AC、人格障害関連

依存と自立への不安

 多彩な身体症状に苦しむジャイアンを助ける方法は、ジャイアンの本性に反した依存を止めて合理的強迫的な本来の立場に戻るという比較的単純な考え方だ。
 
 しかし実際の治療の中で、本人が治療自体に抵抗するようなことがよく見られる。それは「自立への不安」だと私は思う。

 さまざまな理由をつけて共依存を続けることを正当化し、やっぱり自立はできませんと回復に自ら抵抗する。

 もともと「砂漠のライオン」はジャイアンの古巣とも言うべき場所で、そこへ戻るのに何の抵抗があるのか?

 答えは、「依存の楽さを知ってしまった」ということだ。

 依存の状態は、自覚されないひずみにより身体症状が出るほかは、精神的には依存相手に「丸投げ」出来て、結果の責任も負わなくていい。

 ジャイアンが子供のころから暗がりを怖がり、鬼など超自然的な存在を怖がる根源的な不安をもこの依存は覆い隠す。

 従って、依存から脱してもとの自立に戻るということは、「依存のおかげで一時忘れてこられた不安に再度直面する」ということを意味し、ケースによってはとんでもない不安の原因になるだろう。

 特に幼児期から共依存の中で生きてきたようなケースは、事実上始めて自立することになり、これまで体験したことのないような不安を味わうことになる。

 ぬるま湯に慣れた体を冷たい水にさらすのは抵抗が生じるのは当たり前だ。
 依存の本当の恐ろしさは、その一時的に見かけ上不安を解消してしまう麻薬的な作用そのものから来ているのだ。

 治療者として私に出来ることは、「自立するしかない」という本当のことを突き付け続けながら、ひたすら自分から本人が動くのを待つことだけだ。


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コメント

    • のりまき
    • 2009年 7月 15日

    依存型ジャイアンの友人が、私の家に一週間泊まっていた時のこと。彼女は生まれて初めて一人で長時間カフェに坐ったのだそうです。それはとても不思議な経験だったそうですが、突然不安になってしまい、帰ってきたそうです。その後数日私が家を留守にしたときのこと、孤独に耐えられなかったのか、一週間は新しい恋人と会わずに自分の気持ちを見極める、それなら私の家に泊める、という約束だったのに、家の近くのホテルに呼びつけたことを知ったときは驚きました。たったひと時も自分と向き合えないのかと。自立する大きなチャンスだったのに。
    彼女も、よく分からない身体症状を抱えてしょっちゅう医者に行っていました。その医者は彼女のことを特別に気に入っているのだ、というようなことも真顔で言っていました。物心ついたときから運命の恋人を探していたそうですが、当時は恋愛に疎かった自分がずれているのかと思っていましたが、なんのことはない、依存相手を物心ついたときから探していたのだ、と気がつかされたのは、先生のBLOGでです。
    なんというか、今思うと、全てにおいて考え方が遠かったような気がします。しかしひとつの出会いがあると、それにどうしても全力投球してしまうのは、脅迫的合理主義ジャイアンの性かな、とも思います。彼女との関係は結局は終わってしまったけど、色々勉強させてもらったなあとつくづく思います。

