AC、人格障害関連

管理型共依存

 ジャイアン親子の場合、親が依存型ジャイアンの場合はかなりの割合で子供も依存型ジャイアンとなる。何故なら「合理的思考」がインストールされないからだ。
 
 ところが不思議なことに、親が超合理的強迫的なジャイアンの場合でも、子供が依存型ジャイアンになってしまうことが最近分かってきた。

 この現象をとりあえず「管理型共依存」と呼んでおこう。私の考えはこうだ。

 「強迫的な親ジャイアンは、子供の行動の結果について知っておきたい」。たったこれだけのことで、子ジャイアンは依存型へと成長することになる。

 「知っておく」、「不確定要因を少なくする」、「危険や明らかな不利益の状況を回避させたい」という親ジャイアンの希望は、必然的に「尻拭い」的な介入を帰結する。
 もともとジャイアンは親になると親である自分自身と子供の問題を混同する傾向があり、また強迫的に自分にも降りかかる不利益を許せないから、子ジャイアンの行動について過度の干渉をする結果になり、事実上子ジャイアンは「失敗する自由」を奪われて自立への可能性を著しく制限される。

 他方で子ジャイアンの側はどんなに自分なりの生き方や行動方針を自分で考えても、「それよりも合理的で強迫的にきちんと立てられた親ジャイアンの方針」が常に必ず存在して、それと比較すれば必ず自分の考えはかなわない。
 逆に自分なりに考えて失敗(特に親自身に損害を与えるような)でもしようものなら、親ジャイアンからこっぴどくフォローの余地の無いような全否定をされる結果になる。

 これを数度でも繰り返せば子ジャイアンは「自分で合理的に考える」ことをしなくなり、「強迫的な親ジャイアンにぶら下って言われるようにしておけば、結局親ジャイアンが深刻に困る結果になりそうなときは毎回尻拭いしてくれる」というスタイルをインストールする。これこそ依存型ジャイアンそのものである。

 親ジャイアンがこのことの問題性を理解するのには非常に困難がある。「何で、損害になりそうなときに前もって手を打って何が悪い?」「何で教えていけないんですか?」ということになる。

 合理的強迫的ジャイアンは、自分が依存的な発想をしないというのも盲点の一因となる。何故なら、「子ジャイアンが同じ合理的強迫的ジャイアンであれば、親に言われても必ず自分でも確認するから、情報提供がマイナスになることはありえない」と想定するからだ。

 この想定には、致命的な問題がある。それは、「依存的な相手は、確認しないで丸投げ的に親ジャイアンからの情報提供を指示ないし命令と受け取って乗っかり、自分で考えることを捨てて従い、うまく行かなかった時に親の責任にする」という可能性を全く読めていないからだ。

 かくて「結果を知っておきたい」というだけの理由から、子ジャイアンは依存型への成長する結果になる。

 そうならない可能性は、「子ジャイアンに明らかに不合理で不効率で馬鹿馬鹿しい不利益となる失敗をする自由を認める」ということでしか可能とならない。

 親ジャイアンには非常に辛い選択だが、「仕切ろう」「知っておこう」という自分の衝動を抑えて、「子供の人生は子供の自己責任、自業自得」と(思春期以降は)突き放して超合理的に考えられるかどうかにかかっている。

 これは裏返して考えれば、「結果を知りえない不安に親ジャイアンが耐える」ということに他ならない。


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コメント

    • エイト
    • 2009年 7月 06日

    「管理型共依存」・・絶妙なネーミングです。
    もしもうちの子ジャイアンがそこそこ「できの良い子」だったなら、今でもその状態が続いていたと思います。
    振り返ってみれば、自分の異常さ。。なんと無意味なことに時間と労力を消耗していたのか。。
    その頃に比べたら、今は嘘のように気楽です。
    自分の好きなことしかできない子なので、毎日それだけを思う存分やっています。
    その好きなことも、自分に自信がなかった頃は「もっと小さい時から親が熱心に英才教育してくれなかったから!」と責任転嫁していた時期もありましたが、納得のいく結果を出すようになってからは「自分が努力したからだ、これからもがんばる」と言うようになりました。
    放っておいてほんとうに良かったです。
    先生の言葉はどれもとても参考になりました、ありがとうございます。
    注意するのは「学校の宿題くらいはきちんとやれ」だけにしました(もしかしたらこれも言う必要ないのかもしれませんが)。
    必ず「うるさい!」と返事が返ってきます。
    「宿題をサボったらどんなふうに不利になって自分に返ってくるのか、よくわかっているんだよね?私には関係ないけど」という言い方が一番効き目があります。

    • kcotan
    • 2009年 7月 06日

    もしかしたら、私と子供の関係がそうかもしれません。
    お互い好き同士だとは思うのですが、なんだか私がガミガミと一方的に仕切ってるような関係になりそうな様子でした。
    しかし私は本来、何かを決定するのが苦手で、それはそれで方針を定めることが苦痛だったりして…
    たまたま?というか、私にとって、そういうストレスも加わったせいもあったり?して、その後、私が好きな人を作って家庭から離脱したので、今は子供ものびのびやってます。
    こういう性質だと、近視眼的になってしまうとダメっぽいですね。あのままだったら、かなりどんよりとその世界にハマっていた気がしてなりません。

