AC、人格障害関連

反抗挑戦性障害の合併

 世間の普通の分類では私が「ジャイアン」(自己正当化型ADHD)と呼んでいるタイプの人は「ADHDと反抗挑戦性障害の合併」と呼ばれているかもしれない。典型的には思春期頃になっていちいち大人に反抗して問題行動を起こす状況になるとこう呼びうるだろう。

 イメージとしては、一般的には先天的な脳の障害の一部としてよりは、虐待なども含む環境への不適応からくる二次障害の結果と考えられているようだ。

 しかし私のケアしているいくつかの家族では、同じ兄弟の中に明らかに異なる二つのタイプのADHDのグループが見られる。

 一方のグループは2歳前から人に執着が無く、どこまでも興味に任せて親を顧みないで行ってしまう。情緒的な反応は乏しく、一つのものは人数分で分ける合理的な考え方をする。これを私は合理的な(単純な)ADHDと考えている。

 もう一方のグループは2歳未満では人見知りがあり、自分に有利かどうかに関わる状況認知能力を持ち、3歳には屁理屈を言って大人を悩ませたりする。一つのものはもちろん独り占めしたがる。負けず嫌いでじゃんけんで負けて泣いたりする。このグループを私は「ジャイアン」と呼ぶ。

 この2者は環境の影響以前に、「始めから脳が違う」ように私には見える。合理的なADHDをいくら虐待しても、ノビ太のようにACになることはあっても、「反抗挑戦性障害」にはなりにくいのではないか?

 対してジャイアンはある意味「初めから反抗挑戦性障害」である。環境によって変化するのは、どこまで露骨な手段をとるかということであり、例えば私は上の立場から何か注意されると、「自分が悪いと分かっていながら逆切れする」ことが(表面的な行動に出さず、ファンタジーの中まで含めれば)当たり前だ。

 だから世間で言われる「反抗挑戦性障害」はDVの家庭で力ずくで抑えるやり方をインストールしてしまったケースが、思春期以降になって親よりも強くなってやりたい放題しているというようなケースだろうと思う。

 私の考えでは、別の物が後からADHDに付け加わったのではなく、もともとADHDに反抗挑戦性障害になりうる脳の働きの一群が居るということだ。

 治療はボーダー型のジャイアンと同じく、実は「再インストール」という劇的な治療が可能である。


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コメント

    • ねね
    • 2008年 3月 10日

    「反抗挑戦性障害」という言葉ははじめて聞きましたが、私は思春期以降猛烈に親に反抗していました。おもに言葉で。先生や上司にも表面には出しませんがかなり憤っていました。
     でも、おっしゃるとおり、兄と妹はおとなしいのです。これまでは 母が兄に、父が妹について私が浮いたので親に反逆できたのだと思っていました。妹もリストカットをするほどのACになっていましたが、激しさはありませんでたね。
     
     それにじゃんけんで泣いたことはないと思うのですが、石蹴りという遊びでは負けて泣いていたらしく、兄から「お前はすぐ泣くけぇ、入れちゃらん」と言われたことを覚えています。
     親には因縁つけて喧嘩を売るようなことをしていましたし、逆切れだって当然していたと思います。
     
     気づいていませんでしたけど、聖書からの再インストールって私にとっては治療といえるものだったのですね。気づくことができたので、今度は分かった上でもう一度聖書からの再インストールに挑戦しようと思います。
     
     今度こそ、自他共に認める信仰の人になりたいです。
    って、あんまり頑張ってはいけないんでしたっけ・・・?