    • ぴよよ
    • 2009年 7月 16日

    >従って、依存から脱してもとの自立に戻るということは、「依存のおかげで一時忘れてこられた不安に再度直面する」ということを意味し、ケースによってはとんでもない不安の原因になるだろう。
    こう思うことが付け入られやすい鴨でもあるのでしょうが、極端な負荷を負うかもしれないリスクを背負うのは可哀想な面だな・・・とつい思わされます。
    こういう所が私の迂闊さでもあるのですが。
    ただ、軽度の発達障害者は特に仕方が無く、リスクが身体にかける負担については、大げさに言うなら自暴自棄になる覚悟でしか現実には社会に出られないのではないでしょうか。
    ジャイアン傾向であれ、AS傾向であれ、対処能力を超えた予想外事態にはどうしても出会う、どんな仕事でも出会うものだろうと思います。
    まだ、この予想外事態の“予想”をより的確にするための情報も資料も十分に行き渡ってないし、予想外事態の対処事例もどこかが大量に集めているわけではありません。
    そういう面ではヤンバル先生が先進的な研究をしてくださっていると思いますが・・・。
    まだまだ、個別に具体的なトラブル予想を立てて、事前に情報や助言を求めたり、誰かが根回しできる体制が取れるわけではない現状だから、それでもトラブル要因が混沌過ぎる社会へ出すには背中を押すしかすることはないのかもしれません。
    特に、ジャイアン傾向には逆恨みされそうな、嫌そうな役ですね・・・。> < でも、そんなジャイアン傾向だからこそ、自立させないと本人も周囲もきっと何も始まらないのですよね。 後は自立した後なのでしょうが・・・。 どうして無いのかと思うほど、一人でがっついて学べる資料は見つからないですね。 人にケアを頼もうとしてジャイアン傾向もAS傾向も挫折するのですが。 一人でこつこつ本を読んだ方がいい精神状態の時もあります。 ASは多くの自伝本がありますから、何とかそこから我慢して選べましたが、他は・・・今までの立ち読みを振り返ってもこれというのが無いですね。支援資料か、福祉的就労レベルのジョブハウツー物ばかりです。 続けます。

    • ぴよよ
    • 2009年 7月 16日

    続きます。
    ハウツーは基本的なことは書いてありますが、現実には社会へ出たら生身の個性ある人間にしか囲まれません。本に書いてあるような理想的な平均的なお人形のような同僚ではありません。
    基本的に時期の早い遅いはあっても『何故ここにいるの?』と思われるのが現実です。カミングアウトしてもしなくても、これは発生します。
    そこを言語的、非言語的に様々な調節をし続けて日々謝り倒し、辞めないで出勤し続けるのが就労です。
    ジャイアン傾向ではなく、ジャイアン型の読者の方によっては、私の言葉こそ宇宙語に見えることでしょうと思いますが。
    生身の人間も日々仕事を気持ちよく、楽に、納得して要領良く済ませるために、共通の情報を共有して連帯意識を持ちます。それを妨げる異分子は排除したい欲求が当然芽生えます。
    自分がその連帯意識にきちんと入れなくても、その排除欲求をいかにエスカレートさせないかと、それを同僚同士の共有意識に持っていかないようにいかに努力するかが私が神経を壊さないかの鍵です。私は、出来はしませんが同僚の思考すらスキャンする責任、永遠に果たせない責任があるのかもしれないとすら思える時があります。
    しかしこの手間をカットすれば注意力の大部分を仕事に使えるのです。
    その選択責任も私、強いて言うなら私の管理責任がある上司と私にあると考えています。何故なら今のところはまだ、世論、一般論が決めてくれていないからです。
    ごめんなさい、続けます。

    • ぴよよ
    • 2009年 7月 16日

    続きます。
    『苦手分野を皆に公表したら?』という方法論もあるようですが、作業効率に囚われず、感情的反応も入れて計算すると、私はおいそれと従えません。それでジェンガが崩れても責任は私が負うのです。
    それらもまとめた資料が欲しい、一般市民の憎しみに見事対応した成功者の事例が欲しいのですがね・・・。
    選択責任を負わないと、職場でKYな楽屋裏を出す事態になり不利益を負います。想像付きます。
    気持の理解を求めるどころか、社会保障、病休の保証、経済力の保証、世間体の確保、好奇心による疑問と職務責任の追及を「辞めれば?」等感情的に、無制限に全員人数分受け付け続ける責任が発生するのが落ちでしょう。相談にもならず問題の解決には繋がらないと・・・今の所は思い込んでいます。
    他の成功事例を私は知らないからです。
    個々のジャイアン傾向の人も、AS傾向の人も、こんなのまでがいいか良くないかは分かりませんが、日々の勤務に使えるだけのオリジナルの主義主張を作って覚悟できるかが自立後に挫折を先延ばしに出来る方法なのではと思うのですが。
    ・・・ああ、書き切れませんね。

