゃっていたので、私はそれを鵜呑みにしていたようです。自閉症圏の方はなぜ特性に関してコメントされなかったのでしょうか。

    • F
    • 2012年 12月 22日

    しばらくぶりです。
    凝りもせずに戻ってきました。
    最初に・・・
    黒たまごさん、補足ありがとうございました。
    >特に、Fさんの文脈では、”自分には理解できないとあきらめていたが、あきらめを脱したいと思えた”という、肯定的な意味で使われていると思います
    そのとおりです。
    心理的に<諦める>(未解決のボックスに放り込んで蓋をし、それ以上考えるのをやめるということ)という意味で「切り捨てる」と書きました。
    それをもうひと踏ん張りして「なぜこの人はこういう考え方をするのか」ということを追究する、そのために「観察を続ける」ということです。
    黒たまごさんには伝わったようで、安心しました。
    ありがとうございました。
    あとは観察する際に近くに寄りすぎて引きずられ、混じらないように気を付けます。
    (他者と自分が混じると、AC様になってしまうので・・・たびたび失敗してしまいます)

    • F
    • 2012年 12月 22日

    さて、「私は観察をしますよ」と宣言をすることにまったく意味はありません。
    まさか「ここに集う人を実験動物よろしく観察しますね」なんて失礼極まりない(ここに集う人にも、私にも、です)解釈をされるとは思いませんでした。
    そりゃ<お高くとまっている>ように見えることでしょう。
    正直、あまりの会話の通じなさにびっくりし、無駄に思え、諦めた次第です。
    確かに<相手は鏡>ですが、そこまで言うなら鏡の(認知の)方が歪んでいる可能性についても考えるべきでしょう。
    <相談>されたら<忠告>するが、自分の思い通りにならないと<怒って>みせ、非言語的に操作しようとしているように見える。
    それが<お世話>であり<支配(管理)>であり<依存>に見えることは、だいぶ前に述べました。
    (見える、です。つまり私の<主観>です)
    私は依存的な人に関わりすぎたせいか、どうもアレルギー体質になってるみたいです。
    自分が自閉症圏なのかどうかはわかりません。従姉妹が知的障害のある自閉症ですが・・・。
    感情をぶっとばして理詰めなところはあるみたいです。
    先日の、同僚とのやり取り。
    同僚から「今朝の仕事代わりに出てほしいってメールが今朝来ててさ、びっくりしたわ。あの人常識なさすぎ」という愚痴を聞かされました。
    私は「それびっくりしますね。メール見てなかったらどうするつもりだったんだろう(メールは急ぎの用事に使うのに適切な伝達手段ではない)」と言ったのですが、相手から「そうよー。見てなかったらどうするつもりだったんだろ」という返事が来るまでコンマ数秒、間がありました。
    多数派では「人に頼むときは直接頼むのが筋」という礼節が第一位に来るみたいですね。
    自分には礼節や空気、感情といった要素がすっぽ抜けてるんだなと感じました。

    • F
    • 2012年 12月 22日

    件の彼女ですが・・・
    独り言か、話しかけているのかわかりにくい
    「わかりました」という返事をしても、全く違う解釈をしている
    「聞いてません」連発
    返事をしない(彼女は「聞いてません」発言が多いので、聞いてないのかもと思い、「聞いてますか?」と尋ねると「・・・聞こえてます。返事しなくて失礼しました」と視線を逸らしたまま棒読み)
    初めて来た人にも「ここでのルールを知っている」という前提で話をする(想像力が欠如している?)
    文書など自己流でやり、これで正しいかどうか確認しない(先方から問い合わせの連絡が来て、手落ちが発覚)
    彼女の筆跡でも「これをやったのは自分ではない」と言い張る
    ほぼ毎日遅刻(さらに遅刻していないかのようにタイムカードを改竄)(加えて自分の後輩には「印字が薄いから上から書いているんです」と吹聴)
    私用で残っていても残業をつける
    封筒の宛名書きを頼むと、相手の名前を適当な当て字で書き、また宛名に敬称(御中など)をつけない
    否定文が最初に来ると、その先の話は頭に入らない(「そうじゃなくて、~してくださいね」→NG。そうじゃなくてと言われた時点でそこから先の話は聞いてない)
    パソコンのソフトでエラーが出ると、パニック(「え?!どうしよう、どうしよう」となり、エラー文を読もうとすらしない)
    40歳後半の人に「遅刻しないで出勤してくださいね」「タイムカードを書き直さないでくださいね」「聞こえたら返事はしてくださいね」と言わねばならないものでしょうか。
    「バカにしている」と思われそうで非常に言いにくいです。彼女に<社会的常識>が備わってないのは事実なんですが・・・。

    • F
    • 2012年 12月 22日

    彼女に必要な尊重って何でしょうね。
    おおっぴらに注意したりはしないようにはしています。(人にはプライドがあることくらいは私にもわかります)
    「それ前に言ったでしょ」も極力言わないことにしています。
    「この失敗は私じゃありません」と言われれば「そうですか。疑ってごめんなさい。では次にこういうのを見かけたときはこう直しておいてください」と言います。
    <現行犯>で捕まえないと認めない人だし、「疑わしきは罰せず」とも言いますから、「次からちゃんとできればいいのだ」と割り切ることにしています。
    頭ごなしに悪人扱いせず、彼女に淡々と「できてないところ」「だめな理由」を説明出来るので、自分の感情が薄くてよかったと思っています。
    彼女が入職してから5か月経ちましたが、未だに独り立ちは、できていません。
    他の部署の人にも「あの人だいぶおかしい」と思われているようで、私は「困った人だけど、悪い人じゃないと思う」というフォローに苦労しています。
    私があまり彼女の悪口(批判?)を言わないので、周りの人は「Fさんとはうまくやっている」と思っていたらしく、「どうしたら彼女とうまくやれるの?」「私のやり方が悪いのかなあ」と聞かれます。
    「私もうまくいってるわけじゃないですよ」とエピソードを話すと「え?!あれだけ仕事教えてもらってるのに、Fさんに対してその態度はないわ」とびっくりされました。
    もし私が「そうよ、あの人変なのよ」と言うと、彼女は辞めさせられてしまいそうです。
    懐かれているというか・・・ぶら下がられていると言えばいいのでしょうか?
    彼女に尻拭いを<させられている>印象を持つときはあります。
    あるとき彼女に「私これ、ずっと間違えてたんですけど・・・Fさんが直してくれたんですよね?」とおもねるように聞かれました。
    今までの私なら「え?!」となって、慌てて彼女の失敗のフォローに走っていたと思うのですが、あえてそうしませんでした。
    「いいえ、私は知りませんよ(あなたのことを信用してますからというニュアンスを込めて)」と答えました。
    彼女は自分の失敗を自分で直していました。内心彼女はがっかりしたかもしれません。

    • F
    • 2012年 12月 22日

    傍から見れば、私の態度は気の利かない(冷たい)態度に見えると思いますが、彼女にはそうしないといけないのではないかと思うのです。
    昨日も私は彼女の失敗に気付きましたが、彼女が失敗しきって、先方から間違いを指摘されるまで、あえて黙って見ていました。
    私の態度は意地悪です。わかっていてそういう態度を取るのは私にとっても苦痛ですが、彼女は自分で転ばないと学習できないようなのです。
    「彼女は危なっかしいから、Fさん頼むわ」と周りの人からフォローを要求されます。
    同じ給料で、歳もだいぶ上で、入職も数ヶ月しか違わないのに、と不公平に思います。
    彼女がきちんと仕事ができるようになるためには、突き放すことが必要に思いますが、彼女に失敗させるということは組織としては一時的に危ない橋を渡ることになるため、当然それを嫌う人も多いのです。
    また、「Fさんのほうが先輩なんだから、言うべきことは彼女に言ってね」とも要求されます。
    私のほうが年下という「社会的立場」という要素を考慮に入れ、「私も気になるけど、だいぶ歳も上の人なのでいろいろ言いにくいわ」と<弱音>を見せてみました。
    その結果「彼女の担当はFさん」という私に丸投げの態度から、周りの人も彼女に注意するという態度に変化しつつあり、少しほっとしています。

    • 2012年 12月 25日

    Fさん
    なるほど。例の彼女が変わった人だということがわかりました。これまでFさんとのやり取りをしていて初めて、その方が「変わった人だとわかるエピソード」が書かれました。
    >返事をしない(彼女は「聞いてません」発言が多いので、聞いてないのかもと思い、「聞いてますか?」と尋ねると「・・・聞こえてます。返事しなくて失礼しました」と視線を逸らしたまま棒読み)
    自閉症スペクトラム障害の人の特徴として、抑揚のない話し方をします。
    >初めて来た人にも「ここでのルールを知っている」という前提で話をする(想像力が欠如している?)
    自閉症スペクトラム障害の人の特徴として、相手の置かれた状況や考えなど思いを及ぼすことができないことがあります。
    >彼女の筆跡でも「これをやったのは自分ではない」と言い張る
    自閉症スペクトラム障害の人の特徴として、物事の論理的整合性を保つためにこのようなことをすることがあります。
    >加えて自分の後輩には「印字が薄いから上から書いているんです」と吹聴
    上のことと同様、始業時刻に対して論理的整合性を保つためと考えられます。
    >封筒の宛名書きを頼むと、相手の名前を適当な当て字で書き、また宛名に敬称(御中など)をつけない
    自閉症スペクトラム障害の人の特徴として、自分の法則に従う傾向にあります。
    >否定文が最初に来ると、その先の話は頭に入らない
    自閉症スペクトラム障害の人の特徴として、自分の中の論理一貫性を否定されるのは恐怖であることが多いです。
    >パソコンのソフトでエラーが出ると、パニック
    自閉症スペクトラム障害の人の特徴として、先が見えない状況、何が起こっているかわからない状況は非常に怖いことです。パニックに陥ります。
    以上のことから考えると、Fさんのいう例の彼女は変わった人である可能性が高いといえるでしょう。
    どうしてもっと早くそれを伝えてくれなかったのでしょう。「私がおかしいと言っているのだからなぜ同意しないのよ、なぜわからないのよ、このわからんちんが!」と思っていませんでしたか。他人はその状況に接していない限り、状況を詳しく説明されないと理解できないものです。赤の他人が接したことのない人について、話し手である人の話題に登場する人物像を思い描けるようになるには、それ相応の情報が必要です。

    • 2012年 12月 25日

    さて本題、最初の時点に立ち返ります。
    >40歳後半の人に「遅刻しないで出勤してくださいね」「タイムカードを書き直さないでくださいね」「聞こえたら返事はしてくださいね」と言わねばならないものでしょうか。「バカにしている」と思われそうで非常に言いにくいです。彼女に<社会的常識>が備わってないのは事実なんですが・・・。
    先生のエントリを再度読んでください。
    ガスなしライターの彼は、彼なりの理屈を持っています。ライターの外観が気に入っていて、それを所持していたい。ライター自体の目的は火をつけることですから、火をつけられないガス無しにして危険がない状態で所持していた、ということです。先生は、「学校側からの内申をちらつかせるなどの脅しや強制に仮に屈した場合、彼の二次障害は重篤になると考えるべきで、その後の人生を大きく左右するような記憶となり、極端には難治性のうつ状態や身体症状の原因にもなりうる。」と書いています。脅しや強制というのは二次障害を重篤にする、そのために何を指導したらよいか考え、精神科医の立場から発信したのです。自閉症スペクトラム障害への深い理解をもって、彼が社会で生きていくために必要なスキルを考え、二次障害をひどくしないようにこのような説明をした、ということなのです。彼の生きる人権、尊厳を保持したうえで、医師として指導したのです。
    Fさんは、自閉症スペクトラム障害への深い理解がなされていない状態で、しかも元彼とのトラブルから抜け出せていない状態で、例の彼女に正対している。例の彼女が自閉症スペクトラム障害として、貴方の言動によって二次障害を重篤にする可能性があることに思いが及びますか。
    Fさんは精神科医ではなく、発達障害者の支援に携わっているのでもない。ただ、身近に発達障害が疑われる人がいて、業務上支障が出ている。問題解決および職場衛生を考えると、その職場の産業医に相談するか、その企業が産業医を置くに至らない従業員数ならば上司に相談するなどを考慮にいれておいたほうが良いと思われます。

    • F
    • 2012年 12月 28日

    みさんへ
    >どうしてもっと早くそれを伝えてくれなかったのでしょう。「私がおかしいと言っているのだからなぜ同意しないのよ、なぜわからないのよ、このわからんちんが!」と思っていませんでしたか。
    思っていません。(私はまたうんざりしています)
    みさんの行動で私が未だに理解できないのは、ご自分の思い込みによる断定や、周りの人への働きかけにより、私の相対的評価(評判?)を下げようとするところです。
    そこまでしなくても、私の言動を見た他の人は「この人(F)、また話通じてないよ。ほんとバカだな~」と思うでしょう。それでいいのでは?
    いじめのときに思ったことにも通じます。
    「私をいじめたところでいじめっこたちの成績が上がるわけではないのだから、自分の勉強を頑張ればいいのでは?この人たちは何でこんな無駄なことをするんだろう(相対的評価や勝ち負けではなく、絶対的評価を狙うべき)」と。
    また誤解を解くための状況説明をします。
    まず、彼女が入職してきたのは8月の初めです。
    前回やりとりをしていたのは、8月の最後から9月の半ばまでですね。
    そして私が<違和感>を覚える彼女の言動について、ここで説明するには
    自分に対してのみそういう態度を取るのか、それとも他の人に対しても同じなのか?
    私が違和感を感じるだけなのか、他の人から見ても違和感を感じるのか
    彼女の(私にとっては)理解不能な行動が、どういうパターンなのかを分析して把握する
    これらの作業が必要です。
    その途中、「彼女は聞きたくないのではなく、尊重してほしいのでは?」という、みさんの<助言>を受け、「彼女は<少数派>だと思うが、自分の思い違いなのかもしれない」と考え直し、もう一度慎重に彼女の言動を分析した結果がこれです。