    • エイト
    • 2008年 3月 10日

    家族3人とも私からみて、ジャイアン・ACで間違いないと思うのですが、ひとつ不思議に感じることがあります。素の部分の特徴です。
    長男は、活発、負けず嫌い、屁理屈を言う、のわかりやすいタイプのジャイアンです。でも私と次男は多動はなくて、どちらかというと素の部分はぼーっとしてのんびり、虚脱というかじっとしているタイプ、運動音痴で、この部分だけをみると私の想像するノビ太です。でも周囲にあわせようとした場合や、納得できないことへの反応は明らかにジャイアンです。
    長男の脳と、私と次男の脳のタイプが違う、といってしまえばそうなのですが、素の部分がこれほど違うのに、やっぱりジャイアンというオチが不思議かつ愉快です。
    先生はいつも、ジャイアン系は「再インストール」が可能と言ってくださるので心強いし励みになっています。また自分自身も変化というか進歩していると実感できるので(実際は、自分のことがはっきりとみえてきたスタート地点にすぎない、のかもしれませんが)前向きな気持ちになれます。
    ノビ太さんからの書き込みがほとんどないように思うのですが、生き辛さを感じたまま、自分を追い込んでしまう人が多いのでしょうか。周囲に与える被害はジャイアンに比べたら、ずっと少ないと思うのですが、自分を責めているとしたらとても気の毒に思います。

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 10日

    エイトさん、私も一部ノビ太タイプですよ。
    発達障碍であると分かってから多くの文章に触れて、なんだかいっぱいこうして書けるるようになりました。
    医師に反抗挑戦症状については何も言われたことはありませんが、おそらく潜在的に人や社会に対するうらみつらみは持っています。
    それが人に向かなければ解離し、人に向けば鬱気味でも自分の意識は保っていられると思います。
    しかし自分で病気だと思うのは、このうらみつらみを自分に向けるか人に向けるかすらも、他人にどこまでも振り回されることですね。
    人の期待に応えたい!
    感情を向ける方向すら人に決めさせる脳を持ってしまったことを、依存と呼ぶかもしれません。
    重いと言われれば身を引いて引きこもり、いいかげんに自立や自律をしろと言われれば、一人で調べても分からないことは人に質問し始める、そして気まずくなって袋小路に入って再び周りの人にとって重くなる、周りの人は何年経っても私の自律力不足の問題だと認識して私を放置する。
    それでも何故、結論が出ない社会で生きるのか。
    生きる理由が見えなくなりますね。
    しかし常時、生きていていい理由を探し続けていても、何も見えなかったら、本当にヤバイ決定をしなくてはならなくなります。解離?して考えなくすることは本意ではありませんが、モラルとして仕方がないです。
    しかしこうしてモラルを守って生きていても、発達障碍はもちろん、抑うつも、白昼夢も、うらみつらみも、孤立も、振り回されも、心因症状も、片づかない部屋も、片づかない人生も心も治らない。
    ということは健常者主体の社会にこそ、私は病的な依存をして生きているということだろう、と思うことがあります。
    反モラルな反抗をしていない、しかし病的。
    ということは、この一見成り立っている生き方そのものがどうせ、病気なのです。

    • アールグレイ
    • 2008年 3月 10日

    反抗挑戦性障害(ODD)にならないように育てるというのがわたし達の親の会では一番の願いです。
    先生は思春期以降とおっしゃっていますが、私が感じているのはジャイアンのODDは思秋期以降に出てくるのではなく、思春期にはもうすでに固定化されていると思います。第一次反抗期の時にダメなものはダメと教えられていない子どもは、自分の良い様に親をコントロールし、反抗しても良い状態を作り上げて思春期には立派なODDになっていくように感じます。
    もちろんDVのようなことも考えられます。子どものうちは親が力で勝っているので支配できますが思春期には力関係が逆転するので家庭内暴力になったりする事例がありました。そしてそれが許された状態では次々と誰にでも反抗するというようになっていると思います。それがひどくなると行為障害(CD)になってしまうこともあります。
    わが子を見ているとのび太の場合も、共依存の関係でわがままが言える状態ではODD的態度がでていたと思います。
    ですので、最悪のDBDマーチにならないようにするためにどうしたらよいかが、子育て中の私にはいちばん知りたかったところでした。
    そしてペアレントトレーニングをしてみて実感することは、ODDになっていない予備軍の子どもには、ODDにならないようにペアレントトレーニングで親が対応を変えて、衝動性を自分でコントロールできるように育てることが大事であるということです。またODDになっていてもペアトレ次第でよくなってくるというのが実感です。子どもの場合はそのほうが再インストールするよりも近道だと思います。
    大人の場合は再インストールになるのだと思います。