    • ぴよよ
    • 2009年 7月 16日

    主義主張ではない、主義信条ですね・・・。
    どうもすみません。

    • YK
    • 2009年 7月 22日

    このまま、当面楽な道を歩いたら、また不調がきて、今度こそ血圧低下による多臓器不全で死ぬなと感じました。
    死にたくないのでしんどい方の選択をしました。
    その上、朝、教会のミサに行き始めました。
    教会には申し訳ないですが、早起きの為が動機の半分です。
    もう1週間続いています。
    朝6時起きです。
    私はやはりまだ生きたいようです。

    • ぴよよ
    • 2009年 7月 31日

    ジェンガが、既に崩れていました。過去形です。
    それで非常に混乱しながらも、忙しさに忙殺されてこうして書いて振り返ることもさぼっていました。
    “変わった異分子”が組織にいるということはこの繰り返しです。
    邪魔だ邪魔だというメッセージ、非言語的に、職場によっては言葉ではっきりと言われながら、人にやり場のないフラストレーションを溜めさせ続けるのだと思っています。
    雑談にも、完璧に無関心になっても目障りになる人はなり、入ろうとしても入られる方が腹立たしくなるのが法則のようなものです。
    だから、仕事に集中しながらたまに引きつり笑いで入りたそうにするのがその場の心懸けだと思い込んでいます。長年の研究の末に取っている自虐的な方法です。
    ずっと昔に相手の勢いではっきり『辞めてほしい。』と言われたこともあり、話の展開が早かったので脳波の遅い私はやむなく聞き流しましたが、これからも『貴方のような人はここではないどこかで自立も出来て寂しい思いもしない適性にあった生き方をすればいいのに。』と仮にやんわりと言われたとしても、どう言われたとしても全ての“嫌い”メッセージに私は対応する責任があると思っています。
    そしてそれは、どの職場でも、仮に福祉的就労の口だったとしてももっと症状の重篤な人が集まっているわけですから、全部同じだと思っています。
    現在することは、非言語的メッセージを見落とさないように探ることです。
    “私が“変人”だということを皆に知られていることを分かってしまっていること”を、何人の同僚が知っているのかが皆目分からないです。
    彼ら彼女らの本音が分からないので、自分で視界の端で探らなければなりません。
    子どもについて集中して悩まなければならないときは別として、「いやいや!」と過去の再燃して意識を引きこもらせるわけにはいかないです。
    続けます。

    • ぴよよ
    • 2009年 7月 31日

    続きます。
    それに私は他人を十把一絡げにして白黒で見るので、次は個人に焦点を当てなければならなくなりました。
    “変人”を分かっていても、ご自分の意思で親切や協力をしてくれた人には、人として恩を感じなければならないと自分の信条として思っています。分かっていて、優しくして頂けたのは、経緯がどうあれありがたいことなのです。
    正直、仕事が増えたような気分ですが、同僚もそうなのでしょう。
    この件で確認とフィードバックが無い関係(あると困ります。)で、見えづらいし気持ち悪い部分もあります。本当はそこの支援こそ、予約だの外出準備だの列車だのでエッチラオッチラ遠出するのではなく、その日にすぐメールとかで受けられるくらいがいいと思ってきましたが、無いので無いままここに居続けるしかすることはありません。
    私が欲しいのは、心因症状を予防するために慰めももちろんですが、それこそ支援者としての客観的な視点から、言葉にして双方が語られない部分も過去事例などから推察して言葉に起こして説明されること、これがされてやっと私は萎縮のないまま相互関係が理解して脳に着地できるような気がしています。そのことに、人より多くの時間が掛かるだけ(この“だけ”が笑えない苦労なのですが。)なのです。
    ジャイアンのかたにとってももの凄い面倒さのある理解と作業と思います。
    ただ、一度合理的に吹っ切ったら慰めも耳に入らない集中でやってしまうのでしょうね。
    人のことを言ってる場合ではないのですが、慰めと忠告の区別も付いてくれれば、ボートが滝から落ちる前に耳を貸せるようになるのかもしれませんね。
    滝から落ちることは、程度の差はあっても周りも迷惑なのですから。
    私も、ジャイアンのかたも、国語の読み取りから勉強し直す機会があると、あるいはもうちょっと違うのかもしれませんね。
    これも、書き切れませんね。