    • F
    • 2012年 12月 28日

    >Fさんは、自閉症スペクトラム障害への深い理解がなされていない状態で、しかも元彼とのトラブルから抜け出せていない状態で、例の彼女に正対している。例の彼女が自閉症スペクトラム障害として、貴方の言動によって二次障害を重篤にする可能性があることに思いが及びますか。
    思うからこそ、「これはどうしたものか?」と考えるわけです。「あの人変なんです!」で終われれば、これほど楽なことはありません。
    みさんは支援教育に携わった経験をお持ちだということですから、既に書いた私の具体的な対応について、まずいところがあったなら指摘していただきたいです。
    「おせっかいをするな」と言われても、彼女と会話をせずに一緒に仕事をすることはできません。
    就業支援のプロがいれば一番いいのですが、そういう環境になく、二次障害の可能性を恐れるならば、腫れ物に触るように対応するしかありません。(それを彼女が望むかどうかはともかく)
    本当は最初に「どうしてそういう行動を取るのか(彼女のこだわり・論理・世界観)」について理解した上で、<常識>とされる<見えないルール>について説明しなければならないのでしょうが・・・

    • F
    • 2012年 12月 28日

    「あの人に何か注意すると、ブツブツ言いながら引き出しを音を立てて閉めたり、書類を乱暴に扱うので怖い。私、嫌われたかもしれない」と他の人は言っていました。
    「そういえば私のときもしてましたよ。話しかければ普通に返事してくれるから悪気はないと思いますし、誰に対してもそうなのでは」
    (私の場合、自分が悪いことをしたと思ってなかったので、「何かうるさいな。まあ気が立ってるんだろう」くらいで、あまり気にしてませんでした)
    「手伝ってくれるのはありがたいんだけど、私を押しのけるようにして作業をするので怖い。そんなときどうしたら?」
    「たぶん集中してるんだと思います。手伝ってもらえてありがたいので、私は終わるまで他の場所で作業をして、最後にお礼言ってます」
    ひたすら彼女が孤立しないように、フォローしてる感じです。
    ただ、始業時間ギリギリに飛び込んでくるのは、私的にはまあOK(常識的に好ましくはないが強くは言えない)ですが、遅刻した上に隠蔽工作はNGでした。(就業規則違反。さらに詐欺行為に見えます。時間給なので余計に)
    この件で「黙って受容するだけではだめかもしれない」と思い始めました。
    そして残念なことに、上司に相談は気が進みません。
    私の職場は診療所なのです。
    そして、上司(医師)のほうが、彼女よりも強い<少数派>の印象を受けます。

    • 2012年 12月 28日

    Fさん
    >そこまでしなくても、私の言動を見た他の人は「この人(F)、また話通じてないよ。ほんとバカだな~」と思うでしょう。それでいいのでは?
    これは居直りです。私がFさんに言いたいことは、Fさんの言動によって相手の方が二次障害に陥る可能性を考えてください、そのために自身の傾向について理解が必要だ、ということです。
    Fさんのこれまでのコメントで、変わった人に好かれ、胃を壊しながらそれに対応してきたというエピソード、および元彼とのトラブルのエピソードが書かれていました。Fさんは大変さをアピールしていますが、自分でなければ対応できないと自負しているようにも受け取れました。ここにFさんの共依存の傾向を見ました。
    また、ここのエントリのFさんの最初のコメントで、私ならこう言うという姿勢に、独善的であると思いました。このFさんの姿勢では、相手の方の世界観を理解することなく独善的に対応するのではないかと思いました。
    さらに、私が今年4月に転職をしたこともあり、もしFさんのように年下で4か月しか入職期間が違わない人に、Fさんのように対応されたら非常に不快を感じるだろうと思いました。
    共依存の人は、「私がいなければこの人はだめなの」と依存者に世話を焼く。「私がいなければ」と思い込み、世話を焼くことで自分の存在を成り立たせようとする。お世話をすることで依存者の依存から脱する機会を奪ってしまう。共依存でない関わり、それには勝手に世話を必要とする人と認定しない、お世話をしたい衝動を統制する、相手の世界を理解したうえで何が支障をきたしているかを考える、相手のすべきことと自分がすべきこと、相手の領域と自分の領域をしっかり区別すること、などが必要となります。
    胃を壊しながらお世話をすべきことなどありません。胃を壊しながらでもしなければならないと考えているのは、相手を矯正したいという自分の欲求によるものです。自閉症スペクトラム障害の人の世界を捉え、自閉症スペクトラム障害に対する医療や教育についての知識をもって対応しないと二次障害を重篤にさせてしまいます。リソースを利用すること、大事です。
    ところで、Fさんは「上司(医師)のほうが」と書いていますが、医師の方ですか? (医療事務は医師が上司だということはない(他職種)ので、確認です)

    • 2012年 12月 28日

    >正直、あまりの会話の通じなさにびっくりし、無駄に思え、諦めた次第です。
    これが、Fさんの「切り捨ててきた」ということでしょうね。
    >心理的に<諦める>(未解決のボックスに放り込んで蓋をし、それ以上考えるのをやめるということ)という意味で「切り捨てる」と書きました。
    ということは、これまでのなかでFさんと出会っていたら、間違いなく私はFさんから切り捨てられていましたね。
    Fさん、気づいていますか。
    「あまりの会話の通じなさにびっくり」したと書かれ、不愉快になる相手の気持ちがわかりませんか?
    貴方、例の彼女にそのような発言をしていませんか? 
    また、元彼にそのような発言をしてきませんでしたか?
    元彼を怒らせたのは貴方のそのような態度があったからではないですか?
    だからこそ、ご自身の傾向に対する理解を、と言ってきたのですよ。

    • F
    • 2012年 12月 29日

    みさんへ
    >ところで、Fさんは「上司(医師)のほうが」と書いていますが、医師の方ですか? (医療事務は医師が上司だということはない(他職種)ので、確認です)
    違いますよ。>私が医師かどうか
    医療事務と医師では確かに他職種ですが、小さな診療所なので、上司は医師(院長)になってしまうのです。
    あの文章の流れでは「近くに医師がいる環境だが、難しい」と言いたかったのですが、最初から院長と書けばよかったですね。すみません。
    彼女の<変わったところ>については、9/6のあたりですでに書いています。
    その上で「もっと早く言え」それどころか「言わないのが悪い」「自分に原因があるのに責任を棚上げしている」と言われ「やっぱり読んでないんじゃないか?」と思いました。
    みさんからの「理解を示しますか」「~ではないですか?」と言った問いかけに対し、私は極力答えているつもりです。
    「とにかくあなたはダメだ」とおっしゃっていることはわかりました。
    しかし具体的にどうすればいいのか、全く答えになっていません。(理念ばかりに見えます)
    「あなたの認知や、やり方が悪いのではないか」「Fさんのように対応されたら非常に不快を感じるだろうと思いました」と事あるごとに書かれるので、実際に私がどういう対応を取っているか細かく書いたつもりです。
    その上で、どうダメなのか、どうすればよくなるのか、答えが欲しかった。
    >「あまりの会話の通じなさにびっくり」したと書かれ、不愉快になる相手の気持ちがわかりませんか?
    わかりますよ。
    そのくせ、こうして「支援教育に携わってきた人からのアドバイスを求めている」と書く<都合のよさ>もわかっています。
    わかっていて、言っています。(明確な意思を持って言っています)
    何故でしょうか。
    私を不愉快にさせたあなたの行動について(思い込み・断言・さらに情報操作。それは「ここに集う人にも、私に対しても、失礼極まりない」と書きました)、たぶんあなた自身は気づいていないと思ったから。
    そして「やられたら同じものを返す」という私のスタンスに因るからです。
    私は誰にでも同じ行動を取るわけではありません。
    それが私が前にくどく書いた「尊重して欲しいならその価値を示すべき」「同じものを返す」ということです。

    • F
    • 2012年 12月 29日

    さあ、私は貝になればいいのですか?
    腫れ物のように(お客様のように)、彼女に対応し、多数派のように遠まきに見ていればよいのでしょうか?
    今までのように彼女を<切り捨て>ればよいのですか?(共依存しないために。または二次障害を起こしてしまうよりはマシと言う理由で)
    <観察>をやめればよいでしょうか?
    しかし<独善的>とするか<主体的>とするか、見る人の捉え方ひとつで、ものごとは如何様にも変わります。
    「あれはダメ」「これもダメ」では何も解決しません。
    ところで、みさんは私のことを「自閉症圏の人だったかもしれない」と書かれました。
    もし私が自閉症圏の人だったとして、みさんの対応は適切だったのでしょうか?
    「本人がADHDだと言うので鵜呑みにしていた」とも言われていますが、鵜呑みにはしていらっしゃらなかったように思います。
    私のことを「ジャイアンだ」と睨んでいらっしゃったように思いました。
    しかしそうすると、今までの、みさんの私に対する行動に疑問符がついてしまいます。(相手を見誤って対処したのでは?)
    「ADHD特有のおせっかいが二次障害を~」を、自ら再現してしまった可能性はないのでしょうか。

    • F
    • 2012年 12月 29日

    ちょっと言葉足らずですね。
    私のことを「ジャイアンだ」と睨んでいらっしゃったように思いました。

    「自分はのび太ではないかと思う」と言う私のことを、「ジャイアンだ」と睨んでいらっしゃったように思いました。

    • 2012年 12月 29日

    Fさん
    >わかりますよ。
    そのくせ、こうして「支援教育に携わってきた人からのアドバイスを求めている」と書く<都合のよさ>もわかっています。
    わかっていて、言っています。(明確な意思を持って言っています)
    何故でしょうか。
    私を不愉快にさせたあなたの行動について(思い込み・断言・さらに情報操作。それは「ここに集う人にも、私に対しても、失礼極まりない」と書きました)、たぶんあなた自身は気づいていないと思ったから。
    そして「やられたら同じものを返す」という私のスタンスに因るからです。
    今でも自分をのび太と思っていますか?

    • 2012年 12月 29日

    >さあ、私は貝になればいいのですか?
    腫れ物のように(お客様のように)、彼女に対応し、多数派のように遠まきに見ていればよいのでしょうか?
    今までのように彼女を<切り捨て>ればよいのですか?(共依存しないために。または二次障害を起こしてしまうよりはマシと言う理由で)
    <観察>をやめればよいでしょうか?
    しかし<独善的>とするか<主体的>とするか、見る人の捉え方ひとつで、ものごとは如何様にも変わります。
    「あれはダメ」「これもダメ」では何も解決しません。
    「相手の世界を理解し、自閉症スペクトラム障害への医療・教育に関する知識を…」=「貝になる」という認知、また、=「切り捨て」という認知、文章そのままの理解が難しいですか。
    多分、貴方にとって不愉快な相手であるから、素直に受け取れない心境ではないかと思います。ですから、このようにひねくってしまう。これが「認知の歪み」なのです。認知を修正していくと、相手の言いたいことがすんなりと理解でき、吸収できます。まず人のお世話より優先すべきことです。
    「あれはダメ」「これもダメ」と思えるのは、きっと過去にダメだしされたことが多かったからでしょう。否定され続けた養育環境だったのではありませんか。自分が望んだわけではないのに見事に身に着いてしまった「認知の歪み」、しかし、認知の歪みを修正は、自らが望まなければできないことです。

    • F
    • 2012年 12月 29日

    もしかしたら、私とみさんは解釈が全然違うのかも?
    「尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」
    私が書いたこの文章。
    「先に」の部分について、祖語が生じている気がします。
     1.相手から先に
     2.要求するより先に
    私は2のつもりだったのですが、もしかしたらみさんには1と解釈されているのではないかと思い至りました。
    それならば私のことを「勝負にこだわっている」「上から目線」だと思う理由もわかります。
    (「みさん、変なところで怒り始めるなあ」と不可解に思っていました)
    <切り捨てる>という表現について、黒たまごさんには意図が通じて、みさんには通じていなかった。
    そのことをずっと考えていて、ふと思いついたのですが・・・みさんはどちらの意味に読み取っていたのでしょうか?

    • 2012年 12月 30日

    Fさん
     ここはやんばる先生のブログのコメント欄です。貴方が「尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」ということを前提に話を進めることができるのは、貴方がブログの管理者で私がコメント者の場合です。
     この発言は、たとえば医療専門職者と医療事務職初心者が、医療の話をしようというときに、医療事務職者が医療専門職者に「尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」と言っている状況、どれだけ医療専門の学習をしてきたのか、どれだけ経験を積んできたかを見ずして、単に自分から見て尊敬できなければその話は聞けない、と言っているようなものです。
     貴方が勝手に「尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」ということを前提にしているだけですが、私は貴方のそれに従わなければなりませんか。貴方はいつも自己中心的なその前提で他者と関わっているのですか。
     私は、相手の話に「尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」というようなことは全く考えていません。どのような立場であれ、人として意見を述べる権利がある、その上でその話に同意するか否かを考えます。たとえ浮浪者でも、障害者でも、老人でも、政治家でも、医師でも、社長でも、外国人でも、人としては同等であり、発言する権利を有するのであり、その発言に対して自分がどう考えるか、であるからです。
     貴方は私に何の価値も見出せませんか? 私が生きてこれまでの間、医療職として教育職として勤務してきたことや学びを大事にしていること、話の内容を重視するあり方について、また現在若者の就職や政治に関心をよせていることなど、貴方には何の価値も見出せませんか? 貴方の言う価値、それも貴方にお気に召す価値とは一体何なのでしょう。
     もし、私が貴方に「尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」と言ったらいかがでしょう。貴方は私の考える価値を示すことができますか? 私の考える価値とは何かわかりますか?
     ところで、ご自身の特性についてどう自己認識しているのですか?
     はぐらかされているようです。ここまできてのび太とは言えないよなぁ、見事にジャイアン性を発揮していらっしゃいますもの。一時字義通りに受け取った?と思いましたが、貴方がコメントを書けば書くほどジャイアン性が顕著になってきていますよ。

    • ホック
    • 2012年 12月 30日

    Fさんは「職場の困った同僚の話」をしていますが、
    み様は「Fさんの特性」について話をしている。
    会話が成り立たないというのは、こういう事なのかと驚嘆しています。

    • JET
    • 2012年 12月 30日

    横レス失礼します
    ・Fさんは受動型AS寄り
    ・同僚の彼女は仕事に慣れていないADHDっぽい
    という感じに(私には)見えるのですが。
    違いますか???