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 11日

    図々しい質問をしてよろしいでしょうか。
    やんばる先生やご両親としてお書きのみなさんは、もともと健常者社会で手に入る権利、友情や夢を約束されない発達障碍が生きる意味、希望とはなんだとお考えですか?
    発達障碍が無い、健常者社会の一員の方々は、客観的に見ていかがですか。
    私達が生きていることは、嬉しいのですか。
    こんな質問、実家の両親にしたら怒られます。
    しかし、何故怒られるのかまでも、私達はこの時代にそろそろはっきりさせなければならないのではと思います。
    ひとつひとつはっきりさせないと、これから発達障碍の子どもが成長してきても、大人が言葉を適切に使えるようになってきても説明できず、いつまでも壁を感じ続けながら病的な過剰適応をし続けなければならない。
    そうですよね。聞いたら怒られると思ったら、分からないことでも聞きません。勝手な想像をしていつまでもトンチンカンな情報補完をし続けます。

    • どらねこ
    • 2008年 3月 11日

     昔、大学の教科書を見て反抗挑戦性障害または自己愛性人格障害を疑った事を思い出しました。
     相手が悪いんだから故意ではないし、違うかな?
    などと安心しようとしていたようです。
    十分自分側に原因があることも相手のせいにしていましたのです。
     最近では年をトルにつれ合理的部分が優勢になり自己突っ込みも衝動性に勝る(?)事もあるぐらい早くなってきたようです。
     
     こんなジャイアンな私ですので、普通に仕事をしているだけでも不安になることもあります。
    世間話一つするのにも 膨大なシミュレート行ったり、それでも、KYでいたたまれない気持ちになり・・・
     けれど、死にたいなんて思ったことは一度たりともありません。
    世の中は生きにくいけれど、世の中はおもしろいんですよ。
    こだわりがある、ということはこだわれる事があるということ。
     ノーマルの人たちのいる場所は温かくて楽しそうに見える。仲間に入りたくなる。
    でも、そんな場所は欺瞞だらけだと知っている。
    思考停止や予定調和。私の嫌いな事が大事なルールなのです。
    知りたいと思う気持ち、自分が好きな物語の先を見たいと思う気持ち。
    これだけで生きていく価値は十分あるのです。
     子供には自分の大事なものを見つけてもらいたいと思っています。
     
     

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 11日

    どらねこさん、生きる意味についてご自分の心を書いてくれて、ありがとう。
    親不孝な私は、いつか親が後戻りできないほど老化で弱り果てたときのことを今から考えています。
    親は子より先にいなくなります。
    「人生って素晴らしい」という理屈で頭の中をパンパカパンにしていても、家を片付けられないので恋人も家族もいない、リタリン処方が復活しなければ医師にかかる理由も無い、トラブルは守秘義務のある内容ばかりでカウンセラーにかかっても受動的なため話題が無い(カウンセラーも守秘義務ありますが、障碍仲間ではないのでスッキリしない、そんな失礼なこと言えない、言ったほうがプライドが傷ついてフラッシュバック起こす)、自分の欠点も人の欠点も目について離れないため発達障碍者同志のコンタクトも危なくて成り立たない。
    現実にどこで仕事以外のコミュニケーション欲を満たすのか。
    人間関係は仕事だけだと病気になります。
    友情その他は、利害関係のある職場では完璧に満たされません。
    しかし私達発達障碍者には、ケア先がある程度保証されなければならない。
    あいまいな約束には我慢ならないものです。
    私がヒステリーや抑うつなどで自分を見失ったときに、現実に口を開いてお話しできる相手、私の話を右から左ではなく、聞き取れる相手を自分の力で確保する必要を感じています。「お話ししてくれるかもしれない」「予約が取れたら面談できるかもしれない」の可能性ではいつまでも持たないと危機感を感じてきました。
    約束されない可能性に関しては、年々行動できなくなっています。
    続けます。