    • kame
    • 2009年 7月 06日

    自分は、まさにそのように育てられたのだ、と思います。
    >子ジャイアンに明らかに不合理で不効率で馬鹿馬鹿しい不利益となる失敗をする自由を認める
    私が、望んだ自由もこの言葉のとおりです。
    >結果を知りえない不安に親ジャイアンが耐える
    ということを、果たして理解させることが出来るのか…

    • momo
    • 2009年 7月 07日

    私の母親の子育て?もADHDの過干渉タイプでした。
    私は途中で脱出しましたが、
    妹は親元に残ったため、依存型まっしぐらのニートになっています。
    当時はADHDなどという概念もなく、
    私は幼い頃から母のことを「とにかく異常に未熟な人」と感じていました。母親というよりは「もう一人の子ども」って感じでした。
    「虐待」をしつけの一種とみなす風潮がまだ残っている時代で、とてもつらい思いをしました。
    今となっては、母はかなり重度のADHDだろうと推測しています。本人およびその配偶者は診断を拒んでいるので、確定できませんが。
    「ADHD児の養育」に関する本は最近よく出ていますが、「ADHD児は虐待の対象になりやすい」とはあっても、
    「ADHD親は子どもを虐待しやすい傾向がある」と書かれている本は少ないようです。
    でも実際にはよくあるパターンではないでしょうか。
    潜在的な危険性の一つとして認識しておくべきではないかと思っています。

    • 海風
    • 2009年 7月 08日

    はじめまして。30代の女性です。
    去年暮れぐらいから、拝読させて頂いてます。
    ジャイアン型のADHDの可能性が、とても高い父親を持っております。
    身内にADDとかADHDとか、とても多そうな感じです。
    うちの父も、正しくそういう感じで子供に接していました。
    尻ぬぐい、は、してくれませんでしたが。
    お陰で、物心着いた頃には、すっかり萎縮するようになってしまい、
    自分の感じていること、考え、信じていることに、
    全く自信が持てないし、認められたことがありません。
    大人になってから、ずっと、それを取り戻そうと色々やっています。
    お陰で随分自分のことが好きになってきました。
    やんばる先生のお書きになった物を読んで、
    やっと、父のことが少し理解できました。
    あまりに当てはまるので、びっくりしました。
    ADHD自体は、10年ちょっと前から知っていますし、
    私自身がそうであろう、と思っていたのです。
    (どうも、違うっぽいです。精神的虐待のせいで、
    そういう感じになっただけ、という方が、正しいみたいです)
    父も母もそれっぽい、とは思っていました。
    (続きます)

    • 海風
    • 2009年 7月 08日

    (続きです)
    「ジャイアン型」というカテゴリーは、勉強しなかったので、
    やんばる先生の記事を見て、「そっかーーーーー!!!!」と、
    色んなことにすごく納得がいきました。
    父は、相変わらずですし、テレビなどで見ているとは思うのですが、
    自分がADHDだとは、夢にも思わないようなのです。
    高学歴、高い社会的身分の職業、とあって、自分の考えに絶対の自信があり、
    「自分は正しい!自分と違う考え、感じ方、感覚は間違ってる!」と、常に言っています。
    何かについて「イヤだから止めてくれ」といっても、
    「そう感じる方が悪い」と、まったく反省してくれません(^^;)
    (こんな人、他に見たことがないです)
    モラハラ気味で、一緒に暮らしていて、
    辛い気持ちになることも時々あります。
    が、知っているので、同じようなことが起こっても、
    前より随分気持ちが救われます。
    本当、「智は力なり」ですね。実感します。
    やんばる先生のお陰で、救われている方は、
    ものすごく沢山いると思います。
    当事者も、周りの人間も。
    丁度良い機会だと思ったので、感謝の気持ちを述べさせて頂きました。
    ありがとうございます。

    • kame
    • 2009年 7月 09日

    この件、2度目のコメントです。
    最初読んだときは、自分と親についてのこととしか捉えていなかったのですが、よくよく考えれば自分が娘にしていることも、そのまんまであると気づきました。
    私は、娘が「なんらかの発達障害であること」について、「私が自らが被った不利益を得ないように」という理由で彼女の人生に介入しようとしています。
    なんともっともらしい理由か‥と思います。
    発達障害といわれるものは、まず自分で他者との違いを感じなければ、自身の問題として捉えていけないだろうと思うのですが、
    私はその機会さえ奪おうとしていました。
    私が「告知」して、「管理」してあげようとさえ思っていたのですから、我ながらあきれますね。
    結局、私は「愛情」=「管理」と刷り込まれている人間なのだとわかりました。