    • JET
    • 2013年 1月 03日

    度々の横レス申し訳ありません!
    >尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」
    私が書いたこの文章。
    「先に」の部分について、祖語が生じている気がします。
     1.相手から先に
     2.要求するより先に
    私は2のつもりだったのですが<
    Fさんが言いたいのは
     相手が私に対して「自分を〇〇して欲しい」と思っているのであれば、そのような要求をする前にその価値〇〇を示すべき
    ということですかそうですか。人によって前提が違いますと分かりづらいですね。
    今現在Fさんの前には、〇〇という価値(今回の場合は尊敬)が出現していない。だからFさんには何の事か分からない。Fさんは「同じものを返す」というスタンスであるという。Fさんが相手からのアクションに〇〇という価値を見出した時に、FさんはFさんにとってその価値に見合っていると思われるアクション(=同じもの)を返す。基本的にまず自分が受ければのちに動いて返すということですか。
    私の場合相手がいようといまいと、価値は既に出現しているんですよ。

    • F
    • 2013年 1月 11日

    みさんへ
    >今でも自分をのび太と思っていますか?
    何故この期に及んでこの質問なのでしょうか?
    答えはすでに書いてあるはずです。
    質問の意図が理解できません。
    私のコメントを読んでいないのか、読んだけれど理解できないのか、それとも別の理由ですか?
    >自分でもジャイアンかのび太なのかはわからないのです。
    >前のコメントで書いた通り、ジャイアンの気質はあるんじゃないかと思っています。
    上記のコメントは9/8のものです。疑うのでしたら、さかのぼってご覧ください。
    最初に自分はのび太かもしれないと思っていたが、みさんが言うとおりジャイアンなのかもしれない。
    しかし他の人は、「いやASじゃないか?」と言う。
    私には「どうやら大多数の人とは違うようだ」という自覚はあるが、どれなのかはわかりません。
    そして別に「自分はのび太(もしくはADHD)だ!」とこだわるつもりはありません。
    みさんは私のことを「自閉症圏の人だったのかもしれない」と書いています。
    それにもかかわらず、何故この期に及んでこの質問なのでしょうか。
    今回のやり取りのきっかけは「もし自分が「ガス無しライター」の現場に遭遇したら、こう説明すると思う」という私のコメントでしたね。
    それに対し、みさんは「ADHD特有のおせっかいが自閉症スペクトラム障害の二次障害を誘発する可能性がある」と指摘し、私を牽制しました。
    それ以降のやり取りは、<FはADHDである>という前提のもとに行われています。
    しかしもし私が自閉症圏の人だったのなら、これまでのみさんの助言のすべてが、あやふやなものになってしまいます。
    それで私は混乱しているのです。
    みさんはどれだけ曖昧な根拠の上に私を断罪しようとしているのか、自覚していらっしゃいますか?
    曖昧でないというのなら、「Fは自閉症圏の人だったのかもしれない」という発言は、いったい何なのでしょうか。

    • F
    • 2013年 1月 11日

    「あれはダメ」「これもダメ」と思えるのは、きっと過去にダメだしされたことが多かったからでしょう。否定され続けた養育環境だったのではありませんか。自分が望んだわけではないのに見事に身に着いてしまった「認知の歪み」、しかし、認知の歪みを修正は、自らが望まなければできないことです。
    みさんのコメントは、ひとつひとつを見ると美しく正しいのです。
    しかし、つなぎ合わせると結局どうしていいやらわからなくなります。
    私にはちぐはぐに見える(あれはダメ、これもダメ)のです。
    私「彼女には言わなきゃ伝わらないと思う」「私自身も、他人には言わなきゃ伝わらないという思いがある」
    みさん「言わなきゃ伝わらないという<Fの側の事情>がある以上、それは自己中心性の産物である」「彼女は尊重してほしいのではないか。Fの態度では不愉快に思うのは当然だ」
    私(みさんの言うとおり彼女は「尊重して欲しい」のかもしれない。彼女が少数派かもしれないという先入観は置いておこう。自分の何がまずいのか、他の同僚に聞いてみよう)
    (再度彼女を観察)(やはり強い違和感を感じる)(彼女の態度は私に対してだけではないし、他の人も同じ違和感を感じている)
    (数ヶ月観察した結果、彼女が変わった(言わなきゃわからない)人であることを説明)
    みさん「なるほど。正しい判断を下せなかったのは、Fの説明が足りないせいだ。私のことを話のわからないやつだと思っていただろう」
    私「誤解だ。具体的に私の行動の何がまずいか、どうすればいいかが知りたい」
    みさん「年下で4か月しか入職期間が違わない人に、Fのように対応されたら非常に不快を感じるだろう」
    私(具体例を挙げたが、どうまずいのか指摘してもらえない・・・どうやらよくない対応だったようだ)
    みさん「Fは大変さをアピールしているが、共依存したいだけなのでは」
    私(彼女を突き放す必要性を感じていることすら書いたのに、何故共依存したがっていると見えるのだろうか?)
    みさん「二次障害を引き起こす可能性があることをわかっているのか(ADHDの、しかも素人が余計なことをするな)」

    • F
    • 2013年 1月 11日

    こんな感じで、みさんの言葉のすべてが否定に見えます。
    もう一つ突っ込んで言えば、みさんは私に過去の自分を見出して、矯正しようと頑張っているように見えます。
    「彼女には彼女が取るべき責任があり、それを背負うのはFではない」
    理念としてはそうでしょう。では職場(チーム)としては?
    6か月経っても未だ独り立ちできない人をどうすれば?
    実際に彼女をフォローする責任を求められる、この状況をどうすれば?
    私は、ずっとそこで立ち止まっています。
    みさんが心配している二次障害のひとつなのかどうかはわかりませんが、私が「変わっている」と感じた三人に共通する不可解な行動に「相手が込めてもいない空気を勝手に感じ取って、過剰反応する」というものがあります。
    そんなつもりで言ったのではないのに、「強要された」「命令された」と感じて、不機嫌になったり、怒鳴ったり、慌てて阿ったり。
    読めない空気を読もうと努力した結果過剰反応になり、他人を警戒し疲弊し、限界を超えると鬱になったり人格障害になったりするのではないかと感じています。
    AS特有ではないのかもしれませんが。
    みさんは今までに「私は特別支援教育に関わっていた」と何度もお書きになっています。
    その道のプロであるという自負をお持ちなのだと思います。
    だからこそ、私はしつこく食い下がったのです。
    具体的にどうすればいいのかが聞きたかったから。(我流がだめだというのなら、どう直せばいいかを知りたかったから)
    自分が実際に彼女に応対した部分について、何がまずいか、どう直せばいいかを聞きたいのです。
    「アピール」という<感想>が聞きたいのではありません。

    • F
    • 2013年 1月 11日

    私は以前のコメントで「自分の職業についてうしろめたさがあった」と以前の職業とその理由を開示しました。
    しかしみさんは私が異論を唱えるや否や「公共の福祉に資する公務員が「その価値を最初に示す努力をすべき」だという。公共の福祉に資する公務員のFさまのご発言だ」と揶揄し、攻撃材料にしました。
    今回も「上司に相談しにくい状況」のために私の現在の職業を明かしたら、「事務職ふぜいがわかったふうに言うな」と言わんばかりの例に使いました。
    非常に残念に思います。
    同じことは黒たまごさんに対しても、しています。もし無自覚なら、どの部分が該当するのか探してみてください。
    自分のリアルな情報を開示することは、弱点をさらけ出すこととも言えます。
    わかっていてそうするのは、相手を信用しているからです。(この場合は、みさんのことを、です)
    それに対してこの反応(攻撃)なので、非常にがっかりしています。
    みさんの攻撃性はあちこちに感じます。
    ご自分で<勝負>と言う言葉を持ち出したのにうやむやにしてしまいました。
    (「勝負していたのか」と私をなじった後で、ご自身が勝負という言葉を使ったことは認めました。しかし自分で勝負と認識していたことについて未だに認めていません)
    「どうしてもっと早くそれを伝えてくれなかったのでしょう。「私がおかしいと言っているのだからなぜ同意しないのよ、なぜわからないのよ、このわからんちんが!」と思っていませんでしたか」
    この部分もそうです。
    >私を不愉快にさせたあなたの行動について(思い込み・断言・さらに情報操作。それは「ここに集う人にも、私に対しても、失礼極まりない」と書きました)、たぶんあなた自身は気づいていないと思ったから。
    この部分も、どうなったのでしょう?
    みさんは、自覚があってそうした(思い込み・断言・さらに情報操作)のでしょうか?

    • F
    • 2013年 1月 11日

    >ここはやんばる先生のブログのコメント欄です。貴方が「尊敬して欲しいのなら、先にその価値を示すべき」ということを前提に話を進めることができるのは、貴方がブログの管理者で私がコメント者の場合です
    また論点がずれています。
    私は私の認知の話をしたのであって、みさんに「私のやり方に従え」と強制はしていません。
    おっしゃるとおり、みさんが私のやり方に従わなければならない理由はありませんよ。
    「文章の読み取り方にも認知の傾向が表れるのでは(同じ文章でも解釈が違うのではないか?)」という例で挙げたのです。
    みさんの解釈は1と2の、どちらでしたか?
    もしかしたら、お世話をしている場合ではないのは、みさんも同じなのではないでしょうか。

    • F
    • 2013年 1月 11日

    JETさんへ
    前段はそのとおりです。
    >基本的にまず自分が受ければのちに動いて返すということですか。
    いいえ、違います。
    もしJETさんが「Fに自分のことを尊重してほしい」と思ったとしますよね。
    それなら「自分のことを尊重してよ!」と私に要求する前に、自分から尊重を差し出すということです。
    私が「JETさんから尊重されている」と感じれば、私も同じもの(尊重)を返します。
    「私のことを先に尊重しなさいよ!」ではなく「尊重して欲しいなら自分から差し出す(その結果相手からもそうしてもらえるかもしれない)」ということです。
    そして同じことは私からもします。
    (相手と比べてどちらが先、という<競争>ではありませんから、私からもそうします)
    差し出したのと同じもの(尊重)が返ってくれば幸いなのですが、片思いなこともあります。
    それはそれで仕方がないことだと思います。
    (自分からすすんで差し出したのだから、恨み言は言わずに諦める。でもなかなか難しいです。少なくともがっかりはします)
    ただ、私は<規格外>のようなので、一般的な尊重と私の尊重は、ずれているかもしれません・・・。

    • JET
    • 2013年 1月 12日

     Fさん
    >ただ、私は<規格外>のようなので、一般的な尊重と私の尊重は、ずれているかもしれません・・・。
    ずれているかも?どうでしょうかね。一般的な尊重について調べてFさんが参考にしたいと判断したものをとればよいですよね。正解があるかどうか分からないけれど。こちらのブログ記事「ASの幻想」「ADHDの幻想」なども参考になるですね。私は、大人同士なら尊重は、「相手のする判断を自分がしてしまわないこと」等と思います。自分の意見は言いますが。
    ただADHDとASは一次障害の特性が違う、受動型ASは特に周囲からの働きかけが大事なようです。
    Fさんの同僚の話を読んで思うのですが・・私はこんなにFさんのように悩めないです。
    >では職場(チーム)としては?→ほんとにチームであれば全員で同僚さんをフォローする。リーダーは何をしている?
     6か月経っても未だ独り立ちできない人をどうすれば?→「聞いて下さい(笑笑笑)ちゃんとやって下さい(笑笑笑)」といい続ける、聞かれたら、聞いてくれて良かったと言う。年上だとしても。
     実際に彼女をフォローする責任を求められる、この状況をどうすれば?→責任とれません(笑)と言う。
    などと思います。冷たいですかねー。
    横レスに答えて下さってありがとうございます!!

    • 2013年 1月 12日

    Fさん
    まず、私がやんばる先生のこのブログを読んできた2年の中で学んだこととして、ジャイアンがASにかかわると余計なお世話をして依存させるか関係をこじらす、ということです。
    先生は、ASについてのエントリで、何度も「天然のADHD」と繰り返し述べています。それほど、ASにかかわるにはぐちゃぐちゃしたジャイアンは適さないのです。その先生の意図、Fさんはどのようにとらえているのでしょうか。だからこそ、ジャイアンならば自己認識が大事で、ジャイアンということを自覚しないでASにかかわるとよくない、と言っていたのです。
    私は私の欲望で、あるいはFさんに共依存しようとして、あるいは矯正しようとして、こんなことを言っているのではありません。私は特別支援教育に携わりました。今もASと思われる学生とお話しします。私は先生の教え、お叱りをもとに、彼らの世界を理解しようと努めています。
    そして、「自閉症スペクトラム障害の人々は、・・・ということがあります」と書いたコメントをしましたが、それに照らして例の彼女の言動に対してどうなのか、ではなく、言葉尻を捉えて返答されました。彼らの世界観を理解しないかかわりは独善的で、見当外れになります。正論かどうかでなく、彼らの世界観を理解することが必要なのです。そのためには、自己中心的な見方では彼らの世界観を理解することはできない、と言いました。彼らの世界観を理解する、これは具体的にこれこれすれば理解できるようになるといったものではありません。自分のなかの常識をいったん横に置かなければ見えてきません。だから抽象的なのです。
    私は具体的にと言われたとき、身内に自閉症スペクトラム障害の子がいるということから、その自閉症スペクトラム障害の子とかかわる、親に聞いてみるなどできるのではないか、と思いました。しかし、私は書きませんでした。ご自身で自閉症スペクトラム障害の子がいると言っているのであれば自ら動くであろう、また自らが知りたければそのくらいは言われなくてもするだろう、とそう考えました。即答えを求める、これは待てないADHDの傾向です。それは自ら考えない、依存の姿でもあります。なぜ自分で考えて行動しないのですか。

    • 2013年 1月 12日

    >それに対し、みさんは「ADHD特有のおせっかいが自閉症スペクトラム障害の二次障害を誘発する可能性がある」と指摘し、私を牽制しました。それ以降のやり取りは、<FはADHDである>という前提のもとに行われています。
    Fさんがここのコメントを書かれる前に、いくつかのエントリでコメントをされていますね。読んでいました。ASが疑われる元彼とのこと、養育環境、利用のこと等。その情報からFさんの特性を見ていました。ASは利用することができません。ASとの関係をこじらすのもジャイアン、公務員等表面的なステイタスを求める家庭、利用とともに家を出る行動、お世話行動等々、これらとこのエントリのコメントからジャイアンではないかと思いました。そして、尊重してほしいのではないか、といったことに対して「聞きたくない」に置き換わってしまったときには、認知の歪みもあるなぁと思いました。ただ、ADHDらしい注意欠陥に関する事柄が書かれていません。また、話し方や表情等の特徴もここからはわかりません。
    自分の特性理解は、やんばる先生のHPに自己診断ツールがありますし、このブログにたくさん書かれています。また、いくつも書籍が出ていますし、それらをなぜご自身で探さないのか、私は疑問です。また、AS理解についても同様です。

