ADHD関連

第一歩は「脳の働き」の理解

 ASの愛着の問題はジャイアンの「非を認められない時の過剰反応」「受動型ASの責任転嫁様見える認知と行動」と同様、深刻だ。いずれも周囲の人から見れば理解不能の不合理で不可思議極まりない行動と映る。

 しかし私は多くの同じ脳の特徴を持った人から話を聞いてきた。その結果そのいずれも、「脳の働きから直結して出てくる認知と行動である」ことが分かった。2歳でも、大人でも、基本的に起こっている現象は同じなのだ。

 またジャイアンやASの本人から話を聞いて本人の問題に説明をつけたときに、本人が幾分楽になること、時には劇的に囚われていた問題から脱出するケースも見てきた。

 例えば受動型ASの人は、周囲の人からのアクションに対して受身でしか動けない。自分が変わろうと思う人にはそれが最も辛い事実だ。

 しかしその脳の働きの本当のことを見切った後には、「環境(周囲の人を含む)に働きかけて間接的に自分を動かす」という困難であるが一つの可能性は見えてはいる。

 具体的にどうするかのマニュアルまでは私もまだたどり着いていないが、少なくとも「本人および周囲の重要な関係者がASについて理解する」というステップは可能だ。

 その後どんな解決があるかは保障は無いが、とりあえず「発達障害のカミングアウトと専門家による説明」まではやって見たいと思う。

 「まず第一歩はその見かけ上不可思議な認知と行動が脳の働きから来ていたことであることを理解すること」が本人にも周囲の人にも重要なことだ。そこから先は、霧の中を手探りで進む作業を少しずつ続けていこう。


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コメント

    • マダコ
    • 2008年 1月 02日

    あけましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いします。
    今年は前向きにどんどん動こうと思います。
    皆様にもご多幸あれ!!!

    • ねね
    • 2008年 1月 02日

    はじめまして。この記事とは関係ないのですが、どうしても先生にお伝えしたいことがあって書いています。
    私はADHDです。このブログで自分がACでもあることを確信しました。少し前から 古い記事から順番に自分に当てはめながら読んでいます。自分の理解を深めるために これまでも先生のブログを参考に自分のブログでいくつか記事を書いてきました。私のブログは発達障害の当事者やお母さん、うつの方がよく来られます。
    自己コーチングの記事などはその方々にも取り組んでもらいたかったのでほとんどコピー状態の記事をアップしました。これからも、自分とブログに来てくれる人のために先生の記事を引用させていただきたいと思いますし、これまで勝手に引用したり、リンクをはったりしていたことが心苦しく、今日お願いにあがりました。先生の許可をぜひともいただきたいです。お願いします。

    • ぐり
    • 2008年 1月 02日

    明けましておめでとうございます。
    私は去年、やんばる先生にADHDと診断された者です。
    先生は途中まで、私のケースをASかADHDか迷われていました。
    その時、いろいろな書籍やサイトで、自分のことを典型的なADHDだと確信していたにもかかわらず、ASだったらいいな、と思う自分がいて、最終的にASではない、と診断されたとき、正直ガッカリしたのですが、私がASに憧れる理由、それは「変わらなさ」「不変」というところにあるのかなと考えました。
    わたしの職場にいかにもASに見える男性がいるのですが、マイペース、マイルールで仕事を進めます。家族経営の職場なので、しょうがない所もあるのですが、正直、他の職員には眉をひそめられています。自分の興味のない人にはほとんど話しかけないし、お客さんにもそのような態度なので、「変わった人だ」と思われています。私もそういう印象を受けますし、実際言い争ったこともあります。
    辞めていった前任の女性は「私が何を言ってもダメだった、まるで馬耳東風だった」と言っていましたが(聞いてみると結構キツイことも言ったようですが)、私の発言にはなにかカチンとくるものがあるらしく、何度か口論になったことがあります。私が彼の「お仲間」だからなのかな?と考えていますが。
    そんな感じで、職場の先輩として「お手本」にはならない人なのですが、私は彼に強い憧れを感じます。最初「これは恋なのかしら?」などと思っていたのですが、どうやら人の視線や評価なんかに影響されやすい自分としては、ともすれば「自分勝手」にも見えてしまうASのマイペースさ、不変さに強い憧れを感じてしまうのだと分かりました。
    そして、わがままに見える態度の中から、彼ならではの気配りもある、と分かってきました(しかし大部分の人達からすればそれも無神経に見えるものなのですが…)
    なので、「困ったなぁ」「ムカツク」とか思いながらも注意したりできない自分がいて、仕事上これが一番困ります…
    私は自分のことを「おとなしいジャイアン型」と判断していますが、ASと全然違うところ、それは、「一貫性」なのではないかなぁ?と考えます。良くも悪くもASの方は主張や考えに一貫性があるように思えます。人の意見にすぐ左右される私からすればとてもうらやましく、素敵に見える部分です。