    • ひまわり
    • 2009年 7月 11日

    かなり合理的ではあるとは感じていましたが、
    今回のテーマで、自分がジャイアンであり、ジャイアン全開の子育てをしていることに気付かされ、
    自己突っ込みが入り、苦しいです。
    >「何で、損害になりそうなときに前もって手を打って何が悪い?」「何で教えていけないんですか?」
    ・・・まさに、この通りの考え一筋で子どもを育ててきた私です。が、この親らしい考えの根本には、
    >自分自身と子供の問題を混同する傾向があり
    >自分にも降りかかる不利益を許せない
    ・・・という、子どものためではなく、結局のところ自分のことしか考えていない自分があり、
    こうして文章になってしまうと、本当に嫌な人間であることを認めざる得ないです。
    驚いたことは、
    >自分が依存的な発想をしない
    ・・・が故に、
    >~自分で考えることを捨てて従い、うまく行かなかった時に親の責任にする」という可能性を全く読めていない。
    ・・・とは思いもよらなかったです。
    だいたい、『人のせいにする』なんてことは、私の辞書には存在しませんでしたから、
    上手くいこうが、いかまいが、結局のところ最終的に決めたのは自分だから、仕方がない、と自己責任で生きてきました。
    人は誰もがそうだと思っていたし、そうであるのが当然であると考えますし、『人のせい』発言をするような(依存)人間は切り捨ててしまっていました。
    なのに、まさか自分が子どもに、
    >「強迫的な親ジャイアンにぶら下って言われるようにしておけば、結局親ジャイアンが深刻に困る結果になりそうなときは毎回尻拭いしてくれる」というスタイルをインストールする。
    ・・・ような、子育てをしてしまっていたとは、ほんとうに嫌になります。
    しかし、悲しいかな、『そこそこ』や『適度に』、が上手くできない私は、
    子どもを突き放す、となったら、完全に自分から切り離してしまい、
    『見守る』ような良い距離間が持てないのが、辛いです。
    >「結果を知りえない不安に親ジャイアンが耐える」
    ・・・ために、この子がいないかのように考え続ける方法しかとれず、体が病んでいく現実が、、、きっと待っている。

    • kei_
    • 2009年 7月 11日

    母親と娘(私)の関係がこれで、引き続き夫と私もこの関係で、、
    もし、子育てをしていたらまたまた、この関係が引き継がれていったのだろうかと思いました。
    私の場合は、ほとんど「体調不良」というカタチで親なり夫に「不利益」=看病、、時に喘息などの発作となると救急車などと、とにかく何が起こるかわからない!!という不安を常に与えていたようで・・・。
    もう、慢性的に「失敗」=身体的に負荷の掛け方を間違えることは、許されないムード、、。
    それは今でも変わりなく、
    「結局、面倒をみるのは(尻拭いするのは)、オレなんだから、余計なことはせんでくれ!!と・・。
    確かに部屋が片付いていなくても、不調で料理ができなくても、怒られはしませんが、
    そのかわり、好きなこと、やりたいことをして、体力の限界を超えてしまうことも許されない(だいだい超える!!)感じです。
    私自身も同じように、相手をコントロールしていたのだと思うので、お互い様!?
    「そこそこ」も「適度に」も上手くできない・・・
    ハイ、私も(笑)。。
    ただ、少しは変化の兆しもある気はしているんですが。。
    (1ミリくらい・・・)

    • α
    • 2009年 7月 24日

    まさに私と、過干渉であった父の関係です。
    「結果を知りえない不安に親ジャイアンが耐える」
    抗鬱剤抜きに、親ジャイアンにこれは耐えられないでしょう。
    ADHDは下手をうつことが多いので、基本的に未来に不安感が強いからです。

    • ADHD母
    • 2009年 7月 29日

    社会的にみると依存型ADHDは問題が多いけど、合理的ADHDは魅力的でできるお母さんが多いですよね。
    自身は依存型になりそうなところを自分なりに試行錯誤しながら合理的に生きてきました。(つもりです)我ながらおかしな脳を持ちつつ人に頼らず頑張ってきたなあって。
    しかし今回のを読ませていただき、まさに息子に対する私がこの通りで真っ青になりました。息子は勉強は好きですがぼんやりしていていじめられ易く、診断つきのADHD(不注意型)です。自分が過去失敗してきたケアレスミスや躓きを私にそっくりな息子には回避させようと必死になってしまいます。中学受験も控え生活管理はヒートアップしており、朝から晩まで数分刻みで管理しています。(そうでないと時間の概念がないので寝るのが深夜になります。)
    受験をあきらめることも考えましたがとにかくいじめられ易く同じメンバーと公立に行きたいくないのは本人の意思です。
    ああどうすればいいのでしょう。ほっておいたらとんでもないことになる息子ですが、自分で失敗する・・結局これが大人になるためには一番大切なことなのでしょうね。とにかく宇宙人のように物忘れがひどく、むしろカウンセラーなどのプロには先回りしてフォローし、担任などに叱られる場面を減らせと言われますが、実際成人になるまでそんなことはできないですよね。内心、無責任じゃないのか?とは思っていました。
    しかし、どこかに私も競争意識があり(学校なんてどこでもいいじゃないの)と思いつつどこかに(偏差値が1でも上の学校に行ってほしい)と思う自分がいます。実際自分のいる世界はそんな感じでママ友たちは私よりはるかに上を行く管理型ですが。何が違うかといえば子供が定型です。だからうまくこなせるし、親の悪い影響も受けにくい・・。これは大きな差ですね。
    これはバイブルにしたいと思います。