    • F
    • 2013年 1月 18日

    JETさんへ
    >では職場(チーム)としては?→ほんとにチームであれば全員で同僚さんをフォローする。リーダーは何をしている?
     6か月経っても未だ独り立ちできない人をどうすれば?→「聞いて下さい(笑笑笑)ちゃんとやって下さい(笑笑笑)」といい続ける、聞かれたら、聞いてくれて良かったと言う。年上だとしても。
     実際に彼女をフォローする責任を求められる、この状況をどうすれば?→責任とれません(笑)と言う。
    などと思います。冷たいですかねー。
    そういう発想がなかったです。
    何となく理不尽さ(もうちょっと楽をしたいなあと思う気持ち)は感じますが、無責任な気もして手が抜けないのです。
    リーダーはいません。
    チームには今4人いますが、入職順で言えば私が一番古い人になります。差はほとんどないのですが。
    私の3か月後にもうひとり、その1か月後に件の彼女、さらに4か月後にもうひとり、です。
    私の3か月後に入ってきた(非常にのび太っぽい印象を受ける)人が「私も頑張りますから一人で抱え込まないで」と言ってくださったので、最近よく相談しています。
    >私は、大人同士なら尊重は、「相手のする判断を自分がしてしまわないこと」等と思います。自分の意見は言いますが。
    そうですね、理解できます。
    私は、相手の意見を聞いたときに、採用しない(参考程度に留める)のが難しいです。
    聞くと聞き入れないといけないような気がしてきて、結構うじうじ悩みます。
    (明確に理がないと思うときは不採用にできるのですが)
    今回のみさんとのやり取りにも、そのうじうじさは如実に表れていると思います。
    私の場合、そもそも自分の境界線が、曖昧なのでしょう。
    自分と相手がしっかり確立していないと、力の強い方が相手の領域を侵犯してしまいます。
    そうしないことが尊重であるし、自立しているからこそお互いの尊厳を守れるのでしょう。

    • F
    • 2013年 1月 18日

    みさんへ
    >私は私の欲望で、あるいはFさんに共依存しようとして、あるいは矯正しようとして、こんなことを言っているのではありません。
    いいえ・・・
    みさんが欲望という悪意(明確な意思を持って)から、そうしているわけではないことは重々わかっています。
    でなければこんなに長い間、私の話に付き合ってくださるわけがありません。
    ただ、みさんの言葉の端々に現れる攻撃的な部分が自己中心的に見えたし、その善意が<無自覚の>お世話なのではないかという可能性を指摘しただけです。
    この話、ずいぶん前にもしましたね。
    >私は具体的にと言われたとき、身内に自閉症スペクトラム障害の子がいるということから、その自閉症スペクトラム障害の子とかかわる、親に聞いてみるなどできるのではないか、と思いました。
    >自分が自閉症圏なのかどうかはわかりません。従姉妹が知的障害のある自閉症ですが・・・。(12/22の私のコメントより)
    従姉妹を研究することにより(叔父叔母への聞き取りなど)、件の彼女への対応に有益な情報が得られるとは思いませんでした。
    発達障害に関する本は20冊は読んだと思います・・・
    以前私は彼女の変わった部分について過剰書きにしましたが、読んでみて「なるほど」と思うものが多くなかったですか?
    ASっぽい印象を受ける(特徴的な)部分をピックアップして書いたつもりです。
    「想像力の欠如」など、あえて<匂う>言葉も混ぜました。
    >そして、「自閉症スペクトラム障害の人々は、・・・ということがあります」と書いたコメントをしましたが、それに照らして例の彼女の言動に対してどうなのか、ではなく、言葉尻を捉えて返答されました。
    この部分がどこを指しているのか読み取れませんでした。
    私が出した結論ですが、やはり彼女には「気の利かない」態度を混ぜることが必要ではないかと思います。
    最近彼女は受付ブースでコーヒーを飲むのですが、待合室まで香りが漂うので、どう言おうか悩んでいます。
    私が年下であることと職歴にたいした差がないことを考慮し、相手のことを尊重した上で注意・・・って考えると、正直なところ本当に面倒くさいです。
    別部署の年配の方に相談したら「あんまり気にせず、軽く言っていいんじゃないの」と笑われました。

    • F
    • 2013年 1月 18日

    さて、ここからは誰に宛てたのでもない、独り言です。
    私には「わざと返事をしない」という戦術的発想がありません。
    ですから相手にもそれを適用し、返事が返ってこない(もしくはずれた答えが返ってくる)ときは「読んでもらえていない」と認識します。
    ある種の質問について返事がないことについてがっかりしていたのですが、「敢えて答えない」という戦術を取っているのかなと思いました。
    そしてわざと答えない、その意図について考えていました。
    自分にはやはり<未解決のボックス>が必要なのではないかと感じています。
    私が本気で理解しようと努めれば努めるほど、相手を追い詰めてしまう気がするのです。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 1月 18日

    戦術、っていう概念自体がわかりません。
    私はよく彼女から、「間違っているなら間違っていると言って」と言われましたが、私には、彼女が何のことについて話をしているのかすらわからなかったのです。
    今もって彼女の事は意味不明ですが、独り相撲+自分にだけ通用する理屈で自分の好きなやり方での継ぎはぎパッチワークの論理で、つじつま合わせをしているんだな、と、このブログにたどり着く前に気づきました。
    さーこと同じものをアタシも返す のだと、よく言われた事があります。
    また、彼女は「アタシはめんどくさい人」だとよく自称していました。
    彼女は私の事を、よほど捻じ曲げて認識していたようです。
    私は本当は、友人として、私もあなたも良い状態でいる事ができたら良いなと思っていたのですが、彼女は女子集団の中でいつのまにか私の面倒を自分から見る係になっていたり、高校卒業時に「どんなに少しの事でもアタシに連絡をしてください」という内容の手紙の押しつけという事実を、後になって「それはさーこの気のせいだよ」と、即座にねじ曲げたりするので、私は彼女の事を友人として信用するに値しないと思い、成人後に会った時に彼女が言った「友達になって」という言葉も「いやです」と断りました。
    そうしたら、それを見越したかのように、別れ際にまた彼女の手紙の押しつけがありました。
    自分が傷つかないように、家を出る前から念入りにこのような算段ばかり立てて、私に会う前から、このような戦術?戦略?ばかり考えていて、今この時を自己責任で他人と関わろうとしない、なんて卑怯でずる賢い人、と思いました。
    ちなみに手紙の本文、彼女の最後の言葉が、「さーこは自分勝手で苦労したけど、アタシはアタシの人生を生きる」でしたね。

    • 2013年 1月 19日

    Fさん
    >ただ、みさんの言葉の端々に現れる攻撃的な部分が自己中心的に見えたし、その善意が<無自覚の>お世話なのではないかという可能性を指摘しただけです。
    このやんばる先生のブログにお世話になって2年過ぎ、無自覚であるなら何も学習していないということになりますが、そのように見えますか。
    もちろん、まだまだ合理的ADHDに移行していく道半ばで一進一退ですが、小さな一歩ですが、進んではいます。
    Fさんにこれだけ言ってきたのは自己突っ込みの部分、「人に言える立場か」によるものです。相手がおかしい、相手が悪いという思考に陥っているとき、相手の世界観、価値観をわかろうとしなくなっている状態なのです。自分の視野が偏狭になっていることをわずかに意識しながらも、それを認められなくなっている、それがジャイアンの愚かなところです。そして、ジャイアンは言葉尻を捉えて攻撃したり、屁理屈をこねたりするのです。Fさんのコメントにそれらが表れていました。
    合理的な衝動統制のしかたをインストールすること、これはたとえば、相手から指摘された事に反論したくなる衝動を、ちょっと待てよ、すべてを否定されているわけではなく、ある部分において意見されているのではないか、これはうまく運んでいくためのヒントではないか、と捉えなおすことや、目的を達成するためにここはまず引っ込んでおこうと考えること、があろうかと思います。ADHDは利用する。自分の目的を達成するために、相手の頭を借りることもよいでしょう。その目的がダークなものでなかったら、人は力を貸してくれます。そのために合理的な衝動統制をする必要が出てきます。
    私は、偏屈者宣言をし、発達障害者の診療にあたっているやんばる先生の繰り出すブログの言葉をもとに、よりよく生きるための学びをしています。私はこのブログのコメント欄で、やんばる先生に盾ついたことも、屁理屈をこねたこともあります。お叱りを受け、助言をいただき、ぼちぼちですが合理的な衝動統制を身につけようとしています。依存的な衝動統制よりも合理的な衝動統制のほうが、楽なのです。情緒的にも落ち着きます。それをぜひ、Fさんも経験してほしいと思います。胃を壊さなくなりますし、自分のやるべきことに集中できます。

    • F
    • 2013年 1月 19日

    さーこ(AS)さんへ
    そうですね、<戦術>というより<戦略>という表現のほうが正しいかもしれません。
    上手く運ぶための<小手先の操作>ではなく、<戦局的に有利に運ぶため>の。
    小手先の操作は、私にもできると思います。
    ただ、戦局的に有利に運ぶための(勝つための・陥れるための)方策は、考えもしないことが多いと思います。たぶん。
    お友達も「同じものを返す」という表現を使ってらっしゃったんですね。
    あくまでフェアでいたいのだけど、投げた人の意図と受け止めた人の解釈が同じとは限らないのが難しいところです。
    そのたびにがっかりしたり、「もういいや」という投げやりな気分になります。

    • F
    • 2013年 1月 19日

    みさんへ
    >このやんばる先生のブログにお世話になって2年過ぎ、無自覚であるなら何も学習していないということになりますが、そのように見えますか。
    無自覚に見えます。
    ただ、何も学習していなかったのかどうかは、私にはわかりません。
    みさんはもちろん、努力をされたのでしょう。
    私は現時点の私の感想を述べただけです。
    (みさんはこの言葉を読んで、また怒るでしょうね。不愉快な人間ですみません)
    みさんの言葉は、ちぐはぐでやはりよくわかりません。
    「この話、ずいぶん前にもしましたね。」と誘導してみたのですが、どうやらご自身の言葉を覚えていらっしゃらなかったみたいですね。
    >Fさんは私に依存されていると思っているのですね。そうかもしれませんね。(9/6のコメントより)
    >私は私の欲望で、あるいはFさんに共依存しようとして、あるいは矯正しようとして、こんなことを言っているのではありません。(1/12のコメントより)
    途中で「Fは自閉症圏かもしれない」とぽろっとこぼし、かと思えば「いや、ジャイアンだ。今までのコメントからそう判断した」と断言し、一貫性のなさを追及されても無視。
    そうですね。ここまで言い続けてきたのだから、私がジャイアンじゃないとまずいですね。

    • F
    • 2013年 1月 19日

    みさんは私の答えをしつこく求める態度が「即答えを求める、これは待てないADHDの傾向です。それは自ら考えない、依存の姿でもあります。」とおっしゃっています。
    みさんへの丸投げ依存の態度によるものと思っているようですが、これは全然違いますよ。
    「私は貝になればよいのですか?」と取り乱したふうに書いたのも、演技です。
    しつこく食い下がった理由を書くと、みさんが激怒するのが見えているので、書きたくありません。
    みさんなら、書かなくても私の意図がわかるはずです。
    みさん、私はずっと待っていたのです。ずっと。
    でも、もうやめたほうがよさそうです。
    いつも意味不明な人(自分には理解できない人)とやり合うたびに、「あなたの見方(世界)を私に適用しないでください」と思うのです。
    「そうじゃない、そうじゃないんだ」って。
    今回もその言葉を思い出しました。
    残念ながら今の私には受け入れられません(みさんのおっしゃるとおり、単に「受け入れたくない」のかもしれませんけど)が、みさんのいくつかの言葉は私の中にずっと残っていくと思います。
    たくさんの言葉と時間をありがとう。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 1月 20日

    Fさんへ
    コメントありがとう。
    言葉で説明されて、少しだけ彼女の事が理解できた気がします。
    >あくまでフェアでいたいのだけど、投げた人の意図と受け止めた人の解釈が同じとは限らないのが難しいところです。
    >そのたびにがっかりしたり、「もういいや」という投げやりな気分になります。
    人間ですからそのような気持ちになることもあるでしょう。
    でも、だからこそ「考える」のではないですか?
    合っているか間違っているか、同じか違うか、有利か不利か、ではなく、考えようとする事そのものに意味があるのですよ。
    論理と言語の正しい筋道によって、考えるやり方を一度覚えてしまうと、考えるのってなんて楽しいんだろう、って、私は今思っていますよ。

    • 2013年 1月 20日

    Fさん
    >私は現時点の私の感想を述べただけです。
    感想を述べただけであることはわかっています。その上で、貴方の評価と自己評価は違う、ということです。貴方の評価を私は適用しない。
    件の彼女に年上であることを尊重することに抵抗がありますよね。その前に価値を示せと。彼女なりの発達があるはずです。貴方は現時点でしか見ないのですか。時間軸を考える視点をもてませんか。もしくは想像することが困難ですか。
    >「この話、ずいぶん前にもしましたね。」と誘導してみたのですが、どうやらご自身の言葉を覚えていらっしゃらなかったみたいですね。
    スルーしたのですが答えましょう。覚えていましたよ。
    >Fさんは私に依存されていると思っているのですね(私の発言)。そうかもしれませんね(Fさんの発言)。(9/6のコメントより)
    >私は私の欲望で、あるいはFさんに共依存しようとして、あるいは矯正しようとして、こんなことを言っているのではありません。(1/12のコメントより)
    そのあとに、
    >みさんが欲望という悪意(明確な意思を持って)から、そうしているわけではないことは重々わかっています。でなければこんなに長い間、私の話に付き合ってくださるわけがありません。
    と、書かれています。一貫性がありますか。私はFさんに一貫性がないと書いていませんが、Fさんが私に一貫性がないというので、ならばFさんはどうなのでしょうと思い書いてみました。人に言えることか?ということです。
    >そうですね。ここまで言い続けてきたのだから、私がジャイアンじゃないとまずいですね。
    私は自己認識はどうかと書いていました。自己と他者の認識の違いを区別することができませんか。
    >「私は貝になればよいのですか?」と取り乱したふうに書いたのも、演技です。
    なぜ演技をする必要があるのですか。ボーダー様です。私はそのような駆け引きに応じません。
    >みさんなら、書かなくても私の意図がわかるはずです。
    私は貴方ではありませんから、貴方の意図がわかるはずがありません。自己と他者の区別はできていますか。
    >いつも意味不明な人(自分には理解できない人)とやり合うたびに、「あなたの見方(世界)を私に適用しないでください」と思うのです。
    貴方もまた意味不明な人です。