    • ぴよよ
    • 2008年 3月 11日

    続けます。
    人間関係を作るということは、エネルギーが要るんです。空振りに終わったとしても、怒りを露わにしないためにまたエネルギーを使います。
    今までの苦しみを思い出すだけでも疲れます。
    発達障碍が分かって●年、探し続けて心がよれよれです。
    やんばる先生の存在を知らなかった頃ですが、むかしは沖縄にも単身旅行しました。今は休みは家から一歩も外へ出られず、頭で自動再生されるみじめな言葉遊びの日々です。
    発達障碍の子どもたちも、いじめや無理解の中、将来に望みを持って生きてきたはずです。いじめられない、自分も傷つけない将来像とかスタイルは何もまだありません。
    それどころか、国の気まぐれでリタリンどころか仕事もいつ取り上げられるか分からないし、出産しなかったリスクとしてゆくゆくはどこか体が壊れるかもしれないし、うつにもなりやすくなるだろうし、歯は歯槽膿漏でもうここに書けない状態だし、親もいつ悪化するか分からない病気を体内に抱えています。
    これが、食べていけている発達障碍者の一人の実態ですよ。
    一度、親が倒れたら私は兄弟たち相手にヒステリーを起こすのか!それとも兄弟が私の全ての発言を否定するのか!と家族相手に食ってかかったことがありました。何ヶ月単位で粘りました。でも親がとりなしただけでまだ私にはっきりと分かる結論は出ていません!
    年取ってからまた暴れさせるつもりかと、ぐったりでした。
    もう、頑張りたくない。

    • エイト
    • 2008年 3月 12日

    私が日常生活で、自分はほんとうにジャイアンだと、反社会性があると自覚するときのひとつが、子どもの学校に対する自分の反応でした。
    子どものはじけっぷりはいつも見事で、学校の先生方と話す機会も必然的に多いのです。最初の1回話をすれば、その先生の指導方針、子ども(うちだけではなく一般論としての生徒)への思いと理解力、仕事への熱意など、教師としての資質がほぼわかります。私からみて納得できる教師ならば、歩み寄り、協力も惜しまず、信頼もする、感謝もする、よい関係を築くことができる(と自分では思っている)のです(要するに、学校にとって、教師に文句を言わない親でいられます)。
    残念なことに、私が納得できない教師(この確率のほうが高いのが現状です)に遭遇してしまったとき、最悪です。腹立たしいのは当然ですが、どうせ私が何かお願いしたところで、理想的な方向に変わるはずもない(ダメな教師に限って絶対に変わらない)のですが、子どもへの対応方法を具体的に挙げて、改善要求しました。でもうまくいかないことがお決まりのパターンで、私の頭のなかでは、子どもはその教師からの被害者だと本気で思いました。
    私の親としての至らないところや、子ども自身の欠点など全部棚に上げて、図々しい言動だと思う反面、学校という組織にイライラし、私の理想を求めてカラ回り、のくり返しでした。
    でも、結局のところ、学校に理想を求めたり、理解を求めたりすること自体が無理、無駄、という合理的な考えに変わりました。そうしないと自分が疲れます(子どもはもっと疲れると思いますが)。
    これを読んだ学校教育関係者の方はがっかりすると思いますが、私には学校と話し合いなどするのは時間の無駄です。YANBARU先生のブログを真剣に勉強して、自分で自分に改善要求してそれに応えていく、息子たちのことも理解していく、そのほうが遥かに有意義で価値のあることです。
    とりあえず今息子たちは、学校が苦痛で我慢できない空間でなく通えるようなので、ジャイアンらしく、それでよし、と割り切っています。
    しかし、学校の先生方もお話していると、発達障害を疑う方が結構な確率でいらっしゃるように思います。まずご自分のことを深く理解してから、こどもたちの教育に励んでいただきたい、と切に願います。
    このコメント、文部科学省に送信するのが妥当ですね。すみません。