    • パパイヤ
    • 2009年 8月 01日

    私がずっと思ったりコメントに書いたことが記事に書いてあると思いました。(YANBARU先生が私のコメントを参考にしたとは全く思ってませんが。。。)
    私の母親は「ジャイアン」というには良妻賢母過ぎるしと思ってましたが、合理的ADHDの管理型共依存というのがぴったりです。父親は受動型AS?
    母も父も「自分が不安になりたくないから」という一点で私に習い事や部活や塾行かせたりして中学受験させたりして・・・(図工に2がついたとき、絵を習わされた。小3くらいまで超~おとなしかったので心配され武道系の部活に入れさせられた。地元の学校が荒れていたのでいじめられると思って、塾生かせて中学受験させた→いじめられるようなたまでもないし、地元の小学校に友達超一杯いて楽しかったのに。。親は私に楽しい中学校生活を送らせたくない!がり勉ばかりの中学でおとなしく勉強でもしてろ!と思っているように感じた)
    ってほんと恨み言ばっかりで申し訳ないですが、ほんと、中年の今でも恨んでます。
    私はADHDで、こどものときからいつも忘れ物やぼーっとしたりしてましたが、成績はよかったし要領がいい部分や生命力が強いところがあると自分を信じきっていたので、親に心配される意味がまったく分かりませんでした。(その一方、根が深い自分に自信が持てない症状があります。。。永遠に完璧になれない完璧主義者というか常に誰かから怒られてるような感じで萎縮しているというか)
    私にも子供がいるので、自らを振り返らないといけないですが、とにかく親が子供を心配したり不安になったりすると子供がそれに感づいて、自分に自信が持てなくなるので、子供を心配するのはやめようと思ってます。とりあえず、子供が入院したり、他の子を病院に行かせたり、他人に金銭的に被害を与えたりするようなことは阻止しようと思ってますが、それ以外は気にしてないです。(けっこう色々ありますが、3日もすれば私が忘れるし。。それどころじゃなく。。)
    もっと大きくなったときどうなるか分かりませんが。。とにかく自分がいやだったことは子供にしないようにと思って、教育ママになってないとは限らないと常に自分を戒めてます。

    • ひまわり
    • 2009年 8月 02日

    (母親からの電話を切り、またコメントしたくなりました)
    私は、自分自身が母親のようにはならないように、子育てしてきたつもりでした。
    が、娘が、私が親から離れた年齢になった今、
    私は、確実に自分の母親化としてきていて、
    自分の思い通りに子どもをコントロールしていたことを、思い知らされています。
    娘は、自我を持ち、私が母親の管理を切り捨てて出てきたように、「母さんは母さんの好きなように生きたらいい」というセリフを残し、私を切り捨てた。
    そして、今私に残ったのは、母親の愚痴の聞き役です。
    結婚までの私は、(たぶんADHDだと思われますが)
    恥ずかしいくらい、新し物好きで興味の対象が次々変わり、しかも今までのことを整理していくこともできず、バタバタ騒然とした子どもでしたので、母親も手を焼いていたことでしょうが、
    母親自身も、丁寧な子育てができる人ではなく、放任しっぱなしの部分と、自分が中心で楽しいことが起きることのみに意識が向いている人でしたので、
    自分が、こんな恥ずかしい人間であるのは、母親が私に向き合い、自分の楽しみばかりに意識を向けず、私をきちんと躾けてくれなかったからだ!!
    と(ジャイアンにはめずらしく)母親のせいにしながら、
    子どもを厳しく育ててきました。
    (といっても、やはり育った環境から、きっと歪んだ躾で)自分の思い通りにさせたかっただけだと思います。
    子どもからのセリフに、管理型共依存であり、それが親子代々繰り返されていくことを、感じずにはいられません。
    今もなお母親は自分の認知の歪みには気付かず、
    自分がチヤホヤされない場面での怒りが常にあり、
    十分幸せな環境でありながら、(ASぽい)次女(私の妹)との同居生活での鬱憤を私にぶつけるという人生です。
    (続く)

    • ひまわり
    • 2009年 8月 02日

    (続き、長くてごめんなさい)
    なんか知らないけど、
    かまってちゃんで文句言いの母親と、無口で無愛想で優しくない次女は、二人がお互いに腹を立てながらも、お互いに気を使い、冷たーい空気の中、同居を了解の下続けている関係で、
    それが私は不思議でなりません。
    私は、駄目なら絶対に駄目だし、気を使えないし、我慢し続けられない。
    だから、
    >「結果を知りえない不安に親ジャイアンが耐える」
    ・・・ことは、不可能で、これならいっそ、子どもはいなかったことにするしか、方法が分からないです。
    自己突っ込みの苦しに絶えながらジャイアンでいることを中止すると、
    意識とは別の、体のいたる所から異常がでてくる。そして、すぐに生きることが嫌になってしまう。
    めんどくさい自分に、本当に嫌気がさします。