    • mina
    • 2008年 1月 02日

    やんばる先生御侍史
    現在何故か癌研究をやっていて1年9ヶ月目に突入となりました31歳女性元腎臓内科医師です。
    >具体的にどうするかのマニュアルまでは私もまだたどり着いていないが、少なくとも「本人および周囲の重要な関係者がASについて理解する」というステップは可能だ。
    >「発達障害のカミングアウトと専門家による説明」
    正直のところ、まだ医師として腎臓内科医師として
    アルバイトといえども生計を立てていますから、
    体液循環管理等動態力学とバケガクを使って診療している
    わけでそのわたしが「発達障害」と病名が公然と知れると、
    「本当にこのひとで大丈夫か?」と思われるし、仕事ができません。
    labのボスはMDですし、他にも多く居てますから、
    何か説明しなくとも、わたしがASであると勝手に診断しているみたいです。
    でもASとわかっているからといえ、ASの特徴自体がそのひとたちにとって許せないなら、
    「もうどうしようもない」という状況のようです。

    • たかこ
    • 2008年 1月 03日

    本年もよろしくお願いいたします。
     私と主人は、多数派と、積極奇異ASという、共存するには困難のある組み合わせではないかと思いますが、本当に糸1本でつながっているというか、綱渡りののようないつ崩壊してもおかしくない要素は今も抱えています。
     受動的に周りを動かそうとしている事など、私は確信を持って感じていても、本人の口からそれを言葉としてきく事はありませんし、(言葉でいわないから、人を動かして表現したり、自分が動くように周りをしむけたりする)周囲の私に対する無理解(主人は外では立派な人なので私がノイローゼではないかという)など本当に自分を信じるしかなく、苦しむ事が多々あります。
     そのなかで、主人は、ピンポイントで、その配役や環境を選んでいる気がします。母親のジャイアンと自分の自閉性など、鮮やかな手法でまわりを役者のように演出し、直面化を私を使って実現しました。
     ここで私たちの関係を支えているものは、ASの愛着も深く関係した信頼関係だと思います。共依存に陥らず、偏見や、こだわり、体裁にこだわらない私たち家族を、彼は自分を変えたくてまさに針で1点を刺すように、彼の偉大な能力で選んだように思えます。ピンポイントで、その配役や環境を選び、母親のジャイアンと自分の自閉性など、鮮やかな手法でまわりを役者のように演出し、直面化を私を使って実現たように思えます。
     私の支えになっているものも、やはり、障害などと言われるものに対する偏見なく育て、主人が少数派である事がわかっても、何も変わらない態度で主人も私も見守ってくれた母の存在だと思います。
     人権的に使えない言葉がありますが、周りにいた風変わりな人や、個性的な人もそこを魅力だと思ってつきあうような環境を母親が作ってきたのだと思います。
     

