AC、人格障害関連

ジャイアンの成育③超合理的強迫的ジャイアンへの道

 前記のA1「言語的非言語的器用」およびA2「言語的器用非言語的不器用」のケースが、徹底的に筋を通した厳格な言語的しつけの環境で育てられ、非言語的なアピールを一切無視された場合、ジャイアンの子供は「超合理的強迫的ジャイアン」へと成育する。

 「合理的なジャイアン優位」の場合は、ジャイアン本人の(屁)理屈が評価されて、持ち前の超合理的思考能力をますます研ぎ澄ます成長を遂げる。世の中のすべての現象を合理的な理屈だけで裁き、自分にも他人にも異常に厳しい強迫的なジャイアンの誕生だ。

 5歳よりも以前から激しい自己突っ込みに悩まされ、他者と自分を責め続ける人生になる。自己突っ込みが激しいために「先延ばし」が習慣化し、自分を誤魔化す「ファンタジー」を操ったり、世間に出ていろいろ評価される責任を回避するために、「(狐と葡萄的な)引きこもりを正当化する理論」を構築したりする。また言行不一致の他者を激しく攻撃し、一切の容赦をしない。世間の不合理を許せず、「戦い」続ける。

 成育過程で非言語的な関わりを捨てて生きてきたため、他者と情緒的に関わることが出来ず、誰からも非言語的に救われる可能性が存在せず、同情されるとなお傷つく。「砂漠のライオン」の生き方だ。

 このタイプは合理的で、強迫的な努力をするため、能力を生かす一定の環境に恵まれれば、「自分にも他人にも厳しい極端な努力家」にはなり得る。

 他方環境に恵まれないと、周囲に当り散らし、自分を責め続け、身体症状に悩まされ、先延ばしの中でうつ病やアルコールなどのアディクションになったり、現実逃避的なファンタジーや自分に都合が良い妄想の中に身を投じたりすることすらある。

 一般世間では「モラハラ」やパワーハラスメントの加害者となったり、権力欲の塊のような生き方も帰結するだろう。

 このタイプは身体症状やうつ状態で心療内科を受診する。しかし医師を馬鹿にして治療が中断することが多い。合理性において自分よりも上で、本人を納得させられる理論を持っている相手だけに聞く耳を持つ。

 だが最終的には合理性のおかげで「不利なことでも認めるしかない」と理解することが可能だ。だから私はこのタイプは私を蹴飛ばして治療を離脱しても、その後さらに追い詰められて自分を見つめる時期が来て戻ってくるときは歓迎することにしている。


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コメント

    • ネコ
    • 2009年 2月 23日

     ��と拝読し、自分はどれだろう?と考えましたが、�がぴったりです。母親より、冷静で強い・冷たいと言われる事で、自分の感情表現を血縁者の前で抑えてました。冷静で強い人になろうとしていたと思います。結果、超合理的に…。助けられたのは、友人達はじめ、外の世界の出会いです。ヘンだと言いつつ、私の傍若無人ぶりを適当にあしらい、感じる事を表現した時に、個性として認め、面白がってくれました。これがなければ、今よりもっとヒドい事になっていたと思います。未だに、血縁者の前では、感情表現ができず、考えるだけで、息が詰まり身体症状がでます。今は関わりを絶つ事で、自分や他者の感情の揺れを、認められるようになってきたと思います。中心志向という厄介者は背負ってますが、ACが外れ、他者からの評価を必要としなくなってきて、他者より上に立つのが目的でなく、自分の目標達成への原動力になりつつあります。他者の成功を見ると、自分も!と思いますが、マイペースを言い聞かせる昨今です。

    • pal
    • 2009年 3月 18日

    ジャイアンの定義は、自己正当化型モラハラADHDかなと思っていましたが、もうちょっと軽くてなんでもごり押しする自己中心的な行動をする一般的なADHD、という感じでしょうか?
    というのは私がベストな対処に苦慮している相手は自己正当化型モラハラADHDで、合理性のおかげで自分がおかしいと不安を抱いたとしても、それを人前で認める可能性は100%なく、それを隠すために嘘をついたり人を利用したりしかしようとしません。
    誰もそれを責めない理想的な環境で育った自–の人はのびのびとモラハラパワハラし、その下で押さえつけられて育ったAC気味の自–は小さな半径内でパワハラ、サイズの違いが見られるだけで同様の行動パターン、どちらもKYなASを上手に利用しますし、あまり身体症状が見られません。
    また別のかなりACのある同様の自–の人も、身体症状がなく、モラハラパワハラが通ったら自分が勝ったと喜び、非合理を疲れると嘘をつき、それが通らないと言い訳します。
    彼らは超合理的しつけをうけて身体症状がでたりパワハラしたりするADHDとは、少し違う様に見えます。
    でも皆に共通するのは一番でいたいくせに、努力は最小限にすませたくて、一番無理がきく他人にすぐ依存し、大きな顔で最大限利用しようとします。(これを可能にするために共依存特有の他人との境があいまいになる、という症状があるのでしょうか)