    • 2013年 1月 20日

    間違えました。
    >Fさんは私に依存されていると思っているのですね。そうかもしれませんね。(9/6のコメントより)
    これは私の発言でしたね。私には不注意があります。すみませんでした。
    ただ、わかっていただきたいのは、私は件の彼女に二次障害を重篤にしてほしくない、と思っています。Fさんとのやり取りを通じて、今のFさんではその可能性があると考えています。ですからここまで言っています。さーこさんのように不愉快な思いを抱くようなことを件の彼女にしてほしくない、そう思います。自閉症スペクトラム障害の人々はトラウマになることがあります。トラウマのきっかけがジャイアンであることもしばしばです。害なのです。

    • 2013年 1月 20日

    一つ、ASの生徒の話です。家庭で暴言・暴力を受けて育ちました。彼はすでに暴力を振るわれていませんでしたが、トラウマに苦しめられていました。周囲の人の言葉に反応し、そこからフラッシュバックによって泣きながら暴力をふるうことがしょっちゅうでした。記憶がよみがえってしまう、これは大変苦痛なことです。
    彼らの特性を理解しないかかわりは、重篤な二次障害をもたらします。暴言・暴力だけではありません。過干渉や過保護も同様です。彼らの世界を理解したうえでかかわらないと、生涯にわたって影響を与えることになります。

    • ちひろ
    • 2013年 1月 20日

    >Fさま
    「100%の理解と受け入れを求めた」けれどそれは不可能と知った。知ったけれど、今の自分ではやっぱり納得できないまま・・・・
    そういうことですよね。
    でも、Fさんにとって良い終わり方になったんだと思います。それがわかったのですから。

    • ちひろ
    • 2013年 1月 20日

    ああああ。しまったああああ。
    考え込んでいるうちにタイミングを逸してしまった・。゚(゚´Д`゚)゚。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 1月 20日

    みさんへ一つ、コメントです。
    YANBARU先生の「AS被影響症候群」という記事をご存知ですか。
    私は、「AS被影響症候群状態のADHD」があるのならば、
    「ADHD被影響症候群状態のAS」もありうるかもしれないと考えています。
    つまり、ADHDとASのどちらが悪い、どちらが害だとは、言えない気がするのです。
    aromatherapyの言葉を用いると「ホリスティック(全体的・包括的)に物事を考える」というところでしょうか。
    Fさんの言葉に「フェアでいたいのだけど」とありました。
    過去、私はその言葉を彼女から言われたことがあるんです。
    彼女が私の面倒を見だしたのは、それから後になっての事でした。
    つまり彼女は、「自分一人ではどうしようもなくなって」そのようになった(面倒を見始めた)、とは考えられないでしょうか。
    私は運よく自我の輪郭を保ちながらここまで来ることができました。
    みさんも、今現在のご自分のお力を認め、現実としてご自分の本来のお仕事に精進する事をお祈りしておりますよ。

    • 2013年 1月 20日

    さーこさん
    「AS被影響症候群」のエントリは、以前読みました。AS被影響症候群は、AS独特の論理により可能性が一つしかないような気がして袋小路になってしまう状態ですね。「ADHD被影響症候群状態のAS」があるのではないかということですが、天然のADHDならば被影響症候群にはならないであろうと思います。二次障害があるジャイアンADHDがASを振り回す可能性は大いにあります。ただ、それが「被影響症候群」といえるかどうかわかりません。
    「害」と書いたのは行き過ぎた表現だったでしょうか。これは自己突っ込みゆえの表現です。ASの二次障害を重篤にさせてしまうことへの戒め、自分に課しています。ADHDは想像力が障害されているわけではないので、ACから回復したADHDは自分の愚かな姿に自分で容赦なく突っ込みます。その自己突っ込みによって自分にも他人にも厳しくなる。私は以前、AC回復前にASの人にお節介を焼き、関係をぐちゃぐちゃにしました。その経験から、自らが「害」であったことを反省し、自分を戒めています。
    >つまり彼女は、「自分一人ではどうしようもなくなって」そのようになった(面倒を見始めた)、とは考えられないでしょうか。
    これは他人を近くに感じるASのさーこさんならではの視点だと思います。彼女がADHDならば、黙っていられなくて口や手を出すという、お世話したい衝動性によるものだと、ADHDの私は思います。
    フェアというのは、お世話する側とお世話される側という関係を指すのではありません。お互いに助け、助けられるという関係がフェアな関係です。勝手にお世話をするということは、お世話しなければ相手が一人前ではないと勝手に思い込んでいるから、お世話する自分に酔っているからです。とんでもない勘違いです。
    私はASの方にPCの使い方を教わりましたし、PCの不具合の相談にものっていただきました。よく知っているものですね。お互いを尊重できればぐちゃぐちゃにはなりません。ADHDは想像力の不足はないので、AS独特の世界を理解しようと努めることは可能です。ただし、自己中心性への自己突っ込みと、お世話したい衝動への統制、非言語的に操ろうとするボーダー様の傾向などを改善させていることが前提となります。
    さーこさん、コメントをありがとうございます。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 1月 21日

    みさん
    >二次障害があるジャイアンADHDがASを振り回す可能性は大いにあります。ただ、それが「被影響症候群」といえるかどうかわかりません。
    おおむね異論はありません。私にもそれが「被影響症候群」といえるかどうかはわかりませんのでね。私は人を近くに感じるASなので、その発想からが出発点になるのはどうしようもない事なのです。ですので、ADHDに関する余分な私の視点は差っ引いてくださってかまいません。
    考えてくださって、ありがとうございます。
    >AS独特の世界を理解しようと努めることは可能です。ただし、自己中心性への自己突っ込みと、お世話したい衝動への統制、非言語的に操ろうとするボーダー様の傾向などを改善させていることが前提となります。
    みさんに言うまでもないと思いますが、ただしこれらの実現には、定期的に、苦労と困難を伴う適切な訓練や、時間をかけて環境を整える…など、他にもありますが、なにより「現実には」時間がかかりますよね。
    そう。「現実には」、なんですよ。
    人間は、永続的に超人的努力ができるわけではないのです。
    それに、自分の中に流れる時間を感じにくくなっていれば、他人にも無意識に強迫的に接してしまいがちです。
    みさんには、自分の中に流れる時間をゆっくり確認する、リラックスする時間を定期的にもうけることをおすすめしますよ。腹式呼吸でゆっくり息を吸って吐く事や、自分の好きな香りの芳香浴も、おすすめです。
    ちなみに私は、腹臥位の足裏から仰臥位のデコルテまで、全身トリートメントができます。たまにはリラックスする時間も、大事ですよ。

    • 2013年 1月 21日

    さーこさん
    「被影響症候群」について、ASとADHDの見方の違いが見事に表れているなと、対比のような形で書いてみました。面白いなぁと思っていたのです。
    >なにより「現実には」時間がかかりますよね。
    >人間は、永続的に超人的努力ができるわけではないのです。
    そうですね。発達障害者は人一倍時間がかかるし、苦労や困難をともなう努力が必要です。しかし、目を背けていては進みませんね。わずかな一歩でも進めていければよいと思います。
    アロマテラピー、よく勉強されているのですね。ベッドサイドにはなんらか香りを置くようにしています。
    医療現場ではアロマテラピーを取り入れたケアが行われるようになっていますね。ホスピスでは気管拡張の効果があるハーブを使った処置を行ったりしました。ICUでも精神安定に試されているようです。
    さて、さーこさんにお勧めされたので、香りを変えてみようかな、と。明日お店を見てみよう!

    • F
    • 2013年 1月 25日

    みさんへ
    >ここまできてのび太とは言えないよなぁ、見事にジャイアン性を発揮していらっしゃいますもの。
    私に向かって「医師じゃないのに彼女のことを診断するな」と言いつつ、ご自身はそれをしますよね。
    みさんはいろいろ無自覚でいらっしゃると思いますよ。
    そして『根拠』がこうなので、その後の助言にも疑問がわく、という話です。
    これ以上はたぶん水掛け論なので終わりにしますね。
    それから、御心配のことにはならないと思います。
    彼女の『空っぽさ』(場当たり的に謝るが何一つ理解していない)を強く認識する事件がありました。
    「迷惑をかけました、すみません」と謝る彼女を見て、私は「彼女には悪意はないが根本的にわかっていないのだ」と感じ、「謝ってほしいわけではないのです。ちゃんと理解して欲しいのです」と(事件の概要と周りの人の立場や考えについて)丁寧に説明しました。
    しかし・・・その後の態度を見ていると、何一つ理解していないことがよくわかりました。
    「彼女には丁寧に説明しても何も伝わらない、そして自分の頭で考えない」「わかりませんと言えば、いつまでも許してもらえると思っている」と私も周りもうんざりしています。
    「わかっていないのにわかっているふりをする・とりあえず謝る」という態度は、私には欺瞞で不誠実に見えます。
    しかし学習できない彼女は、この先も何度も同じ失敗を繰り返すでしょう。(そしてそのたびに謝って済ませるでしょう)
    彼女は今までずっと面倒見のいい誰かにぶら下がって(依存して)生きてきたのだと思います。
    それで本人が何の疑問も抱かないのなら、(周りから人が去って行っても)それで幸せなのではないでしょうか。

    • F
    • 2013年 1月 25日

    さーこ(AS)さんへ
    考えるのをやめるという話なのですが、ちょっとややこしいところがあって、
    まったく意味が通じない(気分で物を言っている・底が浅い)と感じる人は、あっさり<未解決のボックス>に放り込んで忘れることができます。
    けれど、理解したいと思う人のことは縁が切れても(話さなくなっても会えなくなっても)ずっと考え続けてしまうのです。
    受動型ASだと思う彼のことは、今でも毎日考えます。
    そして急にあのときの意味不明な行動が腑に落ちたりもするのです。
    もう話すこともないのですから、今更理解できてもどうにもならないのに。
    そして仮に相手を理解できたとしても、先方から同じ理解が返ってくるとは限らない。
    <同じもの>を求めてしまう私には、しんどいことです。
    ちひろさんへ
    自分は良かれと思ってやったこと(相手のためを思ってしたこと)だけど、理解してもらえなかったとき、がっかりするけどしょうがないと呑み込むこと、と言えばいいでしょうか・・・。
    別のエントリで書いたのですが、私は昔から子どもが欲しいと思ったことがありません。
    あるとき母が婦人科検診の結果を聞きたがったので、「子宮が奇形だった」という話をしました。私は聞かれたことに答えただけですし、子どもがほしくないので子宮が奇形だろうがまったく気にしていませんでした。
    母は「母さん責任を感じる、ごめん」と謝ってきました。
    私は非常にショックを受けました。
    母が意図的に私を奇形に産んだのなら母に責任が発生しますが、そうではないのですから、母に責任はありません。
    母を責める気はなかったのに悲しませたこと、謝られたことで自分はかわいそうな存在なのだろうかと、混乱しました。
    そういう対人上の「失敗経験」を繰り返した結果、「意味がわからない」「話したくない」「関わりたくない」と消極的になってしまった感じです。
    その消極さをやめて深く関わろうとすると、大抵火傷します。(受動型ASの彼のときのように)
    もちろん火傷したとしても自分がしたことですから後悔はしませんが、私には「考える」で留めるのが関の山です。
    近づきすぎると混じってしまいます。

    • 2013年 1月 25日

    Fさん
    彼女には悪意が感じられないのですよね。
    しかしながら、Fさんは欺瞞で不誠実に見えるのですね。
    「欺瞞」はあざむくこと、だますことです。最近、欺瞞に関する書物を読みました。
    『暴かれる嘘 虚偽を見破る対人学』P・エクマン著 工藤力訳編 
    『市場における欺瞞的説得 消費者保護の心理学』 D.Mブッシュ M.フリースタッド P.ライト 安藤清志・今井芳昭監訳
    『暴かれる嘘 虚偽を見破る対人学』で書かれていたことです。
    「被害者を欺くのは計画的である」
    「虚言者は、意図的に被害者が誤解するように仕向けるからである」
    嘘のやり方「本当の情報を教えない隠蔽と、虚偽の情報をまるで本当のように呈示する偽装である」
    彼女が計画的・意図的にFさんを欺いているのであれば欺瞞といえます。彼女は計画的・意図的にそうしていますか。
    もし彼女が計画的・意図的に欺いているのでなければ、それは欺瞞ではなく障害によるものである可能性が高いです。
    欺瞞への対処方法と、障害への対処方法が全く異なります。まず、そこを見極める必要があります。
    欺瞞に対して、『市場における欺瞞的説得 消費者保護の心理学』では、
    「ターゲットが自らの思考過程や第三者からの情報によって、担い手の単一の行為もしくは一連の行為が「欺瞞的」だと考えたり疑念を抱いたりすれば、そのことが欺瞞の意図された効果を骨抜きにし、担い手による全体的な説得の試みを弱体化ないし無きものに等しいものにしてしまうことになる」と書かれています。
    障害に対しては、労働者の管理責任のある立場の人、つまり院長とご本人が面接し、業務に支障が出ていることをご本人に伝え、受診を勧めるといったことが必要です。(前から上司に相談することを書きましたし、職場衛生の管理者にとも書きました)
    認知機能に障害があるのは、何も発達障害だけではありません。交通事故等の後遺症や脳血管障害の後遺症といったことも考えられます。既往歴はご本人から確認されたのでしょうか。

    • 2013年 1月 25日

    つづき
    医療を行う職場にいるのでしたら、医療のものの見方を知ってください。診察において、患者さんの主訴、症状から想定される疾患を絞り込み、それをもとに検査(主訴や症状から必要だと考えられた検査)を行い、それらを総合して診断へという流れがあります。そして、診断すればよいのではなく、治療して治る、あるいは維持する、よりよき生を営めるようにする、といったその人の「生きる」ということに責務があります。
    Fさんは、『空っぽさ』を二重かぎかっこで強調しました。そして、「彼女は今までずっと面倒見のいい誰かにぶら下がって(依存して)生きてきたのだと思います。」「それで本人が何の疑問も抱かないのなら、(周りから人が去って行っても)それで幸せなのではないでしょうか。」と書いています。
    Fさんは、ADHD当事者の先生のブログで、発達障害者がコメントするこの場で、このように書いていったい何をしたいのでしょう。私は、私の職場は、発達障害疑いの者によって迷惑を被っている、私は丁寧に説明しているのに発達障害の疑いのある者は欺瞞のようにみえる、人に依存して迷惑をかけて、それでいて迷惑を顧みずに幸せなのではないか、ということを言いたいのですか。発達障害疑いの者に迷惑であることを理解せよ、と言いたいのですか。
    上司がおかしいといい、相談はできないという。迷惑かけられたくないなら、相談できないなら、転職すればよいでしょう。自分の納得のいく職場がなければ孤独になればいいのです。他人と関わらなければ迷惑をかけられることもありません。これは現実的な解決策です。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 1月 25日