    • bikeiy
    • 2009年 8月 06日

    初めてメールします。私は「自分は一体なんでこんな思考をするのだろう」という疑問をたどって、このHPにきました。内容を読んで、これを全て理解するのは困難だーというのが率直な感想です。みなさん、めちゃくちゃ頭脳を駆使されていらしゃいますねー。
    さて今回の「依存 自立の不安」というテーマなのですが、私も自分の中にものすごい「依存」が存在するという事にあらためて気がついた一人です。自立の不安を解消するのに、自分なりに「宗教」的(既存の宗教団体が唱えているようなものではありません)なものをイメージできるようになってから、少し自立の不安がやわらいできました。そういうイメージというのはどういう関係があるのかな・・と疑問に思いました。ちなみに私のパートナーは、私が抱いているイメージについて、「危ない」と感じているようです。

    • ぴよよ
    • 2009年 8月 12日

    軽度発達障害者が働くということ、それは軽くない発達障害者や他の障害者が働くことと、今はまだ意味が違うでしょう。
    他の障害者は幼少時に医師が発見します。
    軽くない発達障害者も診断では家族が付きそう事例がこれから増え続けるでしょう。だから家族も障害理解を全部ではなくても共有できます。
    しかし軽度発達障害者は自分にしか自分のハンディが見えません。
    周りにはどこまでも自分を“誤解”する権利があるのです。
    苦しめば「肩の力を抜けば。」、具体的に言えば「分からない。おかしいんじゃないの。」、恐らく仕事を辞めれば「世の中を甘く見ているね。」、出来ないことを出来ないと言えば「仕事は出来ないでは済まない。」、極端に部屋が汚れても「仕事と生活と切り替えを・・・。」どこまでも思い込みと想像と自己都合と社交辞令、角度違いの感情移入等で物が言えます。
    そして言わせた私が謝ります。
    謝ってもトラブルはそのまま私の目の前に灰色のままで残ります。
    いつまでもリーダーが出来ない、チームの統率が出来ない、でも私は余裕が無い、周りも不公平感を感じる、周りはこの状況を納得出来る手がかりがない、だから自分が軽度発達障害である情報は、現場で困らされている人とは別に誰かが持っている必要はあると判断してきました。
    だから管理職しかいません。
    しかし采配(この使い方でいいのでしょうか。)は管理職に任せたとして、現場の感情的反応の対処は、一人で背負ってきたつもりでした。これが正解かどうかも分かりません。
    私なりに探してきたつもりでしたが、外部に相談先は現在ありません。これが現実です。
    続きます。

    • ぴよよ
    • 2009年 8月 12日

    続けます。
    AS傾向にとってのこれからの就労は、必要とされないまま働く屈辱か、辞めるかの選択になっていくのではと思います。
    私は発達障害を知らないまま就職したので、少し申し訳ない位の気持ですね。
    脳波遅い、不注意あり、思考はAS、知能はそれなり、これは一般就労でも福祉就労でも周りに違和感と疑問を抱かせ、混乱させ、最後はストレスを発生させ嫌われる要素を持つということです。
    私の脳だけが拘りで激しく知的に動き続け、集団生活のルールとして感情の爆発を押さえるための手立てを独りで考えさせられる。
    究極はただ自分の部屋で自分の好きな物に囲まれて、自分の世界に意識を遊離させてる動かないお肉の固まりになってるのが一番いいはずの生き物であるような気がします。
    しかしどこかに人間は居ます。感情の爆発、それはどこかに人間がいるから起こります。
    対人欲求があるから迷惑をかける、でも衣食住は対人関係を持たないと手に入りません。
    しかし必要とされていない人間。
    だからAS用理屈で表現するなら、衣食住も本当は手に入れる必要も生きる必要も無くなってしまいます。
    それを知らずに自己にありのままに生きてしまうと、新生児の原始体験?のように生存反応すらシャットアウトしなくてはならなくなります。
    どうもすみません。続けます。