    • パパイヤ
    • 2009年 8月 03日

    ひまわりさん
    参考になります。
    >自分が、こんな恥ずかしい人間であるのは、母親が私に向き合い、自分の楽しみばかりに意識を向けず、私をきちんと躾けてくれなかったからだ!!
    しつけが厳しすぎてもしつけられなくてもどっちにしても子供は不満を持つもんなんですね。。。
    うちの管理型共依存母(自分の楽しみを犠牲にして、私を管理するのに命をかけてた)とは真逆のお母様ですね。私からみたらうらやましいですが、結局その立場になってみないと分からない不満があるんですかね。
    ちなみにうちの母親は「しつけで矯正できるのは親元にいる間だけで、親元を離れると、生まれつきの性格に戻るので、しつけしても無駄だ」と、最近は言っています。気付くの遅すぎだよ!!です。
    >>「結果を知りえない不安に親ジャイアンが耐える」
    >・・・ことは、不可能で、これならいっそ、子どもはいなかったことにするしか、方法が分からないです。
    私もです。だから、子供が小学校卒業したら、全寮制の学校か丁稚奉公に出したいです。
    でも現実的には難しいだろうから、どうしようかと思ってます。(まだ先のことなのでなにも考えてませんが。。)

    • ぴーまん
    • 2009年 9月 14日

    はじめまして。AS当事者で子供もASです。ずっとROM専で拝読させて頂いてきました。7月にこの記事を読み、わたしはASだけど、子供のことであり旦那のことであり、知っていないと疲労して倒れてしまう、それはナゼなんだろう?と、ずっと考えていました。旦那も同様な人間で、子供のことからわたしのこと、何でも知っていたい人間です。わたし達夫婦は、お互い共依存だね…と認めている状態です。
    7月から悩みつつ、ヘタクソですが自分の中ではこの記事に関連させつつ、自分のところにシリーズを書き続けてきました。シリーズの最後の方で、どうしても先生の記事をリンクさせて頂きたく、初めてですが、コメントさせて頂きました。
     
    それでは、失礼しました。

    • エイト
    • 2009年 11月 29日

     >そうならない可能性は、「子ジャイアンに明らかに不合理で不効率で馬鹿馬鹿しい不利益となる失敗をする自由を認める」ということでしか可能とならない。
     >親ジャイアンには非常に辛い選択だが、「仕切ろう」「知っておこう」という自分の衝動を抑えて、「子供の人生は子供の自己責任、自業自得」と(思春期以降は)突き放して超合理的に考えられるかどうかにかかっている。
     >これは裏返して考えれば、「結果を知りえない不安に親ジャイアンが耐える」ということに他ならない。
    YANBARU先生、仰るとうりです。この文章を紙に大きく書いて壁に貼り、朝晩声に出して読みます。
    長男ですが、宿題をサボった結果が内申にきっちり出て、今頃になって受験に不利だとやっと理解できたみたいです。
    私のほうは、情報収集だけ手伝うつもりが・・目の前にせまる不安にいよいよ耐えられなくなりました。
    どうせ勉強など大嫌いなのだから高校など行かないで、働きながら自分の好きなスポーツをすればいい、とか・・
    部活の顧問の先生や高校側にも迷惑をかけているし、それでも応援してくれるのだから、せめて受験勉強はまじめにやれ、とか・・
    私の考えを押し付けたかと思うと、本当は子供が自分で考えなければいけないことも「仕切って」言ってしまいます。一貫性がなくて最悪です。
    結論として私のような馬鹿な親は学費の準備だけして、あとはこの文章を毎日を唱えて不安に耐えます。(私の胃のためにも)
    しかし。。子ジャイアンが下手を打って失敗して最悪の事態に落ちたときにこそ、親は心の中で手をたたいて喜ぶべきなのですね。。
    「子供なんて最初からいなかったことにする」「子供じゃなくて赤の他人」と(精神的に)完全に切り離すことにします。
    ここ2ヶ月ほど自分でもいけないと思いつつ「管理型」になってしまいました。
    今日整理できて本当に良かったです。
    先生いつもありがとうございます。

    • わっこ
    • 2010年 2月 22日

    納得です。
    私の義母と義兄の関係がまさにそうです。旦那は私と結婚してその輪からぬけました。まだ少しマインドコントロールにかかってますが。
    50歳代の母、30歳代の息子・・今後もこの親子関係はなくならないのでしょうか。私たち夫婦にはどうすることもできません。むしろ首をつっこまずに冷静に関わっていくことがベストなんだと考えています。義母は息子への過剰な心配、昔のつらい過去から精神疾患を患っていますが考え方を変えないとどうにも病気は良くなりません。子供でも医療スタッフでも義母のかたまった考え方を見つめ直すことはできない気がします。
    私のできることは、自分の子供に干渉しすぎずに成長できるよう手助けすることだと思います。水をやり過ぎると花は枯れますから、きっと適度がいいのですね。