    Fさんへ
    「あなたはなぜ、<同じもの>を求めてしまうのでしょう。」
    おそらくこの辺りからでしょうかね、あなたが自分に問い、考え始める事とは。
    時間をかけて自分を観察し、洞察し、「自分の物事の捉え方や、人を捉え認識する傾向、自分の認識の仕方とは、一体どのようになっているのか」、という事から、まず先に、じっくりと考え続けてみてください。
    私に言える事は、これだけです。
    あなたが自分で「今まで気づかなかった自分の事に、気づいたかも」、と思えた時に、また書き込みしてみてくださいね。

    • F
    • 2013年 1月 25日

    みさんへ
    彼女に悪意がないこと(わざとやっているわけではないこと)はわかっています。無自覚であることも。
    その話は本当に、もうずっと書いていますよね?
    彼女が「変わった」人であることも最初から一貫して書いています。つまり障害ではないかということくらい、最初から考えているのです。
    だからこそ彼女は何が何だかわからないうちに孤立するのではないか?とずっと心配していたのです。
    それから院長は彼女のことを気に入っています。
    (彼女のことを「よいですね」と吹き込む人がいるので)
    6か月経ってごく基礎的なことについて彼女が「わかりません」と言っても院長は「あなたは慣れてないから」とかばいますし、自分の評価に全く疑問を抱きません。
    彼女と一ヶ月しか違わない人には非常にきつく当たります。
    先日彼女が困っていたのでこっそりフォローをしたのですが、彼女がその件を『正直に』院長に伝え、私だけずいぶんと院長に怒鳴られました。
    彼女は「よくわかりません」でお咎めなしです。
    この件で私は院長からロックオンされましたし、非常にばかばかしくなったので、すでにいつ辞めようか考えています。
    「入職もあまり変わらないし、だいぶ年上なのでいろいろ言いにくいです」と言うと、「Fさんが先輩なんだから言っていいのよ。あなた、彼女に気を使いすぎ」と言われます。
    私の周りの(たぶん多数派の)人たちは、みさんとはまったく違う反応です。
    私は、現実の彼女と私を知っている人の話をより聞くべきだと思います。だから、あなたの意見は参考意見で留めます。
    私にはその自由があります。
    >発達障害疑いの者に迷惑であることを理解せよ、と言いたいのですか。
    そもそもこれは彼女の問題であって、ASの方全体の話ではありません。
    ここに集う人たちは何かしら違和感を感じてやって来たのだし、ここに居続けることを選択したのでしょう。
    変わろうとする人は変わるでしょうし、気付かない人は変わらない、それだけのことです。
    話を全体に膨らませて、ASの人全員を人質を取って、正論らしきものを吐くのは、やめてください。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 1月 26日

    私は障害開示をして就職しています。
    障害者雇用で雇用していただいており、院長は私の調子をよく見てくださっています。声掛けも頻繁にあります。おかげさまで孤独を感じることはあまりありません。
    ちなみに院長判断で、私が発達障害者だという事は上の人間数名と現場の最年長(おそらく60代くらい)の人しか知りません。
    もうすぐで3カ月が経ちますが、Fさんの職場の話とは雲泥の差です。
    障害開示をする前は、(AS的人の近さにより)職場で働く同僚が自分の事をどういう感情を持って評価して見ているかに終始するあまり、評価を気にして萎縮してしまい、仕事に打ち込むという事ができにくかったのですが、
    障害開示をしてから「私はこういう(AS的)傾向をもっているのは事実だ。だから、私には出来にくい事が出てきても、その事実をしっかり見よう」と腹をくくりました。
    最近は苦手なコミュニケーションでも正確に伝わるよう表現に工夫をこらし続けたり、責任を人任せにせずに常に模索と工夫、改善の姿勢と発言をする私を、院長の他には特に先輩が認めてくださって、私に助言をしてくださるようになりました。
    ところでFさんは、精神科を受診したことはありますか?
    誰の話を読んでも、<同じもの>ではないから、自分の気に入る同じものを探して自分だけが理解できるように自分で理屈合わせをしているだけでは、Fさんにとっての意味不明な人間を排除するという現状になるだけです。
    それでFさん、「あなたが何の疑問も抱かないのなら、それで幸せなのではないでしょうか」ね。

    • JET
    • 2013年 1月 26日

    さーこさん
    さーこさん教えてくれませんか。
    Fさんは医療機関で診断をつけてもらうか、つけてもらわなくとも、心理士と一緒に考えたほうがいいのではないかと思うが、さーこさんはどう思いますか。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 1月 26日

    JETさん
    私は診断後、大学病院内にいる臨床心理士さんとお会いして、一度だけお話しした事があるのですが、当時、私の精神状態が一定の段階にまで達してなく「対話をすること自体が危険である可能性がある」という説明をされてしまい、臨床心理士さんへの予約をすることを断られてしまった事があるんです。
    今、私は別の病院に転院しているという形にはなりますが、ずっと同一人物の精神科医に診ていただいております。
    今の病院には臨床心理士さんはいないようで、過去に医師から聞いたところによると「この病院では臨床心理士によるSST(ソーシャルスキルトレーニング)など、そのようなサービスはやっていない」という事でしたので、私はがっかりした事がありましたね。
    それと…。私は「独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構 障害者職業センター」の相談員とも、過去にトラブルを起こしております。
    診断後にずっと相談をしてきていたのですが、障害開示をして働くようになる数年前から行かなくなりました。
    あの施設で一番得たのは、「職業準備支援(発達障害者コース)」での基礎的トレーニングでしょうか。
    「JST(職場対人技能トレーニング)」など、かなり昔に施設内でやりましたが、応用力が乏しいと自分で自覚している私の目には、職員さんが、ただ私たちに、決まった型だけのロールプレイやフィードバックをさせているだけように私の目には映り、(当時、職員さんはそれほど危機感をもって熱心にやっているようには思えなかったので)、実践の中で繰り返し反復したり、反応を返してもらって、自分で自分を何度も振り返り考える事が大事なのではないのかという事は自分で調べるに至りました。
    2年前に通っていた職業訓練校でも、自己理解ワークやストレス対処、問題解決技能トレーニングや、モデリング、ロールプレイ、フィードバックなどは授業で出てきていたので、他の定型発達のみんなは何のためにこんな事をやるのかイマイチよくわかっていなくても、私には再度実践するチャンスだと思って、大まじめに授業に取り組みましたよ。
    (つづきます)

    • さーこ(AS)
    • 2013年 1月 26日

    (つづき)
    今現在、私が最も頼りにしているのが、「ハローワーク 精神障害者雇用トータルサポーター」の相談員の人です。精神障害者だけでなく、一般の人からの相談も受けつけていると最初に言っていました。
    予約をすれば、毎回1時間程度の時間を設けてくださるありがたい所です。でも、<同じもの>を求めて行くところではないような気がしますね。
    私は最初「雑談をしましょう」と言われたところから対話が始まりましたが、回数を重ねるにつれて、自分の落としどころや納得の箇所はどこなのかを探すお手伝いへと相談員さんが変わっていったからです。時に苦しく涙も流しましたが、私は自分で変わる事を望んだので、今では、行って良かったなと思っていますよ。

    • 2013年 1月 26日

    Fさん
    >彼女に悪意がないこと(わざとやっているわけではないこと)はわかっています。無自覚であることも。
    その話は本当に、もうずっと書いていますよね?
    Fさんはよく、このように書きます。思考のくせ、認知の歪みです。
    私も以前はこのように相手がわかっていないと感じ、説明を繰り返したり、「言ったよね」と言っていました。今思うと、相手がわかっていなかったのではなく、相手なりに理解したうえで意見を述べていた、そのことに気が付かなかった自分がいたのです。
    なぜこのようなことになってしまうか、承認してもらいたいという欲求が強いからです。幼少期からずっと自分を受け入れてくれないという、慢性的な承認欲求の充足不全からくるものです。猜疑心が強くなります。私はよく友人から「人を信じていない」「もっと信じたほうがよい」と言われていました。その時は何を言われているのかわからなかったのですが、今はわかります。
    そして、幼少期からずっと自分を受け入れてくれないという、慢性的な承認欲求の充足不全の裏に、いかに親から承認を引き出すかという「生きる術」を、自ら試行錯誤で身に着けます。それが、演技したり、一生懸命説明したり、頑なになったり、なのです。
    >「私は貝になればよいのですか?」と取り乱したふうに書いたのも、演技です。
    Fさんの幼少期、不満があっても「黙っていなさい」とねじ伏せられることが多く、口をつぐまざるを得なかった、といった経験は多くありませんでしたか。無理やり黙らされることでフラストレーションがたまります。それでも幼い自分にとって親は絶対的な存在ですから、自分からそうすることで承認されようとします。しかしながら、おとな同士の関係では、そうした術は通用しません。おとなとして通用する承認される方法をインストールしなければなりません。ACの困難さは、いったん身に着けた生きる術が通用しない現実に直面すること、それを脱ぐこと、適応的な生きる術をインストールすること、があります。

    • 2013年 1月 26日

    つづき
    そして、「尊敬してほしいなら価値を示せ」という考えについて、Fさんは幼少期に欲求を満たそうとするとき、価値を示さなければならなかったですか。たとえばこの大学に入ったら、公務員になったら貴方を認めましょう、それ以外は認めません、という親の意向に従わなければ承認されない、といったことです。すでに貴方はおとなです。職業選択の自由があります。自分が何を言い、何をするかも自由です。その自由を手にしても、幼少期に身に着けた「生きる術」に縛られています。それが、相手に「価値を示せ」ということ、そしてそれを自分が返すということにあらわれています。違う家庭に育ち、違う生き方をしてきた他人に、貴方が身に着けてきた「生きる術」は適用できません。それを理解することが、自己と他者を区別する一歩です。
    慢性的な承認欲求の充足不全は、専門家に話を聴いてもらうことです。やんばる先生のHP、ADHD関連、ADHDのAC続、【ADHDのACの診断および治療】にはACをカウンセリングにより治す、AC認知を丹念に修正し、カウンセリングをすすめていくと、とたんに元気になり、明るくなると書かれています。
    >だからこそ彼女は何が何だかわからないうちに孤立するのではないか?とずっと心配していたのです。
    それから院長は彼女のことを気に入っています。
    (彼女のことを「よいですね」と吹き込む人がいるので)
    彼女のことを「よいですね」と伝えてくれる理解者がいるということですね。であるなら、Fさんは彼女が孤立するのではないかと心配する必要はありません。院長が彼女を気に入っているということは、院長は仕事ができる、できないを重視しているのでなく、心地よく仕事ができるか否かなのではないでしょうか。彼女はその点で職場に貢献していると言えます。
    もう一つ、書いておきたいことがあります。
    やんばる先生のエントリ「ASに似たADHD③過集中」をお読みいただきたいと思います。やんばる先生にも過去、「給料もらっているのならそれくらい当たり前」くらい口を滑らせて私はよく失敗した、という失敗談があります。認知と思考の視野が非常に狭くなった結果、と書かれています。このエントリをもとにご自身のことについて振り返ってみませんか。

    • F
    • 2013年 2月 07日

    >ところでFさんは、精神科を受診したことはありますか?
    ありません。
    >誰の話を読んでも、<同じもの>ではないから、自分の気に入る同じものを探して自分だけが理解できるように自分で理屈合わせをしているだけでは、Fさんにとっての意味不明な人間を排除するという現状になるだけです。
    >それでFさん、「あなたが何の疑問も抱かないのなら、それで幸せなのではないでしょうか」ね。
    後付けの理由(自分の中から見つけたもっともらしい理由)で、納得(つじつま合わせ)している自覚はあります。
    前回のさーこさんとのやり取りから、「もしかしたら、(受動型ASっぽかった彼と同じでいたくないという意識が働いて)自分はADHDでいたかったのだろうか?」と思い始め、またADHDとASの比較表とにらめっこしています。
    すべてがぴったりあてはまるわけもなく、難しいです。
    それからJETさんのおすすめの「ADHDの幻想」と「ASの幻想」を読みました。
    そして、しばらくの間、自分が何故「完璧に」「理解」することにこだわるのかということについて考えていました。
    私には共感が難しいので、相手がどういう思考をしているか、トレースすることで補っているのではないかと思います。
    相手が取り得るすべてのパターンを考えるために、「相手には悪意がないかもしれない」「自分の気のせいかもしれない」可能性を捨てられず、自分からは動けなくなっている(決断できなくなる)気がしています。(いじめのときも同じ)
    ほとんどの人については、どういう反応を返してくるかの予想はつきますが、あまりにも想定から外れた反応(少数派?)が返ってきたときは、<解読(未知のパターンを理解する)>に妙にのめり込んでしまいます。
    その結果<火傷>します。
    受動型ASっぽい彼に関わりすぎたのも、それが原因だと思っています。
    そして彼の「説教」を何時間も聞いているとき、朦朧とした意識の中で、自分が意識のあるまま解剖され、作り変えられていくような、非常に嫌なイメージを持ったことを思い出しました。

    • F
    • 2013年 2月 07日

    情緒的なやり取りに限らず、仕事のことでも、わからないことがあれば、私はしつこく食い下がります。
    「二度と同じ失敗をしたくないから」「要点を明らかにしたい(確認したい)から」「今、恥をかくより間違いがないほうが大事だと考えるから」なのですが、たいていの場合、相手の不興を買います。
    多くの人は、「わからない」と開示することに抵抗があるようです。(「そうすべき明確な理由」を答えられないことに居心地の悪さを感じるようです)
    個人的には「わかりません」と言う人の方が、好感を持てるのですが・・・。
    職場でのその後、ですが、他のスタッフから彼女への苦情があったときは、彼女に直接言ってもらえるよう頼んでいます。
    同僚は「彼女に注意すると『頭が悪くてなかなか覚えられずにすみません』『私は仕事が遅いですよね』というネガティブ発言が多くて、こっちがいじめてるみたいで気分が悪い」とこぼしていました。
    私自身も彼女に「余計なことはしないようにしますね」と伝え、距離を保つことにしました。
    「わからない仕事や電話を他人や翌日(自分が出勤しない日)に回すのではなく、自分で対応してください」と伝えました。
    彼女は突き放さないと(誰かに頼ってしまい)、省エネモードに入ってしまうように見えます。