    • F
    • 2012年 9月 19日

    子宮頸がんの検診(内診)を受けたとき。
    産婦人科医が「入口が二つあるようだ」と言い始め、MRI検査をすることになった。
    その結果、私の子宮は奇形であるということがわかった。
    産婦人科医からは「妊娠しにくいかもしれないけど、産めないわけではないし、手術も必要ない」という説明を受けた。
    私はもともと子どもが欲しくないので、まったくショックを受けなかった。
    ただ、母が産婦人科での結果を知らせろとしつこかったので、面倒に思いながら電話した。
    母は私の子宮が奇形だったという話を聞いたあと、「何か母さん責任感じる、ごめん」とメールを送ってきた。
    私は母のその態度に非常に混乱してショックを受けた。
    「私はかわいそうなんだろうか?」(いや、自分は不幸なんかじゃない)
    「私は失敗作なんだろうか?」(自分にはどうしようもないことで、母にもどうしようもないこと)
    「また失敗した」(母を責めようなどとはひと欠片も思わなかったのに、母を悲しませた)
    私は珍しく動揺してしまって、電話はできなかった。
    電話はできなかったので、
    「私は子どもは欲しくないから、どうでもいいことである」
    「それに母が意図的に私を奇形にしたわけではないから、母の責任ではない(妊婦であった母が、飲酒や喫煙など胎児のリスクになる行動を取っていたならともかく、そうではないのだから、母は悪くない)」
    ということをメールした。
    母からは「奇形でも子どもが産めないわけじゃないし、子宮って奇形が多いみたい」とけろっとしたメールが返ってきて、拍子抜けした。
    私は「あなた不幸ですよ」って言われるのが一番辛いです。
    自分で納得しているのに、否定されると足元が崩れてしまうのです。
    「かわいそうに」という言葉は、(自己正当化と依存への)甘い道に引きずり込もうとする、余計なお世話に感じます。
    魅力的だとわかるから、そっちに行きたくないのです。
    「あなたACですよ」と言われても、「それがどうした」と思うのも、似た考え方かもしれません。

    • ちひろ
    • 2012年 9月 22日

    数学の模試で全国1位をとったことがあるらしい父は(母が父の兄弟から聞いた話なので真実は不明)、母を「くそばばあ」と呼び、母だけでなく仕事仲間も露骨に馬鹿にし続けていました。理由はもちろん合理でないから。
    で・・田舎の工場の一工員として定年退職後、
    今は毎日のように部屋にこもり、自分の作った大量の軍艦の模型に囲まれて、パソコンで将棋をしているらしい。
    70年生きてきて、最後までそれでいいのかと思いますが・・・父も母もけっこう幸せそうであります。

    • ちひろ
    • 2012年 9月 22日

    そういえば、父の書棚にボードレールの詩集があり、パラパラとめくって読んだことがあります。
    難解でまったく覚えてないのですが、今ふと、その中に「あほうどり」という詩があったことを思い出しました。
    超合理的強迫的ジャイアンさまってアホウドリのようです。
    甲板に降り立てば、再び空に舞い上がることは困難で、大きな羽がじゃまをしてのろのろ歩く。そんな姿を馬鹿な鳥だと笑われて船員達にこづかれる。
    この地上の人たちに羽をむしり取られて、絶滅しかけている愚鈍な鳥は、上昇気流に乗れば、遥か上空を悠然と飛びつづけることのできる空の皇帝。

    • 2012年 9月 22日

    ちひろさん
    その通り! あほうどり!
    大きな羽、好き好んでこんな格好になったわけではないんだけどなぁ。あほうどりは進化の過程で大きな羽になったのだろうけれど。
    人間も、あほうどりも生き物だと認めてくれてくれれば、あほうどりは羽をむしられることはないんだけどなぁ。姿形が違えば生き物だと意識しなくなるのは人間の愚かなところ。
    生態系を人間の手で壊すな、と言いたいのだけれど・・・。
    なかなか羽が重くて・・・。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 22日

    突然お邪魔します。
    主人とある話し合いをしました。
    主人はバカ正直にあることを発言しました。
    私はその言葉に傷つきました。
    私もとことんバカ正直に反応した発言をしました。
    たぶん主人も傷ついたことでしょう。
    ただ、喧嘩ではなくお互いに腹を割って話せたという感覚は残っています。
    せっかく傷つきながら本音を出しあったので、一段新しいステージに上がりたいものです。
    意味不明なコメント失礼しました。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 23日

    記事と関係ない話題が連続で大変申し訳ありません。
    61才の主人も発達障害の家系なのですが、最近脳の老化のせいか以前と人格が変わって来たようでちょっと不安になってきました。後20年は生きると思うので、あまり激しい変化がないといいのですが。若年性認知症ではないと思います。
    慎重に様子を見ようと思います。お邪魔しました。

    • アメジスト
    • 2012年 9月 26日

    たびたびお邪魔いたします。
    ネットで、ある記述を見つけました。
    「近年の研究では、人格は中年期から高齢期においても本質的には変わらないことがわかってきました。元来ある人格特徴を持っている人が年を取ることによって知的能力や判断力などが低下し、自分を抑える能力が弱まったため、環境にうまく適応することができなくなる。つまり全く違った性格になるのではなく、もともとあった人格特徴がより際立ってくるためです。これを『人格の先鋭化』と言います。」
    という内容でした。これを読んで、私の主人にも同じことが起こっているようだと納得しました。だいぶホッとしました。いろいろとお騒がせしました。

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