    • きり
    • 2010年 4月 09日

    初めてメールします。自身が依存型ASもしくは依存型ジャイアンではないかと疑っている者です。(人が道具なのか、無視できないのか、直視できず、迷っています)
    母は依存型ジャイアンだと思います。主張の強い祖父母や家族外で依存相手を探し続けてやってきてしまい、まったく自分の行動に責任が持てない現状です。
    >「確認しないで丸投げ的に(親ジャイアン)からの情報提供を指示ないし命令と受け取って乗っかり、自分で考えることを捨てて従い、うまく行かなかった時に(親)の責任にする」
    私そのもので苦しくなりました。
    やんばる先生や皆さんのコメントを読みながら「突き放されなきゃわからないし、どこまでも甘えてしまう」「信じられないくらい人に迷惑をかけている」と頭でわかっていながら、見捨てられるような思いを一方で感じてしまいました。
    どこかで「自分が変わる以外に、妥協してもらえる余地は無いのか」と思っている自分がいます。どこまでも自分に甘くて、そして数時間後には全く別の感情を持っているだろう自分に辟易します。
    そう言ったところで、そんな自分を簡単に許しているから今があるんですが・・・自己完結せずに・・・やっぱり変わりたいです。

    • いなほ
    • 2010年 10月 18日

    >「強迫的な親ジャイアンは、子供の行動の結果について知っておきたい」。たったこれだけのことで、子ジャイアンは依存型へと成長することになる。
    これ、非常によくわかります。子の立場からも、親の立場からも。
    私の場合はかなり幼い頃に、母親から生まれたことそのものを否定されてしまったので、完全な依存型にはならなかったかも。
    母親の合理的な部分に訴えて、母親の納得する理由付けができたときだけ、自分のしたいことができました。めったにありませんでしたが。
    >もともとジャイアンは親になると親である自分自身と子供の問題を混同する傾向があり、また強迫的に自分にも降りかかる不利益を許せないから、子ジャイアンの行動について過度の干渉をする結果になり、事実上子ジャイアンは「失敗する自由」を奪われて自立への可能性を著しく制限される。
    このとおりです。
    私は不思議なのですが、私は親からの干渉が苦しく、恐ろしくて、「母親の無償の愛」などというものは幻想だと思っていました。でも母自身は、自分を愛情深い母親だと思っていたようです。母は依存型だったのでしょうか。
    親として、子どもを育てる立場になり、ADHDらしい次男に対するとき、自分の安心のために子どもの問題を表面的に押さえ込もうとする自分が吐き気がするほど嫌いです。
    おおげさかもしれませんが、自分自身も痛みを感じてきた、個の尊厳を侵すような干渉を、やりかけては止まりを繰り返し、引き裂かれた気分で、一貫した行動がとれず、子どもを混乱させてしまいます。
    >親ジャイアンには非常に辛い選択だが、「仕切ろう」「知っておこう」という自分の衝動を抑えて、「子供の人生は子供の自己責任、自業自得」と(思春期以降は)突き放して超合理的に考えられるかどうかにかかっている。
    今、思春期です。これしかないというか、ほかのことはできないのだと思っています。

    • panda
    • 2012年 2月 03日

    初めて投稿させてもらいます。
    私の母親がまさに管理してくるようなジャイアンで、自分から積極的に子供に進路を決定させ、何を勉強させるか指示し、そのくせ「あなたの選んだ道だよね」とあたかも子供達側から希望したような道だと思っているみたいです。一度指摘したら、そんなはずはないと怒りました。
    私が論理面でさらに押しのけると「こんな子のために働きたくない」とうつ的な様子を見せ、経済面で脅しをかけてきます。
    外では体面を気にしつつ、常に他の人の目を気にしていて、そのわりに内では暴言をたびたび言います。
    言い合いも、正しい論よりも自分が正しいかどうかだけを気にするので、しょっちゅう言うことがころころ変わります。
    父親が2008.11.18の記事にあるような妄想を抱くファンタジーを持っていて、社会に馴染めないのに学歴主義で、昔から母親にあばずれ、お金をとったと根拠無い汚い言葉で罵っていました。最近ではDVをふるうようになり、とうとう警察に通報して、その後の入院先の病院では発達障害があると断言されました。
    また長年服用したリタリンの中毒症状もありましたが、昔から同じような性格でした。よく会社を休んではクビになり、いつも上司が悪いと言っています。
    母親は父親のことを「近寄りたくないほど嫌い、不気味、愛していない」とののしり、なぜ一緒にいるかは「お金が必要だから」という理由だけでした。そのくせ「暴力さえなければ一緒にいてもいい」とも言います。
    私はいつもその間に入って間を取り持つように動き、父がDVをふるったなら止めにはいり、父母両方から「お前は向こう側の味方なのか」とののしられるも、父母両方から信頼され、家をなんとか存続させることができました。
    私も幼い頃からADHDと診断されていて、母にとってはDVに耐えながらも育てた希望の子なので甘やかしつつ、母の愚痴をいつも聞き母の意見に服従するような子に育てられました。