    • F
    • 2013年 2月 07日

    あとは院長以外の人がどういう印象を持つか、ですね。
    スタッフは20人ほどいますが、ほとんどが女性スタッフで、院長よりも彼女(や私)に近いです。
    彼女に対して高評価なのは、院長に近い常勤の男性スタッフです。
    直接彼女と接することで、どういう印象を持つか?
    私は沈黙を保ち、中立な観察者に戻ろうと思います。
    <同じもの>が返ってこないのだから、いつものように諦めます。
    「この職場に固執せずとも、他の場所でもよい」と吹っ切れたので、気分は楽です。
    みさんおすすめの「ASに似たADHD③過集中」は、以前にも読みました。
    これははっきりと自覚があります。(自分がADHDっぽいと思った根拠の一つでもあります)
    ただ、この症状(?)があるから即ADHDとは限らないのではないでしょうか。
    (AS/ADHDともにあるからこそ「ASに似た」と書かれているのでは?)
    それから、「ASとうまく行かなければ絶対にジャイアン」というわけでもありません。
    (「AS同士は妥協できない」。今年の9月のエントリです)
    私は、大人同士の付き合いならば、どちらかが100%悪いとは思いません。
    仮にジャイアンに利用されたのだとしても、利用されていることを見抜けなかった(ぬるま湯につかった)責任は発生すると考えます。
    私はもう一回自分の思い込みをリセットして考えているところです。
    ところで、「貝~」については、ジャイアンっぽさを演出してみた(みさんが「Fがジャイアンであること」にこだわるので)のですが、残念ながら通じなかったようで。
    冗談なので軽く流してくださいね。

    • JET
    • 2013年 2月 07日

    >Fさん
    このブログ内の事実と行為という過去記事についたコメントに、
    written by アールグレイ / 2008.02.09 18:24
    さんのペアトレについて書かれたコメントがあります。
    Fさんがちひろさんにあてたコメントの内容が似ているように思います。目を通されてみては。

    • 2013年 2月 07日

    Fさん
    過集中から抜け、落ち着いてきたようですね。
    また誤解されてしまいましたね。私が「ASに似たADHD③過集中」をすすめたのは、「給料もらっているのならそれくらい当たり前」となってしまう状況は、思考の視野が非常に狭くなった結果なのですよ。それで失敗するのがADHDですよ、ということです。思考の視野が非常に狭くなった結果、ADHDもASと似てくるということです。
    Fさんをジャイアンだと思ったのは、以前にも書いたのですが、2年ここで勉強させていただいたうえで、Fさんご自身で書かれたコメント(利用のことやその他の情報)を読み、ここでのやり取りからそう思ったのです。けして、参考エントリから導いたのではなく、「ASとうまく行かなければ絶対にジャイアン」と思ったわけでもありません。もし、そうだとしたら「短絡的」な思考回路でFさんをジャイアンに仕立てたことになりますが、そうではありませんよ。そんな短絡的な思考回路だったら医療現場で起こるさまざまな問題に対応できません。(怒)・・・呆れ気味
    >仮にジャイアンに利用されたのだとしても、利用されていることを見抜けなかった(ぬるま湯につかった)責任は発生すると考えます。
    意味不明です。Fさんを利用して何の得になるのだろう? 全くならないでしょうね。利用の対象外です。それにしても、この発想がやっぱり意味不明だ。切り捨てよう。

    • 2013年 2月 07日

    でもやっぱり。
    冷静に考えてみると、FさんはAS的。
    >私には共感が難しいので、相手がどういう思考をしているか、トレースすることで補っているのではないかと思います。
    相手が取り得るすべてのパターンを考えるために、
    全てのパターンなどADHDは考えない。
    >あまりにも想定から外れた反応(少数派?)が返ってきたときは、<解読(未知のパターンを理解する)>に妙にのめり込んでしまいます。その結果<火傷>します。
    人を近くに感じるということか。
    >「二度と同じ失敗をしたくないから」「要点を明らかにしたい(確認したい)から」「今、恥をかくより間違いがないほうが大事だと考えるから」なのですが、たいていの場合、相手の不興を買います。
    しつこさはAS。ADHDにはない。
    >同僚は、『頭が悪くてなかなか覚えられずにすみません』『私は仕事が遅いですよね』というネガティブ発言が多くて
    件の彼女はのび太に見える。
    とすると、ASがのび太ADHDに世話を焼いている構図だったのか。
    のび太の自己評価がもともと下がっていて、それに追い打ちをかけていた、ということか。のび太に完璧は求められない。むしろ自己評価が低下する。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 2月 07日

    Fさん
    「トレース」というのは、AS的な発想だと思いますね。
    私は昔、二次障害やACがひどかった時に「トレース」という発想を思いつきましたが断念しましたからね。
    >あとは院長以外の人がどういう印象を持つか、ですね。
    院長以外の人が、あなたの言うその彼女にどういう印象を持っていようが、仕事においてはどうでも良い事ではないですか。
    厳しい事を書きますが、むしろ職場の現場の事態をこじらせた「あなた」に対して、院長以外の人間がどういう印象を持っているか、考えたことはありますか?
    >私は沈黙を保ち、中立な観察者に戻ろうと思います。
    ><同じもの>が返ってこないのだから、いつものように諦めます。
    ”<同じもの>を諦める”という「自己満足な理由」では、「中立な観察者にはなれません」よ。
    あなたは、他人の事より自分の事ですかね。
    「人の振り見て我が振り直せ」。この、ことわざを書いておきます。
    ふと思ったけれど、二次障害やACのあるAS的な人は、ADHDさんから”しつこい”と呆れ気味に怒られてしまう傾向にあるのかな( ̄- ̄;)
    私は、ADHD母から「くどい(しつこい)」という表現をされた事がありますけれどもね。
    時間が経てば、他人の状況や事情は変わり、自分に関わっていた人間の気持ちは変わっていきます。それは、仕方のない事であり、当たり前の事です。
    Fさん、あなたに長い時間かけて一生懸命付き合ってくださった、みさんに「話が違う」と言って、これ以上食って掛からないようにね。
    あなたは感情の爆発により自分の言葉に対して全く責任を取ってきてはいないけれど、みさんは充分、あなたに対して自分の言葉の責任を取ってきていますよ。
    断言しますが、あなたは「中立な観察者ではありません」。そのような思い上がりの姿勢を捨てられない限り、冷静な思考はできませんよ。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 2月 08日

    追記で書き加えますね。
    >そのような思い上がり(あなたにとって呼吸をするかのごとく自然で当たり前)の姿勢を捨てられない限り、冷静な思考はできませんよ。
    以前Fさんは、みさんに「だいぶ色眼鏡で見られているようで困惑しています。」と書いていますね。written by F / 2012.09.02 01:20 の記事です。
    Fさんは、この時点からすでに「自分の物事の捉え方こそ”当たり前”なのだ(私にとって自然である)」と、自分の認識(捉え方、という形態について)を疑っていないように思えます。
    「他人について述べる前に、自分の認識についてまず疑っていない、問わない、考えない事」、それが私の言う「思い上がり」です。

    • JET
    • 2013年 2月 08日

    Fさんの同僚の彼女はお姫様症候群だった人ではないか・・。

    • JET
    • 2013年 2月 08日

    Fさんの同僚の彼女はお姫様症候群だった人ではないか・・。

    • さーこ(AS)
    • 2013年 2月 09日

    JETさん
    私は診断が確定し障害者雇用されるまで、他人の依存や共依存に振り回される人生でした。
    自分の意図が自分の思ったように相手に伝わらない、相手の都合の良いように振り回される、なぜか相手に対して奴隷のようになってしまう…。いつも「何かおかしい」「なんでこうなってしまうのだろう?」と思っていました。
    >Fさんの同僚の彼女はお姫様症候群だった人ではないか・・。
    実際にお姫様症候群かはわかりませんが、私は依存や共依存について、考える意味や余地は充分あると、個人的には思っています。
    重要なコメントをどうもありがとうございます。

    • JET
    • 2013年 2月 09日

    同じコメントを並べて強調したのではないんですよ^^
    手がすべってしまいました。
    Fさんの同僚の彼女は仕事は慣れないようだが何かのスキルがあって生きてこれたということでひとつ可能性として思いました。
    または就業経験の無い主婦だったとか。
    >自分の意図が自分の思ったように相手に伝わらない、相手の都合の良いように振り回される、なぜか相手に対して奴隷のようになってしまう…。いつも「何かおかしい」「なんでこうなってしまうのだろう?」と思っていました。
    さーこさんのこういうとこは、このブログ内でyanbaru先生がよく書かれている、ASの人の「人を近く感じる」所以なんでしょうか。さーこさんは「さーこさんらしい」を追求していけば大丈夫なんではないかな^^

    • さーこ(AS)
    • 2013年 2月 10日

    JETさん、ありがとう^^

    • F
    • 2013年 2月 23日

    JETさんへ
    過去の記事をASの部分を中心にもう一度読んでいたのですが、受動型と依存型ジャイアンを見分けるのは難しいみたいですね。
    外から見るとどちらも「利用」にしか見えません。
    こうなると、うちの母もどっちなのかわからなくなってきました。
    同僚も指摘してたんですが、彼女はちょっと被害妄想気味(お前が言うなと言われそうですが)なところがあります。
    (前回の飲み会のとき彼女のための送迎があったのですが、今回はないという話を聞いて)「私、来なくていいって意味だろうか」とぶつぶつ独り言を言っていたそうです。
    みんなで決めたミーティングの日も、後になって「その日はちょっと」と幹事ではなく私に言ってきて、「何故私に言ってくるのか?」と悶々としました。
    「じゃあみんながあなたに合わせるから、自分で決めて」と彼女に日取りを任せると、自分のダメな日をメモを書き連ねて誰かに決めてもらおうとした挙句諦めて、「最初の日でいいです」という結論になりました。
    主婦ですが、職場は転々としてらっしゃいます。
    ペアトレ読んできました。ありがとうございます。
    確かに似てます。
    しかし、JETさんの記憶力はすごいですね。
    全部の記事とコメントを覚えてらっしゃるんですか?

    • F
    • 2013年 2月 23日

    みさんへ
    みさんとやり取り、それからASの方のコメントを読んで、自分で「おや?」と思ったのは自分自身の「理解」に対する態度です。
    さらに過去記事を読んで、ちょっと頭を抱えました。
    (すべてをみさんのせいにするわけではないですが)
    みさんが何度か「支援教育に携わってきた」と書かれていること、そして2年間このブログで勉強してきて、ご自身がジャイアンだと自覚していらっしゃるという点から、私は「みさんはADHDでもASでも理解できる人なのだ」と思いました。
    みさんの自信が、私には確信に見えてしまったと思います。
    「私にはわかる」というみさんの自信にあふれた様子を、私は「ああ、この人は<100%><わかる>んだな」と誤解したってことです。
    (この100%の理解を求める態度は、ADHDには強迫に見えるみたいですね)
    勝手に誤解してすみませんでした。
    ただ、相手が何者か確信できないのなら「私には(これだけ経験があるのだから)わかるのよ」という態度はやめた方が、お互いのためだと思います。
    これは「強迫」ではなく、「おすすめ」くらいの意味で取ってください。
    例えばこの発言をすることでこの人と縁が切れるかもしれない、この場を去ることになるかもしれない、そういう予測をした上で「でも、やる」と決めて突っ走ることなら、つい先日やりました。
    そしてどうして自分がここまで強情になるのかを考えていて、ああこれが「こだわり」ってやつなのかもしれないと思いました。
    私の場合は「明文化されたルール(法令)」にこだわりがあるみたいです。
    ASの解説を読んでいると「覚悟」だとか「命がけ」という言葉が出て来るので、私はASってもっと悲愴な決意のもとに生きている人たちだと思っていました。
    (この表現、不愉快に思うASの人がいたらすみません)
    私の場合、合わないのなら、「自分をもっと高く買ってくれる人(場所)を探すだけ」です。
    この程度のことで「覚悟」なんて仰々しい言葉を使うだろうかと、今でもしっくりは来ません。
    そういえば、「覚悟」と言う言葉は、件の彼女と受動型っぽかった彼からは、聞いた覚えがあります。

    • F
    • 2013年 2月 23日

    (みさんへ 続きです)
    >同僚は、『頭が悪くてなかなか覚えられずにすみません』『私は仕事が遅いですよね』というネガティブ発言が多くて
    >のび太の自己評価がもともと下がっていて、それに追い打ちをかけていた、ということか。のび太に完璧は求められない。むしろ自己評価が低下する。
    それは同僚が彼女に注意したときの話ですよ。
    私は冷たい言い方ですが「彼女にそれを言っても無駄」もしくは「余計に遠回りになる」と感じます。
    パニックになって余計に頭に入らなくなるのが見えているので、「早くしてください」や「それ、前にも言ったでしょ」は決して言いません。
    ただ、私は同僚から「彼女に遠慮しすぎ、年下であると気にしすぎだ」と忠告を受けたので、彼女が間違えているときは過不足なく指摘することにしました。
    先日また書類に判を押し忘れていたので、私は「こら!」と言って、ぽんと彼女の背中を押しました。
    彼女は失敗するとパニックで目が泳いでしまい、失敗の原因を認識できなくなるようなので、背中を押すことで物理的刺激を与えました。
    (触れられるのが苦手かもしれませんが、わざとです)
    それから「コピーを取る前に判子を押しましょう。その癖をつけましょう」と言いました。
    翌日は忘れなかったようです。
    「今度はちゃんと判子を押しました!」と自分から言っていました。
    >>仮にジャイアンに利用されたのだとしても、利用されていることを見抜けなかった(ぬるま湯につかった)責任は発生すると考えます。
    >意味不明です。Fさんを利用して何の得になるのだろう? 全くならないでしょうね。利用の対象外です。それにしても、この発想がやっぱり意味不明だ。切り捨てよう。
    私も意味がわかりません。
    みさんは私のことをジャイアンだと思っている(いた?)のですよね。
    強いて例を挙げるなら・・・私に利用されたのだとしても、受動型っぽかった彼が100%の被害者にはなり得ない、ということです。
    もし私がASで母が依存型ジャイアンだったとしても、大人になってからも母に利用され続けるなら、私にも責任がある(真理を見抜く目を持っていない)ってことです。

