AC、人格障害関連

屁理屈と言い訳

ADHDの本質は「自己突っ込み」であると私は考えている。

 「先延ばし」や言行不一致への異常な怒りなどの大きな 行動特徴はこの自己突っ込みから来ていると考えるからだ。

  ところで私の飼っている自己突っ込みの最強のものは、 「その醜い姿でいつまで生き恥をさらし続けるか?」と いう自己突っ込みであり、24時間365日ずっと意識の片隅にある。

 事実おっしゃる通りなので、まともに反論するすべは無い。

 出来ることは、「(この自己突っ込みへの)言い訳をし続 ける」ことしかないというのが私自身の現状だ。
  「このブログで、ジャイアンの醜い姿を自ら公開して、 ジャイアンの周囲からの理解しにくさ、本人の生き辛さを 少しでも解決出来る可能性を考え続けるので、今しばらく 勘弁してくれ」と自分に言い訳をし続けている。

 合理的な自己突っ込みは「問答無用」で、弁護の余地の無い 失敗は、意識のかなたに忘れていても、時折蘇ってきて、 再び自己突っ込みに火がつくことを繰り返す。

 多数派のように他者とのかかわりの中で癒されることも不可能で、 ASのように自分のほうから見る世界に自閉することも出来ない。

 だからADHDには「言い訳」のスキルが必要だ。 「言い訳」自体は見苦しいが、根本的な解決が合理的に不可能 な場合は、現実的な選択として生きていく知恵として重要である。

 子供の頃に、「屁理屈」や「言い訳」をあまり押しつぶさないようにしよう。
 少しでも「理」があれば、先々本人が自分の中で手強い自己突っ込みと 対峙する時に言い訳として機能する可能性があるから。


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コメント

    • 黒すりごま(AS)
    • 2009年 11月 02日

    強い自己突っ込みのあるジャイアンさんの内面のご苦労は、正直なところ想像を絶します。
    ただ一つだけ言えることは、このブログ全体に流れる「何だかわからない不思議な細いひとすじの清々しさ・潔さ」が多くの読者の共感や支持を得ている理由だろうということです。

    • mario (AS)
    • 2009年 11月 02日

    > ASのように自分のほうから見る世界に自閉すること
    この対比で何だか初めて意味が分かりました。
    ASは「自分が正しい」と言うスタンスの上で世界と関わる、いや、そのスタンスでなければ世界と上手く関われないと私は感じます。
    私に出来るのは、その上で世界や他者のあり方をどれだけ想像できるか…「シャッターを下ろす」と言う表現で想像の停止を理解したので、今ではシャッターを下ろさない努力が出来ます。
    ADHDとは立ち位置が180度異なるのですね…
    > 子供の頃に、「屁理屈」や「言い訳」をあまり押しつぶさないようにしよう。
    これは『少しでも「理」があれば』って事で宜しいのでしょうか?
    理のない屁理屈は通さなくて良いのか、そもそも理の判断が難しいのか、迷うところです。

    • ぴよよ
    • 2009年 11月 02日

    >子供の頃に、「屁理屈」や「言い訳」をあまり押しつぶさないようにしよう。
    >少しでも「理」があれば、先々本人が自分の中で手強い自己突っ込みと 対峙する時に言い訳として機能する可能性があるから。
    きっと大事なことは、“押しつぶさないようにしよう。”の部分でしょうね。
    それが道徳や筋道に反していることなら、受け入れることまではせず。
    極端に例えば「口答えするな! 何も聞きたくない黙れ!」というような頭ごなしの命令をしてまで黙らせなくても良い、ということですよね?
    押しつぶさず、聞き過ぎず、の加減が、今の時代の難しい所ですね。
    >多数派のように他者とのかかわりの中で癒されることも不可能で、 ASのように自分のほうから見る世界に自閉することも出来ない。
    余談ですがこれだけ三者の性格傾向の違いが明らかになってきたのですから、もうそろそろ、脳味噌の画像のデータもどなたかが集めてみて頂きたいです。ジャイアンADHD画像同志や、私のような受動型AS/ADD画像同志の共通点等興味があります。
    これが気圧の急激な変わり目にどんな脳波になるか、脳のどこが過活動になりやすいか等も解ってくれば、通院してもしなくてもどうしようもなかった定期サイクルのように陥る悲観的再燃循環や関連づけ妄想、一時的思考力の低下等をピンポイントでどうしていったら良いかが解るヒントにならないでしょうか。
    以前目にした話ですが、通称“ネトゲ廃人”インターネットゲームの依存者の体験談です。
    依存にはまりつつある過程で、所属していた学校等の場所で、仲間が困りつつ自分がいない穴埋めがされていたり、役割の振り直しがされていると、柔軟な対応をしただけなのに、自分がはぶかれたような、帰る場所が無いようなゲームに都合の良い被害者的解釈をするそうです。
    いつかは断ち切らねばならない思考の癖には、すぐに攻撃をしないまでも、時が来るまで照準は合わせたままでいるなら、それならいいのですよね?