    • panda
    • 2012年 2月 03日

    こんにちは、今度21才になる学生です。
    私の母親が干渉してくるジャイアンだと思いました。常に子供達の進路を楽しそうに母親が決定して、子供達の意見をもとめたりしませんでした。そのくせ「あなたが選んだ道だよね」といつもいっています。
    そこを指摘したら、そんなはずはないと怒ります。
    いつも「あれはやった?」「これは?」「あれは?」と確認してきます。
    母の意見に同意してるうちは甘やかさせてきますが、反対すると冷たくされます。
    何が正しい論かどうかより、自分が正しいかに固執していて、言うことがころころ変わり、それが世間の常識だと言っています。
    それをさらに私が論理でおしのけると「こんな子のために働くのやんなっちゃった」とうつ的な症状を示して、経済面で脅します。
    常に外では体面を気にしていて、内では暴言に近い言葉を言います。
    父はファンタジーの強いジャイアンで、常に被害妄想的で妻がお金をとったと妄想し、汚くののしります。
    そのくせ、送り迎えはしろ、飯は作れなど母に極端に頼ります。
    学歴至上主義で大学を出ていますが、社会に適応できませんでした。いつも悪い上司がいると言い訳し、うつ的な気分で会社を無断欠勤を繰り返しクビになりました。
    ただ、うつ病の薬の効果がなくリタリンを長年服用し、中毒症状を起こしました。
    最近ではDVの暴力がひどくなり、警察に通報しました。そのときも「暴力はふるってない」と、いかにもな口調で弁解していました。
    その後、入院先の病院では、はっきりと発達障害があると先生にはっきり指摘されました。他人の感情を読み取る能力が欠如しているみたいです。

    • panda
    • 2012年 2月 03日

    母は父を「近寄りたくない、気持ちわるい。嫌い、愛してない」と言い暴言を吐いて、なぜ一緒にいるかと聞くと「お金が必要だから」だそうです。
    そのくせ「暴力を振るわないなら一緒にいてもいい」ともいいます。
    私は家庭内別居している父母二人の間にたって、「向こうの味方なのか」とののしられつつも、父の母へのDVを取り抑えつつ、父母両方の信頼を得て、なんとかやってきました。
    私も幼い頃からADHDと診断され、母はDVに耐えながら育てた子ですから、母の愚痴を聞きながら、甘やかされつつも母に服従するいい子でいました。
    私は家を存続するために、家族の評価が得られればきっと二人は仲良くしてくれるだろうという思いで勉強してきましたが、父親が警察に連れて行かれるとそれももう破綻しました。
    母親はそれを期に自分の味方になってくれるだろうと、私を甘やかします。気持ち悪く感じます。
    私は自分の道をいってみたいですが、母親が怖くていまの道を抜けられませんし、好きなことをしたいので勉強にやる気があがりません。
    父親は無職なので経済的にも余裕はありません。そして内心やる気がないのは家のせいにしてしまうのに、自己嫌悪を覚えます。
    周りには母の味方だけで理解者もいません。私は一度病院に行ったほうがいいのでしょうか?私はどうすればいいのでしょうか?

    • るる
    • 2013年 8月 23日

    こちらのエントリーには、私の子育てそのものが書かれていまして、言葉に詰まります・・・
    私なりに懸命に子育てをしてきたこと、それは責められるべきではないと思います。
    しかし、子どもの問題行動が顕在化し、自分の問題も顕在化しました。そして私は、それを了解しました。
    >この想定には、致命的な問題がある。それは、「依存的な相手は、確認しないで丸投げ的に親ジャイアンからの情報提供を指示ないし命令と受け取って乗っかり、自分で考えることを捨てて従い、うまく行かなかった時に親の責任にする」という可能性を全く読めていないからだ。
    はい、致命的でした。。。
    >かくて「結果を知っておきたい」というだけの理由から、子ジャイアンは依存型への成長する結果になる。
    子どもはジャイアンではなく積極奇異型ASにみえますが、依存・責任転嫁をします。
    >そうならない可能性は、「子ジャイアンに明らかに不合理で不効率で馬鹿馬鹿しい不利益となる失敗をする自由を認める」ということでしか可能とならない。
    ・・・これは裏返して考えれば、「結果を知りえない不安に親ジャイアンが耐える」ということに他ならない。
    “想定外が苦手で、怒りの反応に直結しやすい自分”との対峙です。
    ここしばらくは、踏ん張りどころです。

    • 182
    • 2015年 3月 19日

    > そうならない可能性は、「子ジャイアンに明らかに不合理で不効率で馬鹿馬鹿しい不利益となる失敗をする自由を認める」ということでしか可能とならない。
    > 親ジャイアンには非常に辛い選択だが、「仕切ろう」「知っておこう」という自分の衝動を抑えて、「子供の人生は子供の自己責任、自業自得」と(思春期以降は)突き放して超合理的に考えられるかどうかにかかっている。