    • エム
    • 2008年 3月 12日

    私はたぶんノビ太。ノビ太の子供は可愛そうかもしれない。
    生まれた時から発達がゆっくりで、なんでも一番最後の子。常に他の子の足を引っ張っているように思い、いつでもどこでも私は低姿勢。 家で子供にあたってしまったりして、受動型の子をますます内向?させてしまう。 決して出来のいい子を求めているのではなくて、とにかく目立たないでほしいのが本音。 園でも学校でも対人関係でも、私から要求した事など一切皆無で、いつも申し訳ない(何事もなく祈る)気持ちでいっぱい。
    自分のことに関する限りはノビ太でいいけど、子供までも卑下してはいけない、子供は別人格、わかってはいるのだけど・・。 そういえば、私は反抗(批判)した事がない。
    ジャイアンとノビ太は、かくも違うものなのか?

    • エイト
    • 2008年 3月 13日

    私が、今も過去も、もう我慢できない!と(反社会的)問題行動をとるとき、いったい何が根本にあるのかと自問自答したらやはり、「物事が合理的に進行しているのか?」ということ、大袈裟に言えば究極の「危機感」です。
    例えば、子どものクラスが学級崩壊したときの担任について言えば(申し訳ないですが)、指導力もないのに、偉そうに、生徒たちの目線ではなく自分の上から目線で、自分の枠に生徒たちをはめ込もうと、授業の大半を説教に費やした結果崩壊したのです。それを自覚も反省も謝罪もせず、校長ともども、低学年の生徒たちの「反抗期」だと責任転嫁するのは、教育者として最低です。彼らは私のような馬鹿でダメな親に指摘されること自体を恥だと思うべきだし、能力のない担任はいつまでも教職についていないで、教育委員会で事務職につけば(生徒を指導したら罪)良いのです。それがその教師にも生徒にも、教育現場のなかでは最も「合理的」なのですから。
    しかし、私や他の保護者が指摘したにもかかわらず、彼らはいつまでたっても「変わらない」のが現実です。
    だから、指摘しても一向に「変わらない」、「変えようとしない」、「気付かない」相手に、何を言っても所詮「無駄」なのです。100歩譲って、社会の迷惑の部分を我慢すれば、あとはもうその人の問題なので、その人が気付くしかないのです。教師で言えば、自ら事務職に変えるのか、教師としてふさわしい指導力を身につけるのか、自分で究極の選択をするべきです。自分のためにも生徒のためにも。
    偉そうに書きましたが、結局私が言いたいのは、ムーミンの登場人物で「無駄じゃ、無駄じゃ」を連発する哲学者風の、ジャコウネズミさん(であってる?)は、たぶん絶対、ジャイアン・ACです。だって自分の納得いかない周囲のこと全てを、「無駄じゃ」の一言で自分を納得させる技は、ジャイアン・ACでなければ思いつかないです。私の心理と同じですもの。でも私が変わろうとすることは「無駄」ではないので、私は頑張ります。

    • エイト
    • 2008年 3月 13日

    子どもの頃、ぼーっと見ていたときには気付かなかったけれど、アニメの登場人物にもきちんと道徳的な役割があるのですね~。何十年もたって、ジャコウネズミさんの「無駄じゃ、無駄じゃ」の意味に気付くのですから、奥が深いです。
    YANBARU先生直伝の「低い自己評価を目指せ」と「すぐに反応しない」と、ジャコウネズミさんの「無駄じゃ、無駄じゃ」の呪文があれば、私は一生、無難に生きていけそうな気がします。
    でも、密かに、野望も湧いてきました。YANBARU先生のように、苦労を惜しまず、私にできる、合理的な、「社会のために役にたつこと」を、いつか実行したい。そのためにも今の自分をもっともっと磨きたい。
    偉そうに書きましたが、とりあえず、社会のために、うちで飼ってるわがままジャイアン2匹を調教していく覚悟です。