    • kurotto
    • 2009年 11月 07日

    自己突っ込みって普通のことだと思ってました
    普通の人って自己突っ込み無いんですね・・・初めて知りました

    • るる
    • 2013年 8月 18日

    「自責の念」は、だれにもあると思います。しかし先生のブログを読むまで、自分のそれが、先生のおっしゃる「自己突っ込み」という非常に厳しいものであるという自覚は、当然ありませんでした。
    人はみな、自分同様に「自責」=「(厳しい)自己突っ込みをしている」ものだと思っていましたので、それを了解した時には、しばし呆然となりました。
    先ほど、ASらしい(私診断)パートナーに「自責」について聞いたところ、「それはあるが、僕はひきずらないね」ということでした。
    ・・・「ああ、それでも、ひとって生きていていいんだ」と思ってしまいました。“自分と違う”ということに、新鮮な感動を覚えました。
    思春期の子どもは、親からそんなこと聞ける状況にはないので聞いていません。でも近頃の様子をみると、彼よりはむしろ子どもの方が、自ら引き起こした様々な問題を抱え、ある種の苦境(?)に立たされている分、自己責任の自覚があるように思えました。
    彼には「私があなたの不合理な態度を責める厳しい口調で、私はいつも自分自身を責めているのよ」と伝えましたら、「そんなことは想像もできないし、僕から見て、君が自分を責めているようには全く見えない」のだそうです。
    ・・・その言葉を「そりゃ、そうだろうね~」と、淡々と受け止められたのは、(見下しの要素があるとしても)自分の成長の証しだと思います。
    異文化の共存を目指します。

    • 道産娘
    • 2013年 9月 16日

    先生、今回は自己突っ込みがありました。
    おそらく「(気付かないうちに)絡んでしまっている」のがいけなかったのでしょう。
    正直、「私だけに厳しくないですか!?」とやんばる先生に訴えたくなりましたが、直後に「自分の失敗を棚に上げてそれを言うのか!?」と突っ込みが入りました。
    以上、私の自己突っ込みでした。(先生に報告している時点で突っ込みの意味が無いような気もするので、反省コメントはこれで最後にします)

    • 2013年 9月 16日

    先程別記事にコメントしましたが、屁理屈と言い訳 セットでADHDの主人は凄い勢いで言います。
    自分で物忘れが酷い→逆切れ→屁理屈と言い訳。
    この繰り返しの毎日。
    先生のADHDの自覚・他覚所見一覧表にほぼ当てはまっています。
    普段は自分の事を説明するのさえ出来ないのに、屁理屈と言い訳をするときだけは異常な喋りを発揮します。
    でも、ここは当事者がコメントする場所なのかな?
    私は振り回されている家族側の立場なのですが、
    余りにも、ADHDの専門医が居ない事を広く伝えたいです。
    いろんな相談機関にも行ったのに、主人がADHD でヒットした人は、やはり我慢出来ず離婚に至っているんですよね。
    今日は1年に1,2回しかないお休み。疲れて24時に帰宅したら、家の中ぐちゃぐちゃ。。。病気だもんね。
    でも、私が倒れそう。仕事の合間に出向いた機関も知識不足。
    どなたかお助けを。