    • たかこ
    • 2008年 1月 03日

    つづきです
    女流作家や、ミュージシャン、お笑い芸人、のなかにもたくさんその才能を生かしている人が見受けられますし、ありえない発想や芸術的な表現は、少数派と言われている人たちによってしか作り出せません。
     私生活はでたらめでも、政治家のように世の中を革新的に変えたりするのにも多数派にはないものが必要です。
     ずば抜けて優れた才能でなくても、不正を正すだとか、はっきりものをいったり、理論を体系的にまとめあげる世界においては、多数派より優れた才能を持っている人が多いのではないでしょうか。
     プライベートは、周りの理解と環境になるのでしょうが、今は学校教育なども、人と比較しない教育がなされているようですし、そういう根本的な偏見のない社会にむけての啓蒙活動なども、まさにADHDの方などは適しているように思います。(本人自信や家族に関わることそうはいかないようですが)
     少し話は違いますが、おねえ系の方々がメイクや、ダンスや、デザインなど独自の世界で活躍され、それが社会的に認知されたのもここ最近の事で、よい傾向なのではないかと思って見ています。
     顔が違うよう得意不得意がちがうように、脳の作りが違うんだから、どういうことか本人と周りがよく知って、お互いを補い合って教えたり助けたり、すればいいんだよね。というところから始める事ができればいいですね。そこを分かれば、双方から妥協したり、歩み寄りが可能になるのではないでしょうか。
     と夢のような話かもしれませんが、不可能ではないと思います。
     主人と暮らすと、つくずく自分が常識にとらわれていて、平凡な人間かを思い知らされる事がとても多いです。がそこを見習って、自由な発想で生きる事がたぶん私にとってプラスになるという事だと思っています。

    • エイト
    • 2008年 1月 05日

    本年もよろしくお願いします。
    私のジャイアンライフを少し紹介します。
    私の場合、自分の欠点をよくわかっているので思春期頃から本能的に地道に努力していました。今思えば努力をサボって「多数派」のように振舞っていた頃は迷いも多く気持ちも仕事も安定しませんでした。結果的にジャイアンは努力家である時が最も充実していると実感します。(努力は苦しいものですが・・)
    今は仕事と苦手な家事を「地道に努力する」姿勢でがんばっています。
    家族に迷惑をかけないため、このブログで学んだ「病気になる寸前すれすれの低い自己評価」と「すぐに反応しない」を忘れないように毎日念仏のように唱えています。
    YANBARU先生がいうジャイアンの可能性、若いジャイアンの方に励みになると良いですね。

    • mina
    • 2008年 1月 12日

    変換違い有ました。
    動態->動体

    • Whisky
    • 2008年 1月 23日

    こんばんは。
    最近からこちらに良く伺うようになりました。
    私は、沖縄県内で外科の医師をしています。家庭の崩壊を契機に自分がAC(アダルトチャイルド)であることに気づき、そこから、たどっていくうちに、自分にYANBARU先生が言うところの、AS おそらく、積極奇異型のASではないかと思い初めています。ちなみに、最近母親がどうもADHDでは無いだろうかと疑い始めました。
     それはさておき、確かに脳のつくりの関係上ADHDやASがあるのではないかという気はします。障害とは何を持って障害とするのか?医学的に領域ではいつも問題になりますが、もし、脳のつくりが先天的に違うのであれば、発達障害という言葉は合わないと思います。まぁすでに使われている言葉でありますから、仕方ないものかも知れませんが。ずばり先天性思考感情障害とかしたほうがまだいいような気もします。