    • ぴよよ
    • 2009年 8月 12日

    すみません。続きます。
    ただ、産まれてきた者の責任として、命を食べて生きている者の責任として命を長らえる努力をしなくてはなりません。
    だから働く。
    しかし働くからには現状として、相手を騙す、大げさに表現するなら裏切る要素をどうしても撒き散らすのはしたくないですが避けられません。働くためには対人関係を求めないとそもそも業務は見えません。
    だから企んででも、自立の仮面をかぶってでもその場に逃げないで居続けます。すると特性がばれます。
    努力の結果として、軽度発達障害は人を騙すようにできている、魔女なのです。
    九九が出来るくせに、掃除も敬語も出来るくせに、人並みの漢字も書けるくせに、時間外勤務して努力までして見せられるくせに!、仕事の成果をあげられない特性を隠してる、魔女狩りで狩られるべき魔女なのです。
    騙したうえに対人欲求まで望みたがる、詐欺する魔女なのです。
    社会へ出ることは、極論を言うなら魔女裁判にかけられ処刑台で吊されるまでの逃亡生活のようなものなのかもしれないと考えました。
    引きこもれば親に迷惑、社会へ出れば魔女狩りで自分が処刑、いつかは親もいなくなり自分で最後は直面化です。
    就労努力とは、親か、自分か、を天秤にかける行為と言えるのではないでしょうか。
    だから始めに戻って、ASであっても必要とされないまま働くか、辞めるかの選択をします。
    ASにとって無ければ生きられない酸素のような大事な対人欲求でも、人は私がそれを持つことを必要としていなければ、イコール生きることが始めから必要とされていない、永遠の仲間はずれ、それが分かっても果たして働くのかどうか?
    とてもすみません。長くてすみません。続けます。

    • ぴよよ
    • 2009年 8月 12日

    続きます。
    しかし私は、それでも生きる、働く選択が実際にできているわけですよ。
    それはどうしてかなと、時々考えさせられます。
    今の子どもや若者は、三十年前に比べると携帯電話等の進化により必要以上に境界線を越え合う関係の中で生きています。
    メールの返事はすぐ返して当たり前の感覚が未だ私は分かりませんし、生活のキャパシティを越えますのでこれからもそのように努力する気はありません。
    しかし若者同士の繋がりの現場では、もう鈍感が許されない文化と化しています。
    その文化で生きている者に、現実は現実として知らせながら、義務ではなく、責任でもなく、せずにはいられない事としてどうしたら“孤独でも働いて生きていくこと”を知らせられるのでしょう。
    この灰色の生き方を、私の勝手の範囲ではなく、これをクライアントに伝えたり情報を共有する方法が分かれば、軽度発達障害の青年期支援の理想の一部分が見えてきそうな気がするのですが・・・?
    格好を付けて書いたつもりはありません。そう見えたらすみません。
    そもそもこの国の終身雇用制度が崩れたから、薄幸で平凡な人間がこうして慌てて能動的に働く理由を探さなくてはならなくなっているのです。
    探さないで働くと憂鬱になって心因症状の前触れになり、危ないのです。
    ただでさえ生きる作業は面倒なのに、すべきことが増えて非常に迷惑です!

    • ひまわり
    • 2009年 8月 16日

    旦那さんの父親が亡くなり、5年半別居中の旦那さんに会わざるを得なくなった。
    相当な悪者になっていたはずの私(嫁)を、旦那さんも義母も親戚一同も、何事もなかったかのように(?!)迎え入れた。
    普通に嫁として、手伝いをし、軽く会話を交わし(旦那さん以外)、無事葬儀も終えた。
    義母は、時折泣いて悲しむ姿もあったが、
    以前の普段と変わらず、親戚一同と大きな声で笑ったり、悪口を言ったりと、にぎやかだった。
    髪の毛がぞろぞろしてる(長い)からと、お通夜の前に美容院に出かけたり、
    葬儀の翌日、仕事を頼まれて仕事を請けていた。
    これは、健常発達の人の姿でしょうか?
    私には、不思議に移ってしまいました・・・
    そして、旦那さんといえば、久しぶりに会った子どもと、やはりふざけた行為や言動をして関わっていた。
    こんな場所で???こんな時に???何やってんの??と呆れた。
    しかし、私の頭をよぎったことがある。
    それが、『依存と自立への不安』ではないかと、思った。
    このまま、旦那さんの元に戻ったら、楽だろうなー?
    自分に責任を持って、必死にいきなくても、旦那さんの稼ぎの下、ぼちぼち仕事をしながらのんびり生きられるだろうなー?と気持ちが一気に依存に向いてしまった。
    ASだろう旦那さんとの20年・・・それは、身体症状に苦しみ続け、死までも考えた生活だったのに、忘れてはいけない。
    先生のお陰で、このブログのお陰で、気付ける。
    本当にありがたい。
    義父の死を悼んでいるのは、誰なんだろう?
    義母や旦那さんは、とても悲しんだり悼んでいるとは感じられない。
    人の死を悼む、私の方が変なのかしら???
    発達障がいを抱えた人の、「愛」とか「生」とか「性」とか「死」など、健常発達の人でも一概には言えない分野の、感じ方考え方に特徴があるのか知りたいです。