    • アールグレイ
    • 2008年 3月 13日

    先生の内容とは違うのでこのコメントがふさわしくない場合は削除をお願いいたします。
    私はジャイアンのところも十分あり、かつノのび太でもある混合型だと自分を思っています。
    ジャイアンの私が子どものことで学校に物を言う時、ジャイアンだけでことが進むとは考えていません。たとえ相手がどんなであろうと、ジャイアンの態度だけで物事を進めてはうまく行かないことがあります。私の場合は、子どもにとっていかにダメな教師であるか分かってはいても、いかにダメな校長であるにしても、事実を感情で言ってよくなることは何もありませんでした。事実を積み上げて話をし、他の先生にも味方を作り、手順を踏んで最終的には教育委員会でしたが、双方ともに勝者の関係になるように話を進めるようにしました。(校長と担任にとっては違うかもしれませんが)
    悪者を作って話を進めても、一般論でも、少しも話は進みません。合理的ジャイアンになるならば、考え方を双方ともに勝者になるように話をすること、その考え方が大事になると思います。そのためには、嫌な相手でもありがとうございますという感謝の言葉から入ることが大事になってきます。(スキルとして)
    ジャイアンが出てきそうな時、対人関係は、戦いではなく交渉するという観点で勝者の関係に!ということを思い出さなくてはいけないと思います。
    そして、行動をする時どれだけ助けてくれる人がいるか、どれだけ助けてくれる人にお願いできるかが大事だという事を身をもって感じています。
    ですので、自分のジャイアンを押さえて手助けを求められる姿、勝者の関係を作ることを見せることがジャイアンの子どもには大切と自分に言い聞かせています。
    非難することは簡単ですが非難するのではなくそこからどうしたら良いかを子どもに教えるにはどうすべきか、自分との戦いが沢山ありました。
    子育ては自分育てですね。
    こんなに大人になっても発達途上なんだ。こんな親でもいいとこあるかも、これぐらいなら大人も良いかもと思ってもらえれば私の子育てはOKじゃないのだろうかと思っています。失敗して覚えていくジャイアンという人種なんですから。

    • mario (AS)
    • 2008年 3月 14日

    ここが適切かどうか分かりません。不適切だったら、コーチングのように別に項目をたてて頂いた方が良いかも知れません。
    元妻、ここに来て一気に状況が悪くなっているようです。息子は面接交渉で、母の元に行くのを泣いて嫌がる(単に愛着対象の父から離れるのが不安だからの様子ですが)。養育費の調停では、自分の意見が調停員に通らず(まぁ養育費を一切出さない。その余裕はないですから)、その不満を離婚以来連絡をしていなかった友人などに連絡しまくり、その後は再び相手からのアクセスに反応しないとかやってます。仕事を休んだりもしているようです。
    元妻の友達が私に「何とかしてあげられない?」と連絡してくる状況… これで万一彼が離れれば居場所がなくなると思います。そうなったら嬉しいと言うよりは、可哀想でなりません。かと言って、下手に助けるのは良くないと心を鬼にして静観しています。(まぁ全ての不都合は私の責任だと今でも思っているようですので、私の助けは受けないと思いますが)。今は(私と息子の)気持ちだけ、メールで送っています。
    質問ですが、再インストールは勝手に起こり得ますか?素人に、再インストールを試みることが出来ますか?タイミングはどう計ったら良いですか?再インストールのお手本はどうやって用意したら良いですか?ASにお手本となる事が出来ますか?
    ジャイアンの自認される方は、ASのこのような考えを不遜に思い、好まないと思います。それでも彼女には、今の混乱を脱して欲しいと思います。