    • Whisky
    • 2008年 1月 23日

     続きです、自分は主にMIXIのアダルトチルドレンというコミュニティに入り浸って自分のACに向かい合ってきました。100人単位のACが集まって日々書き込みしてるんですが、そのなかで、見ると、AS,ADHDのと思しき人も多数見られます。もともと、ACには大きく分けて4つの類型があります。1ヒーロータイプ、2イネイブラータイプ、3ロストワンタイプ、4アクティングアウトタイプ。自分はここからACのこのタイプが何故そうなるのか?をずっと考えてきたんですけど、議論の中で、ACには大きく分けて犬タイプと猫タイプがいるという話になり、AS、ADHDの方に自分は流れてきたのです。
     そこでたまたま知ったのですが、ギフテッド (Gifted)という概念があるようです。ネットだけの知識なので、ちょっと浅薄かもしれないんですど、
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%95%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89
    このWikipediaの知識が本当だとすると、全部では無いにしても、ここで言うASやADHDのなかにはそういう概念で捉えられる人もいると思います。
     こうなると、障害言うべきかどうか。せめて、先天性思考感情逸脱ぐらいにするべきかとも思います。
     現状では私たちが周囲の社会に合わせて行かないのでしょうけど、何れは、YANBARU先生がおっしゃるような概念を社会に浸透させて、車椅子の人が車椅子のままバスに乗れるように(それもまだまだままなりませんが)こういう思考、感情をもった私たちを社会が受け入れるべきと思います。
     まあ、今でもそこそこなじんではいるのですが、まだ、楽ではありません。

    • Whisky
    • 2008年 1月 27日

    少し考えた事があって、どこに書くか悩んだんですがここに書かせてください。自分なりにADHDとASの感情、思考について考えてみました。
    ■相手の気持ちを思いやるタイプ(ADHD)
    相手の気持ちを思いやるタイプの人は周囲の人を好きになるべきだと思っているし、裏返すと、周囲のの人は好いているはずだと思っている。そして、相手の考えを理解できない。それが全ての行動原理。
    ・周囲の人を好きになるのが当たり前だと思っている。
    ・周囲の人が自分を好きなのが当たり前だと思っている。
    ・周囲の人に対しては好きで優しくしてあげるべきだと思っている。
    ・周囲の人は自分に対して好きで優しくしてくれるものだと思っている。
    ・だから、周囲の人で自分に対してまるで嫌いで厳しくするような人は認められない。
    ・ところが、周囲の人は自分の事を好きだから厳しいことをしても構わない。
    (嫌いと思われるような行動をしてもいい。)
    ・周囲の人が自分に無関心であるということが理解できない。
    ・それで、相手が何を考えていようが構わずに自分に優しい人には近づく。厳しい人や無関心な人からは離れる。

    • Whisky
    • 2008年 1月 27日

    続きです。
    ■相手の考えを理解しようとするタイプ(AS)
    相手の考えを理解しようとするタイプの人は、自分以外の人を理解するべきだと思っているし、裏返すと、自分以外の人は自分を理解しようとしているはずだと思っている。そして、相手の気もちを思いやれない。それが全ての行動原理。
    ・周囲の人に関心をもつのはあたり前だと考えている。
    ・周囲の人が自分に関心を持つのは当たり前だと考えている。
    ・周囲の人に対しては関心を持って理解するべきだと思っている。
    ・実際は周囲の人全てに関心を持てないから、関心をもてない人は認識しない。(無関心と同じかな?)
    ・周囲の人は自分に対して関心をもって理解しするべきだと思っている。
    ・実際は周囲の人全てが自分に関心を持って理解してくれるわけはないから自分に関心を持ってくれない人に対しては認識しない。(無関心?)
    ・好悪の感情がわからない。
    ・相手が自分のことを好きで優しかろうが、嫌いで厳しかろうが関心を持ってくれる人には近づくし無関心な人からは離れる。
    というような考え方をしているが、それぞれに、行動パターンで大きく3種に分かれるようだ。
    能動ー受動型
    周囲に対して結果的に好きー嫌い  関心ー無関心の行動を取る
    受動型
    周囲の対して嫌い  無関心の行動を取る。
    孤立型
    周囲が存在しない
    完全に能動型となると多分それは、統合失調かなにかになってしまうと思われる。

    • Whisky
    • 2008年 1月 27日

    どこか少しおかしな感じがするので、もうすこし再考する予定。
    しかし、自分的にはこういう説明的文章はつかれますね。
    一言こう言った方がすっきりする。
    暴虐な天使=ADHD
    純粋な悪魔=AS