    • F
    • 2013年 2月 23日

    さーこさんへ
    >院長以外の人が、あなたの言うその彼女にどういう印象を持っていようが、仕事においてはどうでも良い事ではないですか。
    そのとおりです。
    みさんが「院長が気持ちよく仕事をしているのならいいのでは」というコメントをくださったので、「他の人はどういう感想を持つでしょうね」(私以外の人はどういう感想を持つか興味深い)と返しただけです。
    私の認知が歪んでいるのならなおのこと、「周りの人の目」は重要だと思います。
    後段は書いている意味はわかりますが、「こじらせた」が具体的に何を指すのかがわかりませんでした。
    ”<同じもの>を諦める”という「自己満足な理由」では、「中立な観察者にはなれません」よ。
    わかります。
    どこかで誰かが「水泳のクイックターン」と表現していて、上手に表現するなと思って読みました。
    自分の都合で諦めた上、手を離すのですから、私の態度は自己中心的以外の何ものでもないでしょう。
    とはいえ、彼女の世話を焼き続けることもよくないようです。
    (みさんは「私がジャイアンだから」という理由からそれを諌めていますし、私は「彼女が<省エネモード>になる」という理由からも『お世話』がよくないと感じています)
    自分としては自分のやることに一貫性がないように感じ、非常に気持ちが悪いのですが、仕方がありません。
    動機が不純である自覚はありますが、距離を置いてある程度「他人事」としなければ、視野が狭くなるのも事実です。
    それから別に彼女を無視したり困らせたり陥れたりするわけではありませんよ。

    • F
    • 2013年 2月 23日

    クイックターンじゃなかったのかなあ。
    どこかでそんな表現を見た気がしたのですが。
    検索で出てこないので、単語が違うかもしれません。
    と、これだけ書くのも何なので・・・
    みさんがずっと引っかかっていた「利用」の話は、私の結婚の話ですよね。
    旦那から「愛」というものをもらえたとしても、私には同じものを返せないだろうという一種諦めの気持ちがあります。
    自分が冷たいって知ってるので。
    そして私には100%の愛情だけで結婚したわけじゃない自覚もあります。
    それってフェアじゃないです。同じものを返せないのだから。
    だから旦那の側に「Fを得ることで自己満足を得られた(利用)」という理由が必要なのです。
    これでお互いに「利用」したというフェアな関係でいられます。
    「利用」じゃないと都合が悪いんです。私の側は100%の愛情じゃないので。
    もちろん旦那は私を意図的に「利用」しているわけではないと思いますし、そんな印象は微塵も受けません。有難いことです。
    でも私はそう考えないとしんどいのです。不様ですね。
    私はそうやって『定規』を縦にしたり横にしたりひっくり返してみたりしながら、自分に言い訳して生きているのです。
    そして『定規』に当てはまらない人を見ると、『解析』に熱中するわけです。
    これで私の言った「利用」の意味は通じたでしょうか?
    私はひとかけらでも「利用」の要素があったら「利用」と考えます。
    基本的に、より悪い方・厳しい方を採用します。
    しかし、「世界中が敵に回っても最後まで自分の味方でいてくれそうだから」っていうのも、ひどい理由ですよね。
    自分の身勝手な冷たさに笑ってしまいますよ。

    • JET
    • 2013年 2月 24日

    Fさんへ
    いや~覚えるの大変でした。。。
    と言いたいところですが、自己診断用にノートを作って記事ごとに概要や引っかかるとこなどを書いているのです。
    (最初はプリントしていたんですが、紙インクファイルが膨大な量だと途中で分かりやめました。)
    「覚悟」は私も言いますよ。モチベーションを高めるために。先延ばしを諦めるときに使うことが多いかも。(別に大したことでないんだけれど。税務署に行くとか)ASの人はもっと別のことで覚悟するのではないでしょうか。おいそれと口に出せないぐらいではないかと想像してます。
    前職の同僚上司を型に分類してみていたんですが、私には受動型ASと依存型ジャイアンは社内ではこれ全く別に見えます。受動型AS上司は自分の仕事の領域と完成度はキッチリ守ってます。依存型ジャイアン上司は抜けが多くて、「利用」は待ってましたーッという幸運感です。弁当で言えば、受動型AS上司は必ず用意しているが手弁当でない、依存型ジャイアン上司は奥さんの手弁当を持たされているが、フタを開けると「風呂に入れ」と書かれたメモが入っているなど。
    まあ前職の会社は極端だとは思いますが。。

    • m2
    • 2013年 2月 24日

     私がここで得られたことで一番良かったのは、受動型ASでもジャイアンでもなく、多数派男性が何を考えているのか? がわかったことなんです。
     YANBARU先生は、多数派についてはほとんど何も書いていませんが、私の中でなぜ受動型ASの衝動が起きるのか? がわかることによって、「受動型」の部分を裏返した分が男性多数派(能動型AS)がなぜそのような行動を取るのか? がわかるようになったわけです。
     「職場の花」「健康美あふれる女性や学歴高い女性がもてない」という現実があるのはわかっていましたが、自分ではなぜそのようなことが起きるのか? は全くわからなかったのです。
     私からすると元気で明るい、しかも仕事ができるジャイアン女性がいればいいじゃん、と思うのですが、「職場の花」は仕事ができないことが要求されるのです。
     今は、男性多数派の心理が理解できましたので、説明できます。
     仕事の効率だけを考えるのであれば、女性陣はジャイアンだけいればいいのです。実行部隊の女性ジャイアンと、管理部隊の男性ASが一番効率のいい組み合わせです。
     ただ、この組み合わせって、男性多数派の中心志向が満たせないんですよ。
     だから、効率を犠牲にしてでも、一人でいいので「職場の花」が必要なんです。
     もし、例の彼女がいなければ、男性スタッフはきっとノイローゼになってしまいます。
     男性スタッフは彼女の仕事ができないところを高評価しているのです。男性多数派はそんなもんです。だから、結婚や恋愛相手も自分より必ず格が低い相手を選ぶんです。
     この価値観を理解できないと、Fさんがいくら考えても結論はでないでしょう。こんなこと、Fさんは想像すらできないでしょうから。
     でも、こうも考えてみてください。
     Fさんは、そう簡単に人の替えが利きませんよね?
     彼女さんは仕事ができなきゃ誰でもいいんですよ。そういう意味でのプレッシャーはFさんより遥かに大きいはずです。
     

    • F
    • 2013年 2月 25日

    JETさん
    JETさんが『覚悟』という単語を使うのは、ある意味自分を追いつめるため、ですか。
    言語化することには、決意を深める効果があるらしいですね。
    「目標は紙に書いて読み上げると良い」って本で読みました。
    ところで「言語化する」というのは、大変だけど大事な作業ですね。
    私は人に「Fさん考えすぎ」とは言われるのですが、日記はほとんど書きません。
    自分の思考を敢えて文字にする作業は、単語ひとつ選ぶにも苦労します(何かしっくりこないな~と悩むこと多し)。
    でも自分を整理するにはいいですね。
    コメントで本当の自分を暴露することは、恥ずかしくて死にそうですが・・・。
    受動型ASと依存型ジャイアンはくっきり違いますか。
    私は修業が足りないですね。
    会社の話、おかしくて吹き出しました。
    m2さん
    ふふ・・・残念ですが、ちょっと前に気付きました!(「ちょっと前」なのが残念)
    確かに私は長年、『高嶺の花』が男性に敬遠されるのが不思議でした。
    個人的に「絶対嫁に欲しい」という思うタイプの女性(念のためですが、私は生物学的に女です)がモテないのを見てると「世の男は女を見る目がないわ~」と思ってました。
    男の人って、女が優秀すぎるとだめなんですよね。
    でも自己評価が下がってないADHDやASの男性は、むしろ『上方狙い』の気がしています。(合理的で臆さないから?)
    うちの職場の場合、男性スタッフ(幹部の二人)は・・・たぶん、ジャイアンだと思います。
    少なくとも一人は間違いなくジャイアンです。
    上には諂い、下には尊大、風見鶏みたいな・・・正面から見たらペラペラ(自分というものがない)。
    ああ、こっちが依存型ジャイアンになるのかな。
    女性スタッフは、さっぱりした「・・・ADHDかな?」と思われる人が多いです。
    多分環境が特殊すぎて、多数派が仕事を続けるには厳しいのだと思います。
    はて、私は「替えが効かない」でしょうかね・・・優しいお言葉ありがとうございます。半分くらいで、いただきますね。

    • とおりすがり
    • 2013年 2月 25日

    ちょっと失礼します。
    私は、最近発達障害と診断された者です。
    私は自身をasと思っています。
    私も学生の頃、沢山の校則に悩みました。
    ですが、自身の中で、先生や他人に絶対にばれたり見せなければ自分の正しいと思うことをしても文句を言われないと認識しました。
    なので、考え方と行動しだいで自分のストレスは減らせました。
    しかし、今私はそのおかげ?で発達障害の発見が遅れ、自身の二面性に苦しんでいます。
    難しいですね。とりあえず、低姿勢を保ちつつ、心の中で罵倒したり他人はバカかわいいんだなとかを隠せると表面上は普通の人に見えますよ。

    • 2013年 2月 25日

    Fさん
    お返事が遅くなってすみません。Fさんに謝らなくちゃと思いながらその余裕が持てなくて、今やっと向き合えます。FさんはASの特性があるとご自身で理解されたのですね。よかったです。
    >みさんが何度か「支援教育に携わってきた」と書かれていること、そして2年間このブログで勉強してきて、ご自身がジャイアンだと自覚していらっしゃるという点から、私は「みさんはADHDでもASでも理解できる人なのだ」と思いました。
    みさんの自信が、私には確信に見えてしまったと思います。
    これまでの経過は、Fさんがのび太ADHDだと言われていたことを鵜呑みにしていた部分がありました。「思い込み」でジャイアンから見たASへの態度ということで様々発言してきました。混乱させてしまってすみませんでした。
    >ただ、相手が何者か確信できないのなら「私には(これだけ経験があるのだから)わかるのよ」という態度はやめた方が、お互いのためだと思います。
    その通りですね。何だかその人の言うことを真に受けてしまう傾向にあるようです。そして、ASの方がADHDではないかと認知してしまうことにも無理解だったことがあります。そのようなことが起こり得るのだと、Fさんから学びました。
    >それは同僚が彼女に注意したときの話ですよ。私は冷たい言い方ですが「彼女にそれを言っても無駄」もしくは「余計に遠回りになる」と感じます。パニックになって余計に頭に入らなくなるのが見えているので、「早くしてください」や「それ、前にも言ったでしょ」は決して言いません。
    件の彼女について、「同僚が彼女に注意したときの話」と私も理解しています。Fさんのこれまでの情報からまとめて考え、発言しました。誤解はしていないのでご理解ください。これはADHDの認知、思考の特徴です。そして件の彼女がADHDであるなら、パニックというよりも「様々な情報にさらされて混乱している」のでしょう。対応としては、彼女自身で「頭の整理」をするまで待つ、そして「走るには走り方を教わらなければ走れない」ところがあるので、具体的にどうすればいいかをかみ砕いて話す必要があるかと思います。

    • 2013年 2月 25日

    Fさん
    続きです
    >それから「コピーを取る前に判子を押しましょう。その癖をつけましょう」と言いました。
    >「今度はちゃんと判子を押しました!」と自分から言っていました。
    Fさんの対応がよかったのですね。言うならば「カメさん」です。カメさんでも一つ一つ覚えていくことができます。のらりくらりやっていくのが彼女の特性です。
    >みさんがずっと引っかかっていた「利用」の話は、私の結婚の話ですよね。
    はい。私はてっきりADHDの「利用」と思っていました。ただ、先生が途中で「AS同士は妥協できない」を書かれました。そこから違和感を感じていました。ただ、しっかりと認識していなかったのです。私が突っ走ってしまったのです。その後の「発達障害の依存と養育環境」で、私のことについて書かれました。認知はしていたけれど、しっかりと認識に至っていませんでした。まだまだだなと思います。
    >だから旦那の側に「Fを得ることで自己満足を得られた(利用)」という理由が必要なのです。これでお互いに「利用」したというフェアな関係でいられます。「利用」じゃないと都合が悪いんです。私の側は100%の愛情じゃないので。
    なるほどな、と思いました。受動型ASの認知の特徴ですね。
    と思ったところで、ちょっと思考が飛びました。「受動型ASのみなさんへのお願い」は、Fさんのコメントがきっかけであったのではないかと思います。ADHDはADHDの思考がわかります。けれども、ASに関してはASさんに聞かなければわからない。そこで、質問という形式で、ADHDとASの距離を置くために質問をした、のだと思います。
    すでにFさんはそれに参加していますね。m2さんのコメントに誘導されて。私は存分に受動型ASに関して、ここを読み、時々コメントされる受動型ASさんとお話しなさるのも、有意義なことだと思います。これは先生のADHDにおけるリーダーシップですね。

    • 2013年 2月 25日

    >「受動型ASのみなさんへのお願い」は、Fさんのコメントがきっかけであったのではないかと思います。
    これは私の『思い込み』です。申し訳ありませんでした。ごめんなさいね。時々思考が飛んでしまうのです。衝動統制します。

    • 2013年 2月 26日

    Fさん
    私がすべて間違っておりました。
    すべては私の責任です。私の責任です。
    このことは、私自身、反省いたしております。
    申し訳ありませんでした。

    • 道産娘
    • 2014年 2月 23日

    この記事の中学生は多分ASDだろうと想像しますが、コメントさせて下さい。
    おそらく私がこの教師の立場なら、中学生の言い分を受け入れていただろうと思います。
    「ガス無しのライターを発見したところで、喫煙したという証拠にはならないから」です。(タバコを見つければ話は別ですが…)
    少なくとも「その中学生が喫煙していない可能性」を考えない教師側の方が想像力が無いと、私は思うのですが…きっと「ADHDの屁理屈」ですね(苦笑)
    何故こういった考え方になるのか分かりました。
    自分は中学生の喫煙現場を目撃したわけではないので、その中学生が「喫煙していない」と言っている以上、それを信じるしかない…と考えるからだと思います。(その気持ちを押し殺して中学生に脅しをかければ、自身も自己突っ込みで苦しむ羽目になるでしょう)
    「学校に不要なものを持ってきてはいけない」という規則に違反しているから…という理由で注意されるなら納得できますが、やってもいないことを「やったと認めろ」と言われるのは、やはり納得できません。
    でも、「これが多数派の世界なんだ」ということを知っておくことは大事だと思いました。

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