    • エイト
    • 2008年 3月 14日

    (私の主観でよろしければ)
    marioさんは元奥様のことを、自分の心から、完全に切り離す、分離する、もう考えない、全く自分とは関係のない人だと、割り切ることができますか?
    元奥様が息子さんのことを「もう私には育てられないから、あなたに養育をお願いします」と頼んできた場合に備えて、息子さんのためにmarioさんがとるべき責任について、どこまで完璧に考えていますか?
    息子さんからみて、双方の祖父母に頼めますか?養育のためにかかる費用は誰がもちますか?最悪の場合、息子さんは施設で暮らすのですか?
    marioさんが、上記の内容を理解して、元奥様のことは忘れる。息子さんには親としての責任をとる。責任を取れないなら、(最悪の場合)施設で暮らすならば息子さんの人生はとても不幸なものになる可能性がある(もしかしたら肉親よりも良いかもしれないが)、その場合息子さんには一生親面できない、親面してはいけない。その覚悟をする。
    以上のことを、自分で自分を調教できますか?
    それができたとき、marioさんは、marioさん自身が「再インストール」できた、と私は思います。
    marioさんの人生と元奥様の人生を完璧に切り離す。息子さんへの親としての責任をとる。
    marioさんから元奥様への「再インストール」などはするべきではないし、相手も望まないと思います。
    細木数子さんになりきってアドバイスしました。すみません。

    • mario (AS)
    • 2008年 3月 15日

    親としての責任はしっかりと果たしています(私が親権者で息子と二人暮らしです)。息子を手放すつもりもありませんし、何とか2人でやって行く自信も持ってます。養育費は求めている側で、お金が要るというよりは、親としての責務を少しでも果たして欲しい(将来息子にそれを見せる為の実績を残したい)からです。
    養育費の調停で、今回こんな大騒ぎをやるとは思ってませんでした。完全に読み間違えました。
    元妻に対しては「しばらく勝手にやってもらう」と言う心積もりは出来ています。ただ完全には切り離せていません。主に息子の母として(息子の気持ちになって)その存在を身近に求めています。加えて、元妻がああなってしまったのは、自分のせいだって気持ちもぬぐえません。
    私と元妻の人生を完全に切り離す…息子が居なければ既に切り離していると思いますが、今はそれが出来る気持ちではありません、残念ながら。
    今後、自分が新しい人生を歩むのか?その点に関しては未来を決めずに中途半端な状態で放置しています。AS的には後悔しないようにしっかりと道を定めたいところですが、どちらもあり得ると意識して放置しています。一方で息子を含んだ人生の網の目を上手く作れない(繕えない)で苦しんでいると言う点では、今の状態もとてもAS的です。
    私から元妻の再インストールは図れないし、すべきでもないって事ですよね。実はここで何度も聞いてしまって、何度もその答えをもらっている気がします。分かりました。
    そして、私の再インストールですか… 考えてみます。
    ありがとうございました。

    • エイト
    • 2008年 3月 15日

    安心しました。私は、ジャイアンママとその彼に翻弄されている、かわいそうな息子さんを妄想してしまったのです。
    marioさんは立派な「お父さん」ではないですか。marioさんの仰るとうりです、息子さんへの責任はきちんと果たしています。
    しかし今後、marioさんが、元奥様あるいは別の女性と生活したいのであれば、marioさん自身の再インストールは必然のことで、再インストールしなければ永遠に同じことのくり返し、同じ悩みのくり返し、のように思えてしまいます。
    私の場合は、YANBARU先生のテーマを自分で勝手に解釈して、自分で納得して、頭の芯まで浸透させる、結果的に「再インストール」が進んでいると実感できるのですが。
    marioさんには、どういう方法が向いているのか、申し訳ありませんが、私にはわかりません。お役に立てなくて、ごめんなさい。

    • Mona
    • 2008年 7月 03日

    この記事どうしても気になって、書き込みさせていただきました。
    >もともとADHDに反抗挑戦性障害になりうる脳の働きの一群が居るということだ。
    これは確かに正しいとは思うのですが、
    反抗挑戦性障害がある者は皆ADHDということになるのでしょうか?
    「反抗挑戦性障害」を「ADHDの型」として考えると、定形発達なら「反抗挑戦性障害」にならないということになりませんでしょうか。
    それとも、
    定形発達の生育環境の結果として生じる「反抗挑戦性障害」と、
    ジャイアンのそれとは、
    症状は表面的には同じに見えても
    基(一方は脳の機能、一方は情緒)は違うということになるのでしょうか。。。

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