    • mario (AS)
    • 2008年 1月 28日

    純粋な悪魔かぁ…ちょっと納得(^^;
    ここで自分(AS)や、ADHD、多数派の行動原理が分かるようになって、相手のやっている事の意味が良く分かるようになったので、ここ最近はそれに合わせて行動してみています。
    褒めるとか、おだてるとか、指摘しないとか、話を合わせるとか… ところが、自分がドンドンと嘘つきになって行く気がして非常に心地が悪いのです。以前は純粋に正しいと思う事だけを口にしていた筈なのに…
    そんな事をしなくても済む友人がそれなりに居るので、それ以外では再び孤高の人として(元通りのASとして)生きてゆく方が良いかなぁと再び思い始めています。
    まぁ、それでも前よりは上手く世の中を渡れるとは思いますよ。自分に嘘を付かない範囲で(相手の受け取る内容を客観視する事で)、これまでとは違う(相手にわかりやすい)表現ができますから。

    そうそう、自分も「発達障害」って表現には違和感を持っています。単純にタイプの違いだと思っています。多数派、AS、ADHDの比率も、人間という種が生き残るのに必要であったのでは無いかと妄想しています(^^)

    • Whisky
    • 2008年 1月 29日

    >marioさんへ
    こういう風にお返事していいのか、初めてなので戸惑いますが、書かせてください。
     まさに、自分も最近はいろんな人を見るときに、この人はどのタイプに当たるのか考えながら見るようになりました。自分はまだ、よくわかってないのが多数派の行動原理って?というのがよくわかってないですね。最近、自分がASというように理解したせいかもしれませんが、多数派といえども、微妙にADHDよりとか、ASよりとかありそうな気がします。まだわかってないせいかも知れません。
     今は、ちょっと修行中という感じです。
     要は言葉の使い方のような感じもします。相手がどう受け取るかを考えながら使えば。あと、タイミングかなあ。
     自分もASと思われる親しくしている人がいて、いまんとこ1人ですけど、気兼ねなく話しても通じるので、ある意味オアシスのように感じます。

    • Whisky
    • 2008年 1月 29日

    続きです。
     
    >多数派、AS、ADHDの比率も、人間という種が生き残るのに必要であったのでは無いかと妄想しています(^^)
     自分もそう思ってるんですよ。まず、その根拠というか、AS,ADHDがまず、先天性であることを示唆するとも思いますが、乳幼児期の「アタッチメントパターン」というのがあります。 
    A型(安定愛着型)60-70%
    B型(非安定愛着型;回避型)20%
    C型(非安定愛着型;アンビバレント型)10%
    D型(不安定、無秩序、混乱型)数%
    詳しくはググッてもらうなりでいいとして、これはおそらく自分は積極奇異型ASと思ってますが、C型だったのではとか思います。おそらく、ジャイアンもC型由来じゃないかな。ASの孤立型と、受動型はB型由来じゃないか。ADHDの他のタイプもどこかにはいるんじゃないかと思う。
     そして、A型(多数派と思われる)とそれ以外の割合は大雑把に7対3。これは確か生物学的に2種の生物の共存する最適な割合だったと思います。ここはちょっとうろ覚えだけど。なんかS字の曲線で書けた様な気がするんだが。これは、はっきり覚えてないから曖昧。
     ちょとググッたら、こんなの見つけた。
    http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~suchii/evol.ethics.html
     進化心理学なるものがあるらしいから、そこで説明が付くに違いない。ここはからは理系の頭がないとわからないな。
     その他考えるところありますけど。また、今度でも。

    • Whisky
    • 2008年 2月 04日

    現在までのところ、自分が周囲を観察したところ、
    多数派=ADHD おそらく人間全体の約7割
    ASは残りで全体の約3割
    この2種類の人間の間の思考、感情の方法はは先天的に決まっている。だから、変えようがありません。
     このなかで、いわゆる、発達障害とされるのは、うまく、社会に適応できなかった人、あるいはADHD,ASの特徴が顕著すぎる人だと思います。
     いずれにしろ、人間の考え方、感じ方は変えようがないという前提は全くそのとおりだと思います。