    まず第一歩として、「仕切ろう」「知っておこう」という自分の衝動を自覚できるか、これは大きいですね。

    私はつい最近までこの自覚が無かったです。
    この自覚が無ければ、何度この記事を読んで「なるほど」と感じても、やっぱり何かが違う。
    相手の問題のように見えて、実は自分の問題であると気付くのはとっても難しい。

    今回、どうやって自覚に至ったか。
    それは卒園式の役員の仕事で夫と協働する必要があり、その際、当たり前に手取り足取りフォローしようとする私を夫が振り払ったのです。
    ちょっとビックリしました。

    そのビックリした瞬間、色々な事がわかりました。
    そもそも、ビックリする自分の自覚。
    ああ、そうか私にとって夫をフォローする事は当たり前だったんだ。
    そして、この場は幼稚園であり、当然夫は「外モード」で臨んでいる。フォローが当たり前な「内モード」では無い。

    私はすぐにその場を離れ、彼が自分で問題を解決しようとしているのは良い事のはず。
    何がそんなにショックなんだろう、と考えました。
    結局、彼の決断・行動・結果を待てない私の問題だ。「私の不安」とはこの事であったか。
    私は彼をフォローし続けることで自分に不安が無い状態を得ていた。「管理型共依存」の核心部分。

    共依存状態を脱したいと本気で思うなら私はこの不安に耐えなければならない。
    なんとまぁ、情緒的な。
    合理的に考えればこの不安には意味がないと分かる。
    そしてまた、衝動コントロールに詭弁を用いない準備はできた。

    本当に、このブログのお陰です。

    • zzz
    • 2015年 3月 20日

    目的達成のために何かをすること、あるいはしないことは、言い変えれば目的達成のために手段を選択することは、ASにとっては非常に合理的な選択に見えます。それが感情をコントロールする選択であっても、です。

    でも、ジャイアンさんにとっては、感情をコントロールする選択は非合理な部分が大きいのですね。そうか、だからあのときは、と思い当たることいくつもで、みなさんにはいつも感謝しているのですが、改めて、この場を与えてくださっている先生はじめ運営のみなさんと、コメントなさった182さんに心から感謝です。(名指しなどは違反投稿かな?ごめんなさい。)

    • r.
    • 2015年 3月 20日

    コメントを読んでの感想を書きます。
    前コメでお名前の挙がった方が書き込んでいないタイミングで私が書くことは、
    失礼にあたるのかな?と うっすらとは思いますが、
    今、書きたくなったので、自分の心のままに書きます。

    自分には、共感(?)できるASDさんと 共感が困難な方がいる と思える理由がわかりました。

    ジャイアンは、感情をコントロールすることを不合理だと思っています。
    だから、他者に対して支配的ではあっても、他者の感情までも支配しようとは思っていないです。
    (もっとも、周囲の人には表面上そうは見えないのだと 今では理解しています。)

    対してASD(敬称略)は大前提として、他者の感情コントロールにも合理性があると思っているのですね。

    私が共感(?)できるASDは、他者への感情コントロールは合理的だが、「同時にそれは困難だ」
    を どこかで自覚している方々なのだと思います。
    それは、現実社会との関わりの中で経験を積み上げた結果 だと(私は)感じます。

    それはムリ を知らない、(表面上はソフトでも実は)ゴリ押しのASD(あるいは多数派も)
    に対して、今まで苛立ちを覚えてきたのだ と、胸に落ちました。

    生きていく上で、多数派から大きく外れないことは、理に適っていると思っています。
    偏りを自覚している人たちは 偏りの振れ幅を増幅しないためにも、
    現実社会の荒波にもまれる必要があるんだ! と思いました。(もちろん自分も)

    • zzz
    • 2015年 3月 21日

    あ、私のいう感情のコントロールは、自分の感情をコントロールすることです。ご自身から湧き出る不安に自ら耐えることを情緒的と表現なさり、その不安に意味がないと表現なさっている。これを受けてのコメントです。

    つまりは、ASから見れば、不安に耐えて自己の感情をコントロールすることもまた、合理的な選択と思えます。あるいは、合理的な選択の結果として湧き出る不安も、選択の一部ないし自然な感情であって、合理的選択の範疇として自ら受け止めまたは受け入れるもの、と思えるのです。

    その不安を情緒的であり無意味と表現なさっていることから、自己の感情のコントロールはジャイアンさんにとっては非合理な部分が大きいのだな、と考えた次第です。情緒は合理性とは対立しますし、合理的に対応するには無意味なものは除外すべきだからです。

    私の表現が足りてなくて誤解をさせてしまったかもしれません。ご容赦ください。

      • r.
      • 2015年 3月 21日

      ていねいにご説明くださり、ありがとうございます。
      おっしゃることが、よくわかりました。

      ざっと読み、自分の頭の中にあったことに関連付けて
      自説を書き込んでしまいました。
      自分のADHDっぷり を反省!

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