    • 道産娘
    • 2013年 9月 18日

    ちなみに、「先生に報告している時点で突っ込みの意味が無い」と書いて投稿した直後に「だったら書くなよ!」という突っ込みも入りました。
    屁理屈や言い訳もありますが、この場では控えさせていただきます(苦笑)
    >ところで私の飼っている自己突っ込みの最強のものは、 「その醜い姿でいつまで生き恥をさらし続けるか?」と いう自己突っ込みであり、24時間365日ずっと意識の片隅にある。
    これ↑は先生が中心志向型ジャイアンだった頃の自己突っ込みであり、今は無いのかな?と想像していますが、実はのび太型の私にも「24時間365日ずっと意識の片隅にある自己突っ込み」が過去にありました。
    それは「いつまで黙っているつもりだ?」という、受け身の姿勢に対する突っ込みです。
    先延ばしによるものか言行不一致によるものか分かりませんが、「後出しじゃんけんのようで卑怯だ」という考えが常に頭の片隅にありました。(子供の頃は特に)
    「自己主張を先延ばしにしていた」からか「言行不一致を避けるため」からか…よく覚えてないのですが、常に「卑怯者」という考えがあり、それに対し言い訳をしていた記憶があります。
    (良い例えが思い浮かべば続きます)

    • 道産娘
    • 2013年 9月 18日

    (続きです)
    以前体育祭の時、同じクラスの女子とリレーに参加し、その子は運動神経が良く結果は一位だったのですが、私の順位は下から数えた方が早いという結果でした。
    その女子はクラスの皆からちやほやされ、それ自体、私は何とも思わなかったのですが、ある多数派の女子が「○○(道産娘)もよく頑張ったじゃん!」と私に対しフォローを入れ、それを聞いた他のクラスメートが集まって来て一緒に励ます…という状況になりましたが、正直とても居心地が悪く、最初にフォローを入れた多数派の子にモヤモヤした気持ちを覚えながらも、「私を励まそうとしてくれたのに、素直に喜べない自分がおかしい」と突っ込んで言い聞かせてました。
    このエントリーを読んで、あの時私の中で何が起きていたのか理解できました。
    「自分がおかしい」というのは、自己突っ込みではなく「言い訳」であり、あの時のモヤモヤした気持ちこそ私の「(ごまかし続けた)自己突っ込み」なのだと思います。
    「順位が悪かったのはお前(私)の能力不足のせいだろうが?何故媚びへつらって愛想笑いする必要がある?」という突っ込みが本心ですかね。
    以上、ACっ気が強かった思春期の頃の話でした。

    • 道産娘
    • 2013年 9月 19日

    うーん、この例え話は適切ではなかったような…
    整理させて下さい。
    【自己突っ込み】
    「(多数派の同級生から慰められたことに対し)順位が悪かったのは自分(道産娘)の能力不足のせいでしょ!」
    【自己突っ込みに対する言い訳】
    「まあまあ…相手は私を励まそうとしてくれてるし、その気持ちはありがたく受け取らないと。」
    多分口では「(フォロー)ありがとう」と答えたと思いますが、その後はモヤモヤとした気持ちが残り、ずっと上記のような言い訳を言い聞かせてた記憶があります。
    その同級生を恨む気持ちはありませんが、「そっとして欲しかった」というのが正直な今の気持ちですね。
    ちなみに「相手のフォローを素直に受け取ったこと」に対し、「皆アンタのこと可哀想だと思ってるんだよ。情けないと思わないのか?」という突っ込みもあったかもしれません。
    素直に相手の言うことに従うこと(受け身の姿勢)で、結果的に場の雰囲気が良くなったり、上手く事が運んだりすると「後出しじゃんけんの様で卑怯じゃないか?」という突っ込みが強くなる傾向がありましたね。

    • tukatantikatan
    • 2015年 3月 14日

    私にとって よくわからないこと を言う人がいたので、詭弁の本で調べたのです。この1~2年、言ってることを何とか理解せんと頑張りました。すると見えてきたものは、誰とも関係の無い、その人が自ら持つ劣等感でした。屁理屈は、子供のうちだけにしたほうがいいとパートナーを見て思う。←子供のうちだけだったもん。ちゃんと育ったよ。
    詭弁は最後に私に悪意を教えてくれました。間抜けな私は自分から悪意を理解しにいってしまったのです。oh!でも私のような間に合わない人は、受け手になるだけなので知る必要は無かった。悪意を知ったほうがいいのは悪意を使える人だけだ。もう知ってしまったが・・・悪意はそれをもった者が、もった時点でその者に利益をもたらしてる。だから聞かないでいいの。あ、屁理屈はトイレの個室で一人で言うべきだとパートナーがよく言ってます。面白いでしょ。
    詭弁の研究者は変になってしまうことがあるというがさもありなん。。。もう詭弁家は大嫌い。議論なんてとんでもない。(私にわかる悪意は詭弁だけかも)ダッシュで逃げますよ。ダッシュできれば。