    • m2
    • 2008年 2月 23日

    ここしばらくの議論で、なんとなく発達障害の全体像が見えてきたので、整理しておきます。
    人間というのは、3つのスペクトラムから出来ているのかな?と。
    思考の軸
    (長期思考)AS = 多数派 = ADHD(短期思考)
    対人の軸
          自己主張型 = 受動型
    社会の軸(適性)
          大 <======> 小
    社会適性は、
    自己主張型の場合、
    (大)自己評価=他者評価 = 自己・他者評価差が大(小)
    受動型の場合
    (大) 自己評価>他者評価 = 自己評価<他者評価(小)
    そして、
    合理型ADHD =受動型  +ADHD
    ジャイアン   =自己主張型+ADHD
    積極奇異型AS =自己主張型+AS
    受動型AS   =受動型  +AS
    孤立型AS   =社会性小 +AS
    AC      =自己評価<<他者評価
    と考えると、結構今までの議論がすっきり説明できる気がします。

    • m2
    • 2008年 2月 23日

    思考の軸から見ると、ASにもADHDにも重さが存在し、私みたいにASとしか言いようの無い人間もいれば、多数派に近いASもいる。そして、多数派の中にもASに近い人がADHDに近い人がいる。
    ASは考えてから動く。ADHDは、動きながら考えるor発想の通りに動く。
    ASは頭を整理する前に動いたら絶対にうまくいかない。
    ADHDは、頭だけで物を考え始めたら深みにはまるだけ。
    多数派はそのバランスがとれているが、特徴が無い。
    自己主張型は「自分も他人も同じ」と思うことでうまくいく。
    AC時は、自己評価<<他者評価のためうまくいかない。
    ACが外れると、自己評価>他者評価になりうまくいかない。
    ACが外れた積極奇異型AS・ジャイアンは自己評価を下げて他者評価に近づけることにより、「無の境地」になり、自己主張を他人に受け入れてもらえるようになる。
    受動型は「自分は他人より上」と思うことでうまくいく。
    自己主張しないから、そうでないと社会の片隅でしか生きられない。
    社会の中央に出ることによって、いろいろな人と接することになり、受動型の良さが生きてくる。
    いろいろな人の立場を理解して、社会の潤滑油になる。
    これは受動型ASだけではなく、合理型ADHDも同じではないだろうか?
    多数派の中にも自己主張型と受動型はあるとは思うが、発達障害者のように目だった特徴がある人はいるのだろうか?
    結婚を考える上では、反対の軸を持つ積極奇異型ASと合理方ADHD、受動型ASとジャイアンが合うのではないだろうか?
    この組み合わせなら、自分の足りないところを補充でき、DNAが要求する条件を満たす。
    思考の軸では、男は長期思考寄り、女は短期思考寄りに偏っているのではないか?
    個人的には、男はASが多く、女はADHDが多いように思える。
    だから、ADHD男性の相手は多数派(AS寄り?)が多くなるのではないか?

    • 悠々と
    • 2013年 1月 29日

    また古いスレッドへの書き込みになりますが、お許しください。
    これを読んで、受動型ASである父の矛盾した行動に合点がいきました。
    高能力であるのに引きこもっている「まさに」受動型ASである妹と違い、
    能動的に会社を経営し、工夫し、努力を続ける父(であるのに特徴は受動型AS)
    なぜこうも同じ型で行動様式が変わるのか・・と
    思っていたのですが、
    のび太ADHDのAC的な母や、ジャイアンである僕、妹、への「自立しろ自立しろ」という言語的な叱咤や罵倒と、それに相反する自立行動への先回り(すべて一人で考え、一人で終わらせて、周囲に責任をとらせない)
    という行動は、つまり
    「頼りない愛着対象と、それを支える自分」という、父が能動的に動くための環境設定と考えることができますね。
    いままで不合理だ理不尽だ、と苦しんでいたのですが
    構造が理解できてすっきりしました。

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