    • うにゃ
    • 2011年 3月 31日

    >依存の本当の恐ろしさは、その一時的に見かけ上不安を解消してしまう麻薬的な作用そのものから来ているのだ。
    自分と親との共依存を認識するだけでは、まだ不十分なようです。
    自分の不安(というか恐怖に近い)の重さを自分で認めないと、
    無意識に依存へ逆戻りしてしまいそうです。
    本当は認めたくないんですけど。
    別居して一週間しか経ってないのに連絡を取りたくてしかたない、目が覚めたとき母がいてくれたらと想像してしまうなんて。
    しかし、平気なふりをしても身体症状が出て3日連続欠勤してます。
    多分、不安の正体は、幼い頃に感じてきた恐怖です。
    >ジャイアンが子供のころから暗がりを怖がり、鬼など超自然的な存在を怖がる根源的な不安をもこの依存は覆い隠す。
    ・・・私は、異母兄弟の亡き母の亡霊に恨まれている妄想を抱き続けていました。
    私さえ生まれなければ、消えてしまえば、父と異母兄姉は継母(私にとっては実母)を身一つで追い出しただろう。そうすれば、亡き母の思い出話も、アルバムを眺めることも自由にできたはずだと・・・。
    逆に、母が死んで私だけが残されたら、父と兄姉からひどい仕打ちを受けて殺されるのではないか・・・。
    本当に、とても、とても、怖かった。
    しかし、事実はこうだ。
    悲しい歴史を持つ家に生まれてしまった、そして両親は何らかの人格障害があった。
    父も母も、兄も姉も、私も、それぞれの位置での苦悩があった。
    もう私は、母に支配されたくない。自分の人生を生きたい。
    そのために、母と距離をとる。

    • アメジスト
    • 2013年 8月 22日

    >もともと「砂漠のライオン」はジャイアンの古巣とも言うべき場所で、そこへ戻るのに何の抵抗があるのか?
    答えは、「依存の楽さを知ってしまった」ということだ。
    ジャイアンについての記事ですが、人間全体にあてはまる記事だと思いました。
    若い頃のことをふと思い出したのですが、恋愛と共依存はどう違うのだろうとつくづく思います。
    年を取るとすごく興ざめなことを言って申し訳ないのですが、
    「恋愛はホルモンの病気」という一面は確かにあると思います。
    それに共依存が絡むともう恋愛感情は非常に深まりそうです。
    私が大学生の時に帰国子女のアメリカナイズされた同級生の男子を好きになりました。しばらく付き合ったのですが、私が依存の強いAC的な性格だとわかって、「僕は自分を持っている人が好きなんだ」と言ってまたアメリカに留学してしまい、留学先で「精神的に自立したアメリカ人の彼女」を作り、帰国後、私に謝罪していました。
    私が瞑想(坐禅)を始めたきっかけは彼の存在でした。彼は自分を持っているのに、私には自分がない。その悔しさをバネにして、瞑想で、自分を掘り下げることに集中していきました。
    今思うと、彼が共依存的で私にベッタリする人でなくて、本当に本当に有難かったと思います。
    >治療者として私に出来ることは、「自立するしかない」という本当のことを突き付け続けながら、ひたすら自分から本人が動くのを待つことだけだ。
    先生が、こうおっしゃってくださることは本当に有難いことです。
    男女関係に関して言えば、理想的には自立した男女が、建設的に協力し合いながら、お互いを尊敬し合って、家庭を築けるとすばらしいですね。
    なかなか難しいんですけどね・・・。

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