    • 182
    • 2015年 3月 16日

    私の受動型ASDっぽい実父は大変な詭弁家であります。
    そして同時に私も詭弁家と思われることが多いだろうと思います。
    というのも、私は実父の詭弁スタイルを「使える」と踏んでそっくりそのままインストールしたからです。

    ところが、昨晩わかったのですが、私がインストールして使用する詭弁には合理的な意味しか無いのに、実父の詭弁の裏には感情的な非言語アピールがあったのでした。

    昨晩、長女の卒園式帰りの私たちに「卒園式とか入学式とか、バカバカしい。何の意味があるんだ?」と問いかけてきました。私は「意味なんて無いでしょ。厳かに送り出したい先生や父兄のためのもの。葬式みたいなもんよ。」と答えました。
    すると、おっとビックリ、実父が「何て薄情なヤツだ。お前は俺のためには葬式をしないのだな?」と言うのです。

    おかしいでしょ?何か変でしょ?

    最初に「卒園式等々の儀式には意味がない」と言ったのは実父なんですよ。
    ちなみに実父は私が幼少の頃からこの様な主張をしていて、それで私は素直に「儀式に意味はない」とインストールしてあるのです。

    ところが、いざ自分の葬式となると話が違うとはこれいかに?

    実は、その時すぐには理解できませんでした。
    その場では「何か言ってることおかしいよ。」くらいにしか言い返せませんでした。

    このブログに戻ってきて、ああ、そう言えば受動型ASDは表面上の言葉より裏の非言語アピールの方が主訴なんだったな、と思い出しました。

    それで、少し余計な事まで気がついてしまったのだけど、実のところ、実母はここ数年で数回心臓発作を起こしていて、他にも難病指定の持病も持ってるし、そろそろ死期を予感させるのです。
    それで常日頃から「葬式なんてバカバカしい」と詭弁を弄する夫(実父)に自分の死後のことは任せられないと思ったらしい素直なのび太母は、着々と自分の死後のことについて娘の私に引き継ぎを行っているのです。「死に方準備」ってヤツですね。

    結局、実父の詭弁は不安の裏返しでしかなかったって訳だ。
    「葬式なんてバカバカしい」って詭弁の裏に隠された実父の現実的には無力で怯えた小鳥ちゃんの様な感情を垣間見た気がしました。

    何があったのか知らないけど愛着の対象だったはずの姉に「裏切られた(実父談)」らしく、それで母は調子が悪いし、、、で、今まで眼中に無かった私に対して非言語アピールする様になったんだなぁってシミジミ思いました。

    まぁ、応える気は無いんだけどね。

    • tukatantikatan
    • 2015年 3月 17日

    ちと、感情論を爆発させてしまいました。不快になった方ごめんなさい。
    感情論は高じると石悪認知につながるので注意
    不安といえば、私はASDの人の不安さはなんとなく想像できるんですけど、上昇志向の人の不安さは思いつかなかったです。
    そうかそうか、やっぱり考えてみれば大変なんだ
    急に大嫌いではなくなってきましたことでじーんとします
    合理型ジャイアン能力の有る人の話で、とげとげしさが緩和されるのび太の図、がここにあります
    大変感謝してます、ありがとうございます!!

      • tukatantikatan
      • 2015年 3月 18日

      これね
      会話みたいに見えて
      あーどうしようかなー注釈しようかなーいいっかなー
      と思ったんだけど
      一応書いとくと、勝手にヒントをもらったありがとうていうことです。ありがとうは書かなくていいと思ったけど、私はとても悲しい気持ちだったので、そこから逃れることが出来たのであまりにもうれしかったので書いておいた。
      >合理型ジャイアン能力の有る人の話で、とげとげしさが緩和されるのび太の図
      この図は私にしか見えないので書いておいた。

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